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ファンサカ選手列伝 - (2007/07/05 (木) 02:59:37) の編集履歴(バックアップ)


あいうえお順
チーム2ちゃんねる掲示板より


アンデルソン・リマ(元新潟)


新潟のFK要員。
本来は右SBだったがファビーニョ、エジミウソンと共にFWで起用されたこともあり、
FW登録のDFとして人気を博した。
アルビレックス新潟→ADサンカエターノ→コリチーバFC
ファンサカスレでの愛称はリマたん。

内田篤人(鹿島)


2006年のJリーグ開幕戦(対サンフレッチェ広島)で鹿島史上初となる
高卒ルーキーでスタメン出場を果たす。
スタメンの鹿島DFが安価で獲得できることから人気が殺到。
序盤の資金稼ぎに大きく貢献した。
同チームの小澤英明とともに「みんなの1号2号」と呼ばれた。

遠藤保仁

卓越したサッカーセンス、技術から常時高fpをたたき出し、
「ファンサカの申し子」などと呼ばれる。
流れからのゴールこそ多くはないものの、アシストやFKで暫定fpを
稼いだ上、ボーナスをコンスタントに3fp以上出すのが特長。
代表帰りで先発させないことを監督が名言したため多くの人が
起用を見送ったときにも、途中出場でいつも通りの高fpを出してみせ、
「さすがミスターファンサカ!」とため息と喚起を巻き起こした。

小澤英明(鹿島)


2006年鹿島のGK曽ヶ端準が怪我のため開幕からスタメン出場する。
内田と同様に年俸が安く人気があった。
第3節には自身で与えたPKを止め13fpを稼いだ。
同チームの内田篤人とともに「みんなの1号2号」と呼ばれた。

金正友(キム・ジョンウ)(名古屋)


2006年はイエローカード17枚に加え、レッドカードは2枚。
出場停止試合は7試合を数え不名誉な個人年間警告数のJリーグ記録を作ってしまった。
実況板では金にカードが出ると「国民的行事」や「いつもの」と言うのが恒例化し
1つの盛り上がりどころにもなった。

登尾顕徳(京都)


当時京都でフル出場が見込めるDFだったが京都の成績から年俸が常に底値であったため、
対戦相手によりベンチ要員にされることが多かった。
その際10日や20日など0のつく日に活躍することが多く0の付く日は登尾チャンスと呼ばれることとなった。
また実況板で「次節活躍する選手1000の人教えて」というレスに対し「登尾」と書き込まれ、
「登尾かよww」、「1000の人ナイスww」など誰一人として活躍を信じなかったが、
次の対象試合である2006年の第23節に9fpながらベストイレブンに選出されるというミラクルを起こした。

保坂一成(甲府)


2007年前期の甲府vs神戸で決勝点、甲府vs柏で同点弾と逆転弾を決め(決定率100%)、無名ながらも多大なfpをもたらした。
しかし、無名の控え選手であるためか起用率は異常に低く、1、2人がウハウハするだけであった。
現在は怪我をしているものの、年俸が安いので後期の起用率は上がりそうだ。

マルクス(元川崎)


2005年にジュニらとともに上位進出の原動力となった。
FW登録ながらトップ下で起用されることが多く、
試合でMF登録の洗う神、古橋らとともに人気を博した。
アルビレックス新潟→川崎フロンターレ→東京ヴェルディ1969→横浜F・マリノス

山田卓也(元東京ヴェルディ1969、現横浜FC)


2003年、攻撃的ポジションにコンバートされ、大ブレーク。
自身初の年間得点10点を記録する。当然FSでも人気を博し、
起用率は現在の憲剛に匹敵した。
合言葉は「山卓キャップ」
東京ヴェルディ1969→セレッソ大阪→横浜FC
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