ヴィルヘルム=パウル=フレスベルグ
その後、統一を眼の前にしたヴィルヘルムは建国を元年とする帝国暦を制定。
同時にそれ以前に使われていた月から節に置き換えて大樹の節(4月)を年始、孤月の節(3月)を年末とした。
その制定の理由はセイロス教の影響や権威付けだと推測されている。
後継者はリュカイオン1世だったが、帝国暦98年に急病により死去し、これが英雄戦争終結の契機となった。
フレスベルグ家はセイロスの血統も有しているとされ、代々の皇帝はセイロスの紋章を宿していたという。
またヴィルヘルムがセイロスに愛を囁く小説も存在するが、作中においてセイロスがヴィルヘルムやその子孫の配偶者だったとの記述はない。
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ネタバレを含む情報 |
セイロスの紋章はセイロス教会の枢機卿やジェラルトも宿しており、血縁関係を証明しない。
またセイロスはエーデルガルトをヴィルヘルムの子孫とした上で自身の子孫としては扱っていない。
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最終更新:2025年07月24日 01:19