愛しのレディ

「……モーターショー、ですか?」
 まだ、ピエトロ・ベルッチが少年と青年の境であった頃。
 執務室で大きな机越しに主であるルカ・フェルネットと正対し告げられた言葉に対して、ピエトロは不思議そうな表情を浮かべた。
「そうだ」
 重厚な革張りの椅子に腰掛けたルカが荘重に頷く。なんでも来週末から一週間、フェルネットの王国内にあるコンベンションセンターで複数の有名自動車メーカーが協賛するモーターショーが大々的に開催されるのだという。
 基本的にこういったイベントは先行公開となる報道機関向けのプレスデーと招待客向けのオフィシャルデーを経て一般客向けの公開に至るというスケジュールなのだが、そのオフィシャルデーにルカが招待されたということらしい。この街の王、支配者として暗然たる権力を有するルカ・フェルネットだ、招待状が届くのも当然といったところだろう。
 かつてこの街を手中にするため自ら鉄火場に出張っていた頃と違って、現在のルカの仕事のほとんどはそういったイベントやパーティー、セレモニーへの出席で占められていた。地元の名士の賛同と理解、それから後ろ盾を得ようと望む者たちには枚挙に暇がないものだ。ルカは寡黙でどちらかというと社交的な方ではない人間であったが、そういった打診を受けると毎回邪険に扱うでもなく、律儀に顔を出している。
 ピエトロは知らなかったのだが、モーターショーの開催も今回が初めてではないという。前回は何年か前に開催され、その際はルカと相方のジャンマリオ・ブッフォンで出席したという話であった。
 しかし――
「今回はエステルを連れていく。お前も同伴しろ、ピエトロ」
 ルカは今度のショーの同伴者に養女エステルとピエトロを指名してきた。
 ピエトロは思わず目を瞬かせた。主がこういったイベントへ赴くなら、前回と同じようにブッフォンと一緒で然るべきと思っていたのだ。だいいち、自分はまだ十七歳で自動車の運転免許を持っていない。
「僕も……? ボス、シニョーレ・ブッフォンは――」
「ジャンはスケジュールが合わなかった」
 ブッフォンは金庫番としてファミリーを管理運営するのに忙しく、予定が合わず出席見合わせになったのだという。既に、ピエトロがブッフォンからその後釜として主の身の回りの世話やスケジュール管理を任されて暫く経つ。主に同行して時間の調整などを行うことには何の異論もない。
「畏まりました」
 ピエトロは頷くと、主の前を辞してからすぐに自分のスケジュール帳にモーターショーの日取りを付け足した。




 ナッツィオナーレ・フィエスタ・デル・モトーレは世界的にも有名なモーターショーのひとつである。
 国内の有名自動車メーカーたちがここぞとばかりに自社の最新ブランドや技術の粋を披露しては鎬を削り、それを目当てにした世界中の自動車ファンが集まる大規模な催しだ。車種も一般乗用車からF-1、ダンプやトラックといった作業用車、まるで百年先の未来から来たかのような先進的・前衛的なフォルムの車も展示されている。
「ふわぁ……」
 コンベンション・センターの中にも外にもぎっしりと、それこそ綺羅星のように展示された車両の数々を前にして、ネイビーブルーのスーツをかっちりと着込んだピエトロと手を繋いだエステルが目を輝かせる。――もっとも、車のデザインやスペック等々に興味を覚えている訳ではない。スポットライトに照らされてキラキラと輝くカラフルな色合いの美しさ、会場を満たす光の洪水に感激しているらしい。
「きれいだねえ、ねー、ぴえとろ!」
「うん。とっても綺麗な車ばかりだ……」
 ルカの先に立ち、リボンとフリルをふんだんにあしらったピンクのワンピースでおめかしした妹と一緒に展示会場の中を見回しながら、ピエトロもまたすっかり圧倒されてしまった。
 このモーターショーへはブッフォンの代理として、ルカのスケジュール管理のために来ているというのに、本来の自分の役目も忘れそうになる。
 ピエトロはそれまではあまり自動車には興味がなく、車との接点と言っても主のお供で大人の運転するリムジンの後部座席に乗り込む程度で何の感慨も抱いたことはなかったし、モーターショーを見に行くと言われても仕事の一環程度にしか思っていなかった。
 が、ここまで大量かつ様々な車を見たことで、いやでも興味をそそられてしまう。
「凄いな……本当に」
 興味を引く車が視界に入るたび、ピエトロはうっかりその場に立ち止まりそうになり、慌てて自分の役目を思い出しては歩を進めた。
 そんな側近見習いの様子を見て取ったのか、ルカはモーターショーの主催者が自分のところへ挨拶にやってくるのを見ると、
「会場を見に行っていい」
 と言った。自分が招待客としての仕事をしている間、自由行動でもいいと言っているのだ。
「はぁーい!」
「……でも、ボス……」
 エステルは嬉しそうに片方の手を挙げたが、ピエトロは戸惑ったように主を見た。主の側近として来たというのに、その職務を放り出して車を見に行ったのでは意味がない。
「構わん」
 ルカは一度かぶりを振った。
「エステルに大人同士の会話など聞かせても退屈なだけだろう。目だけは離すな」
 どうやら、ルカは会場内では最初から子どもたちに別行動させるつもりでいたらしい。ブッフォンのスケジュールが合わなくなったというのは事実なのだろうが、その上で娘とピエトロを連れてきたというのは、華やかなモーターショーを見せて楽しませてやりたいというルカの不器用な愛情であろう。何せ老朽化していた劇場を最新設備のものに建て直させたり、セーフハウス兼任で別荘を作ったり、プライベートビーチへ遊びに行ったりと、娘の為には労を惜しまない親莫迦である。
 妹エステルの面倒を見るというのも、主の側近と双璧を為す自分の大事な役目だ。であるのならなんの異論もない。
「ぴえとろ、はやくー! はやくあっちいこー!」
「うん。……ではボス、行ってきます」
「ああ」
 エステルがしきりに繋いだ手を引っ張って催促してくる。主に一礼すると、ピエトロは妹と一緒に主の傍を離れて会場を見て回ることにした。
「ぴえとろ、あれ! わたし、あれにのりたい!」
 二人乗りの丸っこい電気自動車を指差すエステルに付き合って、運転席に乗り込んだりしてみる。
 それにしても、規模の大きなモーターショーである。企業ごとのコーナーの他にも用途別、車種別のブースが大量に設けられており、コンベンションセンターの外には試乗スペースもある。今回は招待客のみの公開日で会場は随分すいているが、これが一般公開日ともなれば最新の車を見に来た人々でごった返すのだろう。そうなってしまえば、ゆっくり車を見て回ることなどおぼつくまい。こうして招待客の同伴者として観覧を許されたのは幸運だった。
 そうして兄妹で広大な会場内を楽しんで見回ることしばし。
「―――――」
 それまでゆったりと展示を眺めていた視線が、ふと止まった。
 手を繋いだエステルが不思議そうにピエトロの顔を見上げる。
 ピエトロの双眸は、前方に展示されていたある車に釘付けになっていた。
 ブガッティ・ヴェイロン スーパースポーツ カーボンブラック――
 仏ブガッティ・オートモビル社が製作したシリーズのフラッグシップモデル、世界最速のハイパーカーである。
「……バットモービルみたいだ」
 差し色の一切ない漆黒のボディに、中央の特徴的なグリルの形状。その姿にかつてファミリーの養い子として同年代の子どもたちと共同生活していた頃に観た映画のハイパーマシンを思い出す。
 他にも虹のようにカラフルだったり、美しい色合いの車はあったというのに、ピエトロの目にはこの闇夜のように黒い車が会場のどの車よりも美しく輝いているように映った。
 ボディラインにフィットしたきわどいコスチュームのコンパニオンからにこやかに手を振られてもまるで目に入らず、ピエトロはヴェイロンへ歩み寄ると、展示されている車両を食い入るように見つめた。
 兄が夢中で一台の車を見詰めている様子に、エステルがぱちくりと丸い目を瞬かせる。
「ぴえとろ、このくるま、ほしいの?」
「え?」
「なら、ぱぱにかってもらおー! えすてる、おねだりしてあげる!」
 エステルは無邪気に笑った。自分がねだれば車だって飛行機だって、父親はなんでも買ってくれるのだと信じている。
 ピエトロは車両の脇にあるスペックや情報の書かれたパネルを見た。
 ブガッティ・ヴェイロンのスーパースポーツは世界でも三十台のみの限定販売で、値段は約百九十万ユーロ(三億円)。
 しかも購入には審査が必要で、身元のしっかりした人物でなければならないという。
「う~ん、僕にはちょっと高価すぎるかな……。だいいち、こんな高級車は手に余るよ」
「いらないの?」
「……う~ん」
 妹のつぶらな瞳に見詰められ、ピエトロは思わず唸ってしまった。
 欲しいか欲しくないかで言えば、欲しい。
 こんな格好いい車のステアリングを握り、妹を助手席に乗せてハイウェイを気ままに走って行けたりしたらどんなにか爽快だろうと思う。
 しかし、二百九十万ユーロといえば一財産だ。最近やっとマフィオーソとしての道を歩き始めたようなひよっこの自分にはとても捻出できる額ではない。だいたい、元々戸籍もなかったストリート・チルドレンの自分である。書類審査の段階で落とされるのは目に見えていた。
 というのに。
「この車が欲しいのか」
 後ろから聞こえた声にはっとする。振り返ると、そこには主催者との話を終えたらしい主が立っていた。
 父娘で同じ質問をしている。血が繋がらなくても親子だ、と思った。
「うん! ぴえとろ、このくるまほしいんだって! ぱぱ、かって!」
「わかった」
 即答である。黙っているとルカはさっそく契約書にサインしかねない、ピエトロは慌てて制止した。
「お、お待ちくださいボス!」
「なんだ」
「あの、お気持ちは大変嬉しいのですが、それは――」
 ルカの夜闇色の双眸に見詰められながら、ピエトロは躊躇いがちに口を開く。
「僕はまだ免許を持っていませんし……、こんな高価なものを買って頂くほど、僕はボスのお役に立っていません。それに……」
「……それに?」
「ええと……自分が本当に欲しいものは、与えられるのではなく……自分で手に入れるべきだと、思うんです」
 碧眼で主を見上げる。ルカはそんなピエトロの言葉に少しだけ沈黙したが、
「そうか」
 と、特に気にする風でもなく引き下がった。
 不興を買ってしまったかと、ピエトロは深く頭を下げた。
「すみませんボス、折角の御厚意を無碍にしてしまって」
「ぱぱ? かわないの?」
 エステルが小首をかしげて問う。ルカは微かに目を細めてエステルの頭を撫でた。
「ピエトロは、プレゼントされるより自分で買いたいんだ。その方が嬉しいから」
「じぶんでかうほうが、うれしいの? ……ぴえとろ? そうなの?」
「……うん。そうだよ」
 ピエトロは微笑みながら頷いた。父と兄の言っていることが理解できず、エステルは眉間に皺を寄せて『へんなの』と言うばかりであったが、元々さして関心のなかったことだ。メーカーのマスコットキャラを象った着ぐるみが会場を歩いていてるのを発見すると、きゃあーっと黄色い声を上げてすっかりそちらに意識を切り替えてしまった。
 妹に手を引かれながら、ピエトロはもう一度照明の下で黒光りするハイパーカーを見た。
 今の自分はまだ子どもで、この世界最速の車に見合うような人間ではない。
 しかし、必ず。このハイパーカーを手にし、ハンドルを握るに相応しい男になってみせる。
 ピエトロは密かに決意し、妹と共に展示コーナーを離れた。




 ピエトロが十八歳になると、さっそくルカとブッフォンから自動車の免許を取りに行くようにという命令が下った。
 表向きはルカが仕事で使用するリムジンの運転をするためということである。尤も、ファミリーには運転免許を持っている者が大勢おり、リムジンの運転手も幾らだって替えが利くのだが、持っていた方が何かと都合が良かろうとの配慮だ。
 ルカの側近やマフィオーソとしての勉強の傍ら教習所へ通う。元ストリート・チルドレンで義務教育さえ受けられなかったピエトロにとっては、人生初めての学校である。
 免許自体は問題なく取得できた。ルカもブッフォンも誉めてくれたが、ファミリーの中で一番喜んだのはイザベラであった。
「買い出しってひとりで行くと大変なのよね。車を出してくれればとっても助かるんだけど、なかなか頼み辛くて。でも、ピエトロに運転して貰えるなら助かるわ!」
 現金なものだが、取得するだけしてペーパードライバーでいるのも勿体ない。どういう理由であれ車の運転をする理由が出来るのはいいことだろう。屋敷の広大な敷地内を回ってみたり、イザベラの買い物に付き合ったりして練習を続ける。
 そうして徐々に運転に慣れてくると、遠出をしてみたくなるのが人情というものだ。すぐに終わってしまう近所への買い物ではなく、偶にはフェルネットの王国の境辺りまで車を飛ばしてみたい。
 とはいえ、ルカもブッフォンも遊びで免許を取らせてくれた訳ではないのだから……とも思う。
 そんなことを考えていると、ルカから使いを命じられた。部下の一人が屋敷から峠を二つばかり越えた街にいるファミリー構成員へ書類を届けに行くので、運転手として車を出せとのことである。
 尤も、その書類自体は特段重要なものでもなければ喫緊の案件でもない。要するに口実で、遠出したくてうずうずしているピエトロの様子を見てのルカの心配りである。ピエトロに直接届けろと言わず間にひとり部下を加えたのは、初めての遠出で万が一何か不測の事態が起こった場合の備えだろう。おまけに、屋敷で退屈しているエステルも連れていけという。
「どらいぶ、どらいぶ! ぴえとろとどらいぶ~!」
「こら、僕たちは遊びに行くんじゃないんだ。大事な書類を届けに行くんだよ? もう……」
 アリスブルーの膝丈ワンピースに、肩から小さなポーチを提げたお出かけスタイルではしゃぐ妹を助手席に乗せ、シートベルトを締めてやりながら軽く釘を刺す。
 とはいえ、ピエトロもエステルと同じくらいにうきうきしている。後部座席に座っている先輩マフィオーソからは、目的地までのルートは任せると言われているから、一番眺望のいいコースを行こうと思っている。現在計画が持ち上がっているフェルネット・ファミリーの手掛ける一大プロジェクト、湾岸道路が完成した暁にはもっと素晴らしい眺めのドライブができるのにな……と思ったが、それはもう何年の先の話になるだろう。
 天気は快晴、絶好のドライブ日和だ。ミラーと座席を念入りに調整し、カーナビに目的地までの道程を入力すると、ピエトロはやや緊張した面持ちでハンドルを握った。
 屋敷を離れ、ハイウェイに入る。幸いにして道路状況も混雑しておらず、ドライブは快調で、ピエトロは念願通り思う存分運転を楽しむことができた。
 エステルは助手席の窓から見える景色に釘付けになっている。危険なところには行かせられないというルカの意向で、なかなか外に出られず普段は屋敷の中にいることが多いエステルにとって、父親の仕事のついで――といった理由以外での外出は久しぶりだ。終始上機嫌で、あれは何? とかこれは? とか、窓の外の光景を指さしてはピエトロに訊ねてきた。車を運転することに集中しているピエトロには、そんなエステルの問いに応じる余裕はなくあまり受け答えはできなかったのだが、それでもエステルは機嫌を損ねるでもなく終始にこにこしていた。
 ドライブを始めて二時間程度経過した辺りで、休憩を兼ねて昼食を取るために手近なサービスエリアへ立ち寄る。
 屋敷でイザベラの作る料理や高級レストランのコース料理しか食べたことのないエステルにとって、庶民の利用するドライブインの安価な食堂はさぞかし目新しく映ったのだろう。きゃっきゃっと嬉しそうに笑って、陳列されているたくさんのパニーノやトラメッジーノを見てはあれが食べたいこれが欲しいと次々におねだりしてきた。
 そんな妹に言われるままメニューを注文する。焼きたてポルケッタのトラメッジーノにトマトとモッツァレラのカルツォーネ、それからチョコレートやキャンディ、甘いジュース。普段ならどうということもないメニューでも、こうして遠出して露店などで売られているのを見ると格別美味しそうに見えるものだ。うっかりすると自分まで際限なく買い食いしてしまいそうになるのをなんとか抑え、妹に好きなものを与えると、一口齧って飽きたと残してしまった分を同伴者の先輩マフィオーソと自分とで食べる。
 そんな我侭放題のエステルだったが、食事と休憩を終えて出発しようとすると今度は、
「アイスクリームが食べたい」
 と言い出した。もう少し早くに言ってくれればとも思ったが、どうやらドライブインで食べるのではなく流れてゆく景色を眺めながらアイスクリームが食べたいということらしい。
 お願いされると断れない兄莫迦であるし、確かに美しい風景を見ながらアイスクリームを食べるというのは美味しかろう。風景に夢中になってアイスクリームを忘れ、溶かしてしまって服を汚すところまで想像できたが、已む無しと諦める。
 車を出て建物へ戻り、徒列に並んでアイスクリームを買う。色とりどりのカラースプレーチョコに彩られたキャラメルとストロベリーのダブル。
 存外時間を取られてしまった。今日中に先方へ書類を渡し、屋敷へ戻るとしたら、少々急がなくてはならない。
 しかし――
「アッティーリオさん!?」
 アイスクリームを手に車へ戻ったピエトロの視界に飛び込んできたのは扉が乱暴に開け放たれたリムジンと、車外で右肩から血を流し車体に凭れ座り込んでいる先輩マフィオーソの姿だった。
 アイスクリームを放り捨てて傍に駆け寄り、容態を確認する。どうやら銃撃を受けたらしい、しかし幸い銃弾は体内を貫通しており、出血は酷いが命に別状はなさそうである。
「アッティーリオさん、これは……」
 心配するピエトロに対し、先輩マフィオーソのアッティーリオは痛みに顔を顰めながら、
「すまんピエトロ、お嬢さんが攫われた……!」
 と呻くように言った。
「エステルが!?」
 ピエトロは仰天した。なんでもピエトロがアイスクリームを買いに車を離れた途端、風体の怪しい三人ほどの男がいきなりドアを開けて襲い掛かってきたという。アッティーリオはすぐに抵抗し激しい揉み合いになったが、肩口に銃弾を受けた挙句エステルを奪われてしまったらしい。
 ピエトロは歯噛みした。エステルはビスクドールもかくやというほどの美少女だ、それに着ている洋服も上等のものと一目で分かる仕立てで、誰がどう見ても富裕層のご令嬢といった見た目をしている。
 そんなエステルがドライブインの中で我儘放題にはしゃいでいれば、さぞかし目立ったことだろう。
 一瞬、フェルネット・ファミリーと敵対する近隣のマフィアの仕業かとも思ったが、フェルネットの支配が行き届いている中心街近辺と違い、郊外にはマフィアになることも出来ないギャング崩れや不法移民などいくらでもいる。
 いかにもお嬢様と言いたげな格好の幼女が無防備に目の前をうろついているのを見て、ひとつ身代金を――などと企む者がいたとしてもおかしくはない。
 そうして影で様子を窺い、御付きの者の片割れ――ピエトロが車を離れたのを好機と見て取って、一気に襲い掛かったということなのだろう。
「俺のことはいい……、お嬢さんを……」
 アッティーリオが呻く。
 言われるまでもない。ピエトロは弾かれるように顔を上げると、周囲を見回した。
 果たして、前方を不自然なほどの猛スピードでワンボックスカーが走り去っていく。あれかと目星をつけ、すぐさまリムジンの運転席に乗り込むと、ピエトロはアクセルを思い切り踏み込んでサービスエリアを勢いよく飛び出した。
「ぐ……」
 見晴らしのいいハイウェイをワンボックスが爆速で走ってゆくのを見て、忌々しげに歯噛みする。
 なかなかスピードが出ない。このリムジンはカスタムメイド品だ、要人警護用の特別仕様車と同じように防弾処理が施され、マシンガンの弾にだってびくともしない。
 が、そんな堅牢さと引き換えに車体重量が犠牲になっている。ルカやブッフォンが移動するための車であるから、平素は速度を出す必要がないため問題はなかったが、現状に限っては甚だ不利である。
 アクセルベタ踏みでエンジンが甲高い悲鳴を上げる。インパネの速度デジタル表記がやがて三桁を表示すると、身体全体に負荷がかかったような気がしてピエトロはヘッドレストに後頭部を押し付けた。
 ワンボックスが四角い車体に似合わない俊敏さでどんどん前方の車を追い抜いてゆく。ピエトロもそれに追随して、間近に迫った車を何とかすり抜ける。
 今まで近場の市街地を運転するだけで、自分の運転で遠出らしい遠出をしたことのなかったピエトロはきっちりと法定速度を厳守しており、今まで殊更スピードを出すこともなかった。そんな初心者マークがアクセル踏みっぱなしの三桁速度でハイウェイをぶっ飛ばしている。
 束の間他の車の姿が消え、前方を走るのは目標のワンボックスだけになる。
 三十メートルほど後方につけると、ハッチバックのガラス窓からエステルが見えた。エステルの方でも追跡する此方に気付いたらしく、窓に両手をぴったりとくっ付けて何事かを叫んでいる。きっと、此方の名を呼んでいるのだろう。
「すぐ助けてやる……!」
 ハリウッド映画のようにカーチェイスで誘拐犯たちの車に頑丈なリムジンのボディをぶつけ、無理矢理停車させてやろうかとも思ったが、向こうにはエステルが乗っている。彼女が万一傷つくような行動は取れない。
 助手席のダッシュボードの中にはもしもの場合に備えて拳銃も一挺用意されている。それを使用することになる可能性も今のうち考慮しておく。
 と、前方のワンボックスの助手席の窓が開き、誘拐犯のひとりが発砲してきた。
 特別防弾使用のリムジンは拳銃程度ではびくともしないが、フロントガラスに銃弾が命中し鈍い音が響くと、免許を取ったばかりのピエトロはどうしても怯まざるを得ない。ハンドル操作を誤り、大きく蛇行して反対車線まで飛び出してしまう。
 危うく対抗の大型トラックに激突してしまいそうになるも、力の限りステアリングを切って危ういところでやり過ごす。更にありったけアクセルを踏み込み、ぴったりとワンボックスにつけると、やがて誘拐犯たちは逃走を諦めたのか、それとも目的地に近付いたのか、全速力で料金所を通過しハイウェイを降りて一般の田舎道へと進路を取った。
 ピエトロもそれに追随する。やがてワンボックスが到着したのはフェルネットの王国の国境、うら寂しい田舎道の脇にあるどこから見ても廃墟と分かるモーテルだった。
 誘拐犯の男たちが三人、車を乗り捨ててモーテルへ立て籠もろうとする。うちひとりはエステルの右手首を掴み、無理矢理引っ張っていく。
「ぴえとろ、ぴえとろぉ!」
「――エステル!」
 よく知るファミリーの構成員ではない、見知らぬ男たちに無理矢理手を引っ張られる痛みと恐怖にエステルが泣き叫ぶ。
 ピエトロも車から転がるように出、妹の名を呼ぶ。ダッシュボードから取り出した拳銃を握りしめ、誘拐犯たちと対峙する。
「動くな……! その子を、エステルを離せ!」
「うるせえ! テメエこそ銃を捨てやがれ、でねえとこのガキィぶっ殺すぞ!」
 誘拐犯の首魁とおぼしき男がエステルを盾にするように抱き寄せ、その頭に拳銃を押し当てる。
 ピエトロは強く奥歯を噛み締めた。逆上した誘拐犯をこれ以上刺激して万一エステルに危害の及ぶようなことがあってはならないが、といって銃を手放してしまえばみすみす嬲り殺しになるだけであろう。
「その子が誰の娘か、理解しているのか? その子はエステル・フェルネットフェルネット・ファミリーのゴッドファーザー、ルカ・フェルネットの一人娘だぞ……!」
ルカ・フェルネットだとぉ? 何をデタラメを……」
 ざわ、と誘拐犯たちが動揺を見せる。マフィアにもなり切れないチンピラでも、この地域一帯を取り仕切るマフィアであるフェルネット・ファミリーの名は知っているらしい。
 普通ならば到底信じられない荒唐無稽な法螺話だろうが、実際のところ男たちの攫った少女はその辺りの同年代の子どもたちとは比較にならないほど上等な衣服を着ているし、御付きの男と少年のスーツも仕立てが良く、なおかつリムジンは拳銃の弾などものともしない完全防弾使用だ。
 それらの要素を加味すると、あながち出鱈目を言っているとも限らない……と、誘拐犯たちも遅まきながらに理解したようだった。苛烈で知られるルカ・フェルネットの身内を誘拐しようとした人間に対してファミリーがどういった報復に出るのかも、自分たちの犯した罪の重大さも。
「お、おい……」
「う……、うるせえ!」
 すっかり尻込みしてしまったらしい仲間の声を、首魁の男が振り払う。
「こうなったら、ガキをネタに金をゆすり取るまでよ! フェルネットといやぁ押しも押されぬ一大ファミリーだ、さぞかし貯め込んでいやがるんだろうしなあ!」
「……愚かな連中め……!」
 誘拐犯と睨み合い、重苦しい空気が流れる。相手は三人、対してこちらはひとりだ。ピエトロの米神を嫌な汗が流れ落ちる。
 せめて、一瞬でもこの膠着状態を打破できれば――。
 そんなピエトロの思考が伝わったのかは定かではないが、誘拐犯に抱きすくめられていたエステルが束の間ぴたりと泣くのをやめ、むぅぅ……と眉間に皺を寄せる。
 そして次の瞬間には大きく口を開けたかと思うと、
「ぎゃっ!」
 思い切り、男の腕に噛みついていた。
 まさか、年端も行かない少女に反撃されるとは思いもよらなかった男が奇をてらわれ、悲鳴を上げる。
「このガキッ!」
 激高した男がエステルの右頬を張る。エステルは小さく悲鳴を上げて倒れた。
「エステル!!」
 妹が作ってくれた千載一遇の好機、これを逃す手はない。首魁の男へ向けて素早く拳銃を乱射すると、男は小さく呻き声を上げて仰向けに崩れ落ちた。
 すかさずルカの薫陶を受けた挙動で駆け出し、残りのふたりのうち片方に思い切り肩からぶつかって、倒れた頭へ至近距離からの銃弾を一発。次いで仲間が斃れたことに怯んでいる最後のひとりへマガジン内のありったけの銃弾を叩き込んでやると、誘拐犯は上半身のあちこちから血飛沫をあげて絶命した。
「ぴえとろぉーっ!」
「エステル……!」
 駆け寄ってきたエステルが思い切り抱き着いてくる。ピエトロも残弾のなくなった拳銃を放り捨て、片膝立ちでエステルを抱き留めて無事を確認する。
 結果的にエステルに助けられた形だ、エステルが首魁に噛みつかなければ、不利な状況を打開することは不可能だった。
「エステル、怪我はない? よかった……」
 今になって恐怖がぶり返してきたのか、わんわんと声をあげて泣くエステルをぎゅっと強く抱き締める。
 危ういところだったが、主から預かった大切な妹を何とか守り通すことができた。随分と時間を食ってしまった、負傷したアッティーリオのことも心配だ。早くサービスエリアまで戻らなければならない。
 しかし。
 不意に背後から感じた殺気に、ピエトロは咄嗟にエステルを抱きすくめるとその場から素早く飛び退いた。
 そして、銃声。今しがた兄妹の立っていた地面に弾痕が刻まれる。
 見れば、最初にピエトロの撃った銃弾を浴びたはずの首魁の男が左肩から血を流し、右手に拳銃を持って立っていた。
「ふざけやがって……このクソガキどもが……!」
 どうやら殺しそこなったらしい。確かに他のふたりと違い、ピエトロは首魁の男が仰向けに倒れたところまでは確認したが、息の根が止まったかどうかまでは確認しなかった。
 男は仲間を殺され、自身も手傷を負ったこと、そして子どもに反撃を許したことに対して憎悪と憤怒を漲らせている。
「大人しくするなら生かしといてやろうかと思ったが、舐めやがって……! フェルネット・ファミリーのガキだろうが構わねぇ、ブッ殺してやる!」
「む……」
「てめえらの首は箱詰めにして親父の許に送り付けてやるよ。大切な一人娘をブッ殺されたとなりゃ、武闘派で知られたゴッドファーザーもさぞかし悔しがるだろうぜ!」
 此方は唯一の武器であった拳銃の弾を撃ち尽くし、放り捨ててしまった。ただ抱き合うしかない兄妹の姿に自身の優位を確信し、男が嗤う。
 だが、この場で笑ったのは誘拐犯の男だけではなかった。
「……ふ」
 ピエトロもまた、エステルをしっかりと抱きしめながら口角に笑みを浮かべる。
 男は激高した。
「てめえ、なに笑ってやがる!」
「僕たちをブッ殺す? ボスのところへ首を送り付けるだって? そんなことが、お前のようなチンピラ以下のクズに出来ると本当に思っているのか?」
 くくッ、とピエトロは男を挑発するようにせせら笑う。
「無理だな。お前には殺せない……命には軽重がある。お前のような人間が奪うには、僕とエステルの命は価値がありすぎる」
「うるせえ! 何が価値だ、そんならお望み通りにブッ殺してやる!」
「……いいや、もう無理だ。なぜなら……何も持たず生まれ、そして今何も成さずに死んでゆくお前と違って――」
 ピエトロが笑みを深める。と、モーテルに面した田舎道に次々と厳つい黒塗りのリムジンが現れ、モーテルの周囲を取り囲んだ。
 更に、中から黒服に身を包んだマフィオーソたちが手に手に銃を持って下りてくる。
 言うまでもなくフェルネット・ファミリーの構成員達だ。ルカは万一の場合に備えて部下に命じ、ピエトロが屋敷を出発したときから付かず離れずの距離でリムジンの警護をさせていたのだ。加えてエステルの肩から提げているポーチの中にはGPSが入っており、その居場所も逐一モニターされていた。
 ピエトロは事態を把握した護衛が自分たちのところへ到着するまでの間、時間稼ぎをしていれば良かったのだ。そして、その役目は完全に達成された。
 マフィオーソたちが男へ一斉に銃口を突き出す。エステルを抱きしめたままゆっくり立ち上がると、ピエトロは絶望的な表情を浮かべている男を見遣り、
「――僕とエステルには、神の恩寵があるのだから」
 と、言った。




 ドライブを終えて数日後、ピエトロは主人であるルカの執務室に呼ばれた。
「アクア―リオ・セントラーレを買収することにした」
 大きな執務机越しにいつも通り無表情で椅子に腰掛けている主が、やにわに切り出す。
「アクア―リオ・セントラーレ……? あの水族館ですか? 以前エステルと遊びに行った……」
「そうだ」
 ピエトロが訊き返すと、主は頷いた。
 アクア―リオ・セントラーレはこの街の港湾地区にある巨大な水族館である。六メートルの巨大水槽の他、海獣のショーなども人気を博しており、ファミリー層のレジャーからカップルのデートスポットまで幅広い用途に使われる人気の施設だ。
 自分とエステルもかつてルカに連れられ、遊びに行ったことがある。シロイルカのショーがたいそう気に入ったエステルが、体長三メートルほどもあるシロイルカを連れて帰りたい、屋敷で飼いたいと駄々を捏ね、大いに手を焼いたものだ。
「エステルが気に入っていただろう。先日のこともある、やはり遠出をさせるよりは近場で遊ばせた方が安全だ。それに湾岸道路建設の兼ね合いもあり、コネクションの手中に収めるのが得策と判断した」
「は……」
 無聊を慰めるつもりで遠距離のドライブに送り出したら、誘拐犯に狙われた。同じ過ちを繰り返さないためには、目の届く街の周辺の施設で遊ばせておいた方がいいという親心だろうか。
 加えて、湾岸道路が完成すればフェルネットの王国は今にも増して莫大な富を得ることができるようになる。
 そのために、基点となる港湾部の主要な施設はすべてフェルネットの所有物にしてしまおうとの算段であろう。それにしても、計画の一部とはいえ娘のために水族館を丸ごと手に入れようとは、桁外れにスケールの大きな話である。
 と、思ったのだが。
「オーナーはお前だ、ピエトロ」
「えっ?」
 突然の指名に、ピエトロは思わず頓狂な声を上げてしまった。
「僕が? アクア―リオ・セントラーレのオーナー……?」
「そうだ。経営母体の代表取締役に就任して貰う……と言っても名義上のものだ、実際の運営は不動産部門の下部組織が行う。お前は何もしなくていい、従来通りだ。記念の式典などには顔を出す必要があるだろうが、年に数回のことだ」
 ルカの説明を黙して聞く。自分は完全な名前だけのお飾りオーナーで、業務など何もないのだという。
「承知致しました」
 慇懃に会釈する。主の決めたことだ、最初からそうするつもりで遥か以前から根回しを行い、あとはもう調印だけ――といったところまで段取りを整えているのだろう。元々主命とあらばピエトロに否やはない、やれと言われれば受けるだけであるが、それにしても突然水族館のオーナーをやれという主の意図がいまいちよく分からない。
 しかし――
「お前がオーナーをする水族館の経営母体は、元官民共同出資の第三セクターだ。つまり政府とも繋がりのある“白い”会社ということになる」
 ルカが再度口を開く。
「……お前が欲しがっていた、あの車の購入審査も通るだろう」
「あ……!」
 そこまで言われて、ピエトロはやっと自分を水族館のオーナーに推したルカの真意を察した。
 昨年のモーターショーの折、ピエトロがブガッティ・ヴェイロンを食い入るように見詰めていたのを、ルカは今もなお覚えていたのだ。
 あのときは、新米マフィオーソので裏社会の住人である自分には手に入れる資格がないと折角の申し出を断ってしまった。が、水族館のオーナーならば話は別だ。どこからどう見てもホワイトな肩書は、審査にはうってつけだろう。
 先日のドライブで見事エステルを誘拐犯から守り切った、そのご褒美――ということだろうか?
 偶々参加したモーターショーでの、ごく短く他愛ない遣り取り。
 それを神と敬い慕う主が覚えていてくれたこと、そして願いの実現のために手回しをしてくれたことが嬉しい。
「ありがとうございます、ボス……! ピエトロ・ベルッチ、謹んで拝命いたします!」
 ピエトロが嬉しそうに笑うと、ルカもまたほんの微かではあるが、双眸を細めて応えた。




「また、レディ・ヴェイロンといちゃいちゃしてる」
 そして、現在。ピエトロが貴重な休日を費やして屋敷のガレージ前で愛車ヴェイロンの洗車をしていると、様子を見に来たエステルが呆れ顔でそう言ってきた。
「最近は構ってやれていなかったからな。誰かさんと一緒で、放っておくとすぐに機嫌を損ねてしまう。いざというときに臍を曲げてしまわないよう、メンテナンスは怠らないようにしなくては」
 燦々と降り注ぐ日差しの下でジャケットを脱ぎ、ワイシャツの袖を肘まで捲ってゴムホースとブラシを手に振り返る。
 屋敷の大きなガレージにはヴェイロンの他に数台のリムジン、ハマー等が収納されている。そういった車両はもっぱら部下たちが洗車をしていたが、ヴェイロンの手入れだけはピエトロが手ずから行い、他人には絶対に任せようとしない。
 そうして念入りに状態をチェックし、オイルを新品に交換し、窓もボディもタイヤに至るまでピカピカに磨き上げると、一日があっという間に終わってしまうのだ。
「誰かさんって誰のことかしら。もう……ピエトロのばかっ」
 兄が自分そっちのけで愛車ばかり構っている様子に、エステルが不機嫌そうに唇を尖らせる。
「そう怒るな、もう少しで終わる。……うん、今日は格別調子がいいらしい」
 妹を宥めながら運転席に乗り込み、シートに座る。最後にエンジンをかけて音を確認すると、ピエトロは満足げに頷いた。
 車から降り、車体の周りに散らかしたままの工具を片付ける。屋敷の中で手と顔を洗い、腕捲りしていたシャツを直してジャケットに袖を通す。
 やっと自分が構って貰える番になったかと、エステルが喜色を湛える。
「終わった? それじゃあ――」
「いや、まだ最後の確認がある」
「えぇ……?」
 エステルはまだ何かあるのか、と不満も露わに眉を顰めた。
 そんな妹の反応をよそに、ピエトロは助手席側へ回るとドアを開く。
「何してる、早く乗らないと置いていくぞ」
「……?」
 最後の確認があるんじゃないのか、とエステルが怪訝な表情を浮かべる。
「試運転と、乗り心地の確認。行きたくないか?」
「……行きたい!」
 表情がころころと変わる。機嫌の悪そうな様子も一転、エステルは嬉しそうに助手席に乗り込んだ。ドアを閉め、ピエトロも反対側へ回って運転席に乗り込む。
「近場でいいなら、好きなところへ連れて行ってやる。どこかリクエストは?」
「じゃあ、セントラル・スクエアのモンテ・ドラートに連れてって! サンドラのオフィスで食べたとき、あそこのケーキがすっごく美味しかったから! また食べたぁい!」
「了解、レディ」
 妹の食い気に微笑みながら手短に応え、ギアをドライブに入れる。ハンドルを握ってステアリングを切ると、車は滑るように移動を開始した。
 子どもの頃に憧れた夢のハイパーカーが、今は自分の手の中にある。
 それ自体例えようもない幸福ではあるけれど、それでも。妹のことは決して疎かにはしない。
 第一この車を欲しいと望んだのも、元はと言えばエステルと一緒にこんな車でドライブができたらどんなにか楽しいだろう、と思ってのことだったのだ。
 そして、その夢もまた叶えられている。
 掛け替えのない大切な、愛しい妹を隣に愛車を駆る。その幸福を噛み締めながら、ピエトロはぐっとアクセルを踏み込んだ。


〈了〉

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最終更新:2023年11月19日 22:13