冥界にだとて、朝は来る。
 死の世界。そこに再現された、生の国のテクスチャ。
 朝日は昇り、日は沈み、昼と夜は入れ替わる。
 それが幻燈であることを、葬者だけが知っている。
 葬る者。葬者。そして同時に、奏でる者。奏者。そういう側面も、彼らには確かにあろう。
 石田雨竜のマスターである少女も、例に漏れずそうだった。

 ごく小規模な〈世界の終わり〉を積み重ねてきた世界。
 竜戦虎争の聖杯戦争、その前座を生き延びた二十四の器がひとり。
 クロエ・フォン・アインツベルンという少女の矮躯に載せられた運命の重圧を、雨竜はひと月に渡り共有してきた。

「……やはり、やりきれないね」

 口ではどう言おうが、きっと愛していたのだろう家族と別れ。
 その寂しさを噛み締める間も与えられずに地獄の釜へと放り込まれた少女。
 クロエが雨竜の前で弱さを見せたのは、彼が覚えている限り二回だけだ。

 初めて己の願いを吐露してくれた日。そして、仮初めの遺失を見届けた日。世界の終わりの、その始まり。
 それ以外で、クロエはいつだって気丈だった。不敵に微笑み、軽口を絶やさず、葬者たらんとすることに努めているように見えた。
 それはきっと、葬者としてはこの上なく理想的なこと。
 そして、平和な世界で生きたいと願う少女としてはこの上なくいじらしい姿だった。

 悲しければ泣いて、嬉しければ笑えばいい。
 それが、あの年頃の子どもの正しい姿だろうと雨竜は思う。
 どれだけ時代が進み、価値観が変化したとしても、そこの部分が置き換わることは人が人である限りきっとない。
 この世界でも、きっとそうだ。けれど葬者だけが、そうじゃない。
 何故なら彼女たちは殺し合うべくして呼び寄せられた存在だから。
 たったひとつの生の椅子。それを巡って争い続けるように、世界からそう求められた運命の奴隷達。
 笑顔など要らず。涙など要らず。ただ、死者を死に還し続ける暴力装置(サーヴァント)の要石であればそれでいい。
 此処では普通のことだ。クロエもきっとそう思っている。だが雨竜は、その"普通"が、"気に入らな"かった。

「本当に……とんだ貧乏くじだ。僕の運命はアレで終わりだと思っていたが、まさかこんな形で先が用意されていたとはね」

 サーヴァントとは、自分の物語を既に終えた存在だ。
 言うなれば、世界の残響。影法師という形容はまさに言い得て妙である。
 石田雨竜も、その例外ではない。彼はとうに自分の物語を歩み終えている。

 育ての親を殺された。
 死神と反目した。
 仇である鬼畜に一矢を報いた。
 友のために戦場へ参じた。
 滅却師の王を継ぐ者として見初められ。
 そして――最後まで、彼は自分にとっての銀の鏃(ゆうじょう)を守り続けた。

 地獄の釜が開いても、その先にどれほどの戦いがあったとしても。
 石田雨竜という個人の物語は、もう現行のそれではない。
 だからこそ死の安息の中から叩き起こされ、新たな運命を任じられて戦わされている現状にため息を禁じ得なかった。
 聖杯など今更欲する理由もない自分にとっては聖杯戦争などただの無給労働。
 顔見知りがいるわけでもなく、いるのは敵と哀れな要石がひとりだけ。
 気など乗るわけもない。久々の現世だと喜べるわけもない。ああ――、本当に、気に入らない。

「……上等さ。神でも悪魔でも、竜でも死神でも何でも来るといい」

 言いたいことはいくらでもある。
 だが、やるべきことは常にひとつだ。

 家に帰りたいと泣く迷い子を家まで送り届ける。
 そして可能なら、彼女と同じような境遇にある葬者達も助けたい。
 ――少なくとも、"彼"ならそうする筈だ。


「そうだろ――――――――なあ、黒崎」


 優先順位というものは現実問題確かにあるが、かと言ってそれがすべてではないだろうと雨竜はそう思っている。
 後先も考えず、周りなど一顧だにせず、極端な方へと走り続けていたあの頃の自分。そんな自分を諭し、引き戻してくれた男。
 あの男ならば、必ずそうする筈だと分かっていたから。故に石田雨竜に、その茨道を選ぶことへの躊躇いは毛ほどもなかった。
 すべてを救えるわけではなくても、手を伸ばす努力は怠りたくない。
 そうすれば、もしかしたら本当に、この冥界に渦巻く死を鎮めることだってできるかもしれないのだ。

 犠牲など、少ないに越したことはない。
 死など、鎮まるに越したことはない。
 だから石田雨竜は、守るために弓を射る。
 幸いにしてその身体は、その血は、そうすることに長けているから。

(……そろそろ彼女も起きる頃だな。昨日の"空中戦"に触発された連中が、もしかすると派手な真似をやらかすかもしれないと思っていたが)

 臨戦態勢を解き、踵を返す。
 昨日の深夜、都内の上空で繰り広げられた怪物共の抗争。
 雨竜らが仮の拠点に据えたこの廃屋がある土地と舞台となった区とでは幸いそれなりに距離が空いていた。

 だが、それでも――察知できた。
 ただならぬ強者が死合っていることを。
 背筋に寒いものを覚えるほどの殺気が、此処まで伝わってきたのだ。
 護廷十三隊の隊長格。虚圏の十刃。星十字騎士団の滅却師達。そのいずれにも決して遅れは取らないだろう、魔域の剣呑が。

 あのレベルがまだ複数生き残っている事実は、やはり雲行きの良いものではない。
 願わくば此処までの一月で排除されていてほしかったが、現実は甘くなかった。
 むしろ今に至るまで生き残っているのは、それこそ件の怪物共にまるで引けを取らない魑魅魍魎達と見るべきだろう。
 自然と掌が汗で湿る。滅却師の双肩には、これまで経験したどの戦いとも違った種類のプレッシャーが重くのしかかっていた。

 考えるのはやめだ。
 それに、覚悟は決め直した。後は貫くだけ。
 気に入らない運命を蹴散らせ。
 大切なものを、守れるだけ守れ。
 「よし」と小さく呟いて、さてクロエの朝食でも拵えようと廃屋の中へ歩き出す雨竜。
 その背がもう一度、家とは逆の方向に振り返ったのは、彼がそうした直後のことであった。

「――ッ!?」

 爆発的なまでの魔力が、雨竜の全身を打ち据えたからである。

 攻撃を受けたわけではない。恐らくこれは、相手がただ自らの存在を示してきただけ。
 それなのにこれほどの圧を感じたということはつまり、それほどまでに敵方の実力が逸出していることの証明だった。

(なん、だ……?)

 格上であることなど、言うまでもない。
 雨竜にも奥の手はあるが、それを除けば力の差は恐らく二段では利かないだろう。
 聖杯戦争が始まって以来の悪寒に自然と弓を握る手が強張る。
 その時だった。同じ気配を感じてのことか、仮住まいの扉を蹴破る勢いで開け放って、褐色の少女が飛び出してきた。

「――アーチャー! 気付いてた!?」
「当たり前だ、見くびるな!」

 クロエも恐らくは同じタイミングで、件の魔力に気付いたらしい。
 既に錬鉄の英雄を思わせる衣装へ転身し、両手には投影された夫婦剣が握られている。

「……あからさまにマズそうよね、これ。逃げられそう?」
「それが利口だろうが、どういうわけか敵は僕達の位置を捕捉してるらしい。
 そうでなければわざわざ自分の存在を誇示するみたいに、魔力を撒き散らす意味がない」
「じゃあ倒すにしろ逃げるにしろ、やっぱり腹は括らないといけないってコトね」
「そうなるね。……やれやれ、まったくとんだ朝の運動だ」

 鬼が出るか蛇が出るか。
 どちらにせよ、尋常な相手でないのは確実だ。
 幸先いいとは言えないが、場合によっては此処で全力を出すことも視野に入れねばなるまい。

 雨竜が考えている間にも、魔力は爆速と呼ぶべき勢いでこの廃屋へ接近してくる。
 弧雀を握り、矢を番える。滅却師の矢は大気中に偏在する霊子を押し固めて形成されるため、物理的な質量と備えを必要としない。
 撤退戦となるか、はたまた久方ぶりに滅却師の本分を果たす羽目になるか。
 クロエを庇うように立ちながら、雨竜は極限の集中を以って未知の敵手が眼前に立つ瞬間を待ち、そして。



 一瞬。
 戦闘機でも飛んできたのかと、そう思った。



「やあ。見たところアーチャーのサーヴァントに見えるけど、合ってるかな?」



 音を遥かに置き去って、それは顕れた。

 着弾、という表現が正しいだろう速度での着地。
 銀髪の少女が、騎士装束に身を包んだ乙女が立っている。
 背丈は小さい。クロエよりはだいぶ上だが、それでも少女と呼んでいい小柄さだ。
 にも関わらず雨竜は、ひと目でこの"騎士"が、自分達が今まで冥界の聖杯戦争で相見えてきたどの敵よりも凶悪な強者であると理解した。

「……そうだが、朝っぱらからずいぶんなご挨拶じゃないか。できればもっと穏便に来訪してほしかったね、近所の目もあるんだから」

 ――強い。一言、その形容で足りる。
 生物としての完成度が頭抜けている。
 雨竜も長く戦ってきたが、それでもこれほどの完成度を目にした経験は限られる。
 そして同時に、悟ることがあった。今の速度、誰に恥じることもなく撒き散らされる流麗な魔力。このサーヴァントは、やはり。

「まして君は今や実質のお尋ね者だろう? できれば派手好きな戦争屋とは関わりたくないんだけどね」
「よく分かったね。どこかで見ていたのかい?」
「見なくても分かるさ。これに懲りたら次からは、もう少し慎ましく振る舞うことだ」
「それはお断りしたいかな。せっかくしがらみも職務も関係なく飛び回れる戦場に巡り会えたってのに、遠慮してたらつまらないから」

 昨日の、"空中戦"。
 戦争が次のステージに入ったことを告げる鐘の音のように響き渡り、東京中を震撼させた怪物決戦。
 その当事者であることを確信し、雨竜はますます嫌な顔をする他なかった。

(アーチャー、こいつ――)
(君は逃げられる準備をしておくんだ。いざとなれば、僕がこれを引き受ける)

 石田雨竜は滅却師の祖が見初めた後継である。
 結果として戴冠式が執り行われることはなかったが、その才と賜った聖文字は今も健在だ。

 聖文字"A"。第一宝具、『反立、現実を此処に(アンチサーシス)』。
 その効果は事象の反転。一を二に、二を一に挿げ替える〈対事象宝具〉。
 種が割れていなければ無敵と言ってもいいそれが、魔境と化した冥界における石田雨竜の奮戦を支えていた。
 だがそれだけの備えを持っていても尚、目の前の戦闘狂(バトルジャンキー)を相手に勝ち切れると断言できない。
 口を開けた未知。竜の顎、奈落の深淵、もしくは、天空の最果て。
 あらゆる予想を文字通り飛び越えてやってきた"最強"と相対し、あらゆる考えを脳裏に巡らせる。
 生か死か。大袈裟でなくそんな言葉がよぎるような状況で、次に口を開いたのは少女の方であった。

「……まあ大変不本意ながら、今日は戦いに来たわけじゃないんだけど」
「……、……なに?」

 予想だにしなかった言葉に思わず眉根が八の字を描く。
 クロエもそれは同じだった。
 こんな剣呑以外の表現のしようもない登場を果たしておいて、一体何を言っているのだと。

「僕もできれば君と踊ってみたかったな。
 正直それほど唆られない相手だと思ってたんだけど、こうして対面してみると良い意味で予想外だ。君、ひ弱に見えるけど相当できるよね?」
「……答えは沈黙とさせて貰うが。それより――さっきの発言の意味を聞かせてほしいね」
「ああ、うん。そうだね。直接聞いてみるといいんじゃないかな」

 やはり見抜かれてるか、と思った矢先に別な音へ意識が集中する。
 かつ、かつ、かつ、かつ。革靴の底がアスファルトを叩く音。
 マスターまでお出ましか。となると、想像できる用件は――。
 弧雀を下ろし、音の方へ視線を向ける雨竜。
 視界の先にいた"その男"は、一見すると聖職者のように見えた。

 清廉と潔白を宣言するような、銀色がかった白髪。
 神父服に身を包むに足る穏やかな顔立ち、優しそうな目元。
 唯一の異常な点は右目を隠す仰々しい眼帯だが、それでもこれだけでは好印象が勝つだろう。
 そう。口さえ開かなければ、この男はごくごく模範的な聖職者。神父、なのである。


「――あなたは神を信じますか?」
「…………時と場合による。勧誘なら間に合ってる。これでいいか?」
「間に合っている? それはおかしな話だな。神は今、お前と初めて会ったというのに」
「帰っていただくことは可能だろうか?」


 滅却師、神に魅入られる。
 敵たる竜さえ己がものとして従えた神が、災害として弓手の主従に接触を果たした瞬間だった。



◇◇



「エッグベネディクトトーストだ。好きに食うといい」

 行きがけに買ってきたらしいそれを、神を名乗る不審者は恩着せがましくテーブルの上に置いた。
 曲がりなりにも敵が差し入れしてきたものなので、口を付けるのは憚られるものがあり――クロエと雨竜は顔を見合わせた。

「心配するな。神は毒など入れん」

 恐らくは四人家族が住んでいたのだろう廃屋の居間には、四人ぶんの座椅子が添えられた長テーブルがある。
 そこに腰を下ろし、我が物顔でやたらと長い足を組んで朝食に舌鼓を打つ神(自称)。
 騎士のサーヴァントは隣にちょこんと座り、ちいさな両手でパンを口元に運びもきゅもきゅ頬張っている。
 なんとも牧歌的な光景だ。片方が神で、片方が超音速の怪物でさえなければ。

 しょうがなく、まずはため息をつきながらクロエが対面の席に座った。
 雨竜もそれに続く形で、同じく席に着く。
 まったく予想だにしない事態だったが、クロエ達ふたりは朝っぱらから見知らぬ主従と会談の席に着く羽目になってしまった。

「……まずは聞きたいんだが」

 聞きたいことは山ほどある。
 まず、この男は狂っているのか。
 それとも超弩級の馬鹿もしくは阿呆であるのか。
 そして用件は何なのか。
 まさか先日の一戦で身の程を分からされたから、同盟相手でも探しているということなのだろうか。
 だがそれらを置いてもまず真っ先に聞かねばならないことがひとつ、あった。

「どうやってこの場所が分かった。僕らも尾行や遠見の類には相応に気を払っていたつもりだ」

 よもや監視でも付けられていたのか。
 正直、そんな起用な真似ができるサーヴァントには見えないが――とにかくそこを明らかにして貰わないことには信用も何もない。
 苦虫を噛み潰したような顔で問いかける雨竜に、しかし神は事もなげに答えた。

「監視カメラというものを知っているか?」
「……あまり舐めないで貰いたいな」
「この日本は実に見事な監視社会だ。今やカメラの目の届かない場所の方が少ない。
 その幾つかを神意として個人的に拝借している。神でも無茶を通すには元手がいるとは、人の世はかくも罪深い」

 開いた口が塞がらない様子の雨竜の隣で、クロエは小さく歯噛みしていた。
 自分達も、此処までの戦いを何もせず過ごしてきたわけではない。
 降った火の粉を払う以外の行動……偵察や哨戒、強大と見える敵戦力の視認と観測。
 仮初の家で故郷を想い、いたずらにセンチメンタルに浸るだけの日々を送ってきたわけでは断じてないのだ。
 だがそれでも、これほどまでに差というものを突き付けられては認める他ない。
 そんな普通に考えて思い浮かぶような"備え"では、この冥奥の聖杯戦争を勝ち抜くには到底不十分だったのだと。

「まだ名乗っていなかったな。私は神だが、人としての名も持つ」

 監視カメラという、都内のどこにでも当然に存在する、普段ならば意識することもない無数の眼。
 疚しい考えでもなければ気に留めもしないそれを掌握するという理外の一手。
 そこまで打ってくる傑物が、いや――怪物が、生命濾過の進んだこの冥界には平然と彷徨いている。
 その事実を、クロエは端的に突き付けられた。

「――天堂弓彦だ。長い付き合いをしよう、お前達が善人である限り」

 男の名は、天堂弓彦
 神にして、ギャンブラー。
 そしてクロエ・フォン・アインツベルンがこの冥界で最初に直面する、怪物であった。



◇◇



 カラス銀行といえば、日本人で聞いたことのない者はまずいない。
 業界最大手でこそないものの、日本でも有数の市中銀行として名を馳せた大金管理のプロフェッショナルである。

 銀行とはその国で最も金にうるさい人間が集まる場所だ。
 彼らは命を削って信用を築く。そんな人間によって徹底的に管理された、圧倒的な大金――この完璧な金を見て、誰かがこう考えた。
 銀行は。最高の賭場になり得る、と。

 だが――



 竜騎士メリュジーヌ、及び冬のルクノカ、冥王プルートゥの三つ巴が繰り広げられる凡そ三日前にまで時を遡る。



 男は、喝采を浴びていた。
 まったくもっていつもの通りだ。
 カラス銀行が開く地下賭場、そこで繰り広げられる富裕層の道楽としてのギャンブル勝負。
 運悪く半死半生(ハーフ)では済まなかった対戦相手の死臭を嗅ぎながら、天堂弓彦は憮然とした面持ちで賭場を後にする。
 結局、一月あまりの時間ではワンヘッドまで駆け上がることはできなかった。
 だがハーフライフの上位まで上がれただけでも上等というものだろう。この速度は、あの真経津晨でさえ実現できないに違いない。
 しかしそれを誇る気にはなれない理由が、天堂にはあった。

「浮かない顔だね。僕には何やってるのかさっぱり分からなかったけど、君が勝ったんじゃないの?」
「当然だ、神はもう二度と誤らない。だが、やはり勝利にも味というものがある。
 さすがは死者の国で開かれた賭場だ。誰も彼もが、どこか生に頓着していない。
 この世界では私を負かすことはおろか、脅かす者さえ出会うのは至難だろう」
「そうなんだ。もうちょっと分かりやすい勝負にすればいいのにね。見てる側は理解できてるのアレ?」

 ワンヘッドに上がっても、それは変わらなかったに違いない――天堂はそう締め括る。
 要するに、この世界の賭場は天堂が知る大元のカラス銀行に比べて露骨にレベルが低かった。
 ハーフライフとなればそれなりの強者が集うはずだが、てんで手応えも冴えもない。
 故に神の裁きは粛々と執行された。これならばあの"王冠持ち"の方が余程見どころがあった、それが神の所感である。

 それはさておき。
 どれほど見る影のないレベルに成り下がっていようとも、勝負に勝って貰える報酬は据え置きだ。
 総資産にして十億円以上。それが、天堂がこのたった一月あまりで稼ぎ上げた金額である。

「そんなに稼いで何を買うんだい。君自身が戦闘機にでも乗り込んでみる? だったら僕もちょっといい顔しないけど」
「ナンセンスな発想だな。神の下僕を名乗るならもっと頭を使わなければ」
「それ、僕が自称したことは一回もないからね」
「些末なことだ。お前も直に気付くだろう、神が神たる所以に。神は竜でも差別しない」

 もっとも。
 この世界のレベルではワンヘッド戦の報酬でも、恐らく噂に聞く"権利"のような次元違いのものは手に入れられなかっただろうと天堂は推察している。
 冥界を司る"偽りの神"――神は、一人でいいからだ――が、戦争の破綻に繋がる無粋はある程度排除する方針なのか。
 まったくもって度し難い傲慢であるが、重要なのは当面の資金を潤沢にできたという点である。
 神は無用な争いを好まない。だが"やる"のならば、容赦なく勝ちに行く。

「これで幾つかの企業、及び行政の関連機関に取り入る。東京中に神の眼を配備するぞ」

 この聖杯戦争で社会戦なるものが意味を成すとは思っていない。
 もしそんな悠長がまかり通るのならば、こんな戦略兵器じみた英霊の招来が許される筈もないのだ。
 一体でもその気になれば都市をひとつ更地にできる戦力が、最低でも二桁ほどひとつの都市に押し込められている。
 この状況で社会戦のボードゲームが続く期間はたかが知れている。だがだからこそ、その時間に何ができるかに価値がある。

「――神は全知全能だ。迷える子羊も咎人も、当然一方的に把握する」

 幸いにして、俎上にあげるべき問題は存在している。
 火急かどうかは判然としない、いつその火が燃え盛るとも知れないからこそ何より恐ろしいひとつの脅威。
 それすらも神は手札の一枚として、不敵に蠢くその指に挟み込んでいた。
 斯くして全能の神は"眼"を手に入れる。数日後に起こる怪物どもの三つ巴を待たずして、天堂弓彦は既にその先の世界を視ていた。



◇◇



 クロエ・フォン・アインツベルン。アーチャー・石田雨竜
 天堂弓彦。ランサー・メリュジーヌ
 会談の席の空気は重い。張り詰めたその中で、次に言葉を発したのはクロエだった。

「……じゃあ質問二つ目。寛大な神様は当然、迷える子羊の質問にはひとつだけと言わず答えてくれるわよね?」
「言うまでもないことだ。存分に問え、幼子よ」
「手段は分かった。じゃあ次は理由よ。なんでアナタ達みたいな見るからにやりたい放題できる主従が、わざわざ正面切って訪ねてきたの?」

 認めるのは癪だが、こうなってはそうせざるを得ない。
 相手は明確に"格上"である。戦闘力ならいざ知らず、この一月に積み上げたもので言えば確実に上を行かれている。
 だからこそクロエは、気圧されないことにすべての力を使うことに決めた。
 理由は単純だ。相手が会談という形を取ってきた以上、此処で体面だけでもイニシアチブを守らなければ搾取の対象に据えられかねない。
 故に、あくまでもおまえたちに遜るつもりはない、席を交わすならば最低でも対等だという態度を見せつける。
 それが、神の眼前でクロエという子羊が取る最大の自衛手段だった。


「実のところを言えば、我々としてはどちらでもよかった」
「……何が?」
「お前達を神罰として誅戮しても、こうして神への謁見の席を作ってやってもだ」

 天堂弓彦は神である。
 故に、彼は咎人を裁く。
 それはこの冥界においても一切不変だ。
 にも関わらず、彼が神罰ではなく謁見を許すことを選んだ理由は。

「お前達は咎人に非ず。であれば未来ならばいざ知らず、今此処で罰を下す理由はない。
 少なくとも今この瞬間、神はお前達を"善き人々"として認めている。感涙に咽ぶがいい」
「……それはお断りだけど。で、聞きたいのはそういうことじゃないのよ」
「急かすな、無論分かっている。多忙なる神が何故お前達に謁見を許してやったか、ということだが……」
「麻痺しそうになるんだが、訪ねてきたのはそっちだからな」

 げんなりした顔でツッコミを挟む雨竜。
 その脳内には、かの護廷十三隊の中でも最も複雑な感情の渦巻く祖父の仇。
 あの奇人だとか変人だとか、そういうあらゆる言葉の代表格を務めるマッドサイエンティストの顔がどうしてもよぎる。
 何故こんなところまで来て、あれを思わすような奇妙奇天烈な相手と関わり合いにならなければならないのだ――雨竜の率直な思いであった。

「明かすならば単純だ。神は、お前達を導くためにやってきた」
「抽象的すぎ。もっと具体的に」
「神の眼はすべてを観測し、神の思慮はすべてを詳らかにする。
 お前達は寵愛に値する善人だ。だが同時にこのみすぼらしい黴臭い、神聖とは無縁の廃屋に居を置く子羊でもある。
 察するにお前達は、共に歩める隣人というものを持っていないのではないか?」

 余計なお世話よ/だ、と主従間の思考が一致する。
 ただ、実際その点はふたりにとっての悩みの種でもあった。
 クロエたちは孤軍で勝ち抜くことにこだわっているわけではない。
 むしろ、そう。まさに眼前の神が連れているメリュジーヌのような頭抜けた強者に連帯する備えを欲している節も少なからずあった。

「なら何よ。アナタが私達に都合のいい同盟相手を斡旋でもしてくれるってわけ?」
「当たらずとも遠からずだな。最終的にどうなるかはお前達次第だ。神はきっかけを施すに過ぎない。天啓をアテにするな」
「……オーケー分かった。アテはあるから、勝手に同盟組んでこいってことね。悪いけどその神語は相手にしないわよ」

 神語(かみご)なんていうこの先およそ使う機会などないだろう言葉に辟易しつつ、クロエは思案する。
 正直に言うと、同盟相手の斡旋という額面だけを見ると純粋にありがたい話なのだ、癪なことに。
 だからこそ裏が怖いが、話だけなら聞く価値はある。
 そう踏んで無言で続きを促す――そんなクロエに、天堂はまさに聖職者然とした、たおやかな微笑みを向けた。

「〈ヒーロー〉というスラングに覚えはあるか?」

 クロエと雨竜が顔を見合わせる。
 そう、まさにその単語には覚えがあった。
 もちろん一般的な英単語としての〈ヒーロー〉ではなく、この冥界東京における〈ヒーロー〉だ。

 重ねて言うが、クロエも雨竜も、この一月の間に何もしてこなかったわけではない。
 情報収集も、主に雨竜が主導して積極的に行っていた。
 テレビ、ラジオ、敵マスターから奪い取ったスマートフォンによるネットサーフィン。
 公共のメディアでもこれだけ駆使すれば、いろいろと見えてくることはある。
 その内のひとつが、件の〈ヒーロー〉……この冷酷無情な冥界の中で、何を思ってか公に人助けを行っている存在の話だ。


「その顔を見るに、知っているようだな。
 であれば話が早い。彼女達は実に素晴らしい善人だ。
 私も実に誇らしく思っている。彼女達が先頭に立ってこの冥界を導くべきであると信じてやまない」
「到底信じられないな。君達が件の〈ヒーロー〉たちに類する存在だと、僕にはどうしても思えない」
「神と人を一緒の尺度で測るな。
 神が大義を遂げることは何においても優先されるが、人が正しく善き振る舞いをすることもまた何においても優先される。
 私は必然として聖杯を獲得するが、だからと言ってお前達人の子が咎を犯していいわけではない。
 神は神として正しく、人は人として正しく生きるべきなのだ」
「……まあ予想できてた答えではあるけどね。じゃあ、ひとつ聞かせて貰おうかしら」

 もはや独裁者にも似た理不尽にいちいち突っ込んでいてはキリがない。
 そのことはクロエも、その隣で眼鏡の奥の目を光らせる雨竜も同意見だった。
 だからこそ今問いかけるべき質問はひとつ。
 それに応じて、このいびつな対話の答えは占われる。

「――アナタ達の願いは何。そのために、アナタ達はどこまでできるの?」

 弓兵の少女の問いに対して、神は即答する。

「聖杯とは神の所有物。よって私の許に還るべきだ。
 その大義の前に生まれる犠牲を私は慈しむが、惜しみはしない。
 神とはそういうもので、人とはそういうものだからな」

 神は偽らない。
 戦術としての嘘を弄することはあっても、己が教義を偽るならばそれはもはや神ではないからだ。
 故にこの瞬間、クロエは鷹のように鋭い眼差しにありったけの警戒を込めて天堂を睥睨した。

(アーチャー。こいつ)
(ああ。論外だな)

 そう、論外だ。
 精神が破綻しているだけならいざ知らず、この男は犠牲というものを出すことに一切の頓着がない。
 おまけにそんな男が恐らく聖杯戦争中の全戦力を数えても上位の一角に食い込むだろう、規格外の怪物を使役しているのだから更に最悪だ。
 クロエは勝利を望んでいる。確かにそうだが、だからといってこの狂った理屈を肯定できるほど冷血ではない。なくなってしまった。
 それに人情を抜きにしても天堂弓彦とは災害のようなもので、敵にも味方にも自在に変化できるのだから余計に手に負えない。
 この男の盤面(フィールド)に取り込まれれば、きっと死ぬまで手のひらで踊らされる――。
 そう思ったからこそ、クロエは躊躇なく続く言葉で三行半を突きつけた。

「……情報の提供には感謝するわ。だけどアナタと組むのは論外」

 彼が言う〈ヒーロー〉は確かに、今後の戦況を見据える上でコンタクトを取りたい相手ではある。
 最終的に反目する可能性はあるものの、損得勘定抜きに善行を働く存在というのは、この無法の冥界の中では本当に貴重な存在だ。
 この竜騎士のような怪物に対抗するためにも、孤軍で踏ん張り続けるのは旨味が薄い。
 だが、そのために邪神の手を取るのは論外だとクロエは告げていた。

「隠すつもりもないんだろうけど、アナタって超弩級のろくでなしでしょ。
 信用できないし、何よりしたくないわ。宗教勧誘はお断り、ってことでお帰り願えるかしら?」


 もちろん、この回答が原因で正面戦闘に発展する可能性はある。
 この場を凌ぎつつ〈ヒーロー〉との接触を斡旋して貰い、後に天堂を裏切るのがベターだったのは間違いない。

 だが――それは不可能だろうと、クロエ・フォン・アインツベルンは認識していた。
 クロエはクラスカードの元となった英霊のスキルである、千里眼を保有している。
 このスキルにより、クロエは優れた遠視能力と動体視力を持つに至っている。
 そのクロエが、対面で話してみて分かったことだ。

(……こいつの眼、死ぬほど気持ち悪いのよね。どこを見ても視線が付いてくる。
 多分こいつ、私達の全部の動きを眼で追ってる。"追えてる")

 それがどれほど異常なことかは、クロエ達の身の上を語れば分かることだ。
 片や英霊の写し身。片や、正真の英霊。
 その一挙手一投足を、この自称神は文字通り刹那たりとも見逃していない。

 以上をもって結論づける。
 天堂弓彦の動体視力は、人間のそれではない。
 間違いなく、サーヴァントの領域に片足を踏み込んでいる。
 この男はすべてを視ている。文字通り、目の前のすべての情報を常に視認し追尾しているのだ。

 そんな眼を持つ"神"に、嘘を吐いたところで通じるとは思えない。
 藪をつついて蛇を出す結果になりかねない、とクロエはそう判断した。
 だからあえて正々堂々、正面切って思いの丈をぶつけたのである。
 それに対し天堂は、食べかけのエッグベネディクトを静かに机に置いて言った。

「不遜だが悪くない。素晴らしい判断能力だ」
「どうも。分かったんだったらさっさと――」
「しかし神を侮るな。神は咎人には厳格だが、善人には常に寛容なれば。
 それに我々は同盟をしたいなどとは一度も言っていない。神は群れを必要としない」

 クロエが、天堂をただならぬ者と見抜いたように。
 天堂もまた、クロエの眼を見抜いていた。
 だからこそ此処で、神は伏せられた手札の一枚を明かす。
 彼は運でなく脳で必勝をひた走るギャンブラー。
 よって、クロエ組という善人が犠牲を許容する自分達にどのような眼を向けるかは蓋を開ける前から分かっていた。

「私は情報を与えに来ただけだ。迷える者に施せば、その善行は回り回って神の益にもなるからな」
「……どういうこと? 慈善事業という割にはやり口が物騒だけど」
「主従揃って良い眼を持っている。悪くない。そんなお前達であれば当然、認識しているのではないか?」

 神が笑みを深める。
 そうして、神はカードを共有した。


「羽村市。そして福生市」
「……ッ」
「その他数都市、明らかに冥界化の進行に先んじて消滅した都市が存在している。
 我々は跡地にも赴いたが、極めて強大な魔力の残滓をこのランサーが確認した。
 これは間違いなく、人為的……いや。霊為的に引き起こされた消滅現象だ」


 ――その事案については、クロエ達も把握していた。
 いや、把握などという生易しいものではない。
 こちらの主従も、何を隠そう最大限にその"消滅"に警戒を払い行動していたのだ。
 神は微笑み。弓の少女は眉根を寄せる。神と人の会談は、次なる段階へと進み始めた。



◇◇




 奇しくもそれは、天堂弓彦が幾度目かのハーフライフ戦に勝利したのと同日。
 すなわち、怪物三体の三つ巴が繰り広げられる三日前のことだ。

「……此処も同じだ。予想通り、何も残っていないね」
「やっぱり?」
「ああ。明らかに"異常"だ。冥界化した他の土地と比べても」

 クロエと雨竜は、何度目かの冥界偵察に出向いていた。
 それ自体は珍しい行動ではない。だが、彼女達には明確な目的があった。
 以前から認識していた都市区画の不自然な消失。
 その最新事案を追うための冥界入り、である。

「霊子の一片も残っていない。虚……死霊の一匹も見当たらない。
 この土地に居合わせたすべての生命体が突然"消滅"したとしか考えられないな」

 滅却師は霊子に精通する。
 霊脈、地脈、そして魔力(マナ)に至るまで、土地に存在するすべてを扱って戦うのが彼らだ。
 その雨竜だから分かること。霊子の一片も残らず、ひとつの都市が消え失せるなど通常ならばありえない。
 冥界の法則にすら反している。これは"死んだ"のではなく、"消えた"のだと判断するしかない状態だった。

「参ったわね。こんなことをやれる奴がどこかに潜んでるって、それはもう儀式(ゲーム)にならないんじゃないの?」

 クロエが辟易して言うのはもっともだ。
 自分達が剣や弓で戦っている最中、適当に力を振るうだけで街を完膚なきまでに消せる手合いなど放り込んでは、そもそも勝負にならない。
 仕組んだ側が出来レースのつもりでそういう"装置"を配備した、と言われた方がまだ説得力を感じる。
 自分の持つ『熾天覆う七つの円環』を使ったとしても、恐らくまともに防ぐことは不可能だろう。
 そんな相手にどうやって勝てというのか。呆れ返るが、しかし光明もあった。

「まあでも、幸いにして消滅にはインターバルがあるみたいね。つまり連発はできないんでしょ、それだけは救いだわ」
「……、……」
「アーチャー?」

 肩を竦めて言った雨竜に、クロエが問いかける。
 そこで雨竜は、重い口をゆっくりと開いた。

「そうであれば嬉しいが、そうじゃない可能性もあるな」
「は? ……いやいやいや。もしこんなのを後先考えず撃ちまくれるなら、初日から東京全域にまき散らして終わりじゃない。
 それをしないってことは"できない"ってことでしょ。わざわざ出し惜しみする理由がわからないわよ」
「そうかな。"できない"んじゃなくて"やらない"んだとしたら、そうする理由はひとつ思いつくが」
「……、……」

 雨竜はただ静かに、口を開けた奈落を見つめていた。
 その視線に宿る感情は畏怖と、およそ考えられる最大限の嫌悪。

「愉しんでいるのかもしれない。いつ訪れるとも知れない"終わり"に惑い、手のひらで踊るしかない僕らのことを」

 いつかの死神、祖父の仇の顔が浮かぶ。
 だがあれはまだ穏当だろう。
 未だに複雑な思いのある相手ではあるが、あちらの事情も知った今では首を取らねばならないとまでは思えない。
 けれどこれは、あの狂気のごとき死神の所業とも明確に異なる。
 もしもこの推測が当たっているのならば、そこにあるのは戦略でも、大義でもない。

 だとすれば、そこにあるのは――

「――途方もない、悪意だよ」

 冥界に呑まれた都市をいちいち調査する酔狂者などそうはいない。
 常日頃から都市を歩き、役目を果たさんとしてきた滅却師を除いては。
 だからこそ石田雨竜は一足先に、空から覗く悪意の者共の存在に気付き始めていた。

 虫の足を一本ずつちぎって反応を楽しむように。
 手負いの獣をわざとゆっくり追い詰めて、絶望を観測するように。
 この聖杯戦争を通じて、自分の欲を満たそうとしている救いがたい"誰か"の影を。
 この日、滅却師の青年は嫌悪と共にその視界へ収めていた。



◇◇




「素晴らしい力だ。指先で滅びを振り撒き、何の抵抗も許さない。
 まさに神の如き力。これに並び得る者など、そうはいないだろう。
 私のランサーでさえ正面切っての突破は難しいに違いない」
「いややってみなきゃわからないでしょ。僕を侮るのはやめてほしいんだけど」

 口を挟むメリュジーヌの姿は可愛げがあったが、対面のふたりはそれに癒やされる気分にはとてもなれなかった。

「確かに、僕らもあの"消滅"については考えてきた。想定されるひとつの可能性についても」
「大方考えていることは同じだろう。消滅の主は、この所業を心から愉しんでいる」

 くつくつと神は笑う。
 だがやはり、雨竜は笑う気にはなれない。
 提示された可能性。消滅の主の、その人格。
 それがあまりにも悍ましすぎて――笑顔など、到底出て来ないのだ。

「アーチャー。私とお前はまるで似つかない存在、まさに天と地、月とスッポン、神と悪霊のごとき存在だが、どうやら一点だけ共通している」

 神の右手に握られた、食べかけのエッグベネディクトトースト。
 半ばほどまで量を減らした朝食が、ぐしゃりと握り潰される。
 哀れなパンの残骸がテーブルの上に飛沫するが、文句を言う者は誰ひとりいなかった。

「実に度し難い」

 天堂は微笑んでいる。
 だがその顔に浮かぶ青筋は、彼の憤怒を物語っていた。

「それは神にのみ許される所業だ。隠れ潜んで地図を睨むばかりの卑賤なブタに許される行いではない」

 彼の語る神とは、すべてが一人称。
 彼は神父のようななりをしているが、断じて広義の聖職者などではない。
 天堂弓彦は己という神を信奉する狂人である。
 思春期の妄想めいた全能感を、本当に突き詰めてしまった結果の怪物。
 彼にとって神とは己自身であり、その絶対性は決して脅かされない。
 そして神は、自らの神話を騙るものを許さない。

 空から見下ろし、裁きを下す。
 指先ひとつで、地上を弄び。
 きらびやかなソドムと化した都市へ、神罰を降り注がせ。
 逃げ惑う民を、叫喚する様を楽しむ。
 その傲慢は彼の中で、自分にのみ許された権利だ。
 神罰とは天堂弓彦の指先によってのみ振るわれるべきモノであって、断じて他人に譲り渡していい権限ではない。
 故に天堂は激怒していた。偽りの神という、最大の冒涜に対して本気で殺意の炎を燃やしているのだ。

「……理由は違うが、確かに同意見だ」

 それに対し、石田雨竜はそう答えた。
 ああ、そうだ。本当に、怒り狂いたくなるほど度し難い。

 血で血を洗い、命で命を濯ぐ冥界の中であるとしても。
 それでも、守らなければならない一線というものはあると雨竜は考える。
 願いを抱いて殺し合うならばこそ、そこには誇りと尊厳があって然るべきだ。
 誰も彼もが本気で、明日を取り戻すために殺し合っている。
 そんな世界の中で、誰かひとりだけがそうじゃない。
 あまねく命と尊厳と、そして願いを弄んでほくそ笑んでいる"誰か"がどこかにいる。

 ――度し難い。許してはおけない、この悪意を。


「聖杯を手中に収めるのはこの私だ。それ以外の誰でもない。
 だが同時に、神は務めとして咎人を裁く。この眼が黒い内は、咎人が賢しらに笑う混沌など認めはしない」

 雨竜の怒りと、天堂の怒りはまったく別種のものだ。
 片や義憤。片や涜神への憤怒。
 されど、"怒り"という感情の種類だけは共通している。
 彼らはこの瞬間、確かに同じ方向を向いていた。

「私はこの〈消滅(クリア)〉を討つ。神の名にかけて」
「だからその存在と罪を知らしめ、偽神の君臨に否を唱えたいのか」
「当然だ。神は全能だが、故に使える手札はすべて使う。
 ましてや善き人々に、来たる厄災を伝えて回らぬ道理はない。
 神は邪神に非ず。いつだとて天から人を見守り、導く聖なる福音なのだ」

 消滅の主を放置しておけば、いずれ冥界は悪意の偽神に喰われるだろう。
 その未来を、彼らはふたりとも良しとしていない。
 理由は違えど、信条は違えど、信仰は違えども。
 偽神滅ぶべし、その一点において彼らの感情は重なっていた。

「……善き人々、ね。買いかぶりすぎじゃないの?
 私達だってこの椅子取りゲームで最後の一席、勝ちを狙って戦ってるのよ。
 もう何体も消してきたし、殺してきてる。見た目で判断すると後悔するんじゃない?」
「ならば何故、お前は神の決定に嫌悪を示した?」
「いきなり人んちにあがり込んで勝利宣言してくるヤツにいい顔しないのなんて当然でしょ」
「それはお前が俗にまみれているからだ」
「ぶっ飛ばすわよ……」
「勘違いをするな。人を殺めるのは悪徳だが、救いを求めてあがくことは罪ではない。
 それが罪ならば、この冥界へ放り込まれた者は誰もが口を開けて死を享受すればいいという話になるだろう?
 人の見せる輝きを、神は必ずしも否定しない。大切なのはその上で正しくあること。
 それさえ貫くならば、たとえ屍の上に座っていようと神は言祝ぐ。惜しみのない祝福をくれてやろう」

 その言葉に、クロエは複雑なものを抱かずにはいられない。
 善い、というのか。この自分を。
 ともすれば件の偽神とすら、同じ穴のムジナでしかないこのわたしを。

 忸怩たる思いに駆られ始めたところで、雨竜の咳払いが聞こえてはっとする。
 いけない。これではまるで、本当に告解する子羊のようではないか。
 神に祈るのを惰弱と言うつもりはないけれど、少なくともこんなのには祈りたくない。
 クロエは吐き捨てるようにため息をついて、もう一度目の前の神へ向き直った。


「話は分かった。肯定するのは癪だが、僕らとしても〈消滅〉は目障りに思っている。
 神を気取る何者かを引きずり下ろす、という一点においてなら、確かに君達の方針へ乗るのもやぶさかではないが」
「が?」
「信じていいんだな?」

 雨竜の眼差しと、天堂の眼差しが交差する。
 あまたの修羅場をくぐり抜け、命さえチップにしてきた滅却師の眦は欺瞞を許さない。
 苛烈でありながら、それでいて彼の姿勢は誠実だった。
 まさに、善人。正しく生きようとあがく人間の模範のようなあり方を、石田雨竜はこの状況で体現していた。
 故に天堂は答える。敬虔な信徒に微笑みかける、神のごとくに。

「神は常に正しいが、同時に理不尽だ。時と場合によってはすべてを駒にする。
 だがお前達は神を信じ続けろ。さすればいずれ、必ず福音は舞い降りるだろう」
「……そうか。ならいい」
「ちょ、アーチャー!」

 私はお前達を時に裏切るが、お前達は私を信じていろ。
 要約すれば天堂の答えはそんなものだ。
 傲慢の極み、理不尽の権化。
 故に大人しく引き下がった雨竜に、クロエは抗議の声をあげる。
 しかしそんな彼女に構わず、雨竜は言った。

「〈ヒーロー〉について教えてくれ。話に聞く通りの人間なら、彼らもきっと〈消滅〉を捨て置かない。きっと手を取り合える」

 第一の標的は〈消滅(クリア)〉。
 地上へ偽りの裁きを下す傲慢なる咎人ども。
 滅却師は神託を受け、銀の鏃を何処(いずこ)とも知れない玉座に向ける。
 動き始めた聖杯戦争。移り変わる戦局の中で、厄災許すまじの旗が静かに掲げられた瞬間だった。



◇◇




「どのくらい予想通りに進んだの?」
「九割だ。あわよくば神の信徒に変えてやりたかったが、そう甘くはなかったな」

 帰途。天空。
 天堂は先ほど自分で握り潰したエッグベネディクトの残りを頬張りながら、メリュジーヌに背負われていた。
 口元にべっとり付いた卵を親指で拭いながら、神は不敵に微笑みを浮かべる。

「だが神の見立てに狂いはなかった。彼らは実に善人だ」
「それはどうでもいいんだけど――あのアーチャーはなかなかやるね。
 僕を前にして、"戦う"選択肢を大真面目に想定してた。霊基自体は脆弱の部類だったけど、多分なにか奥の手を隠してる」
「そうだな……そういう意味でも善い出会いだった。神の近衛に対抗し得る戦力、実に好ましい。最高の一枚を引き当てたようだ」

 あの時口にした言葉に偽りはない。
 神は傲慢。そして天堂弓彦は、ギャンブラー。
 時が来れば手札を切るし、場合によっては捨札も出す。
 あらゆる手管に訴えて裁きを下す、それが地下賭場の神なのだ。
 彼は善人を愛するが、しかしあくまで優先度の一番上に来るのは神意である。
 時に理不尽。時に冷酷。そして時に寛容。
 いずれも、天堂の揺るぎなき真実。いくつもの顔を持つからこそ、神は神として君臨する。

「ところでさ、あの言葉ってどこまで本気?」
「あの言葉、とは?」
「例の〈消滅〉。僕でさえ正面突破は厳しいかも、ってやつ」
「は。なんだ、気にしていたのか? 愛い奴だ」

 〈消滅〉は、明らかに頭抜けた力を持っている。
 出力もさることながら、何より恐ろしいのはその射程範囲だ。
 推測が正しければ、最低でも東京……すなわち冥界の全域。
 仮に二十三区の外に広がる死の大地に逃れたとしても、かの砲撃から逃れることは困難であろう。
 それだけの力を持っている輩にできることが、よもや神罰を騙る卑賤な遠距離砲撃だけだと天堂は思わない。
 不遜にも神を騙るからには、それに見合うだけの力があって然るべきだ。
 自分を全能と錯覚させてしまうほどの力が、かの陣営にはある。天堂はそう踏んだ上で、超音速の竜に言った。

「神は世辞を言わない。お前はまさしく神の近衛、美しきアルビオンだ。
 しかし時に、この世には神をも驚かせるモノが潜んでいる」
「経験ありそうな言い方だね」
「そうだな。私はあの時、確かに私ではない神を幻視した」

 忘れもしない、ただ一度の敗北。
 神殺しを成し遂げた、人とも悪魔ともつかない男。
 しかし神は反省もできる。
 あの敗北が、天堂という神(ギャンブラー)をより完璧へ近付けたのは言うまでもないことだ。

 その経験を踏まえて、天堂は近衛たるアルビオンへ説く。


「無策に比べ合うだけが戦いではない。見て、暴いて、その上で勝利する。それもまた美しい。
 案ずるなランサー。偽神殺しの主命、時が来れば必ずお前に委ねよう。
 その時は暗い沼の湖光、存分に示すがいい。涜神の咎人に神意を知らしめ、真に最強を証明するのだ」
「……やるじゃないか。僕を焚きつけるの、相変わらず上手いね?」
「当然だ。神に不可能はない」

 神の視界には無数の手札がある。
 今、此処は窮屈な賭場ではない。
 この東京のすべてが神の手札であり、神の賽子なのだ。
 ギャンブルは始まっている。彼らは運でなく、技で必勝する人の姿をした怪物。


 アルビオンの竜を従えし、聖なる怪物(モンストル・サクレ)。
 暗い沼を聖歌で彩る隻眼の神が、この東京には実在する。
 神は不可能を可能にする。
 神は、諦めを識らない。


【北区・上空(移動中)/一日目・朝】

天堂弓彦@ジャンケットバンク】
[運命力]通常
[状態]満腹、飛行中
[令呪]残り三画
[装備]なし
[道具]不明
[所持金]手持ち数十万円。総資産十億円以上。
[思考・状況]
基本行動方針:神。
1.〈消滅(クリア)〉の主を討つ。神罰を騙るな、ブチ殺すぞ。
2.クロエ・フォン・アインツベルンとそのアーチャーは善人。神も笑顔だ。
3.一旦教会へ戻る。その後は……
[備考]
メリュジーヌの背に乗って高速飛行中です。
※数日前までカラス銀行の地下賭場で資金を増やしていました。
 その獲得金を用い、東京各所の監視カメラを掌握しています。
 カラス銀行については、原作のように社会的特権を与えられるほどの権力は所有していないようです。

【ランサー(メリュジーヌ)@Fate/Grand Order】
[状態]飛行中
[装備]『今は知らず、無垢なる湖光(イノセンス・アロンダイト)』
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:神の近衛。
1.冥界のパンもおいしいね。
2.アーチャー(石田雨竜)はなかなか面白そうだったんだけど、ぜんぜん乗ってきてくれなかったや。残念。
3.〈消滅〉を討ちたい。マスターの言葉を結構根に持っているよ。
[備考]
※天堂を背に乗せて高速飛行中です。



◇◇




「信用してよかったの、あいつら」

 クロエがジト目で雨竜に問いかける。
 それに対し雨竜は、ばつが悪そうに顎を掻いた。

「信用したわけじゃないさ。ていうか誰が信用できるんだ、あれを」
「わたしは今でも反対よ。体よく利用されて切り捨てられるのが見えてるもの」

 まさに、嵐のような訪問者だったとクロエはそう振り返る。
 神を名乗る傲慢な不審者と、その隣に控えていた近衛騎士。
 結局実際に事を構えることにならなかったのだけは幸いだったが、英霊の力を宿すクロエには分かった。
 あの騎士は、とんでもない化け物だ。自分もマスターとしては"それなり"だと自負しているが、あれが相手では数秒と耐えられないだろう。
 矛を交えずに済んだのは確かに幸い。だがあくまでも、不幸中の、だ。
 "神"という厄ネタと縁を持ってしまったことは、なんとも気が重い事実なのだから。

「だが、実際に〈消滅〉は僕達にとっても火急の問題だ。
 こうしている間だって、僕達の頭上から神罰まがいの砲火が降ってきてもおかしくないんだから」
「……それは、そうだけどさ」
「それに〈ヒーロー〉のこともある。神経のすり減る出会いだったのは同意見だが、得たものは多い」
「はぁあぁあぁあぁ……。アーチャーって、見かけによらず結構キモ据わってるわよね……」
「一応英霊だからね、これでも。まあ、正直自分でも未だにしっくり来てないんだけども」

 〈消滅〉の恐ろしいところは、いつやってくるか分からないところだ。
 そして恐らく、降ってきた時にはもう遅い。
 あの規模の遠隔砲撃に対処するのは当然に至難で、だからこそ呆れたくなるくらいに悪辣だ。
 手を拱いていれば、足踏みしていた分だけ被害が大きくなる。
 そう考えると、これ以上〈消滅〉を放たれる前に標的に定める段階まで進めたのは僥倖だったと言う他ないだろう。雨竜は、そう考える。

「後はそうだな、慣れてるんだ。気に入らない奴らと手を組んで戦うってのは」
「気苦労の多い生前だったのね」
「本当にね。師を惨たらしく殺した仇と肩を並べて戦ったことだってあるんだぞこっちは」
「……ノーコメント。なんか本当、同情するわ」
「だからまあ、今更信用ならないイカれた奴のひとりふたりと手を組むのもそれほど躊躇いはないよ。
 もちろん良いように使い捨てられてやるつもりはないし、そうなったら抵抗はする。神様の下す運命に無抵抗で従う義理もない」

 クロエに言われて改めて思ったが、本当に波瀾万丈の日々だった。
 あれほど嫌っていた死神と共闘し、気づけば彼らの事情に理解を示せる程度には丸くなるのを余儀なくされていたのだ。
 死ぬ覚悟を決めたことなど、何度もある。命がけなど、雨竜にとっては常だった。
 だからこそ呉越同舟など今更の話。油断はせずとも、躊躇はしない。型に嵌まらず戦うことを覚えたのも、もしかするとあの親友の影響なのかもしれない。

「……で。どうする? 会いに行くの、〈ヒーロー〉に」
「戦況は明らかに動き出してる。他に用向きがないのなら、出向くべきだろうね」
「家もバレちゃったしね……。あーもう、なんだったのよあの神父モドキ! 傍迷惑にも程があるんですけど!?」

 うがー! と声をあげるクロエに、雨竜も肩を竦める。
 だがある意味ではよかったのかもしれない、という言葉は心の中に秘めた。


 聖杯戦争は明らかに新たなステージに入っている。
 そこで取り残されることなく、戦局に乗ることができた――この事実は、実のところ額面以上に大きいのではないか。そう考えたのだ。
 恐らくこれからの戦いは、これまでとはまったく趣を異にしたものになっていく。
 一月の混戦を勝ち抜いた強者と怪物が織りなす大乱。
 誰もが無関係など決め込めない、空前絶後の大海嘯。
 矢を番え、身を投じ、そして守ろう、この少女を。
 英霊として。そして、彼女と一月を共にした友として。

 超然とは無縁の、"人"らしい心を持った滅却師のアーチャーは、遥かの運命を見据えた。


【北区・空き家/一日目・朝】

クロエ・フォン・アインツベルン@Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ 3rei!!】
[運命力]通常
[状態]健康
[令呪]残り三画
[装備]なし
[道具]不明
[所持金]雨竜に預けているので、あんまり持ってない
[思考・状況]
基本行動方針:生きたい、もう一度。
1.なんだったのよあのクソ神父!!
2.〈消滅〉のことは頭が痛い。まあ、放ってはおけないわよね……。
3.〈ヒーロー〉に会う?
[備考]
※天堂が持つ〈ヒーロー〉の情報を聞きました。詳細は後の話に準拠します。

【アーチャー(石田雨竜)@BLEACH】
[状態]健康
[装備]弧雀
[道具]なし
[所持金]数万円程度
[思考・状況]
基本行動方針:クロエを現世に送り届ける。
1.〈消滅〉を討つという点で天堂と合意。ただし、完全に信用はしていない。
2.〈ヒーロー〉ともコンタクトを取りたい。
[備考]
※天堂が持つ〈ヒーロー〉の情報を聞きました。詳細は後の話に準拠します。

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最終更新:2024年07月09日 06:00