◆
東京の夜。冥界の夜。
正子を過ぎても影は来ず。塔は昇らず。
地獄を統括するべき主のいない土地に、真なる神が現れる。
夜と風。双方の敵。我らは彼の奴隷。意味する名前は数あれど指す対象はただひとつ。
テスカトリポカ。戦争の荒神。魂を死に捧げ世界を繋げた葬者、
結城理を導くサーヴァント。
現界する制限に人の身を借りようとも、神の在り方は一片も損なわれていない。
陽気な人柄に騙されてはいけない。彼は人を愛するが、大事にはしない。
死と再生のサイクルを回す、地球側の機構(システム)。
この男ある所に煙は巻かれる。それは銃火器が撃たれた硝煙であり、戦争を告げる狼煙となる。
今すぐにでも死の世界に相応しい嵐を引き起こせる、運命のサイコロを握った神は。
「あいよ、柴関ラーメンお待ち!」
かぐわしき油の臭いを飛ばす屋台の湯気に包まれていた……!
「───ふむ」
ごく一般的な醤油ラーメンである。
メンマと海苔、ネギ、チャーシュー、玉子にネギ……奇をてらった風のない、王道を邁進するトッピング。
激しくうねる龍めいた麺が身を浸すのは、底まで透き通って見える黄金のスープ。
やはりどこからどう見ても大陸から渡って日本独自に発展した伝統食、ラーメンであった。
「んじゃまあ、いただくとするかね」
割り箸を口で割って水面を揺らす。
「───いただきます」
隣の客も丁寧に手を合わせてからレンゲを手に取る。
闘争の神テスカトリポカに見込まれてしまった葬者、結城理は、サーヴァント共々、屋台で夜食を堪能するのであった。
暫くの間。
食器が当たる音と、麺を啜る音だけが響いてる。
ラーメン柴関。主に学生の間で人気を博す屋台だ。
なんといっても1杯580円という、万年金欠に喘ぐ少年達にはありがたすぎる低価格である。
ほぼワンコインで食べられるリーズナブルさでありながら、味にもボリュームにも妥協はない。時には「手元が狂っちまった」とのたまい注文にないトッピングをサービスしてくれる。
愛嬌のある、まるっとした柴犬を思わせる店長は、器の広い気前の良さで客に慕われていた。
理もその例に漏れず、この街で過ごすうちにすっかりリピーターの一員だ。
ラーメン激戦区とも謳われる東京で、屋台で勝負する気骨に惹かれるものがあったのかもしれない。
無論はまっているのは、物珍しさだけでない基礎の地力の高さがあってこそのものだ。
あっさりを志向した醤油ベースの中に潜む確かなコクと旨み。それが見事に絡みつく麺との調和は、食べるほどに癖になる。
「やはりはがくれが最強か」と、初実食の感想を抱いていたのが馬鹿らしい。勝るとも劣らぬ味だとグルメ遍歴に太鼓判を押せる名店であった。
「ようやく揃って冥界に出向いて、始めにどうするかと思えばメシを食おうで、しかも屋台とはね」
顔を向けずに食事に集中しながらテスカトリポカは言う。
湯気で曇るサングラスを外し、長髪を耳にかき上げる仕草はいやに色気がある。
「嫌いだった? ラーメン」
「いや。悪くはねえな。七面倒で雑なようで、作りに手抜きがない。一度突き詰めればこのスープのように奥が深い。異文化を食すってのはこういうことね。
礼に今度はオレの行きつけを紹介しよう。密かにオレが出資してる焼鳥屋でね。
肉を解体して臓物や心臓を串刺しにして食う文化が海を超えて継承されてるとなりゃ、贔屓にもなるさ」
「しっかり満喫してんじゃん、この世界」
「作業ばっかじゃ気が滅入るだろ? 少ない余暇をやりくりして検分に回してんだよ。大将、味玉追加だ。隣にも入れてやってくれ」
程なくして小皿に乗せて出される味玉を丼に落とす。
切られた中身から溢れだす半熟の黄身がスープに溶けていくのを、満足げに眺めている。
「玉子好き?」
「心臓の次には、そうだな。孵る前の卵を命丸ごといただくって思想がイカしてる。
人間の美食の探究心ってのに限りはないな。そりゃ種のひとつやふたつは絶滅させるさ」
「食欲なくすようなことを言わないでよ……」
ちなみにスーパーで売られて食卓に出される卵のほとんどは無精卵である。取っておいても雛が孵ったりはしないので幾分配慮はされていた。
「それで作業って、結局何してたの?」
具の大半を食べ終え、替え玉でも頼もうかと考えつつ理は本題を切り出した。
「───何だよ、ちゃんと考えてるじゃねえの。食事時ほど口は軽くなるってやつか?」
「別に。こうやってラーメン食べながら友達に相談受けてたのを思い出しただけ」
聖杯戦争の定石を外したマスターの単独行動を強いられて、英霊の戦闘を切り抜ける日々。
以前なら間違いなく死んでいただろう。ワイルドだ死を封印したと持て囃されても、戦闘に特化したサーヴァントとの壁は依然高い。
仲間のいないペルソナ使いの戦いは、それほど過酷だ。
テスカトリポカの加護によりおおいに下駄を履かされた格好ではあるが、こんな目に遭っているのがその当人の仕業なので感謝するにも出来ない。
マスターに苛烈な試練を課し、生き残れば加護を、死に至れば生贄の栄誉を与える。
神の在り方とだけ言って強調されるそれを、理も素直に聞き入れていたわけではない。
戦いを奨励する行動の原理ではあっても、理1人に背負わせていた理由は別のものだと推察していた。
「1ヶ月も引きこもって店番してたってわけじゃなさそうだし、リソースがどうとか言ってたのが気になったから。
冥界の
ルールとか言ってたのと、それが関係してる?」
「よく聞いてるな。考えなしに戦いを受容してたばかりじゃなさそうだ。
いい機会だ。少し報酬を先払いしておこうか」
味玉を一口で呑み込んで、テスカトリポカは応じた。
「お前さんが指摘した通り、商店を始めた理由の1つはリソース収集だ。武器の巡りを良くするのも本当だがね。
金銭であれ魔力であれ、神の名の下交わされた契約は、直ちに力に変換される。
……というより、そうしなきゃ首が回らない状況だったんでね。先払いのし過ぎで借金し過ぎちまったからな」
「借金?」
「最初に伝えたルール説明だよ。オレが名付けたって言ったろ?
どうして管理者も支配者もいない冥界で、参加者全員の魂にルールが刻まれる行程があると思う?
オレも驚いたぜ。いざ足を踏み入れてみれば見渡す限り不毛の大地。ポンと置かれた都市があるだけで何の形式か提示もされちゃいない。
雲みたいに薄ぼんやりと聖杯戦争の概要は広まってたが、誰にもそれが周知されてない。やっつけ仕事にもほどがある。
オレが来るまでは何組も自滅してたんじゃねえか? 死霊に戦争の舵取りなんざ土台無理な話って事なのかもな」
聞いた憶えのある話だ。
契約して最初の頃。まだ生き返って魂が不安定な時にアサシンが話してくれていた。
冥奥領域。運命力。冥界化。
聖杯戦争の舞台を彩るこれらの法則は最初から装填されていたわけではない。
それを整備し、明文化して共有させたのがこのテスカトリポカだと、そう説明を受けていた。
「じゃあリソースって、それの?」
「そういう事。散らばったままの法則とオレ達の方で刻まれていた指令……聖杯戦争に関する知識を、招かれた葬者にも直で繋げるよう改竄した。
問題は、これが思ったよりも重労働でね。冠位でも生身でもない通常の霊基でやったら───肝心要のオレの魔力が先に尽きちまった」
「……は?」
ラーメンを食べて温まった体が急速に冷える。春の夜気のせいだと思いたいところだった。
1ヶ月のうちに暗記したルールを思い返す。確か魔力が尽きたサーヴァントというのは、遠からず消滅してしまうという。
「じゃあ今まで出てこなかったのって……」
「おう。そもそも肉身を出すだけの元手もからっけつだったのよ。
実のところ、お前が喚ばれたところで現界ギリだったんだぜ、オレ」
「うわ……」
まったく笑い話にならない衝撃の事実を暴露された。
なんと理は目醒めた先で、二度寝する間隔で再び死ぬところだったのだ。
そして男は「すまんかった」で許される気で満々なのが嫌でも分かった。というより、許される必要を感じてさえいない。
色々と酷すぎる。思想とは別の面で、実はとんでもない大外れサーヴァントなのではないかと理は思い始めていた。
「なんでそんな事してんのさ……」
「しょうがねえだろ。あんまりに舗装が雑すぎて、権能使うまでもなく戦争がグダるのが目に見えてたんだ。
ルーラーで召喚されてもないのに仕事しすぎたもんだから調整ミスっちまった。そこは反省してる。
……まあ流石にこのまま消えるっていうのは体面がつかないし、後味が悪いんでね。名誉挽回に、ひとつ商売を始める事にしたのさ。
方法を色々考えた末に、お前の縁を辿ってあの部屋を借り入れるのを考えついた」
「……ベルベットルームを?」
「実際、悪くない取引だったと思うぜ? あちらさんもお前の魂を取り戻す旅であちこち飛び回ってたそうだからな。
星の死を遠ざけたまま蘇生が可能なイベントがあるんなら、向こうも願ったり叶ったりだ。
借金の代わりに鼻息荒く「わたくしも参加させなさい」と詰め寄られたのには参ったがね。締め出すまで随分と絞られちまった。どんだけあのお嬢にコナかけてたんだ?」
「そっか……エリザベスが……」
思いがけない隣人の近況を聞く。
表側にはあまり干渉してこないあの部屋の住人も、自分を気にしてくれているらしい。
それが分かっただけで不満が薄れてしまう自分も、大分駄目な部類かもしれない。
あれから、どれだけ時間が経ったのだろう。冥界だから時間の流れは地上と違うのか。
進級したクラスメイトと後輩、卒業した先輩達、今もその中で生き続けている機械の少女。
彼らともエリザベスは会う事もあるのかもしれない。いつか仲間達と一緒に、連れ戻す作戦を立てたりなんてしていたのだろうか。
「連れ戻す、か……」
戻ってきて欲しい。
生き返って欲しい。
そう思ってくれているのはとても嬉しいし、幸せな事なのだと思う。
理だって、そうなったらどんなに優しい夢だろうと考えた。
嫌なわけがない。生きたくないわけがない。
デスの脅威も遠く、理も生きられる、最高に都合の良い未来。
あの日常を、素晴らしい仲間と過ごす日々を、青春を越えて時折くたびれたりしながらも続く未来を、同じように過ごしたい。
そういうものに憧れなかった事なんて、なかったのだ。
「けれどやっぱり、それは叶えちゃ駄目な夢だよね」
残念ながら、奇跡は有限で交換を求めている。
それも数十人と引き換えでようやく1人なんていう暴利だ。
何をしたって生き返りたい人がいるのを、理は知っている。この冥界にはそんな魂で満たされている。
まだ命を使い果たしてないのに連れてこられた葬者もいる。
人を殺して願いを叶えるのが良くないなんて当たり前を言って、間違いだなんて言うつもりもない。
ただ過去の自分を裏切りたくないという、個人の我儘なだけだ。
手を尽くしてくれる人には悪いと思う。自分がそうして帰ってきても、皆は受け入れてくれると思ってる。
けれどそうしない事を分かってくれるとも、思っているのだ。
愛しい仲間に思いを馳せる理の懐で、軽快な電子音が鳴り出した。
ごく一般の学生である理にとって携帯電話が鳴るのは当然だが、現在は深夜0時。それも学生の夜更かしには珍しくもないが、そこまで親しい友人関係を理はここでは作っていない。
「……」
取り出した携帯の液晶を見る。
登録している番号ではない。それ以前の問題だ。
表示される番号は画面に収まりきらないだけの異常な桁数で、それは更に画面をはみ出しても打ち続けられていた。
出鱈目にボタンを押しただけにしか見えない、局番としてありえない番号。
成り立つわけがない番号から、電話がかかっている。
ありえないものが、こちらと繋がろうとしている。
「……」
戦慄して凍りつく他ない異常を前に、理は何事もなく通話のボタンを押した。
着信音が消えて、仕込みの後片付けをする店主の動き以外に何も聞こえない静寂が戻る。テスカトリポカは何も言わない。
回線が通り、何の躊躇も抱かず理は携帯を耳につけ、向こうにいる誰かに声をかけた。
「───もしもし?」
「───こんばんは、"黄昏の葬者"君。
"煙る鏡"さんはもうこっちに来れたのかな?」
瞬間、理のいる屋台に纏う空気といえる概念が変質した。
景色が変わりはしない。何者かが現れてもいない。店主は何かに気づいた様子もなく調理をしている。
それでもこの時、確かに世界は崩れ落ちたのだ。
携帯の僅かなスリット───向こうとの繋がりから、ありえないものの空気が、声を呼び水にして招き寄せられているような。
漏れ出した異質な空気が、こちらの世界に侵食する。声が音叉になって世界に伝播する。
異界の気配を引き連れて、"魔女"
十叶詠子の声が理にかけられた。
◆
2人の出会いは、そう特別なものではなかった。
英霊同士の戦いに巻き込まれそうだった詠子を理が見つけ、助けた。言葉にしてみればそれだけである。
戦火を抜け出し、落ち着ける所まで避難したところで、彼女もまた葬者であり、隣にサーヴァントを置いていない者であると知った。
お互いの共通点から話し始め、情報交換をしたまではよかったが、その後の理はただただ困惑するばかりであった。
詠子の語る言葉はどれも婉曲的でふわふわとして要領を得ず、それでいて常にものの本質を突く呪力を孕んでいた。
同じ言語で喋ってるのに理解が伴わない。逆に未知の言語で喋られているのに意味だけが通る気にもなる。
会話だけでなく、そこにいて立っているだけで、詠子は不吉な印象を与えていた。
悪意も敵意も微塵も見せない。底なしの善意を向けられてると分かってなお、理は自分の理性を掻き乱される不穏と不快を覚えていた。
危険だと理解し、それにも関わらず、今日まで理は詠子からの接触を拒みはしなかった。
『北欧の物語みたいに黄昏は終末の手前ってよく言われるよね。日が沈んだ後の、燃え上がった空。
逢魔の前といって人は怖がるけど、その時の光景はとってもキレイ。キレイなものはどんなに駄目って言われてもみんな見たがるもの。だから名前をつけてその時間がわかるようにした。
終わりの寸前にだけ顕れる美麗。永遠に刹那の光景を、あなたは死を遠ざける事で留めた。それがあなたが求めた魂のカタチ』
何も知らない人からすれば電波そのものな内容。
理は知っていた。そしてそのどれもが、詠子には教えていない筈の情報だった。
『あなたの魂は"楔"に使われてしまった。生き物が逃れられない"死"を、みんなのところにいかせないよう縫い付ける"楔"。
人の死は肉体の死と魂に分けられる。普通の人は肉体が壊れたのを死だと扱うし、それも間違いじゃないよね。
魂は独りでには動けないで肉体に縫い付けられてるから、肉体の死に引きずられちゃう。
あなたはその逆……魂を失った体だからこそこの世界に来られた『葬られた者』。寂しくて物凄く美しい、『物語』の主人公なんだね……。
"煙る鏡"さんも、最初にあなたを見たから、ここにいるみんなを葬者って呼ぶようにしたんじゃないかな?』
ニュクスを封印する為の封印に使われた理の魂。舞台裏から出てもいない、契約したサーヴァントの真名。
全て、言い当てられた。理の生前の遍歴を、この目で見てきたかのように。
『私は見えるだけだよ? あたなみたいに"もう一人の自分"を生み出せたりなんかしない。手から炎も水も出せない。
あなたの魂のカタチを、あなたの欠けを補う守護霊を、この大きな物語を、私は見て、知っただけ』
ペルソナ能力の事まで見抜かれてはもう信じる他ない。
詠子にはその人の遍歴を、書物を閲覧するように把握する能力がある。
そしてどにも、彼女は理を気に入ったらしい。
曰く、『"魂のカタチ"がとてもキレイで面白い』との事で、いたく興味を持たれた。
今みたいな宛名不明の電話がかかってきたのも初めてではない。番号を交換した覚えもないのに、だ。
恐らく彼女が本気で追えば、自分に逃げ場はないのだろう。まるで質の悪いストーカーだが、理はここで縁切りする気はなかった。
理が関係の継続を望んだのには別の訳があった。
詠子が持つ、際立った霊視の力。あの神にも気づいた彼女なら、この冥界の戦争について何か知っているのではないか。
曖昧で深淵な遠見。不確かな正気。
魔女の異常性の片鱗を見せられ、聞かされた理は問うた。儀式の完遂を待たずに、葬者を元の世界に還す方法はないかと。
『……やっぱり、あなたはみんなの"黄昏"を守るんだねえ。
でもその願いを叶えるのはとっても難しいよ? もう物語は始まってしまったもの。
一度ページが開かれた本は今度こそ止まらない。終わりに向かって捲られる。それがこの世界が生まれた、最初の望みだから』
魔女は言う。『可能性はある』と。
相変わらず言ってることの大半は不明瞭だが、不可能とは言い切らなかった。僅かな違いだが小さな前進だ。
以来、詠子との関係は継続している。冥界に潜む謎の解決に知恵を課してくれる、アドバイザーの立場として。
『……ふうん、そっか。やっと来れるようになったんだね』
現在に至る。
やはり電話の先の2人が見えているかのように詠子は語る。
あるいはすぐそこに"いる"のかと見渡しても、少女の影も気配もここには居ない。
理の携帯と詠子の携帯が、こちらと向こうの距離を縮める架け橋だ。
電話をしているという観念とは違う、空間的な歪みを進めながら。
『良かったね。あなたは神さまの試練を乗り越えた。
ジャガーは賢くて素早くて気まぐれだもの。あなたの傍に居着いてくれるかは、その時になるまで分からない。大変だったでしょ? 今まで』
「大変……あーうん、そうだね。なんか寝てる間に死の瀬戸際に立たされてたらしいよ。
そっちはどう? 前はずっと引きこもってるって言ってたけど」
『うーん……。泥努さんはまだ出てきてくれないかなあ。最近は私がお友達を連れてくるのも嫌がられるようになっちゃったし。
せっかく世界が混じり合った異界なんだから、色んな人とお話すればいいのにって思うんだけどなあ』
歪み、軋み、今にも輪郭が崩れそうな空気で2人は話す。
異常性も怪奇も見られない、深夜に時間を潰す友達同士のような会話。あるいはそれが最上の異常なのかもしれない。
『そんなあなたには、ひとつ忠告してあげる』
「忠告?」
『うん。"魔女"の忠告。とても大きくて困難なあなたの望みに、必ず関わってくるだろうから。』
唐突に詠子は言った。
姿が見えず、声だけに意識する分、それはいっそう呪文めいた韻が込もっているように感じられて、周囲の変質を早めていく。
既に屋台の周りは"向こう"の空気に置換されかかっている。温度、重さ、成分、目に見えない要素が、ただ遠い地域というだけでは説明のつかない差異のある"何か"に。
あの世からかかってくる電話という怪談があるが、今いる場所こそがそのあの世だ。ならばやはり詠子はこの街のどこかにいる筈だ。
『いいや違う』。造られた街の中は生者の住まう、冥界の例外地区だ。本当の冥界ではない。
地上と違わぬ安全地帯に流れ込んでくる、違うところからの冷気。
それは領域の外の、本物の冥界の大気か。それとも───『冥界ですらないところ』で漂うものなのか。
『"けもの"に、気を付けて』
「……獣?」
鸚鵡返しに聞き返す。
『ここにはたくさんの"けもの"が見える。ここは人の望みが集う場所だけど、中には人とは違う望みも混ざってるの。
とても大きくて、世界を一呑みにしちゃいたいぐらいお腹を空かせた"けもの"が混ざってる。
人を愛するもの。自分が嫌いなもの。自分の実存を感じさせてくれるもの。
……この世界の最初の"願い"ととても近似してるから、儀式の前に大きくなってもおかしくない、そんな"けもの"が』
「昨夜に見た、"怪獣"の事を言っているの?」
『かいじゅう? ……ああ、そういう呼び方もあるんだね。
私はあまり好きな呼び方じゃないなあ。あの子たちは怪異みたく、見える人にしか認識されない存在じゃないのに。
理解できないものとして扱って遠ざけてちゃ、倒してもまたすぐ戻ってきちゃうよ。社会で人が殺されたら、ちゃんと原因を調べて理解するでしょ?
あの子達も同じ。手段が人にとってどうしようもなく害になるだけで、原因は誰もが持っている筈なのにな……』
昨日の深夜に起きた、3騎のサーヴァントの激突を指しているかと思ったが、合ってるとも違うとも言わず、妙な部分を訂正されてしまう。
『私は見えたものをあなたに伝えた。
魔女は見たものを黙ったままにする事もあるけど……見えないものを見たって言う事は、絶対に無いの』
「……やっぱり、君の言う事はよく分からない」
『分からなくていいよ。必要になった時に、必要になる。今は何の意味もないだけ……、?』
煙に巻くような詠子の言動と共に、あれだけ濃厚に纏っていた異界の空気が、急速に薄まっていくのを理は感じ取った。
何か別の恐ろしく厳かな雰囲気が、気配に過ぎない異質を有無を言わさず立ち退かせている。
それこそ、煙に巻かれて立ち消えるように。
「怒らせるつもりはなかったんだけど……長話しすぎちゃったかな? それじゃあ、今夜はここまでかな。
いい夜を─────」
別れを言いかけたところで、ぶつ、と音が切れた。
ボタンを押して切ったというより、電波そのものを強制的に断ち切られたような断線。
いずれにせよ、それで全ては元通りになった。
いつの間にか耳が拾えていなかった、麺を茹でる音と匂いが五感に触れ、体に熱が溜まる。
「理君? 替え玉要らないんならもう片付けちまうけど、いいのかい?」
大将は何事も無かったように───本当に何も無かったのだろう───追加の注文を聞いてくる。
朧げな思考で、まだ腹に余裕はあるものの、ものを食える気分ではないので「いえ、もういいです」とだけ断って、代金を置く。
ふと顔を横に向ければ、忘れようにも忘れられない存在感が隣にいたのを思い出す。
丼を空にしてサングラスをかけ直したテスカトリポカは、懐から煙草を出してからかいの笑みを見せた。
「お前の最期が女にナイフで刺されたんじゃないのが不思議に思ってきたよ、オレは」
「……なんで」
暁はまだ遠い。夜は続く。
晴れた空に浮かぶ月は、辺りに充満していた狂気を吸い込んだが如く淡く輝いて、怪物の単眼めいて街の仔細をつぶさに観察していた……。
◆
【渋谷区・柴関ラーメン屋台/1日目・未明】
【結城理@PERSONA3】
[運命力]通常
[状態]健康、腹七分目
[令呪]残り3画
[装備]小剣、召喚銃
[道具]
[所持金]学生相応
[思考・状況]
基本行動方針:冥界を閉じて、生きている人を生還させる。
0.もう一杯食べときたかった……。ところでこれ割り勘だよね?
1.情報収集。詠子からの情報は貴重だけど……。
2.獣……?
[備考]
※十叶詠子に協力を頼み、連絡を取り合っています。
携帯番号は登録できないので、こちらからかける事はできません。
【アサシン(テスカトリポカ)@Fate/Grand order】
[状態]健康
[装備]
[道具]
[所持金]潤沢
[思考・状況]
基本行動方針:闘争の活性化。
0.うめぇじゃねえのラーメン。ごちそうさん。
1.さて、戦争の場はどこかね。
2.魔女、ねぇ。
[備考]
※召喚時期に多大なリソースを使って、冥界内のルールを整備してします。
※ベルベットルーム@PERSONA3は許可の元で借用しています。
エリザベス等、部屋の住人が出入りする事はありません。
【???/1日目・未明】
【十叶詠子@missing】
[運命力]通常
[状態]体内に微量の<侵略者>が侵入
[令呪]残り3画
[装備]
[道具]
[所持金]
[思考・状況]
基本行動方針:???
1."黄昏の葬者"君は面白いね。応援したいな。
2."煙る鏡"さんには嫌われちゃったかな。
[備考]
※結城理に協力を頼まれています。
最終更新:2024年07月17日 06:07