◆



 ぼくたちは ひかれあう

 水滴のように 惑星のように

 ぼくたちは 反発しあう

 磁石のように 肌の色のように



       ───BLEACH.

 ◆


 極北から降り注ぐ破滅の流星群。世界の終わりとしか言えない光景を見て、小鳥遊ホシノは絶句していた。
 この衝撃、この絶望を、どう表現したものか分からない。
 先のホシノの脚を負傷させた爆撃を超える破壊と射程の長さ。それを冷静に算出できてしまう視点が、対抗策のない「詰み」を弾き出してしまっていた。

 「嘘でしょ……!」

 狼狽しながらもクロエが荒げた声を出せたのは、彼女に偏に予備知識があった差でしかない。
 "消滅"にインターバルは無い、気分次第で幾らでも連射が可能───。
 現地で跡地を検分してアーチャーが推察した、悪意的に逸脱した目論見への予見を。

「まさか本当に無制限で撃てるっていうの、あの大砲!? 無法にも程があるでしょ!?」
「ああ、しかもこの距離……完全に冥奥領域の外周部から発射されている。射程距離すら無限に等しいらしい。最悪の予想が当たってしまったね」

 千里眼を持つ雨竜が、隣から最悪の更新を告げる。口調こそ平静を保ってるが、眼鏡の奥の目線は既に矢の鏃の如く鋭い。
 方角は北方。地図に照らせば埼玉県の放水路。灰色の飲み込まれた廃墟には、白亜の居城が建設され、ひっきりなしに光を撃ち出し続けている。

「どんだけ魔力を溜め込んで……いえ、それ以前の問題よこれ。こんな宝具を持ったサーヴァントなんてのがまずあり得ないわ」
「あり得ない……それは街中に狙いをつけられて連射ができる宝具なんて存在しないという意味かい?」
「いいえ。理屈の上では、聖杯級の魔力さえ備えれば宝具の限界突破は可能なのよ。机上の空論だけどね。ようは車を動かすガソリンさえあればいいんだから。
 けどこいつは違う。車の設計思想からして狂ってる」

 弓の英霊の能力を模倣し、願望器の機能を持って造られた聖杯の分身といえるクロエには、ビルの屋上から見える光景の出鱈目さが正確に把握できた。

「サーヴァントだってもとは人間。過去があり、培ってきた信念がある。怪物が成った反英雄であってもそれは同じ。善であれ悪であれ、彼らが使う宝具には確かな方向性と理がある。
 そういう理念が『コレ』には一切ない。邪悪ですらない、ひたすら破壊と消滅だけが目的の、純粋無垢な"力"だけ。
 そんな宝具を使えるサーヴァントなんて、もう英霊でも何でもないわよ!」

 魔術師らしさなど普段は見せたりしないクロエが、畏怖と怒りを顕にしている。それほどまでにこの砲手は、魔術と英霊を侮辱していた。
 宝具とは英霊の象徴。貴き幻想(ノウブル,ファンタズム)と称される、英霊の逸話と誇り、人々から向けられる信仰によって形作られる。
 道具、機械すらも、その頂に立つに足る信仰さえあれば英霊に昇華される。
 それの構成要素に何の誇りも信仰も含まれてないとすれば……存在を認められていない、異端中の異端を意味している。

「つまり……この英霊は兵器としての性質が強いということだね。ボタンを押せば動く、ロボットのようなものだと」
「そういうこと! つまりマスターが最悪も超えた最悪ってワケね! あーもー最悪!!」

 頭をガシガシと掻くクロエ。冷徹たれという魔術師の姿勢なぞ取り繕っていられるはずもなかった。
 現世の滅却師として英霊の座に登録された雨竜には遠い視点だが、事の重大さを図るには十分すぎた。
 いわば耄碌した老人に核兵器のスイッチを握らせてるようなものだろう。戦いの何たるか、勝利の何たるかさえもこの行為には欠落している。
 そこまでの凶行に至らせているのはやはり、こうしてる今も感じる、途方もない総量の悪意。

「あのエセ神父、上手くやれてんでしょうね……」

 初めに消滅の脅威を触れて回っていた神父、天堂弓彦の不遜顔が思い起こされる。
 鼻持ちならず、姿勢も理解が困難な変人であったが、不可視の敵を優先して警戒していた男の認識はここにきて正しかった。

「彼のサーヴァントは空を飛べるし、実力自体も相当なものだ。この事態にも対応は可能だろうが、問題は……」
「その間に俺達が持ち堪えられてるか、だろ」

 背後から、動けないホシノを抱えるゼファーが雨竜の先を引き継いだ。
 半身になり軸は後方。既に、いつでも離脱して雲隠れする準備に入っている。

「試練を超えてもさらなる試練……か。ああやだやだ、なんで死後になってもこんなんに追われる羽目になるんだか」
「ちょっと、なに弱気になってんの。さっきのセイバー圧倒した時の威勢はどこいったのよ」
「そうはいってもよ、実際今回役立たずだぜ、俺」

 接触時にゼファーが対決していたセイバーの真名を、クロエは把握している。なにせ一度真剣を交わしあった仲だ。
 騎士王アーサー・ペンドラゴン。最強の聖剣エクスカリバーの所有者。
 自我を保持した本物の英霊、クラスカードの時とは比較にならない性能相手に一方的に攻め立てていた異質の強さには、正直戦慄の気すら持っていた。
 それだけに味方に回せばさぞ頼もしいと期待も寄せていたが、当のゼファーはこの逃げ腰だ。
 超一級の英霊を追い詰めた自分の性能に誇りを持てていない。強さに謎の引け目がある。

「手段は砲撃。位置は盤外。逃げ場はなし。こっちの刃は届かない。下々民には届かせようのない高層から、抵抗の余地を与えず一方的にいたぶる。元の世界じゃさぞ好き放題してたな。
 これ仕掛けてる奴、相当圧制し慣れてるぜ。逆襲の潰し方を分かってやがる」

 極晃に至っても自己評価の低さは改まらなかったゼファーだが、正鵠だろうと判じている。
 再びヴェンデッタと同調し励起させた星辰光であれば、落ちてくる砲弾を切り裂き、被害を消滅させる事も可能だろう。
 だが、その後は? 
 砲撃が止むまでひたすら、十重二十重に振るい続けて耐え忍ぶ? それではホシノの魔力が保たない。理論しかない砂上の楼閣だ。
 滅奏は守護の盾に非ず。滅ぼし殺す死神の鎌。その力は敵に回った一切合切の抹消に全霊が傾いてる。
 故に最善にして最短の手段はここ砲撃手の元に急行し即刻首を断つに限るが……そこにもマスターという枷が足に嵌められてしまっている。
 脚を負傷したホシノでは追尾する砲弾は避けきれない。かといってホシノを抱えたまま進軍すれば、今度は冥界の空気に晒され運命力を削られてしまう。

「……ごめんね、アサシン」
「謝るなよ。マスターは何もしてないじゃねえか。ここでジリ貧しかできねえ俺が、一番悪い」

 どの手を取っても、葬者の命を危険に冒す博打。  
 奪われてこその逆襲譚。未だ手の内に守るべきものを抱えるゼファーでは、この敵と同じ地平には立てない。

 詰め手は塞がれた。この戦線にゼファーが介入する余地はない。
 出来る事といえば、どこぞの英雄が魔王を討ち取るまで手の内のマスターを庇い続けるくらいものか。
 そんな他力本願な解決を本気で考え始めた時、 ゼファーの方を見ないまま、雨竜は意図の見えぬ質問をした。

「アサシン、気配遮断スキルは使えるかい?」

 手元には弓を出現させ、弦に矢を番えている。

「……使えるよ。けどそれで外れてくれるかは微妙だぞ。仮に隠れられてても逃げられるのは俺だけだ」
「十分だ。向こうはかなり精密な探知系のスキルを持ってるんだろうが、二十以上の反応があれば、他のサーヴァントよりは優先度は下がる」

 そう言うや唐突に連射で三発放つ。あらぬ方向へ飛んだ矢は誰を狙い撃ったでもなく街中に消える。
 謎の行動に固まるしかない三者に構わず雨竜は言葉を続ける。

「皆、聞いてくれ。今から向かってくる攻撃が着弾するタイミングに合わせて、君達と僕のマスターを飛ばす。それに合わせてアサシンは気配遮断スキルを使用して隠れてくれ」  
「ちょっとアーチャー!? いきなり何言ってんの!? 飛ばすってなにを!?」 
「マスター、この場で最も危険なのは集団で固まっている事だ。サーヴァントが数騎固まっていればそれだけ激しさを増してしまう。
 まずこの状態を崩さなければ反撃も避難もままならず全滅だ。単騎であれば僕もアサシンも動きようがある」

 前置きを飛ばした突飛な内容に対するクロエの抗議にも耳を貸さずまくしたてる。 
 顔に出してないだけで、雨竜も逼迫してるのは一目瞭然だ。
 既に狙いをつけられ猶予のない中、全員を生かすべく思考を高速で回して選出するのに神経を注いでいる。

「その後の合流にも君にはそちらにいてもらわなければ困るからね。じゃあアサシン、マスターを頼んだよ」
「おいおい待て待て、なに勝手───」
「宝具───『反立、現実を此処に(アンチサーシス)』」

 ゼファーがなおも反論を挟むより先に雨竜が真名(な)を紡ぐ。
 数瞬、消滅の光弾が四人の立つビルを直上から飲み込んだ。
 都合四発。粉塵、破片、魔力を微塵も残さぬ光の波濤は、ビルとその下の地面を根こそぎ消滅させる。
 クロエ達の姿はない。あらゆる痕跡もなく有無を言わさずこの場から消失し───着弾地点の隣のビルに立っていた雨竜は、全員の退避が間に合ったのを確認した。

 『反立、現実を此処に(アンチサーシス)』。対象に選んだ二点の過去の事象の入れ替え───位置、負傷、概念の置換を行う事象改変宝具。
 対人規模ではあるものの一度使用すれば抵抗の余地はなく、なおかつ消費も微量で予備動作すら必要としない、神霊が持つ権能に等しいレベルの能力だ。
 今回はシンプルに、『先に飛ばした三本の矢』と『クロエ達三人の位置』とを置換した。
 消滅波が着弾するギリギリのタイミングで発動し、雨竜自身も適当なオブジェクトを対象に回避。際どいタイミングだったが上手くいったようだ。
 探知していた相手からすれば、砲撃で首尾よく敵が消滅したと誤認してもおかしくはない。三人をターゲットから外す確率は半々といったところ。
 砲撃が続行されれば再び捕捉される危険は高まるし、葬者の反応すら探知しているとしたら事前の隠蔽自体が意味がない。

「これで誤魔化されてくれればいいが……結局は、大本を断つしかないか」

 連続使用に支障のない完全反立だが、矢継ぎ早に撃たれる攻撃からクロエやホシノ達を守り切るには如何せん手数が足りない。よしんば足りても防戦一方になるだろう。
 だからこそ雨竜は単騎でここに残った。聖杯戦争の基軸を崩壊させる破滅の嵐を食い止める為に。
 遊撃役に天堂のランサーを挙げたが、雨竜にも自在に空を翔ぶ術がある。更に言うならより高位な飛翔を可能にする切り札もある。
 神を自称し、殺害に躊躇がない危険で異常な精神構造。過去会った際は組むのは論外と突きつけてはいるが、剛直な目的意識については疑いようがない男だ。
 あれほど目の敵にしている"消滅"の使い手を前に、こちらに爪を立てる真似はしないはずだ。

「……何だ?」

 不意の感知が、雨竜の意識を眼下に向かわせる。
 底の見えない奈落の闇。虫食い穴と呼ぶには巨大すぎる陥穽。
 危急の時で気づく暇もなかったが、雨竜達以外を狙った砲撃の跡だろう。だとすれば必然、狙われた被害者がそこにはいたという事である。
 視認できないのは対応が間に合わずあえなく運命を大地と共にしたか、そうでなければ……。

 冥界の奥に傾けていた意識を周囲に引き戻す。
 霊子の乱れ、魔力の撹拌をつぶさに精査し、何よりこちらを狙い放つ、飽和するほどの殺意の出所を察知する。

「下か……!」

 身を翻し飛び退くと同時に反転、雨竜がいた位置の地面を突き破って伸びた凶器を矢で撃ち落とす。
 赤黒の棘は蒼白の神聖滅矢(ハイリッヒ・プファイル)と衝突、白滅して共に砕け散るが、直後、地の底から昇る殺気の凝縮がヒトのカタチを持ってデパート屋上を割る。

「おおォォォらァァァァッ!」

 岩盤を裂いて現れるは薔薇の化身が如き茨棘の鎧姿。およそ地上の闊歩を許されない凶相は光なき暗窟で屍を喰らう鬼か。
 先んじて放っていた牽制の二射目を素手で掴んでへし折り肉薄をかける。
 単発の矢では止まらない───雨竜の判断は早く、腰から合口程の柄をノールックで引き抜く。相手の予想される質量と速度からすればあまりに頼りないと思えた得物の先端から青白い刃が伸長して、鬼の拳から生えた棘を受け止めた。
 再びの激突音。突起の鋒に腹でなく刃を立てて当てる超絶の技量。神秘と霊子と魂とが鎬を削る火花を上げる。
 突っ込んだ勢いがある分、付き合うのは分が悪い。固めた霊子を足で蹴って空中で一回転し間合いから離脱した。


「────」
「────」

 侵略に晒される空の下、対極の色を持つ二人が対峙する。

 黒の隊服。白の相貌。血色の杭。
 雨竜はいま初めて、ヴィルヘルム・エーレンブルグの姿を直に捉えた。

 白の隊服。黒の髪。蒼白の弓。
 ヴィルヘルムは初めて、石田雨竜の姿を直に捉えた。

 引き合う所以は無く、道理は示されず、同じ世界に招かれた稀人が、戦争の名の下で邂逅する。


「……ああ? 何だよ。アレ、テメエがやってんじゃねえのか」

 弾幕が止まない辺りを見回しながらヴィルヘルムがぼやく。
 地下通路でフレイザードと戦いに興じていたヴィルヘルムが地上に出てきたのは、彼もまたクリア・ノートの無差別爆撃に巻き込まれた身であるが故だ。
 地層を易々と貫通して落ちた光弾の不意打ちを間一髪でかわせたのは、飽かさず鍛えた生来の戦闘本能の賜物だ。
 最大級の警戒を鳴らした第六感に全身を委ねた無手勝流が、確定と思われた消滅を回避させたのだ。
 清廉潔白で堂々なるを徹底する決闘主義でもない。殺し合いの最中では手緩い戯言を吐いた輩から死ぬ。
 奇襲も騙し討ちも上等だ。己はそんな細工に拘泥しない真の強者だからと自負しているに過ぎない。
 ───だがそれで横合いから獲物をかっ攫われたとすれば話は別だ。椅子に並べられた皿を蹴飛ばして地べたにブチ撒ける不埒者には、相応しい礼を返さないことには気が済まない。
 そんなお礼参りの念を胸に地上に上がり、付近の反応を探して見つけた雨竜を狙撃手と見なして襲撃をかけ、見当違いであったという次第である。

「氷炎野郎は……駄目だな、あちこちブチ込まれてるせいで気配が感じ辛え。あのまま消えたか? 折角アガってきたってのに名前聞きそびれたじゃねえか」
「……事情は知らないが、誤解が解けたようで何よりだ」

 雨竜も大まかに経緯を把握する。どうやら自分が狙撃手と勘違いされての逆襲だったらしい。
 無理もないだろう。たった一騎で会場の外から一方的に砲撃を撃ち続けているなどと、誰が想像しようか。
 とんだとばっちりだが、不幸な行き違いだったと、まだ納得できる範疇だ。

「僕は行かせてもらう。状況は見ての通りだ。あと十秒もしないうちにまた撃ってくる。君も退避を急いだ方がいい」
「そういうわけじゃねえよオイ。どこ行こうってんだ」
「は……?」

 なのでこのままお互い蟠りなく別れるものと疑わなかった雨竜なのだから、尖る殺意が萎える事なくこちらに向けているヴィルヘルムを、信じられない目で見返すのだった。

「……まさかとは思うが、続けるのか? ここで?」 
「俺から言わせれば、ここでケツまくって帰れると思ってるのが信じられねえな。ヴァルハラに集う英雄(エインフェリア)が死を恐れてどうするってんだ」

 血走る両眼が、視界に収めた獲物を逃がす道理がないと睨めつける。 

「戦い好きなら、なおさらこの状況は拙いんじゃないか。とてもじゃないが全力を出し切れる環境ではないだろう。
 どれだけ力に自信があるか知らないが、君の葬者はそんなものとは関係なく消されてしまう。それこそ不本意な結果になると思うけど」
「要らねえ配慮かけてんじゃねえよ殺すぞ。頭脳派気取ってる連中ってのはどいつもこいつも、言葉を尽くせば考えが変えられると疑ってねえのばっかだな。
 あと十秒で砲撃が来るから逃げろ? そういう台詞はな、十秒保たせてから言ってみろや」 

 こういう手合いか───内心で毒づいた。
 聖杯戦争で好戦的な英雄の比率が圧倒的なのは、むしろ自然ではあるが。
 だとしてもここまでの拘り方は異常だ。榴弾がいつ頭に落ちるか知れない爆撃地帯を、ステージに設えられた面白みのある趣向としか捉えていない。
 息を吸うが如く当たり前に紛争地に身を置いた、生粋の中毒者。
 肩や拳から生えた血染めの茨。艶めかしい臭気の中でも薄れない戦争狂(ウォーモンガー)の香りが、大輪の薔薇のように撒き散らされている。
 死後も喰らい、喰われるか喰うことを辞めた瞬間退化を決定づけられる、呪われた輪廻を回る悪霊(HOLLOW)のように。

「……まったく。頼んでもないのに数珠つなぎで厄介事がやってくる……なるほど、彼の言う通りだ」

 砲弾は接近中。既に光が接近しつつある。
 戦闘は不可避。対面で一級のサーヴァントに狙われている。
 厭戦気分だったアサシンの気持ちを少し理解する。こうも困難が続くとうんざりしたくもなる。

 逡巡なく指を動かす。焦りも恐れも弓に伝わらない。鬱屈そうな口調と裏腹に全てが統一された意思の元稼働する。
 この身は戦いのための器。杯に注がれる金貨の一枚。
 指令が下れば予め施された機能は滞りなく動き、道具の役目を全うする。それが英霊、サーヴァントというもの。
 だが元より───この器に満ちる魂は、鏃となってあらゆる危難を撃ち抜くもの。
 少女の運命を背負うと誓ったあの日から、敗北は許されない。心に刻んだ願いを全うするのみだ。

「誤射した詫びだ。先手は譲ってやるよ。射つなり逃げるなり好きにしな」
「……妙な律義さだな。気の配る部分を明らかに間違ってるよ」
「テメエの流儀ってやつだよ。永く楽しむからには、飽きさせねえよう相応の拘りは欠かせねえのさ」
「そうかい。なら遠慮なく、突かせてもらったよ」
「あん?」

 余談だが。
 他者から指摘されにくく、かつ本人はあまり認めたがらないことだが。
 元来石田雨竜は、火の激情を秘めた、熱のある性格である。

 「───っ!」

 頭上で弾けた蒼い火花。
 矢を放とうが逃走しようが、どちらでも構わないと余裕のヴィルヘルムに打たれた光の線。
 反射で受け止めたソレは確かに矢の形状。知覚を上回るほどの速射だったわけではない。
 先刻の交錯の時点で宙に放たれ、放置されていたものが、ヴィルヘルムの立つ場所に自由落下しただけのこと。

 軽微な傷は目眩まし。となれば次撃が飛んでくる。
 出鼻を挫かれたものの速攻で持ち直して前方に腕を構えるも、そこに雨竜の姿はなく。

「なるほど。確かに十秒も要らなかったね。
 ───五秒で済みだ」

 背後からの光矢が、言葉となって刺しにきた。

 水平に落ちる稲妻。重力に任せたきりとは速度も角度も桁が違う超速の雷弾。
 先の小競り合いで見せたものとまるで比較にならないのは、最高速の見積もりを見誤らせるための布石だから。
 話術で足を固め、慮外の不意打ちで目を逸らさせ、飛廉脚で背中に回り込んでからの、一度も見せていない本気の一射。
 最速と必殺を心がけた、計算し尽くされた一撃を、魔人は反応してみせた。
 心臓を穿ち行く魔弾が雷鳴ならば、黒衣の速度は光そのものか。
 否。その領分は彼にない。光の域に達する疾さを得たエイヴィヒカイトは黒円卓内でも、身体を雷光へと変じる戦乙女(ヴァルキュリア)か、絶対に相手を上回る速度を得る白騎士(フェンリスヴォルフ)のみだ。
 この回避動作に異能の類は用いられてない。
 持ち前の動体視力。死線を掻い潜り培われた戦闘勘。肉体に迫る脅威への反応速度。
 人が持ち得る能力を魔的に引き上げた感覚で、先んじて攻撃に対し回避動作を行ったが故の賜物だ。
 胸板に先端が触れかけた矢を掴み、握り潰す。四散した魔力の欠片が吸収される。
 そこまで終えて振り返ってみれば、奇襲が失敗するや否やフェンスを乗り越えてビルから飛び降りて、白衣の外套の裾を視界にちらつかせる雨竜の姿。

「カハハッ、なんだよテメエ──────ハナからやる気だったんじゃねえか!!」

 爆裂する叫びは、怒気と歓喜の混合だ。
 自分が現れた時点で不意打ちの策を仕込んで、会話に乗る振りをしてまんまと嵌める強かさ、小賢しさ。
 何よりも、最後の一矢に込められた、背筋を凍らすような魔力の鋭さと速さが闘争心の撃針を叩く。
 運が上向いてきたのを感じる。長い退屈から解放され、漸くここからが宴の本番なのだと神経が疼く。
 骨のある氷炎の魔物から、一杯食わせたやり合える弓兵。これを逃す愚は冒せない。決して、逃がしはしない。

 墜ちる光星には目もくれず、雨竜を追ってヴィルヘルムも一足飛びで空中に躍り出た。


 ■


 期待通り、予測の範疇、雨竜は空中で待ち構えていた。

「追って来いと言ったか?」
「つれねえこと言うなよ、あんだけ誘っといて」

 ただ一点測り損ねたのは、距離が思ったより開いている。ビルから足を離したヴィルヘルムとは、おおよそ三十メートル差。
 重力に任せて墜ちてるだけではここまでの差にはならない。壁を蹴ったか、それとも空を駆ける術を持っているのか。
 最新最強の万魔殿の鬼兵たる黒円卓も、陸海空を十全に活動できる者を選ぶとなると、意外にもその数は多くはない。
 ───死神であれ虚であれ滅却師であれ、霊子を操り戦う者には必修の技術。
 彼らは簡易な足場を作り、空を地と変わらず駆けられる。上下の地の理は霊子使いにとって意味を成さない。

「どうせあと数秒の命なんだ、もうちょい付き合えやァ!」

 構うものか。壁を踏みしめて墜ちながらにして疾走を開始する。
 理は則るのでなく屈服させるのがエイヴィヒカイトの流儀。世界を思うままに変えられると信じて違わぬ専心が、真実術の効能をより高みに導く。
 加速にかける動作の無駄のなさ。草原を往く四足獣と見疑う、洗練された野性の体現で詰めかかる。
 当然、近づくまで矢から無抵抗のままではいない。体内から血の杭を増産し、一斉に放出。
 ランサーのクラスに設えられていても、遠近を選ばない手段を揃えている汎用性。
 最新鋭のガトリング砲を凌ぐ、アーチャークラスの株を奪う連射速度。貫通力。吸血鬼殺しの白木が、ヴァンパイアの残忍な凶器となりて降りかかる。

「光の雨(リヒト・レーゲン)」

 昼を覆う赤黒の爪牙に対するは、夜を晴らす蒼白の大翼。天駆ける鶴翼を思わせる、雄大な矢の乱舞。
 文字通り、本来は上空からの一斉射で敵を釣瓶打ちにする技だが、今では逆に対空迎撃の弾幕として用いられた。
 何もかもをヴィルヘルムを対極とする技の衝突が、互いの存在を認めぬと拮抗し合う。

 同じ射撃でも、両者の一発にはそれぞれ差異があった。
 単発の威力はヴィルヘルムの杭が上回るが、連射力に関しては雨竜が先を行っている。
 一本の杭で矢を数本蹴散すもそこが限度。途中で力尽き、後ろから新たな矢に押し負けて飲まれる。その応酬が数限りなく繰り返される。
 攻防の総量の、釣り合いが取れていた。それ故の拮抗。突破も防衛もされず膜の壁を築くのみ。

「洒落臭え……!」 

 崩すには、さらなる火力。さらなる果断なき攻めあるのみ。先を取るのは殺気に勝るヴィルヘルムが早かった。
 見て取れた矢の威力は、量に重点を置いているからか威力に乏しい。であれば幾ら貰おうが軽傷、被弾を顧みぬ再加速をかける。
 その軌道はもう獣どころの話ではない。カタパルトから最高速で発射されるミサイルの次元だ。
 重力の枷なぞ知らぬ。闇に翔ぶ不死鳥が、星の法則如きに縛られるものかよと、魔常の理を遺憾なく発露する。
 頬を掠り、肩を抉ろうが、勝利という成果が得られればすべて栄誉にすり替わる。着弾し溜め込んだ炸薬を点火させるまで止まらない、爆焔の化身。 
 動きを制限をつけられる部位……脳、心臓、脚のみ守っての吶喊が、遂に弾幕を突き抜け、雨竜を拳の圏内に収める。

 雨竜に焦りはない。戦闘自体に愉しみを見出すタイプと知った時点で、向こう傷を進んで受けて来るのは予め想定済み。
 相殺され周囲に散乱する弾丸の欠片は、そのまま滅却師の操る魔力になる。推力に回し同じように加速すれば、再び距離を空けられる。
 じき、地面に着く。更に上からは二発の消滅波。自身を狙う狙撃すら利用した挟撃の形に追い込んでいる。
 ここで仕留めるにせよ、足を奪って逃走を優先するにせよ、主導権は手放してない。
 熱を保とうと戦術思考はどこまでも狩人の冷静さでいる計算が───空を切った踵を前に一斉に崩れ出した。

「ッ!?」

 足を踏んでいた場が消えていく。
 流した霊子の流れに乗って、ホバー走行の要領で移動する滅却師の高等歩法『飛廉脚』。
 それがここで唐突に、雨竜の自重に耐えられないほど脆くしている。
 ……数限りなく傍を通過していった敵の杭。そのうち一本が足場に掠って、場の構成を水に綿を漬けるが如く構成する魔力を吸収し、解れさせたのだ。

 "接触した魔力の吸収能力……! 見誤った、こいつは僕と……いや、滅却師(ぼくたち)と同じか!"

 『闇の賜物』が産む形成の杭が、接触したエネルギー・熱量を有形無形を問わず奪う性質を持つのを、雨竜はこの時まで知らなかった。
 ヴィルヘルムも、滅却師が周辺魔力・霊子を蒐集して戦闘に用いる、自分と近い性質を基にしているのを知るはずもない。
 全ては誰もが予測してない偶然。だがその運命を生んだのには、勝利を掴まんとする渇望で突き進んだ動きがあればこそ。
 あるいはその執念が、攻略の糸口になる突破法を無自覚に編み出したのか。
 そして慮外の偶然であれ、見えた勝機を不覚にも取り零すヴィルヘルムではない。

 「獲ったぜ、アーチャーァアアア!」

 最後のダメ押しが爆裂する。
 足裏から高速で伸びた杭で脚力を増大。筋肉と骨格の流れを損なわず完璧な姿勢制御で膂力に転換させる。
 衝撃の余波だけで矢が吹き飛び、白い胸を無防備にする。杭とはとても呼べない、超音速の破城槌が雨竜に迫る。

 回避も、防御も、すでに手遅れ。
 今のヴィルヘルムは矢を撃った後からでも矢より速く動ける。与える破壊もそれに比し、軽く見積もって三倍以上。
 弓で受け止めようが、小刀で弾こうが無意味。小技で凌げる範囲をとうに超えている。心臓破り(ハートブレイク)は免れない。
 黒円卓でも指折りの戦人に恥じぬ奮迅。血袋となった骸から、魂の一滴に至るまで略奪するのになんら不足ない渾身の滅槍。


「時間がないと言っているのに……これだから力馬鹿は始末に終えない」


「─────────────!」

 だからこそ、突き入れた腕の、あまりの手応えのなさに瞠目した。
 背中を突き破るどころか、薄皮にも届かず、太い静脈のような筋に阻まれてる。
 聖遺物との融合で凶悪化した理性が無理やりに揺り戻される。
 血潮も、勝利も、手元にあったはずのものが遥か遠くに置かれてしまったような、冷えた感覚に。

「十秒は過ぎた。これ以上、馬鹿に付き合える時間はない。
 終わらせよう。速やかに」

 色彩が反転する。
 樹立する滅却十字。硝煙烟る円卓の黒を呑む、清毒なる塩の柱。
 神聖なるものの降臨を有り示す、断罪光輝の冠が眩く。

 奪い取ったのは黒のみだけではない。弾き出され地面に危なげなく着地するヴィルヘルムは見た。
 直上から自分達を追って墜ちてきていた消滅波。
 無色の破滅が柱に刺されたと同時、針の通った風船かのように輪郭を萎ませ、光ごと融かしていったのを。

「天使かよ……。色々被るんでまさかと思っちゃいたが、テメエ、アイツのご同輩か?」
「雑談に花を咲かす気はないが……特定の宗教にはついていないとだけ言っておこう」

 砲撃を退けた柱が晴れた中に、雨竜はいた。
 外套を脱ぎ捨て、手足には装具、両肩に翼。 
 辺りで煌めくのは散り散りになった星屑。魚群を思わせる矢羽の端末。
 光輪(ハイロー)こそないものの、見る者に与える言葉はただひとつ。神の御使いの代名詞。神罰の地上代行者。
 『滅却師完聖体(クインシー・フォルシュテンディッヒ)』───。
 死神への復讐と世界の復権に二百年の研鑽と進化を重ねた滅却師の集団……『見えざる帝国(ヴァンデライヒ)』の結実。始祖ユーハバッハより賜りし『聖文字(シュリフト)』の昇華形態。

「気に食わねえな……」 

 ヴィルヘルムは理解する。
 アレは自分と同質の力だ。力を奪い、形さえ残さず、おのが血肉に変える。まさにヴィルヘルムが所有する聖遺物と相通ずる能力だ。
 だが同類同種とは断じて違う。どころか不倶戴天の仲とさえいえるだろう。
 光あれ(イェヒ・オール)と言う前からあった、原初の闇(メトシェラ)。
 伝承ではアレの大敵として……吸血鬼(おれ)は創作されたらしいのだから。

 もうひとつ気付いたことがある。
 相手が想像しない札を切ってきた。それはいい。結構だ。素晴らしい。
 敵が強ければ強いほど戦いの喜びが増すのも騎士の倣い。それを制し、正面から押し潰すのが覇道の轍。
 己こそ誰よりもラインハルトの騎士であると満天に誇る絶好の機会だというのに。
 何故だか、どうにも目の前の男は……ひどく癪に障るのだ。

「……ボケが。だからどうだっていうんだ。殺せばいい話だろうが」

 益体のない考えを切り捨てる。殺し合いの最中に雑念なぞ騎士の風上にも置けない。目障りだというなら尚の事。
 体の内の血の滾りを昂らせることのみに集中すればいい。

「いいぜ、魅せてみろよアーチャー! どこまで翔ぼうが俺はその羽を掴んで───」
「何か長口上を述べるようなら悪いが」

 発奮を打ち切る冷淡な声。

「もう終わりだと、僕は言ったぞ」

 空気が凍結する殺気。贈られる宣告に絞られる精神。
 細胞の警告にもヴィルヘルムは怯みもなく布告を受け取るように腕を掲げる。
 その腕から、赤の一欠片がこぼれ落ちた。
 腕から一本の槍で現出させたままでいた杭が、中程からバキリと音を立てて折れたのだ。

「なん……だと……!?」

 驚愕は杭が折られた為ではない。
 断面は滑らかで凹凸のない。これは切断の跡だ。
 最たる原因は、泣き別れにされた欠片が塵になって、雨竜の元へと吸い取られる様を見せつけられたから。

「最初に『魂を切り裂くもの(ゼーレーシュナイダー)』でその槍の結合を緩めていたのに気づいていなかったのかい?
 もうその腕の武装は、僕の武装に等しい」
「テメエ──────」

 完聖体の真骨頂は、滅却師の持つ霊子収束能力を極限域に高めた『聖隷(スクラヴェライ)』にある。
 大気に偏在する霊子のみならず、既に構造物として物質化している霊子すら強制的に分解して自身に還元させる、いわば『霊子の隷属化』だ。
 サーヴァントの状態でもこの能力は依然機能する。ザレフェドーラの砲撃を霧散させたカラクリがその証明。
 魔力の多寡が勝負を決定づけるといっても過言ではない聖杯戦争において、戦場を支配するのにこれ以上のワイルドカードは存在しない。

 無数に展開されている光子の矢羽が幾条かの形状に固まり、複数本の矢を成す。
 弦にかからず飛来する矢の一本はヴィルヘルムを狙わず、その背面に刺さる。
 仕損じではない。明確な狙いあっての設置。
 残る五本が自身の周囲を挟んで円を結んだ編隊であるのを見て、ヴィルヘルムは柵を連想した。
 罪人を引っ立て、枷をはめて入れる牢獄(ケージ)を。

「"フェーダーツヴィンガー"」

 産毛を逆立たせる危険探知に飛び退くが、遅かった。
 跳び越えようとした矢の節から伸びた光条が鎖となって体に縛り付き、永遠の戦士を虜囚へと辱める。

「ギッが、があああああああああああああああああああああああ!?」

 痙攣する手足。電流火花が身体中を蹂躙する。
 痛みはない。この攻撃は肉体の痛打を目的にしていない。
 叫び喚くのはより深刻な喪失、肉体そのものへの重大な侵犯が実行されているがためだ。

「君の能力が僕らと似通った吸奪なのは理解できた。戦えば戦うほど、敵の力を自分の力に変えられる。同族同士の戦いの厄介さは身に沁みてる。
 よって根こそぎ空にする。フェーダーツヴィンガーの結界内では全ての魔力は奪掠される。元出がゼロになれば、吸収能力自体も使えなくなるだろう?」

 限定空間内での無限脱臭・脱水・脱力。
 中身を吐き出せるものを吐き出しきって、戦う力も生きる力も奪い抜く。
 サーヴァント自体が魔力の構成体であるのを差し引いても、最も容赦のない脱落方だ。
 外からの解除は不可能。
 そも第一に「抗う力」を無くすのがこの技なのだ。
 かつてこの技を受け敗北した死神は膝を折りながらも歯を食いしばり戦闘を続行したが、それも術者の雨竜が知己に手心を加えたがゆえ。
 縁もゆかりも無い襲撃者、マスターの生存を脅かす敵に与える慈悲を、果たして与えるものか。
 行き過ぎれば霊基の完全消滅。最低でも暫くの間、継戦能力は剥奪される。
 全てはさじ加減ひとつ。いまやヴィルヘルムの命運は雨竜の指先に委ねられた。


 「オ───お、あああぁぁぁぁぁ……っ!」

 檻の中で悶えのたうつ。
 肌は焼け、骨は溶け、内臓は腐って、すぐにでも消えてしまいそうな臨終の際。
 一度でも日を浴びれば、抵抗の余地もなく滅び去るしかない闇の一族。まさしく吸血鬼伝説そのものの末路。

 他ならぬヴィルヘルムがそう定義したのだ。吸血鬼は弱点を抱えるものと。
 火に弱く、銀に弱く、流水に弱く。清水も聖餅も弱点で、十字架を心臓に受ければ死ぬ。
 そんな一日のうち半分の世界にしか生きられない、人間よりも遥かに多く死にやすい生物の在り方をヴィルヘルムは愛した。何故か? 

「ざ……けんっなよ……っ。俺から……奪うだとぉ?」

 ───夜の世界でなら無敵だからだ。
 夜の吸血鬼は死なない。負けない。血も傷も死も、どんな負債も帳消しにして新生する。
 半分だけの世界であろうと、無限に生きられる不死身のヴァンパイア。

「違うだろうが……っ。奪うのは俺、で、テメエらは奪われる側だ───」

 光に拒絶されたのではなく自ら光を否定したのだと誇る。虚勢ではなく魂の底からそう信じる。願う。
 未来永遠戦い続ける戦鬼に生まれ変わることこそが、欠けを埋め合わせて余りある渇望(じんせい)だ。

 愛すべからざる光(メフィストフェレス)に焼かれた日を境にして、願いは肉身ある力の形となった。
 畜生の子の血と入れ替えた水銀は名実共に人を超越した。エイヴィヒカイト。黒円卓の一員。
 もはや憚ることのない吸血鬼。ならば立つ場所はいつ何時も夜でなければならない。
 だからこそ。


「奪わせねえ。
 もう二度と……もうこれ以上……っ。
 俺を奪われて────たまるかァァァァアアアァァァッ!!」


 彼の傍には、常に夜が在る。


 痺れる手が激憤で握り拳になる。
 動かないはずの体を、埒外の意志力で叩き起こす。
 寝ている暇はない。そこには敵がいる。吸血鬼の敵、神の御使い。
 この血を滅するべく光を引っ提げて降りて来たのなら、この血の脈動にかけて己の世界に逆に引きずり込め。
 その為にこの血はあるのだから───。

「何だ……宝具か? 馬鹿な、どこにそんな魔力が……?」

 死に体のヴィルヘルムから発される、濃密な圧力。
 逆転の目を出させないべくフェーダーツヴィンガーを使用した。発動できるだけの魔力がなければ、どんな強力な宝具でも無用の長物。
 にも関わらず、明らかに宝具の解放態勢に入っている。不条理としか思えない復活劇だが……胸元で光る赤い燐光で雨竜は悟る。

「令呪……! 他の葬者から奪い取っていたのか……!」

 仕掛けなど、いたって単純。
 即座には奪い尽くせない貯蔵(プール)を腹に蓄えていただけ。
 浮いた余剰分でも宝具起動にはまるで足りていないが、魂に油を注ぐ程度の量は残っている。


  Briah
「創造ァァァ────」


 詠唱省略。黙れ。余計な手間も省いて謳え。
 魔力不足。知ったことか。魂でも何でも焚べてさっさと動かせ。
 今はこの、鬱陶しく狭苦しい檻をブチ壊して、目も眩むばかりの月を拝ませろ。


 いざ臨め英霊らよ。
 仰ぎ見よ冥界の死魂。
 これぞ覇道の行進。世界を裏返す卵。万物を脅かす永劫破壊。
 時空を隔てようと普遍に伝わる、魂の臨界が見せる咆哮の景色、その称号を───。



  Der Rosenkavalier Schwarzwald 
「『 死 森 の 薔 薇 騎 士 』ォォォォォォォ!!!」



 夜が来る。
 闇に食われ光が枯れ絶えた、根絶一掃の夜が来る。


 明瞭にして決定的な変化は、景観の逆転。
 昼から夜へ。中天に座していた日輪は臓物めいた艶めかしい紅(いろ)の真円の月輪に。
 時間の操作ではない。現実にある風景を持ってきたものではない。
 これは心象だ。ヴィルヘルム・エーレンブルグの願う夜。吸血鬼の棲まう闇の月夜。
 分かち合うもののいない個我のみで築き上げた一夜城の具現化。

 エイヴィヒカイトの三段目の深奥、創造階位。
 さる魔術世界では固有結界と呼び、さる呪術世界では領域展開とも称される。テクスチャの張り替え、物語の筋書き(ジャンル)の変更。
 世界に数多偏在する形式は、宝具に登録される事でより同一性を帯びた。
 Aランク対軍宝具。効果は術者の吸血鬼化。及び結界内で自在な『闇の賜物』の能力適用。
 空間の隔離はされてないものの、範囲に飛び込んだ瞬間その効果は瞬時に現れる。

 主の命を受けるまで浮遊し待機していた矢羽の子機が、何もない虚空から伸びた杭に残らず串刺しにされた。
 一瞬で軍勢を槍衾の磔刑にかけるのは、まさにヴラド三世の逸話の再現。
 砕かれた矢羽は先刻の意趣返しに融解され、杭に流れ込んでいく。
 血が辿る先は当然源泉のヴィルヘルム。枯れた水路を命の水が一気に駆け上がる。

「オラァァアアアア!!」

 緊縛を課したフェーダーツヴィンガーが上腕の動きのみで大きくしなり、軋みを上げる。
 単純に強化された膂力で牢獄の柱をへし折り、掠奪の罰から解放された薔薇騎士が本領を発現させる。

「テメエも……邪魔だァァァァァァァ!!」

 凶眼が睨むのは、空から侵入したザレフェドーラの三発目の砲撃だ。
 全参加者へ連続使用しても衰えない威力と射程距離。赤騎士ザミエルの形成……列車砲の絨毯爆撃にも匹敵する殲滅性能。
 だがまるで問題にならない。死森に足を入れたものは須らく生贄だ。顔も見せず一方的に屠るだけの臆病者、いつまでもいい顔ではいさせない。
 混沌の黙示録さながらの隕石が、上と下を乱杭歯で噛み挟まれる。
 こうなれば後はお決まりの結末(オチ)だ。際限なく体液を絞り出された犠牲者はみるみる体積を減らし、咬合で砂に還る。
 血染めの薔薇───他種の養分を吸い付くし、荒れ野にただ一輪のみの紅蓮を咲かす。

 ───こうまで似通ってくるとは。
 光と闇。収束と吸収。発現の形態は正反対でありながら、もたらされる効果は驚くほどに近い。
 矢羽を落とされ乱入した砲撃も消えた。二個の事象を観測し、雨竜は彼我の能力の相似性を計算する。 
 唯一残る生者に全ての牙の矛先が向けられても、滅却師は思考と選択を手放さない。

「聖隷(スクラヴェライ)───」

 有効策は明白。同様の力で相殺するのみ。
 首筋と手首と脇下に突き立てんと生えた杭が、起動した聖隷に触れた途端に分解される。
 ヴィルヘルムの支配する空間から雨竜は魔力を剥離させ、還元される前にヴィルヘルムに再び戻される。
 プラスとマイナスが無限に回転する。同じ出目を出し続ける賽子。どちらも収支は差し引きゼロ。
 薔薇と十字は完全な相互関係に置かれた。

 夜の薔薇はヴィルヘルムの体内も同然。領域内での戦闘は世界そのものを相手取るといっていい。
 今さらだ。世界に弓引き、あまつさえ従えさせんとす蛮行。そんなのは慣れている。
 自分も、そして友も。そんな愚かな振る舞いを後悔なく行えてしまう馬鹿だと、とうに知っている。


『ハアアアアアアアアアアアアアア!』


 張り上げる声は二人から。
 負けられないという思いと、勝つという渇望。
 能力と性質がどれほど近似であっても、戦う理由が違えば、交わりはしても溶け合いはせず、反発するしかない。
 そして、最後の激突の音が止んだ。



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最終更新:2025年08月18日 18:31