「Amor torpe」Ⅲ
何時の間にかケンケーンの独演会へと変わってしまった居室内だったが、楽しげな雰囲気に割って入ったのはこの船の副官だった。
「提督。お楽しみのところ申し訳ないですが、動かす準備が整いましたよ。」
「お、そうか。役所の方はどうや。」
「修理箇所を見たいからと説明しておきましたよ。」
「さすが良くできた副官だ。よし、表へ出よう。」
再び甲板へと戻るとそこには船員達が整列して待っていた。
ケンケーンは船員達を見渡すと副官に合図を送り促す。
「展帆準備っ。」
号令が発せられる。
おうという掛け声と共に船員達は一斉に持ち場へと散ってゆく。
そしてその中の数人がするするとマストへ登り始める。
ケンケーンの傍でその様子を見ていたニュンは、整然としたその動きを目の当たりにする。
「なんか綺麗…」
ぽつりと呟いた。
その言葉に口元を緩ませるケンケーンだった。
それからニュンの視線はマストを登る船員に注がれている。
見る見るうちに小さくなる船員をみると、あの天辺に行けば太陽に手が届きそうとも思える。
船員達が各持ち場へ着くのと同時に再び号令が飛ぶ。
「展帆っ。」
その声と共にまずはメインマストから次々と帆が広げられる。
ニュンの視界から次々と空が消えてゆく。
1枚、2枚と帆が広がると少々の揺れを伴いながら船はゆっくりと桟橋から離れてゆく。
係留している他の船とぶつからぬようゆっくりと船は港内へと滑り出してゆく。
そしてそこで向きを調整すると、いよいよ港の外へと進みだした。
「提督。お楽しみのところ申し訳ないですが、動かす準備が整いましたよ。」
「お、そうか。役所の方はどうや。」
「修理箇所を見たいからと説明しておきましたよ。」
「さすが良くできた副官だ。よし、表へ出よう。」
再び甲板へと戻るとそこには船員達が整列して待っていた。
ケンケーンは船員達を見渡すと副官に合図を送り促す。
「展帆準備っ。」
号令が発せられる。
おうという掛け声と共に船員達は一斉に持ち場へと散ってゆく。
そしてその中の数人がするするとマストへ登り始める。
ケンケーンの傍でその様子を見ていたニュンは、整然としたその動きを目の当たりにする。
「なんか綺麗…」
ぽつりと呟いた。
その言葉に口元を緩ませるケンケーンだった。
それからニュンの視線はマストを登る船員に注がれている。
見る見るうちに小さくなる船員をみると、あの天辺に行けば太陽に手が届きそうとも思える。
船員達が各持ち場へ着くのと同時に再び号令が飛ぶ。
「展帆っ。」
その声と共にまずはメインマストから次々と帆が広げられる。
ニュンの視界から次々と空が消えてゆく。
1枚、2枚と帆が広がると少々の揺れを伴いながら船はゆっくりと桟橋から離れてゆく。
係留している他の船とぶつからぬようゆっくりと船は港内へと滑り出してゆく。
そしてそこで向きを調整すると、いよいよ港の外へと進みだした。
港の外は波も無く穏やかな海が広がっている。
その上を船が副官の指示通りに走る。
「副官さんが指示するんですね。」
船を出す指示を出して以降、ケンケーンが何かを伝える事をしないのを不思議に思っている。
「俺よりあいつの方が断然上手いからな。アイツはこれで腕が上がる、そして俺は楽ができると良い事だらけやな。」
平然と言い切るケンケーンの顔は真顔にもふざけているようにも見えた。
船の速度が最高速になった頃2人は船首付近へと移動していた。
「すごい、まるで飛んでるよう…。」
進行方向を見つめながらニュンは目を輝かせている。
そこに切りつけた波の飛沫が小さく降り注ぐ。
「冷たっ。でも気持ち良い…。」
興奮に怖じつく様子もなく1歩だけ前にでると、潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。
かつて味わったことのない感覚が全身をめぐる。
「これなら何処へでもいけそうな気がしますね。」
陽気に弾んだ声だった。
「その通り、どこへでも行ける。それがこいつの良い所やな。」
子供のようにはしゃぐ様子を見ていると自身も元気付くような錯覚を覚える。
「ケンケーンさん。あれは何ですか。」
ニュンが何かを指差す。
海面に何かの影が見える。
「おや、運が良い。あれはイルカやな。」
「へぇ。すごい、あんな生き物が居るんですね。」
「なかなか見られないんだが。こんな近くに来るのは珍しいな。」
「私に会いに来てくれたんでしょうか。」
「そうかも知れんな。」
結局2人は最後まで船首から離れなかった。
その上を船が副官の指示通りに走る。
「副官さんが指示するんですね。」
船を出す指示を出して以降、ケンケーンが何かを伝える事をしないのを不思議に思っている。
「俺よりあいつの方が断然上手いからな。アイツはこれで腕が上がる、そして俺は楽ができると良い事だらけやな。」
平然と言い切るケンケーンの顔は真顔にもふざけているようにも見えた。
船の速度が最高速になった頃2人は船首付近へと移動していた。
「すごい、まるで飛んでるよう…。」
進行方向を見つめながらニュンは目を輝かせている。
そこに切りつけた波の飛沫が小さく降り注ぐ。
「冷たっ。でも気持ち良い…。」
興奮に怖じつく様子もなく1歩だけ前にでると、潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。
かつて味わったことのない感覚が全身をめぐる。
「これなら何処へでもいけそうな気がしますね。」
陽気に弾んだ声だった。
「その通り、どこへでも行ける。それがこいつの良い所やな。」
子供のようにはしゃぐ様子を見ていると自身も元気付くような錯覚を覚える。
「ケンケーンさん。あれは何ですか。」
ニュンが何かを指差す。
海面に何かの影が見える。
「おや、運が良い。あれはイルカやな。」
「へぇ。すごい、あんな生き物が居るんですね。」
「なかなか見られないんだが。こんな近くに来るのは珍しいな。」
「私に会いに来てくれたんでしょうか。」
「そうかも知れんな。」
結局2人は最後まで船首から離れなかった。
小一時間ほど港外を走った後、船は再びセビリアへ入港した。
船員達は手際よく帆をたたんでいる。
あれだけ目一杯はしゃいだにも関わらず、ニュンの興奮はまだ覚めていないようだ。
「ケンケーンさん。ありがとうございます。」
その声は確かに明るい。
「なになに、問題ない。そんだけ喜んでくれりゃ本望や。」
「提督。これで良いですか。」
副官が船内から出てきた。
「おうご苦労さん。相変わらず良い腕やな。」
「どうも。食事の用意ができたと呼んでましたよ。」
2人ともその言葉を聞いた途端空腹感に襲われる。
よくよく空を見ると正午を過ぎている。
「丁度ええな。今日の当番は誰や。」
「今日は料理長が作ってます。」
「ニュン。お前も食べてくやろ。船ん中での食事もそうそう体験できんで。」
「お邪魔じゃないですか。」
「んな事はない。よし行くぞ、この船自慢の料理長が作った料理やからな。」
再びニュンの手をとり船内へと入ってゆく。
先ほど船内を案内された時は誰も居らずがらんとしていたが、今回はそれとは全く違う雰囲気になっていた。
楽しげに食事をする船員達の賑やかな声が室内に止まらず外まで溢れている。
その賑やかさや声量で港の光景を一瞬思い起こす。
ケンケーンの袖口をぐっと握り締め、半ば好奇ともいえる船員達の視線を浴びながらその中を進んでいく。
案内されるままケンケーンの隣の椅子にちょこんと座る。
「こういう席しかなくて済まんな。一緒に食事を取るのがこの船の決まりなんでな。なぁに、こいつら外見は悪くても柄は良いから。」
「大丈夫です。お宿でお手伝いしてますから。ある程度は…。」
とは言うもののニュンの内心は小さな恐怖感に支配されていた。
「提督っ。外見が悪いっては誰の事ですかい。」
「お前等だ。お・ま・え・ら。その髭面どうにかしろ。」
「そうか、この髭があるから女が逃げるんですかね。」
対面の船員は自慢の顎鬚をなぞる。
「それは違うな。女ばっか追いかけてるから逃げるんや。」
「なるほどっ。そうだったのか。」
野太い声の笑いが湧き起こる。
その中に居ると港での一場面と同じ類の人とは思えなくなる。
「でも。そういう情熱的な人も素敵だと思います。」
「ほほう。お嬢さん、嬉しいことを言ってくれる。情熱的、そういう言い方されると満更でもないな。」
再び顎鬚の感触で遊ぶようにしながら、船員は神妙そうな顔をする。
「なんていうか男らしいって言うか。きっと女の人に見る目がないんです。」
「お嬢さんは良い事を言う。俺ぁ、そういうのを待っていた。」
意外と素直な反応にニュンもやっと気持ちが落ち着いてくる。
「という訳でお嬢さん。今晩俺と過ごさんか。」
「あの。それはちょっと…。」
少し身を反らし、小さく手を横に振り拒否感を表現する。
すかさずケンケーンが口を開く。
「このアホたれ。そうやってんから逃げられるんやろ。俺の話を何も聞いてないな。」
「こういう事でしたか。こりゃ何も言い訳できんですな。あぁ、メシが美味いですな。」
再び大きな笑い声が響いた。
1時間少々の昼食は終始この調子だった。
船員達は手際よく帆をたたんでいる。
あれだけ目一杯はしゃいだにも関わらず、ニュンの興奮はまだ覚めていないようだ。
「ケンケーンさん。ありがとうございます。」
その声は確かに明るい。
「なになに、問題ない。そんだけ喜んでくれりゃ本望や。」
「提督。これで良いですか。」
副官が船内から出てきた。
「おうご苦労さん。相変わらず良い腕やな。」
「どうも。食事の用意ができたと呼んでましたよ。」
2人ともその言葉を聞いた途端空腹感に襲われる。
よくよく空を見ると正午を過ぎている。
「丁度ええな。今日の当番は誰や。」
「今日は料理長が作ってます。」
「ニュン。お前も食べてくやろ。船ん中での食事もそうそう体験できんで。」
「お邪魔じゃないですか。」
「んな事はない。よし行くぞ、この船自慢の料理長が作った料理やからな。」
再びニュンの手をとり船内へと入ってゆく。
先ほど船内を案内された時は誰も居らずがらんとしていたが、今回はそれとは全く違う雰囲気になっていた。
楽しげに食事をする船員達の賑やかな声が室内に止まらず外まで溢れている。
その賑やかさや声量で港の光景を一瞬思い起こす。
ケンケーンの袖口をぐっと握り締め、半ば好奇ともいえる船員達の視線を浴びながらその中を進んでいく。
案内されるままケンケーンの隣の椅子にちょこんと座る。
「こういう席しかなくて済まんな。一緒に食事を取るのがこの船の決まりなんでな。なぁに、こいつら外見は悪くても柄は良いから。」
「大丈夫です。お宿でお手伝いしてますから。ある程度は…。」
とは言うもののニュンの内心は小さな恐怖感に支配されていた。
「提督っ。外見が悪いっては誰の事ですかい。」
「お前等だ。お・ま・え・ら。その髭面どうにかしろ。」
「そうか、この髭があるから女が逃げるんですかね。」
対面の船員は自慢の顎鬚をなぞる。
「それは違うな。女ばっか追いかけてるから逃げるんや。」
「なるほどっ。そうだったのか。」
野太い声の笑いが湧き起こる。
その中に居ると港での一場面と同じ類の人とは思えなくなる。
「でも。そういう情熱的な人も素敵だと思います。」
「ほほう。お嬢さん、嬉しいことを言ってくれる。情熱的、そういう言い方されると満更でもないな。」
再び顎鬚の感触で遊ぶようにしながら、船員は神妙そうな顔をする。
「なんていうか男らしいって言うか。きっと女の人に見る目がないんです。」
「お嬢さんは良い事を言う。俺ぁ、そういうのを待っていた。」
意外と素直な反応にニュンもやっと気持ちが落ち着いてくる。
「という訳でお嬢さん。今晩俺と過ごさんか。」
「あの。それはちょっと…。」
少し身を反らし、小さく手を横に振り拒否感を表現する。
すかさずケンケーンが口を開く。
「このアホたれ。そうやってんから逃げられるんやろ。俺の話を何も聞いてないな。」
「こういう事でしたか。こりゃ何も言い訳できんですな。あぁ、メシが美味いですな。」
再び大きな笑い声が響いた。
1時間少々の昼食は終始この調子だった。
食事を終えた一同はなぜか甲板に集まっていた。
この船に女性が乗ることが非常にめずらしく、ニュンの周りを船員達が取り囲み歓談を楽しんでいる。
「そこまで飢えてんのか。」
なぜそうなるのかという疑問が頭に浮かぶ。
「いつもこんぐらい活気付いてろって話だ。」
呆れて肩を落とすケンケーンの傍で、なにも言えない副官がばつの悪い顔をしている。
下手に制止するのも大人気ないというか馬鹿馬鹿しいと様子を見守っていたが、わいわいとこうなってから既に30分以上が経とうとしていた。
「この船、平和すぎるで…暢気なもんやな。」
「えぇ、全く…。」
「このままやと仕事にならんか。しゃーないな。おい、お前等ぼちぼち終いにするで。」
提督の1声で盛り上がっていた取り巻きが一斉に各々の持ち場へと散ってゆく。
ケンケーンが船員に合図を送ると、桟橋へ降りる渡し板がかけられた。
その端が船体に括り付けられるのを確認してケンケーンは再びニュンを抱きかかえた。
「降りるで。」
やはり2度目とはいえ鼓動が大きく早くなる。
頭の中にどくんどくんという音が響き渡る。
ただ、今回は目を閉じずすぐ目の前にあるケンケーンの顔を見ていた。
眼鏡のレンズが太陽光を反射して視線の程は分からないが顔の向きはただ真っ直ぐに桟橋へと向けられている。
「まだ怖いか。」
その視線に気付いたか否かケンケーンが気遣った言葉を出す。
焦ったニュンは視線を外すと、ケンケーンの肩越しに船から船員達がこちらを見ている光景が飛び込んでくる。
言い知れぬ恥ずかしさがニュンの顔を紅潮させる。
ぎゅっと身を縮め赤くなった顔を気付かれぬようケンケーンの胸に押し付ける。
結局、中盤以降も目を閉じたままだった。
ニュンを下ろすとケンケーンは副官と何言か話した後ニュンの元へ戻ってきた。
「まだ買出しの時間には早いやろ。茶でも飲みにいくか。」
返事がどうなるかも待たずそのまま歩き出す。
「あの。貴重な体験までさせていただいて、これ以上はケンケーンさんのお仕事に差し支えますから…。」
「気にせんでええ。優秀な副官様が全部やってくれてたわ。さ、行くで。」
「は、はい。」
押し切られるように返事をしてしまった。
何もかもされるだけで、自分では何のお礼もできないのにと呵責に言葉尻が情けなくなる。
この船に女性が乗ることが非常にめずらしく、ニュンの周りを船員達が取り囲み歓談を楽しんでいる。
「そこまで飢えてんのか。」
なぜそうなるのかという疑問が頭に浮かぶ。
「いつもこんぐらい活気付いてろって話だ。」
呆れて肩を落とすケンケーンの傍で、なにも言えない副官がばつの悪い顔をしている。
下手に制止するのも大人気ないというか馬鹿馬鹿しいと様子を見守っていたが、わいわいとこうなってから既に30分以上が経とうとしていた。
「この船、平和すぎるで…暢気なもんやな。」
「えぇ、全く…。」
「このままやと仕事にならんか。しゃーないな。おい、お前等ぼちぼち終いにするで。」
提督の1声で盛り上がっていた取り巻きが一斉に各々の持ち場へと散ってゆく。
ケンケーンが船員に合図を送ると、桟橋へ降りる渡し板がかけられた。
その端が船体に括り付けられるのを確認してケンケーンは再びニュンを抱きかかえた。
「降りるで。」
やはり2度目とはいえ鼓動が大きく早くなる。
頭の中にどくんどくんという音が響き渡る。
ただ、今回は目を閉じずすぐ目の前にあるケンケーンの顔を見ていた。
眼鏡のレンズが太陽光を反射して視線の程は分からないが顔の向きはただ真っ直ぐに桟橋へと向けられている。
「まだ怖いか。」
その視線に気付いたか否かケンケーンが気遣った言葉を出す。
焦ったニュンは視線を外すと、ケンケーンの肩越しに船から船員達がこちらを見ている光景が飛び込んでくる。
言い知れぬ恥ずかしさがニュンの顔を紅潮させる。
ぎゅっと身を縮め赤くなった顔を気付かれぬようケンケーンの胸に押し付ける。
結局、中盤以降も目を閉じたままだった。
ニュンを下ろすとケンケーンは副官と何言か話した後ニュンの元へ戻ってきた。
「まだ買出しの時間には早いやろ。茶でも飲みにいくか。」
返事がどうなるかも待たずそのまま歩き出す。
「あの。貴重な体験までさせていただいて、これ以上はケンケーンさんのお仕事に差し支えますから…。」
「気にせんでええ。優秀な副官様が全部やってくれてたわ。さ、行くで。」
「は、はい。」
押し切られるように返事をしてしまった。
何もかもされるだけで、自分では何のお礼もできないのにと呵責に言葉尻が情けなくなる。
中央の広場へ向かう大通りから脇の路地に入り、住宅が並ぶなんの変哲もない場所へ辿りついた。
無論のことニュンにとっては初めて足を踏み入れる区域だ。
「ここや。」
そういってケンケーンが入っていった店は、看板も表札もそれらしい様相もない一軒の住屋のような建物だった。
中に入ると予想通りの狭さでテーブルが2脚、カウンターに6席しかないがしっかりと喫茶店のような構えになっていた。
「あら、いらっしゃい。お久しぶりね。」
奥から出てきたのは1人の女性だった。
ぱっと見ただけで分かるほどの美人で、艶っぽい声が一層雰囲気を作り上げている。
「まぁ、再々来れるほどの身分じゃないんでね。」
「うふふ、そういう事にしときましょうか。いつものでいいかしら。そう、お嬢さんもかしら。分かったわ待っててね。」
柔らかい口調を残して奥へ戻ってゆく。
お茶を待つ間、ニュンは店内を見渡す。
大通りに面したところに構える店とは違って派手さがないものの、所々に見たこともない装飾品が並んでいる。
ただ、これだけの小ささでかつ看板もなく更に客の入りも測れないこの店で生計が立つのだろうかと不思議に感じた。
「こんな小さな店でやっていけるのか不思議か。」
胸のうちを見透かされたような台詞に思わず姿勢を正す。
「そういう訳じゃ…。」
「ここは色んな意味で避難所でな、儲けよりも店そのものに意味があるんや。」
納得できるような、できないような答えだった。
ただ、詮索しても理解できないだろうと質問するのを止めた。
「お待たせ。」
そこへお茶が運ばれてきた。
上品な香りがテーブル一杯に広がる。
このとき初めてニュンは紅茶という存在を目の当たりにした。
しかし、その感動よりもニュンの目を惹いたのは目の前にいる女性に対してだった。
顔立ちは勿論の事、露出のない服をまとっていても分かる整いすぎた体型。
男10人がその姿をみれば10人ともが感嘆の声をあげるような容姿だった。
おそらく出るところへ出ればセビリア一番の看板になるだろうし、もしかすると宮仕えになってもおかしくないと思わず息を飲む。
なぜこんな人がこんな場所でこんな仕事をしているのか。
聞きたい衝動が喉元まで迫ったが、当人の目の前ではただ圧倒されるばかりで口に出ることはなかった。
「それじゃ私は奥にいるから。何かあったら言って頂戴。」
どこまでも優しい笑みを浮かべたまま引き上げていく。
扉が閉まる音を聞いて、ようやく溜まらず声を出す。
「すごく綺麗な方ですね…。」
何故か姿勢を正したまま、しかも小さい声だった。
「世間ではそういうらしいな。」
まるで無関心と言わんばかりにケンケーンの答えは軽く素っ気無かった。
「ケンケーンさんのお知り合いの方なんですか。」
「まぁ、こうやって足を運ぶ程度や。」
思ったより手ごたえのない返事に興奮するのが間違いなのだろうかと少し肩を落とす。
「冷めたら不味うなるで。」
そう言われて手元にある紅茶へ目をやる。
どこまでも透明度の高い紅茶がふわりと湯気をまとっている。
ニュンはその美しさとは別に注がれている器にも視線が向く。
透き通った白地にかわいらしい小さな草花が描かれている。
知識のないニュンにはこれがどこで作られたものか分からなかったが、ただ今まで経験した店では見たことのない器であり、直感的にとても良いものだと分かった。
緊張した手つきで恐る恐るカップを取る。
一度鼻先でそれを止めると立ち上がる香りを胸へ吸い込む。
芳醇で気品ある香りが全身をめぐるようだった。
そして、一頻り香りを楽しんだ後、ようやく口をつけた。
「美味しい。」
ニュンは琥珀色に透き通る紅茶の例えようのない風味に驚く。
それも無理はない、2人が飲んでいる物はどこかの貴族にそのまま卸せるぐらいの代物であった。無論、庶民が気楽に楽しむには程遠い品物だ。
そんな物を口にしているとは知らず素直な所を口に出していた。
そして少し間を空けると今度は小さな声で呟いた。
「突然船を見せろとか我侭を言ってしまって、御迷惑だったでしょう。」
「気にせんでええ。でも、こんなんで良かったんか。世間でお前のような頃だと、着飾ったりする方が楽しいんやないんか。」
ケンケーンはいつもの軽い調子で紅茶を啜っている。
「初めて海を見た時、船を見た時、一回で良いからこう事をしてみたかったんです。変ですね、こういうのって。」
カップの暖かさを手で確かめるように持ち、視線を海に向けたまま独白する。
その物憂げな横顔がこの町に来た彼女の心境そのものを表しているようだった。
「それにケンケーンさんが言う通り、同じぐらいの女の子はそういうのが好きなんだと思います。でも私の場合は綺麗な服を持っていても着る機会もないですから。」
あからさまに空元気と分かる軽い声と作り笑いが妙にケンケーンの胸を刺す。
「これから先、知り合いが増えりゃ。そう言うても居られんなるで。色々とお誘いも多くなるからな、一張羅は持ってて損せんで。」
陳腐で薄っぺらい取り繕いだと呆れたが、これが咄嗟にだせた言葉だった。
(ライラやアムスならもっと気の利いたの言えるんやろうがな、学がないってのはこういう時損してまうな)
「そうですよね。まだここに着て日が浅いですし、がんばります。」
ケンケーンの心配とは裏腹にニュンの返事は先ほどと違って生気の戻った声をしていた。
「せやな。こういうのを知ってるか。この町のずっと東、太陽が昇る方向や、そっちにある町の教えなんやがな…。」
その場を取り繕うようにまた話始めた。
機嫌取りの方法が定番化してしまっているようだと展開の苦しさを感じる。
それでもなお唯一の武器であるこの話題を使い続けるしかないと口を動かさずには居られなかった。
無論のことニュンにとっては初めて足を踏み入れる区域だ。
「ここや。」
そういってケンケーンが入っていった店は、看板も表札もそれらしい様相もない一軒の住屋のような建物だった。
中に入ると予想通りの狭さでテーブルが2脚、カウンターに6席しかないがしっかりと喫茶店のような構えになっていた。
「あら、いらっしゃい。お久しぶりね。」
奥から出てきたのは1人の女性だった。
ぱっと見ただけで分かるほどの美人で、艶っぽい声が一層雰囲気を作り上げている。
「まぁ、再々来れるほどの身分じゃないんでね。」
「うふふ、そういう事にしときましょうか。いつものでいいかしら。そう、お嬢さんもかしら。分かったわ待っててね。」
柔らかい口調を残して奥へ戻ってゆく。
お茶を待つ間、ニュンは店内を見渡す。
大通りに面したところに構える店とは違って派手さがないものの、所々に見たこともない装飾品が並んでいる。
ただ、これだけの小ささでかつ看板もなく更に客の入りも測れないこの店で生計が立つのだろうかと不思議に感じた。
「こんな小さな店でやっていけるのか不思議か。」
胸のうちを見透かされたような台詞に思わず姿勢を正す。
「そういう訳じゃ…。」
「ここは色んな意味で避難所でな、儲けよりも店そのものに意味があるんや。」
納得できるような、できないような答えだった。
ただ、詮索しても理解できないだろうと質問するのを止めた。
「お待たせ。」
そこへお茶が運ばれてきた。
上品な香りがテーブル一杯に広がる。
このとき初めてニュンは紅茶という存在を目の当たりにした。
しかし、その感動よりもニュンの目を惹いたのは目の前にいる女性に対してだった。
顔立ちは勿論の事、露出のない服をまとっていても分かる整いすぎた体型。
男10人がその姿をみれば10人ともが感嘆の声をあげるような容姿だった。
おそらく出るところへ出ればセビリア一番の看板になるだろうし、もしかすると宮仕えになってもおかしくないと思わず息を飲む。
なぜこんな人がこんな場所でこんな仕事をしているのか。
聞きたい衝動が喉元まで迫ったが、当人の目の前ではただ圧倒されるばかりで口に出ることはなかった。
「それじゃ私は奥にいるから。何かあったら言って頂戴。」
どこまでも優しい笑みを浮かべたまま引き上げていく。
扉が閉まる音を聞いて、ようやく溜まらず声を出す。
「すごく綺麗な方ですね…。」
何故か姿勢を正したまま、しかも小さい声だった。
「世間ではそういうらしいな。」
まるで無関心と言わんばかりにケンケーンの答えは軽く素っ気無かった。
「ケンケーンさんのお知り合いの方なんですか。」
「まぁ、こうやって足を運ぶ程度や。」
思ったより手ごたえのない返事に興奮するのが間違いなのだろうかと少し肩を落とす。
「冷めたら不味うなるで。」
そう言われて手元にある紅茶へ目をやる。
どこまでも透明度の高い紅茶がふわりと湯気をまとっている。
ニュンはその美しさとは別に注がれている器にも視線が向く。
透き通った白地にかわいらしい小さな草花が描かれている。
知識のないニュンにはこれがどこで作られたものか分からなかったが、ただ今まで経験した店では見たことのない器であり、直感的にとても良いものだと分かった。
緊張した手つきで恐る恐るカップを取る。
一度鼻先でそれを止めると立ち上がる香りを胸へ吸い込む。
芳醇で気品ある香りが全身をめぐるようだった。
そして、一頻り香りを楽しんだ後、ようやく口をつけた。
「美味しい。」
ニュンは琥珀色に透き通る紅茶の例えようのない風味に驚く。
それも無理はない、2人が飲んでいる物はどこかの貴族にそのまま卸せるぐらいの代物であった。無論、庶民が気楽に楽しむには程遠い品物だ。
そんな物を口にしているとは知らず素直な所を口に出していた。
そして少し間を空けると今度は小さな声で呟いた。
「突然船を見せろとか我侭を言ってしまって、御迷惑だったでしょう。」
「気にせんでええ。でも、こんなんで良かったんか。世間でお前のような頃だと、着飾ったりする方が楽しいんやないんか。」
ケンケーンはいつもの軽い調子で紅茶を啜っている。
「初めて海を見た時、船を見た時、一回で良いからこう事をしてみたかったんです。変ですね、こういうのって。」
カップの暖かさを手で確かめるように持ち、視線を海に向けたまま独白する。
その物憂げな横顔がこの町に来た彼女の心境そのものを表しているようだった。
「それにケンケーンさんが言う通り、同じぐらいの女の子はそういうのが好きなんだと思います。でも私の場合は綺麗な服を持っていても着る機会もないですから。」
あからさまに空元気と分かる軽い声と作り笑いが妙にケンケーンの胸を刺す。
「これから先、知り合いが増えりゃ。そう言うても居られんなるで。色々とお誘いも多くなるからな、一張羅は持ってて損せんで。」
陳腐で薄っぺらい取り繕いだと呆れたが、これが咄嗟にだせた言葉だった。
(ライラやアムスならもっと気の利いたの言えるんやろうがな、学がないってのはこういう時損してまうな)
「そうですよね。まだここに着て日が浅いですし、がんばります。」
ケンケーンの心配とは裏腹にニュンの返事は先ほどと違って生気の戻った声をしていた。
「せやな。こういうのを知ってるか。この町のずっと東、太陽が昇る方向や、そっちにある町の教えなんやがな…。」
その場を取り繕うようにまた話始めた。
機嫌取りの方法が定番化してしまっているようだと展開の苦しさを感じる。
それでもなお唯一の武器であるこの話題を使い続けるしかないと口を動かさずには居られなかった。
何度話しても食いつきの良いニュンの姿に押されて口が滑らかになったのか、はっと我に返ったのがそれから1時間ほど経った頃だった。
頃合を計り、きりの良い所で話を締めくくる。
「いぁ、俺ばっかり喋ってたな。さて時間も良い頃合だろうし買出しへ行くか。」
話しすぎて喉が痛いなどどれくらいぶりか、カップに残る冷めた紅茶の一口を飲み干す。
店の奥へ声を掛ける。
少し間をおいて件の店長がやってきた。
「今日はもう帰るのね。いつも来てくれて嬉しいわ。これ可愛いお嬢さんにお土産、今日はお客さん少ないみたいだから余り物になっちゃうけど。」
どこまでも柔らかな口調で紙袋を差し出す。
「すまんな。美味しく頂くわ。」
「御笑納いただいて嬉しいわ。またいらしてね。お嬢さんもね。」
「はい。お茶、とても美味しかったです。ありがとうございました。」
「褒めてもらえて嬉しいわ。御馳走するからまたいらしてね。」
「ありがとうございます。甘えさせてもらいます。」
「ほな、行こうか。」
別れの挨拶もほどほどに2人は店を出る。
時刻は3時付近といった日の傾き具合だった。
広場へ通じる道を2人並んで戻ってゆく。
「さて、今日の仕入れはどこからや。」
「野菜の仕入れからです。」
「東通にあるあの商店か。それなら広場に出た方が早いか。」
そういってまた細い路地へ入っていく。
辺りは2階建てや3階建ての住宅地が続き、路地を渡すように張られたロープに家々の洗濯物が干され、それが通り抜ける風に揺れている。
編み物や刺繍をして過ごす人々が道端に置かれたベンチに座っていたり、鉢植えの手入れをする人たちや、買い物途中で話し込む人々たちが居て、生活感に溢れる光景が連なっている。
どの角も同じ光景に見えるニュンはきょろきょろと辺りを見渡しながら歩いていく。
まるで迷路を歩いているような感覚だったが、暫くするとぱっと視界が開けた。
そこは東通の入り口付近だった。
先ほどの店へ行く道を忘れぬようにと一度後ろを振り返ったが、何を目印にして良いものかさっぱり見当もつかず、大雑把な記憶でしか残りそうもなく小さく肩を落とした。
ニュンがそうしている事に気付かずケンケーンは先へと進んでいる。
少しすると店の看板が見えてきた。
「着いたで、今日は何を買うんや。って、遠いな。」
慌てて小走りで駆け寄る。
服のポケットから買出しのメモを取り出した。
「とりあえず玉ねぎを下さい。それとオレガノ、バジル、にんじん、レンズ豆も。」
愛想の良い店主が言われた品を詰めていく。
「あいよ。いつもありがとうね。今日は格好良い彼氏と一緒なんだね。」
「ち、ちがいます。」
店主の台詞を否定するように両手を横に振る。
幸いケンケーンは店の外で手持ち無沙汰な様子で店主の声は届いていなかったようだった。
「はい、お待ちどう。今日はちょっと重いよ。彼氏さんに持ってもらうかね。」
「ですから違います。」
「おーい、そこの彼氏さん。これ持ってやってくれや。」
店主の声に少し間を空けてケンケーンが振り返る。
店の外から自分を指差し自身が呼ばれたのかと問いかける。
「そうそう、これ重たいからね。持ってやってくれよ。」
自身に言われた事と理解し、ケンケーンが入ってくる。
それを見てニュンが慌てる。
「ちょっと。あ、ケンケーンさん結構です私持てますから。」
「構わんで、どうせまだ仕入れが残ってんやろ。」
店主が差し出すままに野菜の入った箱を受け取る。
ずしりとした重みが両手に圧し掛かる。
正直、ニュンでは何ほども支えられないだろう重さだった。
「若いってのは良いねぇ。」
箱を軽々と持つケンケーンを見て店主が感心したようだった。
一方、ニュンは思わぬ事態にどうしてよいかケンケーンを前にうろたえている。
「御代はいつものように宿へ請求しとくから。またよろしく頼むよ。」
「え、あ、はい。」
予想外の結末に何をすることもできないまま店を出た。
「あの、重たくないですか。」
「構わへん。まだ仕入れる物があるんやろ。楽できる時は楽せんとな。さ、次行こか。」
ケンケーンは笑って答えた。
そして次はどこへ向かえば良いのかニュンを促す。
「有難うございます。次はお肉です。この先のお店なんですが。」
「よし、行こか。」
笑みを浮かべた表情のまま抱えていた箱を肩へ担ぐように持ち替えると、ケンケーンは歩き始めた。ニュンがそれに続いて歩く。
いつの間にか2人横に並んで歩く事に抵抗感がなくなっていた。
そして特等の場所で知らない町の話を聞くことが今のニュンにとっては最高の時間だった。
頃合を計り、きりの良い所で話を締めくくる。
「いぁ、俺ばっかり喋ってたな。さて時間も良い頃合だろうし買出しへ行くか。」
話しすぎて喉が痛いなどどれくらいぶりか、カップに残る冷めた紅茶の一口を飲み干す。
店の奥へ声を掛ける。
少し間をおいて件の店長がやってきた。
「今日はもう帰るのね。いつも来てくれて嬉しいわ。これ可愛いお嬢さんにお土産、今日はお客さん少ないみたいだから余り物になっちゃうけど。」
どこまでも柔らかな口調で紙袋を差し出す。
「すまんな。美味しく頂くわ。」
「御笑納いただいて嬉しいわ。またいらしてね。お嬢さんもね。」
「はい。お茶、とても美味しかったです。ありがとうございました。」
「褒めてもらえて嬉しいわ。御馳走するからまたいらしてね。」
「ありがとうございます。甘えさせてもらいます。」
「ほな、行こうか。」
別れの挨拶もほどほどに2人は店を出る。
時刻は3時付近といった日の傾き具合だった。
広場へ通じる道を2人並んで戻ってゆく。
「さて、今日の仕入れはどこからや。」
「野菜の仕入れからです。」
「東通にあるあの商店か。それなら広場に出た方が早いか。」
そういってまた細い路地へ入っていく。
辺りは2階建てや3階建ての住宅地が続き、路地を渡すように張られたロープに家々の洗濯物が干され、それが通り抜ける風に揺れている。
編み物や刺繍をして過ごす人々が道端に置かれたベンチに座っていたり、鉢植えの手入れをする人たちや、買い物途中で話し込む人々たちが居て、生活感に溢れる光景が連なっている。
どの角も同じ光景に見えるニュンはきょろきょろと辺りを見渡しながら歩いていく。
まるで迷路を歩いているような感覚だったが、暫くするとぱっと視界が開けた。
そこは東通の入り口付近だった。
先ほどの店へ行く道を忘れぬようにと一度後ろを振り返ったが、何を目印にして良いものかさっぱり見当もつかず、大雑把な記憶でしか残りそうもなく小さく肩を落とした。
ニュンがそうしている事に気付かずケンケーンは先へと進んでいる。
少しすると店の看板が見えてきた。
「着いたで、今日は何を買うんや。って、遠いな。」
慌てて小走りで駆け寄る。
服のポケットから買出しのメモを取り出した。
「とりあえず玉ねぎを下さい。それとオレガノ、バジル、にんじん、レンズ豆も。」
愛想の良い店主が言われた品を詰めていく。
「あいよ。いつもありがとうね。今日は格好良い彼氏と一緒なんだね。」
「ち、ちがいます。」
店主の台詞を否定するように両手を横に振る。
幸いケンケーンは店の外で手持ち無沙汰な様子で店主の声は届いていなかったようだった。
「はい、お待ちどう。今日はちょっと重いよ。彼氏さんに持ってもらうかね。」
「ですから違います。」
「おーい、そこの彼氏さん。これ持ってやってくれや。」
店主の声に少し間を空けてケンケーンが振り返る。
店の外から自分を指差し自身が呼ばれたのかと問いかける。
「そうそう、これ重たいからね。持ってやってくれよ。」
自身に言われた事と理解し、ケンケーンが入ってくる。
それを見てニュンが慌てる。
「ちょっと。あ、ケンケーンさん結構です私持てますから。」
「構わんで、どうせまだ仕入れが残ってんやろ。」
店主が差し出すままに野菜の入った箱を受け取る。
ずしりとした重みが両手に圧し掛かる。
正直、ニュンでは何ほども支えられないだろう重さだった。
「若いってのは良いねぇ。」
箱を軽々と持つケンケーンを見て店主が感心したようだった。
一方、ニュンは思わぬ事態にどうしてよいかケンケーンを前にうろたえている。
「御代はいつものように宿へ請求しとくから。またよろしく頼むよ。」
「え、あ、はい。」
予想外の結末に何をすることもできないまま店を出た。
「あの、重たくないですか。」
「構わへん。まだ仕入れる物があるんやろ。楽できる時は楽せんとな。さ、次行こか。」
ケンケーンは笑って答えた。
そして次はどこへ向かえば良いのかニュンを促す。
「有難うございます。次はお肉です。この先のお店なんですが。」
「よし、行こか。」
笑みを浮かべた表情のまま抱えていた箱を肩へ担ぐように持ち替えると、ケンケーンは歩き始めた。ニュンがそれに続いて歩く。
いつの間にか2人横に並んで歩く事に抵抗感がなくなっていた。
そして特等の場所で知らない町の話を聞くことが今のニュンにとっては最高の時間だった。
西の空に朱色が強く滲み始めた頃、宿屋では夕食の仕込みが始まっていた。
夫婦は揃って厨房に立ち手際よく下準備をしている。
そこへ元気の良い声とともにニュンが戻ってきた。
「ただいまー。」
「あら、お帰り。珍しく今日は出かけてたんだね。おや、その服は…。」
カウンターに仕入れた物を置くとニュンは照れくさそうに答えた。
「ケンケーンさんが見立てて買ってくれました。どうですか。」
「そうかい、良く似合ってるじゃないか。若い子はおしゃれもしないとねぇ。」
ケンケーンの見立てという所に意表を突かれたが、いつもの着くたびれた服しか着なかった子が歳相応の格好をしている姿を見ると我が子の事のように喜んだ。
「女将さん。これはどこへ置いたらええんや。」
大荷物を抱えたケンケーンが遅れて戻ってきた。
「そこへ置いとくれ。あんた今日1日一緒だったんだねぇ。ニュンの相手してくれて有難うよ。」
抱えていた物を下ろし、服の埃を払い落としながら返事する。
「今日が休みってのをすっかり忘れててな。一緒に飯食いにいっただけや。」
そして近くの椅子を引き寄せて腰を下ろした。
夫婦は揃って厨房に立ち手際よく下準備をしている。
そこへ元気の良い声とともにニュンが戻ってきた。
「ただいまー。」
「あら、お帰り。珍しく今日は出かけてたんだね。おや、その服は…。」
カウンターに仕入れた物を置くとニュンは照れくさそうに答えた。
「ケンケーンさんが見立てて買ってくれました。どうですか。」
「そうかい、良く似合ってるじゃないか。若い子はおしゃれもしないとねぇ。」
ケンケーンの見立てという所に意表を突かれたが、いつもの着くたびれた服しか着なかった子が歳相応の格好をしている姿を見ると我が子の事のように喜んだ。
「女将さん。これはどこへ置いたらええんや。」
大荷物を抱えたケンケーンが遅れて戻ってきた。
「そこへ置いとくれ。あんた今日1日一緒だったんだねぇ。ニュンの相手してくれて有難うよ。」
抱えていた物を下ろし、服の埃を払い落としながら返事する。
「今日が休みってのをすっかり忘れててな。一緒に飯食いにいっただけや。」
そして近くの椅子を引き寄せて腰を下ろした。
「私、着替えてきて仕込みお手伝いしますね。」
若さの証拠かまだまだ元気さを感じる声を残してニュンは自室へと走ってゆく。
その後姿に女将は目を細める。
「ああやってると本当に年頃の子なんだねぇ。」
宿屋夫婦も一男一女に恵まれていたが、どちらも今はそれぞれの家庭を持って暮らしている。
同じセビリア内に住んでいるとは言ってもたまにしか顔を見せない為、2人にとってニュンは新しい娘のようだった。
「あんた達2人は相性が良いのかね。ニュンがあんなにはしゃいでるのを見たことがないよ。」
「遊んで気が晴れただけやろ。さて、俺は若くないんで部屋で少し休ませて貰うかな。」
大きな欠伸を伴いながら、ぐいっと背伸びをする。
「ったく、だらしがないねぇ。」
そういって女将はカウンターの奥からブランデーボトルとグラスを取り出してくる。
「さすが女将さん。俺の心を読んでるね。」
「もうすぐお客さんが来るからね。部屋で飲んでなさい。それからアンタの船の誰かが何か持ってきてたみたいだよ。」
「どんな奴だった。あぁそう、分かった。やれやれ…」
ケンケーンは立ち上がると酒瓶と共に部屋へと向かった。
それと入れ違いで着替えを済ませエプロン姿になったニュンが戻ってきた。
「お待たせしました。」
「また忙しくなるだろうから。頼んだよ。」
「はい。」
生き生きとした返事だった。
そしてステップを踏むような軽い足取りで厨房へ入っていった。
若さの証拠かまだまだ元気さを感じる声を残してニュンは自室へと走ってゆく。
その後姿に女将は目を細める。
「ああやってると本当に年頃の子なんだねぇ。」
宿屋夫婦も一男一女に恵まれていたが、どちらも今はそれぞれの家庭を持って暮らしている。
同じセビリア内に住んでいるとは言ってもたまにしか顔を見せない為、2人にとってニュンは新しい娘のようだった。
「あんた達2人は相性が良いのかね。ニュンがあんなにはしゃいでるのを見たことがないよ。」
「遊んで気が晴れただけやろ。さて、俺は若くないんで部屋で少し休ませて貰うかな。」
大きな欠伸を伴いながら、ぐいっと背伸びをする。
「ったく、だらしがないねぇ。」
そういって女将はカウンターの奥からブランデーボトルとグラスを取り出してくる。
「さすが女将さん。俺の心を読んでるね。」
「もうすぐお客さんが来るからね。部屋で飲んでなさい。それからアンタの船の誰かが何か持ってきてたみたいだよ。」
「どんな奴だった。あぁそう、分かった。やれやれ…」
ケンケーンは立ち上がると酒瓶と共に部屋へと向かった。
それと入れ違いで着替えを済ませエプロン姿になったニュンが戻ってきた。
「お待たせしました。」
「また忙しくなるだろうから。頼んだよ。」
「はい。」
生き生きとした返事だった。
そしてステップを踏むような軽い足取りで厨房へ入っていった。
その日の夜半過ぎ、仮眠から起きたケンケーンはテーブルに向かっていた。
傍らに置いてあるブランデーを少しずつ飲りながら、明後日の出航に関する書類作成に掛かっていた。
町の大きさに比例するように書類の数は増え、特にセビリアのような都市ともなると署名だけする書類の数でも他の領地とは比べ物にならないほどだった。
いくら副官が優秀とはいえ、こればかりは代筆するわけにもいかず1枚1枚署名してゆく。
今回のように大きな町になればなるほど書類が手元へ届くのが遅く、出航までに再び役所へ届けなければ予定の日に出航できなくなるため、嫌な作業ではあるものの食事する時間を惜しんで取り掛かっていた。
ところが、ある書類の途中でケンケーンの手が止まった。
そしてベッドの下に置いてある鞄を取り出すと何かを探し始めた。
「あ、しもた。」
持ってきていたと思っていた資料がない。
駄目とは知りつつも鞄の中身を全てベッドの上へ並べてもみたが船へ置き忘れてしまったようだった。
「しゃーないな。あれがないと続きできへんし…。」
順調に仕上げていて腰を折られる形になり、一度天井を仰ぐ。
痒くもない頭を無造作に掻き毟る。
「呆けてもしゃあないな。」
重い腰を漸くあげる。
部屋を出ると空腹を刺激する匂いが辺りに漂っている。
酒だけを放り込んだだけの身には厳しい仕打ちだとぼやきつつ部屋に錠を下ろす。
傍らに置いてあるブランデーを少しずつ飲りながら、明後日の出航に関する書類作成に掛かっていた。
町の大きさに比例するように書類の数は増え、特にセビリアのような都市ともなると署名だけする書類の数でも他の領地とは比べ物にならないほどだった。
いくら副官が優秀とはいえ、こればかりは代筆するわけにもいかず1枚1枚署名してゆく。
今回のように大きな町になればなるほど書類が手元へ届くのが遅く、出航までに再び役所へ届けなければ予定の日に出航できなくなるため、嫌な作業ではあるものの食事する時間を惜しんで取り掛かっていた。
ところが、ある書類の途中でケンケーンの手が止まった。
そしてベッドの下に置いてある鞄を取り出すと何かを探し始めた。
「あ、しもた。」
持ってきていたと思っていた資料がない。
駄目とは知りつつも鞄の中身を全てベッドの上へ並べてもみたが船へ置き忘れてしまったようだった。
「しゃーないな。あれがないと続きできへんし…。」
順調に仕上げていて腰を折られる形になり、一度天井を仰ぐ。
痒くもない頭を無造作に掻き毟る。
「呆けてもしゃあないな。」
重い腰を漸くあげる。
部屋を出ると空腹を刺激する匂いが辺りに漂っている。
酒だけを放り込んだだけの身には厳しい仕打ちだとぼやきつつ部屋に錠を下ろす。
(続く)