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金の獅子の背に乗って
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金の獅子の背に乗って

運命の賽

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運命の賽


東地中海を久々の嵐が訪れた、内陸に面するこの地方は雨が少なく代わりに砂漠の国と言われるほどの灼熱した大地が多く。嵐とはいえ貴重な天からの恵みにここら一帯で生活する人々は彼らの神に感謝の祈りを捧げているだろう。しかし今は海の上、普段では考えられないような波に船体は情けない悲鳴を上げ、いつもは自慢のフィーッシャーマンの紋章を青空に向かい誇らしげに見せ付ける帆も役目なくきれいにまとめられている。この波と風ではさすがに航行することは自殺行為で、アンカーを打って東地中海のど真ん中での長期な停泊を余儀なくされていた。この船の提督は自室で航海日誌をつけながら思うように航行できない苛立ちを体の仕草から感じさせている、アテネを出向してから7日が経過しようとしていたが未だに予定した半分の距離しか到達していない、それもこれもこの長い嵐のせいである。航海日誌を記し終った私は、ただこの嵐が通り過ぎるのを待つだけの時間に少し飽きていたが、これだけの長期間の嵐を迎えている事はそれなりに疲労を体の中に蓄積していたのか椅子に深々と腰を据えたまま重い瞼を感じていた。
 過去の誰かが言ったのかは定かではないが、船は我々を死へと誘う揺り籠だと揶揄した人物が居たそうだが、この船の提督はこの言葉を聞くとは無しに耳に挟んでからというものこの言葉が好きでたまらなかった。名言とまではいかないものの、この海を生活の場と変えてからその言葉の真意(発言した本人の意図する所かは不明だが)が少しずつ自分なりの解釈を得られるようになってきていた。無論、自分が真意と感じているものが正しいという証明は何れにもなかったが逆にそれが誤りであるという確証が得られないのなら、それが正しいとして信じているほうが楽だと自らに言い聞かせて今までこの稼業を続けてこられたのだと信じていた。
大きな波が船体を激しく上下に揺さぶった衝撃で目を覚ました私は、未だ治まらぬ豪雨と強風の景色を見る為に窓へと近づく。分厚く黒い雲は空全体を覆い、普段なら自らの主張をこれぞと言わんばかりに見せ付ける灼熱の日差しを一筋も漏らしてはならぬような雰囲気で私たちが停泊する海域を荒らし、まるでここは北海ではないだろうかとさえ誤謬するほどだった。左手を飾る銀細工の腕輪の位置を直しながら再び椅子へと深く身を沈めた私は考えるとは無しに虚ろな目つきでゆれる船体の天井を眺めていた。この銀細工の腕輪、一見して北海のありふれた工芸品にも見えるのだが、2つのリングで一組の細かい細工仕事がなされており全体的に百合の花の彫刻と中央に琥珀が埋め込まれている。船員達の記憶では(さほど提督を注意深く観察する暇もないのだが)古参の船員でも当初より左手を飾っていたと言うことだった。さらに興味深いのはこの腕輪の片方の内側には「数多の幸運を貴女に・・・」と彫られている、また残る片方の内側には「真理の探究こそが真理に到達する。A・K」とある。普段から誰も気に留めることはないこの腕輪、いつも彼女の左手を飾っている事は当たり前すぎるぐらい普遍化した事実なのだが誰もそれを誰から貰ったのか何処で求めたのかと深く詮索する者は誰も居ない。しかし、時折固く締め切った船室で彼女はその腕輪に刻まれた文字を見ながら懐かしさと寂しさを浮かべた顔をして物思いに耽る時間があることは他の誰も知らないことであった。
 カイロの日差しは変わりなく私達の肌を褐色へと導くに十分な熱量をもたらしている、
予想以上の地中海での停泊を余儀なくされて、日程が大幅に狂っている焦りからここ数日間は情報の聞き込みに船員達は追われていた。そもそもこの砂漠の民が支配する街は古くからの生物に関しては神格的な位置づけをしている長い歴史があるものの、その生物に関する資料といえば深く研究する人物が少ない為か神格化された対象について研究心よりも崇拝する心が強い為なのか数えるほどしかない事も焦りを生む原因でもあった。
 依頼主はその生物についての生態調査を希望していたが、その生物自体を探し出し研究する為には事前の調査、知識をある程度備えていなければ、近寄っても安全なのか、危険なのか、毒を有しているのか、群れているのか、数は多いのか、固体は大きいのか小さいのか、活動時間は、気が荒いのか、過去の被害、類似する生物の有無等、欲しいと思う情報は限がなかった、それにしてもこの資料の少なさはその生物を想像するに影すら思いつかないような粗末なものばかりであった。埒の空かない芯となる情報が得られないまま過ぎ去る1日1日が非常にもどかしく、嵐に遭った事と言いこの依頼にはケチが付いて回るようなそんな気がしてならなかった。街中で聞き込みを続けていた船員達の報告ではその生物に関する資料がアレクサンドリアにあるかもしれないという情報を元に、休養もそこそこに普段では考えられないような短い滞在時間での移動を決断させられたのは、苦渋というか切羽詰った上での情けない決断でもあった。

アレクサンドリアに到着後も私達は情報を得る為に各方面へと奔走させられる、私も書庫へと連日の泊まりこみでの資料探しに没頭させられていた。急ぐ旅という事が大雑把にしか整えられていない身だしなみのそこらかしこから滲みでている「信仰が違えども現地の人と会う機会を有するならば、たとえ彼らから奇異の目で見られようとも私達が正装とする姿で居ること」という船の規則を最低限守っているぐらいの格好での資料探しであった。
普段からしている耳飾は草色に染め上げられているチャドリと共に書庫の机に投げ出されている、その傍らには今まで何杯のチャイが注がれ無くなっただろうカップが新しいチャイを注がれてその役目を待っている。しかし、その機会すら古びた本を端からめくり続ける彼女の眼中には映らず、いたずらに時間だけが過ぎ去って行く事の方が多かった。
アレクサンドリアの書庫に篭り続けて4日目の事、顔元には連日の作業にて少し窶れが見え、生来の銀髪はだらしなく髪留めでかろうじて邪魔にならないように結われている。書庫に納められている生物学に関する書籍はカイロのそれとは比べ物にならないほどに膨大量であったが、その量に対して整理の仕方が大雑把なのが難問で更には神学と生物学が融合するような曖昧な書籍も含まれている事に作業が少しとして効率が上がらない苛立ちが私を船へと帰す気力を奪い取っていた。アレクサンドリアはもとより近隣の町村にも情報を求める足を広げている船員達には有力な情報が整い次第にここへ来るようにと伝えてあるものの書庫に篭って4日が経とうとしている今日まで来訪が無いという事は私と同じに情報の少なさに悪戦を強いられているのだろう、変装しているとはいえ余所者と分かるその格好であっては情報を出し渋られるという妨害も少なからずあることは十分に予測されていたし実際にそれによって皆が苦しんでいることは想像するに易かった。連日の作業(片っ端から書籍を読み漁る事)の疲労からか、その書庫から外に出るたびに日差しの色は黄色く変色し少しづつ視野は黒く曇ってくる。随所で軽食休憩と仮眠を挟んでいるもののほぼ連続した書庫篭りは確実に体力の消耗を強いていた、それでもこの作業の先にある発見を思えばこそ辛いこの作業を耐えられるのだ。失敗、未発見、誤発見は許されない、書籍を当たり続けたこの数日間で類似する生物の存在も多くある事が判明している限りは確実な特徴を示す何かが欲しいと思っていたが未だコレという確証が無いまま他の生物について書かれている文字の羅列をなぞる無駄な時間が過ぎていくだけだった。
丁度7日目を迎えようとした深夜に荒い足音が書庫の前で止まる、待望のそれを持ってきた見慣れた顔が書庫という場所を限りなく最小限に守ったような素振りで入ってきた。
広範囲に渡る情報収集の疲労感と欲していた情報がある程度集まった安堵感を顔に出しながら机に伏せるような体勢で仮眠を取っている私のもとへ近寄ってくる。肩を軽く揺らされる感覚で目を覚ます、彼等の足音や私を起こそうか否かを相談する小声や気配にも気付かずに僅かな休息時間を得ていた私は思い体と瞼を思い通りに動かすまでに少々の時間を要するほどに誰の目にも疲弊して映るような状態だった、これほどまでに疲労困憊になる調査物も珍しい。無駄な情報の山(今現在の事であるが)と欲しい情報の混在する書庫にこの土地に住む人たちの生物に関する考え方をイヤというほど思い知らされた続けている。この惨状を考えれば、如何なる分野にも興味を示し纏め、かつ正確に管理し続けている欧州諸国の書庫状況がありがたく思えるのは不思議な感覚だった。(所によれば似たような惨状の書庫も有るのだが、それよりも今居る書庫の管理状況は苦戦を強いられるものだった)
 ナイルと呼ばれる大きな川を私たちが乗る船が遡る。遥かな昔百年いや千年という悠久の時を脈々と流れ続けるこの偉大なる自然は、多くの人の歴史を見守り続けても尚その役目を止める事を思わせることなく大海に続いている。今は海賊の動きも沈静化しているという情報を信じての航海だった、書庫での作業に目処を立てて船に戻れたのは10日間の篭城生活を強いられた後で、実際は船員達が奔走しつつ集めた情報が何よりも大きい成果であり書庫からは現場の情報より有力なものを得られるにはいたらなかったのは歯がゆく無理矢理に作る苦笑いを出す事が精一杯だった。

 ここ数週間カイロにて旅の疲れを癒すと言うより、下準備に労した体力の回復が主にも思える時間を得ていた時、立ち寄った酒場で思いがけない収穫があった。数多の航海者が雑踏する中で不意に見知らぬ航海者に呼び止められ、預かり物だと言いながら2通の手紙を差し出した。
1通目はライラからの手紙…そして、残りの1通は再び彼からの手紙であった、確かに私宛の手紙を受け取り謝礼代わりの金貨を差し出すと、相場以上の配達賃をもらってるからと固辞したが、なら一杯一緒にでもとこの手紙を届ける経緯について聞きながら2人の状況を想像するに十分な話をかれこれと2時間ばかり聞きつけての帰途となったのである。
ライラからの手紙はアテネでの近況報告が主とした内容で、あの一夜以来東地中海を掛けて冒険をしながら再びアテネに戻ったらしい。しばらくの逗留予定らしいのでこちらに来る機会があれば一緒しようという事だった。ライラは今の商会へ私が入会する折に尽力してくれた恩人である、いつぞやの戦場で知り合って以来の交流が始まりずっと事ある時には共に行動してくれている。私にとっては航海の先達でもあり豊富な知識と機略の速さは他の諸提督に負けないと私は信じているが、ライラ自身はそれよりも美術を愛し各地で発達する美術文化を探す旅を好んでいるのが私としては残念でもあったが、それも含めて彼女の事が好きだった。日ごろからそんな彼女の事を敬意と愛称を含めて姫と呼ぶ癖がついてしまったが、彼女的にはそれも良いんじゃないかなと許容してくれていた。今、私も難解な依頼を達成した後の休養中であり予定の逗留期間がくればアテネに向けて足を伸ばすのも悪くないかなと手元のグラスに注がれている少しきつい酒を口に運びながら何をする事も急ぐ事もない時間を楽しむように彼からの手紙の封を切った。挨拶の文言も少なめに短い文章で「貴女の2ヵ月後の予定にセビリアの街を予約する。」と締めくくられている。予約するとは言うものの私にセビリアへ来いという事か…とグラスを空けながら自然と笑みを感じずには居られない内容にアテネを出立してまだ1ヶ月というのに既に先の予約とは…いつこの手紙を預けたのかと頬杖をつきながら空になったボトルを眺めながらその日は些細な安堵感と先の予定をおぼろげに想像しながらそのまま革張りの椅子の中で眠りについていた。
アテネの街は変わらずに人で溢れかえっている、商店の掛け声や行き交う人の話し声、道端で何かわからないパフォーマンスを披露する大道芸人とその観衆のどよめきと感嘆の声、全てがこの街を構成する重要なパーツのひとつとして欠けることなく昼夜を問わずに繰り広げられている。お気に入りの深紅に染め上げたジュストコールを手に露天に並ぶ耳飾りや首飾りを見ながら、まだ慣れないギリシャ語を駆使しながらアテネを楽しんでいる時の事、彼女と会う約束の時間まではまだ間があるからと思いギルドへ報告に行く道程をわざと表通りへと変更して休暇の余韻を楽しむ気持ちでいつも購入するかどうか悩む耳飾りを手に取っていた。背後から肩を叩かれ、真剣に悩んでいた私は意表を突かれたように驚いてその手の主を振り返る、整った面立ちにアッシュグレーともダークシルバーとも言える髪を後で結い上げた彼女が立っていた。さすがにこの日差しの中で少し日焼けして見える肌にアレクサンドライトをあしらったピアスがアテネの光で虹色にさりげなく光っている。一見してその価値を分かる人は少ないだろうが、運良く過去に何度か見た記憶があった私には何気に飾りこなしている彼女が一瞬羨ましく、たとえ自分が飾ったとしても似合わないんだろうなと諦めとも思える気持ちを抱きつつ手にとっていた水晶の耳飾りの代金を店のマスターに渡しながら人を驚かすのは良くないよとふざけた口調で挨拶した。
 ギルドへの報告も手短に済ませた後、目的なく街中を散策しつつ1ヶ月前に会ったばかりというのに尽きるとも知らない話をしていた。ギリシャ語にあふれかえる中で女性二人が英語で会話している姿はたまに奇異とも写る目で見られながらも、夕刻になって表通りに面した酒場でようやく腰を据えての本格的な会話が始まった。酒場で二人の会話の出だしはそろって「彼から手紙が来たのだけど…」で始まった、思いかけず同時の発言で噴出しそうになる両者だったが、そこから始まった彼の様々な方面での武勇談と噂話はすっかりとアテネの夜を楽しいものとした。酒場で女性二人だけが居る姿というのは周囲の男性からしてみれば格好の相手のように思えるらしく、時折、下心が見え隠れする若者が寄ってくる。ただ、姫も私もここから遠く離れた北の海の出身という事もあり、酒造文化の違いは埋めることもなく私たちが飲むお酒と同じ物を注ぐと喉を押さえながら引きつった笑顔で席を立つ人がほとんどであった。

神獣を象った像を船首に掲げた船が西へ航路を取りながら幾多の波を押し切りながら進んでゆく、いつもならナポリ方面からジェノヴァ・マルセイユと経由しながら行く街々で僅かな交易と諸提督の集う酒場での情報収集を行う航路を取っていたのだが、彼からの手紙にあった2ヶ月先という期日を守るには東地中海からまっすぐに西進する航路と取らざるを得なかった、しかし期日を守るだけで言えばリグリア海を回る航路でも良かったのだが寄航と出航の間隔が所々で短くなる事を嫌う性分からか航路的には気に入らなくてもその方法を選ぶのは自分としては最良の決定とおもっていた。
ティレニア海は東地中海と西地中海を結ぶ海として距離的にリグリア海とは大きく異なり西国の諸提督も多く行き来する海なのだが、すぐ南にはオスマン領の区域があることから敵対する西国の諸船に対しての海賊行為の報告が多く聞かれる海域である。ここを数度か行き来したことのあるこの船も幾度となく襲撃に遭い、少なからず被害を蒙りそれは物的被害から人的被害まであまり歓迎しない航路である。それでも、今回のように急ぐ旅の場合はこの海域を使う事を余儀なくされ、その度に提督や船員は無用の緊張感からか静かな航海になることが常であった。同行しているライラの船と信号を交わしながら比較的平穏なその海を西へ西へと押し進む、今のところオスマン絡みの船は1隻としてその陰すら見えない状況で難なく予定通りにカリアリの街まで2日という予定通りな日程に船室の椅子で束の間の休息を得ながら、ライラとの旅はいつも何事も上手く運べる事を思うと彼女には何かしら見えない加護が与えられているのではないだろうかと事ある度に感心させられていた。カリアリの街での休息もほどほどに、何事もなく予定より早い日程で到着した余裕を残しつつ二人は出航する。これから先はセビリアまで無寄航で向かう、いつもより多くの物資を積み込み船員たちにも長い航路になる事を告げ二人の船は再び西へと出航したのであった。

漆黒に塗り固められた海と半分に満ちた月明かりの真中に、できる限り集められたランプ明かりの下で明るい声を発する船が2隻。オスマン領の船が多く出現する海域を抜けた所で2隻の船が互いに寄り合い鎖で結び合い穏やかな小波を受けて同調しながら揺れている。久しぶりにライラ提督と同行する旅なのだから、どこかで盛大にやりませんか?と若い船員から言われたのはカリアリを出て間もなくの海の様子を甲板から伺っていた昼下がりのことだった。ここ最近の妙に忙しそうな日程を消化した彼らにとっては酒宴からも遠ざからざるを得なかった日常のなかで、ライラとの同行する旅は絶好の口実が見つかったと口火を切ったのだろう。以前に比べて斡旋される仕事の要求してくる難度は徐々に増し、引き換えるように忙殺される日が比例するようになってきている。彼らにも相応の負担がかかってきているも、この調査が終わればゆっくりできると言いながらでも調査報告と引き換えに調査依頼を持って帰るような日々では酒を飲み明日へつなげるような余裕さえ消し去られてしまっている。そんな彼らの負担にいつかは報いなければと思いつつもその機会を逸し続けてきたのだが、まさか彼らに絶好の口実を見つけられるとは思いもよらなかった。つまりはこの忙しいと思っていた日々の中で最も追い詰められていたのは私自身だったのだ、彼らのその提案でふと何かから我に返った私は笑いながらこう口に出していた。
「私こそこの機会を最も得なければならない者だった、量を漁ることが質を得る日々と思い込んでいたのは何よりも私自身ではないか、深慮していたつもりで実は浅薄な湖の上を悪戯に周遊していただけか・・・雨露を待ちわびることより大河を求めて歩き出すほうが余程楽だとはいつもの口癖じゃないか。」
機嫌を伺うように申し出てきた若い船員はそんな私の言葉を聞きながら何のことやら分からぬ様子でじっと立っている。自らの可笑しさに笑いが止まらないこの船の提督はその少し力の入らない手で身を飾る深紅に染め抜かれたジュストコールの一番上の釦を外しながら、若い船員に振り向きつつ
「ライラ提督の船に2日後の夜に打ち合わせをしたいと信号を!」

船上は慌しい雰囲気で包まれている、私が駆け出しの頃(無論、現状もさほど変わってはないのだが)ライラと共に旅をする事が多かった。その頃はよく今と同じように船をつなぎ合っての酒宴を繰り広げたものだ、そんな事で互いの船員同士も馴染みが多くそれなりに新顔がちらほらと見えるものの酒宴となれば新参、古参の分け隔てない風潮はライラの船も同じである。打ち合わせと称して船に酒や料理を運びこむのを見て、向こうの船員は少々戸惑いを見せたようだが、ライラとしてはやれやれという顔を見せてこちらの真意を汲み取ってくれた。「久方の再会と海神の加護に乾杯!」と調子良い船員の掛け声と共に酒宴は始まった、夥しい量の酒と料理が並ぶ中で最初は船ごとに分かれ並んでいた船員たちもそれぞれの冒険談や自慢話を披露しつつ互いのグラスを干してゆく。それと何ほども変わらないようにライラと私も酒量と共に饒舌さが増し船上は賑やかさを加速していった。
誰が持ち出したか何処からともなくリュートの音が聞こえてくる、それに合わせるように船員たちが歌い始める。

 おお 船は銀波を押し分けて進んでく 遥かに見える小島を越えてまだ先へ
 おお 船は嵐を耐えて進みつづける いつか夢に見た大地を目指し
 我らの船は疲れを知らぬ 幾日 幾月 幾年と我らを乗せて
 未開の大地の夢多き 果て無き過去の謎を解き 見えぬ未来の糧として
 あぁ我らは行く 我らは行く 求めるものは空より高く
 あぁ我らは行く 我らは行く この身が朽ちるその日まで
 あの世界の果てを超えてでも 辿り着いて見せる理想郷

無骨な歌声が陽気さを感じさせながら船中に響き渡る、そんな声に共鳴するように船はぎしぎしと軋み声を上げている。船員たちの大騒ぎを余所目に席をライラの船室と移し、甲板より少し明るいランプの光に少し目が眩むような感覚を感じ明るさに慣れるには少し時間がかかってしまった。ライラは船中料理長に酒と少量の料理を持ってくるように伝えると自らの椅子に腰掛け、運ばれてきた酒を2つのグラスに注ぎ「互いの健康と無事に乾杯しよう」と差し出すのだった。
ライラ、生来の銀髪にどこか幼さを残すような面立ちをしているこの提督は私が今日まで最も親しく接してきてくれた方だ。必要以上の言葉を語らず毅然とした態度を常に私に見せている、出自や詳しいことは殆ど聞いた事はないが数度か偶然に海賊討伐に出ている彼女の奮闘振りを拝見したが感心させられるほどのものだった。しかし、日ごろはこの船室にも絵画が飾られているように芸術を愛し各地を巡っている、またその人脈が広域に渡り名のある軍人から商人まで多岐に及んでいて私が現在所属している商会もかなり名の通った所であったが先達であるライラが口添えをしてくださり、幸運にもその商会に入ることができたという経緯も彼女には勝てないなと思う材料でもあった。
 ボッティチェリ門の作品が飾られている船室で両提督はグラスを空けてゆく、時折大きな波で船体が揺れるに現れるボトルの動きが内容物の減り具合を示すように大幅な揺れに変わってきた。二人はアテネで会ってあれほどの話をしたと言うのにまだ尽きぬ世間話や冒険談を楽しんでいる、しかし多くの酒量が二人の口へ消えていったというのにはまだ時間はそれほど経ってはおらず、甲板でもまだ大騒ぎが続いている。そう言えばね。とライラが軽く振り向きながら切り出した、アテネで会った時から変わって彼女の耳を飾っているルビーがきらりと透明な光をたたえて一瞬光る。ランプの明かりと酒で少し赤らんだ顔に大きめの澄んだ瞳がまっすぐに向けられ、今回の彼からの手紙は少し変じゃない?と言い出した。机に対し半身に構えてグラスに残った酒をくるくると遊ばせていた私は「言われてみると…」と手紙を受け取った事を思い出していた、ライラはアテネでの酒席以降東地中海で依頼をこなしていたから分かるとしても、同時に届いた彼からの手紙は何処から送られたものなのだろうか?聞けばアテネに戻り情報収集をしていたおりに彼からの手紙を渡すためライラを探す冒険家が居たというのだ、無論その冒険家は最終的に彼とライラの手紙を持って私の元に届けに来たあの冒険家だったが。彼が西地中海へ出立した事を考えるとティレニア海に入る前から手紙を送った事になる、いつもはそんな短い期間に手紙を送らないのだがと二人で確認しあっていた。あの席上で何か伝え忘れた事でもあったのじゃないかな?と仮の解釈を述べる私に対し、ライラはそれならば何故セビリアなのか?と新たなる疑問を投げかけてきた。しばらくはその疑問に関して二人の勝手な意見を出し合っては酒を飲んでいたが、さすがに酒量が増えるとまともな思考も少なくなってきているのは「まさか自分の女を自慢するために呼んだ?」とか「その女への贈り物を選ぶのに呼んだ?」とか「贈り物じゃなけど、少しまえアテネで可愛い翡翠の首飾りを見つけた…」と主題から離れた方向へと会話が続いていく様から十分に見て取れた。気が付けば鬱憤を海に投げ捨てようと大騒ぎしていた甲板の戦場はいつしかその声も静かになり酒量を超えて寝床に辿り着けずに力尽きた船員がちらほらと違う音を立てて横になっている。船室の様子も話すことからこの時間をゆっくりと楽しむように言葉も少なくなり、揺れるランプの光とルビーの光、銀細工の反射がテーブルを支配するようになっていた。二人はそれぞれに上着を脱ぎライラは純白の、私はアイボリーに染め抜いたブラウス姿で瓶に残っている酒を少しずつ減らしていった。しばらくすると夜風に当たらないかと私を誘っては手に酒と料理を持ち見張りや調理に忙しく宴会に参加できなかった船員に対して今日ぐらいは仕事に差し支えない程度ならと差し入れする気配りをみせている、少し冷たい穏やかな風が吹く甲板は心地よく酒で火照った体を十分に実感できた。船はまるで繰り広げられた酔気に当てられたような優しい揺れで水面に写る陰は西から東へと向きを変えていった。

セビリアまであと2日としたジブラルタル海峡の東よりに停泊していた2隻の早朝は激しい船体の揺れと轟音と警鐘で叩き起こされた。
-まさか!-
船室を飛び出した私は大きな声で「非常迎撃準備!急ぎ船体を相手と並行に!」と叫びながら甲板へと向かう。

濃い朝霧がジブラルタル海峡を、包み朱い朝日を浴びてスクリーンのように砲撃の主を映し出している。その船は逆光の位置で船体を黒く見せ付け絶好の機会をうかがうようにゆっくりと旋回している一発目の砲撃の余韻が船の揺れで残っている甲板で片膝をつくような低い姿勢でその影を凝視しながら「参ったな、向うの船はガレー系か。絶対的に不利な状況じゃないか・・・」と一人呟く。ライラの船も同じく慌しい様相ではあるものの私達より戦慣れしている分だけまだ体勢を整えるのが速そうだ。軽いパニックになっているこの船の乗組員達を横目で少し確認した後、じっと黒い影を見つめながら指示を出す。「帆を張れ!相手と同じ廻りで旋回!ライラとの船を確認しながら挟撃する!案ずるなっ、数的有利は我々だ!」黒い影はようやく動き始めた我々を確認すると我々の意図を悟るかのようにするすると素早く挟撃を避ける位置を確保する。「参ったな、かなりの手練のようだ・・・こっちの手を読まれている」その機敏な動きにこちらの勝機の少なさを感じている時、黒い影から2回目の轟音が発せられる、まずい!
しかし、黒い影から発せられた砲弾はライラと私の船に何の被害を与えることなく海に着弾する。着弾の波が船体を大きく揺らす、船員達は必至に何かにしがみ付きその衝撃に耐えている、皆顔面は青白く正にすぐ近くに迫っている生死の境目を感じているようだ。ただ船の提督はどこか違和感を感じている、統率され幾多の戦場を駆け抜けて得た機敏な動きの割には我々に被弾がない・・・どういう事だ。黒い影は我々の動きを笑うかのように常に有利な位置を確保している、手詰まりの感を得てライラと共にゆっくりと旋回しながら機を窺う。無論、相手を沈めることができるなら最上だが、現状では離脱するタイミングを図ることが思考の大半を占めているといっても過言ではなかった。黒い影は我々が持つ砲門の有効距離の外から3発目、4発目を被弾させずに打ってくる。続けて海への着弾にライラも疑いを持っているものの私という荷物を抱えてはさすがに動きづらそうだ。そうこうしているうちに黒い影を浮き上がらせていた朝日はその姿を全て現し、少しずつ黒い影の正体が見えてきた。日の元に現れたその影の正体は複合船のラ・レアル、勇壮な船体が目に映る。「これは・・・」と無意識に息を飲む、勝機も離脱のタイミングも図るだけ愚考な程の決定的な戦力差、手で髪を掻き揚げながら最悪の事態もあるなと厳しい眼差しで漆黒に塗り固められているその複合船を凝視していた。緊張する2隻をよそにラ・レアルは狙いを変えるようにゆっくりと旋回する、これ以上の有利を与えてはならぬと2隻もそれぞれの思惑で移動を開始したそのとき私の目にさらに敗北を覚悟させられるものが写り込む、黒鯱の紋章か・・・思わず口に出してしまうほどの決定打だった。黒鯱の紋章、イスパニアにおいて国家に多くの貢献をした者に下賜される名誉の紋章。特に海事においての貢献に対し賜る事が多くイスパニアで名将と名高い軍人の多くはこれをもって名将と称されることが世間一般的な評価だった。いまその黒鯱が目の前に砲門を我々に向けている、絶対的に絶望を味合わなければならないこの状況に居ることが恨めしくて耐えきれなく思えた。甲板では黒鯱の紋章を掲げた船だということが皆の口々から発せられる。どよめきと絶望感が船内を暗く支配し始める、天を仰ぐ者、俯いたままの者、漆黒の船を睨み続ける者、誰として無傷で戻れる事を諦めたようであった。このままでは駄目だ、どうにかしなければ・・・自身も動揺と衝撃で逃げ出したくなるような状況で必死に最善策を模索しては僅かな糸口を心でシュミレートしては芳しくない結果に苦い汗を額に浮かべていた。「少しの間だけでも相手の動きを止めることができれば・・・」海に着弾する波を何度も受ける中で考えをまとめようとする、あの卒のない操船力の前では小細工は一切通用しないだろう。かと言って正面から撃ち合えばそれこそ何も出来ずに沈むのが関の山だ、どのようにすれば・・・。ライラの船もそんな悩みを持っているかのように揺さぶりをかけようと細かな操舵が続いているようだ。「動きさえ止められれば」何度も心で繰り返す。
最初の砲撃からさほど時間が経っていないにも係わらず、船内の緊張は頂点に達している。何も出来ない時間が、食われるのを待つだけの時間がこれほどまでに死の恐怖感を味あわせるのかと痛感していた。もぅ乗組員達も限界だろう・・・ラ・レアルの動きに合わせて出される細かな指示はとうに私の喉を軽く壊すほどの回数に達している。そんな緊張の中で見渡せばそんな生死の関わりなど何のつきあいもないように高く青い空と穏やかな大海原がいつもと変わらずに備えている。人の生死とはかくある中でなんの欠片にもなりえないのかと妙に楽しく、自然と口元には笑みを湛えざるをえなかった。まぁ少し心残りはあるが存分に楽しめたことも多い、あの頃と比べるとなんと自由な毎日で有った事か。それも良し。と、ぼそり呟いた後、凛として顔を上げて叫んだ。「各員、白兵用意!」自らも帯刀すべく船室に足を向けながらさらに叫ぶ「これから隙をみて白兵を仕掛ける。我々が相手の動きを止めることができればライラの腕なら十分に勝機はある!目標は相手の足を止めてすぐ離脱だ。しかし、相手はあれほどの手練れだ。そう易々とはいかないだろう、不測の事態を含め各員兵装せよ!」船室の片隅に立てかけられている剣を帯刀し、再び大きな歩調で甲板に戻るその間に鯉口を外し、これから先数分後に起こるであろう事態にそなえて心の動揺を治めようと必死に大声を張りながら短い通路を抜けてゆく。兵装を整えて戻っても状況はやはり向うが上、ライラの船も小細工が通用しない相手に少し手詰まり気味だが、こちらの動きを察している。そして、十分に間合いを取ったあと左へ大きく急旋回し始める、それと同じくして私の船も挟撃するように見せる為、危険を承知で反転を開始する。そんな2人の動きをじっと見据えているラ・レアルは何処に旋回するわけもなく、思いもよらずに2隻の真中に向けて一気に進み始めた、大きく旋回する2隻の帆船に比べ複合船の足は思った以上に速く、大きく旋回するライラは砲撃する瞬間を逸していた。その瞬間、ラ・レアルは近くの標的つまりは私の船に進路を向ける。ライラが転進する時間を稼げれば、まだ勝機はある・・・、「急転進!突っ込むぞ!」荒々しく波しぶきを上げながらラ・レアルに向けて勢いをつけながら突き進む、これが最初で最後の勝負だ。ラ・レアルまでの距離を2隻分とした所で「行くぞ、振り落とされるな!衝撃に耐えるように!」と切れんばかりの大声で叫ぶ、が、しかし2隻分の距離を突き進んでも船に衝撃は伝わらなかった。ラ・レアルは我々の突進をいとも容易く寸前で逸らし気付けば真横になんの傷もなく並んだ状況だった。真っ先に乗り込もうと低い姿勢で船の行く先を睨んでいた私にとってそれは完全なる敗北と最期の到来の瞬間だった、今、目の前で繰り広げられた一瞬の出来事は冥土の土産には十分すぎるなと剣にかけた手から力が抜けてだらりと垂れ下がった。
しかし、ラ・レアルから次の攻撃は来ない、変わって飛んできたのは意表をつくものだった。
「甘い、甘い、そんなことじゃ良い冒険はできんぞ。」
ラ・レアルの舳先にどっかりと胡坐に肩肘を突いて座り込む男は笑いながらそう言った。その妙に屈託の無い笑顔を見た瞬間は何が起こったのか分からず、魂が抜けたように呆然とした表情で笑顔の主を見つめていた。
「甘いね~、そんなバレバレの作戦じゃ~大怪我するだけやで」
再び笑顔の主が言葉を発する、ゆっくりとラ・レアルが船に近づき笑顔の主が私の船へと移ってくる。
「鍛え方が足りんな~。どや、今度一緒に海事せんか?」
軽い足取りで歩を進むその男の出現は船に乗る全ての人間を動けなくしたと同時に全身から無用な緊張を取り除く。その男の名はF・トーレスだった。2隻の妙な雰囲気にゆっくりと近づくライラ、白兵戦が起こるわけも無い様子にラ・レアルを挟むように追いついて並ぶ。
そして、全く同じ様にF・トーレスの出現に苦笑いをしながらラ・レアルを経由して私の船へと歩き渡ってくる。度が過ぎるぞ!と少し語気を荒立てるように口火を切ったのはそのライラだった。肩をすくめてやれやれという素振りを見せる私と2人を交互に見ながらF・トーレスは「いや~海事帰りでな、似たような船が2隻で居ったから。そろそろ着く頃と思っての近づいて見るとどんぴしゃやないか」と切り出して今までの経緯を話し出した。全くこっちは良い迷惑だとライラと声をそろえたのは彼にとっては褒め言葉だったかもしれない。
3隻は轡を並べるようにセビリアへ到着し、夜になったらいつもの場所でな!と一言を残してF・トーレスは街中に消えていく、ライラと私もそれぞれの報告を持って冒険者ギルドへ並んで歩き出した。「まったく、彼の遊び心には感心させられるね」と2日前に起こった事の話でギルドまでの道は短く感じた。ギルドを出てからもその話で持ちきりで、それは船に戻るまで尽きることなく続く、互いの船に乗り込む直前に「また夜にね」と互いに手を振り合いながら分かれたのである。

セビリアにある酒場街の一軒にF・トーレス、ライラそして私がテーブルを囲みグラスを傾けつつ2日前の模擬戦について談笑している。「全く、卿も人が悪い。」といいながらワインを口へ静かに運ぶ。彼はそんな言葉を聞きながらも「二人とも学問に勤しむ事も良いが、少しは運動をせねばならんぞ」と言いながら2人の苦言に笑いながら答えていた。鶏肉のハーブソルトソテーがテーブルに並ぶ「お、来たな。この店ではこれを食わんと始まらん」と手際よく取り分ける。すこし大きめに切った鶏肉にハーブソルトで下味をつけたあと、小麦粉をまぶし、卵をくぐらせてクラッシュアーモンドの衣をつけてバターでゆっくりと焼く、片面が狐色までにソテーできたら反転させ。ゆっくりと弱い火でソテーする。両面狐色になったところで強い火に再び戻しフランベして出来上がり。淡白な鶏肉にハーブソルトとクラッシュアーモンドの触感が加わりこの店の看板メニューとなっている一品だ。そんな名物料理に舌を喜ばせながら次々と空のボトルが増えてゆく、とはいえF・トーレスは酒を飲むよりも食べる事の方が多く、空ボトルを増やしているのはライラと私の役目だった。談笑と美味な食事も一段落ついた頃にライラが切り出した「今回の呼びかけは何?」
次なる料理を何にするかと品書きを見ているF・トーレスがぱたりとそれを閉じて「おぉ、そうだった。肝心な事を忘れるとこやった」と簡単にテーブルの上を片付けては手持ちの荷物から分厚い書類の束を取り出し始めた。「また冒険の書類を代筆するのか?」と2人は目配せしながら笑った。それは以前、F・トーレスと東地中海に関する考古学調査を行ったときの事である、海事一筋に生きてきた彼が突然に連れてゆけと言い出し、考古学調査のメンバーに加わった事がある。東地中海そして黒海にまたがる調査で遺跡調査・発掘から地図作成に果ては伝承に関する調査までを共に行ったのである。ただ、最初は発掘関係の仕事ということもあり彼も楽しいと言いながら作業に没頭していたのだが、それぞれの調査報告書から手続きの諸々までの書類を作成する時にはうんうんと頭をひねりながら「あまりこういう作業は好きじゃないんだよね」と少し引きつった笑いをしながら手強い相手に戸惑っていた。調査隊の入港許可申請、遺跡調査許可申請、遺跡発掘許可申請、発見物の所有権に関する契約書、遺跡保護に関する契約書、調査報告書、発掘報告書、発見物持出許可申請、現地労働者との契約書等言い出せばきりがないほどの書類の山に発掘するのも大変なのだなと溜息混じりに呟いては進まない書類整理に少し参っていた。そんな様子に苦笑いしながらこの書類の束が私達の生活の糧なのだと彼の書類整理を手伝っていたのである。そんなことから、今取り出された書類の束をざっと見ながら2日はかかるかなとグラスのワインを飲み干しながら目算していた。ライラも運ばれてきた果実を口に運びながら同じような事を考えている風だった。
「今回はちと違うんだ。」とテーブルの上へ無造作にその束を置きながら言う、「え?」と口をそろえた2人に対してその書類を良く見てみろと書類の一番上に書かれている文字をとんとんと指で指し示しながら不適な笑みを浮かべる。果実を取る手を休め、グラスを置いて身を乗り出すように書類の表紙に書かれている文字を追ってみる。「商会設立に関する申請書」・・・2人はF・トーレスに顔を向き直すや否や「誰が?」と再び声をそろえて言う。

わしに決まっとるやろ。

と、ハーブソルトソテーを口に運びながら軽い口調で返事する。2人は何をどう発言して良いものやら分からずに彼の顔を見つめていた。指についた香辛料を軽く舐めながら再び彼は発する。
「今の商会も良いんやがな、皆忙しいからの・・・」と少し低い口調の後で「あのアテネで酒飲んだやろ、その時に決めたんや」今度は軽い口調で言い出した。「そしてな、手紙送ったやろ?その後セビリアに行ってみると丁度良く商会枠が空いててな、正に天運や」軽い口調は続く「そしてな、2人折り入ってお願いがあるんやが」と神妙な顔つきに戻ると「力になってくれ!」といきなりテーブルに手をつき頭を下げてしまった。書類の束の正体を見てから殆ど動けなくなっている2人はどうしていいものやら分からずに呆然とその姿を見ていたが「どうや、アカンか?」と頭を下げたままいるF・トーレスの二言目にはっと我にかえる。ちらりとライラに顔を向けると手を口に押し当てて考えている、彼に協力するということは今加入している商会を脱会するという事だ、しかし、いつも世話になっている彼からの頼みとあらば・・・少しの間、苦悩していたライラは切り出した「顔を上げて。ちょっと席を外していいかしら?」といいながら私の袖を引きながら彼の返事を待たずに席を立った。店の端に空いている席を見つけては私を誘導しながら席につくなり「どうする?」と優しい口調で切り出す。私は彼女の優しい口調とは別に厳しく低い声で「私は協力してあげたい、勿論今の商会の皆には迷惑をかけることも重々承知している。それは後日にきっちりと筋を通すつもり、今、彼があれだけの事をしてまで私達を誘ってくれてる・・・今の商会からどんな責を問われようとも私は彼について行こうと思う。」彼女の優しさに耐え切れずに視線を彼女からテーブルへと逸らして一気に口から言葉を発する。ライラは少し口元を緩ませながら貴女ならそう言うと思ったわと言わんばかりの表情で返した。「それに、ライラも彼の今までの話を聞いているでしょ・・・」と続けた時、ライラは手で軽くその先の言葉を遮るような素振りを見せると「さ、彼の元に戻りましょう」と優しく笑みを浮かべては席を立った。彼は追加でテーブルに届いたジャガイモの揚物に伸ばしていた手を収めて、席に戻った私達の返事を待っている。少し気が高揚していて上手く言葉が出せない私の姿を見てライラが伝える。「私達2人は貴方に協力させてもらうわ、何ほどの力にもなれな・い・・・・・」ライラの言葉が終わる前に勢い良く彼は立ち上がる、その反動で椅子が倒れている、しかし、彼は周囲の事も気にするようもなく大きな声で「そうかそうか、それは有りがたい!」と無理矢理に私達の手を取って握手する。戦事で駆け回る彼の手はごつごつしていて喜びのあまりに力加減を忘れている。「ちょ、ちょ、痛いって」と彼のごつごつした手を振り払ってライラは続ける「今は確かに承諾したけど、今すぐには動けないわ。今の商会に筋を通さないといけないからね。」そんなライラの言葉を空返事でうんうんと返しながら自らの席に戻るすがら、店の給仕にワインと料理の追加を頼んでいた。
軽い足取りで席に戻った彼は、そんな事は承知している。なんならわしも行こうかと満面の笑みだ。ライラはそれは話が面倒になるからと笑いながら諭し、再びワイングラスに手をかけた。追加で届いた良く冷えているワインを2人に酌しながらF・トーレスが再び「もぅ一つだけお願いがあるんやが」とボトルをテーブルに置いて私達に向きなおす。ライラも私もこれ以上の何があるのだろうかと彼の言葉を待っている。「商会名を一緒に考えてくれんか?」2人はきょとんとした。「何も考えていなかったの?」とようやく言葉が出るようになった私の問いに、考えてはいたんだが、ぐっと来るものがないのだと彼が候補を上げる。一通りの候補名を挙げた後に博学なフロイライン達の知恵を借りたいのだと続く、そう急に言われてもと先ほどまで賑わしいテーブルを一気に沈黙が支配する。彼は獅子にまつわる言葉が欲しいとさらに難度を上げて行く。そして彼が1本のタバコを吸い終えた時にライラが「ゴールデン・ルーヴェ….」と呟いた。周りの声にかき消されそうな声だったが、彼は身を乗り出してその意味を問う。「黄金の獅子って意味よ」とライラの補足が入ると、さすがや、素晴らしい!と再び大きな声を上げてグラスに残ってるワインを一気に飲み干した。決まれば善は急げや、わしはこれからこの書類を仕上げてくる!と書類を掴むと、代わりに金貨の入った財布を置き「これで勘定しとってや」と足早に店の外に消えていった。嵐が去った街のように再び静かになったテーブルにライラと私はしばし無言でテーブルを見つめていた。「商会の方はどうしようっか?」ライラが問う、明日、明後日中にロンドンに向かえば定例会議に間に合うから、そこで動議を出そう。その後の事はその場で考えようよ、私はそう答えるので精一杯だった。テーブルの上に少し残っていたワインをグラスに注ぎ一気に飲み干したライラは「そうね、どうにかなるでしょうね」と彼が残した財布を手に取り一度出ようと私を誘う。そして彼女は勘定を済ませながらマスターに明日F・トーレスという提督に手紙を渡してくれと頼むと1ヵ月後にセビリアにてとその場で手紙を認めマスターに相応以上の金貨を彼の財布から手渡し「今日の事は全て彼の奢りね」と私を意地悪そうな顔で笑った。

再びセビリアに戻ったのは1ヶ月を4日過ぎた後だった。定例会議での緊急動議はさすがに諸提督に動揺を与えたが「卿達が決めた事なら私達は反対する権利はない、今生の別れでもないのだし新天地でもがんばってくれ」と激励の言葉で送り出してくれたのだ。ロンドンを出航した海はこれからの行く末を願うかのように穏やかで、この先もずっとこうあって欲しいなと甲板に立つ私はしばらくは戻れないなと北海の風を名残惜しむように西へ進路を取る船の先にある水平線を眺めていた。セビリアに到着後、街中のオープンカフェで珍しく正装している彼は書類に忙殺された経緯を話しながら、私達を迎えてくれた。一応の手続きはすべて行った、今日、明日にでも認可が下りるんじゃないかと私達を席へとエスコートしながら嬉しそうに話している。私達も商会から正式に脱会した事を伝えると、そうかそうかと頷きながら、給仕を呼ぼうと手を上げたとき「F・トーレス卿ですね?」と見知らぬ男の声がライラと私の後ろから聞こえる、驚いて振り返ると正装している3人のみ知らぬ男性が立っている。気分良い時に見知らぬ不意の訪問を受け訝しげな顔をしながら何用かと立ち上がりながら問う彼に対して、男は彼をF・トーレスと確認するなり、一通の書類を取り出し口上を述べた。

「F・トーレス卿を代表とする商会ゴールデン・ルーヴェをセビリアの商会として認可する。」

3人の大きな声がセビリアの空に響き渡る。口上を述べた男達は驚いた様子で認可証を手渡しながら発足を祝う言葉を彼にかけている、彼にはそんな言葉すら届いていない様子でありがとうと繰り返すだけだった。見ろ、通ったぞ!凄い!とうとう発足だ!と口々に思いを言葉にする3人。周囲は何事かとこちらを見ているが、今の3人には全く関係ないことだった。ライラ嬢、アンレーデ嬢、これからよろしく頼むぞと彼が手を差し出す、手加減して握ってねとライラが意地悪っぽく言うと「おぅおぅ、任せとけ」と繰り返す。しかし、そんな言葉とは裏腹にやはりごつごつした手は私達の手に十分な圧力をかけて痛かったのである。その夜は3人の提督とその船の乗組員による大騒ぎが明け方まで続いた。夜明けの黄色い太陽の陽を浴びながら甲板に立ち、私は大きく空を仰いだセビリアの空は藍色から白く移り変わってゆく、透き通った朝の空気で胸のもやもやを全て吐き出すように深呼吸した私は「彼に同じ想いをさせてはいけない。その為に私は彼についてゆくのだ!運命の賽は投げられたのだ!」と誰も居ない甲板の上で強く声に出したのだった。もう彼の事を名で呼べない、彼はF・トーレスよりも私達の長になったのだから。きっと彼に伝えると怒るだろうなと笑いながら空を仰ぎ私は彼を名で呼ばないことを固く決意したのである。
(2話 運命の賽 完)
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