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金の獅子の背に乗って
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金の獅子の背に乗って

平原を駆る如く

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3話 「平原を駆る如く」

燦燦と陽気を照らし出す昼下がりのオープンカフェで私は書類整理を抜け出して休息を楽しんでいる、母国イギリスのそれとは違う紅茶と揚げ菓子を目の前にしながらも頬杖をついたままティースプーンをくるくると回しながら何もしない時間はいつ以来だろうと忙しすぎる昨今の現状を嬉しくとも寂しくともなく焦点の定まらないような目をしながら考えていた。
見渡せばセビリアの街は大きくそして栄えている、忙しく往来する荷車や何処からか湧いているのではないかと錯覚する程の群集がこの街の豊かさを象徴しているようだ。そんな街の雑踏や普遍な何かを見るとはなしにただ見つづけるという事が私はいつの頃からか好きだった、港に座り込んでは打ち返す波を眺め続けたり、忙しく騒がしい市場をただ歩きながら人々の活気を眺めたりと喧騒の中に1人ぽつんと取り残されるような疎外感ともいえる感覚がたまらなく好きだった。
夕日色の紅茶を口に運びながら母国で淹れた方が断然美味しいな、これもこの陽気のせいかなと軽く快晴の空を恨めしく眺める、食事はこちらの方が上か、と母国にはない甘い揚げ菓子を味わいながら、ロンドンの紅茶とこの菓子の組み合わせなら言う事は何もないのだがと最後の一切れを口に運んでは名残惜しむようにゆっくりと味わっている。そんな至福とも思える時間を楽しみながらも船室を埋めんばかりに山積する書類の事を思い出しては街を見る視線は徐々に空になったティーカップへと下がっていった。
カフェの1テーブルを占拠してそれなりの時間が経過した頃、いよいよ視線はティーカップから動かなくなっていた、時折大きな溜息を吐き出しては何かを否定するかのように大きく首を振り再び思索するということを繰り返していた。手にする紅茶も数が進み、肴の菓子も3品目が届こうとしている、そんな時に軽くぽんと頭を叩かれる感触ではっと我に戻っては振り返る。
「なんて辛気臭い顔してるの?良い女が台無しよ」と丸めた書類を元に戻しながらライラが笑って立っている。いつもよりか軽い装いで事務仕事で邪魔だったのだろうか自慢の銀髪をくるりと玉のように後でまとめていて、ルビーの耳飾りがセビリアの陽を浴びて彼女を引き立てている。「あんまり深刻に考えすぎると皺が増えるわよ。」と目じりを押さえる素振りをして一言付け加えた後、遠くに居る店員に紅茶を持ってくるように伝えながら対面の椅子に着いた。「船で待ってても全く帰ってこないんだから、来てみれば案の定ね」と優しく笑いながら届いたばかりの紅茶を口に運ぶ。彼女は空いている片手でぺらぺらと書類を捲っては全くイヤになっちゃうわねと同意を求める風に続ける「ったく、こんな忙しい時に肝心の長が居ないんじゃ、終わらすにも終わらないじゃない」とぼやきながら、「すまんな、ちと出なければならんなった、後は頼むわ」の一言と共に書類の山を丸投げしてギルドの要請に応えるため海へ出た彼の事を毒ついた。こればっかりはね、と肩をすくめて返す。
「そっちはどうなの?順調に進んでる?」
「順調なら、こんなところに逃げてこないわ」
「それもそうね」
「慣れない書類が次から次へと、船員達もうんざりしてる」
「私のところも同じね」
「やらなきゃいけない事がいっぱい有り過ぎて、どれから手を着けたら良いのかしら」
「ふふふ、新しい事の始まりってどれも大変なのは変わりないわ」
「もう1人自分が欲しいわ」
「あら、それなら苦労も倍でしょうね」
「どう言う意味よ~?」
「さぁてね」
さっきまで暗く沈んでいたテーブルが和やかな会話で埋まっていく。
「そうそう、さっきまで商会管理局に顔を出してたんだけどね」
「私はお茶してたわ」
「貴女は現実逃避でしょ。・・・それでね、壁に貼ってある商会員募集の張り紙を見たら」
「・・・、なにか有ったの?」
「私達の所の募集が貼られていたの」
「え?」
「彼が貼ってたらしいんだけど」
「さすがね、長としての自覚十分じゃない」
「中身が面白いのよ」
と内容を書き留めたメモを皮肉った表情と共に手渡す。

「黄金獅子旗の元に・・・ ゴールデン・ルーヴェ代表F・トーレス」

「え?これだけなの?」と思わず口をつく。ライラは彼らしいじゃないとくすくす笑い出している。私もこの簡潔すぎるメモの内容に思わず声をあげて笑っていた。
ライラから受け取った新しい書類をどさりと積み上げられた山々の上に置くと、深く椅子に腰を下ろして「さて、やるか!」と勢い良く机に向かった、カフェでの時間にライラが現れたことで鬱積する心の黒いもやもやは幾分軽くなっていた。いつも助けられてばかりだなと呵責に悩むこともあるが、今は彼女のお陰でやる気を取り戻したことに精一杯感謝していた。
9日間、船室とカフェを往復するそんな日々が続いた10日目の朝、彼がセビリアに帰港した。という報を船室で受けた、出迎えに行きたいとも思ったが彼と顔を合わせるとそのまま酒場に行きそうだなと、調子の乗ってきた書類整理を前に「あぁ、報告ありがとうと」机に向かいながら応えてはペンを走らせていた。足の踏み場にも困るような状態だった船室は当初からしてみれば至る所に床板がその姿を覗かせている、そしてその高さもすっかりと平地へと変わっている。後少しだなと仕上がった分厚い書類の綴りを閉じ大きな息をついたところで、ドアのノックに返事をすると「まだ生きてるかしら?」とライラが入ってきた。意表をつく訪問に慌ててインク瓶を倒しそうになる、必死でそれを掴んだ格好で「えっと、、、何?」と真っ赤な顔でライラに尋ねた。くすくすと笑いながら「あんまり詰めると体に毒よ、彼も帰ってきたことだし、愚痴を言いに行きましょう」と壁に掛けてある深紅のジュストコールを投げ渡しながら私を誘った。
先日とは違う店で再び3人は同じテーブルを囲む、今朝帰って来たばかりの彼はさほど疲れた様子も見せずに今回の出征について話し出した。ライラと私は彼の面白可笑しく話す武勇談を聞きながら少々アルコールの強い酒を1杯2杯と空にしていった。彼の話がセビリアへ戻るという件になった頃に残された私達は大変だったのよと狙ったように切り出してみた。「そうじゃろな~」と軽く流すように彼は手元のグラスのワインを飲み干した。それも少し狙っていたのだと笑って続ける彼に2人はやっぱりねと互いに確かめるように頷いた。「フロイライン達が頼りや」グラスにワインを注ぎながら笑って話す彼を見ながら怒る様子もなく「貴方の分はしっかり残してるからね」とライラが告げると、気分良くグラスを持とうとしていた手を止めて私達の顔を交互に見渡した。
少し勝ち誇ったような顔を浮かべながら尚もライラは続ける「勿論よ、商会長である貴方が居なくて全ての書類が揃うと思って?これからの数日は私達と同じ苦しみを味わってもらうわ」その言葉を最後まで聞き終わるや再びたまらない笑顔を見せながら「フロイラインたちには敵わんな~」と一言発して、ワインが満ちているグラスを一気に飲み干した。意地悪な攻防が続いた後、テーブル上の話は徐々にこれからの事について変化する。果て無き想像に膨らむ話は尽きるとも知らずに続く、しかし、どの話も最初の切り出しは「人が集まれば」で始まるのは発足したての商会として当然のことだった。
商会管理局規定「一定期間をもって商会に規定する人数以上の参加が無い場合は、その認可を消滅する」
という規則が嫌というほど3人を支配していた。「どや心当たりないか?」彼は話の腰を折りながら問いかけてくる。当然、他の提督と繋がりも無くも無いが、心当たりの少なさに2人は苦笑いだけで返事する。
「よっしゃ、明日からは人集めやな」
「貴方は書類整理でしょ」
「おお、そうじゃった」
「もう逃がさないわよ」
「逃げちゃアカンか?」
「ダメ!」
彼とライラの問答に私も加わった夢話は深夜まで続いた。

ここ数日通い続けたカフェの同じ席で肘掛に寄りかかるように座っては目の前に運ばれたコーヒーという飲み物を眺めていた。近年、カリブ方面への航路開拓が進みそれなりに流通量が増えてきたお陰で市井にもちらほらと出回りだした飲み物である。黒くどろどろとしている液体を眺めながら、本当にこれは人の飲み物なのだろうかと怪訝そうに見つめている、茶の文化が盛んな英国出身という事もあり世に数ある飲み物の中で紅茶こそがその頂点に君臨するのだという自国文化を真っ当から程の信者ではないものの、慣れ親しんだ紅茶を飲むことが普段の生活では多いのは当然の事だった。
時間に蹂躙されるような書類整理をようやく終わらせ、本当の気分転換にと一風変わった飲み物を注文してみたものの、想像以上に想像外の品が出されては少し冒険心が揺らいでいた。見知らぬ土地へ踏み入る事なら何の躊躇もなく足を向けれる、現地の住民との交流も苦にすることもなかったが、平穏な生活に現れたこの小さな冒険に対してはなかなか踏み出せずに眺めている時間が長かった。彼とライラはまだ書類に追われている、全て仕上がった書類を2人に送り届けると少し信じられないような顔をしていたが、もともと事務処理能力が人より少し速かった事は彼らに自慢できる僅かな特技だった。
2人の書類整理もそれなりに順調のようで、ライラはもとより商会長も今まで見たことないような書類の山に少し危険な雰囲気を漂わせながらも必死にペンを磨り減らしている。私が書類を届ける度に「まだ間に合うで、代わらんか?」と笑いながらも真剣な目をして山積みの書類を指差しつつ聞いてきたが「代わってもいいけど、それより倍の書類が待ってるわよ」とこれ以上ない笑顔を作って返すのがここ最近の挨拶となっていた。そしてようやく船室にあった全ての書類を片付けて自らのご褒美と少々高価なコーヒーを注文したものの見た目に圧倒されて口を付けたのは揚げ菓子を2切れほど食べて意を決する時間を十分に取った後だった。
「苦い・・・」
紅茶の華やかな風味と異なり、独特の鼻腔と突くような香りと苦味、これは褒美というより忍耐修行かな?と自らの選択に後悔しつつ少しずつその量を消化していった。黒い飲み物の減り具合とは別に菓子の消費量は速く2皿目を待つ間、何をする事もなくいつものように雑踏する街をぼんやりと眺めていた。
「アンレーデさん」
視界の外から呼ばれる声がする、すぐにその声の主は私の視界へと入ってくると「お久しぶりですね」とにっこり笑った。金髪に小顔に澄んだ瞳を持つ女性クリスチーネである。私が以前所属していた商会の会員で主に交易者としての能力を買われて商会に入会してきたと記憶している。私の在籍中に1度考古学に関する依頼を共にした事があったが、特別懇意にしていた方でもなかった。私は対面の席を勧めながら再びお会いできて嬉しいですと社交辞令的に挨拶を交わしながら2品目の菓子を持ってきた店員に飲み物を注文する「紅茶を2つね」

ライラと私が定例で緊急動議を出した時、クリスチーネは東地中海に及ぶ依頼のため欠席されていた。彼女がロンドンに戻って私たちが退会した事を聞きセビリアまで足を運んでくれたらしい。
「戻ってみると2人が退会したって聞いて驚いたわ」
「突然の話だったからね、皆様にはご迷惑を・・・」
今まで同じ商会に所属していながら2人きりで話すこともなかった彼女と退会した後でこのような場面になるとは思いもよらなかった。「新しい商会はどう?」彼女が不安そうな顔で私の顔を見つめている。「商会の偉い人って大変だって痛感してる所よ」笑いながら返す私に不安さを少し和らげて彼女は続ける「けど会えてよかったわ」。予想していなかった彼女の訪問は嬉しくもあり少し驚きもあり不思議な感覚だった。商会発足後の苦労話や交易について語り合う2人、いつしか午前の訪問は昼食をしながらの会話と繋がっていく。互いにセビリアの空の下で、一つのテーブルを挟んでの昼食を終え再び夕日色の飲み物を相手に2人の会話は続く。
「そろそろだと思うんだけど」とクリスチーネが周囲を見渡した、何のことやら分からずに手元の紅茶を口へ運びながらつられて私も軽く見渡す(私が見渡しても意味ないか)と心で自らを皮肉りながら甘いものは別腹と出てきたマフィンに手を伸ばした。
「あ、居た。ちょっとごめんね」と席を立つ彼女に軽い返事をしながら、この店のマフィンは絶品だけど、10日も続けるとさすがに飽きたわね。次は何にしようかしらと品書きを見ながら自然と険しい顔になっていった。数分も立たないうちに彼女は席へ戻ってくる、その後には彼女と遜色ない美しい金色の髪をもつ女性。女性と言っても幼さの抜けきっていない二十歳前後に見えるが、その顔には見覚えが特になかった。「彼女はアイメルって言うの」と紹介されると少し照れくさそうに自己紹介をするアイメル。「アンレーデです。一応生物学を生業にしています。」笑顔で握手を求めるしぐさに、肩をすくめ俯いたまま恐る恐る可愛らしい手をのばす。「彼女はね、冒険者志望なのそれで・・・」どうやらクリスチーネはここへ来る前、彼女に私の事を話した所、一緒に着いてくる運びになったらしい。
「アンレーデさんに是非お聞きしたいことが」アイメルは必死に言葉を選びながら次から次へと質問を投げかけてくる。最初は職業冒険家についての事だったが、いつしか専門的な話へと変わっていく、そのどれもが生物学以外の質問で「あまり得意じゃないんだけど」と心で泣きながら繰り出される質問に答えていった。
しかし、驚いたのは質問内容の質の高さだ、この時代に職業冒険家でもなく、どうすれば普通の女性がこれほどまでに知識を得られるのかと厳しくなってきた質問に苦戦を強いられていた。
なんとか持っている知識の範囲内でその場を凌ぎ切った後「もし、職業冒険家になりたいなら生物学者にはなっちゃだめよ。この時代は誰も見向いてくれない。生物学なんて傍からみるとお遊びの学問と笑われるだけよ」とにっこりと笑いながら、これまで自分が受けてきた芳しくない経験をその一言に要約して口に出した。その言葉を聞くなりクスクスと笑いながら「もぅ時間がないから行きましょうか」とクリスチーネが立ち上がる、2人は礼儀正しく挨拶をすると出航準備にかかるためにセビリアの街へ消えていった。一度アイメルがちらりと振り返る素振りを見せたので私は笑顔で手を振って見送る。
再び椅子に座り込むと「考古学齧ってて良かった~」と1人項垂れるように頬杖をつく、「あの娘は末恐ろしいな~」呟きながら長らく占拠していた席を立ち「閉じこもっている2人に差し入れでも」と言いながら行き着けの菓子店へと足を向けた。

親愛なるイザナミへ
この度、私アンレーデはセビリアにおいてF・トーレスを商会長としライラと共にゴールデン・ルーヴェという商会を発足させるに至りました。つきましては貴女様の助成を御一考いただきたくお手紙させていただきました。ここに新商会の案内を同封させていただきますのでセビリアにお越しの際にお立ちより下されば幸いです。尚、ご友人の方々にもこの旨お伝えくださればと厚かましくも重ねてお願い申し上げます。
アンレーデより

これと同じ文面を何通書いただろう、まだ船室に篭っている2人の雰囲気に少し殺気を感じるようになり虎の尾は踏んではならぬと陣中見舞いを控えて、自らの船室で今できることと言えばと思い出す提督全てに対しなりふり構わず手紙を書き続けている。返事は期待していないが今思いつく手段としては、この手紙を書くことしか思いつかなかった。書類整理からこの手紙まで何十本とペンを費やしただろう、ペン代だって馬鹿にならんぞと口走りながら通う文具屋の主人は一番安いペンをダース単位で頻繁に買いに来る私の顔をしっかりと覚えてしまった。
「姉ちゃん、また来たのか。」
「ふふふ、ペン頂戴」
「今日はどれくらい?」
「2つお願い」
「んで、どれにするんだい?」
「えっと、一番安いやつ」
「ほらよ」
私の返事が終わらぬうちに主人は商品を用意する。
「たまには高いの買ってよ」
「今は絶対無理」
ふざけるような顔をして代金を支払いながら文具店を後に船へと戻る。歩きなれた艀を登り甲板へと辿り着く、普段ならそのままに船室へ戻るのだが、ふと船を見渡すと妙に綺麗になっている。徐々にすることがなくなった船員達が暇を持て余して磨き上げたのだろう、暇だからと言って陸で悪さをするような船員達ではなことは重々承知していたが、まさか船を磨き上げる事にその余した時間の捌け口を求めようとは考え及びもしなかった。そんな事を思っていると、ふと気になって舳に足を向けそっと覗き込む、「あら、やっぱり」感嘆の声が漏れる。潮に揉まれ、波を被り、取り付けた時の影もなく汚れていた船首像も見違えるほどに掃除されている。「どうやって磨いたのだろ?」軽い疑問が浮かびあがるが、明確な答えは出なかった。しかし、船室へと向きをなおすと数枚のシャツが天日に干されているのを見て「あぁ、何人か落ちたな。」と船員が掃除している風景を想像しては笑いが止まらなかった。「もう暫くの辛抱だし、彼らには我慢してもらうかな」私はいつもより綺麗になっている通路を歩きながら船室へと戻った。

その日の朝は船員達が食事する部屋に足を向けた、料理担当が慌しく皆の朝食を作っている以外はまだ誰も部屋に居なかった。後ろ向きに調理している料理長は「早いな、まだ出来てないぞ。暇なら手伝え」部屋に入ってくる足音を聞いて私とは知らずに言い投げる。
「そうね、たまには手伝おうかしら」まさかこの船の提督だとは思いもしていなかった料理長は振り返って私の姿を確認すると「い、いやっその・・・」と言葉を詰まらせる。袖を捲り上げながら厨房に入ってくる私に「まさか、提督だとは・・・」つらい表情を浮かばせている。彼が勘違いするもの仕方ない、この船の提督はこの部屋で食事する事が滅多にない。どれだけ船員達の信頼があっても自分と同席なら皆に余計な緊張を強いてしまうだろうと食事は自室で取る事が殆どだった。時折、彼らの様子を窺うために同席して食事することもあったがそれも1ヶ月に1回程度の事であった。
用意されている食材を見渡し「今日は何を作るのかしら?」料理長に聞く。メニューを聞いて私はこのサラダでも作ればいいかしらと包丁を手にとって野菜を切り始めた。料理長もどうすればいいのやらと野菜を切っている提督を見ながら狼狽している。「あの、提督?準備できたらお持ちしますんで、座って待っててもらっても良いですよ」私の顔色を窺いながら申し訳なさそうな口調で話し掛ける。まあ良いじゃないと握った包丁を動かせながら「もうすぐ空腹の彼らが来るわよ」気にせずに準備するよう促した。
朝食が出されるのを待っている部屋は戦場のように騒がしい、部屋に充満する香りからメニューを想像させ続けるのは誰でも辛い我慢なのには違いない。みなの視線を集める扉の向うに彼らの望む食事があるのだ。がちゃりとドアノブが動く、早くしろと囃し立てる声がする。しかし開いた扉の中にはいつもの料理長の姿はなく、代わりに料理を持って出てきたのはエプロン姿をした彼らの雇い主である提督その人だった。あれだけ騒がしかった食堂内が一瞬で水を打ったかのようにぴたりと静まる。先ほど囃し立てる文句を言った船員はばつが悪そうにそっぽを向いて椅子に座りなおした。「提督~エプロン姿可愛いね~」誰かが声をあげる。その声に静まり返っていた部屋が一瞬で私を茶化すような言葉で溢れ返る、中には指笛を鳴らす者もいる。「どうだ、可愛いだろう。朝食を作ってやったぞ、ありがたく食べろよ」ざわめく部屋の中で料理を運びながらわざと男らしい口調を使う。「これって提督がつくったの?食べられるの?」ひどい言われようだと笑いながら「勿論だ、たとえ指が入っていても残すなよ!」の言葉におう!という一斉の掛け声があったと思うと瞬く間に消えて行く大量の料理を見て「私が貧乏なはずだ」と感心させられていた。
嵐が去った部屋で1人遅い朝食を迎える「こんなモンしかないですが」と生ハムが乗ったサラダとパン、そして果物のジュースを料理長がテーブルにならべると十分だよとそれらを口へ運んだ。「こんなイベントなら大歓迎ですよ」とすっかり空になった大皿の事を指しながら「野菜類は特に残りやすいんですがね、今日は…」と料理長は笑いながらサラダを頬張る。料理担当と同じくした朝食を終えると「これ以上手伝ってもらうと申し訳が立たねーや。俺の仕事ですからどうぞ・・・」と体よく厨房から追い出された私は最近の日課になっている商会管理局通いの為に少し雲がかかるセビリアの街へと降りた。

「申請に関する書類は届いておりません。」
やはり。聞きなれてしまった事務員の言葉にくるりと出口へと向かう。通い始めた当初は入会申請者が居ないかとそれなりに胸を高鳴らせていたが、それも1週間と続くものではなかった。各方面に手紙を送ってもう1ヶ月そろそろ何かないかなとは思っているものの、加入申請もなければ、来客もない希薄な反応に少し心折れそうだった。
よくよく考えてみれば発足したての商会より名の通った商会へ滑り込むことの方が、行く先々で有利に働くのは至極当然のことだ。中には弱小なところで奮起する奇特な人も居るようだが、そう易々とつかまることではないだろうなと自問自答しながら管理局を出る。
「やっ、元気?」
入会者を募る手立てはないものかと建物を出て歩き出したすぐにその声はした。
すこし紺色に光る髪を左右に結わえた女性が手を上げて挨拶している。イザナミだった。同じ英国出身で一見年端もいかぬ少女のような身長だが、れっきとした1隻の提督である。華奢なようでも男の仕事とされる鋳造を仕切れるほどの才女で、彼女へ大砲を注文したことは1度や2度ではなかった。以前にはなかった眼鏡をかけていて驚きもしたが、明るい声と仕草は以前と変わらず若々しいそれだった。
「手紙読んだよ、新商会だって?」
「そうそう、出来たての商会よ」
「なんて商会?」
「ゴールデン・ルーヴェ」
「どんな意味なの?」
「確か、黄金の獅子だったかな」
「ふぅん、格好良いね」
「今は名前に負けてるけどね」
「あはは」
往来を港向けて笑いながら歩く。
「今晩、一緒に食事でもどう?」
「う~ん、特になにもないから良いよ」
「ただ、ウチの商会長他が居るけど」
「それって行くと無理矢理入会させられるのかしら?」
「いやいや、今晩は商会長主催で書類完成記念宴会するらしいの」
これまでの書類に追われた毎日の経緯を話す。
「大変だったみたいね」
「誰でも寄って来いって人だから、一晩の食費を浮かすつもりでどう?」
「考えておくわ」
と、大砲を依頼主に届けると言う彼女と広場で別れた。1人になった私は港に足を向けると入会者を見つける難しさに「やれやれ・・・」と一言呟いた。

ここ1ヶ月に溜まりに溜まった鬱憤や苛立ちを一気に吐き出すように酒席は始まった。ここ何回かの宴会で私の船員もすっかり彼のところと仲が良くなった事と、さらには野菜が肉と同量出てくる自分達の宴会と比べ、この船の宴会はほとんど肉しか出てこないこともあり馬鹿騒ぎの度合いは幾分増したような気がする。商会認可後まともな活動もできずに稀に見ぬ書類整理の山に囲まれてしまった、気づけばセビリアに停泊したままである。ようやく3人全ての書類がおわり、少し窶れたようなF・トーレスが「よっしゃ、勘を取り戻すために宴会するぞ!」と彼の船に集まった。あまり酒が得意なほうではない彼も事の解放感からかいつもより急いだテンポで酒瓶をあけている。提督3人が座る周囲には代わる代わる誰かかが酌をしに近寄ってくる、ライラと私は彼らより強い目の酒を愛飲している為、返杯を勢い良く飲む彼らの間では「ライラ提督とアンレーデ提督に酒注いでこい」とまるで罰ゲームのように扱われていた。「レディーにはこういうものがないとアカンやろ」彼の配慮で私達の前にはサラダや果実が特別に置かれている「それを言わなければ、グッと価値が上がるのにね」茶化しながら料理を口に運ぶ2人、「それがまた味になるんや。」
少し寒風が吹き始めた甲板から3人は彼の提督室へと場所を移して続きを楽しんでいる、彼が悪戦苦闘した名残が片付けも2の次に置かれている部屋の雰囲気から伝わってくる。運ばれてきた豚肉の香草炒めを味わいながら「いよいよ、本格始動やな」と楽しそうに話し出す、まるで子供のようにこれから先が楽しみでならないという表情だ。ライラはシーフードサラダの茹でエビを皿の横へと弾きながらうんうんと頷いている。それでも3人は規定されている人数が足りない事を自覚している。「もし認可が消えても、また作れば良いんじゃ」3人が懸念している事をそう言いながら彼は笑い飛ばした。「まぁ、フロイライン達も居るし、どうにかなるじゃろ」彼は勤めて明るく振舞う。
「その根拠が知りたいわ」
「わしはフロイライン達の能力を買っとる」
「答えになってないわよ」
「まぁ、信頼しとるという事だ」
笑いながらの問答と談話が2時間ほど続いただろうか、いつしか「たられば話」の勢いは世界征服とか新ギルドの設立だとか突拍子もない話へと変わって室内を埋めている。しかし、そんな話は扉のノック音で一時中断される。入ってきた彼の船員が告げる。
「イザナミという方がお見えになられています。」
「さて、聞いた事ない名だが」
「あ、私の友人なの、良かったらどうって誘ってたの」
「そうか、そうか。お通ししてくれ。」
「ごめんね、勝手に誘って」
「なに、フロイラインの友人なら間違いはない、それに人数が増えたほうが楽しいわい」
船員に椅子とグラスそして新しい酒と料理を持ってくるように告げながら気にするなという身振りで彼女の到着を待った。
「お招き預かり、光栄です」そう告げながら入室した彼女を彼はエスコートしながら「この船の提督です、しがない軍人野郎ですが」と手馴れた風に空いている席にイザナミを導く。「今、顧客からの帰りなの、何かと注文が多くてね」トーガを整えながら彼女は席についた。簡単な自己紹介をそれぞれが終わると「ほうほう、イザナミ殿は鋳造をなされるのか」彼は軽く頷くと華奢に見える彼女を見ながら「才能というものは外見からは測れんな、こんなに可憐な方が鋳造とは」としきりに感心していた。そんな彼の誉め言葉にもイザナミは動じることなく勇名は各地に聞き及んでいますと逆に彼を褒め上げた。
イザナミが加わった室内はもっぱら専門職の楽話や苦労話で終始していたが、かくも全く職業が異なる4人が一同に会するとは奇妙な風景だねと誰かが笑う。そんな中でイザナミが私達を見渡しながら
「そう言えば、この度は新商会を発足されたそうで、おめでとうございます。」
「おぉ、これは丁寧に申し訳ない。動き始めたばかりでメッチャ大変ですが」
「この緊迫する時世での発足、これから如何なる進展をお考えで?」
「何も知らずに手に入れた植物の種を見て、それが美しい花を咲かせるのか、毒をもっているのか、芽吹いて虫に食われるのか、それとも誰をも見下ろす大樹になるのか、それは誰にもわかりますまい。商会こそ人が居ての商会、それぞれの個性が寄り添って皆が育て上げるもの、わしが行く末をどうこうと定めようとも育て上げた種がそれに添うとは限りますまい。ならば遠い先を見るより、最初から皆で身の丈に合う事を、種に合う事をし続ければ良いだけで、進展先なんぞ何も語れませんわ」
彼のそんな言葉を聞いてイザナミはこの無骨そうな軍人が意外な答えを返してきた事に驚くと、なるほどと頷いた。そんな2人の様子を見ながらライラと私はまさか彼が植物を例えにするとは思いも寄らなかったものの、酒が引き出した彼の素直な返事を聞いてやはりこの人だからこそ話に乗ったのじゃないかと互いに目配せした。
「あらいけない、私としたことが」とイザナミは続ける。
「いかがなされた」
「お土産を持参しましたのに、ついうっかり」
「ほほぅ、大砲に関するお土産ならいつでも大歓迎ですよ」
「大砲は重いから持ってくるのを止めました。代わりにと言っては何ですが」
持参した鞄から何かを探し始める。周りの3人は興味深そうに見つめている。
「食いモンではなさそうですな」
「食べ物は宴会という事を聞いて止めました、あぁ、ありました。」
そう言いながらそれなりに厚みのある茶封筒を取り出すと、なぜか私にそれを手渡した。封は切ってある、イザナミは中身を検めるような仕草を見せる。彼とライラの視線がその挙動をじっと見つめている。封筒の中身を一手にとってゆっくりと出すと、最初に見えるものは見覚えのある便箋。そう、私が彼女に送った手紙だ。届いてたのねと言いながら、続く書類の表紙を見るなり「え?」と叫んだ。「貴女、これ本気なの?」上ずった声で続ける、彼女はふふふと笑いながら私の反応を楽しんでいるようだ。思わず立ち上がった私は成り行きを見つめている他の2人にその書類を見せながら「彼女が加わってくれるわ!」思わず大声を出した。一体何のことだろうと2人は食い入るように書類に目線を向ける。

セビリアの商会に関する申請書
商会「ゴールデン・ルーヴェ」代表 F・トーレス殿
貴会に入会希望することをここに申請いたします。
               イザナミ

おぉ!という大きな声が室内を埋め尽くす。
「迎えてくれるかしら?」
「勿論だ!我等がゴールデン・ルーヴェは貴女を歓迎する!」
「大歓迎だわ、よろしくイザナミさん」
「昼間会った時には何も言わなかったのに、意地悪ね」
「彼の言葉が退屈なら出すつもりはなかったわ」
「さすが商会長だわ」
「ん?わしは何か言うたか?」
「ふふ、それで良いのよ商会長殿」
彼は何のことを指しているか分からない風だったが、グラスを持ち直し叫んだ。
「乾杯しよう!我等がゴールデン・ルーヴェの誕生と出航に!」
4つのグラスが空中で弾き合う甲高い音が、ランプの照らし出すほの明るい室内に響き渡った。

風に乱れる髪をゆっくりと掻き揚げながら、風に混じる潮のにおいを存分に胸へと吸込む。久方ぶりに遊び相手を見つけたかのように水晶の耳飾りが落ち着くことなく揺れている。
薄く化粧した彼女の顔に船が砕いた波の飛沫が柔らかな霧のように降りかかっている。
「さて、職業冒険家サマは次に何を見つけるのかねぇ」
港で味わうそれとは違う船の揺れを感じて自ずと湧き出でる高揚感を確かめながら、自らを皮肉るような言葉を一言海へ投げ捨てた。酒宴で誤魔化していた船員達のご機嫌もすこぶる上等のようだ「しかし、ここ数回の宴会で数ヶ月の仕事がただ働きになったな」軽く引きつった顔を浮かべながら忙しく動き回る彼らの靴音を後ろに聞いていた。
いつしか愚痴と文句ばかりを書き連ねるだけになっていた日誌に『出航』の二文字を書き入れている私を乗せて船は東へと向かう。片付け忘れられているペンの空き箱が2箱と安物の新品が3本机の隅に転がっている、その後8日間セビリアに滞在したが、あれほど書き送った手紙の返事は激励の手紙と無言と陣中見舞いがちらほらという結果に終わった。
内心もう少しの参加者をと淡く期待していた分、その結果には少し溜息を漏らした。
「まぁ、徒労に終わったわけでもないし。次に期待しよう」
慰めるように呟いたまま、いつしかベッドへ横になって久しぶりの安堵感に目を閉じていた。
「お食事の準備が整いやしたぁ」
若い船員の声が部屋の外から聞こえる。重い瞼をこすりながら、あまりにも深く眠っていた所為でいつもより重く感じる自分の体をゆっくりと起き上がらせる。靄がかかったような頭をたたき起こすように飲みかけのワインをぐいっと飲み干すと「あぁ、ありがとう」とドアを開ける。
いつもならそこで私用に取り分けられた食事を受け取るはずなのだが、若い船員は手ぶらでそこに立っている。
「お休み中でしたか。すみません。お食事の用意が出来ましたので食堂へよろしいですか?」
「さてと、私は今日食堂で食事をすると言ってたのかな?」
「いえ、そういう事ではないんです。」
「ん?」
導かれるままに食堂へと入ると、全船員が待ちかねたように座っている。中には見張り当番の者も居る。そんな彼らの妙な雰囲気を感じながら、薦められる上の席へと座る。
私が席に座り、この謎めいた場の説明を求めようと口を開きかけたとき、古参の船員が軽く机を2回叩いた。それを合図に食堂に居る全ての船員が声を出す。

「提督ぅ、新商会発足おめでとうございまぁーす!」

寝起きの思考と彼らの音量と予想外の進展にきょとんと座っている私に古参の船員が歩み寄る。
「この度はおめでとうございます。」
「ん、あ、あぁ・・・あ、ありがとう」
「新商会発足でさぞかし疲れやしたでしょう」
「あぁ」
「日頃のお礼を兼ねての粋な計らいです」
古参の船員が笑って告げるその言葉も聞こえ辛いほどに食堂は歓声で湧いている。激励、指笛、訳の分からない雄叫びとが固まりになってぶつかってくる。古参の船員は早くもってこいという手振りをすると、あの若い船員が手に何かを持ってくる。
「これは、あっしらからのお礼です」
ゆっくりと手渡されたのは濃紺に染め抜かれたベルベットジュストコールと羽ボネだった。彼らにはそれなりに不自由しないほどの給金を敷いているものの、決して安くはない品物だ。
「いつも宴会の時に思ってたんですがね、提督の服は他の提督と比べて質素なんですよ。あっしらだって他船の奴らにあれがウチの提督だって自慢したいじゃないですか。いぁ、提督がご自分の事を省みずにあっしらの事を考えてくだすってるのは重々承知してやす。他の船から比べりゃ、この船は天国ですぜ。でもね、あっしらの事を考えすぎて自分の事を犠牲にしすぎる提督を見ながら、心がこう痛んでたんですよ。」
渡されたベルベットジュストコールと羽ボネを見ながら、これ程までに私は彼らの信頼を得ていたのか。それにしても天国とはよく言ったものだ、他の船より厳しい規則の中で生活する彼らにとってここが天国でも楽園でもないだろうに・・・。自然と笑みが毀れる。
薦められるままに真新しい服に袖を通すと再び歓声が上がる。再び古参の船員が言う。
「いつも綻びが見える服じゃ~折角の美貌がだいなしですぜ」
「ふふ、よく言うね。」
特別に誂えたように体に馴染むベルベットジュストコールの感触を確かめながら収まらない歓声へ応えるように口を開いた。
「このような席を設けてくれた君達からの心遣いは心に染みて感謝する。ここ1ヶ月余り君達には余計な心労をかけてしまったようだ。以前とは少しだけ置かれている状況に変化があるが、変わらずに私をサポートしてほしい。」
おう!と一斉の掛け声が船中に響き渡るのを合図に料理が運ばれてくる。
「もぅ良いかい?折角の特別料理が冷めちゃ台無しになってしまう」
「うん、その通りだ。さぁ、食べるか!」
「おう!」
料理と酒の嵐が過ぎ,自らの部屋へ戻ると壁に掛けている深紅のジュストコールを手にとった。いつのまにか袖口は解れが目立ち、至る所に小さな綻びと繕い直した跡。身に付けている濃紺のそれと比べると草臥れた感がはっきりと分かる。
「ま、易々と捨てられるものではないか・・・」
壁に濃紺を掛けると、クローゼットの最奥へとそれを納めベッドに横になる。あれこれと深紅に纏わる思い出を頭に浮かべては尚更に彼らの心遣いに安堵感を覚え、長い記憶の半分も思い出さずに瞳を閉じていた。

『セビリアを出立しセウタ-マディラ沖へとウミガメ調査の足を伸ばした私達は、その調査において依頼主へ報告するには十分すぎるほどの結果を得ることに成功した。生物学者として更なる調査を行いたいが、それは次回への課題として今回の調査は終了する。そもそも海という水中で生活する生物は地上で見る生物の形態分類以上に複雑な世界が広がっている、調べれば調べるほどに興味が湧くばかりだ。この広い海の中で生活する彼らは地上の生物より更に独創的な形態を見せている、なぜそんな形態をしているのかという事を考えていると時間を経つ事をすっかり忘れるほどだ。いずれ全ての謎が解き明かされるだろうが、謎を解く人物とは自分で有りたいものだ。』
調査を終え小雨の中をセビリアへと向かう船室で軽やかにペンを走り終わらせると、ぱたりと航海日誌を閉じる。
この航路ならたまにイルカやトビウオの群れに遭遇して心躍る時間を得ることが期待できるのだがと恨めしく窓越しに海を見つめ「こういうときはウィスキーが飲みたくなるな・・・調理場からくすねてくるかな」と呟きながら部屋を出た。
こっそりと調理場から拝借しようと試みたものの、しっかりと料理長に見つかっては小言を言われてしまった。それでも所望のウィスキーを獲得しセビリアまで帰るだけの余った時間を的中を得ない思考で費やしていた。
「忙しい時にはこんな時間がありがたく思えるが、こればかりだと忙しいことが有り難いと思えるな。まったく図々しいように人の性格は作られているものだ。体制側と反対側の差など紙一枚もないな、主観と客観の2極しか存在しない世界では圧倒的に主観を庇護するように自分を作り出すのは当然の事か・・・。」
自分でもその言葉の意味をよく考ず、言葉の流れを楽しむように呟いている。気が付けば手元のグラスはすっかり空になっている。
「うーん、もう1杯飲みたいな・・・。仕方ない今度は正面突破だな。」
少し上気付いた顔で軽くなったグラスを満たすべく、食堂へと向かった。
降り続いていた小雨はいつしか本格的な雨となり、セビリアに到着するまで船を濡らし続けた。料理長と私の熾烈な争いはセビリアに着くまで続き、1本の空瓶を作ったところで一応の決着をみたのだった。

「ごくろうさん、報酬はいつものとおり口座へ入れておくよ」
ギルドへの報告も事務的に終わり、さて、商会管理局へと顔を出そうかなと広場を歩き始めた時だった。
「きゃっ!」
数日降った雨で濡れている石畳に足を滑らせ、尻餅を突くようにして倒れてしまった。
「何をやっとるんや?」
背後からの聞きなれた声に倒れたままで振り返る。
「そそっかしいなぁ、よくそれで冒険できるもんやな」
呆れ笑いを浮かべながら「ほれっ」と手を差し伸べたのはF・トーレスだった。
「見たわねっ」
「おぅ、ばっちりや。じっくりと拝見させてもらったわい」
「ホント、間の悪いときにはしっかりと居るんだから」
「はっはっは、気にするな。誰にもフロイラインが往来の真中でこけたなんぞ言わんわい。」
「本当かしら」
「はっはっは、多分な。」
疑いの眼差しを向ける彼の背中には、まるで私の決定的瞬間を「何も見てません」というように白々しくそっぽを向いている青年が1人居る。
「(あれ?見覚えがある・・・)」
F・トーレスと東地中海で遺跡発掘に関する活動をしていた時、親しげに彼と話していた姿を1度だけ見た覚えがある。確か、名前をケンケーンと言ったかな・・・
爽やかそうな青年で酒場の女ウケするような童顔っぽい顔立ちに、伊達か実務か不明な眼鏡を掛けている。
私の視線に気付いたF・トーレスは「そうやっ」と言いながら彼を前に引き出した。
「フロイラインよ、覚えてるか?」
「以前にアテネでお見かけした方でしょう」
「そうじゃ、ケンケーンじゃ」
「初めまして、いや、お久しぶりです。かな?」
「改めて初めまして。アンレーデと申します。」
「おぉ、互いに覚えてたんか」
「この度、ゴールデン・ルーヴェに参加させていただくことになりました。」
「え?」
「はっはっは、そういう事や。前の商会からヘッドハンティングしてやったわ。」
声を上げて笑う商会長の横で、ケンケーンは「つまりはそういう事です。」と付け加えた。
「トーレスさんから噂はかねがね・・・」
ケンケーンは笑顔で握手を求める。
「まぁ、どんな噂を吹き込まれたのかしら?」
「えっと、それは・・・いろいろと・・・」
「ちょっと商会長サマ!変なこと吹き込んだんじゃないでしょうね?!」
キッと睨むようにF・トーレスに顔を向けると、それに避けるように目線を逸らす。
「いや、わしはええ話しかしてへんで、ホンマや」
「ふうん、本当かしら?」
「なんや、わしを疑うんか?」
「そんな事ありませんわ、商会長サマを全幅に信頼しますわ」
「わしって信頼ないのぉ」
「その通りね」
3人が一斉に声を出して笑う。このまま往来で話し込むのも難だろうと、昼を告げる教会の鐘を聞いて、食事を一緒しようと彼ら2人を誘った。

「わしは肉な、肉」
「俺は魚介のパスタを」
「私はキノコのを頂こうかしら」
料理が運ばれてくる間、ケンケーンの入会にいたる経緯をF・トーレスから聞かされる。
「・・・っという訳でな。」
「つまりは、偶然会って、そのまま引き摺り込んだのね?」
「そうとも言うな」
聞けば聞くほどに強引な勧誘だ、数十本のペンを犠牲に手紙を書いてようやくイザナミの入会にこぎつけた自分の苦労はなんだったのかと自棄的に笑った。
「これで、揃ったな。」
「消滅さえなくなれば、気楽なものよね」
ケンケーンが入会し商会管理局の規定する人数の確保がなったことで認可の消滅という危機はなくなった。
「俺って役に立ったんですかね?」
「もちろんや!オマエが最大の功労者やで」
「ふふふ、ケンケーンのお陰でやっと落ち着けるわ」
「そんなに誉められると・・・」
「ま、オマエやなくて、誰でも良かったんやがな」
「え?あれ?『おまえの力が必要や』って言ってたのは?」
「あぁ、あれは方便やな」
「そんな~」

ゆっくりと談笑を交えている中で、時間を気にするようにケンケーンが口を開く。
「ちょっと用事がありますので」
「なんや、また女か?」
F・トーレスの返事に言葉を詰まらせている。
「どこの良い娘さんかしら。」
「えぇ、まぁ」
照れくさそうに頭を掻くと、自らの代金を支払おうと財布を取り出す。
「ええわ、今日は気分ええから奢ったるわ」
その言葉を待ってましたと言わんばかりに立ち上がると「ごちそうさま、またお願いします。」と言うなり椅子に座る2人へ丁寧な挨拶をしてセビリアの雑踏へと小走りに消えていった。2人になったテーブルでF・トーレスは運ばれた料理を頬張りながら満足そうな顔をしている。
「発足して2ヶ月ね・・・」
「そうやな、思ったより早く見つかったな。」
「そうね。艱難辛苦と思いながら走ってきたけれど、振り返ってみれば変哲もない平野だったような気がするわ。」
「フロイラインは苦労性やな。」
「ふふ、貴方の性格が羨ましいわ」
「わしはわしで苦労してるんやぞ」
えぇわかってるわと紅茶を口へ運ぶ、彼はゆっくりとパイプに火をつける。街の雑踏は時を追うごとに賑やかさを増している。テーブルの2人は西からの風を感じながら日が朱くなるまで言葉も少なくゆっくりとした時間を楽しんでいた。

(3話 完)
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