「灯りの綱」
薄い紫煙をくゆらせながら甲板から運び出される積荷をこの船の提督はじっと見つめている。
「提督、積荷は全て運び終わりました。」
景気良く走ってきた船員の声を聞いて満足そうに返事をしては艀を降りていった。
積荷の数を間違えないようにと帳簿と照らし合わせているこの街の商人のもとへと歩みよる足取りに彼女を飾るルビーの耳飾がそれとはなしに石畳へ赤い光跡を残している。
「これはライラさん。いつもご贔屓にしてもらってます。」
恭しくその頭に被る帽子を手に取りながら商人のその男は挨拶をした。
「ご挨拶も良いけど、最近は相場が悪いわね。」
自らの船から運び出された樽に手を掛けながら態と意地悪な口調で挨拶している。
「こればっかりは。相場は生き物ですからね。良い時もあれば…それなりの時もってやつですよ。」
それは正論だという仕草を見せながら手渡される帳簿へとサインする。
「毎度どうも。いつものように口座へ振り込んでおきます。」
この仕入れ値より数倍の金額が彼の懐へと入る事を顔に滲ませながら再び商人の男は軽く頭を垂れると目の前の樽を自らの倉庫へと移動させるため馬車へと歩き出した。。
ライラは手渡された伝票の半券を胸のポケットへと収める。
「ま、元手はタダだし。十分に利益は上がってるから良いんだけどね。」
まだ運び込まれていない樽へ肘を突きながら、取り出した煙草へ火をつけるとその煙を存分に楽しみつつ、樽を運ぶ人夫の忙しい動きをじっくりと観察するように目をやった。
長い航海の間に暇つぶしとして始めた保存食作りが意外と利益を生んでいる。冒険稼業はとかく移動が長い、街から街へ時には海域から海域へと移動しては手がかりを掴んでいく。
そんな船中は海賊の襲撃でもない限り、大体の日々が無為とも思える時間である。
「なんか保存食でも作ろうっか。」
ライラがそう言い出したのは街の道具屋でそのレシピを見つけた時だった。ほんの手慰程度だと本人を含め誰もが思っていたものがそれに取って代わるものを見つけられずに今日まで続いている。
「冒険船というより、漁船に近くなってるかもね」
そんな保存食作りの最中には良くこの類の言葉が彼女の口から漏れていた。
次々と運び出される樽を他所に煙草を楽しむその煙の向こう側に小さな人だかりが奇妙に移動している。その様は砂糖へ群がる蟻のように中心に囲むその人の歩調に合わせて移動している。
「アレは何かしらね…。有名人でも居るのかしら?」
傍らで作業する自船の乗組員へ他人事のように尋ねる。
「さぁ、どうなんでしょうね。」
その船員は当の群集を一瞥し興味なし気に返事すると今はそれどころじゃない風に作業を再開する。
「うーん、見るなと言われると見たくなる。興味ないと言われると興味が出るわね。」
煙草の火を手早く消しその殻を船員へ投げ渡すとその群集へ向かって歩き出した。
「適当なところへ捨てておいて。あ、海へ捨てちゃだめよ。ちょっと見てくるから。」
その殻を受け取りながら船員はすでに小さくなった提督の後姿へ「へいへい」と返事した。
「提督、積荷は全て運び終わりました。」
景気良く走ってきた船員の声を聞いて満足そうに返事をしては艀を降りていった。
積荷の数を間違えないようにと帳簿と照らし合わせているこの街の商人のもとへと歩みよる足取りに彼女を飾るルビーの耳飾がそれとはなしに石畳へ赤い光跡を残している。
「これはライラさん。いつもご贔屓にしてもらってます。」
恭しくその頭に被る帽子を手に取りながら商人のその男は挨拶をした。
「ご挨拶も良いけど、最近は相場が悪いわね。」
自らの船から運び出された樽に手を掛けながら態と意地悪な口調で挨拶している。
「こればっかりは。相場は生き物ですからね。良い時もあれば…それなりの時もってやつですよ。」
それは正論だという仕草を見せながら手渡される帳簿へとサインする。
「毎度どうも。いつものように口座へ振り込んでおきます。」
この仕入れ値より数倍の金額が彼の懐へと入る事を顔に滲ませながら再び商人の男は軽く頭を垂れると目の前の樽を自らの倉庫へと移動させるため馬車へと歩き出した。。
ライラは手渡された伝票の半券を胸のポケットへと収める。
「ま、元手はタダだし。十分に利益は上がってるから良いんだけどね。」
まだ運び込まれていない樽へ肘を突きながら、取り出した煙草へ火をつけるとその煙を存分に楽しみつつ、樽を運ぶ人夫の忙しい動きをじっくりと観察するように目をやった。
長い航海の間に暇つぶしとして始めた保存食作りが意外と利益を生んでいる。冒険稼業はとかく移動が長い、街から街へ時には海域から海域へと移動しては手がかりを掴んでいく。
そんな船中は海賊の襲撃でもない限り、大体の日々が無為とも思える時間である。
「なんか保存食でも作ろうっか。」
ライラがそう言い出したのは街の道具屋でそのレシピを見つけた時だった。ほんの手慰程度だと本人を含め誰もが思っていたものがそれに取って代わるものを見つけられずに今日まで続いている。
「冒険船というより、漁船に近くなってるかもね」
そんな保存食作りの最中には良くこの類の言葉が彼女の口から漏れていた。
次々と運び出される樽を他所に煙草を楽しむその煙の向こう側に小さな人だかりが奇妙に移動している。その様は砂糖へ群がる蟻のように中心に囲むその人の歩調に合わせて移動している。
「アレは何かしらね…。有名人でも居るのかしら?」
傍らで作業する自船の乗組員へ他人事のように尋ねる。
「さぁ、どうなんでしょうね。」
その船員は当の群集を一瞥し興味なし気に返事すると今はそれどころじゃない風に作業を再開する。
「うーん、見るなと言われると見たくなる。興味ないと言われると興味が出るわね。」
煙草の火を手早く消しその殻を船員へ投げ渡すとその群集へ向かって歩き出した。
「適当なところへ捨てておいて。あ、海へ捨てちゃだめよ。ちょっと見てくるから。」
その殻を受け取りながら船員はすでに小さくなった提督の後姿へ「へいへい」と返事した。
その群集の全ては男性で構成されている。近寄ってもその中心に居る人物が誰だかわからないが、取り巻きは口々にその人の気を引こうとしているようだ。その集団にあって自分だけが女性であることに少々違和感を感じているものの、彼らが誰を取り巻いているのかがひどく気にかかり男達の隙間から渦中の人物を窺ってみる。
と、突然にその取り巻きがぴたりと歩みを止める。これ幸いに期を逃すまいと一斉に取り巻きが思いを口々に出す。
傍から聞くライラにとってそれは相当に鬱陶しい量の甘い言葉で、少し胸焼けを感じるようにも思えた。
「(よくもまぁ、これだけ恥ずかしい言葉を思いつく事…)」
関係ない自分が聞くだけで赤面しそうな言葉が矢継ぎ早に辺りを埋め尽くす。
「(ま、この隙に…)」
その間隙を縫うように渦中へとその体をねじ込んで前へ進もうとするが、突如その抵抗感が切り開かれて思わずライラの体がその渦中へ踊り出した。
「やっ。ライラじゃないか。」
涼しげに見える顔に大きな瞳が輝き、うなじで一束にしている髪は陽の光を浴びて淡い栗色に照らし出されている。大きくウェーブかかった髪も豪奢にも見えて清楚にも見える。
そんな不思議な雰囲気を印象付ける渦中の女性はライラを近くへ寄せると気さくに話しかけた。
「何の群れかと思えばミヤさんの連れだったのね。」
「この場合、連れって言うのかな。」
思わぬ展開に自分達の声が届きそうも無くなった群集の声はすっかりと静まり返って。不意に現れた女性との成り行きをじっと待っている。
「(オィ、ミヤさんと一緒にいるあの女性は誰だ?)」
「(知らん。しかしかなり仲がよさそうだな)」
静寂の中、時折ぼそぼそとそんな会話が聞こえてくる。
「久々に来て見ればこの有様よ。いい加減うんざりね。」
「それは人気者の証拠。私が男だったら同じくこの群集の一人になってるかもしれないわ。」
「良く言うわね。それより、暇?」
「え?まぁ、今日は何もないけど。」
ライラの返事を聞いて、ミヤはくるりと群集へと向きを変えた。それに反応して再び群集の口が開かれる。しかし、ミヤはそれを静かに制した。
「さて、私はこれから友人との大切な話があるの。貴方達との時間は終わりよ。」
周囲の顔が一斉に曇る。
「もし、私を口説こうと思ってるなら。ブレーク司令官のような強い人じゃないとだめよ。」
そう言うなりライラの手を取ると行きましょうと取り巻く群衆を割って歩き出すとその足は港へと向かった。
呆気に取られた群集はその2人が離れていくのを何も言えずに見送っていた。
「あのライラって言ったっけ。あの娘もかなり可愛いんじゃないか?」
その内の一人がそう呟いた。
と、突然にその取り巻きがぴたりと歩みを止める。これ幸いに期を逃すまいと一斉に取り巻きが思いを口々に出す。
傍から聞くライラにとってそれは相当に鬱陶しい量の甘い言葉で、少し胸焼けを感じるようにも思えた。
「(よくもまぁ、これだけ恥ずかしい言葉を思いつく事…)」
関係ない自分が聞くだけで赤面しそうな言葉が矢継ぎ早に辺りを埋め尽くす。
「(ま、この隙に…)」
その間隙を縫うように渦中へとその体をねじ込んで前へ進もうとするが、突如その抵抗感が切り開かれて思わずライラの体がその渦中へ踊り出した。
「やっ。ライラじゃないか。」
涼しげに見える顔に大きな瞳が輝き、うなじで一束にしている髪は陽の光を浴びて淡い栗色に照らし出されている。大きくウェーブかかった髪も豪奢にも見えて清楚にも見える。
そんな不思議な雰囲気を印象付ける渦中の女性はライラを近くへ寄せると気さくに話しかけた。
「何の群れかと思えばミヤさんの連れだったのね。」
「この場合、連れって言うのかな。」
思わぬ展開に自分達の声が届きそうも無くなった群集の声はすっかりと静まり返って。不意に現れた女性との成り行きをじっと待っている。
「(オィ、ミヤさんと一緒にいるあの女性は誰だ?)」
「(知らん。しかしかなり仲がよさそうだな)」
静寂の中、時折ぼそぼそとそんな会話が聞こえてくる。
「久々に来て見ればこの有様よ。いい加減うんざりね。」
「それは人気者の証拠。私が男だったら同じくこの群集の一人になってるかもしれないわ。」
「良く言うわね。それより、暇?」
「え?まぁ、今日は何もないけど。」
ライラの返事を聞いて、ミヤはくるりと群集へと向きを変えた。それに反応して再び群集の口が開かれる。しかし、ミヤはそれを静かに制した。
「さて、私はこれから友人との大切な話があるの。貴方達との時間は終わりよ。」
周囲の顔が一斉に曇る。
「もし、私を口説こうと思ってるなら。ブレーク司令官のような強い人じゃないとだめよ。」
そう言うなりライラの手を取ると行きましょうと取り巻く群衆を割って歩き出すとその足は港へと向かった。
呆気に取られた群集はその2人が離れていくのを何も言えずに見送っていた。
「あのライラって言ったっけ。あの娘もかなり可愛いんじゃないか?」
その内の一人がそう呟いた。
港のすぐ近くにある専ら船乗り達を相手に商売する酒場へと場所を移した2人はすぐに空いている席へ腰を下ろした。
「どう?新しい商会は?」
届けられたワインの味を確かめながらミヤの質問は唐突だった。
「楽しいわよ、何もかもが不足してて今が一番充実してるってかんじかな。」
ライラの答えに満足するように、ミヤ自身が所属する商会、それはかつてライラとアンレーデが所属していた商会の黎明期を思い起こすように笑みを浮かべる。
「今起こっている事が楽しいと思えるのなら充実している証拠ね。確かゴールデン・ルーヴェって名前だったかしら?」
ライラは運ばれてきたフルーツを口へ運びながら頷いて答える。
「良いわね。貴女が好きそうな名前ね。」
「私が考えたんだもの。」
「あら、そうだったの。らしいわ。」
「それなりにメンバーが増えたという手紙もちらほらと届いているし。今の所はなにもかもが順風満帆って感じね。」
そうやって近況を語るライラの様子をミヤは楽しげに見ている。
「貴女の所の商会長さんって何してる人?」
「軍人よ。ずっとインド方面への出征に向かってるけどね。」
「そうでしょうね、アッチ方面は色々と事情があるでしょうから。貴女も許可下りてるでしょう?話の種程度には行ってみないと駄目なんじゃないの?」
「どうかしら。こっちでもそれなりにやるべき事があるし。当分の間お預けね。」
「何をやるべきなのかしら」
国は違えども同じく軍に籍を置く身としてミヤは各方面の海上事情に通じている。時に名だたる海賊の討伐艦隊の一端を担うこともある程の猛者でもある。強い上に申し分ない美貌の持ち主とあっては世の男性が放っておく訳も無く、馴染みある街では先刻のような事態に巻き込まれることが度々あった。
「それにしてもアノ取り巻きにも困ったものね。馴染みの港へ戻るなりこれだもの。」
ミヤは本当に困ったような、それでいて満更でもないような顔をのぞかせながら手元のワインを飲み干した。
「そういえばライラ。ウォルって覚えてる?」
「もちろんよ。確か黒髪ですらっとした軍職の方ね、何度か一緒したわ。」
「そうそう、彼ね貴女の居る商会への申請したらしいわよ。」
「あら、それは喜ばしい事ね。って、なぜ私より先に知ってるの?」
「同じ国の軍籍にある者同士だもの。そういう貴女だっていつまで冒険してる気なの?」
「え?」
「ともに砲弾の雨を生き抜いた仲じゃない、貴女が冒険の真似事をしてるなんて勿体ないわ。」
「今は本職なんだけど…」
少し困った照れ笑いを浮かべつつ、ライラはさらに盛られている果実に手を伸ばした。
ミヤの言うとおり、かつてライラはその身を英国の軍隊に置いていた。のさばる海賊討伐へと海へ出たことも数回ではない実績を持っていた。しかし、彼女は唐突に軍籍を離れてしまったのである。
「毎日この身を砲弾が飛び交う海へと投じるのも良いけど、私はそれだけに生を受けたわけでもない。気ままに船首を向ける冒険稼業へ身を投じるのもまた一興よ。」
そんな言葉を周囲への言い訳として、今日に至るまで冒険稼業を続けている。
「結構この生活も充実してるのよ。」
新たにそのグラスへと注がれるワインが窓から差し込む淡い色彩を反射して鈍くライラを照らし出している。
その真っ赤な光線は彼女が着けている耳飾と色を同じくしている。
「そっか、ウォルが…今も連絡をそれなりに取り合ってるけど、そんな事初耳だったわ。」
「貴女の説得が効いたみたいよ。」
「どうかしらね。」
ライラとミヤはそれから、それぞれが一緒に海を駆けていた頃の話へと進んでいった。
北海を掃討要請のままに西へ東へとその船首を向けていた、北の海は霧が濃く標的が極間近としても発見できない事も多かった。朝日に乱反射してその勢力を見誤ることもあった。
どれもが、今のライラにとって過去の事ではあったが、皆で共に剣林弾雨を切り抜けた経験は冒険では得ることのできない貴重なものだった。
「いずれかは復帰するんでしょうね?貴女を数ある冒険家の中に埋もれさせるのは勿体ないわ。」
「ふふふ、どうかしら。私は貴女のように大した武勲を挙げてるわけでもないし。」
「何言ってるのよ。現役の私が言ってるのよ、貴女ならすぐにでも戦場に立てるわよ。」
「えー。そんな事したら筋肉痛で2・3日動けなくなるわ」
「大丈夫よ。貴女が居なくても船は動くわよ。」
「あっひどい。」
ライラのそんな反応を肴にするようにミヤのグラスは空と満杯を繰り返している。
「ウォルって今はどこに居るのかしら?」
「どうしたの?」
「加わってくれるとわかったからには挨拶のひとつもしておかないとね。」
「それだけ?」
「それだけの事よ、これでも商会設立のメンバーなんだからね」
「面白くないわね。」
「貴女のように、いつも取り囲まれてるとそう考えちゃうのかな?」
「それはどうかしらね。」
夜の帳も深く降りるまで、2人はその口が閉じることが無かった。かつては同じ商会へ所属しながらも今はその頃より会える時間が減ってしまった。互いに尽きぬ話題でその口が閉じることが無かった。そしてテーブルには話題以上のワインボトルが並んでいる、しかし、2人はさほどに酔っている風にもなかった。楽しい酒ほど酔わない事の証明でもあるかのように更に2人は酒量を増やしていった。
「どう?新しい商会は?」
届けられたワインの味を確かめながらミヤの質問は唐突だった。
「楽しいわよ、何もかもが不足してて今が一番充実してるってかんじかな。」
ライラの答えに満足するように、ミヤ自身が所属する商会、それはかつてライラとアンレーデが所属していた商会の黎明期を思い起こすように笑みを浮かべる。
「今起こっている事が楽しいと思えるのなら充実している証拠ね。確かゴールデン・ルーヴェって名前だったかしら?」
ライラは運ばれてきたフルーツを口へ運びながら頷いて答える。
「良いわね。貴女が好きそうな名前ね。」
「私が考えたんだもの。」
「あら、そうだったの。らしいわ。」
「それなりにメンバーが増えたという手紙もちらほらと届いているし。今の所はなにもかもが順風満帆って感じね。」
そうやって近況を語るライラの様子をミヤは楽しげに見ている。
「貴女の所の商会長さんって何してる人?」
「軍人よ。ずっとインド方面への出征に向かってるけどね。」
「そうでしょうね、アッチ方面は色々と事情があるでしょうから。貴女も許可下りてるでしょう?話の種程度には行ってみないと駄目なんじゃないの?」
「どうかしら。こっちでもそれなりにやるべき事があるし。当分の間お預けね。」
「何をやるべきなのかしら」
国は違えども同じく軍に籍を置く身としてミヤは各方面の海上事情に通じている。時に名だたる海賊の討伐艦隊の一端を担うこともある程の猛者でもある。強い上に申し分ない美貌の持ち主とあっては世の男性が放っておく訳も無く、馴染みある街では先刻のような事態に巻き込まれることが度々あった。
「それにしてもアノ取り巻きにも困ったものね。馴染みの港へ戻るなりこれだもの。」
ミヤは本当に困ったような、それでいて満更でもないような顔をのぞかせながら手元のワインを飲み干した。
「そういえばライラ。ウォルって覚えてる?」
「もちろんよ。確か黒髪ですらっとした軍職の方ね、何度か一緒したわ。」
「そうそう、彼ね貴女の居る商会への申請したらしいわよ。」
「あら、それは喜ばしい事ね。って、なぜ私より先に知ってるの?」
「同じ国の軍籍にある者同士だもの。そういう貴女だっていつまで冒険してる気なの?」
「え?」
「ともに砲弾の雨を生き抜いた仲じゃない、貴女が冒険の真似事をしてるなんて勿体ないわ。」
「今は本職なんだけど…」
少し困った照れ笑いを浮かべつつ、ライラはさらに盛られている果実に手を伸ばした。
ミヤの言うとおり、かつてライラはその身を英国の軍隊に置いていた。のさばる海賊討伐へと海へ出たことも数回ではない実績を持っていた。しかし、彼女は唐突に軍籍を離れてしまったのである。
「毎日この身を砲弾が飛び交う海へと投じるのも良いけど、私はそれだけに生を受けたわけでもない。気ままに船首を向ける冒険稼業へ身を投じるのもまた一興よ。」
そんな言葉を周囲への言い訳として、今日に至るまで冒険稼業を続けている。
「結構この生活も充実してるのよ。」
新たにそのグラスへと注がれるワインが窓から差し込む淡い色彩を反射して鈍くライラを照らし出している。
その真っ赤な光線は彼女が着けている耳飾と色を同じくしている。
「そっか、ウォルが…今も連絡をそれなりに取り合ってるけど、そんな事初耳だったわ。」
「貴女の説得が効いたみたいよ。」
「どうかしらね。」
ライラとミヤはそれから、それぞれが一緒に海を駆けていた頃の話へと進んでいった。
北海を掃討要請のままに西へ東へとその船首を向けていた、北の海は霧が濃く標的が極間近としても発見できない事も多かった。朝日に乱反射してその勢力を見誤ることもあった。
どれもが、今のライラにとって過去の事ではあったが、皆で共に剣林弾雨を切り抜けた経験は冒険では得ることのできない貴重なものだった。
「いずれかは復帰するんでしょうね?貴女を数ある冒険家の中に埋もれさせるのは勿体ないわ。」
「ふふふ、どうかしら。私は貴女のように大した武勲を挙げてるわけでもないし。」
「何言ってるのよ。現役の私が言ってるのよ、貴女ならすぐにでも戦場に立てるわよ。」
「えー。そんな事したら筋肉痛で2・3日動けなくなるわ」
「大丈夫よ。貴女が居なくても船は動くわよ。」
「あっひどい。」
ライラのそんな反応を肴にするようにミヤのグラスは空と満杯を繰り返している。
「ウォルって今はどこに居るのかしら?」
「どうしたの?」
「加わってくれるとわかったからには挨拶のひとつもしておかないとね。」
「それだけ?」
「それだけの事よ、これでも商会設立のメンバーなんだからね」
「面白くないわね。」
「貴女のように、いつも取り囲まれてるとそう考えちゃうのかな?」
「それはどうかしらね。」
夜の帳も深く降りるまで、2人はその口が閉じることが無かった。かつては同じ商会へ所属しながらも今はその頃より会える時間が減ってしまった。互いに尽きぬ話題でその口が閉じることが無かった。そしてテーブルには話題以上のワインボトルが並んでいる、しかし、2人はさほどに酔っている風にもなかった。楽しい酒ほど酔わない事の証明でもあるかのように更に2人は酒量を増やしていった。
最後の客になる前に2人はその酒場を後にした。
ライラが何気に見上げた夜空には霞掛かった半月がその神秘な光を街中の石畳に照らしている。群青色に染め抜かれた街は静寂の中にライラの靴音だけを響かせながら新たに朝日を迎えるために息を潜めているようにも感じられた。
久々の美味い酒に普段より歩調もゆっくりとミヤと分かれた路地を歩き進む。つきの光に覚まされた街の空気が体温の上がった胸に大きく吸い込むと、一呼吸ごとに一杯ずつの酒が覚めるような心地よさが広がる。
こつこつと響く靴音のリズムは陽気な気持ちを楽譜にできそうなほどに小気味良い、宵の道すがらライラは今日の今までの感じるとも感じてしまう一瞬の風のように流れれきた日々を思い起こしていた。
「海に出て、商会に入ったと思ったら商会を設立しちゃって…。新しい仲間も続々と集まってるわね。」
少し俯き加減に進路を見据えながら、ライラの言葉は続く。それは、日々記す航海日記には決して書き込むこともない内動的な言葉を整理しているだけのようでもあった。
時には指を折りながら、または大きな溜息を含みながら、立ち止まり、また歩を進めては今日までの事柄を反芻するように足跡を辿っていた。
銀色の髪留めが淡い光を反射し、その反射光で彼女の銀髪が美しくそして柔らかくゆれている。
ミヤと別れて何本目かの筋を過ぎた時、その足跡を辿る彼女の一人旅は今日に至った。
「ざっとこんなものかな。」
彼女の全身に軽く力がこもる、商会の事も自身が選らんだ現状にもこれからのやるべき事は今この街に住む全ての人の手を合わせても越えるほどの数で待ち受けている。それを考えるにつけライラは自身を鼓舞せずには居られず、その言葉が思わず口を突いていた。
「ぃよし!頑張らないとね。」
少し語気の強い意志が街角で静かに響いた。大方が眠りに付こうとしている街はそのライラの台詞を静かに飲み込むと再び静寂で辺りを支配した。ライラの視線はしっかりと正面を見据えてまっすぐに歩きはじめていた。
ライラが何気に見上げた夜空には霞掛かった半月がその神秘な光を街中の石畳に照らしている。群青色に染め抜かれた街は静寂の中にライラの靴音だけを響かせながら新たに朝日を迎えるために息を潜めているようにも感じられた。
久々の美味い酒に普段より歩調もゆっくりとミヤと分かれた路地を歩き進む。つきの光に覚まされた街の空気が体温の上がった胸に大きく吸い込むと、一呼吸ごとに一杯ずつの酒が覚めるような心地よさが広がる。
こつこつと響く靴音のリズムは陽気な気持ちを楽譜にできそうなほどに小気味良い、宵の道すがらライラは今日の今までの感じるとも感じてしまう一瞬の風のように流れれきた日々を思い起こしていた。
「海に出て、商会に入ったと思ったら商会を設立しちゃって…。新しい仲間も続々と集まってるわね。」
少し俯き加減に進路を見据えながら、ライラの言葉は続く。それは、日々記す航海日記には決して書き込むこともない内動的な言葉を整理しているだけのようでもあった。
時には指を折りながら、または大きな溜息を含みながら、立ち止まり、また歩を進めては今日までの事柄を反芻するように足跡を辿っていた。
銀色の髪留めが淡い光を反射し、その反射光で彼女の銀髪が美しくそして柔らかくゆれている。
ミヤと別れて何本目かの筋を過ぎた時、その足跡を辿る彼女の一人旅は今日に至った。
「ざっとこんなものかな。」
彼女の全身に軽く力がこもる、商会の事も自身が選らんだ現状にもこれからのやるべき事は今この街に住む全ての人の手を合わせても越えるほどの数で待ち受けている。それを考えるにつけライラは自身を鼓舞せずには居られず、その言葉が思わず口を突いていた。
「ぃよし!頑張らないとね。」
少し語気の強い意志が街角で静かに響いた。大方が眠りに付こうとしている街はそのライラの台詞を静かに飲み込むと再び静寂で辺りを支配した。ライラの視線はしっかりと正面を見据えてまっすぐに歩きはじめていた。
「いよぉ、ねーさん。ご機嫌そうだね。」
港の酒場を出て、桟橋まで幾許かとなった角で見るからに酩酊した男達にライラの歩みは止められた。
「機嫌良いついでに俺らと一緒しない?」
どこか訛りのある英語がライラの耳に鬱陶しく聞こえる。
「一緒に良いことしようぜ、へへへ」
上機嫌な酒が一気に覚めるような言葉にライラは辟易するように溜息をついた。
「ご機嫌なようね、互いにご機嫌ならそれに越した事はないわ。今日はお生憎様ね」
酔った相手には体の良い断り文句は役に立たないも承知でライラはその男達を無視するように歩き始めた。
「そう言うなよ~。一緒に天国へ行こうぜぇ」
「貴方達に付き合うほどの余裕も暇もないわ。遊びたければ橋の近くでも行きなさい。」
「へっ、あんな売女共には興味ねぇよ。それより一緒に遊ぼうぜぇ」
「お生憎様ね、ほかを当たりなさい。」
そう言い捨てながら通り過ぎようとした。しかし、一人の男がライラの腕を掴み引きとめようとする。
「まぁ、待てよ。こっちだって下手に出てい…」
そう言う男は自らの言葉を発しきらないうちに背中に激しい衝撃を受けるとともに夜空を見上げるように石畳へ投げ飛ばされていた。
「なっ!何をしやがる、この女!」
「勝手に転んだんでしょ、お酒は飲みすぎに注意しないとね。」
「うるせぇ。黙ってついてくりゃ、良いんだ。怪我したいのか!」
「あら、まぁ。レディーを口説く文句に気品のかけらも無いのね。それじゃ、誰もついてこないでしょうね。」
「てめぇ…」
「じゃあね、鏡見ながら口説き文句の練習でもしてなさい。もっとも、その顔じゃ無理かしらね。」
「うるせぇ、このジョンブルが!調子こいてんじゃねぇぞ。」
そう言うなり男達はライラに襲い掛かっていく。
港の酒場を出て、桟橋まで幾許かとなった角で見るからに酩酊した男達にライラの歩みは止められた。
「機嫌良いついでに俺らと一緒しない?」
どこか訛りのある英語がライラの耳に鬱陶しく聞こえる。
「一緒に良いことしようぜ、へへへ」
上機嫌な酒が一気に覚めるような言葉にライラは辟易するように溜息をついた。
「ご機嫌なようね、互いにご機嫌ならそれに越した事はないわ。今日はお生憎様ね」
酔った相手には体の良い断り文句は役に立たないも承知でライラはその男達を無視するように歩き始めた。
「そう言うなよ~。一緒に天国へ行こうぜぇ」
「貴方達に付き合うほどの余裕も暇もないわ。遊びたければ橋の近くでも行きなさい。」
「へっ、あんな売女共には興味ねぇよ。それより一緒に遊ぼうぜぇ」
「お生憎様ね、ほかを当たりなさい。」
そう言い捨てながら通り過ぎようとした。しかし、一人の男がライラの腕を掴み引きとめようとする。
「まぁ、待てよ。こっちだって下手に出てい…」
そう言う男は自らの言葉を発しきらないうちに背中に激しい衝撃を受けるとともに夜空を見上げるように石畳へ投げ飛ばされていた。
「なっ!何をしやがる、この女!」
「勝手に転んだんでしょ、お酒は飲みすぎに注意しないとね。」
「うるせぇ。黙ってついてくりゃ、良いんだ。怪我したいのか!」
「あら、まぁ。レディーを口説く文句に気品のかけらも無いのね。それじゃ、誰もついてこないでしょうね。」
「てめぇ…」
「じゃあね、鏡見ながら口説き文句の練習でもしてなさい。もっとも、その顔じゃ無理かしらね。」
「うるせぇ、このジョンブルが!調子こいてんじゃねぇぞ。」
そう言うなり男達はライラに襲い掛かっていく。
辺りに積まれている荷箱や樽をどかどかと蹴散らしながらの騒動が始まった。退いたとは言え一国の軍職についていたライラにとって相手は取るに足りない酔っ払いに過ぎなかった。
「おーい、ケンカだー!」
千鳥足の酔っ払いがお構いなしに、と言うより自滅的に辺りに積まれている物を倒し、壊す音に気づいた誰かがそう叫んだ。
「困ったわね…」
危害はさほどに加えたくない、しかし頭に血が上った男達は言って止める事もないだろうとライラはじりじりと近寄る男達との間合いを保ちつつこの騒動をとめる算段を考えていた。
「もぅ、諦めたら?この騒ぎで憲兵が来るわよ。」
目的と行動が一致しなくなってきている男達はそんなライラの言葉に耳を貸すことなく襲い掛かってくる。
このまま男達との体力勝負で逃げるのも一策でもあったが、群集がやってくるまでにそうも時間がないのがその手を諦める原因ともなった。そんな事を考えるライラの耳に何人かが集まってくる足音もかすかながらに感じ取れていた。
「(憲兵とか来ると面倒ね、隙をみてかけっこ勝負にしようかしら)」
自分の中でそう考えがまとまると、勢い良く走り出せる隙間をライラは探し始めた。
しかし、夜に複数相手だとその隙間を見つける事にも時間がかかり、ましては息も切れかけた男達は無闇に飛び掛ってくることもなくじりじりとライラを取り囲むように迫ってきていた。
そんな無駄遣いな時間の中、とうとう数人の群集が現場の野次馬に到着してしまった。
「おぃ、女が襲われてるぞ。」
真っ先に到着した群衆の一人が目の前の状況を把握してそう叫んだ。
「(あちゃ…)」
思わずライラの顔が渋皮を噛んだように歪む。
群集の到着に焦っていたのはライラを追う男達の方が勝っていた。目の前の相手を襲い目標を達成しても悪であり、この場から逃げ出しても良い笑いものとなってしまう二者択一に、ただとりあえず当初の行動を続ける事に逃げ場を求めているようだった。
そして、そんな男達の破れかぶれの襲撃が始まった。
「はい、そこまでっ!」
と、遅れて駆けつけた二・三人がその場に飛び出して来てはライラを襲う男達の行動を軽々と制し、抵抗する者には容赦なく当身をお見舞いし、その一瞬でその場を鎮めてしまった。
「イングランド軍の者である。静寂の街に騒動を起こすとは何事か!」
その一喝に場が一瞬で静まり返る。
「女性に集団で暴行しようという振る舞い許されざる行為である。また、制することもせず、ただ見物に周りに集まった者も勇無き者だ恥を知れ!」
男の声は縄をかけられている男達とともに周りの群集にも容赦なく突き刺さる。
その言葉を聞いて逃げるように群衆は散ってゆく。
「ふん。中には名の通った者も居るだろうに…」
思わぬ事態に絶好の逃げる機会を得たライラはその場を制する男の目線が群集に向けられている隙にその場を離れようと、その足先を桟橋へ向けようとした。
「お嬢さん、お怪我はないでしょうか?」
一歩出るより先にイングランド軍人はライラへ向きを変えると先ほどとは違って優しい口調でそう問いかけてきた。
「えぇ、貴殿のお陰で事なきを得ましたわ。」
一応にその軍人を配慮する言葉で返事をしながら、身なりを整えるふりをする。
「この場は私が責任を持って処理いたします。よろしければ私の部下に送らせましょう。」
「いぇ、お構いなく。自船もすぐ近くですし。」
イングランド軍人はライラの近くまで歩を進めると、目の前の女性がただ気丈に振舞っているだけではないかと心配するようにその様子を伺っている。
「あれ?もしかして姫?」
裏返ったような声がライラの耳に響く。
「え?……あ、ウォルじゃない。」
「やっぱり、こんな所で何してんの?」
「何って。とりあえず襲われてたのよ。」
「いぁ、そうじゃなくてさ。」
「ったく、軍人さんが治安維持やってくれてないから大変な目に遭ったわ。」
痛いところを突かれたウォルも少し言葉に詰まったように、メガネの位置を直す仕草をする。
「そう言うなよ。コッチは遠征帰りなんだしさ」
「知らないわ。」
「しかし、姫と分かっていればこんなにする事もなかったな。ま、この場は俺が片付けておくよ。」
「なぁに?それはどういう事よっ!」
ライラはウォルの向う脛を蹴り上げた。
「痛ぁっ!」
「ったく、もぅ良いかしら?私は船へ帰るわ。」
「部下に送らせようか?」
ウォルの誘いに手を横に振って返事する。
「近くだし、良いわ。」
「憲兵さまが到着のようだ。片付けはしておくから明日にでも会おうや。」
「そうね。」
自船へと続く桟橋へと悠然と歩き出したライラの耳に駆けつけた憲兵を叱責するウォルの声が聞こえる。それと同時に人のつまらない騒動に動じることなく不規則に打ち寄せる潮騒が少し興奮しているライラに平静さを取り戻させようと繰り返している。
酒場を出た歩調に似た足取りで自船の艀に足を駆けた。ふと見上げた真天には全てを理解したように佇む月がその役目を半分終えた姿で瞳に映っていた。
「おーい、ケンカだー!」
千鳥足の酔っ払いがお構いなしに、と言うより自滅的に辺りに積まれている物を倒し、壊す音に気づいた誰かがそう叫んだ。
「困ったわね…」
危害はさほどに加えたくない、しかし頭に血が上った男達は言って止める事もないだろうとライラはじりじりと近寄る男達との間合いを保ちつつこの騒動をとめる算段を考えていた。
「もぅ、諦めたら?この騒ぎで憲兵が来るわよ。」
目的と行動が一致しなくなってきている男達はそんなライラの言葉に耳を貸すことなく襲い掛かってくる。
このまま男達との体力勝負で逃げるのも一策でもあったが、群集がやってくるまでにそうも時間がないのがその手を諦める原因ともなった。そんな事を考えるライラの耳に何人かが集まってくる足音もかすかながらに感じ取れていた。
「(憲兵とか来ると面倒ね、隙をみてかけっこ勝負にしようかしら)」
自分の中でそう考えがまとまると、勢い良く走り出せる隙間をライラは探し始めた。
しかし、夜に複数相手だとその隙間を見つける事にも時間がかかり、ましては息も切れかけた男達は無闇に飛び掛ってくることもなくじりじりとライラを取り囲むように迫ってきていた。
そんな無駄遣いな時間の中、とうとう数人の群集が現場の野次馬に到着してしまった。
「おぃ、女が襲われてるぞ。」
真っ先に到着した群衆の一人が目の前の状況を把握してそう叫んだ。
「(あちゃ…)」
思わずライラの顔が渋皮を噛んだように歪む。
群集の到着に焦っていたのはライラを追う男達の方が勝っていた。目の前の相手を襲い目標を達成しても悪であり、この場から逃げ出しても良い笑いものとなってしまう二者択一に、ただとりあえず当初の行動を続ける事に逃げ場を求めているようだった。
そして、そんな男達の破れかぶれの襲撃が始まった。
「はい、そこまでっ!」
と、遅れて駆けつけた二・三人がその場に飛び出して来てはライラを襲う男達の行動を軽々と制し、抵抗する者には容赦なく当身をお見舞いし、その一瞬でその場を鎮めてしまった。
「イングランド軍の者である。静寂の街に騒動を起こすとは何事か!」
その一喝に場が一瞬で静まり返る。
「女性に集団で暴行しようという振る舞い許されざる行為である。また、制することもせず、ただ見物に周りに集まった者も勇無き者だ恥を知れ!」
男の声は縄をかけられている男達とともに周りの群集にも容赦なく突き刺さる。
その言葉を聞いて逃げるように群衆は散ってゆく。
「ふん。中には名の通った者も居るだろうに…」
思わぬ事態に絶好の逃げる機会を得たライラはその場を制する男の目線が群集に向けられている隙にその場を離れようと、その足先を桟橋へ向けようとした。
「お嬢さん、お怪我はないでしょうか?」
一歩出るより先にイングランド軍人はライラへ向きを変えると先ほどとは違って優しい口調でそう問いかけてきた。
「えぇ、貴殿のお陰で事なきを得ましたわ。」
一応にその軍人を配慮する言葉で返事をしながら、身なりを整えるふりをする。
「この場は私が責任を持って処理いたします。よろしければ私の部下に送らせましょう。」
「いぇ、お構いなく。自船もすぐ近くですし。」
イングランド軍人はライラの近くまで歩を進めると、目の前の女性がただ気丈に振舞っているだけではないかと心配するようにその様子を伺っている。
「あれ?もしかして姫?」
裏返ったような声がライラの耳に響く。
「え?……あ、ウォルじゃない。」
「やっぱり、こんな所で何してんの?」
「何って。とりあえず襲われてたのよ。」
「いぁ、そうじゃなくてさ。」
「ったく、軍人さんが治安維持やってくれてないから大変な目に遭ったわ。」
痛いところを突かれたウォルも少し言葉に詰まったように、メガネの位置を直す仕草をする。
「そう言うなよ。コッチは遠征帰りなんだしさ」
「知らないわ。」
「しかし、姫と分かっていればこんなにする事もなかったな。ま、この場は俺が片付けておくよ。」
「なぁに?それはどういう事よっ!」
ライラはウォルの向う脛を蹴り上げた。
「痛ぁっ!」
「ったく、もぅ良いかしら?私は船へ帰るわ。」
「部下に送らせようか?」
ウォルの誘いに手を横に振って返事する。
「近くだし、良いわ。」
「憲兵さまが到着のようだ。片付けはしておくから明日にでも会おうや。」
「そうね。」
自船へと続く桟橋へと悠然と歩き出したライラの耳に駆けつけた憲兵を叱責するウォルの声が聞こえる。それと同時に人のつまらない騒動に動じることなく不規則に打ち寄せる潮騒が少し興奮しているライラに平静さを取り戻させようと繰り返している。
酒場を出た歩調に似た足取りで自船の艀に足を駆けた。ふと見上げた真天には全てを理解したように佇む月がその役目を半分終えた姿で瞳に映っていた。
ウォルを待つライラはすでに3杯目のコーヒーを空にしていた。
「アンレはこれが駄目だって言ってたけど、この香りと味はなんとも言えないわね」
4杯目のカップを近づけその香りをこの上なく楽しむように感嘆の言葉をあげた。
「なにより、どのお菓子にも抜群の相性だし、あの娘も案外と古い感覚ね。」
そう言って足を組みなおすと、煙草を取り出して火をつけた。
紫色の煙が一筋、二筋と揺れる。
この街は時間がゆっくりと流れていると錯覚するように喧騒からかけ離れ、陽が上ると動き、日が沈むと眠る。生きる事と商売することに忙しい大都市と比べると寄港する船乗りも少ない。それゆえにこうやって何時間も人待ちの為に席を占領することに何も抵抗感を感じないのも魅力の一端でもあった。
しかも、この店の主は流行り始めたばかりの嗜好品を真っ先に仕入れる筋を持っているお陰でライラもコーヒーを堪能できていた。しかし、流通量の多い大都市と比べると若干に割高でもあったが「好む嗜好品にはケチをつけるな」を身上とするライラにとって、その割高感でさえこの街を味わう風情の一端であると感じていた。
彼女が味わう煙草の火より少しだけ陽気な太陽の日差しに作られたウォルの影がライラの待つ席へと近づいてきた。
「いぁ。お待たせ。」
「ん、大した時間じゃないから大丈夫。」
そういうライラが座る席のテーブルに目をやると、彼女がどれだけの時間をここで待っていたかという証拠をウォルは確認した。
「酒が入ってないね。珍しい。」
席に着くなりウォルの一声はテーブルを見渡した感想から始まった。
「まだ昼だからね。それよりウォル…」
「なんだい?」
「アンタ、ウチの商会へ入会するって私に知らせないってどういう事よ。」
少し座り心地の悪い椅子に深く腰を掛け直しながら、ウォルは眼鏡を直しライラの顔をまっすぐに向かった。
「特にない!」
真顔でそう答えると届けられた紅茶に手を伸ばした。
「んー。やはり紅茶だね…この透き通ったルビーにも例えられるこの一杯が明日への活力よ。」
「なによそれ。」
ウォルの一連の言動にライラは思わず噴出すように笑ってしまった。
ライラはウォルが遅れた理由を聞く事も問い詰めることもせず、ウォルは遅れた原因を釈明することもしない。それは戦場を共にした者同士で分かり合っている暗黙の了解がそこに敷かれているように本題へと話題は移っていった。
「軍人が商会へ入るってのも不思議な話だんだが。」そう言いながら、パラドックス的な問題をライラへ投げるような、それでいて自らの考えを吐露するような口調でウォルは口を開いた。
「そうそう、知ってる?」
ウォルは立て続けに口を動かす。
「姫の商会って、もぅ上から数えて早いぐらいになってるね。」
「あら、そうなの?」
すごい成長率だよと感嘆の声を上げるウォルに対してライラは至って平然とコーヒーに手を伸ばしている。
「しかしねウォル。明日そして一ヵ月後、更には一年後も同じ事だという保障はないのよ。」
「また、難しい事言ってるね。今日の成長は明日の視線が変わるということだろう。」
「その視線さえ、何者に取って代わられるかも知れないガラス張りの台座なの。」
「大丈夫さ。なんて言ったって姫が居るんだしさ。」
ライラの答えは片手を振ってそれを否定すると共にウォルの想像をそれる言葉だった。
「商会こそが一人の人間なの。例え言葉だけが独り歩きしたとしてもその老いをとめる事はできないわ。」
でもね、とライラは続ける。
「栄枯盛衰は世の理としても、常に人は隆盛を保とうとしてきたわ。ウォル、私はね、ゴールデンルーヴェもそんな普遍的商会で良いと思ってるの。」
そう言うなりライラは煙草に火をつけた。
「ふぅん。」
「ま、てっぺんに上れるならそれもそれで良いけどね。」
その街に吹く柔らかな風にも似た笑みを浮かべてライラは言葉を止めた。店先に軒の影を落とす日差しは昼過ぎを示している。2人はこの地方の名物である羊肉を使った料理を共にしながら、取りとめもない会話を続けていた。
「それでね、そこの学者と来たら偏屈もいいところで…って、ウォル。お客さんみたいよ。」
中年の装いに戦場の場数をその雰囲気からも察することのできる男が2人のテーブルへと近づいてきた。
「ウォル提督。お楽しみのところ申し訳ないのですが…」
礼儀正しくライラに一礼した後、重く響く言葉がその男から発せられた。
「あぁ、コレはウチの副でね。うんうん、分かってる。仕方ないな。」
男の意を解するうように手を止めると、ウォルはライラに向きをなおした。
「姫、すまん。もう時間のようだ。機会があればまたゆっくりしようや。」
「お仕事忙しそうね。」
「昨夜のゴタゴタとか、次の出征とやらで痩せる思いだね。」
「痩せたらもっと良い男になるかもよ?」
「いぁ、今でも十分良い男だから。」
「はいはい、行ってらっしゃい。」
中座する者の侘びだと言いながら、今までの勘定を済ませるように副官へと告げるとウォルは席を立った。
「商会長殿によろしく伝えといてくれ。」
了解したと返礼するライラの手が下りるとウォルは戻ってきた副官を従えて港へと歩き出した。
「商会長ね…、インドに行ったきりなんだけどね。何してるのかしら。」
綺麗に平らげた羊料理の皿を片付けにきた店員に紅茶を注文すると人通りの少ない路地を視界に入れながら頬杖をついてその到着を待った。
昨日と違ってエメラルドをあしらった耳飾がライラを飾る。アフリカ大陸の海を思わせる深いグリーンに光るその表面にはつむじ風に巻き上げられた一筋の砂塵が小さく写りこんでいた。
「アンレはこれが駄目だって言ってたけど、この香りと味はなんとも言えないわね」
4杯目のカップを近づけその香りをこの上なく楽しむように感嘆の言葉をあげた。
「なにより、どのお菓子にも抜群の相性だし、あの娘も案外と古い感覚ね。」
そう言って足を組みなおすと、煙草を取り出して火をつけた。
紫色の煙が一筋、二筋と揺れる。
この街は時間がゆっくりと流れていると錯覚するように喧騒からかけ離れ、陽が上ると動き、日が沈むと眠る。生きる事と商売することに忙しい大都市と比べると寄港する船乗りも少ない。それゆえにこうやって何時間も人待ちの為に席を占領することに何も抵抗感を感じないのも魅力の一端でもあった。
しかも、この店の主は流行り始めたばかりの嗜好品を真っ先に仕入れる筋を持っているお陰でライラもコーヒーを堪能できていた。しかし、流通量の多い大都市と比べると若干に割高でもあったが「好む嗜好品にはケチをつけるな」を身上とするライラにとって、その割高感でさえこの街を味わう風情の一端であると感じていた。
彼女が味わう煙草の火より少しだけ陽気な太陽の日差しに作られたウォルの影がライラの待つ席へと近づいてきた。
「いぁ。お待たせ。」
「ん、大した時間じゃないから大丈夫。」
そういうライラが座る席のテーブルに目をやると、彼女がどれだけの時間をここで待っていたかという証拠をウォルは確認した。
「酒が入ってないね。珍しい。」
席に着くなりウォルの一声はテーブルを見渡した感想から始まった。
「まだ昼だからね。それよりウォル…」
「なんだい?」
「アンタ、ウチの商会へ入会するって私に知らせないってどういう事よ。」
少し座り心地の悪い椅子に深く腰を掛け直しながら、ウォルは眼鏡を直しライラの顔をまっすぐに向かった。
「特にない!」
真顔でそう答えると届けられた紅茶に手を伸ばした。
「んー。やはり紅茶だね…この透き通ったルビーにも例えられるこの一杯が明日への活力よ。」
「なによそれ。」
ウォルの一連の言動にライラは思わず噴出すように笑ってしまった。
ライラはウォルが遅れた理由を聞く事も問い詰めることもせず、ウォルは遅れた原因を釈明することもしない。それは戦場を共にした者同士で分かり合っている暗黙の了解がそこに敷かれているように本題へと話題は移っていった。
「軍人が商会へ入るってのも不思議な話だんだが。」そう言いながら、パラドックス的な問題をライラへ投げるような、それでいて自らの考えを吐露するような口調でウォルは口を開いた。
「そうそう、知ってる?」
ウォルは立て続けに口を動かす。
「姫の商会って、もぅ上から数えて早いぐらいになってるね。」
「あら、そうなの?」
すごい成長率だよと感嘆の声を上げるウォルに対してライラは至って平然とコーヒーに手を伸ばしている。
「しかしねウォル。明日そして一ヵ月後、更には一年後も同じ事だという保障はないのよ。」
「また、難しい事言ってるね。今日の成長は明日の視線が変わるということだろう。」
「その視線さえ、何者に取って代わられるかも知れないガラス張りの台座なの。」
「大丈夫さ。なんて言ったって姫が居るんだしさ。」
ライラの答えは片手を振ってそれを否定すると共にウォルの想像をそれる言葉だった。
「商会こそが一人の人間なの。例え言葉だけが独り歩きしたとしてもその老いをとめる事はできないわ。」
でもね、とライラは続ける。
「栄枯盛衰は世の理としても、常に人は隆盛を保とうとしてきたわ。ウォル、私はね、ゴールデンルーヴェもそんな普遍的商会で良いと思ってるの。」
そう言うなりライラは煙草に火をつけた。
「ふぅん。」
「ま、てっぺんに上れるならそれもそれで良いけどね。」
その街に吹く柔らかな風にも似た笑みを浮かべてライラは言葉を止めた。店先に軒の影を落とす日差しは昼過ぎを示している。2人はこの地方の名物である羊肉を使った料理を共にしながら、取りとめもない会話を続けていた。
「それでね、そこの学者と来たら偏屈もいいところで…って、ウォル。お客さんみたいよ。」
中年の装いに戦場の場数をその雰囲気からも察することのできる男が2人のテーブルへと近づいてきた。
「ウォル提督。お楽しみのところ申し訳ないのですが…」
礼儀正しくライラに一礼した後、重く響く言葉がその男から発せられた。
「あぁ、コレはウチの副でね。うんうん、分かってる。仕方ないな。」
男の意を解するうように手を止めると、ウォルはライラに向きをなおした。
「姫、すまん。もう時間のようだ。機会があればまたゆっくりしようや。」
「お仕事忙しそうね。」
「昨夜のゴタゴタとか、次の出征とやらで痩せる思いだね。」
「痩せたらもっと良い男になるかもよ?」
「いぁ、今でも十分良い男だから。」
「はいはい、行ってらっしゃい。」
中座する者の侘びだと言いながら、今までの勘定を済ませるように副官へと告げるとウォルは席を立った。
「商会長殿によろしく伝えといてくれ。」
了解したと返礼するライラの手が下りるとウォルは戻ってきた副官を従えて港へと歩き出した。
「商会長ね…、インドに行ったきりなんだけどね。何してるのかしら。」
綺麗に平らげた羊料理の皿を片付けにきた店員に紅茶を注文すると人通りの少ない路地を視界に入れながら頬杖をついてその到着を待った。
昨日と違ってエメラルドをあしらった耳飾がライラを飾る。アフリカ大陸の海を思わせる深いグリーンに光るその表面にはつむじ風に巻き上げられた一筋の砂塵が小さく写りこんでいた。
「提督!」
「い や だ !」
いきなり入ってきた船員に対してその内容も聞かずに即答する。
「どうせ、出撃指令やろ。そんなもん無視や。」
机に足を放り出すような格好の提督は言葉に詰まる船員を見ることなく煙草の煙にかすむ天井を眺めている。
連日連夜における戦闘で存分に傷ついた船の修理がようやく終わったばかりだった。
「船の修理が片付いてまだ2日やぞ。修理費も捻出せなならんが、船より先にコッチの体がポンコツになってまうわ。そんなもん無視しとけ。」
その手に持つ指令書とその他の文書の行く先を失って、船員はどうしようかと部屋の入り口で突っ立っている。こういう状態の提督には何を言っても効果がないのは百も承知だし、彼自身出撃に対しては提督の言よろしく少なからず反対と賛成の気持ちがあった。それでも指令書を預かってきた以上、是非についての返答を持ち帰らなければならない者としては提督の返事をそのままに鵜呑みにして先方に伝えるわけも行かず、どうしようかと立ち尽くすしかできないでいた。
「まぁ、ええわ。とりあえず、その指令とやらを読んでみ。」
変わらずに視線は天井を向いている、柔らかく流れる煙草の煙が時間の経過をゆっくりと表している。
『指令 カリカットに駐留するイスパニアの精鋭に告ぐ。昨今、この近海において我が国の船舶に対する海賊行為が著しくまた、許されざる行為である。我らの威信を乱す不穏な輩共を駆逐し、我が国が失った権威を回復させよ。諸卿達が正義を存分に履行することを期待する。』
穏やかな波に揺れる船体がきいきいと声をあげている。船室は船乗りの声を最後にそのきしむ音以外はしんと静まりかえり、ただこの船の提督が空中にはく煙がその量を増やしているだけだった。
手元にある内容を声にして読み上げて以来、急に提督の雰囲気が変わったのを船員は感じ取っている。見るからに不機嫌なのが容易に見て取れる。
妙に静かな時間がその場を支配して数秒、それはそこに居る船員にとっては耐え難いほどの数時間にも感じる時間が経過した後、煙草を咥えている提督の語気が荒くなる。
「ふん。正義だと?立場とは時代の副産物や、この海では俺等の方が侵略者やぞ。」
20年我々が進んでいるとしてそれが何の優劣や…船を沈める砲弾は誰も彼も選べへん、残ってるんは負傷した人間と行使した力の痕だけ。机の上でしか物事を考えられへんお偉いさんほど身の程を弁えん奴が多い。彼らが持つ正義の根幹こそもっとも真実に近いと分からんもんやな。言葉にならない、喉の奥から搾り出すような低い声を天井へと投げかける。
提督の信じられないような発言に船員はその手に持つ書類を眺めるだけしかできないで居た。聞き様によっては本国に対する造反の心さえ伺えるような危険極まりない発言だった。
「まぁ、しかし。俺は現状の立場を放棄するほど弱くはないがな…ともかく、今は気分が乗らん。お偉いさんには適当に返事しとってくれ。」
「はぁ」
力ない返事が船員の口から漏れる、指令書の内容もそれらしく聞こえるが、目の前に居る提督の言も尤もに聞こえる。こんな板挟みになるような場面に遭遇してしまうなど、数分前には考えも及んでいなかった。
発言した本人はと言うと、相変わらず足を机に投げ出した格好で煙草を楽しんでいる。真意とも戯言とも思えるように、そっけなく発言してしまうには内容があまりにも過激で笑い話にも誤魔化せないと船員は固唾を呑んだ。
「用件はそれだけか?」
思考の束縛に体が緊張している船員はその言葉にはっと我に返ると、手にする残りの書類について説明する。
「えっと。2通が本国の商会管理局から、そして1通がライラさん、さらにセイジさんからも来てますね。」
「ほう。セイジからとは珍しい。そこら辺に置いといてくれ。それと…」
ポケットに手を突っ込むと1枚の金貨を船員へ投げ渡した。
「つまらん話やったな。これで一杯ひっかけてきてくれ。」
船員が置いていった書類を手に取り、さっそく気になるセイジからの手紙の蝋封を切る。
一行一行をさっきとは違う平静な表情で丁寧に視線を横へ流す。そして彼からの手紙を読み終えると一言「なるほど」と口に手を当てた。
まだ紫煙の残る室内で書類の全てへ目を通す。
「皆よく動いてくれとるの」
目を細めながら、真新しい煙草を取り出し火もつけず口へ咥えた。
追い風を受けた真新しい船はその速度をよりいっそうに増して進み行くものだ、彼の口元が軽く緩む。いずれ遅かれ早かれ大海の真ん中で進路を失い、時には嵐にも似た災いが近づく日もあるだろう。俺はそんな時にしっかりと仲間を信じ、舵を握り続ける事ができる地力を作る方向性を導くだけで良い。どっかりと椅子に座りなおした彼は咥えていた煙草にようやく火をつけた。吐き出される煙は窓からの日差しを反射し光のカーテンを作り上げていた。
「い や だ !」
いきなり入ってきた船員に対してその内容も聞かずに即答する。
「どうせ、出撃指令やろ。そんなもん無視や。」
机に足を放り出すような格好の提督は言葉に詰まる船員を見ることなく煙草の煙にかすむ天井を眺めている。
連日連夜における戦闘で存分に傷ついた船の修理がようやく終わったばかりだった。
「船の修理が片付いてまだ2日やぞ。修理費も捻出せなならんが、船より先にコッチの体がポンコツになってまうわ。そんなもん無視しとけ。」
その手に持つ指令書とその他の文書の行く先を失って、船員はどうしようかと部屋の入り口で突っ立っている。こういう状態の提督には何を言っても効果がないのは百も承知だし、彼自身出撃に対しては提督の言よろしく少なからず反対と賛成の気持ちがあった。それでも指令書を預かってきた以上、是非についての返答を持ち帰らなければならない者としては提督の返事をそのままに鵜呑みにして先方に伝えるわけも行かず、どうしようかと立ち尽くすしかできないでいた。
「まぁ、ええわ。とりあえず、その指令とやらを読んでみ。」
変わらずに視線は天井を向いている、柔らかく流れる煙草の煙が時間の経過をゆっくりと表している。
『指令 カリカットに駐留するイスパニアの精鋭に告ぐ。昨今、この近海において我が国の船舶に対する海賊行為が著しくまた、許されざる行為である。我らの威信を乱す不穏な輩共を駆逐し、我が国が失った権威を回復させよ。諸卿達が正義を存分に履行することを期待する。』
穏やかな波に揺れる船体がきいきいと声をあげている。船室は船乗りの声を最後にそのきしむ音以外はしんと静まりかえり、ただこの船の提督が空中にはく煙がその量を増やしているだけだった。
手元にある内容を声にして読み上げて以来、急に提督の雰囲気が変わったのを船員は感じ取っている。見るからに不機嫌なのが容易に見て取れる。
妙に静かな時間がその場を支配して数秒、それはそこに居る船員にとっては耐え難いほどの数時間にも感じる時間が経過した後、煙草を咥えている提督の語気が荒くなる。
「ふん。正義だと?立場とは時代の副産物や、この海では俺等の方が侵略者やぞ。」
20年我々が進んでいるとしてそれが何の優劣や…船を沈める砲弾は誰も彼も選べへん、残ってるんは負傷した人間と行使した力の痕だけ。机の上でしか物事を考えられへんお偉いさんほど身の程を弁えん奴が多い。彼らが持つ正義の根幹こそもっとも真実に近いと分からんもんやな。言葉にならない、喉の奥から搾り出すような低い声を天井へと投げかける。
提督の信じられないような発言に船員はその手に持つ書類を眺めるだけしかできないで居た。聞き様によっては本国に対する造反の心さえ伺えるような危険極まりない発言だった。
「まぁ、しかし。俺は現状の立場を放棄するほど弱くはないがな…ともかく、今は気分が乗らん。お偉いさんには適当に返事しとってくれ。」
「はぁ」
力ない返事が船員の口から漏れる、指令書の内容もそれらしく聞こえるが、目の前に居る提督の言も尤もに聞こえる。こんな板挟みになるような場面に遭遇してしまうなど、数分前には考えも及んでいなかった。
発言した本人はと言うと、相変わらず足を机に投げ出した格好で煙草を楽しんでいる。真意とも戯言とも思えるように、そっけなく発言してしまうには内容があまりにも過激で笑い話にも誤魔化せないと船員は固唾を呑んだ。
「用件はそれだけか?」
思考の束縛に体が緊張している船員はその言葉にはっと我に返ると、手にする残りの書類について説明する。
「えっと。2通が本国の商会管理局から、そして1通がライラさん、さらにセイジさんからも来てますね。」
「ほう。セイジからとは珍しい。そこら辺に置いといてくれ。それと…」
ポケットに手を突っ込むと1枚の金貨を船員へ投げ渡した。
「つまらん話やったな。これで一杯ひっかけてきてくれ。」
船員が置いていった書類を手に取り、さっそく気になるセイジからの手紙の蝋封を切る。
一行一行をさっきとは違う平静な表情で丁寧に視線を横へ流す。そして彼からの手紙を読み終えると一言「なるほど」と口に手を当てた。
まだ紫煙の残る室内で書類の全てへ目を通す。
「皆よく動いてくれとるの」
目を細めながら、真新しい煙草を取り出し火もつけず口へ咥えた。
追い風を受けた真新しい船はその速度をよりいっそうに増して進み行くものだ、彼の口元が軽く緩む。いずれ遅かれ早かれ大海の真ん中で進路を失い、時には嵐にも似た災いが近づく日もあるだろう。俺はそんな時にしっかりと仲間を信じ、舵を握り続ける事ができる地力を作る方向性を導くだけで良い。どっかりと椅子に座りなおした彼は咥えていた煙草にようやく火をつけた。吐き出される煙は窓からの日差しを反射し光のカーテンを作り上げていた。
舳で天を仰ぎつつの昼寝と船員との稽古、そして矢のように届く指令書を無視する日々をカリカットの港に停泊しつつ過ごしている。船体はしっかりと修理され補強され出港準備は十二分に整っている状態で佇んでいる。砲室に並んでいる砲門は今はその休息の時間を楽しむようにインドの近い日差しを黒く反射させ、いつ来るとも知れぬ出番を静かに待っているようだ。櫂は船内にきちんと並べ整理されている、いつもは怒号と漕ぎ手達の熱気が充満する船室はひっそりと静寂を取り戻し、さながら進水を待つ新造船のように漕ぎ手達を待っている。
「提督、安穏と過ごすのもよろしいとは思いますが。船員達も稽古と酒ばかりでは退屈しきってますが」
副官はいつまでも動かない提督の不可解な行動に素朴に問いかける。
「ん?退屈か?せやったら街の郊外で虎狩りでもしたらええんちゃうか?」
提督は冗談とも本気とも取れる言葉を投げ捨てるように舳で横になったままで答える。
こうやって微動だにしない提督の様子を見て、副官は溜息を一つ零す、この状態の時には何を進言しても聞き届けられない今までの経験を思い出しながら、足先を船室へと戻して歩き始めた。
遠くなるその足音を耳に捕らえながらも、潮騒に支配される時間を取り戻した船の提督は再び静かな寝息を上げ始めた。
欧州とは異なりゆっくりと肌を焦がすカリカットの日差しは辺りに乾いた熱気を齎し、舳で寝息をたてる提督の額にゆっくりと汗をかかせるには十分だった。
太陽が真天になる少し前の時間、それは街の人々が最も盛んに動き始める時間。それを証明するように街中の喧騒とざわめきは港でくつろぐ彼の耳にもそれとはなしに届いてくるようになった。
「ん…」
メインマストの影に絶妙に守られた舳で意識を取り戻した提督は低く唸りつつ、凶器のような日差しから目を守るようにゆっくりと起き上がる。
「やっぱり、暑いな」
滲んだ額を手で拭い、近くとも遠くに揺らめく街の風景を他人事のようにその視界へと捉える。この身近な距離で陽炎に仕切られた静寂と喧騒の相反を感じ取るとゆっくりと移動するメインマストの影を追うように立ち上がる。
汗をかいた背中に涼よりも熱風と感じられる港風が彼を船から追い出そうと吹き付ける。
その風を眠気覚ましと大きく胸に吸い込むと、熱気にやられたのかひどく乾いた喉にひりひりと染み込むように痛い。
一つ二つ大きな咳払いと、堅い寝床で緊張している筋肉を解すように体のあちこちの柔軟をする。
「さて、何をするか…」
本国から来る矢のような討伐指令と鬱憤の溜まった船員達、そんな状況に置かれながらもF・トーレスは動こうとはしない。さすがの彼も手詰まり感が現れてきている、のんびりと過ごすのも数日は良かったものの今はそれも苦痛に感じ始めていた。
ふらりと船を降り、当てもなく街中を歩く。足は自然と静けさを求めるように町外れへと進む。少し街から外れその賑々しさも届かなくなった場所…彼が辿り着いたのは欧州人が眠る墓地だった。名の無き者、名のある者、ここに眠る全てが簡素な墓碑とともにしている。欧州へ還ることなくその生涯を閉じた者たちの思いがこの地を静寂へ支配しているようだ。この中には彼の知る者も眠っている、これがインドの一つの現実であった。
現地では母なる川へ亡骸を還す水葬の風習が脈々と続いている、彼らの宗教は全てはガンジスから始まり、全てはガンジスへ還るのだという。この風習は彼を含め多くの欧州人が馴染めないものでもあり、誰からともなくこの一角にここでその生涯を閉じた者を埋葬する区域を定めていた。
「その手に掴んだ栄光も欲望も信じた真実もこうなってしまっては持ち帰れまい…」
美しいほどに静かなその場を1人歩きながら呟く。誰しもがその終着点として迎える現状を受け入れながらその長短や様はどれ一つとっても同じ経緯が存在しない事もまた事実であった。それを自問自答するように彼の歩調は一定のリズムを崩さずにその区画を抜けて行く。
「それが明日我が身へと降りかかる運命やも知れんがな、出来る事なら精一杯抗ってこの手に確かな何かを握り、何かを後へ残すのが我々に課せられた命題だろう。」
ゆっくりと背中に消える墓標が一介の軍人を手招きするように陽炎にも似た揺らめきを保っていた。
「提督、安穏と過ごすのもよろしいとは思いますが。船員達も稽古と酒ばかりでは退屈しきってますが」
副官はいつまでも動かない提督の不可解な行動に素朴に問いかける。
「ん?退屈か?せやったら街の郊外で虎狩りでもしたらええんちゃうか?」
提督は冗談とも本気とも取れる言葉を投げ捨てるように舳で横になったままで答える。
こうやって微動だにしない提督の様子を見て、副官は溜息を一つ零す、この状態の時には何を進言しても聞き届けられない今までの経験を思い出しながら、足先を船室へと戻して歩き始めた。
遠くなるその足音を耳に捕らえながらも、潮騒に支配される時間を取り戻した船の提督は再び静かな寝息を上げ始めた。
欧州とは異なりゆっくりと肌を焦がすカリカットの日差しは辺りに乾いた熱気を齎し、舳で寝息をたてる提督の額にゆっくりと汗をかかせるには十分だった。
太陽が真天になる少し前の時間、それは街の人々が最も盛んに動き始める時間。それを証明するように街中の喧騒とざわめきは港でくつろぐ彼の耳にもそれとはなしに届いてくるようになった。
「ん…」
メインマストの影に絶妙に守られた舳で意識を取り戻した提督は低く唸りつつ、凶器のような日差しから目を守るようにゆっくりと起き上がる。
「やっぱり、暑いな」
滲んだ額を手で拭い、近くとも遠くに揺らめく街の風景を他人事のようにその視界へと捉える。この身近な距離で陽炎に仕切られた静寂と喧騒の相反を感じ取るとゆっくりと移動するメインマストの影を追うように立ち上がる。
汗をかいた背中に涼よりも熱風と感じられる港風が彼を船から追い出そうと吹き付ける。
その風を眠気覚ましと大きく胸に吸い込むと、熱気にやられたのかひどく乾いた喉にひりひりと染み込むように痛い。
一つ二つ大きな咳払いと、堅い寝床で緊張している筋肉を解すように体のあちこちの柔軟をする。
「さて、何をするか…」
本国から来る矢のような討伐指令と鬱憤の溜まった船員達、そんな状況に置かれながらもF・トーレスは動こうとはしない。さすがの彼も手詰まり感が現れてきている、のんびりと過ごすのも数日は良かったものの今はそれも苦痛に感じ始めていた。
ふらりと船を降り、当てもなく街中を歩く。足は自然と静けさを求めるように町外れへと進む。少し街から外れその賑々しさも届かなくなった場所…彼が辿り着いたのは欧州人が眠る墓地だった。名の無き者、名のある者、ここに眠る全てが簡素な墓碑とともにしている。欧州へ還ることなくその生涯を閉じた者たちの思いがこの地を静寂へ支配しているようだ。この中には彼の知る者も眠っている、これがインドの一つの現実であった。
現地では母なる川へ亡骸を還す水葬の風習が脈々と続いている、彼らの宗教は全てはガンジスから始まり、全てはガンジスへ還るのだという。この風習は彼を含め多くの欧州人が馴染めないものでもあり、誰からともなくこの一角にここでその生涯を閉じた者を埋葬する区域を定めていた。
「その手に掴んだ栄光も欲望も信じた真実もこうなってしまっては持ち帰れまい…」
美しいほどに静かなその場を1人歩きながら呟く。誰しもがその終着点として迎える現状を受け入れながらその長短や様はどれ一つとっても同じ経緯が存在しない事もまた事実であった。それを自問自答するように彼の歩調は一定のリズムを崩さずにその区画を抜けて行く。
「それが明日我が身へと降りかかる運命やも知れんがな、出来る事なら精一杯抗ってこの手に確かな何かを握り、何かを後へ残すのが我々に課せられた命題だろう。」
ゆっくりと背中に消える墓標が一介の軍人を手招きするように陽炎にも似た揺らめきを保っていた。
「提督、お客様です。」
役目を終えた太陽が休息を得る為に西へと傾き、白く輝いていた街を朱に染め抜き始める頃になって船へと戻った彼を待ち侘びかねたように副官が駆け寄って報告する。
「客?」
「はぃ、イザナミさんが来られています。」
どこか力の抜けていた彼の背筋がぴんと伸びる。
「そうか!いつごろ来られたのだ?今どこに?」
「つい先刻の事です。今は提督の部屋でお待ちになられてます。」
「そうかそうか。お前ら粗相はしてないやろな?」
両手を振るようにしながらとんでもないという表情で副官は必死に否定する。
その必死な素振りを確かめると足早に船室へと向かいながら副官へ言付ける。
「おぃ。お偉いさんはまだグダグダ言うてるんか?…そうか。近々出るぞ、街で暇してる奴等を集めとけ!」
待ちに待った言葉を受け取り上ずり声で了解の返事をする副官は、提督が船中へ消えて行くと同時に甲板に大きな足音を立てながら街中へと降りていった。
「イザナミ嬢、お待たせした。」
荒々しく扉を開けながら提督の言は軽やかに室内に響くものの、待っているはずのイザナミは彼の視界の何処にも居なかった。
「おや…」
拍子抜けしたように立ち尽くす、副官は確かに彼の部屋で待っていると言っていた。
「もしかして、急用でもできたか?」
今の状況を軽く分析するような彼の独り言が室内に空しく跳ね返る。椅子の背もたれに大きくその体を預けて気を殺がれた脱力感を両肩に表しながら煙草に火をつける。
「商会長居るかしら?」
「おっ、おぅ。居るで。」
部屋の煙は窓からの日差しを受けて紫色に輝いている。その中にイザナミがグラスを持って入ってくる。
「お待たせしたかしら?」
「とんでもない。待たせたのはコッチやで。」
「ここは暑いわね…さすがにどうにもならなくて飲み物を少しお分け頂いたわ。無論、料理長にからだけどね。」
「ん?」
部屋に足りないもの、客人に出すはずの飲み物の形跡が全くない。窓があるとはいえ、十分な涼しさを得られるような換気ができないのは欧州船の悲しい宿命ゆえ、じっと何かを待つには暑すぎるほどの室温になっている。事実、彼もじっとりと汗ばんだ腕や背中にその辛さが感じられる。
「誰も飲み物を出さんかったんか…すまんのう、あとできつく言うとくわ。」
「こうやって飲み物を分けていただけたから良いわよ。」
イザナミの返事はいたって平静として、すこし苛立っていた彼の矛先を納めるに効果覿面だった。
「さて、商会長。頼まれたモノを持ってきたわよ。ここにサインを頂戴。」
分厚い帳面の1ページを開くと記するべき箇所を指差しながら手渡す。
「あぃあぃ、御代はこれか?よし、フロイラインの口座へ入れておくな。」
「商談成立ね。我ながら秀逸なヤツも何点かできたけど区別なくサービスしておくわ。」
「おぉ、すまんな。」
「こちも商売だからね。」
完了した帳面を閉じグラスに残っているワインを飲み干す。この短時間でも少し温くなっており少し喉に絡む。一見すると年端もいかぬ少女のように見えるも頑なまでに技術を追求する鋳造職人でもある。ツインテールに纏めた髪の毛が歩くたびに左右に優しく揺れる、職人気質ともいえるほどに普段は無口だが商会内の大砲事情を一手に引き受けるほど皆からの信頼は厚かった。
「また頼んますわ。」
「早めに連絡を頂戴ね。商会長の場合大量注文だから日数かかるのよ。」
軽い口調で苦言を呈する。
「ははは。分かっとる、分かっとる。嬢には世話になるからな。」
少しだけ不利な立場を察し、窓の風景へと目をやる。
「商会の方は順調よ。今のところ大きな障害はないみたいね、つい先日も新しい方が入会したみたいよ。」
「あぁ、セイジから連絡来てたわ。」
「商会長もたまには戻ってきなさいよ、てっぺんの人が長期不在なんて示しが付かないんじゃないの?」
「まぁな、でも嬢達が頑張ってくれてるからな。こっちで存分に遊べる訳や」
「遊びなの?」
「命を賭した遊びやな。目くじら立てても疲れるだけやからな。」
「どっちも疲れそうに聞こえるわね。」
「軍人なんてそんなもんや。」
イザナミは商会長の言葉を聞くと肩を竦めて返事する。
「私には暫く味わえない感覚ね。ま、欧州へ帰る準備でもしてくるわ。今後とも贔屓にね。」
「おう。こちらこそ」
F・トーレスの言葉を受けてイザナミは街中へと降りてゆく。欧州に帰るとしても何を積荷にして行くかと歩調を速めて交易所へと向かった。
「おぃ!連日やかましいあのエライさんに言うとけ。しゃーなしで征てやるとな。船員は戻ってきてるんやろな?遊びほうけてるヤツは首締め上げてでも連れ帰ってこい!」
軍人の顔に戻ったF・トーレスは船中に響かんばかりの声で指示を飛ばす。
「また、軍人生活やな。ま、退屈よりマシか…」
口元を緩ませながら自室に戻ると慣れた手つきで出撃準備を始めていた。
役目を終えた太陽が休息を得る為に西へと傾き、白く輝いていた街を朱に染め抜き始める頃になって船へと戻った彼を待ち侘びかねたように副官が駆け寄って報告する。
「客?」
「はぃ、イザナミさんが来られています。」
どこか力の抜けていた彼の背筋がぴんと伸びる。
「そうか!いつごろ来られたのだ?今どこに?」
「つい先刻の事です。今は提督の部屋でお待ちになられてます。」
「そうかそうか。お前ら粗相はしてないやろな?」
両手を振るようにしながらとんでもないという表情で副官は必死に否定する。
その必死な素振りを確かめると足早に船室へと向かいながら副官へ言付ける。
「おぃ。お偉いさんはまだグダグダ言うてるんか?…そうか。近々出るぞ、街で暇してる奴等を集めとけ!」
待ちに待った言葉を受け取り上ずり声で了解の返事をする副官は、提督が船中へ消えて行くと同時に甲板に大きな足音を立てながら街中へと降りていった。
「イザナミ嬢、お待たせした。」
荒々しく扉を開けながら提督の言は軽やかに室内に響くものの、待っているはずのイザナミは彼の視界の何処にも居なかった。
「おや…」
拍子抜けしたように立ち尽くす、副官は確かに彼の部屋で待っていると言っていた。
「もしかして、急用でもできたか?」
今の状況を軽く分析するような彼の独り言が室内に空しく跳ね返る。椅子の背もたれに大きくその体を預けて気を殺がれた脱力感を両肩に表しながら煙草に火をつける。
「商会長居るかしら?」
「おっ、おぅ。居るで。」
部屋の煙は窓からの日差しを受けて紫色に輝いている。その中にイザナミがグラスを持って入ってくる。
「お待たせしたかしら?」
「とんでもない。待たせたのはコッチやで。」
「ここは暑いわね…さすがにどうにもならなくて飲み物を少しお分け頂いたわ。無論、料理長にからだけどね。」
「ん?」
部屋に足りないもの、客人に出すはずの飲み物の形跡が全くない。窓があるとはいえ、十分な涼しさを得られるような換気ができないのは欧州船の悲しい宿命ゆえ、じっと何かを待つには暑すぎるほどの室温になっている。事実、彼もじっとりと汗ばんだ腕や背中にその辛さが感じられる。
「誰も飲み物を出さんかったんか…すまんのう、あとできつく言うとくわ。」
「こうやって飲み物を分けていただけたから良いわよ。」
イザナミの返事はいたって平静として、すこし苛立っていた彼の矛先を納めるに効果覿面だった。
「さて、商会長。頼まれたモノを持ってきたわよ。ここにサインを頂戴。」
分厚い帳面の1ページを開くと記するべき箇所を指差しながら手渡す。
「あぃあぃ、御代はこれか?よし、フロイラインの口座へ入れておくな。」
「商談成立ね。我ながら秀逸なヤツも何点かできたけど区別なくサービスしておくわ。」
「おぉ、すまんな。」
「こちも商売だからね。」
完了した帳面を閉じグラスに残っているワインを飲み干す。この短時間でも少し温くなっており少し喉に絡む。一見すると年端もいかぬ少女のように見えるも頑なまでに技術を追求する鋳造職人でもある。ツインテールに纏めた髪の毛が歩くたびに左右に優しく揺れる、職人気質ともいえるほどに普段は無口だが商会内の大砲事情を一手に引き受けるほど皆からの信頼は厚かった。
「また頼んますわ。」
「早めに連絡を頂戴ね。商会長の場合大量注文だから日数かかるのよ。」
軽い口調で苦言を呈する。
「ははは。分かっとる、分かっとる。嬢には世話になるからな。」
少しだけ不利な立場を察し、窓の風景へと目をやる。
「商会の方は順調よ。今のところ大きな障害はないみたいね、つい先日も新しい方が入会したみたいよ。」
「あぁ、セイジから連絡来てたわ。」
「商会長もたまには戻ってきなさいよ、てっぺんの人が長期不在なんて示しが付かないんじゃないの?」
「まぁな、でも嬢達が頑張ってくれてるからな。こっちで存分に遊べる訳や」
「遊びなの?」
「命を賭した遊びやな。目くじら立てても疲れるだけやからな。」
「どっちも疲れそうに聞こえるわね。」
「軍人なんてそんなもんや。」
イザナミは商会長の言葉を聞くと肩を竦めて返事する。
「私には暫く味わえない感覚ね。ま、欧州へ帰る準備でもしてくるわ。今後とも贔屓にね。」
「おう。こちらこそ」
F・トーレスの言葉を受けてイザナミは街中へと降りてゆく。欧州に帰るとしても何を積荷にして行くかと歩調を速めて交易所へと向かった。
「おぃ!連日やかましいあのエライさんに言うとけ。しゃーなしで征てやるとな。船員は戻ってきてるんやろな?遊びほうけてるヤツは首締め上げてでも連れ帰ってこい!」
軍人の顔に戻ったF・トーレスは船中に響かんばかりの声で指示を飛ばす。
「また、軍人生活やな。ま、退屈よりマシか…」
口元を緩ませながら自室に戻ると慣れた手つきで出撃準備を始めていた。
(つづくよー)