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金の獅子の背に乗って
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金の獅子の背に乗って

第9話

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「灯の綱」(中)

「どことも青い石も赤い石も暴騰気味だな。最近、入荷してもすぐに出てしまうからな…、あんな石の何が良いんだろうな。お客さんの前で言うのもなんだがね…」
イザナミはそんな店主の聞きなれた愚痴と文句を確認すると南東にある商館街へと向かう。
「あんな石か…自らに価値のない物で儲けている自分こそ一番の恩恵に肖ってるのにね」
店主のしたり顔を思い浮かべながら思わず口をつく言葉、それはなによりもその心胆に向けられていた。突き刺すような日差しは変わらず街の石畳を熱し、揺らめく空気が視的にも熱気を与えている。薄曇りで霧の街と呼ばれる地で育った者には最初こそ好奇心にその日差しも嬉しく思えたものの、時が経つにつれ疎ましい存在へと変貌するのは誰しもが抱く感情でもあった。
「ったく、本当に暑いわねっ。なんで皆は平気で歩けるのかしら。」
手傘で目を守りながら、建屋の影を活かしながら目的地へと歩き進む。
この欧州から離れた地にも商会が存在している、無論、異文化の人々が作り上げたものであのだが、街の一角にその拠点を設けて商館街を作り上げている。一応に外見こそはその地の職人によって建てられた為か独特の風貌で佇んでいるが、当地の人々からしてみればその存在価値すら詮索と憶測の域を出ないものであった。
「…これなら充分に黒になるわね。」
数件目の商館でイザナミは即決してサインする。利は少なくても採算さえ取れればそれなりの評価と得ることができる。懐が痛まなければそれ以上のバックが取れる事を確認して即日積み込むように商館事務員に告げるとその館を後にした。
再び厳しい日差しが彼女を襲う、じっくりと掻く汗で眼鏡が薄く曇るのを我慢しながら長逗留する気もさらさらないようにその足は再びカリカットの街中へと消えていった。
「これさえなければ少しは良い街だと思えるのに…」

「出るよ。」
3日後の朝、普段と変わらない口調で出航を告げる。これから役100日を越える航路を前にしても、それはさも西地中海を軽く流す程度に思えるほど平静な声だった。
船員達の大きな掛け声と共に鎖を巻き取る音が船中に響くき碇がその姿を海中から現すと枷の外れた船体が左右に揺れ重力から解き放たれたような感覚を船に乗る全てが確かめる。
「宙に浮く感覚もこれと同じなのかしらね…」
熱せられた甲板に歩み出でた提督はそう呟きながら行く先を見つめている。
熱風に押し出されるようにして船は桟橋からゆっくりと離れていく。港を抜けて船の帆が全て解き放たれ、風向きを見逃さずその全身に一杯の推進力を含ませる。号令と共に漕ぎ手たちの腕に力が入り船は見る見る加速するとカリカットの街を後にした。この先の数海里が最も危険な領域で数多の商船がその運命を海底へと終焉させ、数ある財宝が運命をそれと同じくしている。
「さて、私は部屋に戻るわ。いつものようにお願いね。何もかもが吶喊で大変ね。」
「了解しやした。」
副官の心強い返事を受けイザナミは船室へと戻る。大砲の鋳造からインドへの移動、大した休養もとらずに再び欧州路に就くそれでも彼女が抱える仕事量は一向に減る様子もない。机の上に山積する書類から1部を手に取ると次なる注文への向けての試算を始める。
これだけの量を捌く間にも再び次なる注文がやってくる、慣れているとはいえなんとも先の見えない発注の連鎖反応に目処が立つ心算はなかった。
「これでも原価を頂戴している分まだ成り立つけど、セイジ卿のように無料配布する器量は驚嘆に値するわね。」
同商会に所属するセイジはメンバーに対し調理品を気前良く無料提供している。よく破綻しないものだと受け取り側はその恩恵に肖っている。さすがに調理品と大砲では単位コストが正しく桁違いとなるものの数と1点豪華主義と手間を考えるとその姿勢は到底真似できるものではなかった。
「あれで成り立つんだから、1番のやりくりと商売上手は彼なのかしらね…」
知らずと蓄積させれている疲労のためか整理の手が進まない、いつの間にか眼鏡も外し目頭を押さえては軽く揉み解すような動作が増えている。船中にファースト・ドッグ・ワッチの終わりを告げる八点鐘が響く、気が付けば窓外は朱色から群青の空へと変わろうとしている。元より手に取った1部が1日で片付く書類でもないが想像以上に進捗状況は芳しくなく半減以上の処理速度に辟易していた。
「もう1日の終わり?手早く片付けて残りをゆっくり休養に当てたい所だけどね…」
ペンを綺麗に片付けると同時に食事が出来たとの呼びかけがドアの外から聞こえる。
「こんなときはアレコレと考えても埒が明ける事もないか、一杯飲んでからゆっくりするのも手よね。」
外した眼鏡をかけ直す。眼鏡をかける人種はその外した顔を見られることを極端に嫌う、それは長く付き合っている仲間内でも言いえていた。提督へ面と向かって観想を言う者も居ないのだが、あるはずのない眼鏡を上げようとする癖は視界のぼやけた感覚がずれているという錯覚と共に現れ、その指が目的物を捕らえられない眉間を空回りする感触は不快感以外のどれにも当てはまらない心情であった。
「今日は何かしら?」
食堂へと向かう通路で先を行く船員にメニューを尋ねる。
「ダールです。」
振り向いた船員は少し不安な顔を見せている。
「…ダール?誰が作れるの?」
「はぁ、何でも自信作の試作だそうで…」
「またなの?」
「はい、なんでもあの短い間で極めたとか…」
「そう…」
「あっ!て、提督ー逃げないで下さい!」
船室に戻ろうとしたイザナミの袖を掴んで必死に船員は彼女の足を止める。
「1人で逃げるなんてズルイじゃないですか。…そう言わずに。」
「その『極めた自信作の試作』って料理の勝率知ってるの?」
「1勝23敗です…」
「それじゃ、私は部屋にいるからネ。」
「待って下さいよ。今日が2勝目になるかもしれないじゃないですか!」
「そうなる公算はきわめて低いじゃない。」
「それは否定しませんが…苦しみは分かち合いましょう。」
変哲のない天井を見上げて一つ溜息をつくイザナミ。
「仕方ないか…」

食事を終えたイザナミは自らの部屋へと戻っていた。眉間に皺を寄せて何かを真剣に考えている。
「あれは…」
大きな溜息と共に素直な感想が零れている。
必死の説得に折れた形で料理長自慢の『自信作の試作』なるものを食すために食堂へと入ったが、先立って食していた船員は皆一様に沈黙だった。普段、談笑が耐えない夕食の場も過去に23回ほど同じ雰囲気に包まれた事があった。
「(マズイ雰囲気ね…)」
この場へ来たことを後悔するイザナミ。
「とりあえず何かお酒を頂戴…」
飲まずにはやっていられない重い空気を感じながら所定の席へと座る。
そして、それを待っていたかのようにブランデーと今までこの船では出された事のない一皿がイザナミの前に運ばれる。
ダールとはそもそも豆を使ったカレー料理を総称で、それに鶏肉やほかの具材を取り合わせてその店や家庭毎にオリジナルの味を持っている。ただ、その複雑な味わいは長い歴史が織り成してきた伝統であり、胡椒という単体のスパイスがこのほど重宝とされている欧州列国出身の人間がそう易々と会得できるものではなかった。
シルバーを手に取り手の中でクルクルと回転させる。不調法なのは承知の上だが「意を決する」為にはその行為しか許されてない状況でもあった。横目に注がれる船員達の視線がシルバーに写っては消えてゆく。
ブランデーで軽く喉を通し、一見してそれっぽく見える皿に手を付ける。
「提督~どうです。今回も良い出来でしょう。」
調理長が得意気な面持ちで食堂へと入ってくる。
「ん…。特有の味が出ててるわね。」
「そうでしょう。複雑な香辛料の組み合わせは正にミステリアス、互いに主張し合わず、さりとて埋没するような事もない調合方法は…」
イザナミの心意を汲み取り違えている調理長は滔滔と薀蓄を語り続けている。
その口調は滑らかでいやに静かな食堂に響く。イザナミは隣で語り続ける調理長を気遣うように相槌を打っているがその顔はいまいち優れていないようにも見える。
「おぃ…まだ語ってるぞ…。」
船員達は可哀想にも見えるその様子を見ながら耳打ちしている。ただ、彼らの皿は誰も残す事無く綺麗に平らげられている。互いが互いを気遣う事がこの船の一番の特徴でもあった。
まだまだ続きそうな調理長の言を遮りながらイザナミが口をひらく。
「調理長、今回修めたのは後何種類あるのかしら?」
その場にいる全員が実に興味ある質問だと再び沈黙が訪れる。
「皆さんの期待に添えまして。そうですね…喜望峰を越えるぐらいまでは用意してます。」
調理長が発したその言葉に食堂の所々でうなだれる頭が見えている。
「そう、期待してるわね。ごちそうさま、後でブランデーを1本部屋へ持ってきてくれる?」
「了解しやした。」
綺麗に平らげた皿を後にイザナミは席を立った。

「なんて言えば良いのかな…。なんとも表現しがたい味…」
この調子で喜望峰までの食事が続くのだと思うと少々気が殺がれる。結論は難しかった、「ダール」という名前を聞いて食するには全くの別物だだ、それ自身をダールととは異なる一品と考えると充分に口にできるものであった。
「うーん。ダールって言ってたし…今日も負けかな…」
船窓から望む夜のインド洋は穏やかで船中の些細なイベントを意に介さないように装っている。イザナミは途中で止まっている書類へと目を戻すと、下がっている意欲を奮い起こすように「よしっ」と力強く発すると再び椅子へと座った。
そして、食堂と自室で悩み続ける日々は彼の発言通りアラガス岬沖へ到達するまで続いたのであった。

イザナミを提督とする船は徐々に高くなる波を受けてアフリカ大陸の南へと進入する。
これより南にはアラガス盆海という海域が待ち構えている、年中を通して海が荒れており熟練した船員と耐波性能に優れた帆船をもってしても航路を確実に保つ事が難しい海域になる、無論、ガレー系統の船では船の損傷は著しく交易品の荷崩れや高波による船員の被害が続出する海域でもあった。それゆえ大陸からアラガス盆海までの狭い海域アラガス岬沖を航行するのが現状の航路として最もオーソドックスで確実な選択になっていた。しかし、それは逆に往来する商船を食い物にする海賊にとっては狭い海域を逆用し、年間を通しかなりの数の船がその犠牲になっている海賊多発域の名所としても名高い海域でもあった。
ようやく整理する書類も少なくなり、さらに、船中の食事も普段どおりの欧州食へと戻って船中は平和が訪れていた。面白いことに食環境が合わないということはここまで人の精気を減退させるのかというぐらい、覇気のなかった船員達はようやく本来の動きを見せていた。イザナミの手も軽やかに紙上を踊っている。
そして、取り戻した平和と平静を共に船はアフリカ大陸最南端喜望峰沖へと進んで行く。喜望峰近くにはケープという街がある、その場所は軍人、商人、冒険家全てにおいて格好の中継地点でもある、それは海賊を生業にする者にとっても同じで寧ろ拠点として活動する者が発生するぐらい利便の良い街であった。特にケープ付近はダイヤモンドが豊富に採取され、いまや一攫千金を求める者がこの未開の地を発展させ続けるという奇妙な現象を生んでいた。イザナミはそんなケープに寄港する事もなく喜望峰を抜けようとその船首を大きく北西へと向けて航行していた。
「提督っ!国籍不明の船が1隻こちらへと向かってきます!」
慌しく入ってきたのは見張りの報告を受けた船員だった。
「そう…。で、どうなの?」
ペンを走らせる手を止めず、状況を聞きなおす。
「はい。まだ望遠鏡で確認できるほどの距離ですが、相手はアラビアンガレー。しかし、こちらの航路と追尾するように向かってきています。」
「なるほどね。」
ようやくその手を止めたイザナミは自らも確認する為に甲板へと出た。手渡された望遠鏡には報告の通りの船がこちらへと船首を向けている。
「1種兵装準備、信号が確認できる距離になるまでに完了させること。戦闘になるわね。」
一気に船内が荒れる。指示や命令が隙間なく飛び交っている。自らも兵装するために自室へ戻り着慣れた甲冑へと腕を通す。
「面倒ね…」
カリカットから続いた料理長の気まぐれに海賊襲来、これまで平和な時間は極僅かな期間しか得られていない、イベント続きに少し辟易しながらイザナミは兵装を終えて甲板へと戻ろうとしていた。
喜望峰沖の空は欧州の空より濃い青色をしている。
「こんなに良い天気なのに…」
この変事に空を見る余裕があることが自分でも不思議だった。
「生きるか死ぬかの瀬戸際と言うのに我ながら変ね…」
同じくして兵装を完了した船員が厳しい顔を保って持ち場へと戻る。
「状況は?」
「最悪です。信号を送りましたが…返事を聞きたいです?」
「いいわ。」
手を軽く振って答える。
「副船長、貴方に舵を任せるわ。向こうは白兵勝負に来るのは船からして当然ね。それを逆手にとりましょう」
「では並行のままで宜しいですね。タイミング指示をお願いします。」
「よろしくね。」
一言で十を理解する。頼もしい船員に囲まれている事を今更ながらに確認したイザナミは迫り来るアラビアンガレーを甲板から凝視していた。
「間もなく戦闘域に入ります。こちらからの信号にも反応なし!」
大声の報告が轟くと同時に警鐘が船全体に響く。
「来るぞ!」
船員の誰かがそう叫んだ。

不気味なほどに静まり返った喜望峰沖で2隻の船が対峙している。海賊に遭遇したイザナミは最高レベルの兵装を布いてこれを迎え撃とうとしていた。
両船の細やかな位置取りが始まりつつもイザナミの船は逃げる体勢だと見せ付けている。
「かならず引っかかる。」
この喜望峰沖を西進する船の大半はその船倉に莫大な利益を生む交易品を満載している。自然とそれを狙った海賊も多発し、そして交易品を得るために接舷してくるのが海賊の常套手段だった。
副船長は上手く船尾への直撃被弾を避けるような位置を保ちつつ指示を待っていた。
「そろそろかな…」
イザナミは大きく手を振って合図する。そして船はアラビアンガレーの正面で横向く格好を見せる。
「砲撃手は指示を聞き逃すな!」
自らを鼓舞するように大声で指示を飛ばす。
この横向きになった船を見て、海賊船は一気に向かってくる速度を一気に上げて突進してくる。
「来たっ!こっちの策が勝つか、それとも…」
もしもの時に備え腰に提げる剣を抜く。
アラビアンガレーは真っ直ぐにイザナミの船側面真ん中めがけて突進してくる。
船中の誰もが固唾を飲んで指示を待つ。
相手の船に乗る海賊の人影が充分に目視できるほどまでに2隻の距離が縮まる。
剣を握る手にぐっと力を込めて高らかに振り上げる。
「今だ!放てー!」
アフリカの日差しを反射しながら剣が振り下ろされる。轟音が静かな海に響く、この一瞬に賭けた全砲弾が一直線に向かってくるアラビアンガレーの船首を捉え一方的な破壊音を伴ってアラビアンガレーは推進力を失い大破し船体を大きく傾けている。勝負は一瞬で幕を下ろした。
「よしっ」
思わずガッツポーズする、船中は歓声に沸いている。
「お見事でした、さてアノ船はどうします?まだ動ける人間もいるとは思いますが」
操舵室から駆け出してきた副船長はいずれ沈むだろう傾いたアラビアンガレーを指しながら言った。
「ほっときなさい。これまで数多くの商船を食い物にしてきたんでしょう、襲われ沈む事がどれだけ恐怖になるか身を持って知るが良いわ。」
「そうですね。」
「1種兵装を2種へ、まだ近隣に仲間がいるかも知れないしね。」
「了解」
「それにしても…」
「はい?」
「いぁ、なんでもないわ。ただ、武装してる船を襲うのにあの戦術じゃダメね。」
「まったくですな。」
イザナミは緊急時に備えて搭載可能最大数の大砲を装備していた。大砲を外して少しでも多くの交易品を積もうとする商船が多い中、イザナミは0か100かというギャンブルよりも90を確実に取る事を優先した結果だった。
喜望峰の一戦を終えて海域を抜けたイザナミの船はその後、再び襲撃を受けることなくアフリカを後にした。そして、北海へと戻ると片付けた書類を元にハンブルグへとその足を向けた。

(続けー)
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