外伝「誓いと絆」(結)
カリカット広場に映し出される影にも当人の憂鬱感が感じ取れるほどに彼女の足取りは決して軽いと言えるものではなかった。
今、彼女の目には賑やかに映る広場の人ごみも何もかも昨日と同じに見えていた。
そんな心情をさらに表すようにアムスは街中のベンチでため息を漏らしている。
無為徒食を繰り返すような決まったサイクルの毎日に対して有意義性を見出せていないでいた。
つい2ヶ月前の事、ベンガル湾でナマケグマを発見した。それは巷どころか本国にまで届くほどの名声を博し、ついにはその名声が弊害となる状況にまで発展していた。
「あんた、ナマケグマを発見したアムスだろ?そんな人には小さな依頼を渡せないな。」
仕事の仲介人にそう告げられた時、彼女の中でなにかの糸が弾ける様な感覚を覚えた。
アムスの胸には例えようの無い喪失感が去来する。
冒険家として立ち、名声を欲せず己の自らの見識を深める為、ひいては国家の為にこの身を削り続けていた結果がこのような形で現れるなど予想だにしていなかった。
一部の好事家から興味半分の依頼が来ることがあっても、そのどれもは彼女の探究心を刺激するに値しないと言うより、名のある冒険かを取り込みたいという貴族の欲求が見え隠れするものばかりだった。
そんな出来事も当初は今だけの事だと高を括っていたものの、今日までその状況に変化は現れず、自身も自覚するほどに滅入ってしまっていた。時には強い酒に手を出してしまったこともあったが、一時の酒に逃避を求めても何の解決にもならなかった。
新たなる知識をとアフリカ・インドへと足を向けてみたが学問に対する姿勢の違いがヨーロッパのとは異なり、さらにはナマケグマの名声はやはりこの地にも届いていた。
今のアムスには往来する人々の全ての目が何かを成すために輝く光に満ち溢れているように映っている。
「はぁ…」
大きな溜息が口を割って出る。
この町にはもっと大きな希望が埋もれていると感じる時期もあった。行き交う人々のように目を輝かせ時の経つのを忘れるほどに地を駆け巡っていた。いつの日か誰もが驚く新発見を夢見て砂と土と危険に塗れながらもそれは充実していたと今更ながらに懐かしく感じている。
「まさか、この名こそが敵になるなんてね…」
広場のアムスは長く感じる無駄とも思える時間をじっと座っている。憂鬱な影はカリカットの石畳に淡く落とされている。
「そうね、先日の調査は慣れているとは言え細心の注意が必要よ。」
「アンレさんでもですか?」
「そりゃそうよ。怖いものは怖いわ。」
「僕はアンレさんが怖いかも…」
聞きなれた声がアムス嬢の耳に届くと、俯いていた顔を上げ周りを見渡した。
石畳の熱気に揺られながら見慣れた輪郭が彼女の視界に確認できる。
「アンレさーん。クラさーん。」
アムスの声に反応したのはクラプリンだった。クラプリンに促されて初めてアンレーデはアムスに気が付いた。
「アムス、久しぶりね。」
「お2人とも変わりなさそうですね。」
「アムスさんはいつもお綺麗ですな~」
「あははは。お世辞どうもです。」
アムスと同席するように2人は腰を下ろした。アムスは今を悟られぬようにいつもと同じように振る舞い3人の話は始まった。
自然と額に汗をかくような熱気にも日陰に入れば視覚的に涼しさが得られている広場の3人にはその自然の悪戯にも負けず次々と話題が続く。そして話はこの近海における海賊活動に関するものへと変わっていく。この地方で採取されるルビーやサファイヤを初めとする宝石類はヨーロッパ諸国では特に珍重され数ある貴族の権威を示す象徴とし莫大な利益を生んでいる。それを求め主として取り扱う交易商の数はこの地に降り立つ全体の大部分を占めるとも否定できない事実でもあった。欲望の集まるところには暴力が存在する事実に漏れぬようそれを狙う人種もそれなりに発生し、元来平和だったインド洋は侵略者の手によって違った海へと変貌していったのである。さらにはその海賊を狙う賞金稼ぎやアンレーデやアムスのように新発見を求める冒険家達も自然と集まりインドという地はその姿を多いに変えている。アムスはそんな街中で同商会の2人を前に以前に読んだとある手記を思い出していた。
今、彼女の目には賑やかに映る広場の人ごみも何もかも昨日と同じに見えていた。
そんな心情をさらに表すようにアムスは街中のベンチでため息を漏らしている。
無為徒食を繰り返すような決まったサイクルの毎日に対して有意義性を見出せていないでいた。
つい2ヶ月前の事、ベンガル湾でナマケグマを発見した。それは巷どころか本国にまで届くほどの名声を博し、ついにはその名声が弊害となる状況にまで発展していた。
「あんた、ナマケグマを発見したアムスだろ?そんな人には小さな依頼を渡せないな。」
仕事の仲介人にそう告げられた時、彼女の中でなにかの糸が弾ける様な感覚を覚えた。
アムスの胸には例えようの無い喪失感が去来する。
冒険家として立ち、名声を欲せず己の自らの見識を深める為、ひいては国家の為にこの身を削り続けていた結果がこのような形で現れるなど予想だにしていなかった。
一部の好事家から興味半分の依頼が来ることがあっても、そのどれもは彼女の探究心を刺激するに値しないと言うより、名のある冒険かを取り込みたいという貴族の欲求が見え隠れするものばかりだった。
そんな出来事も当初は今だけの事だと高を括っていたものの、今日までその状況に変化は現れず、自身も自覚するほどに滅入ってしまっていた。時には強い酒に手を出してしまったこともあったが、一時の酒に逃避を求めても何の解決にもならなかった。
新たなる知識をとアフリカ・インドへと足を向けてみたが学問に対する姿勢の違いがヨーロッパのとは異なり、さらにはナマケグマの名声はやはりこの地にも届いていた。
今のアムスには往来する人々の全ての目が何かを成すために輝く光に満ち溢れているように映っている。
「はぁ…」
大きな溜息が口を割って出る。
この町にはもっと大きな希望が埋もれていると感じる時期もあった。行き交う人々のように目を輝かせ時の経つのを忘れるほどに地を駆け巡っていた。いつの日か誰もが驚く新発見を夢見て砂と土と危険に塗れながらもそれは充実していたと今更ながらに懐かしく感じている。
「まさか、この名こそが敵になるなんてね…」
広場のアムスは長く感じる無駄とも思える時間をじっと座っている。憂鬱な影はカリカットの石畳に淡く落とされている。
「そうね、先日の調査は慣れているとは言え細心の注意が必要よ。」
「アンレさんでもですか?」
「そりゃそうよ。怖いものは怖いわ。」
「僕はアンレさんが怖いかも…」
聞きなれた声がアムス嬢の耳に届くと、俯いていた顔を上げ周りを見渡した。
石畳の熱気に揺られながら見慣れた輪郭が彼女の視界に確認できる。
「アンレさーん。クラさーん。」
アムスの声に反応したのはクラプリンだった。クラプリンに促されて初めてアンレーデはアムスに気が付いた。
「アムス、久しぶりね。」
「お2人とも変わりなさそうですね。」
「アムスさんはいつもお綺麗ですな~」
「あははは。お世辞どうもです。」
アムスと同席するように2人は腰を下ろした。アムスは今を悟られぬようにいつもと同じように振る舞い3人の話は始まった。
自然と額に汗をかくような熱気にも日陰に入れば視覚的に涼しさが得られている広場の3人にはその自然の悪戯にも負けず次々と話題が続く。そして話はこの近海における海賊活動に関するものへと変わっていく。この地方で採取されるルビーやサファイヤを初めとする宝石類はヨーロッパ諸国では特に珍重され数ある貴族の権威を示す象徴とし莫大な利益を生んでいる。それを求め主として取り扱う交易商の数はこの地に降り立つ全体の大部分を占めるとも否定できない事実でもあった。欲望の集まるところには暴力が存在する事実に漏れぬようそれを狙う人種もそれなりに発生し、元来平和だったインド洋は侵略者の手によって違った海へと変貌していったのである。さらにはその海賊を狙う賞金稼ぎやアンレーデやアムスのように新発見を求める冒険家達も自然と集まりインドという地はその姿を多いに変えている。アムスはそんな街中で同商会の2人を前に以前に読んだとある手記を思い出していた。
「インドと言う地は一分の隙もないほどの欲望で支配されている。功成らしめんとする者、富を得ようとする者、この地で落ち零れた者、それらの人々がこの地域に根付く安寧を完全に破壊していた、その欲望は我々に不可能がないのだと思わせるほどに心身を蝕みいつしか互いに出し抜こうとする意識すら芽生えさせるほどであった。行き交う人々、特に我々侵略者は目を輝かせるたびにその悪魔に支配されているようにも感じられた。かつては歓迎してくれた先住の人々の眼差しは従来の優しさを湛える者は少なく、商業主義的に感化され、我々が求める欲求の対象と同じく我々を対象として見られているようだった。」
手記はなおも続く。
「しかし、土着する文化はどれを取っても素晴らしい。例え人々が商業主義に洗脳されていても、頑なまでに守られる彼らの風習は自然を愛し感謝し我々が忘れかけていた主からの恵みに対する信仰を思い起こさせるに十分だった。秘境と呼ばれる郊外には今も信じられる神が無数に存在し、たとえ形骸化した地域の儀式であれそれを目の当たりにする者はその篝火の中に神秘的な存在を見ることができるだろう…」
手記はなおも続く。
「しかし、土着する文化はどれを取っても素晴らしい。例え人々が商業主義に洗脳されていても、頑なまでに守られる彼らの風習は自然を愛し感謝し我々が忘れかけていた主からの恵みに対する信仰を思い起こさせるに十分だった。秘境と呼ばれる郊外には今も信じられる神が無数に存在し、たとえ形骸化した地域の儀式であれそれを目の当たりにする者はその篝火の中に神秘的な存在を見ることができるだろう…」
「ねぇ、アムス。」
はっと我に返るアムス。
「…アムス。これからどうするの?」
「そうですね。しばらく落ち着くまではここに居て、隙を見つけ欧州へ帰ろうと思います。」
「アンレさん、僕も居ますよ」
「そうね…3日後の真天に南西の町外れにある広場で会いましょう。」
アンレーデは先刻と変わらずに優しげな笑顔で2人に告げる。何の話かも脈略ない申し出にアムスもクラプリンも首を傾げている。
「ふふふ。ま、無理にとは言わないけれどね。」
そう言うとアンレーデは書庫に行くからと勘定を持って席を立った。
「あっ。」
不思議な感覚に摘まれたアムスとクラプリンは顔を見合わせる、そして2人無言のまま何かを考える時間をとると首を再び傾げる。
「アンレさんは不思議ですからなー。」
クラプリンの率直な感想が的を得ている、時折こんな風に不思議な言動をアンレーデは皆へ投げかける。その心意を全て汲み取る事はできないが、仕組まれた側にはそれを考えるに必要な時間を要するものが多かった。
「クラさん。とりあえず3日後ですね。」
「そのようですなー。」
アンレーデが立ち去った方向を見返しながらぽりぽりと頭を掻くクラプリン。
「あ、僕も書庫へ行かないと…」
「はい。行ってらっしゃい。」
再び灼熱の地でアムスは1人になった。一方的に突きつけられた約束だったが、それだけは果たして欧州へ戻ろうと残っている果実酒を飲み干した。
「あの事もあるしね、もう時間が残されてないのかな…」
セビリアに戻るにはそれなりの理由と勇気が必要になるとアムスは唇をかんだ。
はっと我に返るアムス。
「…アムス。これからどうするの?」
「そうですね。しばらく落ち着くまではここに居て、隙を見つけ欧州へ帰ろうと思います。」
「アンレさん、僕も居ますよ」
「そうね…3日後の真天に南西の町外れにある広場で会いましょう。」
アンレーデは先刻と変わらずに優しげな笑顔で2人に告げる。何の話かも脈略ない申し出にアムスもクラプリンも首を傾げている。
「ふふふ。ま、無理にとは言わないけれどね。」
そう言うとアンレーデは書庫に行くからと勘定を持って席を立った。
「あっ。」
不思議な感覚に摘まれたアムスとクラプリンは顔を見合わせる、そして2人無言のまま何かを考える時間をとると首を再び傾げる。
「アンレさんは不思議ですからなー。」
クラプリンの率直な感想が的を得ている、時折こんな風に不思議な言動をアンレーデは皆へ投げかける。その心意を全て汲み取る事はできないが、仕組まれた側にはそれを考えるに必要な時間を要するものが多かった。
「クラさん。とりあえず3日後ですね。」
「そのようですなー。」
アンレーデが立ち去った方向を見返しながらぽりぽりと頭を掻くクラプリン。
「あ、僕も書庫へ行かないと…」
「はい。行ってらっしゃい。」
再び灼熱の地でアムスは1人になった。一方的に突きつけられた約束だったが、それだけは果たして欧州へ戻ろうと残っている果実酒を飲み干した。
「あの事もあるしね、もう時間が残されてないのかな…」
セビリアに戻るにはそれなりの理由と勇気が必要になるとアムスは唇をかんだ。
その日も炎天に燃えるカリカットは人々を動かし続けている。彼らの原動力がこの太陽なのかと思うほどに街はうねりを上げているようだ。そんな喧騒も1本2本と通りを過ぎると過去の遺物と思わせるほどに閑静な地域に辿り着く。そんな道のりをアムスは指定された場所へと歩き続けている。ペルシアンドレスの衣擦れの音がゆっくりとその歩調を示すように路地に響く。
「あら、クラさん。早いわね。」
目的地には一足早くクラプリンが待っていた。
「師匠との約束ですからね。遅れたら怖いんですよー。」
「それは大変ね。アンレさんてそんなに怖いんだ。」
「いぁ、どうなんですかねー。」
「あははは」
アムスは口に手を当てて笑っている。そんな一時の場面を露知らず最後に現れたアンレーデは楽しげな2人を見ながらも無感動に笑顔だった。
「あ、アンレさん。今日の呼び出しはなんでしょう?」
ともかくこの場所へ来た理由をアムスは求めた。
「そうね、取りあえずあの日陰にでも行きましょう。」
アンレーデに誘導されるように大きな木の下にで腰を下ろし、最初は何気ない雑談が始まった。僅かに流れる風が心地よい。青々と繁る雑草に風が通るたびにその風紋が大海を切り取ったような風景を目の前に作りなしている。一頻りの雑談中アンレーデはつぶさにアムスを観察していた。無論、アムスもそれに気付いていたのかもしれない、しかし、アンレーデはその時に自らが持つ重責を果たす為にも彼女を観察し続けた。
話題が途切れ、3人が静寂を確かめ合う頃になってアンレーデは今日の本題を切り出した。
「ねぇ。アムス」
いつに無く落ち着いた声だった。
「はい。」
近くに咲いている黄色い花を一輪摘み取ってアムスへと手渡しながら口を開いた。
「オカミズオジギソウね…こうやって毎年咲く花に似ても、人は同じではないわね。」
「え?」
「時刻一生同じ事の繰り返しに見えても、その実は全てが異なる事実の積み重ねなの。」
アンレーデは滔滔と言葉を続ける。
「無為徒食に思えても反面にその時刻に何かをした結果は残るわ、じっくり時局を見定めるのもまた余興として楽しいものじゃないかしら?」
アンレーデの視線はアムスに向けられる事無くじっと波打つ草原を見つめている。
言い例えようの無い沈黙を割ったのはクラプリンだった。
「アンレさんは知的ですからなー。うん、深い…海のように深い…」
「そうですね、ゆっくりとやります。」
ようやくアムスへと視線を戻したアンレーデは少し面映い様子を見せる
「不器用な伝え方しかできないけどね。」
「いあ、ものすごく響きました。」
こんな時に口下手な事がどれだけ恨めしいかとアンレーデは口を噤んだ。雄弁であればこそ伝えられる真実もあるはずなのに、今ここでそれが出来ない自分は目の前にいる彼女にどれだけこの心意を伝えられたのだろうと自問する。アンレーデの瞳はじっとアムスを見続けている、そんなもどかしさをアムスは伝えられた言葉以上に理解できたと静かに頷いた。
数分間3人を静寂が包む。
「よし、日陰としても喉が渇いたわね…ちょっと1杯でもどうかしら?」
「良いですなー。ちょうど喉がカラカラですわー。」
賛同する声が重なる。衣服に付いた枯れ草を払いのけながら立ち上がった3人は再び熱気の篭る街へと戻りながら、この街で美味いダールを食べさせる店について話し始めた。
「あら、クラさん。早いわね。」
目的地には一足早くクラプリンが待っていた。
「師匠との約束ですからね。遅れたら怖いんですよー。」
「それは大変ね。アンレさんてそんなに怖いんだ。」
「いぁ、どうなんですかねー。」
「あははは」
アムスは口に手を当てて笑っている。そんな一時の場面を露知らず最後に現れたアンレーデは楽しげな2人を見ながらも無感動に笑顔だった。
「あ、アンレさん。今日の呼び出しはなんでしょう?」
ともかくこの場所へ来た理由をアムスは求めた。
「そうね、取りあえずあの日陰にでも行きましょう。」
アンレーデに誘導されるように大きな木の下にで腰を下ろし、最初は何気ない雑談が始まった。僅かに流れる風が心地よい。青々と繁る雑草に風が通るたびにその風紋が大海を切り取ったような風景を目の前に作りなしている。一頻りの雑談中アンレーデはつぶさにアムスを観察していた。無論、アムスもそれに気付いていたのかもしれない、しかし、アンレーデはその時に自らが持つ重責を果たす為にも彼女を観察し続けた。
話題が途切れ、3人が静寂を確かめ合う頃になってアンレーデは今日の本題を切り出した。
「ねぇ。アムス」
いつに無く落ち着いた声だった。
「はい。」
近くに咲いている黄色い花を一輪摘み取ってアムスへと手渡しながら口を開いた。
「オカミズオジギソウね…こうやって毎年咲く花に似ても、人は同じではないわね。」
「え?」
「時刻一生同じ事の繰り返しに見えても、その実は全てが異なる事実の積み重ねなの。」
アンレーデは滔滔と言葉を続ける。
「無為徒食に思えても反面にその時刻に何かをした結果は残るわ、じっくり時局を見定めるのもまた余興として楽しいものじゃないかしら?」
アンレーデの視線はアムスに向けられる事無くじっと波打つ草原を見つめている。
言い例えようの無い沈黙を割ったのはクラプリンだった。
「アンレさんは知的ですからなー。うん、深い…海のように深い…」
「そうですね、ゆっくりとやります。」
ようやくアムスへと視線を戻したアンレーデは少し面映い様子を見せる
「不器用な伝え方しかできないけどね。」
「いあ、ものすごく響きました。」
こんな時に口下手な事がどれだけ恨めしいかとアンレーデは口を噤んだ。雄弁であればこそ伝えられる真実もあるはずなのに、今ここでそれが出来ない自分は目の前にいる彼女にどれだけこの心意を伝えられたのだろうと自問する。アンレーデの瞳はじっとアムスを見続けている、そんなもどかしさをアムスは伝えられた言葉以上に理解できたと静かに頷いた。
数分間3人を静寂が包む。
「よし、日陰としても喉が渇いたわね…ちょっと1杯でもどうかしら?」
「良いですなー。ちょうど喉がカラカラですわー。」
賛同する声が重なる。衣服に付いた枯れ草を払いのけながら立ち上がった3人は再び熱気の篭る街へと戻りながら、この街で美味いダールを食べさせる店について話し始めた。
インド周辺における海賊活動は一時の沈静化を見せつつあるものの、危険が拭い去られるにはまだ幾分かの時間が必要に思われた。全くの安全航海ができるほどに回復するとは現状考えられない事であったが、せめて遠洋に出るまでの間でも回避できる隙が生れることをアムスは待っていた。一方でアンレーデとクラプリンは近隣の生物調査へと出向き、こまめな補給を続けながら大きくはないがその成果を上げていた。ゴアの北にある上陸地点は生物学者にとっては聖地のような場所であった、砂漠の大地にも関わらず多様な生態系はアンレーデの探究心を多いに刺激し、尽き果てぬとも知れぬこの砂漠へと一歩足を踏み入れては物資が切れる寸前まで調査を続けていた。
時に砂嵐や賊の襲撃にも遭遇したが、幾多の経験を踏んできた一行にとって生命の危機になるほどの場面は容易く回避できていた。
あの日から数週間が経過したカリカットでアムスはまだ足止めを喰らっていた。無理にでも欧州へ戻る事はできそうなぐらいにはなっているもののこの地へ引き止める理由が彼女の中にはあった。いつものように広場の休憩所で時間を潰している、幾分その顔には精気が戻っている。
「あら、アムス。まだこの地に居たの?」
すっかりと日焼けした顔を携えたアンレーデがいつの間にか近寄っていた。
「どうにも、海賊さんの活動が気になって…」
「ふふふ、それより自分の歩く方向は定まったかしら?」
「はい、私は少し焦っていたようです。」
「ゆっくり歩くことって大切よ。長い道のりですもの、いずれあたる道も来るわ。」
「そうですね。」
「私にはこんなことしか出来ないけど、愚痴の一つぐらいは聞けるわ。」
「では、僕の愚痴も…」
アンレーデは笑ったままでクラ卿に告げる。
「それは自分で頑張りなさい。」
「あれれ?なんかアムスさんの時と違うぞ」
どっと笑いが起こる。
「アンレさん達はこれから何を?」
「そうね、ハスに関する調査依頼があったからそれへ行こうかと思ってるわ。」
その言葉を聞いたアムスは一緒させてくれと告げると、アンレーデはこれを了承した。
アムスを加えた艦隊は数日の出港準備を整えた後にカリカットを出航する。
その間にアムスも運良くマングースに関する依頼を引き受け生物学艦隊としてインド洋西岸を北上する。そして艦隊がカリカットへと戻ってきたのはやはり物資がぎりぎりの3週間後だった。
街へと降り立ったアンレーデは辺りにクラプリンが居ない事に気付く。
「あれ?クラはどこに行ったのかしら…」
「市長さんに会いに行くと走って行きましたよ。」
事情を知るアムスは即答する。
「そっか。まっ良いか…それより、アムス。こんな冒険も良いでしょう?」
この3週間、真面目に生態調査を行っていたものの、隙を見つけての宴会、愚痴会、雑話を繰り返し、3週間という長い時間はあっと言う間に過ぎていた。
「こんな方が好きです。」
「さて、ウチは記号の羅列でも眺めに行くかな。」
「記号の羅列ですか?」
何の話か想像もつかない顔をしているアムス。
「無限の知識を与えるものに囲まれて生活するのも良いものよ。」
「はぁ…」
「書籍とは記号の羅列。しかし、文章は知識の泉なの…不思議よね。」
同意を求めるようにアムスの顔をみるアンレーデ。
「あはは。私にとってはアンレさんが不思議ですが…」
返事に困るアムスが出した答えだった。
「うん。アムス、良い顔になったじゃない。半月前とは全く別人ね。」
「え、そうですか?」
「何かを決めた目になってるわね。」
「はい?」
「他人よく自らを映す鏡とは言うわ。頑張ってね。」
「はい。欧州へ戻って色々とやってみようと思います。」
その言葉の強さを確かめたアンレーデはうんうんと頷く。
「アンレさん、また押しかけても良いですか?」
「いつでも掛かってきなさい。」
互いの笑顔を確かめ合う。アムスの瞳には何かを決意した者のみが持つ確かな輝きを見て取れる。それを自ら確かめたアンレーデは自らの持つ責の難しさを再び確認する。
「では、一度ここでさよならです。」
「そうね、元気でね。欧州で会いましょう。」
互いにガッツポーズで挨拶し合う。
カリカットの街を異なった方向へと歩き始める2人、半月前と何も変わらないカリカットの日差しは行く先を照らし出すには十分なほどの熱気でその役目を果たしていた。
時に砂嵐や賊の襲撃にも遭遇したが、幾多の経験を踏んできた一行にとって生命の危機になるほどの場面は容易く回避できていた。
あの日から数週間が経過したカリカットでアムスはまだ足止めを喰らっていた。無理にでも欧州へ戻る事はできそうなぐらいにはなっているもののこの地へ引き止める理由が彼女の中にはあった。いつものように広場の休憩所で時間を潰している、幾分その顔には精気が戻っている。
「あら、アムス。まだこの地に居たの?」
すっかりと日焼けした顔を携えたアンレーデがいつの間にか近寄っていた。
「どうにも、海賊さんの活動が気になって…」
「ふふふ、それより自分の歩く方向は定まったかしら?」
「はい、私は少し焦っていたようです。」
「ゆっくり歩くことって大切よ。長い道のりですもの、いずれあたる道も来るわ。」
「そうですね。」
「私にはこんなことしか出来ないけど、愚痴の一つぐらいは聞けるわ。」
「では、僕の愚痴も…」
アンレーデは笑ったままでクラ卿に告げる。
「それは自分で頑張りなさい。」
「あれれ?なんかアムスさんの時と違うぞ」
どっと笑いが起こる。
「アンレさん達はこれから何を?」
「そうね、ハスに関する調査依頼があったからそれへ行こうかと思ってるわ。」
その言葉を聞いたアムスは一緒させてくれと告げると、アンレーデはこれを了承した。
アムスを加えた艦隊は数日の出港準備を整えた後にカリカットを出航する。
その間にアムスも運良くマングースに関する依頼を引き受け生物学艦隊としてインド洋西岸を北上する。そして艦隊がカリカットへと戻ってきたのはやはり物資がぎりぎりの3週間後だった。
街へと降り立ったアンレーデは辺りにクラプリンが居ない事に気付く。
「あれ?クラはどこに行ったのかしら…」
「市長さんに会いに行くと走って行きましたよ。」
事情を知るアムスは即答する。
「そっか。まっ良いか…それより、アムス。こんな冒険も良いでしょう?」
この3週間、真面目に生態調査を行っていたものの、隙を見つけての宴会、愚痴会、雑話を繰り返し、3週間という長い時間はあっと言う間に過ぎていた。
「こんな方が好きです。」
「さて、ウチは記号の羅列でも眺めに行くかな。」
「記号の羅列ですか?」
何の話か想像もつかない顔をしているアムス。
「無限の知識を与えるものに囲まれて生活するのも良いものよ。」
「はぁ…」
「書籍とは記号の羅列。しかし、文章は知識の泉なの…不思議よね。」
同意を求めるようにアムスの顔をみるアンレーデ。
「あはは。私にとってはアンレさんが不思議ですが…」
返事に困るアムスが出した答えだった。
「うん。アムス、良い顔になったじゃない。半月前とは全く別人ね。」
「え、そうですか?」
「何かを決めた目になってるわね。」
「はい?」
「他人よく自らを映す鏡とは言うわ。頑張ってね。」
「はい。欧州へ戻って色々とやってみようと思います。」
その言葉の強さを確かめたアンレーデはうんうんと頷く。
「アンレさん、また押しかけても良いですか?」
「いつでも掛かってきなさい。」
互いの笑顔を確かめ合う。アムスの瞳には何かを決意した者のみが持つ確かな輝きを見て取れる。それを自ら確かめたアンレーデは自らの持つ責の難しさを再び確認する。
「では、一度ここでさよならです。」
「そうね、元気でね。欧州で会いましょう。」
互いにガッツポーズで挨拶し合う。
カリカットの街を異なった方向へと歩き始める2人、半月前と何も変わらないカリカットの日差しは行く先を照らし出すには十分なほどの熱気でその役目を果たしていた。
厳かな教会の中で再び牧師はその手を上げて純白のドレスに身を包む新婦に問うた。
「新婦アムス、貴女は健やかなる時も病める時も…この男を愛し続け共に生きてゆく事を誓いますか?」
更なる静寂がその教会に訪れる。
じっとその身を動かない、手に持つ白いブーケのみが感動を伝えるように僅か震えている。
「…はい。誓います。」
細く小さな声が牧師の耳に届く。それは今までの思い出をぐっとかみ締めた新婦の思いが詰まった決意の言葉だった。そして祭壇の2人は向かい合い新郎は新婦のヴェールをゆっくりと上げ、そっと優しく口付けをする。その時、アムスの目から零れ頬を伝う涙は世界中で飾られている全ての宝石よりも美しい輝きを放っていた。
牧師は続ける。
「今日、お集まりの皆様。今、新郎と新婦はここに永遠の愛と共に生きてゆく事を誓い合いました。この2人に大いなる慈悲と加護のあらんことを、主の御名において…」
祭壇の2人はようやく参列者にその正面を向けた。
新郎はじっと前を見据えている。その視線はこれからの2人が歩む道程を確かめるように毅然とした眼差しだった。新婦は新郎の腕に手を回し、生涯の伴侶とは違い自らが歩いてきたヴァージンロードを見つめている。そして2人は息を合わせるようにゆっくりと階段を下りてくる。再び賛美歌が2人を祝福する。
「新婦アムス、貴女は健やかなる時も病める時も…この男を愛し続け共に生きてゆく事を誓いますか?」
更なる静寂がその教会に訪れる。
じっとその身を動かない、手に持つ白いブーケのみが感動を伝えるように僅か震えている。
「…はい。誓います。」
細く小さな声が牧師の耳に届く。それは今までの思い出をぐっとかみ締めた新婦の思いが詰まった決意の言葉だった。そして祭壇の2人は向かい合い新郎は新婦のヴェールをゆっくりと上げ、そっと優しく口付けをする。その時、アムスの目から零れ頬を伝う涙は世界中で飾られている全ての宝石よりも美しい輝きを放っていた。
牧師は続ける。
「今日、お集まりの皆様。今、新郎と新婦はここに永遠の愛と共に生きてゆく事を誓い合いました。この2人に大いなる慈悲と加護のあらんことを、主の御名において…」
祭壇の2人はようやく参列者にその正面を向けた。
新郎はじっと前を見据えている。その視線はこれからの2人が歩む道程を確かめるように毅然とした眼差しだった。新婦は新郎の腕に手を回し、生涯の伴侶とは違い自らが歩いてきたヴァージンロードを見つめている。そして2人は息を合わせるようにゆっくりと階段を下りてくる。再び賛美歌が2人を祝福する。
Un qué amigo tenemos en Jesús,
¡Todos nuestros pecados y penas a llevar!
¡Un qué previlege para llevar
todo al dios en rezo!
O qué paz perdemos a menudo,
O qué dolor innecesario llevamos,
Todos porque no llevamos,
Todo al dios en rezo.
¡Todos nuestros pecados y penas a llevar!
¡Un qué previlege para llevar
todo al dios en rezo!
O qué paz perdemos a menudo,
O qué dolor innecesario llevamos,
Todos porque no llevamos,
Todo al dios en rezo.
(いつくしみ深き 友なるイェスは)
(罪科、憂いを 取り去り給う)
(心の嘆きを 包まず述べて)
(などかは下ろさぬ 負える重荷を)
(罪科、憂いを 取り去り給う)
(心の嘆きを 包まず述べて)
(などかは下ろさぬ 負える重荷を)
教会の重い扉が再び開き、今、神の祝福を得た2人が姿を表した。
セビリアの陽も祝福するように柔らかい日差しを降り注いでいる。
参列者のライスシャワーと祝辞の中を歩き始める2人。
2人が返す言葉が聞こえないほどに純白の夫婦を祝う言葉は途切れる事はなかった。
そして、アムスは最後尾で待っていたゴールデン・ルーヴェが待ち受ける所まで辿り着いた。F・トーレスは先頭でアムスを迎える。
「今日はやけに別嬪じゃないか。フロイライン…」
「素敵ね。」
「今以上に幸せになれよ。」
その祝辞はそれまで以上に大きく教会前で盛大に響いている。
「みんな、ありがとう。」
かすれそうな声を絞り出すようにアムスは謝辞を述べながら頭を下げた。
「商会長…短い間でしたが…」
アムスの言葉を遮るようにF・トーレスは首を横に振る。
きょとんとするアムスに堂々と正面を向かい商会長は口を開いた。
「はよ、帰って来いよ。」
その言葉を聞いたアムスは両手で顔を覆う。
「私は…私には…こんなにも待ち受けてくれる人達が…私の帰る場所があるんですね…」
崩れ落ちそうなアムスの肩を新郎がそっと支える。
ゴールデン・ルーヴェはそんな光景を優しく見守っている。
「さぁ、アムス。フロイラインに涙は似合わん。いつもの様に笑って歩こうや。」
「は、はい…私はとても幸せ者です。」
それは商会の誰もが見たこともない笑顔を湛えたアムスがそこに居た。
「そうその顔や。その顔こそアムスやな。」
そう言ってF・トーレスはアムスにグラスを手渡し、そこへワインを注ぐ。
「何は無くともゴールデン・ルーヴェといえばコレや。」
「あはは。そうですね。」
気付けば商会員というよりも、参列者全てにグラスが配られている。
「よっしゃ!いくでっ!皆さんもご一緒にっ!」
「「「「全ての幸せはアムスの元にっ!」」」」
天へ向かって掲げられたグラスが日を含み紅玉のような模様を映し出す、そして続く歓喜の声は暖かく見守るセビリアの空に遠く高く吸い込まれていった。
(誓いと絆 完)
セビリアの陽も祝福するように柔らかい日差しを降り注いでいる。
参列者のライスシャワーと祝辞の中を歩き始める2人。
2人が返す言葉が聞こえないほどに純白の夫婦を祝う言葉は途切れる事はなかった。
そして、アムスは最後尾で待っていたゴールデン・ルーヴェが待ち受ける所まで辿り着いた。F・トーレスは先頭でアムスを迎える。
「今日はやけに別嬪じゃないか。フロイライン…」
「素敵ね。」
「今以上に幸せになれよ。」
その祝辞はそれまで以上に大きく教会前で盛大に響いている。
「みんな、ありがとう。」
かすれそうな声を絞り出すようにアムスは謝辞を述べながら頭を下げた。
「商会長…短い間でしたが…」
アムスの言葉を遮るようにF・トーレスは首を横に振る。
きょとんとするアムスに堂々と正面を向かい商会長は口を開いた。
「はよ、帰って来いよ。」
その言葉を聞いたアムスは両手で顔を覆う。
「私は…私には…こんなにも待ち受けてくれる人達が…私の帰る場所があるんですね…」
崩れ落ちそうなアムスの肩を新郎がそっと支える。
ゴールデン・ルーヴェはそんな光景を優しく見守っている。
「さぁ、アムス。フロイラインに涙は似合わん。いつもの様に笑って歩こうや。」
「は、はい…私はとても幸せ者です。」
それは商会の誰もが見たこともない笑顔を湛えたアムスがそこに居た。
「そうその顔や。その顔こそアムスやな。」
そう言ってF・トーレスはアムスにグラスを手渡し、そこへワインを注ぐ。
「何は無くともゴールデン・ルーヴェといえばコレや。」
「あはは。そうですね。」
気付けば商会員というよりも、参列者全てにグラスが配られている。
「よっしゃ!いくでっ!皆さんもご一緒にっ!」
「「「「全ての幸せはアムスの元にっ!」」」」
天へ向かって掲げられたグラスが日を含み紅玉のような模様を映し出す、そして続く歓喜の声は暖かく見守るセビリアの空に遠く高く吸い込まれていった。
(誓いと絆 完)