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金の獅子の背に乗って
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金の獅子の背に乗って

第18話

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「越えてきた日々」(中)


商品が届くのを明日に控え、父親は倉庫の状況を確認するため朝から不在だった。クリスチーネはそんな父親の変わりに店へと出て看板娘らしく振る舞いながら母親とともに店番をしていた。
客の多くは馴染みの顔ぶれで、クリスチーネにとっても久方ぶりの陸商売としては苦にならない時間を過ごしていた。
一通りの客波が過ぎてようやく休憩の時間になり、母親と並んで軽い食事を摂っていた。
「ねえ、お母さん。お父さんと一緒になるってすぐに決められた?」
サラダに手を伸ばしながらクリスチーネは口を開いた。
「なぁに、いきなり。」
思いもよらない質問に食事の手が止まる母親。
今まで詳しく聞かれることもなかった母親にとっては、娘クリスチーネがその関心を持つ年頃になったという事を実感していた。
「そうね。最初、素直には喜べなかったわね。」
「なんで?お父さんは結構有名な商人だったんでしょ。」
「それが最大の原因ね。まだ宿屋の娘だった頃、町はさほど発展してなかったし、外からやってくる人達の数はさほど多くはなかったわ。」
自らの半生をゆっくりと振り返るように母親の口調は急ぐ風にない。
その表情は今までの思い出達が蘇ってくる事を楽しんでいると思わせるほど穏やかで少し微笑んでいるようだ。
「そりゃ、お父さんが現れる前にもそれなり数の航海する人が町に来て口説かれもしたわ。でもね、みんな海病なのよ。」
「海病?」
「そう、船での生活が長いと陸にあるもの全てが新鮮に見えてしまうの。そんな人達の口車に乗るなんて馬鹿馬鹿しいでしょう。」
母親の言葉を聞きながらクリスチーネは自らの生活を振り返り、そういえば思い当たる節がある事を思い出す。
「最初はお父さんの事もそんな人達と同じだと思っていたわ。だから、気に留めることもなく宿屋の娘として接していたの。でも、初めて2人だけで過ごす事になった日、お父さんの優しさは町にいるどんな男性よりも繊細で自然だったわ。」
今でもはっきりと覚えているその日の事を「例えばね」と付け加えながら母親は楽しそうに話している。今更知る父親の意外な一面を聞き、自らが振った話題でありながら、聞いている自身が少し恥ずかしくなっていた。そんな気持ちを隠すように抑えるように紅茶とマフィンを口へ運ぶ回数が頻繁になっている。
「それでお母さんはお父さんと一緒になろうと思ったの?」
「その時はこの人が本当にこのままなら一緒になりたいと思っちゃったわね。だから、その日の夜は離れたくない気持ちとそうあってはならないと思う気持ちがぶつかって泣いちゃったわね。」
そういう母親の表情は変わらずに穏やかに見えるが、口元の笑みには最初より生気がこもっているように力強くなっている。ただ時折、遠くを見るような表情を見せたりもしているが、それがクリスチーネにとって何を意味するかまでは十分に理解できていなかった。
「その日以来しばらくお父さんは宿に戻ってこなかったわ。それがお母さんには『やっぱり』と思わせたわね。だからその日を忘れようと懸命に宿の仕事を頑張ったわ、御伽噺みたいな事なんてあるはずないと思ったわ。」
話が続くにつれて母親の顔がどんどん明るくなっている、自身で思い返すには多すぎるとも思える波風が今となってはどれもが自らを形成する糧になっていると感じているようだ。
「それから何週間か後だったかな。再びお父さんが現れたの、当時は迷惑と思ったわ、折角忘れようと努力してきたのが水の泡になっちゃったんですもの。でもね、後々知った事だけどずっと姿を見せない間に父親、クリスのお爺さんにあたる人をずっと説得してたらしいのよ。」
「へぇ。お父さん格好いいじゃん。」
「でしょ。でもね、そう簡単に『うん』と言えかったわ。相手は海を行く名のある商人で、お母さんは町から出たことのない宿屋の娘よ。身分も国籍も違っては互いに苦労するのが目に見えてるわ。」
当時の母親はマラガの町から出ることも出たこともない生粋のマラガ市民だった。それがイングランド国籍で海を行き来する商人との恋など誰が考えても無事に成就すると考えも及ばないのは道理だった。
「それからお父さんの船に乗るまでの日々が今までで一番つらい時期だったわ。」
「なんで?親も認める仲だったんでしょ?」
「父親も一時の気の迷いだろうと高をくくってたのかも知れないわね。海病が治まればこの町を出て行くと思ったんでしょう。ところが実際、お父さんの熱は下がらなかったわ。」
2杯目の紅茶と2個目のマフィンに手をつける母親、このマフィンには地中海で特に質の良いブドウが採れると有名なフランス領モンペリエで作られた干しブドウが入っている。小麦粉独特の甘味と干しブドウの甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。昨今、地中海との交易ルートも確立され身近になりつつある嗜好品ではあるが、普段の食事に使うにはまだ少し値が張るもので、それだけにこの一家が中流家庭以上である事を裏付ける証明でもあった。
「それから胸のもやもやが晴れる事はなかったわ。一緒に居たい、でもいつ海病が治まるかもしれない。一緒になりたい、でも両親や宿の事はどうすれば良いのか?そんなジレンマがいつも胸に痞えてたわ。ずっと夢見ていたいと、分かれ際が切なくて繋いだ手を離せなかった事もあったわ。」
母親の経験が自分の体験したもの以上に辛く厳しいものだと思い知るクリスチーネ。母親の表情が明るくなるにつれ、自身は口を一文字に閉じ母親の強さに気圧されていると実感している。
「宿への帰り道、そして自分の部屋へ戻ってからはもっと大変。もう自分では考えを纏めきれなくて泣きに泣いたわ。でも、家族やお父さんの前では一切それを出してはいけないと頑なに陽気に振舞おうと努めたわ。ただ、バレてたみたいだけどね。だからお父さんは私の見えないところで父親と何度も話し合ってたみたいだし、いつでもそれとなく慰め励ましてくれてたわ。」
「ふぅーん。なんか聞いてるとお父さんって格好いい事するね。」
「だから一緒になりたいと思ったのよ。そして、何ヶ月か過ぎてお父さんの情熱が父親の心を動かしたのね。その日も部屋で泣いてたわ、そこへ父親が入ってきたの」
『2人にとって最高の選択はこの宿にはないだろう。彼のもとへ行って笑顔で居られる時間でいっぱいにしてきなさい。』
「最初は意味が分からなかったわね、そして用意されていたのは大きなバッグ。それを見てようやく悟ったわ。父親としては辛く身を切り裂かれるような決断をしたと思うわ、今あなた達を授かったこの身だから分かる心境ね。」
それが親としていつかやってくる日だという事はクリスを授かった日に定められた運命なのよと母親の言葉は続いた。
「でも、お母さん。向こうとこっちじゃ何もかも違うでしょ。気候も言葉も・・・」
「なぁに女は『こう!』と決めたら強いものなのよ。」
その言葉を言う母親の顔は今まで見た事ない一番の笑顔だとスリスチーネは思った。彼女が父親の故郷に辿り着いてからの生活は、言葉が通じない他国者に対する人言えぬ辛いことも多かっただろう。しかし、夫婦が互いに強い絆で結ばれていたからこそ今日までの艱難辛苦を乗り越えてこられたのだろうと、想像するに容易かった。
「お母さんには3つ捨てられないものがあるの。1つはお父さん、2つ目は貴女達、そして3つ目がスペイン語よ。どんなに今が幸せでもお父さんに会うまで育ててくれたのは何よりイスパニアという国なの、この両国がどんなに喧嘩してもお母さんはイングランド国籍の夫の妻として、貴女達の親としてそしてイスパニア出身者としての誇りをもって生活しなくちゃいけないと思ってるわ。あら・・・お客さんのようね。」
店員を呼ぶ客の声が聞こえる、母親は先に店へ出るから片付けよろしくと言い残しながら席を立った。クリスチーネは逆光に照らし出される母親の背中に釘付けになる、華奢なように見えるいつもの背中が光の差し込む方向へ向かっていく様は堂々としていて力強いように彼女の目に映る。
「ちぇっ、お父さんもお母さんも格好良すぎるよ。そんなの私には無理無理。」
ティーカップの紅茶を一気に飲み干しクリスチーネも席を立つ、食器類を運ぶ途中、母親からの声が飛んでくる。
「クリス、あなたにお客様よ。」
慌てて食器をそのままに店内へ戻る。そこには軽くウェーブ掛かった長い髪を背中で結い合わせ、大きな瞳に目鼻筋のすきっと通った女性が立っている。クリスチーネが所属する商会を発足させたメンバーの一人ミヤがそこに居た。
「あっ・・・ミヤさん。いらっしゃい。」
「やっ、クリス。帰ってきてすぐで申し訳ないけど1週間後に東地中海へ向かってくれないかしら?」
「え?」
「急いであっちに人手が必要になりそうなの、すぐに返答して。」
クリスチーネは困惑した、家族と一緒に過ごすと父親と約束してしまっているだけに協力したい気持ちと約束との板ばさみに揺れている。しかも、商会の大先輩にあたる人がわざわざ足を運んでくるぐらいなので余程の重大事が起こっている事が容易く想像できる。
「えっと・・・どうしよう。」
どう回答して良いか口の中で言葉が篭っている。
「クリス。なにをグズってるのさっさと『分かりました』って返事なさい!」
そう声を出したのは誰でもない母親だった、両腰に手を当ててクリスを睨むように立っている。
「でも、お母さん。お父さんとの約束もあるし・・・。」
「ミヤさんが来られたのよ、あなたにしかできない事が待っているのでしょう。」
それでも答えを渋るクリスチーネ。
ミヤはその顛末に黙っているしかなかった。
「気にしないで行って来なさい。」
その目から訴えるものを察したクリスチーネは自分がどれだけ愛されているか、信じられているかをその身に感じ取る。
「うん・・・うん、お母さんありがとう。ミヤさん、出航は1週間後で良い?」
「そうね。それより早くても良いけど、準備もあるだろうから。それを期限にして。」
「分かりました。準備します。」
「アイメルとウーナも連れてきてくれると嬉しいわ。よろしくね。」
そう言うとミヤは礼儀正しく挨拶すると足早に店を出て行った。
「ごめんね、お母さん。また心配かけるね。」
「ちゃんと仕事して帰ってきなさい、無事こそ私たちの願いよ。さぁ、いろいろ準備があるんでしょう。お店は良いから行ってきなさい。」
「ごめんね・・・。」
クリスチーネは部屋からさまざまな台帳を抱えてくると、店を飛び出した。母親はその後姿を店先から見送っている。
「ったく。忙しい所はあの人の血かしら。これじゃ良い人が寄り付く暇もないわね。」
軽いため息を店先で捨てるように吐き出すと、母親は店内へ戻っていく。街を覆いつくす空は変わらず少し靄かかっていた。

慣れた街を慣れた足取りで決まった路地へと歩いてゆく。
さすがの故郷では厳しい監視の目が光るクリスチーネも着いて来ない。
長女の意地か店番を1人で請け負ってくれたお陰でアイメルとウーナは久方ぶりに羽を伸ばす機会を得て浮き足立っている。
お目当ては通い慣れたカフェ。
店の外見からは特別な魅力を感じる風にない何処にでもありそうなカフェだが、店主の新しいもの好きが客足を離れさせないよう上手い具合に働いている。
「おや、アイメルにウーナ。戻ってたのかい。今日は何にするんだい?」
その一言を聞くだけで、ここの女主人がどんな正確なのか測るに十分なほどの台詞だった。ただ、アイメルとウーナにはそれが懐かしくも嬉しい響きに感じられる。
「んーっとね。セイロンの入ってる?」
「いつものヤツだね。ウーナちゃんもかい?」
2人にとっては悩む事もないオーダーだった。品揃えが良いと知っていても彼女達が注文するのは決まってセイロンティーで、これは姉クリスチーネが好んで飲んでいたものを真似ていたのが自分達のファーストチョイスへとなっていた。
「ねぇアイメルお姉ちゃん。昨日のお父さん達の話って何だったのかな?」
「うーん…。ウーナにはまだ難しいんじゃないかな。」
「えー、そうやってウーナを子ども扱いする。そういうアイメルお姉ちゃんは分かってるの?」
「分かってるよ。」
「じゃ、説明してよ。」
「なんて言えばいいのかな。好きな人と一緒になりなさいって事だよ。」
「一緒に?」
「ウーナは好きな人居るの?」
「居るよ。6番通りにある食品店のマスターは良くしてくれるから好きだよ。」
「だ・か・ら、分かってないって言うのよ」
想像通りの答えにアイメルは笑いを隠せないでいる。
「なんでー。もぅ…」
ウーナはふてくされた表情でアイメルを睨んでいる。真剣に自分が出した答えがそんなに可笑しのかと何の疑問も持っていない様子だ。
そんなタイミングで女主人が紅茶を運んでくる。
「おや、ウーナ。顔が膨れてるね。何も入れずに膨らませるより、これでも食べてた方が余程特だよ。」
女主人は左手に持つ皿をテーブルへと置く。そこには焼きたてのビスケットが並べられている。
「久々に元気なあんた達に会えて気分が良いからね、あたしからのサービスだよ。」
焼けたバターの甘い香りがテーブル一杯に広がる、その香りにさっきまで膨れっ面になっていたウーナはその出来事を忘れビスケットに釘付けになっている。
「良い顔だねぇ、そうやって良い顔をしてないと寄り付く者も逃げちまうよ。」
そんな女主人の台詞は口一杯の幸せに夢中なウーナの耳には届いていなかった。

幸せを味覚と満腹感に感じ取りながら2人は再び街中を散策している。
心地よい日和にも恵まれて自ずと足は軽くなる。
姉妹と言えども各々の趣味も異なるために思いつく先も違い、それぞれを巡っていては2人分の移動距離だが、今の彼女達には全く問題にしないほどの浮かれ気分だった。
「ウーナ、そんなに買い込んでどうするの?」
「えへへ。せっかくクリスお姉ちゃんが居ないんだしぃ。」
目に映る縫製材料を両手に一杯にしてウーナは上機嫌だ。
「クリスお姉ちゃんは『無駄使いはダメ!』とか言ってウーナの欲しい物を買ってくれないんだもん。それに…」
ウーナは横を歩くアイメルが抱えている資料類を横目に見ている。
「それも安くはないよねー?」
意地悪そうな顔をしながらウーナの口調は鬼の首を取ったような口調で語尾が高く跳ね上がる。
「これはあくまでも写しよ。高くないの。」
「嘘だぁ。アイメルお姉ちゃん、それを買ったきり何も買ってないんだもん。」
「さぁ、そろそろお茶でもしようっか。この先のカフェに美味しいフィアドーネを置いてる店へ行きましょうっか」
「えへへ」
勝ち誇ったウーナの顔に比べて、アイメルの顔はどうやってご機嫌を取ろうかと思案にあぐねている様子だ。
大都会のそれとは違い人通りもどこか控えめなのが、過ぎ行く時間を緩やかに感じさせる。この街の中では、その年柄に不釣合いなほどに海を渡った先にある数多くの異国文化に触れてきた2人の格好は垢抜けたというより若干の不釣合い感として捉えられかねない感覚になっている。
アフリカ大陸を遠く越えた先、かの香辛料大国インドよりかは少し欧州に近いアラビア海方面で土着の民族衣装であるガンドゥーラに身を包んでいる。
華やかで流麗な曲線美こそが最も尊ばれる欧州文化にあって、日常の動きやすさを兼ね備えたその服は野暮や粗野と言えず、かといってそれを真っ向から否定するほどの難点もない服だった。さらには、キリスト卿圏と激しく敵対するオスマンの息が掛かった服だと言うことだけで倦厭されがちな風潮もあるが、異国文化を積極的に先端の流行りだと捉える事との板ばさみに、曖昧な国民性が浮き彫りになるという事はこの国の不思議なところでもあった。
更に言えば、この地方に限定すると。大都会の流行でさえそれに当てはまる傾向も屡だった。
時折、2人を好奇の目で見る者も居るが、異国との文化に触れすぎた2人にはそんな視線が向けられる事を今は気に留めることもなく生活している。さらに両親、特に父親はそういう生活を経ていたためか世間的な考えにも理解を示しながらも『服装ぐらい自由で良いんじゃないか?』と言い、母親は幾分納得いかない部分もあり、時折娘達の見えないところで父親と軽い衝突を起こしていたが『良いじゃないか。主張を折る事は彼女達の個性を壊すこと、それは親の責務の範疇ではないさ。』と父親の殺し文句に母親はいつも閉口していた。
父親の理解に助けられて育った3姉妹は、異国の文化に触れてはその感動を素直に受け止め世間の柵に囚われることない感覚を身に着けていた。

「フィアドーネとププランと紅茶っ。」
「ちょっと、ウーナ…1皿多いんじゃないの?」
「えへへ。硬いことは言いっこナシだよ。」
「はいはい…」
圧倒的に立場が悪くなったアイメルはミルクレープと紅茶を注文してウーナの執拗な攻撃が続くのをとりあえずに打ち切る。
椅子に腰を掛けて少しの時間が経つとさすがに元気一杯の2人にも少し疲労の影が見えている。久々に自由三昧だという開放感が彼女達の小さな体に収められている体力を十二分に使い切るほどに歩き回っていた。
本日2度目となる至福時間を迎えて若干の回復を図るものの、その口数は疲労のためかどこか途切れ途切れになっている。
「そう言えばお姉ちゃんの商会の人達は皆元気してるの?」
3姉妹の内、アイメルだけは2人と異なる商会に所属している。
一般女性では考えられないようなゴツゴツした手を持つ女性冒険家との出会い、冒険家として生きる事ですら容易でない時勢に尚且つ女性がその責の一旦を担うなど非現実的な現実を目の当たりにしたとき、彼女は今までで感じたことのない衝撃に打ちひしがれ衝動的にその人物が所属する商会に所属することを決意していた。
今、彼女はその女性冒険家とは異なる分野ではあるものの同じ冒険家兼学者として同じエリアに立っている。
「私は元来怠け者だからね、大した事なんて出来ないのよ。」
女性冒険家が言った台詞だった。
アイメルはその言葉を聞いた時、それを額面どおりに受け止めるだけしかできていなかった。しかし、こうして自分が職業冒険家・学者として生きてゆけるようになって、漸くその言葉に含まれる異なる意味を悟るようになっていた。
学者ゆえの職業病とも言える全ての意味がそれに含まれていること、そして立身出世を求める事がどれだけ自らが求める真理に対して大いなる障壁になるのだということ、煩わしい外聞や偏重主義を嘲笑した言葉の裏返しなのだと今のアイメルは解釈していた。もっともその言葉を口にした冒険家はそんな大層な意味合いを含ませている訳もない事を当人は知らなかった。
「うーん。そう言えば最近、皆と会ってないなー。時折連絡が来てるけど…手紙だと情報も後手に回っちゃうから。」
「へぇ、連絡は来てるんだ…」
「マメな人が居てね、大体の動きは把握してる…ハズよ。」
姉妹だけに何を隠す訳でもないように、アイメルは商会メンバーからの連絡で知りうる限りの事を掻い摘んで話題にし始める。
ウーナは目の前にある2種類のデザートを口に運ぶ手を休めることなく聞いていたが、やがてアイメルの話が長くなり、どの皿も綺麗に平らげると手持ち無沙汰な様子でうんうんと頷くだけになっている。
「ねぇ、お姉ちゃん。その話まだ続く?」
申し訳なさそうな口調で話の腰を折るウーナ。
「どうしたの?」
「えっと…あのね…その…」
言葉が口の中で篭るように歯切れ悪い、その表情も何かを訴えるように下からアイメルを覗き込む形で見ている。
「なるほどね。」
ウーナの思考を感じ取ったアイメルは華奢な手を顎に押し当てながら口元に笑みを滲ませる。
ここにはアイメルの弱味を握ったウーナの主導権で来店したが、ここに来て弱みを握られた側がそのままの立場で強くなるという不思議な現象が起こっている。
ウーナの視線には首尾よく行けばという薄い期待とこれ以上の我侭が通らないかもしれないだろうとの諦めが混じり合っている。
そんな視線だけのやり取りがほんの数秒間繰り広げられると、アイメルは顎に当てた手でウーナを軽く指差した。
「今日だけよ、なんでも注文しなさい。」
ぱっと表情が明るくなる妹の顔。
「んじゃね、もぅ1つププランとミルクレープッッ」
どこから出しているのか覇気の良い声が静けさになれたアイメルの耳の奥にまで響く。
その声に自分の体に一本筋が通ったような錯覚に陥りそうなほどウーナの声は若さに溢れていた。
「たった2つしか違わないのに、こんなに違うものなのかな。」
「ん、なに?お姉ちゃん。」
「なんでもないよ。アンタそんなに食べて晩御飯入らなくなるわよ。」
「それは大丈夫だよ。お母さんの料理は別格だからねー。」
「あーはいはい…左様でございますか…」
新しくやってきたスイーツの味をしっかりと口に頬張りながらウーナは自分が言った言葉に何か引っかかるものを覚える。
「そふぉひぇふぁ、さくふぁんおかひっては…」
「ウーナ…頼むから焦らないで、一応レディーなんだから飲み込んでから話して…」
アイメルの頬杖付く手が額へと移る。思わず天を仰ぎ見るような成りで体の奥底に溜め込んだ何かを出し捨てるように大きく息を吐く。
ミルクレープを紅茶で押し流してウーナがようやく聞き取れる英語を話す。
「そう言えば、昨晩お母さんが言ってた味を守るとか守らないとかってどういう意味?」
「またその話ね。そうね、ウーナはお母さんの料理が待ち遠しい?」
「うん!」
「じゃ、今はまだ分からないかもね。」
狐に摘まれたような表情のウーナ。
「なんで?」
「さて、なんででしょう。」
微笑んだままで、きっぱりとした明言を避けるアイメル。
「うー…分かんない…」
眉間に大きく深い皺を見せながらウーナは悩む。
しかし、そういうアイメルでさえ母親の出した問題に明確な解答を導き出している訳でもなかった。傍から見れば年端も行かぬ2人の少女、女性として人として幾倍も経験ある母親から出された女性としての命題とも言えるあの問題にそう易々と答えられるはずもなかった。
ただ、アイメルは聞いただけの情報を元にそれとなく妹よりかは真理に近い所へ居るものの、実体験の伴わないだけに希薄的な根拠に過ぎなかったが、妹を前にしてつまらぬ意地が彼女の口から『知らない』『分からない』という言葉を出させる事を拒んでいた。
それを自覚していたアイメルはこれ以上ウーナにその事について質問されることを避けるように誘導する。
「ウーナ。早く食べないと遅くなるよ、まだ回る所あるんじゃない?」
そう促されたウーナはフォークをぴたりと止めて、自分が今日に予定していた事がどれだけ残っているかを数えている。そして、大きく2度頷くと目の前にあるププランをテンポ良く口へ放り込んだ。

両手に抱えきれるか否かというぐらいに荷物を両手にしている2人。
思い通りの買い物に上機嫌な顔で広場を横断するように歩く靴音が朝よりわずかに重いように感じられる。
そんな2人の耳に賑やかなリュートの音が聞こえる。
それは諸国を回る大道芸人が奏でていた。
「ここにも来るんだね。」
体の割りに会わない荷物を持ったウーナが反応する。
それは奇抜な格好をしている2人が3メートルもあろうかという2本の棒を両手に平行棒のように構えている。そして1人の道化師がその棒を巧みにバネのように使って高く飛び跳ねる芸を楽器の演奏に会わせて披露している。
「アレって、続けててなにか良いことあるのかな…そんなに儲かる仕事でもなさそうだし。」
ウーナの疑問は素朴なものだった。
「ウーナ。今、あなたの視線はアノ人達より高いところから向けられてるよ。ウーナには難しいかもしれないけど、ああやって技を披露する人達の日常は私達が思っている以上に辛いものなのよ。」
「それは失敗しちゃお金貰えないから?」
「そうじゃないわ、あの人達は見ず知らずの人達の足を止め感動させてこそ仕事と言えるの。今見せている技でさえ、あの人達だからこそ出来るのよ。一見して簡単そうに見えるけどね。」
「ふーん。」
「私達の商売とは違って、自らが極めている技のみで勝負する世界っていうのかな、一分の隙も許されない言わば決闘のような世界なのよ。」
「へぇ…。」
アイメルの説明にあまり関心がないような返事だった。ウーナにはアイメルの言わんとする所を把握しきれず、また理解しようともする気がないようだった。
「見かけ以上に大変って事ね。」
「良く分かんないけど、分かった。」
「よし、んじゃ。暗くなる前に帰りましょう。今日、行けなかった所は明日ね。」
「うん、今日の晩御飯は何だろうね。」
「昨日の献立からして…今日はウーナの好きなバジリコパスタじゃないかな」
「だと良いな。お姉ちゃん早く帰ろう。」
西の空へ大きく傾いた日差しが町全体を赤く染め抜き、街行く人々の影が長く細く伸びてゆく中を2人が足早に通り過ぎる。各所から漂う良い香りがこの街に夕食の時間が近いことを知らせている。2人は家まで2人だけの競争を始めていた。大きな荷物を落とさぬように走る2人の額には汗が滲んでいる。それは宝石を思わせるように夕日を反射させながらきらきらと光っていた。
(つづく)
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