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金の獅子の背に乗って
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金の獅子の背に乗って

第21話

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anrede

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「その手に掴むもの」Ⅱ


慣れた航路ながらも、いつもは何かそれなりの書類や細々とした雑務が発生し、時間を費やすことが出来ていたが、今回に限っては穀物海岸に入るまでの洋上で面倒な書類も仕上がってしまい、さらには手を焼かせる雑務さえも現れない事態にクラプリンもいよいよ暇を持て余し気味に無駄な時間を過ごしている。
椅子から立ち上がり、部屋の片付けをしてみたり窓外の景色をじっと眺めたりと決して有意義とは言えない時間を強制されている為か、どことなく覇気のない雰囲気に気だるさが増長されているように感じている。
そして部屋をうろつく足が書棚の前で止まった。
埃を被った書籍が並んでいる。
居並ぶそれらを見つめるクラプリンはその題名を一つずつ確認しながら、内容を思い出すようにうんうんと頷いている。
今の商会に所属した当初、多くの先輩と船を並べあちらこちらの海域に顔を出したりしていたことを不意に思い出す。
そんな時分、参考までにと手に入れた書類達が今はいつ役目が来るのかと待ちわびるだけになっている。
表情を変えずに書棚の前で立つクラプリンだったかが、いきなりにやってきた大きな衝撃に体勢を崩す。
「なんだ?」
船員達が船中で何か大声を上げながら走り回っている音が扉越しに聞こえてくる。
襲撃にあったのかと緊張感が一気に部屋を支配するが、それと考えるには変事を知らせる警鐘もなくただ船員が駆け回る音しか響かない状況に最悪の事態が発生したのではないと心を落ち着かせる。
そして、その間に1つの足音が近づいてくるとノック音と共に副官の1人が部屋へ入ってきた。
「申し上げます。先ほど突然の横波を受けたため大揺れが発生しました。船の状況は現在調査中ですが、今の所被害の報告は届いておりません。」
「はいはい、報告ご苦労さま。被害がなければ航路に戻してくれ、あの揺れ方だとずれてるだろう。」
「了解しました。」
提督の指示を持った副官は敬礼すると部屋を出て行った。
「やれやれ…船に被害がないのは幸いだけどな…」
船さえ無事なら急ぐ仕事もないが、クラプリンの目の前に広がるものは派手に散らかった部屋だった。
「ほんのさっきまでは綺麗だったのに…」
思わぬイベントの発生に軽い溜息を一つ吐き出す。
「よし、やるぞ。」
袖を捲くり上げ、惨状とも言える部屋に屈みこんだ。
先ほどまで書棚に収まっていた書籍たちは居場所を床に変えている。
久しぶりに窮屈な書棚から開放されたそれらは放り出された拍子に溜め込んでいた埃を一気に空中へと投げ出してさっぱりとしている。
そんな書籍を1冊ずつ手にとって書棚へと戻すクラプリン、中途半端に開いた状態にある本の文章に目を取られ、ついつい読み更けてしまいそうになる誘惑に時折敗北しつつ、片づけを進めていく。
クラプリンの額に汗が滲み出ている。
南半球の容赦ない日差しと海からの照り返しをまともに受けている船内の温度はじりじりと上昇している。
そんな船中でクラプリンは新たなる敵の出現に書籍と厳しい戦いを強いられている。
先ほどまで見つめていた書棚と収め直した書棚の雰囲気がどことなく異なっていて、何冊かを手に持ってはどの段にあったかと自らの記憶を辿るためしばしば手を止める羽目になっていた。
「んー、なんか景色が違う気がするぞ。」
首を傾げながら崩れたパズルを直すかのように書棚を埋めていくものの、几帳面な性格が掛かるべき作業の拍車を思った以上に留めている。
苦闘を強いられながらも床板の見える範囲が広がってきた頃、床に落ちた古ぼけたファイルを手に取り何気なしに中を検めたクラプリンの口から感嘆の声に似たものが零れる。
「おおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ…」
思わず全身に力が入り、滲んでいた汗が大きな玉となって床へと落ちる。
びっしりと書き込まれた見慣れた文字の1字1字をしっかり確かめるようにページをめくっていく。
ファイルにはかつてどこかの書庫で写した遺跡・遺物に関する資料が書き込まれていた。
古代の謎を解き明かそうと躍起になっていた頃、あれこれと集めた資料の中の1つで、いつか資料にあった場所へ向かうと思いながらついに今日の今まで忘れてしまっていた物だった。
ページをめくる度にクラプリンの中で燻っていた何かに再び灯が点った。
そしてファイルの最後まで目を通すと、それを書棚へではなく反対側に置かれている机の引き出しへと突っ込んだ。
「困ったな。」
一言呟くと服の袖を捲り直し、書棚へと戻る。
しかし、その表情は明らかに先ほどとは異なっていた。
時折、陽気な歌声が部屋に響き、あれほど梃子摺っていた書棚整理も始めから比べると格段に速く終了していた。
更に、書類以外に散乱していた部屋の小物類もあっさりと片付けると、倒れていた椅子を元へと戻しどっかりと腰を落とし器用に後ろ2本の足でバランスを取っている。
取り出した煙草を口に咥え、煙をゆっくりと天井へ向けて吐き出す。
幾何学的に変化する白い煙に視線をやりながら、クラプリンの思考は1つに囚われていた。
「とりあえず戻ってからかな。」
考えれば、あの頃と比べ仕事も増え、そして仕事をこなすうちに船も変わり、船員も増えた。しかし、自分が忙しくなればなるほど本来「したかった事」から遠ざかっているのではないかとクラプリンの考えは宙を舞っている。
今現在も十分楽しいと思っている。例えインドまでの遠距離航路を行く事も、危険と言われる海域を航行することも、交易所で渋る主人との駆け引きでさえ苦にする事ではないと感じる反面、自分が人について回っていた頃のあの感動や衝撃はどれよりもスリリングで我を忘れるほどのめり込んでいたと吐き出した煙の中に場面を思い出す。
この短い期間に自らの中で「何かを楽しむ」事を変質させてしまったのをあのファイルがまざまざと思い知らせている。
付いては離れぬ思考の中で発生した苛立ちが、机に投げ出した両足を一定のリズムで震わせる。
ぐっと煙草を押し消してクラプリンはうっすらと煙が満ちる部屋を出る。
横波の受けて騒がしかった船内は落ち着きを取り戻し、船員達は普段どおりの持ち場へと戻り仕事をこなしている。
誰も居ない通路を甲板へ向けて変わらない歩調で向かう。
扉を開けると、きつい日差しに一瞬視界を奪われながら船上へと姿を表す。
波を切り分ける音が頼もしく耳に届き、風を一杯に受け止めて裂けよと言わんばかりに堂々とした姿を見せる帆が晴天に映えている。
船員達はいきなりに現れた提督の姿に戸惑いを見せながらも各個の仕事をこなしている。
クラプリンの姿を見て副官が駆け寄ってくる。
「なにかありましたか?」
「いあ、特に用事はないんだ。」
副官は提督が下あごに手を当てて何かを思案する風な姿を見て、また良からぬ事を考えているのではないかと不安が過ぎる。
「そう言えば。」
「(そら来た。)なんでしょうか。」
「交易ギルドへ登録したのはいつだった?」
「(いきなり何の話を…)そうですね、詳しくは記録を見てみないと分かりませんが、3年前かと…。」
「そうかー。もう3年になるのか。」
「(怪しいな、絶対何か悪いことを企んでいるな)」
「積荷を下ろせれば、特に急ぎ仕事はなかったな?」
「(それは提督が一番知ってるんじゃ?)その筈ですが。」
「そかそか…」
「(何を考えてる?)」
うんうんと頷きながらクラプリンは辺りをウロウロとしている。一方の副官は不安が的中しそうな状況にも顔色を変えずに提督が何を言い出すのだろうかと心持ち身構えている。
そしてクラプリンの足が再び副官の前で止まった。
振り向いた拍子に掛けている眼鏡がきらりと太陽光を反射する。その反射光の奥には何かの確信に満ちたクラプリンの瞳が潜んでいる。
「バカンスへ行かない?」
「はぁ?」
想像をはるかに超える提督の言葉に副官の声が思わず裏返る。
「陽気な太陽と小波打ち寄せる海岸…すばらしい出会いを求めてバカンスへ行かないか?」
「提督…北海ならいざ知らず、この暑さの中でそういう誘い文句は意味がないかと。」
副官はそう口にしながら苦々しい顔で空を見上げる。
その目に映るのは、いよいよ真天へと登り強烈な日差しを燦々と照りつける本領を発揮している太陽だった。
潮騒すら聞こえない沈黙が空を見上げたままの2人を支配する。
額の汗が一筋流れ落ちるのを感じて、クラプリンは副官へ視線を戻した。
「うん、まぁ、そういう事で。よろしく。」
言い逃げるように、そして副官の冷たい視線が背中に突き刺さってくる事が耐えられないようにクラプリンは足早に船内へ消えていった。

東西南北の交易の要所として古い歴史を持つポルトガルの首都リスボン。
街の中は昼夜を問わず活気に溢れ、聞き耳を立てれば聞こえてくる多様な言語の渦があらゆる国の人を飲み込んでい事のを十分に思い知らされる。
人種の坩堝と化しているこの街の文化はあらゆる方面の影響を受け、尚且つそれを自らの文化と上手く融合させて他に類を見ない独自のものへと昇華させている。
北海や地中海、さてはオスマン圏の文化さえ吸収し、立ち並ぶ建物にその面影を見て取れる。
そんな町並みの風景の中で生まれ育ったクラプリンは久々に降り立った故郷の雰囲気を懐かしむ風もなく、入港の手続きの為に役場へと向かう。
決められた書類を定められた様式で記したものを役人へと手渡す。
役人は提出された書類をまるで機械仕掛けのように決まりきった動作を繰り返す。
1日で何十も同じ作業を繰り返すだけあって、彼らの動きに一切の淀みは見られない。
待っているクラプリンもこれまでに何十回と経験した手続きとあって、なんら警戒することもなく役人からの声を待っている。
「クラプリン殿」
ほどなくして役人の呼ぶ声が聞こえる。ゆっくりと腰を上げて窓口へと進む。
「書類の方は間違いありませんね。」
これも聞きなれた台詞だった。
「では、入港して良いかな?」
その言葉に役人はちらりとクラプリンの顔を見る。役人のそんな態度を見てクラプリンは自分の言葉に反応したのか否かと不思議そうな顔をする。
「えっと、一度積荷を検めさせてもらいますので、それが終わるまでは船の入港許可が下りません。」
「ん?検閲?ポルトガル人の俺に対してもなのか?」
「えぇ、今はそういう決まりになってまして。」
長らく欧州を離れていたクラプリンにとって、地中海が今どんな状況になっているか詳細に知らないでいた。
「それと、クラプリン殿はもう結構ですが、船に同乗している船員の方々が街へ入る前に一度確認をさせていただきますので、身分を証明するものを…」
「なに?先ほど申請したじゃないか。」
「えぇ、でもこれが規則ですので…」
クラプリンは言い知れようもないほどの不快感をあらわにしている。
しかし、縦割り行政の末端である目の前の役人にその怒りをぶつけたとしても何ら解決にならない事をクラプリンは知っていた。
お上からの命令を忠実にこなしているだけの窓口ではどんなに騒いでも効果が無いことは、いままで他国で受けてきた仕打ちが教えてくれていた。
ただ、胸の中では故郷に戻ってきた同国人に対しても何かの疑いが掛けられるというお偉方の方針が同じ国籍を持つ者として情けないと爪が立つほど強く拳を握っていた。

数人の船員を留守番として船中に残し、クラプリンの一行はリスボンの街中へ上陸する。今までに無かった身元確認の作業も形だけをなぞるようなお粗末さであまり効果を得られるものではなかった。しかし、形だけとは言えそれを通過しなければならない不快感はクラプリンの頭から離れずにいた。
上陸した全ての船員がその作業を通過し、晴れてリスボンの街中へ解放されるまでおよそ2時間が経過していた。
「遠路ごくろうさん。さて、これから暫くは故郷を楽しもう。」
提督はそう言いながら上陸した船員達に小さな皮袋を渡す。
その中には当夜の飲み代としては少し多めの金貨が入っている。
何十日も掛かる遠路を終えた後の恒例となった臨時ボーナスだった。
陸に上がった船員達全てに皮袋を手渡すと、これから滞在中の取り決めごとをあらためて確認する。
「最後に変事の場合には連絡がつくようにしておいてくれ。では、解散」
船員達は提督の言葉が終わるが速いか否かに蜘蛛の子を散らすような勢いでその場を離れる。
出迎えた家族と抱き合って帰郷の喜びを噛み締める者、足早に我が家へと向かう者、仲間達で連れ合ってどこかの酒場へと消えてゆく者、それぞれの想いを込めて船員達は雑踏に消えてゆく。
副官の一人が提督の横に取り残されたように立っている。
「いやはや…賞賛に値するほどの機敏さですね。」
「全くだ。」
「提督はいかがなされるんで?」
副官の言葉に腕組みのまま考えている。
「家路につくのも悪くないが、少々遠いからな。船で留守番しているやつ等には悪いが今晩はこの街で楽しく過ごさせてもらうかな。」
「ほお…それはご相伴に預かりたいですが。」
「ん?お前はどうなんだ?」
「あっしは北の生まれなんで、次に出るまではぶらりぶらりと過ごすつもりで。」
「そうだったな。なら、久しぶりに陸の酒でも堪能するか。」
「ご馳走になりやす。」
行き交う人の波の合間を縫うようにして2人は港を離れていく。
しかし、クラプリンはそれまでの道中、特に港内の違和感に故郷の感慨も忘れていた。
「(なんか物々しいな~…)」
「どうかしやした?昔分かれた娘が居たとか?」
「それならまだ歓迎だ。」
改めて足を止め、周りを見渡す。どことなく余所余所しい雰囲気が見え隠れしているように感じられるが、それを何かと特定するには至らなかった。
「ただの杞憂だろうな。酒へ急ごう。」
馴染みの酒場の看板を見つけると吸い込まれるようにして店内へと入ってゆく。
店内はあいも変わらずの繁盛振りに空いている席は壁際の暗いテーブルだけだった。
席へ向かう途中にすれ違う店員にワインと腹の足しになるものを持ってくるように注文し2人は席へつく。
酒場の賑わいは町の賑わいとは良く言ったもので、隣に座る副官の声さえも聞き逃すかもしれないほど、人の声が充満している。
「しっかし、アレだな。しばらくぶりに戻ってきた我が祖国のはずだが、どうやら素直に喜べないのは頂けないな。」
「まったくその通りで、あっし等が離れている間に何があったんでしょうかね?」
「良い事ではないだろうな。ポルトガル人である俺でさえ、すんなりと通してくれない程だ、おおよそどこかと喧嘩してるんだろう。」
入国に際し、あれこれと余計な手続きを踏まされたことが納得いかないクラプリンは賑やかな店内において憮然とした顔のまま注文したワインが届くのを待っている。
「そこの仏頂面してる旦那っ、1曲いかがですか?」
南部訛りを話す若い男がリュートを手にテーブルへと近寄ってくる。
「日ごろの憂さを何もかも忘れられる酒場にそんな面は似合いませんぜ、1曲聴いていただけたらきっと美味しい酒になること間違いなし!」
底抜けに陽気な声がクラプリンの耳に刺さる。
「まぁ、今は間に合って…」
「そう言わずに1曲お願いしますよ。聴いて、飲んで、楽しくなったら可愛い子と一緒にどこかへドロン!これで明日も頑張れるって寸法で。」
「立派な口上だな。それじゃ、酒が届くまで1曲頼むかな。」
クラプリンはポケットに入っていた金貨を陽気な流しへ弾くように投げる。
「おお、これは。近頃物騒になったお陰で渋いお客が多くなったんでね、へへへ。」
流しは渡された金貨を大事そうに懐へしまい、1・2度咳払いで喉を慣らすと流行のメロディーを奏で始めた。
全くアテにもしていなかったクラプリンだったが、若い流しの歌声は南部訛りのある者のものとは思えないほど上手く歌っている。
いつの間にか届いていたワインと肴に手をつけるのを忘れ、ポルトガル語の歌にしばし聞き入っている。
「ご清聴ありがとうございます。」
最後まで歌いきった流しは満足気な顔で礼を述べた。
「貴殿は南部訛りがあるようだが、出はあっちか?」
「この街に来て数年経ちますが、面目ございませんで。」
何に対しての面目だろうかとクラプリンは首を捻ったが、目の前で頭を掻く仕草をする流しの言葉に何かを閃いていた。

「なに!」
声を荒げたのは副官だった。
「それは本当なのか?」
想像すらしない反応に対して流しは目を丸くしている。
「えぇ、東からの…なんて言ったかヴァ…ヴァテ…」
「ヴァチカンか?」
「そうそう、そのヴァなんとかっていう所からの偉い人が来たらしいですが、大して取り合われなくて早々に引き上げてしまったと噂ですぜ。」
そんな事には自分も無関心と言わんばかりに空となったグラスにワインを注いでいる。
「(あぁ、なるほど。だからか…)」
クラプリンは入港して不可解に思っていた事の全てがそれによって全て繋がったと掌を打つ。
提督の冷静さをよそに副官は顔を紅潮させるほど興奮している。
目の前にいる流しに対し今にも飛び掛らんとばかりに腰が少し浮いている。
そんな副官の気を殺ぐ静かな声を出す。
「んで、その特使ってのは、どんなヤツが来たんだ?」
「無学なもんで難しい事は分かりませんけどね…確か枢機卿とか言ってましたね。」
枢機卿という台詞を聞いてクラプリンの指がピクッと動く。そして、その手でそのまま髪を掻き揚げながら感嘆の声を上げる。
「おやおや…それはそれは…」
テーブルを囲む3者はそれぞれに違った表情を見せている。
「もう一度聞くが、この国は立たないと?」
「あっしも船乗りからの伝え聞きですがね。」
「他に面白い話を聞いてないか?」
「そうですねぇ…確か、お隣さんは征ると他の船乗りに聞いたですかねぇ。」
「オレンジの野郎共は出るのか。」
大体の事情を飲み込めたクラプリンは懐から出した煙草に火をつけて考えを纏めるように大きく煙を吐き出した。
そのクラプリンの横で収まりがつかない副官はまだ何か聞き出せないかと流しへ向かって矢継ぎ早に質問を繰り返しているが、両者ともにこれまでの酒量が祟ってか、ちぐはぐに噛みあわない問答がいたずらに時間を食っているだけだった。
副官の食って掛かりそうな勢いを手で制するようにしてクラプリンは話題を変えようとする。
「それより、売りが立ってるのは外れにある橋の周辺で変わってないか?」
「おっ。旦那も好きな口で?もちろん、そこら辺りの事情は変わってませんよ。」
その会話を聞いていた副官は狐に摘まれたような顔をしている。
それから間もなくして3人は席を立った。
流しの若者は一通りの礼を述べると街の中へと消えていった。
「よし、それじゃ。行こうか。」
副官の返事も待たず、クラプリンは歩き出す。
昼間とは違って少し乾いた風が酒に火照った体に心地良い、ちょうど良い程に行く先の道を月明かりが照らしている。
「どこへ行かれるんで?」
「売り街さ。」
今の提督に雇われてからと言うもの、船員からそれらの話を聞くことがあっても提督からは一切聞いたことが無かった言葉に耳を疑った。
しかし、躊躇い無くその場所へと進む提督を見ると、ただ話さないだけだったのかと副官は自分を納得させた。
「そうだ、こいつを渡しておこう。」
普段と変わらない歩調のままでクラプリンは懐から数枚の金貨を取り出し副官へと渡す。
「これで一晩の伽代にはなるだろう。」
「はぁ。」
今ひとつ納得のいかない副官は渡されるままに金貨を懐へとしまいこむ。
何気ない話をとりとめもなく続けながら歩く2人、そして静かな郊外の通りを1本2本と通り過ぎると、ちらりほらりと周りの様子が変わり始める。
街角の雰囲気にそぐわない若い女性達が大きく胸元の開いた服を着てあちらこちらに立つ姿が見える。
そして腰を振るように歩く様はなんとも艶かしく、その動きの一つ一つが男性を誘っているようにも感じられる。
「さてと、ここまで来れば相手も選びたい放題だな。」
事の内容に関わらず、クラプリンの表情はどことなく冴えない。
そんな提督の表情に気付いた副官はふと足を止めて考えにふける。
「提督…本当の狙いは何です?」
振り向いた先にクラプリンの姿はなかった。
先ほどまで同じ歩調で歩いていたはずの提督の姿はいつしかどこにも見えなくなっていた。
「あれ?提督?どこいきやした?」
月明かりに蒼白く照らし出されている街角を見渡しても、クラプリンの姿が見えない。
「参ったな…」
何かに化かされたように辺りを見渡す副官。仕方なく付近をぐるぐると歩いては消えた提督の姿を探す。途中、すれ違う女性達からの誘い言葉が引きも切らずにかけられるが、副官はにべもなくそれらを突っぱねながら提督を探している。
「おい、なにを偉そうに考えてるんだ?難しい顔してると可愛い子が逃げるぞ。」
いきなりクラプリンが細い路地から姿を現した。
「提督、知らぬ間に消えるのは止めてくだ…」
声のする方へと向き直った副官は目を疑った、提督が知らぬ女性と腕を組んで立っているのである。
「ねぇ、この人だぁれ?」
これ見よがしに開いた胸元をクラプリンの腕に押し付けるようにしながら女性はクラプリンに問いかける。
「俺の大事な仲間さ。」
「ふぅ~ん。」
やたらと通る声を持つ女性はそんな答えに興味ないような素振りを見せる。
「そいじゃ、そういう事で。お前も楽しめよ。」
驚いている副官へ軽く言葉をかけると2人は宿屋の多く居並ぶ方向へと消えていった。
「なんだよ、それ…。」
1人取り残された副官は2人が消えていった方向を睨みつけ、先ほどは無視して通った色声のかかる筋へと戻っていった。

朝靄に煙草の煙を重ね合わせながら、クラプリンは朝を迎えた。
安宿の窓辺に置かれた椅子に腰掛け、何本目かと数を取り忘れた煙草をくわえている。
ベッドでは女が穏やかな寝息を立てている。
ガラガラと荷車を牽く音が微かに聞こえ始め、街が本格的に目覚めのときを迎え始めている事を知らせている。
長く伸びた髪を両手で掻き揚げて手元のメモに何かごとを書き綴っている。
無精髭が薄っすらと伸びた事に加え、一晩を寝ずに明かした為の窶れで顔立ちの印象を凛々しく変えている。
「ねーぇ。なに書いてるの?」
いつの間にやら目覚めた女が背後から問いかけてくる。
温かさが残るベッドに上体を起こし、シーツで胸元を隠すようにしているものの、その行為自体は大して重要でもないように腕に力は入っていない。ただ、ベッドの傍らに置かれた女の衣類を見るに今は一糸も纏わぬ格好であることは容易に見て取れる。
「なーに、大した事じゃないさ。」
女の問いかけに振り向く事もなく返事する。
そっけない返事に特に何を言い返す事もなく女は脇テーブルに残っていたワインへ手を伸ばす。
「折角、私を選んでくれたのにさ、何もなしに朝になったらドブ川に捨て銭したようなもんじゃないの?」
女の言うとおり、この安宿へ女と入ってから2人は酒の飲んで明かしただけだった。
「私は抱く価値が無かったぁ?私は普段飲めない高いお酒が飲めたから満足だけどぉ。」
ちくりちくりと針で刺すような愚痴を背中を向けているクラプリンへと投げかけている。
「まぁまぁ、そう言うなって。」
手を止めてクラプリンは自分を見つめる女のもとへと近寄る。
酒で熱くなり脱いだままになっていたクラプリンの上半身が朝日に照らし出される。
「ふぅん。初めてみるけどさ、アンタ良い体してんのね…。」
「そうか?船乗りは皆こんなもんだろう。」
女の隣へと座り、飲んでいたグラスを取り上げ口をつける。
「アンタ、ただの商人じゃないわね。何て言っても私は信じないよ。」
「いや、ただの商人さ。」
「ふぅん。」
疑いの視線がじろりとクラプリンを見定める。
「朝日に陰るアンタはますますいい男ね。特別に今からでもどう?」
胸元を隠していた手でクラプリンの腕を引き寄せるように誘う。顕になった胸がクラプリンの腕に押し付けられ、女の温もりと柔らかな感触が直に伝わってくる。
しかし、クラプリンはその絡んでくる手からするりと腕を抜き取ると手元のシーツで朝日を浴びて美しく柔肌が輝く女を包み込む。そして、そのまま優しくそっと抱きしめると額に軽く口づけすると耳元で囁いた。
「今日は船乗りとして大事な仲間を守るためにお前に寂しい思いをさせてしまったな許してくれ。」
クラプリンの囁きは続く。
「次会った時は同じポルトガル人として君を選ばせてもらうよ、だから今日はこれで美味しい朝食を取って昨晩の事を忘れてくれ。」
女の手を取りその手の中にそっと何かを忍ばせる。
そして年月の産物ともいえるベッドの軋み音と共にベッドを離れる。
女はシーツに包まれたまま、一連の動作を無言で見守っている。
身支度を整えたクラプリンは短い別れの挨拶と共に部屋から消えていった。
「なによ…何さ…頭悪い私には分からないわよ!」
後姿を見せぬように閉じられた扉に向かって手に持っていた金貨を投げつける。
寂しさを代弁するような乾いた音が部屋の中に小さく響いている。
「……バカ」

治まりそうもない欠伸に大きな口を開けたまま本通りを歩く。
図らずも夜を徹してしまった為かいつもより太陽が黄色く輝いているように感じる。
まだ支度し始めたばかりの露店から朝食にと買ったブールを荒っぽく口の中へと放り込む、素朴な固焼きパンの風味が口の中に広がっていく。
昨日、町へ降りてから漸くまともな食事にありつけた為か、それとも長らくインドへと向かっていた為か実に味わい深く感じられる。
ただ、歩きながらの朝食が終わってみると適度な満腹感と徹夜の疲労と体に残った酒に緩やかな眠気が彼を襲っていた。
「どこかで一休みしたいか…」
ふらりと街の広場にたどり着いたクラプリンは横になれそうな場所を探す。
「おや?」
広場の先に遠目に覚えのある姿が見える。
どこで遊んできた帰り道か否か自分の下で働く船員達が2・3名なにやら立ち話をしている。
何を話しているかは聞こえる由もないく、内容がどうであれその輪に自分が入り込んでも財布を狙われるだけだと思いながら、やっと探し当てた休憩場所へ横になる。
目に染み入るような日差しを恨めしく思いながら、上着を顔にかけ仮初に作り上げた暗がりにクラプリンは目を閉じる。
広場は時間が経つにつれて徐々に人の往来が多くなり、多くの人々が忙しく働く時間へと変化する。
そんな広場の傍らに人目を憚ることなく静かな寝息を立て始める。
ただ、硬い寝床の上では芯から寝られるはずもなく、浅い眠りを数珠繋ぎにしていくことが精一杯だったが、今のクラプリンの体には十分な休憩時間だった。
人の往来する気配の質が変わり始める正午前になってもクラプリンはまだ浅い眠りの最中だった。
太陽の恵みが容赦なく降り注ぎ、クラプリンの体にはじわりと汗ばんでいる。
背中に感じる硬さと日差し熱に寝苦しさが膨らみ、気にならなかった町の雑踏がクラプリンの睡眠を邪魔するようになっていた。
「それからウチの船長ときたらさ、いつの間にか可愛い子を連れて消えやがるんだ。」
身に覚えのある内容が聞き覚えのある声で聞こえてくる。
「(おや?)」
その声にまどろみが覚めてしまった。
「へぇ、普段は実直真面目に見えて、そんな事しないと思ってたがねぇ。」
「しかしだな、付いていったお陰で俺は懐痛まずに美味しい思いをさせてもらったぜ。」
聞いていた他の船員の口から悔しがる言葉が漏れている。
「(やれやれ…)」
酒場で副官の見せた剣幕を思い出しながらクラプリンは小さく溜息を吐く。
そして、彼等の声が雑踏に消えてから、ゆっくりと体を起こす。
日差しはまだ目に厳しく降り注いでいる。
まだはっきりとしない思考を顔の表情に表している。
「さてと。動くに動けないからな、もうちょっと探りを入れてみるか…」

2日後の昼、クラプリンの姿は船内にあった。
役人による船内検めを終えた後、良くも悪くもない相場にも関わらずインドからの積荷を馴染みの交易所へ全て卸し終えた後の帰船だった。
船員達もなぜここで投げてしまうのかと口々に噂しあっていた。
「失礼します。お呼びでしょうか?」
いきなりの呼び出しに険しい表情を浮かべた副官が部屋へと入ってくる。
「どうだろう、船員には各2日ずつの休暇になったんだが。皆は元気になったかな?」
「若干の遊び足りない部分もあるかもしれませんが、良い気分転換にはなったと思います。」
「そうか、こっちも色々と楽しい情報を拾えたし、そこで前に話していたバカンスの話だが。」
以前には眉を顰めた副官も、あの夜の事があってかその言葉を聞いて表情が明るくなる。
「4日後に出発する。」
「え?4日後ですか?」
そうだとクラプリンははっきりと答える。
「資材調達から散らばった船員の呼び戻す事まで全てを終えて4日後に出発する。」
念を押すようにクラプリンは日取りを繰り返す。
「しかし、その予定だと日数的にぎりぎりではないかと思いますが…」
2人の間で事の真意の汲み取り方が異なるため、副官は緩やかな表情で意見を述べるに対し、クラプリンの表情は一貫して作った笑顔のままでいる、その表情の下ではこの会話が最初から成立してないことを十分に認識していた。
「今回は青い海に白い町並みが映える所へ向かおうかと思ってる。」
「良いですねぇ。それなら尚更にいろいろと準備もあるでしょうし、4日後は…」
「あぁ、そうだな。このところ平和に剣の手入れをしてない者も居るだろうし1日延ばすか。」
「剣…ですか?」
「そう。剣だ…なんと言っても今回はそれがメインになるからな。」
副官は提督の言葉に理解が追いついてゆけないという顔でクラプリンを見ている。
「皆へ伝えておけ、今回は死出の出航になるかもしれん。嫌な者は船を降りて良いと。」
クラプリンは煙草を取り出し火をつけた。
「イスパニア、ヴェネツィア、ジェノヴァ、イタリア諸国、マルタ騎士団が征るそうだ。」
提督の口調が変わり、ただならぬ様子を察し直立したままの副官をよそにクラプリンは続ける。
「教皇ピウス5世の指示の元、神聖同盟なるものが出来上がったそうだ。これ以上、布巻きの奴等の横暴は許せないらしい。まさに同感だ。」
2・3度煙を吐き出す間、2人には例えようのない沈黙が敷かれている。
「ところで、この3日間。これについての情報は?」
「あの最初の晩に…」
「そうか、もう一歩踏み込んで欲しかったな。あの流しの話を聞いてから俺は今まで奔走しきりだ。」
何も言い返せないほどの重圧が副官に圧し掛かってくる。
「俺の何を噂されようが知った事ではないが、あの夜に出会った女性は実に多くのネタを持ってたな。お偉方に口止めされてるヤツ等も女の前では口が軽いらしい。」
短くなった煙草を灰皿へぐいっと押し付けて火種を消す。
副官はあの夜に感じた違和感が今になってようやく正解だと気付く。
「この代償は現場できっちり働いて貰うからな。ドッグに預けてる船を出して来い。そして、準備を急げ!」
「はいっ!」
言われるがままに副官は提督の部屋を飛び出した。
「やれやれだ。」
椅子へ深く腰掛けると大きな溜息つく。
「ま、立場が逆だったとして、俺でもそこまでは気付かんな。」
きつく当たった事を思いながら、クラプリンはもう1度煙草を咥えて火をつけた。
白煙の先に見えるものは古ぼけた天上ではなく、各国の展開に関する速度の予測だけだった。

クラプリンの指定した出航日は5日後だったが、当初に予定していた4日目には全ての準備を終えて出航を待つだけになっていた。
副官がどのように働いたかは知る由もないが、船員は欠けることなく集まっていた。
「全員集まったな。今回は1度のミスも許されない出航になるだろう。」
船員達の前でクラプリンは口を開いた。
「しかし、ヤツ等の横暴を見逃し続けるにも我慢の限界がきたらしい、国がどうたらなんて関係ない!ナメたことしてくれたヤツ等に西の力を見せ付けてやれ!」
空を割らんばかりの喚声が響き渡る。
クラプリンは大きくてを振りかざし出航の合図を送る。
「シラクサへ!」

(続く)
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