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金の獅子の背に乗って
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金の獅子の背に乗って

第22話

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anrede

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「その手に掴むもの」Ⅲ


北国特有の寒風が吹きすさぶ。
地中海の街から見ると比較的若い建都となる街の一角で、コウヒエは今自分が置かれている状況に陥った理由を一つずつ考えていた。

事の起こりは1ヶ月前のセビリアまで遡る。
普段どおりの入港を果たした街中はどこか余所余所しい影を見せながらコウヒエを迎え入れた。
船倉は遠路を事無く運び終えた貴重な香辛料と宝石が満載されている、降り立ってまずは交易所へと足を向けたく思うのが商人としての性ともいえる所だったが、この日に限ってコウヒエはなぜかそれを後回しにしてギルドへと向かった。途中、交易所の前を通り過ぎる時、わずかにその足の動きが止まる。しかし、彼は「まぁ、良いか…」と一言呟くと不思議な引力に引き寄せられるように再び進路を変えずに歩き出した。
コウヒエにとってギルドに特別な用がある訳でも、戻れば報告をする義務もなかったが、今日のコウヒエは迷う事無く歩いていた。

大きな樽の看板が緩やかな風に揺られている。
交易ギルドの建物はセビリアの中央広場から少し東へ向かった所にある数多くの公的機関が密集する通りに一際高くそびえている。
隣国のポルトガルにインド東周り航路の開拓で先を越されてその隆盛は一時より一歩後退したものの、火器類の交易における拠点を押さえた国の方針が更に水をあける事を許さじとその威風たるや堂々と権力を誇示するように通りの真ん中に腰を据えている。
その正面には一切の情報の遮断と力なき者の立ち入りを阻む事を思わせるように黒く大きな扉がしっかりと閉められている。
コウヒエは慣れたように幾人もの手で幾千回、幾万回と開け閉めされて動きのぎこちない扉を開けて建物の中へと入った、途端に商売仲間の誰かに名前を呼ばれた。
「おぉ、コウヒエじゃないか。」
右手を上げて呼びかけに応えて、手招きしているその商売仲間の方へと歩いてゆく。
「久しぶりだな、いつ戻ったんだ?昨日か?今日か?次はいつ出る予定だ?」
「おいおい、何を聞きたいんだ。一つずつにしてくれ。」
一気呵成に押し寄せる仲間の質問に軽く両手を挙げるような格好で宥めようとする。
景気の良い笑い声とともにコウヒエの肩を叩きながら、その男は返答があるなしに関係なく話を進めていく。
「様子から察するに帰ってきてまだ間もないな?」
「そりゃそうだ、つい今しがた入ってきたからな。」
「よしよし、ちょうど良い仕事があるんだ。」
コウヒエは少し面食らっていた、今話しかけてくる男は昔から知っていたが、こんなに忙しい性格をした人物ではなかったからである。
「おいおい。他をあたってくれ、船員達にも俺にも今大切なのはゆっくり休むことさ。」
「お前みたく腕の良い商人じゃないと務まらないものなんだ。」
「なにを煽ててやがる、そういうお前こそぶらぶらしてるなら都合良いじゃないか。」
「そうしたい所なんだがな、俺には先約が入ってるからな。」
「まぁ、ともかくだ。他をあたってくれ…」
「つれない事を言うなよ。働けるうちに働く、儲けられるうちに儲ける。これが俺たちの大鉄則だろ?」
商売仲間の口調は滑らかで、押しの一手でコウヒエに迫ってくる。
ただ、コウヒエも商人としての性かこれまでの経験がそうさせるのか、簡単にうんと首を縦に振る事はなかった。
しかし、同じ商売仲間からの押し売りにも似た頼みに首を横に振ることもせず、曖昧な返事ではぐらかそうと静かな火花がギルドの一角で繰り広げられている。
「ともかくだ、休養をさせてくれ。話はそれからだ。」
「そうか、分かった。酒でも飲みながら話そうじゃないか。」
「なんでそうなるんだ?」
「お前にしかできないからさ。」
「古い殺し文句を使ってきやがって…」
「堅いこと言うなよ。」
そう言って、コウヒエの両肩を持ってくるりとその向きを変えると、何を急ぐのか足早に外へ連れて行こうと背中を押しながら大きな扉へと歩いてゆく。
「あぁ、さっきの話だけど。このコウヒエに置いといてくれ、こいつならきっとやってくれるから。」
背中から予想にない声が聞こえてくる。
「なに?おぃ、まてっ!」
「はいはい。続きは酒場でな。」
コウヒエが発した抗議の言葉は開かれた扉の錆びた音と重なりながらセビリアの街中へと消えていった。

「いったいどういうつもりだ。」
胸の前で組んでいる腕の指が不快感を明らかに示すようにとんとんと二の腕を叩いている。
表情はまだ穏やかなものの、普段に見る口元の笑みは表情から消えている。
そんなコウヒエの様相を意に介さない素振りで商売仲間の男は通りがかりの酒場娘へ注文を次げている。
「そう、肉だ。鶏肉の美味いやつがあっただろう。あぁ、それだ。それからウィスキーを持ってきてくれ。2本が良いな。」
コウヒエはその様子を身じろぎせずじっと見つめている。
注文を終えた男は酒場娘へ愛想を振りまいているが、手馴れた娘はそれをさらりとかわして厨房の方へと消えてゆく。
「ははは、ふられちまったか。」
どこの酒場でも居る陽気な酒飲みのように振舞いながら男はゆっくりと椅子に座りなおす。
「さてさて、なんだったかな。」
あくまでも自分の調子を変えずにようやく2人は向き合った。
「いくらお前でも、アレはやりすぎだろう。」
コウヒエの言葉は冷静を装いながらも語気が荒く聞こえる。
しかし、その言葉が向けられているはずの男はまったく動じることなく口を開いた。
「いやぁ、これはお前にとっても美味しい話なんだ。」
甘く感じる言葉に騙されまいとしてコウヒエは男の言葉を半分疑いながら聞いている。
「そう目くじらを立てるなよ、もしアレならさ、断っても良いんだぜ。」
「あの状況からこの状況で断る事ができるなら、そうしてたさ。」
「お前なら乗ってくれると信じてたさ。」
「今日は殺し文句の安売りか?」
「安く売って損しないなら切れるまで売ってみせるさ。」
男はテーブルに届けられた肉料理を口へ運びながら調子よく打っては響く答弁を続ける。そして、指に残ったソースを味わいながら続けて届いた酒を勢い良く流し込む。
「ふん。で、どんな内容なんだ?」
「それがな…」
汚れた手をナプキンで拭きつつ、男の表情が一変した。
先ほどまでの陽気さは露ほどにも感じさせず、その雰囲気はコウヒエの知る普段の姿だった。
男は一言ずつはっきりした口調で話し続けた。
「ここまで来て言うのも変なのだが、今ここが断る最後のチャンスだ。これから先、俺が口を開けば依頼を受けたとなるぜ。」
「なに…」
「そしてそれは時間にも猶予がない、恐らくお前が経験してきた中で一番辛いものになるかも知れん。」
真偽を確かめようとするコウヒエの視線に負けることなく互いが互いを直視している。
「遠路を越える旅よりも辛い仕事だと?」
「その通りだ。俺はお前の実力を知っているつもりだが、それでも成し遂げられるかは五分と言ったところか、本当に嫌ならこのまま席を立ってくれても結構だが…。」
そこまで聞いてコウヒエは口を噤んだ。
そして、今までの流れを頭の中で整理する。
この男が無理に陽気な振りをしてまで自分をここまで持ってきた事を察するに、事はかなり深刻な事態なのだと理解できる。
それ自体は自分が協力できるなら手を差し伸べたいとも思っているが、ただ、男の口車にのるような今の形が癪に障るようですっきりと返事をできないでいた。
周囲の雑音が消えてしまうぐらいの冷たい静寂がテーブルの上を支配している。
コウヒエは空になっていたグラスにウィスキーを注ぐと、一気に飲み干した。
「東回りの先を越され今こそ自力を見せなければならないイスパニア商人がそこまで言われて易々と引き下がっては名が廃る。面白い、その依頼引き受けてやろうじゃないか。」
我ながら陳腐な口上だと内心呆れ心が溜息をついている。
格好いい言葉を投げてやろうとしたコウヒエのささやかな反抗は平凡なものに終わってしまっていた。
しかし、その言葉を聞いた男は険しい表情を崩さず、コウヒエへ釘を刺す。
「安請け合いと後悔するなよ。」
「受けたからには達成してみせるさ。で、依頼主は誰だ?」
「今はそれを明かすことが出来ない。」
「おいおい、なんだそれは。商売ってのは信頼が基本だろう。」
コウヒエの言葉はどこの誰が聞いても通る理論だった。
交易はもとより、海事にせよ冒険稼業にせよ何につけてもコウヒエの言う信頼という2文字が成り立たなければ何も成しえることができないことは揺るぎない共通事項である。
「決してお前を信用していない訳ではないんだが、先方の方針でな。」
「それで納得しろと?」
憮然とした表情のコウヒエは心の内にある疑問を視線に含ませて相手を睨んでいる。
「しかし、これを受けてくれたという事であらゆる準備はギルドの名で最優先させるから我慢してくれ。」
まだ視線の度合いを戻さないコウヒエ。顎鬚に手をやり再び考えに沈む。
「それは何よりも俺の船を優先させることができるのか?」
「あぁ、ギルドから手を回しておくから大丈夫だ。」
その言葉を聞いてコウヒエの脳裏に一筋の閃光が走る。
「なるほど…そういう訳か。」
難解なパズルを解いたように、掌を打つ。
「どうせ経緯を聞いたとしても返事は同じだろうな。」
問いかける声にはある種の期待が含まれていた。
そして商売仲間の男はコウヒエの期待通りの言葉で返事する。
「まぁな。それより内容なんだがな。」
男の言葉を手で遮るように突き出すと身を乗り出すようにして口を開いた。
「それよりも、酒をもう1本だ。」

険しい表情のままで自らの部屋に閉じこもるコウヒエ。
航路図にコンパスあてながら日数を数えている、しかし試算を何度繰り返しても余裕という文字は生まれそうになかった。
「ふぅ。」
顎に当てた手に蓄えている髭のざりざりとした触感が伝わってくる。
余った片方の手は指を折っては戻す動作を繰り返している。
「やはり安請け合いだったか。」
ギルドの全面的なバックアップの元で2日という異例の準備時間の短さでセビリアを後にしたものの、受けた依頼内容を考えるとスムーズに事が運んで戻ってこれるのが期日前日になる予想に気の晴れる時間はどこにもなかった。
「厳しいってモンじゃないな。お偉方は何を基準にしてんだか…」
コウヒエは自分以外は誰も居ない部屋に居ながらも、問いかけるような口調で小さな愚痴を零す。
彼の頭の中では最終決断が迫っていることに少々の焦りが生じている。
「ベルゲンかオスロか…どちらにせよ期日ぎりぎりか。」
受けた依頼内容は『3ヶ月以内に800の船建材を仕入れてくること』だった。
木材の産地としては北欧がつとに有名で、この依頼を聞けば誰しもが北へ航路を取る事を考えるのが必定で、コウヒエ自身もその一人だった。
ただ、ベルゲンとオスロでは産量が異なり日数的に近いベルゲンはオスロと比べ産出量が少なく仕入れに時間が掛かりそうだった。反対にオスロはどうかと言うと建都して歴史の浅い街ながらもその発展振りは著しく木材の流通に関してはベルゲンを遥かに凌ぐ量を仕入れることができるが、ユトランド半島が作り上げる複雑な海流と東からの強烈な向かい風に到着するまでに日数を要する街だった。
3ヶ月という無理難題に近い内容を無事に達成させるにはどちらへ向かう事が良案であるか出航してから思案しつつも結論を出せず悪戯に時間が過ぎ、船はどんどん北へ進んでいる。
「いっそ今回の場合は間に合わせる事を最優先させると考えて、最良かつ最善はオスロか…。いぁ、もし嵐にでも遭おうなら…。」
手で頭を掻く素振りがだんだんと荒々しくなり、積もる苛々感が度合いを増していることを示している。
「コウヒエ君、ちょっと良いかな?」
若い女性の声がドアの外から聞こえてくる。
「ん?あぁ、どうぞ。」
中へ入ってきた女性はコウヒエを見るなりくすくすと笑いだした。
「なにそれ、寝起きじゃあるまいし不精にも程があるぐらいのぼさぼさ頭じゃない。」
掻いていた手で髪の様子を探るコウヒエ、確かに言われた通り全体があらぬ方向へ飛び跳ねている。
「どうせ、ベルゲンかオスロかなんて悩んでたんでしょう。」
女は腕組みした格好で目の前の茶番劇のような光景を分析している。
「そう。まさしくその通り。」
くるりと身軽に振り返ると勢い良く女性へ向けて指差すようなポーズを決める。
コウヒエのそんな様子を女は薄っすらと笑いを浮かべたまま黙って見ている。
例えようのない静かさが2人の微妙な距離の間に流れている。
この静けさに耐えられないようにコウヒエは無意味な咳払いを2・3度繰り返すと女に背を向けた。
女の足は一定のリズムで床を叩いている。その音がコウヒエへ緩やかな圧力となってのしかかって来る。そして更に追い討ちをかけるように女は口を開いた。
「…まだ余裕のようね。この船の一番偉い人は貴方なんだから、しっかり決断して頂戴ね。」
「フィゲレー、そんなにプレッシャーを掛けるなって。一国の浮沈が掛かる依頼だけにこれほどおもしろい仕事はないんだぜ。」
「はいはい、楽しむのも結構だけどね。私の出番がなくなるのだけはご免よ。」
「精々頑張らせてもらうさ。」
コウヒエは現実を目の当たりにする航路図を片付け始めた。
いくら図面を見たところで船足が速くなる訳もないと多くの地図が収められている箱の中へと投げ入れる。
「そうそう、本題を忘れてたんだけど。」
フィゲレーは組んでいた腕を腰に当てている。
「そろそろ、皆のご機嫌取った方が良いんじゃない。」
「かなりキてるか。」
「優秀な船員ばかりね。黙ってはいるけど腹に抱えてる物はありそうな雰囲気が充満してるわよ。」
原因を作ったのは貴方でしょうと言わんばかりの視線を投げかけるフィゲレー。
その視線を感じていないようにコウヒエは小さくお手上げだという手振りをする、そして、体格に見合った足音と共に扉へと近づく。
「おーい、誰か居るかーい。」
通路に響く声に機敏に反応したのは副官だった。
ばたばたという足音と共に駆け寄ってくる。
「今日は同行してくれてるフィゲレー提督の誕生日だそうだ。倉庫に上等の酒があっただろう。そう、アレだ。今晩はそれを使って盛大にやろうと皆に伝えておいてくれ。」
景気の良い話に副官の返事も勢いが良く、通路を戻る足取りもテンポが速い。
部屋へ戻るコウヒエ。
「宴会か、妥当な解決策を選んだわね。」
「気晴らしには酒が一番さ、どんちゃん騒ぎすればすっきりするだろう。」
「ただし…」
不敵な笑みを浮かべるフィゲレー。
「私の誕生日を変えた代償は高いわよ。」
「ははは、細かい事を気にするな。遅いか早いかの違いじゃないか。」
「その遅い早いが重要なのっ。」
フィゲレーが踏み蹴った床がどんと大きな音を響かせる。
その音に肩を竦めてコウヒエは部屋を出ようとする。
「そういや、副官へ言い忘れた事が…」
「こらっ!まてっ!」
船はヒホン沖を通り過ぎまもなくビスケー湾へ入ろうとしていた。

街へ降り立った一行は無言で同じ場所を目指していた。
その中には引きつった笑いを浮かべた者もいたが、唯一人を除いて余裕を見せる者は居なかった。
比較的穏やかな気候の地中海や1ヤード先でさえ陽炎で揺られそうな灼熱のインドなど暑さに関わる地域での生活が長かったコウヒエ率いる一行の予想を超えた寒さが彼等を襲っていた。
「親父、この店で一番暖かい服をくれっ。」
口々に同じ言葉を発しているが、ノルド語が堪能なのはフィゲレーだけであった為、彼女は街へ降りて早々に本職と関係のない仕事に追われる羽目となっていた。
全ての船員が満足する服装を買い終えるには到底1軒の店で終わるはずもなく、フィゲレーが率いるコウヒエ一行は町中にある防寒着を扱う店へ入っては我先にと服を買い求め、夕刻になってようやくフィゲレーの第一任務は終了した。
「いやはや、フィゲレーが居てくれて助かったな。」
コウヒエは幾重にも防寒着を重ね着し、万全の寒さ対策が整った事に満足し満面の笑みでフィゲレーへ感謝の言葉を述べる、しかし、その口調にフィゲレーが食いついた。
「着いて早々にこの無駄な時間は何なのかしら。遊ぶ時間なんてないんでしょ?」
「さすがに北国は寒いね、こうやって着込まないと上手く商売できないだろ。」
「そういう事じゃなくて、なんで用意しておかなかったのと言ってるの!」
「いや…まぁ…急いでたしな。」
元来大きな体格に加え買い求めた防寒着で着膨れた体格を小さくしている。
「大体ねぇ。アンタは計画性ってものがないのよ!こっちへ来るってのに軽装だし。」
コウヒエはフィゲレーへ背を向け、肩を竦めている。彼女からは見られないことを幸いにと口をへの字に結び浴びせられる小言を聞き流そうとしている。
「やれやれ、これなら洋上の嵐を耐える方が随分とましだな…。」
ぼそりとコウヒエの口が呟く。
「なぁに?なんて言ったの?」
「あ…いぁ…なんでもないですよ。」
「なによ、言いたいことがあるならちゃんと言いなさいっ!」
「いぇいぇ、有りがたいお言葉ですね。」
「そもそも今回の件だって、なんの目処があって引き受けたわけ?」
「いぁ~はいはい、フィゲレー様のご尽力は痛み入りますっ。」
いきなりコウヒエは声を張ってフィゲレーの言葉を遮った。
「今は長旅でおつかれでしょう。ささ、景気付けと依頼を完遂できるようにと腹ごなしでも向かいましょう。」
くるりと向きを変えフィゲレーの両肩を後ろから押すように移動し始める。
「ちょっと、どこ行くの?私の話を聞いてるの?」
「ええ、ご高説ごもっとも。それより空腹では戦に勝てないからね、続きはその時に拝聴させていただきます。さ、行こう。」
真新しいファーブーツが路面を踏みしめる、コウヒエはその歩みを留める事無く服探しをしていた最中に見かけた酒場へと向かう。しかし、それまでの道中もフィゲレーの小言が止まることはなく、行き交う人々は聞きなれぬスペイン語に奇異な物をみるような視線を投げかけるのだった。

鮭やトナカイの切り身をバターで炒めることによりこの地方で飲まれるアクアビットのあてとしては最高の料理に変わっている。ただでさえ南ヨーロッパでは出会うことが少ない珍味ともあり、2人が飲み干した酒量は思いのほか早い段階に適量以上へと達していた。
それに酒量が増える度にフィゲレーの機嫌は徐々に回復し、店へ入る前の尖った雰囲気は今は鳴りを潜めている。
「アンタ、良く食べるわねぇ。」
出てくる料理全てが見るに新鮮でコウヒエの食欲はその手をとめどなく動かしている。
「食べないの?これ美味いよ?」
コウヒエの食べっぷりを改めて目の当たりにしては自らの食欲さえもコウヒエの胃袋へ押し込まれてしまったかのような錯覚に陥り、フィゲレーの手はグラスを持つだけになっている。
「相変わらず旺盛な事ね…」
椅子へ斜めに座るようにし、細く伸びた足を組みながらも上体はテーブルに向けている。
頬杖をついて、目の前で繰り広げられる光景をただただ感嘆の眼差しで眺めるフィゲレーはかつて知人に聞いた牛には胃袋が4つあるという話を思い出していた。
「でも、目の前に居るのは人だものねぇ。」
見る見るうちに消えていく皿に盛られた料理の数を数えながら、まだ信じられない光景がいつもより多く飲んでいる酒が見せる幻でないことを自分に言い聞かせている。
ただ、彼女には目の前に座る大食漢に聞いておかなければならない事があり、軽くなったテーブルの上へ再び料理が届く合間を見計らって口を開いた。
「ところで、仕入れ自体はどういう風に考えてるの?」
「なにを?」
「仕入れよ、し・い・れっ!ここまで来て当たって砕けろな計画じゃないでしょうね?」
フィゲレーは大きく身を乗り出し、コウヒエに迫っている。その右手にサラダフォークが握られているのがコウヒエには見えている。
「テ、テーブルマナーは守った方が…ははは」
「その様子を見る限り、また鉄砲状態かしら?」
手に持ったフォークをくるくると回しながら呆れ顔をするフィゲレー。
しかし、コウヒエには仕入れに対する不安を感じさせない表情でグラスを手に持ち、アクアビットをごくごくと大きな音を立てて飲み干した。
フィゲレーはアルコール度数が40度を越える酒を軽く一気のみする様に再び目を疑ったが気を取り直して今後の予定を質問する。
「仕入れにかけられる時間はどれくらいなの?」
コウヒエは人差し指で天井を指すように立てた。
「これだけ。」
「まさか…1日?」
「いぁいぁ、それは無謀の範疇を越えて不可能の領域だ。1週間だな、1週間。」
「で、算段はついてるの?」
「ないと言えばない。あると言えばある。ここの人たちがどれだけ商人か次第だな。」
「なによそれ、結局はなにもないように聞こえるわよ。」
にこやかな表情を崩さずコウヒエは新たに登場した料理へ手をつける。
「どうにかなるだろ。明日に向けてちゃんと食べて英気を養っておこうか。」
「まだ食べる…のね。」
コウヒエは口の中に広がる幸せを感じてにこやかさを越えて満面の笑みへと変わっている。
歯切れの悪いコウヒエの回答が更にフィゲレーの食指が鈍っている。
宵の口が過ぎ、夜の帳が街を覆ってから1時間程が経過した頃、2人は酒場を出た。
ひゅうひゅうと鳴く風があらわになっている手や顔の肌に刺さるように吹き付ける。買ったばかりの防寒着の生地はまだ硬く深々と手を突っ込んだポケットさえも硬い布地が温かみを奪っていくような錯覚を覚える。
フィゲレーと道すがらに別れ白く伸びる吐息を引き連れて宿へと続く道を辿るコウヒエ。
「確固たる勝算はない、しかし負ける算段はさらに持ち合わせてないさ…」

街へ着いた翌朝から行動を開始したコウヒエはフィゲレーを伴い、木材を卸す組合本部へと乗り込み、用意していた口上と共に1つの案件を提示した。

『南地中海で大型の宗教建造物を建造するに当たり上質の木材を求めにきた。容易ならざる事態が押し迫った昨今、我々が求めるのはこれから生きてゆく糧と子々孫々までの安寧であり、主のお導きを得るため各国が国境を越えた協力をしている中、当組合も協力を要請するものである。ただし、脅威は目の前まで到来しておりこれを実現する為に残された時間は数えて少ない状況である。ただ多方面での協力を得ている我々には相応の手段をもってこれに協力をしたいと思い、次の案件を用意した。』

『当日収める分には3倍、以降翌日には2倍、3日より先は1.5倍を持って支払いをその場で行う。』

通訳をしていたフィゲレーはその内容を聞き同じ商人として我が耳を疑った。
だからこそこの提示の効果は覿面だった。
組合の面々は色めき立ちこの案件に飛びつこうとしていた。
ただ、組合のトップはこの美味し過ぎる条件に何か裏があるのではないかと疑いを持っていた。その様子を見たコウヒエはさらに条件を加える。

『もしこの件にご協力を賜れるのであれば、当船への卸値を5%上昇させてもらいたい。』

再びフィゲレーの声が詰まる。
売り交渉ならともかく仕入れ単価の値上げ提示など「安く買って高く売る」商人の鉄則に反するような行為である。ちらりとコウヒエの様子を窺うと、そこにはまるで獲物を仕留めるために身を低く構えるアフリカの肉食獣のような静かな殺気にも似た雰囲気を発しながら周囲の反応を静かに見定めるている。
その条件が意味することを察した組合長は一瞬動揺を見せたが、首を縦に振らなかった。しかし、周囲は組合長の判断にあからさまな不満を見せていた。そして更にそこへつけ込むようにコウヒエは用意していた最後の条件を出した。

『当船はあくまでも木材の用意にあり、協力くださる人全てに当てはまると一言申し上げておきます。』

その場に居た全てが先ほどまでのざわめきを捨てている。組合が立たなくても個人で納品した場合は提示された金額で卸すことができる、コウヒエの言葉はそれを意味していた。つまり生産者はどっちに転がっても儲けが出るという事だった。
居並ぶ面々は組合長がどんな判断を下すのかと視線を集中させている。例えようのない沈黙が部屋を包んでいる。その静寂の中コウヒエは静かに席を立った。

「なかなか結論が出ないようですね。私は伝えねばならない事を全て申し上げたので先に船にてお待ちしておりますが最後にもうひとつだけ。私はこの地の美しさが木々と共にあるということを知っています、なのでこの件については予定している量に達した時点もしくは5日後の日没に失効する事を申し上げておきます。もっともその時点までこの街にいるかどうかは定かでないですが…確かベルゲンも上質の木材が出ると聞いております。」

そう言ってコウヒエとフィゲレーは部屋を出た。
「通訳ありがとうな。」
先ほどとは打って変わっていつもの緩やかな雰囲気に戻ったコウヒエ。
「まさか、買値を上げる交渉なんて…大丈夫なの?」
「逆転の発想だな。」
「私達商人よ。大鉄則を逆転させちゃ駄目だと思うけど。」
「まあな、いつもいつも使える手じゃないな。」
そう答えるとコウヒエは歩いている通りに響くほどの声で笑った。
「ちょっと…声が大きいって…」
「ん?あぁ、すまんすまん…打つ手は打ったし後はのんびりと船で待つか。」
「上手くいくかしら?」
「大丈夫さ。」
意気揚々と港へと進む2人、南ヨーロッパで育った2人には南中を迎えた時刻にもまだ上りきらないように見える日差しに時間の経過感覚を狂わされている。時刻は正午を過ぎ昼支度の為に僅かながら街中に静寂が訪れ、淡く薄雲に化粧された空が寒々しさを一層引き立てている。
「うぅ寒い…。できれば今回だけにしたいもんだな。」
コウヒエが肩を狭めて零す。
「なによ。さっきまでふんぞり返ってたのに、格好悪いシャキッとしなさい!」
フィゲレーに背中を叩かれ慌てて背筋を伸ばすコウヒエ、しかし、路地へ風が吹き抜けると防寒着に首を引っ込めてしまい、再び体を丸くするのだった。

(その手に掴むもの Ⅲ 完)
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