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金の獅子の背に乗って
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金の獅子の背に乗って

第23話

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「その手に掴むもの」Ⅳ


それから3日が経過し4日目の夜、2人は再び初日と同じ酒場の席に居た。

「乾杯!」
威勢の良い掛け声と銅製のカップが弾ける音がテーブルの上で重なり合う。
「かぁーっ。美味いっ!」
なみなみに注がれていたアクアビットを飲み干したコウヒエが歓喜の声を上げている。
「4日で集めちゃうとはね、でもこれだと赤になるんじゃないの?」
結局、組合はコウヒエの案件を採用し、早速その日の夕刻から納品してくる者もいた。そして、今日の夕刻に受けた依頼の数量に余分を若干量加えた数を用意できていた。
「正直言って、儲けは殆どないだろうな。でも赤にはならないだろうさ。」
煮え切らない返事にフィゲレーは疑いの眼差しを向ける。しかし、疑ったところで彼なりの思惑の上で事が運んでいるはずだと要らぬ思慮に耽ることを止めた。そして、ひとまずは仕事の8割が終わった事を素直に喜び並べられた料理に手をつける。
「美味しい…」
目処のつかぬまま街へ到着し積み込みが全て完了する今日までフィゲレーには料理をゆっくり味わう余裕などなく、初日に食べたのと同じ料理を再び口にし改めてその美味しさを堪能する精神的なゆとりが生まれている。
そして2人は歓談を交えながら酒と料理を十分に味わった。
周囲の客が2回転ほどした頃、フィゲレーは再び今回の件について口を開く。
「しかし、この街は近年著しく発展してる分だけ需要は伸びてるはずよ。他国者の貴方に流れてくる量なんて知れてると思ってたけど。」
「発展中だからこそ狙い目なのさ。」
タラを酒で蒸した料理を頬張りながらコウヒエは答える。
「人が持つ価値観ってやつは発展こそが大きな分岐点になるのさ。そしてこの街は今まさに分水嶺に立ってる、だからこその窮余の策だな。」
「ふぅん、何も考えてないようで、ちゃんと考えてるのね。」
「さぁね。どこまでを言うのかは知らないが、はっきり言ってあれしか用意してなかったんだがな。」
一際大きい笑い声が響く。
「ま、結果オーライってことね。」
首を大きく縦に振ってコウヒエは同意する。
それから2人は上々の首尾に再びカップを傾け再び2人だけの歓談に花を咲かせた。

ある時刻を過ぎると徐々に店内は潮が引くように客数が減っていき、残っているのはコウヒエの座るテーブルの他は2つ3つとなっていた。その為に互いの会話は自然と小さな声になっていく。カウンターの向こうにいる酒場主人も仕事が減って手持ち無沙汰のように何度もカップを磨きながら客の相手をしている。そんな寂しくなった店内の様子を見て、コウヒエ達も話のキリがついたところで腰を上げた。
「うが…寒いっ!」
店を出るとそこは濃紺の世界と吹き止まぬ北風が2人を待ち構えていた。
幸いな事に日中の薄雲はどこかへと消え、代わりに満点の星空が夜の空に広がっている。その光を頼りに2人は宿へ向けて歩き始める。
さすがのフィゲレーも夜の凍てつきは厳しいと感じるらしく、お互いに口を開く回数が減ってきていた。

ザリッ…

吹き付ける風音の中に何かが動いたような音が混じっているのをコウヒエは感じた。
そっと立ち止まって周りを見渡したが、無機質に静まり返った歩道には2人を写した影がぼんやりと浮かぶだけに見える。
「どうしたの?」
「いぁ…気のせいだろうな。」
再び宿の方へと向きなおして歩き出す。
何かを話そうとしても口をあけて言葉を発する間に口内へ進入する冷気が話題を途切れ途切れにさせる。そうして少しの会話と靴音だけの時間を交互に繰り返しながら2人は歩いてゆく。

ザリッ・…ザザザ…

今度はフィゲレーの耳にもその音を聞き取ることが出来た。
「コウヒエ…」
「そうだな。」
互いに確認しあうと静かに歩く速度を上げ宿へと急ぐ。
しかし、まだ宿までの距離を残した所で2人の行く手を遮るように数人の人影が細い路地から飛び出してくる。
「ちょっと待ちな。へへへ」
口上一番で彼等の待ち人が間違いなくコウヒエ達である事が分かる。
「あんた達、組合で派手にやった商人さんだろ?」
2人は無言のまま現れた人影との距離を保ったまま黙っている。
「いやね…そうそう派手にやられると逆に迷惑なんだよね。ここにはここのやり方があるだ、よそ者が邪魔しちゃいけないね。」
男の声は冷静そうだが、重みを感じない。ある意味でゲームを楽しむような感覚の声とも聞こえる。
「まるで『持ってるので襲ってください』と訴えてるようなもんだぜ。」
じわりじわりと距離を詰めてくる人影
「それにこんな夜中にたった2人で…危ないねぇ。」
相手の歩調に合わせるようにコウヒエ達もゆっくりと後ろへ下がる。
「おっと、無駄に抵抗しない方が後々楽だぜ。」
目の前の人影は止まることなく近寄ってくる。
「俺達だって無益な殺生はしたくないからさ。ちょっとの間、一緒してもらおうか。」
「ふん。誰がアンタ達の言いなりになるってのさ。」
そこに怒り意外の何物も挟まないフィゲレーの言葉が人影へむけられる。
「おっと、アンタは別の意味で評判だぜ…大層なナリらしいじゃないか。まぁ、アンタには可愛そうだが故郷へはもう戻れないと思ってくれ。」
「なに?!」
「アンタには別の仕事を用意してるからよ…ま、受ける受けないの余地は一方的な仕事だがね。」
「ふんっ。同じ英国人として忠告するよ。恥をさらす前に退きなさい。」
「黙れ!何が同じ英国人だ!」
先ほどまで冷静な声を発していたリーダー格の男はフィゲレーの台詞を聞いて激昂の声へと変わる。
「我々は誇り高きヴァイキングの末裔ノルウェー人だ!」
逆鱗に触れた事を察したフィゲレーだったが、もう後の祭りだった。
路地の薄明かりを鈍く反射する白刃が彼等の手に握られる。
先ほどまで感じられなかった殺気が冷気と共に伝わってくる。
フィゲレーは懐に持つ護身用の短刀に手をかける。しかし、常に持ち歩いているものの今日までそれが本来の役目を果たしたことは1度もなかった。それに加えフィゲレー自体近接戦闘の心得が皆無であった。
戦慄が全身を駆け巡る、最悪の事態を迎えるかもしれないと不吉な事ばかりが脳裏を過る。
首筋に嫌な汗を感じるようになった時、コウヒエが静かに指示を出した。
「合図したら船員が居る宿まで全力で走り抜けろ」
「何言ってんの…貴方はどうするの。」
「伊達に長く商人をやってる訳じゃないさ。1度きりの好機を逃すなよ。」
「しかし…」
フィゲレーの言葉が終わらぬうちにその時はやってきた。
焦れた相手は歩幅を広げて2人へと向かってくる。その瞬間だった。

パンッ!

銃声が静寂を切り裂いた。
誰もが怯んだ隙をみてコウヒエが叫ぶ。
「フィゲレー走れ!」
その言葉を聞いてフィゲレーは相手の一瞬の間隙を縫って走り抜ける。
コウヒエは銃声と1人逃がした事へ動揺する相手の1人へと駆け寄る。
想像以上に身軽に動く巨体に再び動揺する目の前の敵、そして刃物を持つ手を狙って手に持っていた棒状の何かを振り下ろす。
「ぐぁっ!」
その攻撃は見事に相手の手首に命中すると、駆け寄った勢いのまま体当たりをお見舞いする。軽く数メートル跳ね飛ばされた相手はそのまま気を失ってぐったりとする。それを見た他の1人がコウヒエに襲い掛かろうとするが、その刃物はコウヒエが振り出した腕で払い除けられ、そして体勢を崩された所を再びコウヒエの体当たりが飛んでくる。あっという間に2人を跳ね除け逃走口が見えたコウヒエはすかさず宿の方向へと走り出す。
一連の動作で呆気に取られた他の連中は逃げようとするコウヒエの後姿にはっと我に帰る、そして追いかけようと体を動かした時、コウヒエはくるりと振り返り右手に握っていた物を相手へと投げつける。それは複数居た相手の誰かに命中した瞬間、辺りを煙に巻き込んだ。思わぬ反撃を連続して受けた敵は完全に足が止まった。そして運悪く風が吹き止んでいたために充満する煙に目や喉を刺激され、涙目と咳に襲われる。そして騒動を聞きつけた近隣の住民が何事かと駆けつけ始め、正体が明るみになることを恐れた襲撃団は倒れた仲間を拾い上げその場から撤退した。

翌日の朝日をコウヒエは宿の一室で眠れぬ夜を過ごして迎えた。
昨夜の襲撃事件の興奮が冷めなかったのと、報復が来るかもしれないという緊張感からだった。コウヒエが無事に着いたことを知ったフィゲレーは緊張の糸がそこで切れたのか今は隣室で穏やかな寝息を立てている。事態を知った船員達は寝ずの番を交代で行い一応に平穏を迎えた事に一同は安堵する。しかし、その安らぎも1人の船員が持ち帰った情報で打ち砕かれることとなった。
「提督!港に変な連中がうろついてますっ。」
部屋へ飛び込んできた船員は息も絶え絶えに報告する。
「うーん…今度はそっちか…」
眠さと疲労感に声の張りがない。
「町役場や世話になった組合を頼るのはどうです?」
副官は事情を聞いて打開策案を口にする。
「どこの待ちにも過激な連中は居るもんだな。ま、ここは距離が離れているぶん様々な制約が効力を失ってるんだろう。」
ぼりぼりと頭を掻くしぐさをしながら何事かを思い巡らせるコウヒエ、しかし働きの鈍った現状ではこれという妙案を見つけるまでには至らなかった。
「ともかく、昼間なら派手に動くことも無いだろう。各自出歩くのを最小限に留めてくれ。とりあえず俺はひとまずの休憩を取る。出航する段取りはその後だな。」
「了解しました。」
副官が了承の返事をするとコウヒエを残して部屋を出る。そして皆が出て行ったドアが閉まると同時にコウヒエはベッドへと倒れこみ、瞼を閉じた。
「おい、ここと隣は常に見張りを置いとけよ。俺は情報集めてくる。」
副官は船員に見張りを命じ、提督が起きるまでの時間を利用するように宿を出た。

目の前に広がる料理の数々、鼻腔をくすぐる甘美な香り。
自分の為だけに用意された席に着き、コウヒエは片っ端からそれらを胃の中へと収めてゆく。平らげられた皿はすぐさま下げられ、そしてまた新しい料理が運ばれてくる。
上質のアクアビットを始め北海のあらゆる銘酒が並べられ、ヴェネツィアングラスで作られたグラスにそれらが注がれている。
バターの風味を存分に味わい、酒で口を新たにしてまた次の皿へと進む。
「いくらお召しになっても御代は結構ですので。」
礼儀正しいウェイターが食べ急ぐコウヒエへ告げる。
しかし、次々の運ばれる料理のどれもを味わおうと口いっぱいに料理を頬張る。
言い表せない幸福感がコウヒエを支配する。
周囲を見ると口うるさいフィゲレーの姿はどこにもない、まさに絶好の好機とばかりにただ黙々と目の前の料理に集中する。
「ふむ…今日は調子良いな。いくら食べても平気だ…。」
どこから現れたのか若い娘達がコウヒエの食べっぷりに黄色い声を上げている。
その声援を受けてさらに口を動かす速度を上げる。

どれだけの皿が空になっただろうか。
変わらぬ速度で食べ続けるコウヒエは自分でも信じられないほど食べ続けている。
まだまだ入ると言わんばかりに十数皿を平らげても、次の皿に盛られた料理が気になって手が止まらない。
「すごいぞ。これは自己記録を悠々と越えている。」
自身へ向けて感嘆の声を上げながらも食べ続けていると、いよいよ料理はデザートへと入る。
「もうデザートか。」
「申し訳ありません、用意した食材がもう底を尽きまして…。」
「うーん、まだまだ食べられるぞ。どこかから融通してもらえないのか?」
「そう申されましても…生憎ではございますが…」
「市場へ向かえばまだ手に入るんじゃないか?」
「いぇいぇ、これが限界でございます。それにもうお時間も迫ってきておりますし…」
「時間なんてどうでも良いじゃないか、せっかくフィゲレーが居ないんだ好きにさせてくれ。」
コウヒエの願いにウェイターはただただ首を横に振るだけだった。
「もうちょっと食べさせてくれ!」
「えーぃ!うるさい!」
聞き慣れた声と共にコウヒエの顔面に水が飛んでくる。
「うわぁぁぁ…」
「いつまで寝てるの!もうお昼過ぎたわよ!」
コウヒエはベッドから飛び起きる。
「あ…あれ?」
自らの身に何が起こったか把握できないコウヒエ。
「料理は?各地の銘酒は?」
先ほどまで見ていた豪華な食堂の光景はどこにもなく、目に映るのは見るからに安普請な宿の一室だった。
「なに寝ぼけてるの。」
「えっと…あぁ…」
崩れ落ちそうな瞼をごしごしと擦りながら、ようやく事態を把握する。
「ほら、食事を用意してもらったから。とりあえず食べて。」
部屋の隅に置かれているテーブルに目をやると、焼きたてのパンに鮭のソテーと羊肉のソーセージが用意されている。
先ほどまで見ていた光景との落差に少し肩を落とす。
「どうしたの、食欲ないの?そうねいろいろあったし…」
飛びついて席に座るだろうと思っていたフィゲレーだったが、コウヒエの反応が鈍いことに体調を崩したのではないかと心配そうな顔を見せる。
「いやいや、そういう訳じゃないんだ。起きぬけで腹の虫が寝ぼけてるだけさ。」
そう言ってコウヒエは席に着き今度こそ本物の食事を口へ運ぶ。
「どっちも美味いな。」
「そうでしょう。私もさっき頂いたんだけど、鮭も新鮮だし羊のソーセージもクセがなくて美味しかったわ。」
窓辺で暖かな日差しを浴びているフィゲレーはコウヒエの言葉に自分の感想を返している。
「…そっちじゃないんだけどね…」
「何が?」
「いぁ、なんでもない。」
これで事のオチをバラしてしまっては、何を言われるか分からないと黙って用意された料理を押し込み始める。
「無事にここまで着けたようだけど、どこも怪我なかったの?」
食事中のコウヒエにフィゲレーが問いかける。
昨晩の襲撃で自身を逃がす為にコウヒエが危険にさらされた事をフィゲレーは気に病んでいる。
「さすがに全身無傷とはいかなかったが、大きな怪我はないね。」
「えっ。怪我したの?大丈夫なの?」
フィゲレーの顔色がすうっと青くなる。
「なに、大した傷じゃない。」
そう言ってコウヒエは上着の右袖を捲り上げる、そこには幅10cmの切り傷が見える。
「皮一枚切れただけさ。」
「そう…ごめんなさい…」
「ははは、見ての通りの浅傷だ。血も滲む程度しか出てないし、気にすることないさ。」
用意されていた羊ミルクを飲み干すコウヒエ。
「もっとも、一番の痛手はアレだ。」
そういって指差した先には大きく割れの入った腕輪が転がっている。
「そいつのお陰でほぼ無傷だったな。ただアテネの古美術商から購入したヤツで安くはない物だったんだけどな。仕方ない、命あっての物種だ、ははは。」
陽気に振舞うコウヒエの笑い声がフィゲレーの沈んだ心を少しだけ楽にさせる。そんな中、外に出ていた副官が提督の起床を察して部屋へと入ってくる。
「提督、よろしいですか?」
「おぅ。どうだった?」
「どうもこうも無いですね。」
副官は自らが確かめてきた港の状況を具に報告する。
港は柄の悪い連中が目を光らせており、特に地元民以外の船の出入りに睨みを利かせていると副官は語った。
「もっとも、この宿自体が見張られてる訳でして。こちらの行動は筒抜けみたいなものですが。」
不思議と笑みを零す副官、この状況を楽しんでいるのか、ただ諦めているだけなのかフィゲレーはその表情の意味を量る事はできなかった。
「やれやれ…。」
寝癖の残る髪を掻き揚げながらコウヒエは状況を頭の中で整理する。
「で、コウヒエ。滞在期間は残り僅かだけど、この状況だと厳しいんじゃない?」
しかし、フィゲレーの言葉は思考を巡らしているコウヒエには届いていなかった。
かけた言葉を肩透かしされたフィゲレーは少し不機嫌な顔になったが、話す相手をコウヒエの副官へと切り替え、港や街中の様子について話し始め、そのままウヒエが結論を出すまでの時間を待つことに切り替える。
再びコウヒエが口を開いたのは30分後の事だった。
「しかし、今回は初めから最後までイベント続きだな。」
「考えが纏まったようね。何か妙案は出たかしら。」
「妙案というか、今回最大の大博打だな。」
そう言い切ったコウヒエの表情はいつに無くどこか生気に欠けている。
「上手くいけば、誰も文句を言わせず誰も傷つける事無く堂々とこの街を発つ事ができる。」
「タラレバの話…か」
またしてもかと言う呆れ顔でフィゲレーは呟く。
「フィゲレー、お前さん手先が器用だったな。」
「人並み程度にはね。」
「それじゃ大急ぎで用意してもらいたい物がある。」
そう言ってコウヒエはフィゲレーに何事か耳打ちする。
しかし、その内容を聞いてフィゲレーは突飛のない声をあげた。
「えっ?!アンタそんなものを使ってどうするのっ?」
「できないか?」
「できなくはないけど…」
「それじゃよろしく。」
ここに来て陽気ないつもの口調に戻ったコウヒエは副官の方へと向きを変える。
「お前にもちょっと頼みたい事がある。町役人にアポを取っておいてくれ。」
「はぁ…。強引にいくなら多少の出費が必要ですが。」
そんな事は百も承知と、コウヒエは金貨の詰まった皮袋を副官へと手渡す。
「それじゃ、お2人さん頼んだよ。詳しい話は夜に詰めよう。」
コウヒエは1つ拍手すると話に区切りをつけて2人の行動を促す。
「フィゲレー、大至急でよろしくな。」
「えぇ、幸か不幸かここら辺りはその手の資源が豊富だからすぐ出来ると思うわ…」
どことなく重く見える歩調でフィゲレーが部屋の外へと向かう。
その姿を見てコウヒエは副官に彼女へ護衛を2・3名つけるように指示を出し、副官は素直にこれに応じフィゲレーの後を追うように部屋の外へ出る。
1人になったコウヒエはその場にあったメモに何かを書き込むと、部屋の外で見張りをしている船員の1人にそれを手渡すと、そこに書いてある内容の品を街で求めて来いと伝える。
「決して単独で動かないようにな、それと裏路地は使うな。遠回りでも大通りを歩くように。」
昼日中、人目がある所では大っぴらに行動を起こしてこないだろうとは考えているものの、もしもの事を考え、彼等にそう釘を刺している。
見張り役の1人が他の船員を連れて動こうとしている時、コウヒエは再び彼等を呼びこう言った。
「すまんが、1階の厨房へ行って。トナカイ肉のローストと酒を届けてもらうよう注文しておいてくれ。」
船員には自らの提督が心底この状況を深刻に考えているのかと耳を疑った。
「いぁ、ほら…緊張し過ぎて腹の虫が収まんからな…」
言葉を濁すような言い訳を発しながらコウヒエは部屋へと戻っていった。

翌日、太陽がしっかりと昇った頃、コウヒエとフィゲレーそして副官は宿を出て町役場へと向かった。
皆それぞれに正装し、誰の目を気にする事無く堂々とした歩みでその道を歩いてゆく。
この服は昨夜にこっそりと船から持ち出させたものだった。
コウヒエ達の動きに目を光らせていた見張り役はその姿を確認すると港で屯する仲間への元へと情報を持って掛けていった。
知らせを待っていた港の連中は近くここへやって来ることを確信した。
その頃、町役場へ到着した3名は役人の案内で建物の奥にあるこの街を治める人物が待つ部屋へと通されていた。部屋の主は入ってきた3名を丁重に迎えると緊張した面持ちで席に着いた。緊張感が部屋を支配する。
暖かい飲み物を持ってきた秘書の女性は異様なまでの雰囲気を察し逃げるように退室した。
「さて。」
無駄に時間を使う必要もないと全ての準備が整ってからコウヒエは口を開いた。
「我々の事はご存知ですね?」
今更、聞くまでもない質問をする。
「えぇ、お会いするのは初めてですが。街での噂は耳にしております。」
「それは上々。しかし、我々はただ街の噂になる為だけにこの街へ来たのではありません。」
それは演技にしても随分と誇張した言い回しだった。そしてフィゲレーに合図を送ると1通の書簡を間のテーブルへと静かに置かれた。
「我々はこの書簡に認められている内容の任務についても同時に遂行していた訳ですが…」
目の前に置かれた書簡が気になる街の市政者は手を伸ばそうとする。
「ご覧になるのは結構ですが、丁重にお扱いください…」
フィゲレーは静かな口調でその書簡の重要性を促す。
それを踏まえ手に取った部屋の主はその書簡の封蝋を見て体を硬直させた。
「これは…」
彼の額に汗が滲み出ている。それをハンカチーフで拭うと震える手で内容を確かめる。
1文字1文を食い入るように読む目の前の男はその視線が進むにつれて見る見る顔を強張らせる。そして、最後まで読みきると恭しく書簡を元の状態へと戻しテーブルへゆっくり返す。
そして何を発して良いのか落ち着かない視線と比べ口は固く閉ざされている。
暫くの時間を置いても、何も話そうとしない男に対しコウヒエが口を開いた。
「何も申されることがないという事は、この内容についてご理解を頂けたと認識してよろしいでしょうか?」
声に高低をつけず、ただ冷静に話すコウヒエに対し、市政者は目の前にある重圧に押しつぶされようとしていた。
「資材の件に関してこの街は非常に良い対応でした。有りのままを伝える任務なれば、このまま何の蟠りも残さないのが最良の選択であると提案しますが。」
「ま…まさしく貴殿の申されるとおりで。しかし、この街に貴殿等を憚る者が…?」
その言葉を聞き、ふうと大きな溜息をついたコウヒエ。
「残念ながら…」
男の目がぐっと見開かれる。
「このままでは私にとっても、貴殿にとっても、この街にとっても良からぬ事態へと向かわざるを得ない結果となってしまいますな。非常に残念な事です。」
男の汗はより一層ひどくなり頬を伝う筋は時間と共に増えている。
「しかし、これも任務ゆえ悪く思わないで頂きたい。そして、それだけをお伝えできれば我々は退散させて頂こうと思います。」
そう言ってコウヒエは席を立つように同席する2人へ合図を送る。
「お待ちください。」
3人が部屋を出ようとする時、背後から声がする。
「私とて協力を惜しまないわけでは有りません。」
コウヒエ達を呼び止めた市政者は、呼び鈴を鳴らし秘書を呼ぶと何かを言付ける、秘書は一度部屋を出るとすぐに何かを持って戻ってきた。
「この街に携わって幾数年、今だ私の努力が報われない所をご指摘いただきまして…これは些少なれどもお礼でございます。」
そして3人へと近寄ると、秘書が用意した3つの皮袋を差し出した。
コウヒエ達はそれが何であるかを察したが、受け取ることをあっさりと拒否する。
「残念ながら受け取れません。」
男の顔に焦りが生じる。
「このような事が日常的に行われているという事も付け加えねばなりません。残念な事です。」
首を軽く左右に振るコウヒエ。
「そういえば、この場を設けるにも先日私の使いのものが袖の下を求められたとか…」
「それは…。いゃ、それはまだまだここの役割を心得ぬ者が多い為に…何というか…。ただ、決して着服する訳でもなく…いつもこのように…。」
コウヒエは無表情のまま言葉に詰まる男の動作をにらむ。
「こ、このようにしてお預かりした物は全てお返ししている訳でして…」
「この街には役人へ賄賂を渡すという悪しき風習はないと?」
「は、はい。その通りで…。」
コウヒエの言葉に一縷の希望を見出した男はぱっと顔を上げて即答する。
「しかし、この街は他からの入港者に対して安全ではないようですな。」
再び男の額に汗が噴出している。
「港は決して安全とは言えないようです。私達が欲しいのは街の治安と安全に出入港できる保証なのです。」
「それは…私には港が危険であると報告は届いては…」
苦しい言い訳を繰り返す男に対し、コウヒエは1つの提案を出した。
「私達が足止めをされているのは事実ですが。政を行うあなた方を信頼しないわけでもありません。よろしければ今から港までご一緒しますか。」
「今からですか…」
事情を知る男の脳裏には不安材料がそこにあると浮かんでいる。
「最後に安全な港であることを確認し早速に出航できたならば、報告は全て良い方へ向かうと…。聡明な貴方ならご理解いただけると思いますが。」
一瞬の沈黙を挟み部屋の主は部屋の扉を開けた。

コウヒエ達が向かってくるとの知らせはすぐに知らせられた。
しかし、港へと到着したのは市政者が乗る馬車を先頭にする数十名の団体だった。
コウヒエ、フィゲレーそして副官の3名は市政者と同じ馬車に乗っていた。
そしてその後ろにはそれを守る警備兵とコウヒエとこの街へやってきた船員達が着いてきている。
「どういう事だ…」
待ち伏せしていた一団はよもや市政者がコウヒエに加担するなど予想だにしていなかった為、どうして良いものかと物陰に隠れたまま様子を窺っている。
コウヒエ達が港へ降り立つと、出航所役人が駆け寄ってくる。
「この度は何のご用命で…」
突然に現れた街の権力者に出航所役人も狼狽している。
「この方々はこの街の名にかけて丁重にお迎えした方である。これから出港準備をされるが最後にこの街がいかに安全であるかを確認していただく為に私がご案内申し上げた。皆、失礼のないように。」
合図と共に沖合いに泊めていた船が近くへと進んでくる。
そして港への係留が終わると船員達は続々と乗り込んでいく。
街の役人、出航所役人、そして襲撃を企てた面々はその光景をただ黙って見守っている。
そして全ての準備が整ったと報告が来ると、コウヒエは傍らに待機する両役人に対して最後の演技をする。
「街中も港も治安に問題はなさそうで、噂とはアテにならないものですな。」
演技とは知らず、胸を撫で下ろす役人達。
「では準備が整ったようなので我々は出航させていただく。協力に感謝する。」
コウヒエ達は待機していた場所から歩き出す。桟橋まで歩いたところで1度立ち止まると見送りに来ていた市政者の所へ戻ると一言耳打ちする。
「この1件は私の胸のうちに収めておきます。努々お忘れなきよう…。」
そしてコウヒエ達は船へと乗り込み、副官の声が船中に響くと船は港を離れてゆく。北風が南へ舵を取る船の帆に満たされコウヒエ達は誰一人傷つく事無く出航した。

みるみる遠ざかる街を確認して船上は誰からともなく歓声が上がった。
「なんとかなったな。」
提督室に戻ったコウヒエは窮屈な正装から普段着へと着替えながら呟く。
「こんなに上手くいくとはね。あのお役人さんも見る目がないわね。」
フィゲレーは自分が何に対して呆れているか分からないほど、淡々と話す。
「しかし、これってお上にばれたら重罪よ?」
「大丈夫さ。お上が恐いのは俺達も彼等も同じさ。」
「こんな小道具まで用意して…」
そう言ってフィゲレーは役場で使った書簡を取り出した。それにははイングランド王室を示す封蝋がしっかりと押されている。
「急拵えの粗悪品、見てて哀しくなるわ。そもそも、王室印なんてこんな書簡に押さないし…」
「そんなのは関係ないさ。下手にお偉方のを使うよりハッタリが利くしな。」
「『東方領地における潜める危険性を調査せよ。』…調査せよって言ってバラしちゃだめよね。ちょっと機転が利けば分かりそうなものだけど」
「まぁ、火の無いところに煙は立たずっていうからな。素直なところは何かあるのかもしれないな。」
「そうかしら…」
「可能性はあるだろうな、しかし、それを見つけても俺らの領分ではないな。」
コウヒエの意見にフィゲレーは賛同する。
「そういや偽造した印はあるか?」
「あるわよここに。」
フィゲレーから印を渡されると、まじまじとその出来を確認する。
「よくもまぁ、作ったもんだ。」
「アンタが作れって言ったんでしょう。」
「ははは。見事だと褒めてるのさ。」
「あんまり見ないでよ。良い出来じゃないんだから。」
「なぁに1発勝負に勝てたんだ。大したもんだ…」
自分の出来の悪い作品を見たくないフィゲレーは、印をまじまじと眺めるコウヒエに対し横を向いていた。
しかし、いきなりに吹き込んだ風に振り向く。
「しかし、これもお役御免だな。」
そう言ってコウヒエは開けた窓から右手に持つ印を海へと投げ捨てた。
「証拠隠滅。これにて完了。」
「自分の作品を見られるのも、目の前で捨てられるのも良い気持ちじゃないわね。」
「勿体無かった?」
フィゲレーは首を振った。
「これ以上の揉め事は要らないわ。」
「ははは。結構楽しかったがな。」
「結局、私は仕入れとは関係ない所しか出番がなかったじゃない。」
「そんな事ないさ、お前がいたからこそ出来た仕事さ。」
「そうかしら…。」
「そうさ。」
テンポの良い返事だった。しかし、フィゲレーは今回の件でこの男が根っから商売人だという事を改めて認識させられ鵜呑みにはできなかった。
「ところで、セビリアへ戻ったらゆっくりできるかしら。少しは骨を休めたいけど。」
「恐らく無理だろうな。」
フィゲレーはその解釈を求めた。
「相手は布巻きの連中だからな、この積荷だってセビリアで下ろせるとは限らないぞ。」
「じゃあ、どこへ?」
「さぁな。ただ決戦は東だろうからナポリかシラクサだろうな。」
コウヒエの言葉を聞いてフィゲレーは眉間に皺を寄せる。
「はぁ…アンタの褒め言葉は信用ならないけど、読みだけは信用できるからね…」
「ははは。煽てても何もでないぞ。」
「そう言えば大型の宗教建造物って言ったわよね。あれって口からでまかせよね?」
唐突に思い出した疑問をフィゲレーは口に出した。
「そうでもないぞ。ヴァチカンは今回の戦を聖戦とするらしいからな。」
「それがどう繋がるの?」
「つまり、聖戦という事は…それに使うもの全てが宗教建造物って事さ。例えば船もね。」
「呆れた。とどのつまり最初っから最後まで嘘じゃない!」
「嘘ではないぞ、これらは物事を極大解釈した場合すべてが繋がるぞ。」
「はいはい。もういいわ…。さて、周りも落ち着いたみたいだし私は部屋で休ませてもらうわ。」
フィゲレーは簡単に挨拶を交わすと部屋から出て行った。
1人になったコウヒエはベッドへと身を投げ出す。
「ナポリよりはシラクサだろうな…」
ぽつりと独り言を零すと言い知れぬ疲労感を全身に感じ、どこからともなく訪れた睡魔に抗う事無く瞳を閉じていた。
そして、このときのコウヒエの予想は後々実現の運びとなり、彼の船は休む事無く東へ向かう事となったのである。

(その手に掴むもの Ⅳ 完)
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