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金の獅子の背に乗って
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金の獅子の背に乗って

第4話その2

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anrede

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4話その2

「アンレ、なんちゅう汗や。わしは汗なんぞかいてないぞ」
「あらそう、私は3年分ぐらいの運動をしたわよ。」
「そんな事じゃ山賊のカモやぞ」
「大丈夫、もし山賊に襲われたら貴方を呼ぶわ。」
「どんなにやっても間に合わんじゃろ」
「貴方ならできるわ」
F・トーレスはそう笑いながら手でそれは無理だという仕草を見せた後、ケンケーンへと向き直り再び口を開いた。
「アンレよ、よく聞いておけ。・・・おいっ、ケン!オマエもや!」
「心配しなくても、もぅ話を聞く意外に出来ないわよ。」
「そかそか、ええか。この世の中に完璧な甲冑てのは無いねん。どうしても強度を弱くしなければならないところがある、それはどこかわかるか?」
「関節ね」
「そや、関節の部分や。えぇなー誰かとは違って即答やな。」
ちらりとケンケーンに視線を送る。
「俺だって正解したやんかー。」
「あほ!最初に言うた答えが[目]ってなんや!目の鎧なんてあるか?」
「いぁー、それは忘れてくれ」
「ったく・・・まぁ、ええわ」
ようやく肩の動きも静まり、大きな息も落ち着いてきた。熱った体は常温を取り戻し、汗に濡れている衣服を冷たく感じる。
「ええかアンレ、わしやケンが着ている甲冑のように肘や膝の大きな関節周りには装甲を施さないモンが多いんや。」
「船乗りでプレートアーマーを着てる人なんて見たことないわ。」
「その通りや。つまり必然的に現代の戦闘はそこを狙う事が多いんや。特に膝裏を狙うのが主流やな」
そう言うと模擬剣を構えてはこうやってと言いながらケンケーンの膝裏を狙う動きをする。手加減はあるもののその切っ先は見事にケンケーンの膝裏を直撃する。
「痛っ!トーレスさん、寸止めぐらいしてよっ」
「やかましい!我慢せい!」
「ちぇっ」
「しかし、アンレよ。山賊はそんなことはしない。オマエが言うたとおりプレートアーマーを着ているわけでもないんやから、素早く相手を仕留めるのなら突きが手っ取り早い。斬撃よりスピードがあるし、何より人間てのは正面から直線的に進んでくるものに弱い。これは熟練しないと無傷で避けるのは難しいやろな。」
「つまり、私の突きをかわした自分は凄いって自慢してるの?」
「ちゃう、ちゃう」
F・トーレスは笑いながら手を横に振ってそれを否定する。
「ここからが本題や、幸いにもアンレは女や。『商品』を傷つけると価値は二束三文にがた落ちになる。そこで無傷の『商品』を得る為に賊が取る行動は2つや。」
「武器破壊か、気絶させるかだね」
「さすが元賊のケン君!即答で正解や。昔を思い出したか?」
「ちがわい!誰が元賊やねん!俺は物心ついたときからイスパニアの軍人や!誤解招くこと言うな!」
「アンレ、つまりオマエに対して突きという選択肢は選ばれにくいんや。武器破壊にしても気絶させるにしても振りかぶっての攻撃になるわけや。そこに勝機があるんや。」
「(俺の抗議は無視かよ・・・・)」
「で、私に何をしろと言うの?」
「アンレ、オマエは目が良い。捌きだけならケンより上やろな、それを活かした技を教えてやる。これをマスターすればいざという時には切り抜けられるはずや。」
「トーレスさん、アンレには妙に優しくない?」
「あほ!アンレに優しいんやない。オマエに特別厳しいだけや」
「なるほど・・・って、ウチも平等に扱えよ。」
「うるさい、アンレに手本見せるから。撃ち込んでこい!」

汗を落とすシャワーがこれほどまでに爽快と感じるのは彼女にとって初の経験だったろう。F・トーレスの一言で始まった彼女への特訓は日が沈むまで続いた。なぜに彼が言い出したかは全くの謎だったが、これほどまでに時間を掛けるとは想像もしなかった。

「アンレ、ちょっと休め。ケン君、キミも少し特訓してやろう。かかってきなさい。」
と言いながら彼女を気遣って、間に休憩を入れたものの、剣などロクに握ったことも無い者にはとてつもなく長い時間に思えた。
自室といっても連日の泊まりこみや調査に陸の宿を手配していた一室に戻ると。用意されていた夕食に手をつける事無くワインを2、3杯飲んだだけで倒れるようにベッドへ横になり、そのまま静かな寝息を立てていた。

恐らく夜半を過ぎたぐらいに彼女はスクッと目を覚ます。元々、長く寝られる性質では無いため、日中にどれほど疲労していようと適度な時間で目が覚めてしまっている。短い睡眠時間をつなげるようにして夜を過ごす彼女の生活は傍目には不憫に思えるようだが、本人には至って通常だった。ただ、今日ばかりは疲労と打ち込まれた傷などで体が激痛と熱りで眠りをつなげる事ができないでいた。

「・・・こんな時は、何も考えずに寝られる人が羨ましいわ。」
安宿の安いベッドの安い軋み音を立てて身を起こすと、夕食時に出ていたワインとグラスを持ち、部屋のドアを開けた。
「こんな状態じゃロクに寝られないわね、少し夜風にでも・・・」
筋肉痛に痺れる妙に不揃いな足音をゆっくりと忍ばせながら、彼女は深く暗い街へと足を向けた。
正確な時間はわからないものの、深夜の街は昼間とは別に静寂が支配する世界へと変貌している。時折、遠くから酒に酔った人たちの大声が似つかわしく響いてくる、あとは数台の荷車が明日の仕入れだろうか右往左往しながら荷台が空と満載を繰り返している。
どこか休める場所は無いだろうかと思案しながらととぼとぼ歩きながら昼間の野原へと辿り着いてしまった。ここに来るだけで昼間の辛い記憶が少しだけ蘇る。
「何れかは通る道だったのかも知れないしね・・・」
そう言いながら少し大きめの木に寄り掛かると早速ワインボトルの中身をグラスに注ぎ口へと運んだ。適度に吹き抜ける夜風が心地よい、空腹の体に染み込むワインも手伝って熱る体をゆっくりと冷やしている。

さわさわと揺れる草の擦れる音とたまに訪れる静寂を交互に楽しみながら痛みが走る体の所々を確認しながら「これでも嫁入り前なんだけどな」と月明かりに苦笑いのような冷笑を浮かべた。まだ減りきらぬワインで体の痛みを忘れようと再び手にとった時だった、グラスに僅かに何かの光が映り込む。白く写り込む光は不規則にその軌道を変えている、油の切れた滑車のような軋み音が出るのではないかと思う体をゆっくりと立ち上がらせると、閃光を放つ方向へとゆっくりと歩み寄る。

「ふぅ、駄目だなこれじゃ。」
聞き覚えのある声、ケンケーンだ。彼でさえF・トーレスに一笑されるぐらい歯が立たなかった。途中、ハンデを貰ったにも関わらず彼はF・トーレスから1本を取ることが出来なかった。その場は笑って商会長を誉めていたが、内心積もるものもあったのだろう、そうでなければ今こうやって夜陰に隠れるように1人剣を振っているはずが無い。
「そこの格好良いオニーサン、何をやってるのかしら?」
「誰や!」
「ふふふ」
「なんやアンレか」
思わぬ所を見られたような照れくささを汗をぬぐう動作で隠しながら剣を収める。
「随分と熱心ね」
「まぁね」
「風通しの良い向うへ行かない?少しだけど飲み物もあるわよ」
2人は彼女が最初に寄り掛かっていた木へと場所で腰を下ろす、自らの飲み分をグラスへ注ぐと3分の1ほど残っているワイン瓶をケンケーンへと渡す。
「実は相当悔しいのかな?」
「そうやな。彼との差は僅かだと思ってたんやが、全く歯が立たなかったな」
ワインをぐいっと口へ含む。
「いくら俺が交易軍人としても職とを怠慢した事はない、でもあれほどの腕の差を見せ付けられるとは・・・」
「交易ってのが邪魔してるんじゃないの?」
「いや、それは邪魔やないで。やはり支給される装備にも限度はあるからな、足りない分は自分でそろえないとアカンからな。」
「軍人さんも大変ね」
2人に心地良い風がゆっくりと流れている。
昼間に見たF・トーレスの強さは2人からしてみれば別世界の強さだった。ケンケーンも彼女からしてみれば適う相手ではない、その彼が遊ばれるように扱われるほどの腕力に2人は感心というより尊敬の念を抱いていた。
「しかし、アンレもスゴイな。殆ど剣を握った事が無いとか言いながら、見事にトーレスさんの仕掛けを捌いてたやんか、俺にはあんなこと出来ないね。」
「・・・ただの臆病なだけよ」
「いや、俺の目は節穴やないで。あの動きはそれなりに訓練を受けた動きや。」
「何を言い出すかと思えば、面白い想像をしてるわね。」
「そうかな?」
「そうよ。」
彼女の過去には触れられない、またいつものように上手くかわされる受け答えに思わず「やっぱりか」と声を出していた。
「もし、アンレが生粋の軍人だったら。トーレスさんと良い勝負してたんだろうな。俺なんかよりずっと強くなってたと思うよ。」
「・・・さてね、それは分からないわ」
「人それぞれの選択肢に『たら』『れば』を言うのは駄目だろうが、俺はアンレが冒険家になっていることを残念に思うよ。アンレなら軍隊を率いるほどの実力が隠されていると思う、あれほどに理論で生きているやから軍人になっていれば今ごろ軍隊を率いる身分だったろうな。俺はそう思うよ」
「・・・・」
「アンレ?」
力説する彼にをよそに彼女は彼の肩に寄り掛かりながら穏やかな寝息を立てている。無防備なその姿は冒険家としての姿ではなく1人の女性としての姿のそれだった。
「夜でよかったな。こんな姿昼間にされると誤解を招く要らん風評が立つところだったな。
・・・・それにしても無防備過ぎやへんか?」
そう言うと彼女が目を覚まさないようにゆっくりと優しく抱き上げ「やれやれ」と呟きながら街の中へと戻っていった。

下賎な笑いを浮かべ、彼女を値踏みするように見回しながらじりじりとその間合いを詰めてくる。すでに思考の中では彼女を捕まえた後のことでじっくりと考えているのだろう。
その虫唾が走るような面構えに一層の不快感と吐き気を覚えながら、彼女は詰めてくる間合いを一定距離に保つよう、正確には一方との距離を正確に整えながらできるだけ1対1の間合いに近づけるように動いている。
「へっ、こいつは上玉だぁ。楽しみだぜぇ」
この場に臨んでなんと下品な、しかし、F・トーレスの言葉に間違いはないようだ。
今、山賊が狙っている標的は相手が女という事でその殺意も殆どないように見える。
だからと言って容易く背を向けて逃げ出せる状況ではないが、大切な商品を生け捕りにするために無意味ににらみ合う時間が増える。他の船員達は時折激しく剣がぶつかっているが、互いが接近しないようにじわりじわりと広く距離を開けていっている。彼らなら上手く逃げられるだろう。
乾いた落ち枝を踏むたびにそれを折る感触と音がそこに居る人数分発生している。
彼女は完全に1対2の状況となった、船員達が上手く惹きつけてくれたお陰でどうにかなりそうな状況だ。幾度か山賊からの打ち込みがあったが、単調なそのパターンを上手く捌きながら牽制しあう時間が流れていった。

「アンレ、これから少しだけ本気に打ち込むで。」
「なんでよ!そんな事したらお嫁に行けないキズモノになっちゃうじゃない」
「はっはっは、諦めろ」
「酷いわねー」
「それよりケン君、今からアンレを良く見ておきなさい」
「アンレを見るの?トーレスさんじゃなくて?」
「せや、アンレの捌きを良く見とき」
「へいへい」
「返事は1回や」
「へい」
そう言って、再び彼女へと向きを変えると。「ほな、いくで」と告げて剣を振りかぶった。
十数合互いに打ち込み合う。アンレーデは彼から繰り出される打撃を必死に捌きながら反撃している。しかし、そのどれもF・トーレスは少し笑いながら時に「そうそう、ええ感じや」と一言つける余裕をみせながら剣で受け流す事もせずに避けてゆく。2人の表情の差が実力の差のようだ。そして一頻り打ち合った後、彼は「これはどう捌くか?」と言うと、脳天、袈裟、左袈裟、右薙ぎ、左薙ぎ、逆凪、胴突きと速度を上げて打ち込んでくる。
「うそ、まだ速くなるの・・・」彼女にしてみれば信じられない状況だ、それでもその打ち込みを1パターン捌ききると、彼は嬉しそうに「ほぅ」と言いながら袈裟に構えて剣を振るう。必死に彼女もその打撃を捌こうと切っ先を彼に向ける、が、彼女が直感した軌道に彼の剣は無かった。F・トーレスの剣は彼女が構えた所より僅かに手前で空を切って止まっている。そう、わざと空振りをしているのだ。「あっ」彼女が口にする。彼女の剣は不安定な状況で空中に止まっている。「残念やったな」彼は笑いながら剣を振りかぶりながら彼女の剣を下から軽く叩き上げる、上からの衝撃を待っていた彼女の剣は何ほどの力もいらずに大きな弧を描きながら空へ向かって弾き飛んだ。
「なかなか、良い感じやったな」
「何がよ、素人を苛めて何が楽しいのかしら」
肩で大きく息をしながら、途切れ途切れの言葉で反論する彼女。
「いぁ、よぅ捌いたなー。おぃ、ケン君。分かったかね?」
「そやなアンレの捌きは次がある動きやな」
「その通りや、捌いた後にしっかりと次の動きが取れてるが…ケン、それだけか?」
「まだあるんか?」
「オマエが言うたのは結果やな」
「結果?」
「せやからオマエは一流になれんのや、なんで次の動きが出来る体勢が出来るんや?」
「それは、捌いてるからやろ?」
「…せやからそれは結果やと言うてるやろ。ええか?重要なのは足や!足!」
「足?」
「せや、アンレは足捌きがエエから。崩れないんや」
「トーレスさん、さっきのでそこまで分析したの?」
「当たり前や、ワシを誰やと思っとる。」
「さすがやな~」
F・トーレスを勝手に師匠と思い込んでいるケンケーンにとって、そのなすこと全てが吸収の材料だ、そしてそれは今自分がどんなところに立っているのかを再認識するための手段でもあった。
「それよりアンレ、そんな技どこで覚えたん?」
そうケンケーンから問われたものの、切れ切れの息で「何にも・・・これが精一杯の我慢ね」そう言うだけで次の言葉が出るのも苦しいように激しく息をしている。
「まぁ、アンレの場合は捌きだけやけどな。総合的に見ればケン君の方が断然上やな。」
「いや分からんで、アンレの方が上手いと思うな」
「そうやって、アンレに気遣いする方が返って傷つけるという事を覚えなアカンな。」
「俺は事実を言うてるだけや。」
「互いの剣を受けたワシの言う事が間違っとるんか?」
「いや、それは・・・」
「よしアンレ、これからケンとやるワシの動きを良く見ときな。」
彼女は頭を縦に軽く振り頷く素振りで返事をする。
「さぁ、ケン君!いつでも、どこからでも掛かってきなさい!」

1対2の状況に何の変わりも無い、ただ、彼女の精神的な疲労は徐々に蓄積されている。
危機的状況は予想以上に彼女の精神的余裕と身体の疲労を余分に与え続けている、しかし、涼やかな顔を崩さぬようにと心で叫びつづけた。
「(他の船員達は上手く逃げれただろうか。もし、向うが上手くいくとこの状況が悪化するのは必定。そろそろかな・・・)」
彼女は大きく息をすると「はっ!」と大声を上げて一気に飛び出て山賊の1人へと距離を詰める。
山賊は彼女の声に一瞬動きが遅れたものの、待ってましたと言わんばかりに剣を振りかぶる、そして彼女めがけて勢い良く振り下ろす。互いの剣が打ち合う音が響く。もし、彼女がそれを受け止めようとするなら腕力の差で叩きつけられただろう。しかし、間合いに入る直前に僅かに体半分左へずれるように直進した彼女はその打ち込みを擦り上げるように捌く。山賊の剣はその勢いを損なう事無く彼女の構えた剣の上を滑り空中へと放り出された、この瞬間、体勢の崩れた相手の側面に剣を振り上げたままの有利な状態を作り出すことに成功する。あとは好きなところへ剣を振り下ろすだけ・・・のはずだった。しかし、山賊は体勢を崩しながらもその身を反転しながら剣を振り上げる。そんな予想に無い動きに直感で身をかがめながら相手の膝裏へと切りつける彼女、鈍い感触が彼女の手に伝わる。山賊の剣は彼女の髪を掠めて空を切る。「ぎゃぁ」断末魔とも思える声が響く中、彼女は残る一人の既に距離を詰められ今にも剣が繰り出されようとしているのを後へ下がって避けようとしたとき、蹲る山賊に一瞬足が引っかかり動きが止まる。
「おらぁー!」怒号にも似た掛け声とともに銀色に光るその剣が彼女へ横薙ぎに向かってくる。懸命に後へとステップを踏みながらもその切っ先を避けようと体をねじる。左の腕に激しい痛みが走る。一撃に仕留められなかったことにさらに形相を激しくしながら山賊は執拗に剣を振り続けてくる。左手は痛みで使い物になりそうにない、それにもぅ彼女の体力もさほど残っている訳でもない。
胸の内で少なからず諦めの予感が襲ってきた頃、そう言えば非常用の煙幕(目潰し)が有ったと不意に思い出す。
「(上手くいけば上手くいける・・・)」残る力を振り絞るように声を上げると一転して右手のみの反撃を繰り出す、それはでたらめに剣を振り回すだけだったが意表の反撃に足を止める事ができた。そして、そのタイミングを見計らい彼女はくるりと反転すると今度は逆に背を向けて一気に走り出した。山賊もただの脅しにも似た児戯にも等しい手段を受けて烈火のごとく怒りを表しながら追いかけてくる。彼女は走りながら剣を鞘へと収めると、腰の道具袋から丸いものを2・3個取り出し、再び反転すると同時に追ってくる山賊めがけてそれらを投げつける。女性の非力な腕力で投げられたそれは向かってくる山賊に見事に命中するやいなや白い粉を辺りに撒き散らしながら割れてゆく、「なんだ!これは、グフッ。目が・・・」植物から抽出した刺激性のある粉末と小麦粉を混ぜただけの簡単な目潰しだが、その威力は最たるもの。命中すれば確実に相手の視力を奪うこと(時間が経てば復活してしまう)ができる。1個でも十分なそれを3個も受けてしまった山賊は目と喉の痛みと彼女への怒りで手当たり次第に剣を振り回している。彼女はしっかりとその効果が現われたのを確かめるとその場を離れようとした。「おぃ!こっちに女が居る!誰か来い!」背中に響く大声、獲物を取り逃がした男がそう辺りに知らせている。呼応するように男の背後にある茂みががさがさと揺れ始める・・・「これは、まずい」もし追いつかれようものなら、彼女に残された道は数少ない、もぅこれ以上の戦闘をする力もないとなると・・・。彼女は必死に西へと向かって走った。

山賊の中にも仲間意識はあるのか男たちの詮索は執拗までに細かく続けられる。とは言え、アンレーデもそれを悠長に待つほどの状況にあるわけも無く、逆にその詮索の裏を突くことのほうが先刻の戦闘より全くの得意だった。
「人は焦るほどに一定の行動を繰り返す傾向が多い」彼女自身が我が身をもって体験したことだった。逃げる側は勿論のこと追う側にも「逃げるものを逃がさない」という焦りが少なからず生じることは生物学の調査においても同じ事であり、対象を追いかける(探す)行為において逃げる対象を追いかけ焦った場合、一定パターン(つまりは同じ動作の繰り返しと同じ場所への固執)を生んでいる船員を見たことは人を生物の枠に捉えて考えると生物学者として貴重な発見であったと彼女は思っていた。
普段に対象を追う側から追われる側へと立場が変わっても「互い」に「焦る」という事を先に気付けば追手から逃げられると確信していた。(気付かずに終わる場合や、後手に回るケースもあるだろうが)無論、それは「追う側」にも当てはまる事(先に「焦る」事に気付く)でもあるが、パターン化を逸して逃げる側には「逃げるだけ」という行動のシンプルさが、追手の「発見」「捕獲」の2行動より分があるのは明らかで、その上、逃げる場所が限りなく広い場合はなおさらである。それでも逃走は「追う側」との賭けであり「必ずしも居ない」という確信より「居ない確立が高い」という選択肢を選びつづける賭けだった。ただ、彼女は逃げ切る自身が有った、それは根拠のない自信だったが。「この状況では捕まらない」という不思議な気持ちが彼女を落ち着かせていた。
西の丘へ辿り着ければ皆と合流できる、恐らく先に逃がした船員が船へと合図を送っているだろう。そうすれば彼女に危機を加えた者たちへ対抗する準備ができる。西の丘だ、まずは西の丘へ辿り着くことだ。彼女は最初に襲撃を受けた近辺まで戻り、そこで発見した小さな(細身の人なら入れるぐらい)の洞穴に身を潜めていた。幸い彼女が現場に戻ってきていることに気付かぬ様子で日が暮れるまではここに身を隠すのが上策と洞穴内の奥で壁に凭れ掛かった。左手の出血はハンドカーチーフを真っ赤に染めながらも一応の沈静をみているが、左手はその体温も低く切られたという感覚が小刻みにその手を震わせていた。

極度の緊張と疲労、そして出血によって洞穴内では眠りについてしまっていた。岩肌のごつごつした上でも一時の睡眠が得られたことで幾分思考もはっきりしている。暗闇の中で左手の指を動かしては、まだ機能は死んでいないことを確認できる。痛む左腕を庇いながら腰袋の非常食(干し肉)を取り出し、空腹か否か分からない胃に無理矢理飲み込んだ。
「(船員達は無事だろうか・・・)」
少なからずの犠牲者が出たかもしれない、もしそうなれば彼女の未熟な判断によって尊い命が奪われたことになる「全ては私の責任・・・」悔しさと不安で唇をかむ。「過去の情報だけで何を安心していたのか!領内でありながら十分な調査を行っていなかった私の不手際以外のなにものでもない!私には彼らを守る義務と責がある、彼らを守る手だてをせずして何の調査か・・・なんの冒険か・・・」硬く握り締めた右拳の中で爪が突き刺さり血が滲む「せめて、皆が揃って丘にいることを・・・」月明かりの差し込む先をじっと睨んでそう呟いた。

真円に近い月がその上空に高く地上を照らすほどの時を待ってからアンレーデは小さな洞穴からゆっくりと姿を現した。夜陰に乗じて移動するほうが発見され難いが、視界が遠いという光の恩恵がない分、目指す所までの景色が異なり迷走するという恐れもあった。
幸いにも彼女は星や月を見ながら自分が殿方向へ歩いているのか知るすべを持っている。鬱蒼と生い茂る木々の合間から毀れ見えるそれらを見ながら彼女は西へと歩き出した。まさかこんな時間まで彼女を探している事もないだろうが、大きく迂回するように草を掻き分け、獣道を進んでいった。
「副隊長、提督は大丈夫なんでしょうか?」
若い船員が同じく見張りをしている調査隊の副隊長に不安気に問い掛ける。
襲撃を受けたのは日中、それが翌朝を迎えようとしている今でも提督だけがこの西の丘に辿り着いていないのはそこにいる全ての者を不安にさせた。
彼から見ても提督はさほど強いわけでもない、それは提督自身も「剣を修るのは軍人の仕事、私は学者として修めることに時間を使いたい。」と公言するほど自他ともに認める学者肌である。
若い船員の問いに「待つことだけが我々に許された行為なんだ、しかし、提督ならいかにしてもここへ辿り着くさ。」曖昧な返事を返すに留まった。彼自身、最悪の事態を考えざるを得ないが、今はその選択肢を選ぶことは尚早過ぎるのは明らかだった。「非常食もあるし、この夜陰に乗じて移動しているだろう。あの提督だ、例え国が滅んでも生きているさ。」

ぐるりと大回りをしながら、大きな岩が組み重なった川原へと辿り着いたアンレーデはようやく口にする水分を片手で掬い難そうにしながらも喉の渇きを潤している。左手を庇うように、負担をかけぬようにと進む歩調は思った以上に遅く、時を追うごとに休憩する間隔が短くなっていた。
目指す場所まではこの川を渡り、直線で10kmぐだろうか。良く晴れた夜空を見上げては「順調に進めても日が明けるか・・・」そう呟く。
月はかなり西へと傾いた、濃紺に染め抜かれた空はその色調を東から淡くルビーのように変え始めている。再び干し肉を口へと運び喉に引っかかるような感触に顔を歪めながら飲み込んだ。川のせせらぐ音に混じって川原の石を踏み歩く音が静寂の中から彼女の耳に入る、こんな朝方に川原を歩くとは・・・。彼女の警戒心が強く反応する、岩陰からゆっくりと音を立てぬように川へと入る。川の水は冷たく腰ほどまでもある深さだ、足を取られぬように気取られぬように窪みへとその身を隠す。
「昼間の一行は大した収穫が無かったな。」
「あぁ、逃げ足は速いし。残った荷物にはロクなもんが無かったな」
「それでも1人上玉の女が居たらしいぜ」
「おぅよ、ありゃ上玉だったぜ、他の男に邪魔されたが遠目にもイイ女だったぜ」
「それも逃がしてしまうなんてよ」
「俺なら確実に捕まえてたな、そして、ゆっくりその場でお楽しみをな・・・へへへ」
「好きだなオマエも、しかし逃げ足だけは速いやつ等だ。」
「ここまで探して居ないんだ、もぅ海に出てるだろうな。」
「手負いだからな、近場に居ないと海だろう」
「今度は東に上陸した奴らが居るらしいぜ、明後日にもやるだろうな」
「へへへ、今度の女は俺が捕るぜぇ」
「女が居るとは限らんぞ」
「まぁ、そうだな」
その下品な会話内容と川原の足音が全く聞こえなくなるまで彼女は冷たい川の中に潜んでいた。
「下賎で低俗な奴らめ・・・」
吐き捨てるように思わず言葉が口をつく、彼女はそのまま川を渡る。山賊の言葉を信じるというのも不思議な感覚だが、東へ向かうという言葉を今は信じるしかない。いらぬ時間を過ごしてしまったが、彼女はそのまま川を渡り始める。川底は比較的固く歩き易い、それでも川の中心部は流れが速く、腰ほどの水位なら気を抜くと一気に流されそうだ。一歩一歩に最新の注意を払いながら進む、たまに岩に生えた水苔に足を取られそうになるもどうにか対岸に辿り着けた。
「後はこの森を抜けるだけか・・・」
水を含んだ衣類は思った以上に重量感があり、体に纏わりつく。腰から砂袋を提げて歩くような感覚に帯刀を杖のようにしながら森の中へと入っていく。

 道なき道を西へ西へとゆっくりと進む、日は真天まで半分のところまで昇っている。髪は乱れ、頬には若干窶れが見える。それでも丘が見える場所までようやく辿り着く、あの丘に上れば一応の決着を見ることができる。その道のりが果てしなく苦痛に思える、足が恐怖の念で思うように前に出ない「動けっこの足め!」重いとてつもなく重いその一歩を踏み出し、彼女は丘を上り始めた。
「まるまる1日経ちましたね」
「・・・まだ、1日しか経っていない」
「何処まで戻ってきてるんでしょう?」
「もぅ着くさ。」
何度も同じ質問と解答が繰り返されている。言葉を発することで互いが不安を消しているようだ。テント内でしっかりと兵装を整えた船員達が殺気に近い何かを漂わせながらじっと座っている。誰もが苛立っていた、しかしその苛立ちが尚一層沈黙と険悪な雰囲気を引き寄せ、言い表しづらい空気の悪循環を招いている。
「いっそ、討って出ませんか?そうすれば提督の捜索も同時に・・・」
若い組員は痺れを切らせたように発言する。
「もしもの話、我々が出た後。提督がここへ辿り着いたらどうするつもりだ?」
「誰かを残しておけば・・・」
「中には負傷者も居る、その者達を残すのか?それとも負傷者も連れて行くのか?」
「たかが10数人でしょう!」
「あの10数人の中には頭らしき人物がいなかった、本隊は別だよ。」
「それじゃ、どうすれば良いんですか?」
「待つだけだ。」
「もぅ、かなりの時間待ちました。もしかしたら、提督は怪我で動けないだけかもしれない。なら捜しに行くのも手でしょう?」
「そうかも知れない、ただ・・・誰だっ?!」
テントに写る人影に思わず副隊長が大声を上げる。その声にその場にいた全員が腰のものに手をかける。
「議論ご苦労様、ちょっとテントを開けてくれない?両手が使えないの・・・」
「提督っ!!」
男たちが一斉にテントを飛び出てくる。
「ご無事でっ」
「命からがらね、ちょっと肩を貸してもらえるかしら・・・」
無理矢理笑っては細い声を出す。副隊長は膝を着いてそれに応じる。
「左腕は・・・」
「見てのとおりよ」
「おぃ!オマエ等、提督のテントは出来てるだろうな!誰も近づけるんじゃねーぞ!」
「皆、ごめんなさい・・・」
「船員達は全員戻ってきてますぜ。」
「・・・そう・・・」
その一言を言うと彼女はがっくりと彼女の全身から力が抜ける。必死に周りの人間がそれを支えようと近寄る。副隊長はそれを制するように提督の体を軽く抱き上げた。
「おぅ、オマエ等。無闇に騒ぐんじゃねーぞ!」
そう言いながら提督用のテントへ彼女を寝かせに向かった。
『提督無事』の報は分散してテントを張る各隊へ一斉に知らせられる。沈んでいた雰囲気が一気に解放される。不安な夜を迎えた昨日から一転して各隊は幾分気楽な空気が流れている。あとは提督が回復して撤収を待つだけだ・・・ただ今回の調査は失敗に終わったのが残念だと心残りを口にするものも居た。

丸々一昼夜半彼女は目を覚まさなかった。左腕の痛みにようやく気付き重たいその瞼を開けることが出来たのは2日目の夜だった。
「痛ぅ・・・」
左腕の痛みは今の彼女の頭の芯まで届くように全身へ響く。服の左袖だけが切り取られ手当てがされている。「ありがたい事ね・・・」
状態を起こし寝床の傍に置いてある呼び鈴を鳴らすと、飛んでくるように副隊長が入ってくる。
「お気づきになられましたか?」
「うん、いろいろと迷惑をかけたようね・・・ありがとう」
「無事に戻られて何よりです。」
「少々痛い思いをしたけれど・・・それ以上に貴方達には悪いことをしたわね」
「失礼とは思いましたが、手当ての為に袖を切らせてもらいました。まさか服を脱がせる訳にも・・・」
少し言葉を詰まらせながら、副隊長は包帯の巻かれている彼女の左腕を見た。
「心遣い感謝するわ、駄目な提督に就いて要らない苦労をかけてしまってるわね」
「ここではその程度しか手当てが出来ません。恐らく傷が残るかと・・・」
「私の傷なんてどうでも良いわ、他の船員達はどうなの?」
「あの場に残った船員は少なからずの負傷をしておりますが、命に別状はありません。」
「そう、怪我を・・・それは生活にも問題あるぐらいかしら?」
「いいえ、完治すれば私生活はおろか再び船に乗ることもできるでしょう」
「そう・・・」
彼女はその報告を聞いてぐっとシーツを握った。「全員無事」これほどの嬉しいことがあるだろうか、彼女は小さく体を震わせている。
「提督?」
「いぁ、なんでもないわ。後で皆を集めてくれるかしら?」
「わかりやした。」
副隊長は返事をすると背を向けて出口へと向かう。
「副隊長、貴方が看病してくれたみたいね。ありがとう」
「え?」
「その手・・・きっと私は熱にうなされていたのでしょうね。」
彼女がぐったりと倒れそれを寝かせた副隊長は彼女の異変に気付く、異様なまでの汗・・・それから彼は彼女の寝息が納まるまでの1日ずっと就きっきりで看病していたのである。その名残に彼女の近くには手桶とタオル。そして彼の手は水で膨れ、ぼろぼろに荒れてしまっている。しかし彼は「これは慣れない炊事のせいです、私には看病なんてとても」後姿にも手を横に振って否定しながらテントを出て行った。
「他の提督の下へ行けばもっと陽の目を見るでしょうに・・・」

三角巾に左腕を通し、肩からベルベットジュストコールの上着をかけて一同が集まる前に彼女は現われた。上着の左腕部分はまだ彼女の流血跡が残っている。それを見て皆がざわめく。上に置かれた椅子へ座りそのざわめきが自然と収まるまで彼女はじっと口を噤み、しんと静まり返った前で静かに口を開いた。
「今回の事について全ての責は私にある。私の軽率な判断によって諸君達を危険な目にさらしてしまった、幸い今回尊い犠牲を出すまでの惨事に至らなかったのは僥倖の思いだ。しかし、それはあくまでも結果論であり、最悪の場合も十分に考えられる事態だった。」
「私は死して功を成すなど何の価値もないと思っている。自らの証明をするためには生き続けることが何事にもまして肝要だ。だから常に細心の注意を払い、臆病と陰口を叩かれながらも最も安全な手段を取って来たはずだった。しかし、今回このような事態を招いたのは私の誤りだった。」
悔しさで握り締める彼女の拳が膝上で震えている。
「私は諸君達の身の安全を預かる提督として最低だ。本当に申し訳ない・・・」
深々と彼女は頭を垂れた、これで許してくれるはずもないが今彼女ができることはこれだけだった。これまで一度も頭を下げた事を見たことのない彼女がこうも頭を下げる事に一同は再びざわめいた。(そういう事態が過去に起こっていなかった)そのざわめきを他所に彼女は意を決して再び上体を起こすなり一同を見渡し言った。
「明日、ここを撤収し一度ロンドンに向かう。そこで今回の事で皆に特別に手当てを出す。さらに、その場で諸君を全員解雇する。私もそこでギルドからの除名を届ける。ロンドンに着いたらそこで手当てと相応の退職金を受け取って欲しい。」
その場にいる全員が一斉にどよめきの声を上げる。
「必要ならば諸提督への紹介状も書こう。私のような無能な提督の下で諸君のような優秀な船員を犠牲にする訳にはいかない。せめてもの罪滅ぼしに、そして諸君の為にも賛同を得られることを祈る。以上だ。」
そう言うと、彼女は席を立ち自らのテントへと戻った。悔しかった、声にならない嗚咽を必死に噛み殺した。震える手にぽたぽたと大粒の涙が落ちる「これで良いの・・・こうしなければいずれ尊い犠牲が出てしまう・・・それだけは起こってはならないの・・・」

 神妙な雰囲気に包まれた一行は素早く撤収を行うとブリテン島南部を離れ一路ロンドンへと船首を向けた。この短い航海が最後の航海になるだろうと、船室で彼女は船員人数分の紹介状を書きつづけている。不自由な左手の変わりにインク瓶を文鎮として使いドーバー海峡を抜けた辺りで書き終えた。ロンドンは変わらず薄く霧に包まれている、そしてロンドンに帰港した朝、全ての船員に小切手と紹介状を手渡す。
「それを然るべき所へ持っていけば良い。皆、今迄ありがとう。」
再び大きく頭を下げる、食堂から1人また1人と船員が出て行く・・・そして副隊長を務めた古参の船員が最後に一礼をして船は彼女を残し空となった。
いつも賑やかな雰囲気、そして料理長の準備する音が絶えなかったこの一室を信じられないほどの静寂が支配する。
「あっ、そうだ今回の調査に関する報告書を書き直さないと・・・」
山賊の襲撃に遭った折、今までの調査結果を記した書類は全て紛失してしまった。幸い全てに目を通していたお陰で、その内容は彼女の頭の中に残っていた。
 夕刻までに「ブリテン島南部における鳥類調査に関する報告書」「ブリテン島南部における山賊活動に関する報告書」そして「冒険者ギルド除名願」を一気に書き上げると秘蔵のウィスキーを取り出し、再び食堂へと向かった。
何の物音しないただ遠くから反響する波の音だけが聞こえる食堂で1人グラスに酒を注ぎそれを飲み干す。
「これで全て終わったわね・・・」
寂しく揺れる船体がその静けさを誇張するようにぎぃぎぃと軋み音を上げている。翌朝あの3つの書類を届ければ全てが終わる。頬杖を突いた彼女はそう空ろに考えていた。
「思えば楽しい時間だったわ、素晴らしい仲間と船員に出会えたんですもの。」
誰も居ない室内で誰に憚ることなく声を出して呟く、そして手持ちのウィスキー瓶が半分ほど空になった頃、彼女はそのまま眠りについていた。

翌朝、酒場での代理報告の手続きを完了したアンレーデはその足で残る2つの書類を届ける為にギルドへと向かう。血痕のある上着をかけたままの格好は街で行き交う人の目線に止まったが、それに何の気を止める事無く悠然とメインストリートを進んでゆく。ギルドは変わらずに混雑している、それもコレも受付が1個しかないからだ。
30分ほどの待ち時間の後、ようやく彼女の順番が来た。受付に2つの書類を提出しようとした時、受付の事務員がこう告げる。
「アンレーデさんですね。マスターがお会いになるそうです、奥の部屋にどうぞ」
「マスターが私に?」
「はい、奥の部屋にどうぞ」
その場に居た全ての冒険家がその言葉を聞いて好奇の目を彼女に向ける。
ロンドンの冒険家総元締めである多忙なマスターが何の用だろうかと見当のつかない思考をめぐらせながら緊張しつつドアをノックする。
「入りたまえ」
「失礼致します。アンレーデと申します」
「貴女がアンレーデか…」
「何かの依頼でしたらお断りいたします。私はもう船に乗れない者です。」
「ふむ、その事だがな…貴女の申請を却下する。」
「…申し訳ありません。お話の筋がよく見えませんが?」
「貴女は提督として良い船員を持ったな。」
「何の話でしょう?」
「ふむ、昨日の事だ。とある船の船員が一挙に数十人ここに押しかけて来た。」
「はい」
「明日つまり今日だな。アンレーデという冒険家がここに除名願いを届けに来るのを受理しないでくれと嘆願しに来た。これが嘆願書だ。」
彼女の前にその分厚い書類を置く。その中には解雇したはずの船員全ての署名がなされている。
「まさか」
「お陰で受付は大混乱だ、仕方なく私が事情を聞いた。」
「それは大変ご迷惑を…代わってお詫び申し上げます。」
「嘆願に来るものの大半は諸提督に関する悪評のそれだ、今回のようなケースは珍しい。」
そうギルドマスターは彼女へ歩み寄ると彼女が手にしている書類をその手にする。
「この山賊に関する書類は受け取ろう。残りは要らないだろう」
そう言うなり彼女の「除名願」を暖炉へと投げ入れた。
「悪評の立つ輩も多い、貴女のような提督を失うことはこの英国にとっても損失だ。事情はあろうが、再び船に乗るが良い。海はまだ貴女に未知なる発見を促しているのではないだろうか?彼等の心意を受け止めよ。話はそれだけだ。」
ぐっと目頭が熱くなる…あれほどに流した涙はまだ枯れていないように彼女の頬を伝う。
「今日が貴女にとって新しい冒険の始まりだ。ゆっくりと体を癒し、海にでるが良い。」
「はい、ありがとうございます。」
ギルドから空っぽの船に戻ったアンレーデは自室でマスターの言葉を思い返していた。
「新しい冒険の始まりか…」
今の私に何ができるだろう、もぅ彼等に全ての財産を分けて与えた。
「何ができるものか…」
彼女は失笑した、結局何も出来ないではないかと。その時、ドアをノックする音がする。
「コチラの船で船員を募集しているとお聞きしたのですが?」
彼女には身に覚えのない話だ、もぅ誰も雇うことも出来ない身分だと断るつもりで彼女はドアを開けた。
「あれ?」
見覚え有る男が立っている。
「紹介状もあります、どうか雇ってもらえないでしょうか?」
彼女に見覚え有る紹介状、当然だ彼女が書いたものだ。
「何を思って戻ってきたの?もぅ私には何もないわよ」
「へへへ、そうは行かないんですよ。」
そういうと彼女の右腕を掴むと甲板まで導く。
「ちょっと、何するの!」
「こういう訳でさ」
そこには1人も欠ける事無く見覚えの有る男達が揃っている。
「皆、紹介状を持ってやすぜそれに、これはお返ししておきやす。」
そ言って彼女に手渡されたのは彼等に渡したはずの小切手だった。
「1Dも使ってません。どうです?雇ってくれませんか?」
「…アンタ達…」
「嫌と行っても住み込みますぜ、もぅオレ達は決めてますからね。」
「コレを思いついたのは誰?」
「あのオッサンです」
そう言いながら指差した先には最古参の、あの時食堂を最後に出た船員だった。
「まぁ、そういう事で…どうですかね?提督1人じゃ、この船は動きませんぜ?」
古参の船員は照れくさそうに頭を掻きながら彼女の返事を伺う。
「碇を上げようにも私には重過ぎる、帆を張ろうにも右手だけでは綱が握れない。酒を飲むにもグラスの場所が分からない。掃除するには広過ぎる。どうやら誰かの助けが必要なようね…」
そう言うと彼女は船内に戻っていった。頬に涙が伝う。決して彼等の前では涙は流さない、それは彼等に対するせめてもの感謝の印だった。
古参の船員はうんうんと頷くと「オマエ等、持ち場に戻れ!」と大きく声を上げた。
ロンドンの日差しは真天から船を照らし続けていた。


(4話その2 修復)
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