館民で音速雷撃隊


1 [エルザス] [編]
原作:松本零士
文章:エルザス

登場人物

大日本帝国海軍
神 長門:特攻兵器桜花操縦士。中尉
黒猫(萌えコテ):神 長門の恋人

MKⅡ:一式陸攻操縦士。大尉
翔:一式陸攻副操縦士。少尉

ロク:零戦操縦士。中尉

アメリカ海軍
駄:F6F操縦士。伍長

カントー:空母「スガーリン」艦長。大佐

レベッカ:空母「スガーリン」副長。中佐


昭和20年8月、太平洋上空――

「バサラ1よりバサラ3、レーダーに日本軍機の反応多数。そちらで確認できるか?」

「こちらバサラ3、確認している。高度4000にベティ16機、直衛のゼロ32機!」

米海軍の偵察機は、自軍の艦隊へと向かってくる日本軍の編隊を発見した。
ベティと呼ばれたのは一式陸上攻撃機。「一式ライター」と呼ばれるほどに脆く、燃えやすい爆撃機だ。それを守るゼロこと零式艦上戦闘機も、急降下時の翼の強度不足が指摘されて久しかった。
とはいえ、鈍重な偵察機にとって機動性に優れた零戦は十分に恐ろしい敵だった。

「こちらバサラ3、ゼロがこっちに向かってくる!助けてくれぇ!」

その通信を最後に、偵察機は連絡を絶った。

「直掩戦闘機隊、直ちに発進せよ!」

米海軍空母スガーリンでは、艦長のカントー・ドゲザ大佐が指示を飛ばしていた。すぐさま飛行甲板にF6F戦闘機が並ぶ。日本軍機が襲来する前に、これらを離陸させなければならない。

「ジャップめ、全員地獄へ送ってやる!」

とある戦闘機のコックピットで、パイロットが毒づいていた。彼は駄伍長。先ほど消息不明となった偵察機のパイロットは、彼の親友であった。

「発進はじめ!」

甲板上の士官が旗をふり、戦闘機隊の離陸が開始された。日本軍編隊は尚も迫りつつある。


「二時方向、敵の戦闘機編隊!」

米軍艦隊を目指していた日本軍編隊に、緊張が走った。

「直衛の零戦が増槽を落とした!迎撃に向かうぞ!」

指揮官機を努める一式陸攻の機内、銃座についた兵士が叫んでいた。

「陸攻隊は飛行を続けろ!接近してくる敵には旋回機銃で対処せよ!」
「了解!」

指示と報告が乱れ飛ぶなか、一人の若い飛行士だけがもの静かにたたずんでいた。
神 長門中尉。かつてロケット工学の学生だった彼は、徴兵されてパイロットになった。乗り組みを命じられた機体は、彼の目の前に鎮座していた。

有人ロケット弾「桜花」。
弾頭に見立てたロケットを一式陸攻の爆弾倉に固定して運び、敵艦隊への射程距離に入ってから空中で切り離し、ロケットを噴射させる。パイロットは音速を超えるスピードで飛ぶ桜花を操り、敵の艦船に体当たりを敢行する。
機体には着陸のための装備など一切なく、ひとたび射出された桜花は二度と戻ることはない。あたかも桜の花びらが、一度散ってしまえば戻らないのと同じように。

「右翼後方から米軍機!突っ込んでくるぞ!」

呆然として桜花を眺めていた長門の耳に、爆撃手の叫び声が響いた。次の瞬間、彼の乗る一式陸攻は何百という銃弾に貫かれていた。長門はとっさに身を伏せた。機体のすぐ横を敵機が通過していったのがわかった。

「ぁー二等がやられた!」
「左翼エンジンが火を噴いてるぞ!」

叫び声が連続し、長門は体を起こして外を見た。確かにエンジンからオレンジ色の炎があがっていた。

「桜花を射出してくれ!ここから敵艦隊を目指す!」

長門は叫び、桜花のコックピットに潜った。桜花の機体は大部分が陸攻の外側にはみ出しているが、コックピットだけは機内に収まっている。

「無茶です長門中尉!ここからじゃ敵艦隊まで届きません!もっと近寄らないと!」

頭から血をながしている搭乗員が長門をとめた。だが彼は制止を振り払う。

「放せ!飛ばずに死ねるか!」
「犬死にです!犬死にだぁ!」

長門は無理矢理桜花の風防を閉じようとしたが、別の誰かの手がそれを止めた。

「機長…?」

陸攻の機長であった。機長は何も言わずに長門を立たせると、目にも止まらぬはやさで長門の鳩尾をついた。

「がはっ!?」

不意をつかれた長門はあっさりと気絶した。

長門が意識を取り戻したとき、彼は空中を漂っていた。
いや、正確には緩やかに落下していた。

「パラシュート?」

彼は落下傘にぶら下がっていたのだ。なぜこうなったかはわからない。陸攻の機長が放り出してくれたのか、たまたま落下傘が開いたのか。
状況をつかめない長門の上空で、突如爆発がおこった。

「まだ戦ってるんだ!」

よく目を凝らすと、虫のような戦闘機がまだ闘いを続けていた。一機の零戦が火を噴いた。きりもみしながら墜ちてゆく零戦に敵機が追いすがり、さらに銃撃を加える。

「なんてこと…」

つぶやいた長門の目の前に、今度は火だるまになった一式陸攻が現れた。操縦士と目が合う距離だった。陸攻の操縦士は、あの機長であった。

「…ッ!?」

長門が息をのむ間に、陸攻は彼の足元を通過していった。炎の熱がはっきりと感じられ、それが収まったかと思うと、陸攻は爆発を起こした。

「そんな…そんな…!」

長門の落下傘は緩やかに下降してゆく。間もなく彼の体は、大海原に抱きとめられた。

その日の夜、神 長門は基地に戻ってきていた。海面に漂っていた長門は、たまたま近くを通りかかった二式大艇に回収され、ここまで連れ戻されたのだ。
だが、奇跡的生還を果たした長門に対する基地司令の態度は冷たかった。直接なにかを言われたわけではなかったが、基地司令の目は明らかにこう告げていた。特攻隊員が生きて戻ってくるなど、いい恥さらしだ、と。

長門は一人宿舎を抜け出し、星空を見上げていた。灯火管制の敷かれた基地の建物群は暗く、小さな星もよく見えた。

「そこにいたのか、神 長門中尉。」

突然背後から声をかけられ、長門は後ろを振り返った。

「どうした?宿舎で一杯やらんか?」

そこに立っていたのはMKⅡ大尉であった。一式陸攻のベテランパイロットで、軍に在籍している期間は長門の実年齢より長い。彼は片手に一升瓶をぶらさげていた。

「とても飲む気分にはなれない。桜花隊の仲間はみんな死んだのに、オレだけが生き残った。」

長門はぶっきらぼうな口調で言った。

「だからこそだ。せっかく生きて戻れたんだ。飲めるときに飲もう。明日もう一度出撃するんだろう?そうなれば今度こそ生きては帰れんよ。」
「確かにな…明日こそ特攻を成功させたい。敵艦隊から30km圏内まで連れていってもらえれば、オレは必ず桜花を敵艦に命中させてみせる。」
「心配するな、明日は俺がお前をぶら下げて行ってやる。」
「あんたが?」
「そうとも。必ず敵艦隊が見える位置までお前を連れていく。だから今夜はその前祝いだ。宿舎に戻ろう。うちの機の乗組員も待ってる。」
「……そうか。」

長門は立ち上がり、MKⅡと連れだって宿舎に向かった。

「副操縦士の翔少尉です。よろしく。」

宿舎の食堂では、MKⅡの一式陸攻の搭乗員たちが長門を待ちわびていた。ひととおりの挨拶を終え、MKⅡがさっそく一升瓶の蓋をあけた。当時日本酒は貴重品であったが、それをもっとも容易に手に入れられるのは、皮肉にも特攻隊員達であった。

酒を酌み交わす搭乗員たちは、明らかに意気消沈していた。

「どうしたぁみんな!元気をだせ!桜花を積むからって、まだ死ぬと決まったわけじゃないぞ!」

見かねたMKⅡが声を張り上げる。

「…そうですね。死ぬと決まってるのは、長門中尉だけだ…」

翔がぽつりと言った。

「確かにな。だが今日は母機のほうが全滅して、オレだけが帰ってきた。」
「護衛の零戦すら、6機しか戻って来ませんでしたから…」

翔が口にしたその事実を、長門はこのとき初めて知った。

「今じゃ我が軍のパイロットは、半分が素人だからなぁ…」

この中ではもちろん最古参のMKⅡが言った。彼と同世代のパイロットは、すでにほとんどが鬼籍に入っていた。ミッドウェー、ラバウル、フィリピン、台湾、そして沖縄―――大規模な航空戦が行われる度に、熟練パイロットの比率はどんどん減っていった。対して米軍のパイロットは質、量ともに増強される一方であった。

「言っとくがあんたら、陸攻が危なくなったら桜花なんて捨ててすぐに逃げろよ?死ぬのはオレ一人で十分なんだからな。」

長門の口調はさほど深刻ではなかった。そのことが内容の悲壮さをいっそう際立たせていた。
その時、宿舎のドアが乱暴に開けられた。

「長門中尉はいるか?」
「なんだ、貴様?」

突然乱入してきた兵士にMKⅡが誰何の声をあげる。

「自分はロク中尉だ。貴官が神 長門中尉か?」

入ってきた男はロクと名乗った。ロクの頭には血染めの包帯がまかれ、それが片方の目を塞いでいた。

「オレが神 長門だが?」

長門はロクに向き直った。

「貴官か。」

ロクの目が長門を見据える。その視線は差すように冷たかった。

「今日のことはすまなかった。明日は何がなんでも、桜花隊を完全に護衛してみせる。たとえ敵機に体当たりしてでも…!」

ロクの言葉には壮絶な覚悟がにじみ出ていた。作戦のためなら命もいとわぬ。ロクがそう考えていることは手にとるようにわかった。

「それが言いたかっただけだ。」

ロクは敬礼をひとつ残し、宿舎から出ていった。

「今日の護衛戦闘機隊の奴か。やれやれ。」

MKⅡが酒をあおりながら言った。

「敵に体当たりするのはオレの役目なのにな。」

長門も苦笑する。

「自分達みんな、おかしくなってるんじゃないでしょうか?」

翔は明らかに困惑していた。

「まぁな。みんなこの戦争で死ぬ。遅かれ早かれ死んじまうと思ってる。だから、どうせ死ぬなら敵艦に体当たり、なんてことになる。」

そう言った神 長門の口調は冷ややかだった。

「だかな長門中尉、決死の覚悟で戦うのと、必死とは違うぞ。ロケット特攻機の桜花は、人の命を部品にしてしまったんだからな…!」

MKⅡの言葉には熱がこもっていた。

「決死と、必死…」

その言葉を長門は反芻する。

「みんな死んじまったら、戦争にもならんよ。」

「そうだな…」

沈黙が訪れた。しばらくは誰もが黙って酒を飲んだ。重苦しい空気だった。

それが破られたのは、一人の兵卒が宿舎にやってきたときだった。

「長門中尉、基地の守衛室に、銃後の方が面会におみえです。」

「オレに?」

長門は席をたった。

「お前…」

守衛室に入った長門は、その場に立ち尽くした。

「来ちゃった。」

部屋の中にいたのは、猫耳の生えた美しい少女だった。

「あれほど来るなと言っただろうが!なぜ今になって…!」

その少女、黒猫に向かって長門は叫んでいた。会いたくなかった。彼女に会ってしまったら、特攻隊員としての覚悟がゆらいでしまう―――

「迷惑だとは思ったんだけど…あなたが今日の戦闘から生き残ったって聞いたから、いてもたってもいられなくなって…」

彼女と最後に会ったのはもう半年以上前になる。長門が桜花隊に志願し、ひととおりの訓練を受けたあとだった。その時にはもう長門の運命は決まっていた。この戦争を生き延びることはないとわかっていた。だから長門は彼女に告げた。自分のことは忘れて、新しい人生を歩んで欲しい、と。

「お前は…オレのことなんて忘れなきゃいけないんだ。オレの命は明日までなんだぞ?オレは必ず死ぬんだ。お前はオレよりもっと素敵な男と一緒になって、いつまでも生きていかなきゃいけないんだよ。」
「そんなことできないよ…長門のいない未来なんていらない。」
「馬鹿!」

一喝すると同時に、長門は黒猫を抱き寄せていた。ほのかに花のにおいがした。

「オレだって、いつまでもお前と一緒にいたかったさ…だけどそれはもう無理なんだ。戦争が続くかぎり…」
「だからね、今日は最後のお別れ。前に会ったとき、もう二度と会えないと思った。だけどあなたがまだ生きてるって聞いたから、最後のチャンスだと思ったの。」
「……黒猫、会いたかった…」

力強く彼女を抱きしめて、長門は心情を吐露した。その瞳から涙がこぼれた。

「オレは明日死ぬ。だから約束してくれ。お前は生きるって。オレのことは忘れたっていい。とにかく生きて、幸せに暮らしてくれ。もしそう約束してくれるなら、オレは喜んで死にに行く。お前を守るためなら、オレは何度だって死んでやる。」
「長門…約束する。でもあなたのことは忘れない。わたしを守って死ぬあなたのことを、わたしは忘れない…」

黒猫が目を閉じた。二人の唇が重なる。長い長い口づけだった。



空母スガーリンの士官室に、戦闘機のパイロットたちが集まっていた。

「トニーもジムもやられちまった…」

駄伍長はバーボンを片手に毒づいていた。

「世界一のワッフル屋になるって、いつも言ってたっけな…」

仲間のパイロットも酒を飲んでいる。

「ジャップどもめ、戦争に勝ち目がないからって、みんな死にもの狂いで突っ込んできやがる。」

そこへ、艦長のカントー大佐がやってきた。

「諸君、感傷にひたっているのもそこまでだ。」
「艦長?」
「今日の戦闘の写真ができた。これを見ろ。」

カントー大佐は一枚の大判写真を差し出した。駄伍長がそれを受け取る。

「これは?!」

写真を一瞥した駄は驚いた。そこに写っているのは白い機体のロケットであった。

「人間爆弾、チェリーブロッサムだ。」

カントー大佐は重々しい口調で説明を始めた。

「最高時速1060km、爆撃機から射出され、ロケット推進によって飛行する特攻兵器だ。」
「では、我々のF6Fでは撃墜不可能では?!」
「その通りだ。チェリーブロッサムによる攻撃を防ぐ手だてはただひとつ。敵がチェリーブロッサムを射出する前に、母機のほうを撃墜することだ。」
「人間爆弾…クレイジーだ…!」

駄伍長は吐き捨てた。


翌朝、黒猫は耳を弄する発動機の響きで目を覚ました。一夜を共にした神 長門の姿は、そこにはなかった。

「もう、戻ってきてはくれないんだよね…」

お腹のしたのあたりをさすりながら、黒猫はつぶやいた。


一式陸攻の編隊と護衛戦闘機隊は飛び立った。長門はMKⅡ大尉が操縦する陸攻に乗り込んでいた。
帝国海軍の攻撃部隊ははやくも洋上にでていた。周囲を警戒する戦闘機隊を見ていた長門は、奇妙な点に気がついた。

「今日の護衛には、紫電も混じってるじゃないか。」

副操縦士の翔が応える。

「護衛戦闘機40機のうち、紫電が16います。紫電は航続距離が短い局地戦闘機ですから、最後まで護衛についてくれるのは24機の零戦だけになりますね。」
「本当にそれで、敵艦隊まで護衛してくれるんだろうか?」
「わかりませんが、今更引き返すこともできないでしょう。」
「もちろんだ。」

長門が言った次の瞬間、一式陸攻の機体が不気味に震動した。

「またか。」

MKⅡが落ち着き払った声を出した。

「たまに発動機が息をつくんです。飛行に問題はありません。」

怪訝な顔になった長門に翔が説明する。

「なにしろ近頃の部品は、女学生や子供が作ってるからな。」
「おまけに材料は鍋やお釜。女子供オカマまで、国家総動員とはよく言ったもんですねぇ。」

翔の軽口を聞いて、長門は少しだけ緊張がほぐれた。


空母スガーリンのレーダーは、はやくも接近してくる日本軍機をとらえていた。

「直衛戦闘機隊、ただちに発進!」

カントー大佐が命じ、甲板上にF6F戦闘機が並ぶ。発艦準備を終えた機体が次々と空に舞い上がる。

「来たな、イカれたジャップども!」

駄伍長はスロットルを全開にした。一刻もはやく敵に接触し、ジャップを全滅させてやるのだ。


長門ははやくも桜花のコックピットに収まっていた。この機体が自分の棺桶だ。よく眺めておきたかった。

「狭いところで、気の毒だな。」

MKⅡが機内電話で語りかけてきた。

「一式陸攻と違って一人乗りだから気が楽だよ。」
「そうか。頑張れよ。」
「あぁ。MKⅡ大尉、世話になったな。」
「なぁに、ここからが本番だ。そろそろ敵機がくるはずだ。」

MKⅡがそう言った瞬間、戦闘機隊が増槽を落とした。

「左上方敵機!太陽のなかから敵機だ!」

翔が敵を見つけた。次の瞬間、零戦と紫電が翼を翻して上昇に転じた。

「右後方からも敵機!突っ込んでくる!」

他の陸攻からも通信が入る。
そこからは乱戦となった。米軍機は陸攻隊が形成した弾幕に動ぜず、一気に畳み掛けてきた。
一機の紫電が敵機の後ろにはりつく。が、別の敵機がその紫電を穴だらけにした。そばを飛んでいた零戦が身軽に旋回し、すれ違い様に敵機を撃墜した。
護衛戦闘機隊の網を抜けた米軍機は陸攻に殺到した。

「指揮官機被弾!」

翔が火だるまになった僚機を見て叫ぶ。だがMKⅡはそちらには目もくれず、操縦管に張りついて機体をあやつっていた。

「大尉、真後ろに一機くいついてきてます!」

翔がまた叫ぶ。それに負けない大声でMKⅡも吠える。

「それくらいわかってる!なんとしても振り切る!」

桜花のコックピットにいる長門には、周囲の状況はよくわからなかった。だがこの陸攻が危機に頻していることははっきりと理解できた。

「MKⅡ大尉!桜花を切り離せ!身軽になるんだ!」

長門はあらんかぎりの声で叫んだ。だが、MKⅡの声のほうが大きかった。

「バカ言え!まだ敵艦隊が見えん!お前さんを切り離すのは敵艦隊が見えてからだ!!」

その瞬間、陸攻の機体に機銃弾が降り注いだ。

「右翼発動機に被弾!火を噴いてる!」

翔の声は焦燥にかられていた。

「切り離すんだ!大尉!」

長門は再び叫んだ。


「ざまぁ見ろ!ジャップめ!」

駄伍長は目の前の火を噴きながら飛んでいる陸攻にむかって叫んでいた。今や敵機は左のエンジンからも出火し、その機体は炎に犯されていた。

「次で終りだ!」

駄は機体を旋回させた。照準器いっぱいに敵機が見えた。その時だった。

「駄伍長!右上から敵機だ!」

僚機からの通信を聞いた瞬間、彼は右手上方を見上げた。目と鼻の先に、零戦が突っ込んで来ていた。

「だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!?」
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおお!!!」

駄の悲鳴に重なったのは、ロクの魂の叫び声であった。
ロクの零戦は駄のF6Fに突っ込んだ。双方のエンジンが即座に爆発を起こし、続いて起こった機銃弾の誘爆がそれに華を添えた。


「大尉!あれを!」

火の手が迫る一式陸攻のコックピット、Lv.57が歓喜の叫びを発した。

「敵艦隊だ!長門!あとは任せたぞ!!」

MKⅡが叫ぶより早く、長門は桜花の風防を閉めていた。

「ありがとう!もう平気だ!ありがとう…!」
「長門!頼んだぞ!長門!!」

MKⅡのその叫びは、もはや長門には届いていなかった。短いブザーが鳴り、長門は一瞬の浮遊感を覚えた。

「ッ!!」

次の瞬間、長門はロケットの噴射スイッチを押していた。陸攻の下部から切り離された桜花は、後部ロケットを噴射させた。
刹那、猛烈な加速度が長門の体を操縦席に押しつけた。桜花のロケット推進装置は、その真価を存分に発揮した。

「行ったぞ行ったぞ!あいつめ、燃料を全部いっぺんに点火していきやがった!」

MKⅡは笑顔だった。一式陸攻のコックピットは完全に炎に包まれていたが、彼は気持ちのいい笑顔を見せていた。

「すまん…!」

ほんの一瞬、長門は陸攻を振り返った。左翼が根本から折れ、きりもみしながら墜落していった。だが陸攻は任務を果たしたのだ。長門の桜花を、ここまで無事に運んできたのだから。

長門は正面を見据えた。敵艦隊の中央には、巨大な空母が鎮座していた。
あれをやる――!


「右舷より敵一機!ロケットが突っ込んできます!」

空母スガーリンの艦橋、双眼鏡を覗いていた副長のレベッカが叫んだ。

「いかん!チェリーブロッサムだ!撃ち落とせ!」

カントー大佐は血相を変えた。艦隊の対空弾幕は圧倒的とはいえ、桜花の最高速度は時速1000kmを超える。敵は想像を絶するスピードで突っ込んでくるのだ。

「艦隊の対空火器を全てチェリーブロッサムに向けろ!最優先だ!」

カントー大佐の命により、この巨大な機動部隊のありとあらゆる砲が長門の桜花に向けられた。曳光弾が尾を引いて飛んでゆく。幾筋もの火線が交錯し、それらすべてが桜花の周りへと集約されてゆく。


「MKⅡ大尉のためにも…」

桜花の操縦管を握りながら、長門はつぶやいていた。

「翔少尉のためにも…」

自分をここまで送り出してくれたひとたちの姿が脳裏に浮かんだ。あるいは先に散った戦友たちの姿が。
彼らはみんな笑っていて、長門にむかって口々にこう言うのだった。「長門、頑張れよ」と。

「そして何より、黒猫のためにも…!」

今度は黒猫の姿が浮かんだ。彼女は微笑んでいた。聖女のようにやさしく、あたたかい笑顔だった。
そうだ、君のその笑顔を守るために、オレはここまできたのだ。使命を果たす、その一事のために。
だがしかし、長門を生に執着させるのもまた、彼女の笑顔なのであった。生きていたかった。あと30年も生かしてくれたら、これよりもっと立派なロケットを作っていたのに――

対空弾幕のひときわ大きな炸裂が桜花の機体を揺らして、長門は我にかえった。空母の巨体は目前前に迫っていた。長門は目を見開き、声なき絶叫を発した。

「……ッ!!」

次の瞬間、桜花は空母スガーリンに突入した。


天と地がひっくり返るような衝撃が襲った。カントーとレベッカは艦橋の床に投げ出された。窓ガラスがいっぺんに割れ、破片があたりに飛び散った。
二人がなんとか立ち上がったとき、どおおん、というくぐもった音が遠くから聞こえてきた。

「畜生、奴は音速を超えてたのか!?音が後から聞こえてきたぞ!」

カントー大佐が吐き捨てた。

「船の損害を確認しませんと…」

レベッカが船員を助け起こしつつ言った。

「無論だ。弾薬庫に引火しなければいいが…」

カントー大佐が応じた次の瞬間、炎は果たして弾薬庫に到達した。数十トンの火薬に火の手がまわり、カントーとレベッカが状況を確認する暇もないまま、空母スガーリンは大爆発を起こして沈没した。船が海中に完全に没するまで、5分もかかっていなかった。


黒猫は汽車に揺られていた。狭苦しい車内で、黒猫はあることを決心した。
強く生きていこう。
どんな苦しみを味わっても、どんな悲しみに暮れても、自分は笑いながら、強く生きていくのだ。長門とは二度と会えない。戦争がいつ終わるかもわからない。だがしかし、いやだからこそ、強く生きていきたい――

黒猫は窓の外を見やった。目的地の長崎まであとすこしだ。


九州上空に、数機のB-29が侵入していた。その中の一機、「ボックス・カー」の爆弾倉には、とある新兵器が搭載されていた。
原子爆弾「ファットマン」――
ヒロシマに投下された「リトルボーイ」のそれを凌ぐ破壊力を持つ、合衆国が総力を結集して作った悪魔の兵器だ。

ボックス・カーは目標への最終アプローチに入った。爆撃用の照準ファインダーには、雲間からナガサキの街が垣間見えていた――

  =完=

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最終更新:2012年02月09日 15:30
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