新説 ガンダムドルダ
第一話 運命の序曲
第一話 運命の序曲
進宇宙歴100年 地球・旧アメリカ地区
「何だってんだよ!?あのMSは…!?」
荒れ果てた街。殲滅された軍事基地。逃げ惑う人々。
血に叫ぶ人の弱さが、暁の夜明けと共に世界を包んでいく。
瓦礫の中に佇むは、雪のように真っ白な機体…MS(モビルスーツ)。
純白の舞姫とでも形容出来そうなその機体は、地球連邦軍の有するMS、「グワッシュ」「ドグッシュ」「ガーランド」のいずれとも異なる様相を持つ。
極限まで白という白を突き詰めた美しい流麗なフォルム。
レイピアを振りかざし、殺戮を繰り返す姿であっても、その姿は一つの完成された芸術品。
ただ、ただ一つ、先に挙げた三種のMSとは大きく異なる点。
顔面部にV字のアンテナを持ち、絶望を色濃く映す二つの瞳…
「ガンダム」と呼ばれるタイプのMSであるのだが、この時人々がそういうことを知る筈もなく。
ただ、自らに与えられる虐殺という名の苦渋を甘んじて受けるしかないのであった。
『怯むな!ドニ隊、後方へ回り込め!』
編隊を組んだグワッシュとドグッシュの混成部隊が、一斉にリニアライフルを構え、プラズマのエネルギー弾を放つ。
舞姫は音もなく、プラズマのエネルギーを、手にした奇妙な匙状の武器で打ち払う。
静かで流麗な、洗練されたその動きに、恐怖心からでなく美というものに感心するという意味で、息を飲む者も少なくない。
と、一瞬のうちに舞姫が匙を振りかざす。
死神の鎌のようなその武器は(見た目はひどく滑稽だ)、音もなく十機の…いや、十人の、命を否定する。
「うわああああああ!」
次々と撃墜されてゆく仲間達を目の当たりにし、テッド・デッドは冷や汗をかいていた。
まだ耳の奥で、エマージェンシーのブザーがやかましく鳴り響いている気がした。
彼の意識はほとんど薄らいだ状態であったが、気の遠くなるほど訓練を繰り返した肉体は、滞りなく最新鋭機、ガーランド起動の動作を行い、今や発進を待つのみとなっていた。
狭いコックピットに計器の音が響くと、ようやく五月蝿い耳鳴りが治まってくれた。しかしそれと同時に、引きつった心臓が烈しく鼓動し始めた。
地球連邦軍少尉という称号を持ち、エースパイロットとしての名を欲しいままにしている彼。
しかし、軍基地の損耗率が既に40%を超えているという前代未聞の事実を突き付けられた今、全てをかなぐり捨ててでも逃げだしてしまいたかった。
モニターが起動し、自分の体とコンソールを除いた全てが消え去った。手を伸ばせばすぐ届くところに格納庫の壁があるのと同じく、自分の死も目前に迫っている心地であった。
足が震えた。操縦桿を握る手も緩み始めた。
けれど、けれど…
この街は、自分の生まれ故郷。自分という人間をここまで育て上げた場所。
家族も、恋人も、友人も、彼の全てがこの地に存在する。
発進シークエンスに移行する旨がオペレーターより伝えられると、彼は大きく深呼吸をして覚悟を決めたのだった。
「テッド・デッド、ガーランド!発進する!」
勢いよく発進したガーランドは宙を舞い、同時に発進した仲間のグワッシュやドグッシュ、ガーランドと合流し、編隊を組む。
不意に仲間の一人が呟く。
「ガンダム…ガンダム、ドルチェ」
ガンダム…?確かに今そう聞き取れた。その後は何と言ったのかよく聞き取れなかったが。
ガンダム、という言葉がなぜか脳裏に焼き付いて離れないまま、テッドは奇妙なジャメヴを感じつつもアサルトライフルを構える。
彼の隊に所属する十機のMSは、同時に舞姫に向けてプラズマのエネルギー弾を放つ。
「ガーランドは私について来い!接近戦による離脱戦法を取るぞ!」
先程呟いた仲間の声が凛々しく響き渡る。
進宇宙歴100年当時における、地球連邦軍最新鋭機・ガーランド。
当時のMSの中で最速を誇る為、その機動性を活かしてのヒット&アウェイ戦法を得意としている。
圧倒的な戦闘力を有する目の前の機体に対抗するには、最早これしか手段は残されていない。
グワッシュとドグッシュはひたすらリニアライフルを撃ち続け、舞姫の牽制に努める。
テッドは仲間の駆るガーランド数機と共に、主武装の一つ、白兵戦用のD-2ダガーを抜き、ライフルを撃ちつつ特攻する。
「うおおぉぉぉ!」
全てを賭けた命がけの一撃も、ひらりと避けられ、最早ガーランド達は空に特攻しては離脱の繰り返しという虚しい醜態を晒しているに過ぎなかった。
舞姫はその間も匙を振るい、牽制役を買って出たグワッシュ・ドグッシュを次々と破壊していく。
「舐めやがって…!」
テッドはアサルトライフルの出力を最大にし、仲間のグワッシュを屠る舞姫へとそのトリガーを向ける。
「食らいやがれ、化け物が!」
放たれた閃光を、舞姫が匙を構え受けとめる。
流れるようなその動作と共に、ひぃと気の抜けた声を上げて袈裟斬りにされたグワッシュの半身が、テッドのガーランドの元へと飛ばされてくる。
鮮血のこびり付いたコンソールの残骸がガーランドのメインカメラに当たり、テッドは中のパイロットと視線が合う。
死者の目線だ。
テッドがOSを再起動し、抱きつくように片腕で絡みついたグワッシュをやっとのことで振りほどくと同時に、少し遅れて機体は爆散したのだった。
やがて何度目になるだろうか、仲間のガーランドのうちの一機が、舞姫の頭部を捉えた。
「貰ったァ!」
よし!
その場にいる全員が、わずかな希望を見出した時、それは起こった。
舞姫の対の瞳が妖しく光ったかと思うと、その華奢な機体の全身から、何か不思議な波動が放たれたのであった。
「うわあああああぁぁぁぁっ!」
一斉に強風を浴びせられ、遠く飛ばされる機体の中で、テッドは舞姫の衝撃波から起こる驚異のGにその身を蝕まれ、吐血した。
薄らいでいく意識の中で、痛みだけが激しく疼きテッドは半壊したガーランドのコクピットの中で、静かに息を引き取ることとなった。
彼が最後に見たもの。
それは、舞姫に敢然と立ち向かう一機の友軍機の姿。
恐らく、静かな呟きを洩らした仲間の機体であろう。
テッドはその姿を一瞥すると、安堵したように、ああ、と呟いたのだった。
荒れ果てた街。殲滅された軍事基地。逃げ惑う人々。
血に叫ぶ人の弱さが、暁の夜明けと共に世界を包んでいく。
瓦礫の中に佇むは、雪のように真っ白な機体…MS(モビルスーツ)。
純白の舞姫とでも形容出来そうなその機体は、地球連邦軍の有するMS、「グワッシュ」「ドグッシュ」「ガーランド」のいずれとも異なる様相を持つ。
極限まで白という白を突き詰めた美しい流麗なフォルム。
レイピアを振りかざし、殺戮を繰り返す姿であっても、その姿は一つの完成された芸術品。
ただ、ただ一つ、先に挙げた三種のMSとは大きく異なる点。
顔面部にV字のアンテナを持ち、絶望を色濃く映す二つの瞳…
「ガンダム」と呼ばれるタイプのMSであるのだが、この時人々がそういうことを知る筈もなく。
ただ、自らに与えられる虐殺という名の苦渋を甘んじて受けるしかないのであった。
『怯むな!ドニ隊、後方へ回り込め!』
編隊を組んだグワッシュとドグッシュの混成部隊が、一斉にリニアライフルを構え、プラズマのエネルギー弾を放つ。
舞姫は音もなく、プラズマのエネルギーを、手にした奇妙な匙状の武器で打ち払う。
静かで流麗な、洗練されたその動きに、恐怖心からでなく美というものに感心するという意味で、息を飲む者も少なくない。
と、一瞬のうちに舞姫が匙を振りかざす。
死神の鎌のようなその武器は(見た目はひどく滑稽だ)、音もなく十機の…いや、十人の、命を否定する。
「うわああああああ!」
次々と撃墜されてゆく仲間達を目の当たりにし、テッド・デッドは冷や汗をかいていた。
まだ耳の奥で、エマージェンシーのブザーがやかましく鳴り響いている気がした。
彼の意識はほとんど薄らいだ状態であったが、気の遠くなるほど訓練を繰り返した肉体は、滞りなく最新鋭機、ガーランド起動の動作を行い、今や発進を待つのみとなっていた。
狭いコックピットに計器の音が響くと、ようやく五月蝿い耳鳴りが治まってくれた。しかしそれと同時に、引きつった心臓が烈しく鼓動し始めた。
地球連邦軍少尉という称号を持ち、エースパイロットとしての名を欲しいままにしている彼。
しかし、軍基地の損耗率が既に40%を超えているという前代未聞の事実を突き付けられた今、全てをかなぐり捨ててでも逃げだしてしまいたかった。
モニターが起動し、自分の体とコンソールを除いた全てが消え去った。手を伸ばせばすぐ届くところに格納庫の壁があるのと同じく、自分の死も目前に迫っている心地であった。
足が震えた。操縦桿を握る手も緩み始めた。
けれど、けれど…
この街は、自分の生まれ故郷。自分という人間をここまで育て上げた場所。
家族も、恋人も、友人も、彼の全てがこの地に存在する。
発進シークエンスに移行する旨がオペレーターより伝えられると、彼は大きく深呼吸をして覚悟を決めたのだった。
「テッド・デッド、ガーランド!発進する!」
勢いよく発進したガーランドは宙を舞い、同時に発進した仲間のグワッシュやドグッシュ、ガーランドと合流し、編隊を組む。
不意に仲間の一人が呟く。
「ガンダム…ガンダム、ドルチェ」
ガンダム…?確かに今そう聞き取れた。その後は何と言ったのかよく聞き取れなかったが。
ガンダム、という言葉がなぜか脳裏に焼き付いて離れないまま、テッドは奇妙なジャメヴを感じつつもアサルトライフルを構える。
彼の隊に所属する十機のMSは、同時に舞姫に向けてプラズマのエネルギー弾を放つ。
「ガーランドは私について来い!接近戦による離脱戦法を取るぞ!」
先程呟いた仲間の声が凛々しく響き渡る。
進宇宙歴100年当時における、地球連邦軍最新鋭機・ガーランド。
当時のMSの中で最速を誇る為、その機動性を活かしてのヒット&アウェイ戦法を得意としている。
圧倒的な戦闘力を有する目の前の機体に対抗するには、最早これしか手段は残されていない。
グワッシュとドグッシュはひたすらリニアライフルを撃ち続け、舞姫の牽制に努める。
テッドは仲間の駆るガーランド数機と共に、主武装の一つ、白兵戦用のD-2ダガーを抜き、ライフルを撃ちつつ特攻する。
「うおおぉぉぉ!」
全てを賭けた命がけの一撃も、ひらりと避けられ、最早ガーランド達は空に特攻しては離脱の繰り返しという虚しい醜態を晒しているに過ぎなかった。
舞姫はその間も匙を振るい、牽制役を買って出たグワッシュ・ドグッシュを次々と破壊していく。
「舐めやがって…!」
テッドはアサルトライフルの出力を最大にし、仲間のグワッシュを屠る舞姫へとそのトリガーを向ける。
「食らいやがれ、化け物が!」
放たれた閃光を、舞姫が匙を構え受けとめる。
流れるようなその動作と共に、ひぃと気の抜けた声を上げて袈裟斬りにされたグワッシュの半身が、テッドのガーランドの元へと飛ばされてくる。
鮮血のこびり付いたコンソールの残骸がガーランドのメインカメラに当たり、テッドは中のパイロットと視線が合う。
死者の目線だ。
テッドがOSを再起動し、抱きつくように片腕で絡みついたグワッシュをやっとのことで振りほどくと同時に、少し遅れて機体は爆散したのだった。
やがて何度目になるだろうか、仲間のガーランドのうちの一機が、舞姫の頭部を捉えた。
「貰ったァ!」
よし!
その場にいる全員が、わずかな希望を見出した時、それは起こった。
舞姫の対の瞳が妖しく光ったかと思うと、その華奢な機体の全身から、何か不思議な波動が放たれたのであった。
「うわあああああぁぁぁぁっ!」
一斉に強風を浴びせられ、遠く飛ばされる機体の中で、テッドは舞姫の衝撃波から起こる驚異のGにその身を蝕まれ、吐血した。
薄らいでいく意識の中で、痛みだけが激しく疼きテッドは半壊したガーランドのコクピットの中で、静かに息を引き取ることとなった。
彼が最後に見たもの。
それは、舞姫に敢然と立ち向かう一機の友軍機の姿。
恐らく、静かな呟きを洩らした仲間の機体であろう。
テッドはその姿を一瞥すると、安堵したように、ああ、と呟いたのだった。
撃墜されたグワッシュのうちの一機。
そこに、彼がいた。
地球連邦軍ドニ隊所属、デイヴィッド・リマー曹長は、乗機であるグワッシュを大破させられながらも奇跡的に一命を取り留めていたのだった。
軽傷で済んだ彼は、人員不足のこの現状に対応する為、すぐに戦場へと駆り出される。
いわゆるレスキュー隊として駆り出され、街に住まう一般の人々の救助・救援活動に当たることとなったのであった。
…人々の直接の死因、あるいは怪我の原因は、舞姫から放たれるビームによるものというより、それによって引き起こされる二次的な要素にあった。
炎上の街に崩れ落ちる建物、人々は呻き、叫び、戦慄き、祈った。
街の惨状に息を飲む彼は、強い正義感を持った瞳で戦場を駆け巡る。
既に息も切れかかっている。
無理もないことだ。先ほどまで死の恐怖と戦い、ある意味それに打ち克った。
と、今度はパイロットである彼が慣れぬ救援活動に駆り出されたのだ。
しかし、それでもと、炎上の街をひた駆ける。
一人でも多くの人の生命を、助けなければならない。
誰も皆、死ぬ為に生れてきたわけではないのだ。
「リマー曹長、あれは…!」
仲間の一人が指を指した先に映る光景…
既に生き物ではなく赤黒い物体へと変貌してしまっている、夫婦と思われる一組の男女。
降り注ぐ瓦礫にその生命を奪われたのだった。
半壊した建物の外には、長く綺麗な赤い髪を持つ少女と、真っ直ぐな瞳を持つ少年。
中途半端に破壊されたその建物は、メラメラと迫りくる炎にその身を委ねる寸前であった。
「君達、大丈夫か!?」
デイヴィッド・リマー曹長は、二人の下にすぐさま駆け寄る。
仲間の一人が、少年と少女に毛布をかける。
と、そこに。
起こっては、ならないことが起きた。
運命の歯車が、狂ってしまった。
白き舞姫は、彼らがいる地点にその瞳を向けたのだった。
「お、おい…!」
仲間の一人が指を指す。
舞姫は、まるで自らの愉しみの為だけに、その手に持つ匙状の武器をゆっくりと振り下ろす。
「!逃げるぞ!」
蒼白になりつつも、冷静な判断を下す曹長。
「うわああああああああ!」
つんざくような音がこだまする。
やがて、意識が黒に支配されて…
そこに、彼がいた。
地球連邦軍ドニ隊所属、デイヴィッド・リマー曹長は、乗機であるグワッシュを大破させられながらも奇跡的に一命を取り留めていたのだった。
軽傷で済んだ彼は、人員不足のこの現状に対応する為、すぐに戦場へと駆り出される。
いわゆるレスキュー隊として駆り出され、街に住まう一般の人々の救助・救援活動に当たることとなったのであった。
…人々の直接の死因、あるいは怪我の原因は、舞姫から放たれるビームによるものというより、それによって引き起こされる二次的な要素にあった。
炎上の街に崩れ落ちる建物、人々は呻き、叫び、戦慄き、祈った。
街の惨状に息を飲む彼は、強い正義感を持った瞳で戦場を駆け巡る。
既に息も切れかかっている。
無理もないことだ。先ほどまで死の恐怖と戦い、ある意味それに打ち克った。
と、今度はパイロットである彼が慣れぬ救援活動に駆り出されたのだ。
しかし、それでもと、炎上の街をひた駆ける。
一人でも多くの人の生命を、助けなければならない。
誰も皆、死ぬ為に生れてきたわけではないのだ。
「リマー曹長、あれは…!」
仲間の一人が指を指した先に映る光景…
既に生き物ではなく赤黒い物体へと変貌してしまっている、夫婦と思われる一組の男女。
降り注ぐ瓦礫にその生命を奪われたのだった。
半壊した建物の外には、長く綺麗な赤い髪を持つ少女と、真っ直ぐな瞳を持つ少年。
中途半端に破壊されたその建物は、メラメラと迫りくる炎にその身を委ねる寸前であった。
「君達、大丈夫か!?」
デイヴィッド・リマー曹長は、二人の下にすぐさま駆け寄る。
仲間の一人が、少年と少女に毛布をかける。
と、そこに。
起こっては、ならないことが起きた。
運命の歯車が、狂ってしまった。
白き舞姫は、彼らがいる地点にその瞳を向けたのだった。
「お、おい…!」
仲間の一人が指を指す。
舞姫は、まるで自らの愉しみの為だけに、その手に持つ匙状の武器をゆっくりと振り下ろす。
「!逃げるぞ!」
蒼白になりつつも、冷静な判断を下す曹長。
「うわああああああああ!」
つんざくような音がこだまする。
やがて、意識が黒に支配されて…
これが、進宇宙歴100年…
「テロリズム・イヤー」と呼ばれ、世界中でテロによる悲劇が多発した年に起こった、もう一つの、そして最大の悲劇。
後の時代に、「舞姫の殺劇」と語られるこの悪夢は、人々の心から決して拭い去ることのできない傷跡を作り出すに至った。
物語は、二年後、進宇宙歴102年から、その幕を開ける。
「テロリズム・イヤー」と呼ばれ、世界中でテロによる悲劇が多発した年に起こった、もう一つの、そして最大の悲劇。
後の時代に、「舞姫の殺劇」と語られるこの悪夢は、人々の心から決して拭い去ることのできない傷跡を作り出すに至った。
物語は、二年後、進宇宙歴102年から、その幕を開ける。
深い深いまどろみの底で、見た夢。
それは、決して開けてはならない、パンドラの箱…
それは、決して開けてはならない、パンドラの箱…
一人の少女が、悠久の時を眠る。
初雪のように白い肌に咲き誇るは、薔薇のように美しい唇。
少女には恐らく感情というものはない。眠ってはいるのだが、目を覚ましたとて、美の権化がただ在るだけだという印象を与える。
あまりの美しさに、そっと触れようと手を伸ばす。
決して遠くはない距離にいる少女に触れるには、少しの時があれば十分だろう。
しかし、あまりにも遠い。あまりにも永い。
その時間さえ愛おしく思えるほどの美しさ…
そして、指先が少女の面を捉えた刹那…
初雪のように白い肌に咲き誇るは、薔薇のように美しい唇。
少女には恐らく感情というものはない。眠ってはいるのだが、目を覚ましたとて、美の権化がただ在るだけだという印象を与える。
あまりの美しさに、そっと触れようと手を伸ばす。
決して遠くはない距離にいる少女に触れるには、少しの時があれば十分だろう。
しかし、あまりにも遠い。あまりにも永い。
その時間さえ愛おしく思えるほどの美しさ…
そして、指先が少女の面を捉えた刹那…
世界が、崩壊した。
デイヴィッド・リマーはそこで目を覚ました。
「クソ…!またあの夢かよ…!」
デイヴは忌々しそうに頭を掻き、水を飲もうと立ち上がる。
汗をびっしょりとかいた所為で、ひどく喉が渇いていた。
寝台にはシーツもなく、あちこち綿のはみ出たマットが剥きだしになっている。作業着と黄ばんだ下着を一緒くたに丸めたのが枕代わりであるらしかった。
床には空き瓶と空き缶が散乱し、部屋に据付と思わしき冷蔵庫は開け放しで、乱暴に放り込まれたビール缶に、バスケットシューズが覗いて見えた。
これが、デイヴィッド・リマーの住処。唯一、誰にも気を使わずとも過ごすことのできる場所だった。
お世辞にも清潔であるとは言い難い水道水を、一気に飲み干してから、時計を見る。
ひどく不快な気持ちで、すっかり目も覚めてしまった。
「…半端な時間だな」
昨日、いつ床に着いたのかはよく覚えていない。
確か、いつもどおり正午に起き、大家の催促を逃れてパチンコ屋へ出かけた。
負けも勝ちもせず夜になって、行きつけのバーでカードに興じ、負けが込んできて、店主に追加の酒を頼んだら店から追い出された。
その後の記憶はぼやけて、なにやら悪態を付いていたかもしれず、通行人に絡んでいたかもしれない。
酔いが回りすぎて、デイヴィッドは自分が何を言ったのかさえ覚えていなかった。
時間は九時半。但し夜のほうだ。
この感じだと、ほぼ丸一日寝ていたようだ。
「まあ、構わねえさ」
玄関には大家の書置きがあったが、それを丸めて捨て、デイヴはいつものように夜の街へと繰り出して行った。
「クソ…!またあの夢かよ…!」
デイヴは忌々しそうに頭を掻き、水を飲もうと立ち上がる。
汗をびっしょりとかいた所為で、ひどく喉が渇いていた。
寝台にはシーツもなく、あちこち綿のはみ出たマットが剥きだしになっている。作業着と黄ばんだ下着を一緒くたに丸めたのが枕代わりであるらしかった。
床には空き瓶と空き缶が散乱し、部屋に据付と思わしき冷蔵庫は開け放しで、乱暴に放り込まれたビール缶に、バスケットシューズが覗いて見えた。
これが、デイヴィッド・リマーの住処。唯一、誰にも気を使わずとも過ごすことのできる場所だった。
お世辞にも清潔であるとは言い難い水道水を、一気に飲み干してから、時計を見る。
ひどく不快な気持ちで、すっかり目も覚めてしまった。
「…半端な時間だな」
昨日、いつ床に着いたのかはよく覚えていない。
確か、いつもどおり正午に起き、大家の催促を逃れてパチンコ屋へ出かけた。
負けも勝ちもせず夜になって、行きつけのバーでカードに興じ、負けが込んできて、店主に追加の酒を頼んだら店から追い出された。
その後の記憶はぼやけて、なにやら悪態を付いていたかもしれず、通行人に絡んでいたかもしれない。
酔いが回りすぎて、デイヴィッドは自分が何を言ったのかさえ覚えていなかった。
時間は九時半。但し夜のほうだ。
この感じだと、ほぼ丸一日寝ていたようだ。
「まあ、構わねえさ」
玄関には大家の書置きがあったが、それを丸めて捨て、デイヴはいつものように夜の街へと繰り出して行った。
フィリア・シュードは戸惑っていた。
仕事で新たな人材が必要となり、その処遇を上から任されたので、自らが適任と判断した旧友を誘うことに決めた。そう、ここまでは良かった。
「何でこんなに臭うかな…デイヴ、君は本当にこんなところに住んでいるの…?」
現在フィリアがいる場所、それは人類が火星開拓のために築き上げた簡易居住惑星であった。
火星軌道と木星軌道の間には小惑星帯が存在し、そこには岩石をくりぬいて作られた安価な居住小惑星が無数にひしめき合っている。
進宇宙歴102年…
度重なる紛争や、人口爆発、食糧問題…これらの出来事を解決しようと、人類は新たなる希望を火星に抱き、テラ・フォーミングを計画してから102年…
その中で、テラ・フォーミングに携わる労働者、技術者達が、作業効率を上昇させ、また自らの住居とする為地球及び火星軌道上に幾つかのコロニー群を形成していた。
進宇宙歴102年現在では、テラ・フォーミングも終了し、そういったコロニー群も一段落ついてはいた。
しかし、かつては食糧の自給が困難で地球からの輸入に頼らざるを得ず、長らく地球の圧政下にあり、人々の地球に対する不満や不信感は頂点に達していた。
そんな中、デイヴが居住しているのは、テラ・フォーミングの為の仮住居であるコロニー建造の、そのまた仮住居であったのだった。
軌道が不安定で行き来も不便であるから、これら簡易居住小惑星の地価は地球・火星間の小惑星やコロニーに比べて数千分の一である。
フィリアが訪れたのも、何々番小惑星と呼ばれる名も無き居住小惑星の一つであった。
農業区画から垂れ流されるリンと流れの停滞とで富栄養化現象が発生し、居住区画の川は緑色に濁っている。
鼻にさわる臭気は、そこと、天井の大型空調機から発せられるかび臭い空気が原因であると思われた。
路肩にぽつぽつ坐っている乞食も月の大都市で見られるそれが上品に思えるほど薄汚く、立ち並んだ粗末な作りの建物からは、酔っ払いの怒鳴り声や夫婦喧嘩と思われる金きり声が響いてくる。
仕事で新たな人材が必要となり、その処遇を上から任されたので、自らが適任と判断した旧友を誘うことに決めた。そう、ここまでは良かった。
「何でこんなに臭うかな…デイヴ、君は本当にこんなところに住んでいるの…?」
現在フィリアがいる場所、それは人類が火星開拓のために築き上げた簡易居住惑星であった。
火星軌道と木星軌道の間には小惑星帯が存在し、そこには岩石をくりぬいて作られた安価な居住小惑星が無数にひしめき合っている。
進宇宙歴102年…
度重なる紛争や、人口爆発、食糧問題…これらの出来事を解決しようと、人類は新たなる希望を火星に抱き、テラ・フォーミングを計画してから102年…
その中で、テラ・フォーミングに携わる労働者、技術者達が、作業効率を上昇させ、また自らの住居とする為地球及び火星軌道上に幾つかのコロニー群を形成していた。
進宇宙歴102年現在では、テラ・フォーミングも終了し、そういったコロニー群も一段落ついてはいた。
しかし、かつては食糧の自給が困難で地球からの輸入に頼らざるを得ず、長らく地球の圧政下にあり、人々の地球に対する不満や不信感は頂点に達していた。
そんな中、デイヴが居住しているのは、テラ・フォーミングの為の仮住居であるコロニー建造の、そのまた仮住居であったのだった。
軌道が不安定で行き来も不便であるから、これら簡易居住小惑星の地価は地球・火星間の小惑星やコロニーに比べて数千分の一である。
フィリアが訪れたのも、何々番小惑星と呼ばれる名も無き居住小惑星の一つであった。
農業区画から垂れ流されるリンと流れの停滞とで富栄養化現象が発生し、居住区画の川は緑色に濁っている。
鼻にさわる臭気は、そこと、天井の大型空調機から発せられるかび臭い空気が原因であると思われた。
路肩にぽつぽつ坐っている乞食も月の大都市で見られるそれが上品に思えるほど薄汚く、立ち並んだ粗末な作りの建物からは、酔っ払いの怒鳴り声や夫婦喧嘩と思われる金きり声が響いてくる。
フィリアは自分が通行人にじろじろ見られているのを感じた。
染みが無く糊の利いた服を着ているのがフィリアだけであったこともあるが、路地の物売りの中年女性たちはフィリアを見てひそひそ囁き合い、軽蔑の言葉を漏らしている。
労働者ふうの男が馴れ馴れしくフィリアの肩を抱いて、卑猥なことをささやきながら皺だらけの紙幣をフィリアの手に押し付けた。
見当違いも甚だしい。フィリアは男の手を払って歩き出した。
後ろから怒鳴り声が聞こえたが、フィリアがある事実を告げてしまうとすぐ静かになり、少し遅れて、先ほど囁き合っていた中年女性たちが大笑いするのが聞こえた。
フィリアは小さな下宿屋の前で立ち止まった。携帯端末を操作して住所が間違っていないのを確認し、それからインターフォンを押した。
しばらく経つと、中年と熟年の中間ほどの年齢と思わしき女主人が出てきて、胡散臭そうな目つきでフィリアを眺めた。
フィリアは女主人に事情を話しながら携帯端末に映る顔写真を見せたが、彼女はのらりくらりとフィリアの質問をはぐらかし、相変わらず疑りの目でフィリアを見ていた。
フィリアはこのままでは埒があかないと考えて、女主人の手に幾枚か紙幣を握らせた。
その途端に彼女は打ち解けたと見え、フィリアを家の中に通し、「デイヴィッド・リマー」と表札に書かれた部屋に案内した。
部屋の主は居なかったが、どんな人物がここに暮らしているのかは容易に想像できる有様であった。
女主人の話によれば、デイヴィッド・リマーはここ数ヶ月ずっと働いていないらしかった。
朝から晩まで酒場や賭場へ通い、そうでなければ部屋で何もせずに飲んだくれているそうである。
部屋の使い方が汚いやら家賃の支払いが三ヶ月も滞っているやらと、女主人がいらぬことまで愚痴り始めたので、フィリアは暇を告げて逃げるように下宿屋を立ち去った。
デイヴが入り浸る界隈を訪ね歩いて、そのたびにいやらしい言葉を浴びせられながらもフィリアは根気強く彼を捜し続けた。
一見して余所者と判るフィリアがからかわれないでいるためには、会話を交わすごとに財布を軽くしなければならなかった。
さて、幾分かの時間と金を使い知り得た情報を元に、フィリアが辿り着いたのは、とある賭博場だった。
染みが無く糊の利いた服を着ているのがフィリアだけであったこともあるが、路地の物売りの中年女性たちはフィリアを見てひそひそ囁き合い、軽蔑の言葉を漏らしている。
労働者ふうの男が馴れ馴れしくフィリアの肩を抱いて、卑猥なことをささやきながら皺だらけの紙幣をフィリアの手に押し付けた。
見当違いも甚だしい。フィリアは男の手を払って歩き出した。
後ろから怒鳴り声が聞こえたが、フィリアがある事実を告げてしまうとすぐ静かになり、少し遅れて、先ほど囁き合っていた中年女性たちが大笑いするのが聞こえた。
フィリアは小さな下宿屋の前で立ち止まった。携帯端末を操作して住所が間違っていないのを確認し、それからインターフォンを押した。
しばらく経つと、中年と熟年の中間ほどの年齢と思わしき女主人が出てきて、胡散臭そうな目つきでフィリアを眺めた。
フィリアは女主人に事情を話しながら携帯端末に映る顔写真を見せたが、彼女はのらりくらりとフィリアの質問をはぐらかし、相変わらず疑りの目でフィリアを見ていた。
フィリアはこのままでは埒があかないと考えて、女主人の手に幾枚か紙幣を握らせた。
その途端に彼女は打ち解けたと見え、フィリアを家の中に通し、「デイヴィッド・リマー」と表札に書かれた部屋に案内した。
部屋の主は居なかったが、どんな人物がここに暮らしているのかは容易に想像できる有様であった。
女主人の話によれば、デイヴィッド・リマーはここ数ヶ月ずっと働いていないらしかった。
朝から晩まで酒場や賭場へ通い、そうでなければ部屋で何もせずに飲んだくれているそうである。
部屋の使い方が汚いやら家賃の支払いが三ヶ月も滞っているやらと、女主人がいらぬことまで愚痴り始めたので、フィリアは暇を告げて逃げるように下宿屋を立ち去った。
デイヴが入り浸る界隈を訪ね歩いて、そのたびにいやらしい言葉を浴びせられながらもフィリアは根気強く彼を捜し続けた。
一見して余所者と判るフィリアがからかわれないでいるためには、会話を交わすごとに財布を軽くしなければならなかった。
さて、幾分かの時間と金を使い知り得た情報を元に、フィリアが辿り着いたのは、とある賭博場だった。
ふーっと深呼吸をし、扉に手をかける。先ほどの住民達からの態度にはもうだいぶ慣れてはいたが、やはり気持の良いものではない。
意を決して開けた扉の先は、大乱闘の真っ只中であった。
その中心にいる人物…よく見知った顔の男を見て、フィリアは溜息をつく。
「るせえっつてんだよ!俺はイカサマなんざしてねえ!」
旧友、デイヴとそれを取り囲む男達。
酒を呑むどころか酒に完全に呑まれてしまい、自制の意思が利かなくなっていた旧友の眼は、獣のそれだった。
…なんだか大変な場所に居合わせてしまったらしい。
(あーあ、出来上がっちゃってるなぁ。デイヴ、お酒に弱いから…)
殴る、殴られるの乱闘が続き、やがて床に打ち伏せられるデイヴ。多勢に無勢だ。
「このアル中が!調子に乗ってんじゃ…」
毛むくじゃらの大男が酒瓶を振りかざす。
「ねえぞ!」
ヒュン!フィリアは考えるより先に体が動いてしまっていた。
ありったけの力を振り絞り、デイヴを抱え、そのまま共に横転する。
「なんだあ?」
虚しく空を切った酒瓶の割れる音と、男達の疑問の声。
フィリア・シュードは、美女と見紛う外見を持ちながらも、いざという時の度胸と瞬発力についてはまさに天賦の才を持つ男であった。
「フィリア…?」
途端に怪訝そうな表情になるデイヴ。
「何でお前が…」
「危ない所だったね」
薄く苦笑いをしながらデイヴに言う。
「久し振り、デイヴ」
「クソ!なんだってんだよ!邪魔しようってんならてめえも容赦しねえぞ!」
男達が激昂する。
やれやれ、フィリアは思う。どうしたものか…金で大人しく引き下がりそうな雰囲気ではない。
となれば、道は一つだ。
「話は後で!逃げるよ!」
言い終わらないうちに、フィリアはデイヴの手をとり、全速力で駆けだす。
男達が何か叫びながら追ってくるが、さすがに自らの界隈、周辺を知り尽くしたデイヴの案内でなんとか逃げおおせた。
息を荒くしながら、床に座り込む二人。その場所は、とある廃工場だった。
意を決して開けた扉の先は、大乱闘の真っ只中であった。
その中心にいる人物…よく見知った顔の男を見て、フィリアは溜息をつく。
「るせえっつてんだよ!俺はイカサマなんざしてねえ!」
旧友、デイヴとそれを取り囲む男達。
酒を呑むどころか酒に完全に呑まれてしまい、自制の意思が利かなくなっていた旧友の眼は、獣のそれだった。
…なんだか大変な場所に居合わせてしまったらしい。
(あーあ、出来上がっちゃってるなぁ。デイヴ、お酒に弱いから…)
殴る、殴られるの乱闘が続き、やがて床に打ち伏せられるデイヴ。多勢に無勢だ。
「このアル中が!調子に乗ってんじゃ…」
毛むくじゃらの大男が酒瓶を振りかざす。
「ねえぞ!」
ヒュン!フィリアは考えるより先に体が動いてしまっていた。
ありったけの力を振り絞り、デイヴを抱え、そのまま共に横転する。
「なんだあ?」
虚しく空を切った酒瓶の割れる音と、男達の疑問の声。
フィリア・シュードは、美女と見紛う外見を持ちながらも、いざという時の度胸と瞬発力についてはまさに天賦の才を持つ男であった。
「フィリア…?」
途端に怪訝そうな表情になるデイヴ。
「何でお前が…」
「危ない所だったね」
薄く苦笑いをしながらデイヴに言う。
「久し振り、デイヴ」
「クソ!なんだってんだよ!邪魔しようってんならてめえも容赦しねえぞ!」
男達が激昂する。
やれやれ、フィリアは思う。どうしたものか…金で大人しく引き下がりそうな雰囲気ではない。
となれば、道は一つだ。
「話は後で!逃げるよ!」
言い終わらないうちに、フィリアはデイヴの手をとり、全速力で駆けだす。
男達が何か叫びながら追ってくるが、さすがに自らの界隈、周辺を知り尽くしたデイヴの案内でなんとか逃げおおせた。
息を荒くしながら、床に座り込む二人。その場所は、とある廃工場だった。
「で?何でお前がこんなとこにいるんだよ」
尋ねるデイヴ。その息はまだ荒い。
しかし、酔いはすっかり醒めたようだ。焦点の合った瞳でフィリアを見る。
「うん、単刀直入に言うよ」
疲れた表情のフィリア。長ったらしい前置きや、久闊を叙そうといった考えはもう無いらしい。
「実は、第七次調査団として火星に派遣されることになったんだけれど、MSパイロットの枠が一つ空いているんだ」
「テラ・フォーミングはもう終了したんだろ? 何でわざわざ調査団なんか送るんだよ?」
パイロット枠の件には触れず、デイヴは思いついた疑問を口にする。
「そういった視察も火星開発公社(ウチ)の仕事だからね。そのために連邦から資金援助も受けてるし。…まあ、ほかにも色々と事情がね。だからさ――」
「悪いが、他を当たってくれ」
即答のデイヴ。そして続ける。
「俺にそんな大層なご大役、向いてねえよ」
「デイヴ!」
フィリアが叫ぶ。
「…しかしフィリアはメカニックチーフで参加するわけか。まあ、なんだ。お前も相当に出世したな。たしか引き抜かれたんだろう? 連邦にいたころより給料だって――」
「デイヴ! 四方山はもう止めようよ。僕は、君を誘いに来たんだ」
デイヴは口を噤んだ。フィリアの様子が思いのほか真剣味を帯び始めてきたからである。
「君は、今のままの境遇で本当にいいの! 軍を抜けて、こんな辺境で夢も希望もない人生を続けるの! ここは空気も悪いし、人間だってみんな性根が薄汚い。
こんな、食べるために生きるのか生きるために食べるのか定まらないところにいれば、いつかきっと、デイヴは駄目になる!」
「もう充分駄目人間さ」
「だったら、これから立ち直ろうよ! 飲酒と放蕩と伊達気取りなんてすっぱり止めて、もっと、地に足付けて将来を考えることにしよう!」
「今の時代、地球は立ち入り禁止だぜ」
「だから、火星に行こうと言ってるんだよ! 火星には大地があるし、安定した職だってある!
調査団が解散した後のポストは僕が用意するし、君の借金だって、僕が立て替えるから、昔みたいに、僕と一緒にがんばろうよ!」
お前はなぜそうまでするんだ、という藪蛇を突っつくような言葉は飲み込んだ。デイヴィッドにはその理由を三つも四つも挙げることが出来るのである。
彼は他人の性情に深く立ち入りたくなかった。
真実であるとか、理想であるとかはぜいたく品で、物事を深く考えずにだらだらと上辺だけの人付き合いをしながら、残りの人生を死ぬほど退屈に暮らしたいと願っていた。
「返事は、早めにしないと駄目か?」
「出来れば、今日中にして。早くしないと、火星の位置が変わってシャトルじゃ行けなくなっちゃうから」
「それに」
フィリアは思いついたように言い、かすかに笑う。
「さっきの騒ぎで、君もここに居づらくなったでしょう?」
「…わかったよ。行くよ。行けばいいんだろ。ったく、お前にはかなわねえよ、フィリア」
デイヴィッドは観念した。どのみち、下宿にも財布にも金が無い一文無しの彼には、強情を張るという選択肢は無いのである。
「デイヴ、ありがとう!」
フィリアはぱっと咲くような笑顔を見せて、心底嬉しげに今後の計画をあれこれと語り始めた。
尋ねるデイヴ。その息はまだ荒い。
しかし、酔いはすっかり醒めたようだ。焦点の合った瞳でフィリアを見る。
「うん、単刀直入に言うよ」
疲れた表情のフィリア。長ったらしい前置きや、久闊を叙そうといった考えはもう無いらしい。
「実は、第七次調査団として火星に派遣されることになったんだけれど、MSパイロットの枠が一つ空いているんだ」
「テラ・フォーミングはもう終了したんだろ? 何でわざわざ調査団なんか送るんだよ?」
パイロット枠の件には触れず、デイヴは思いついた疑問を口にする。
「そういった視察も火星開発公社(ウチ)の仕事だからね。そのために連邦から資金援助も受けてるし。…まあ、ほかにも色々と事情がね。だからさ――」
「悪いが、他を当たってくれ」
即答のデイヴ。そして続ける。
「俺にそんな大層なご大役、向いてねえよ」
「デイヴ!」
フィリアが叫ぶ。
「…しかしフィリアはメカニックチーフで参加するわけか。まあ、なんだ。お前も相当に出世したな。たしか引き抜かれたんだろう? 連邦にいたころより給料だって――」
「デイヴ! 四方山はもう止めようよ。僕は、君を誘いに来たんだ」
デイヴは口を噤んだ。フィリアの様子が思いのほか真剣味を帯び始めてきたからである。
「君は、今のままの境遇で本当にいいの! 軍を抜けて、こんな辺境で夢も希望もない人生を続けるの! ここは空気も悪いし、人間だってみんな性根が薄汚い。
こんな、食べるために生きるのか生きるために食べるのか定まらないところにいれば、いつかきっと、デイヴは駄目になる!」
「もう充分駄目人間さ」
「だったら、これから立ち直ろうよ! 飲酒と放蕩と伊達気取りなんてすっぱり止めて、もっと、地に足付けて将来を考えることにしよう!」
「今の時代、地球は立ち入り禁止だぜ」
「だから、火星に行こうと言ってるんだよ! 火星には大地があるし、安定した職だってある!
調査団が解散した後のポストは僕が用意するし、君の借金だって、僕が立て替えるから、昔みたいに、僕と一緒にがんばろうよ!」
お前はなぜそうまでするんだ、という藪蛇を突っつくような言葉は飲み込んだ。デイヴィッドにはその理由を三つも四つも挙げることが出来るのである。
彼は他人の性情に深く立ち入りたくなかった。
真実であるとか、理想であるとかはぜいたく品で、物事を深く考えずにだらだらと上辺だけの人付き合いをしながら、残りの人生を死ぬほど退屈に暮らしたいと願っていた。
「返事は、早めにしないと駄目か?」
「出来れば、今日中にして。早くしないと、火星の位置が変わってシャトルじゃ行けなくなっちゃうから」
「それに」
フィリアは思いついたように言い、かすかに笑う。
「さっきの騒ぎで、君もここに居づらくなったでしょう?」
「…わかったよ。行くよ。行けばいいんだろ。ったく、お前にはかなわねえよ、フィリア」
デイヴィッドは観念した。どのみち、下宿にも財布にも金が無い一文無しの彼には、強情を張るという選択肢は無いのである。
「デイヴ、ありがとう!」
フィリアはぱっと咲くような笑顔を見せて、心底嬉しげに今後の計画をあれこれと語り始めた。
一話 終 二話に続く