錆色の大地から一転して、火星の北極冠は地球のそれと同じく辺り一面が万年雪で覆われている。
異なるのは表層がドライアイスであるということと、あちこちに塵や氷や砂などの混合物の層からなる深さ五百メートルほどの断崖があるということである。
ぐるりを見渡せば、その断崖は渦巻き状に広がっているのがわかる。
渦巻きの中心に一見して人の手によるものと判るすり鉢状の窪みがあった。直径百キロメートル、深さ二千メートルほどの窪みである。
いかなる作用によるものか、その窪みはドライアイスの層に覆われていない。
底の方は地面が剥きだしで、黒い土の上に薄い円筒型の建造物がちょこんと顔を出している。
調査団のカナリヤはその建造物に寄り添うように船体を横たえていた。
空は分厚い雲で灰色く染まり、昼間にもかかわらず辺りはほの暗かった。灰のような雪が音も無く降っている。
デイヴィッドは雪というものを実際に見るのは初めてであった。耳鳴りがするほど静かである。
静寂は不思議にも白い綿が淡々と舞い落ちる光景と調和し、あたかも時が静止しているような感覚を抱かせる。
その感覚は神秘的ともいえるが、デイヴィッドはどちらかといえば薄気味の悪さを感じていた。
途中まで随伴していたガンダムムウシコスは、入り口を塞いでいた瓦礫をビームであらかた一掃すると憎まれ口を叩いてカナリヤに戻ってしまった。
その帰り際に、ムウシコスは自身から伸びた細いケーブルをグワッシュに繋いだ。
カナリヤからの通信用ケーブルは既にぶら下げているので、どうもただの命綱とは違うようである。
今回の作戦でオペレーターを務めるフィリアに尋ねても、小難しい単語ではぐらかされるばかりで埒が明かない。
デイヴィッドはドーム・オデュッセイア内部へグワッシュを進ませながら、皮肉を込めて投げやりな口調で言った。
「カナリヤ一号、行きまーす」
『デイヴ、真面目にやってよ。スメッグヘッド博士だってモニターなさっていらっしゃるんだよ』
フィリアの声に続いて新たにウインドウが開いて、しかめ面のアルフ博士の顔が現れた。
「失礼致しました」デイヴィッドは反射的に謝った。博士はデイヴィッドの顔を睨みつけているきりで何も言わなかったが、デイヴィッドはことさら真剣な顔をしてみせた。
通路は広く、MSが楽々通れるゆとりがあった。MSは四百年前にも存在したのであろう。
ところどころに細かい瓦礫が散らばっているが、時代を感じさせるようなものは見あたらず、壁の構造も、旧式コロニーで見られるものと同種であると思われた。
通路は緩やかな下り坂であるので、先へ進むほど暗くなって行く。数百メートルほど進むと壁が途切れて、ちょっとした広間と思わしき空間に出た。
「磁気が強いみたいだ。レーダーが利かない」
『ちょっと待っててね』
機体パラメータ画面上に、毛色の違うウインドウが目まぐるしく重なったり消えたりを繰り返した後、インストール完了の文字が出る。
『ライトを最大にして、ぐるっと、辺りを見回してみて』
新たなサブウインドウが開かれて、光を当てた部分から順におそろしく精巧な三次元マップが表示されて行く。
気温やら気圧やら、やたらと事細かな情報も各地点に書いてある。そのサブウインドウの枠にあるG-MOUSIKOSという文字が目に留まった。
「オートマッピングか」
『凄いでしょ? えっと……ここから、ここのポイントに向かってちょうだい』
「まるで餓鬼の遊びだな」
デイヴィッドは三次元マップに表示された最適な進行ルートと目的地点のマーカーを見て思わず呟いた。
親切なのは結構であるけれども、グワッシュの劣悪なマッピング性能に慣れていた彼としては妙な気分であった。
暗闇の中へ恐る恐るグワッシュの足を運びながら、デイヴィッドはふと思いついた疑問を口にした。
「なあ、今のグワッシュならビーム使えるんじゃないか?」
『阿呆な事を抜かしておらんで、さっさと進め』
冗談の判らない上官である。デイヴィッドは後ろ髪を引かれる思いで口を閉じた。
目標ポイントにたどり着いて、指示されるままにその場所の瓦礫をスコップで取り除けると、瓦礫の下から見たこともない種類の大型端末が姿を現した。
『デイヴ、次はムウシコスのケーブルのソケットをその端末に接続して』
ほとんど遺跡とも呼べる端末であるが、端子の規格は同じようであった。開発公社が周到に準備を行っていたことが窺える。
デイヴィッドは言われるがままグワッシュのバックパックに繋がれたケーブルを外して、ソケットを端末に差し込んだ。
三次元マップが消えて、いつもの粗悪なマップが表示される。
『第一解除コード入力までしばらくかかるから、そこでじっと待機していてね』
フィリアが迂闊なことを口走るのと同時にアルフ博士の顔が強張った。デイヴィッドはまるで聞いていないというふうに目を瞑った。
白い部屋であった。壁も、天井も、照明も、唯一の家具である寝台も、ことごとく白で揃えられていた。
窓は無かった。音も無かった。人もいなかった。十二ある寝台の主が戻って来なくなって久しかった。
十三番目の、のけ者にされたような配置にある寝台に自分は坐っていた。
不意に肩を叩かれた。それで、部屋に人が入っていたのがわかった。入室者は背が高く、ひょろひょろと痩せた男であった。
男はおもむろにこちらの側頭部に両手を伸ばした。何かが外された。すうとした清涼味のある開放感が目の奥を駆け巡った。
まるでその感じは、つるりと窄み抜けていくようなものであった。冴え渡る快味は小止みもなく広がり続けた。ついには寒気を帯びて来た。
冷気をついて一抹のざらざらした心地を感じた。目の前に立っていた男が、はぁっはぁっ、とすさまじく荒い呼吸をしながら少女を組み敷いていた。
少女の首から上は霞んで見えなかった。しかしそれが自分であるということは知っていた。
背中から首の後ろにかけて生ぬるいものが無理に差し込まれる感触があった。込み上がるものが堪えられなくなる直前で、さっと雲散霧消した。
頭がぼんやりになっていた。外されたものが元のところに戻されていたのがわかった。
服は乱れていなかった。目の前の男は髭だらけの口元を歪めているにすぎなかった。
いつもならばここで男は立ち去るのであったが、今回は少し様子が違っていた。
「今日はね。キミに名前をあげようと思うんだ」
自分には名前というものがないので、その申し出は大変ありがたかった。十三号というのは名前であるとはいえないと男からも聞かされていた。
いつのことか、自分は誰かに名前を呼ばれていたことがあったような気がしていた。
今まで蒸し返し味わってみていた何ともいえぬその心地よさが現実に得られるとなれば、先ほどの不愉快な思いも苦ではなかった。
男に手を引かれてたどり着いた先では、大きな人形が寝そべっていた。背の高い男より、何倍も何倍も大きい白い人形であった。
「Doll DA――今日からキミは、ドルダだ」
ようやく、自分は欲しかったものを手に入れることが出来た。しかしそれでまず味わったのは、想像していたほどの幸せでないどころか、途方もない空しさであった。
『馬鹿者! アンカーを打てと言ったろうが!』
デイヴィッドは老人の怒鳴り声でようやく我に返った。見れば幾重もの巨大なシャッターが開放され、内部の空気が気圧差でどっと押し寄せて来ている。
グワッシュはその重量にもかかわらず紙切れの如くひらひらと吹き飛んで、同じく舞い上がる瓦礫にもみくちゃにされていた。
『デイヴ! 応答してデイヴ!』
目じりに大粒の涙を溜めたフィリアが必死の様子で叫んでいる。機体パラメータ画面には所狭くエラーが表示され、AMBACもままならない。
やっとのことで壁の出っ張りにしがみ付くが、飛んで来る瓦礫が左腕のチョバムアーマーを爆発させる。
僥倖にもその後すぐに吹き付ける風は収まり始めたので、MS本体に目立った損傷は生じなかった。
『なに、やってるのさ! ばか! 甲斐性なし!』
「なあに、かえって動きやすくなった」
追加装甲の剥がれた左腕を回して強がってはみたけれども、明らかに失態である。査定に響くであろう。
『いったい君は、こんなことでなにしてんです!』
白昼夢を見ていたなどとは、言い訳にもならない。プロ意識云々以前に、夢の内容からして条例に触れてしまう。
デイヴィッドは柄にも無く平謝りしつつ、絡まったケーブルやらなにやらを直し始めた。
隔壁を抜けるとそこは市街地であった。街路灯のものと思われる明かりが見えた。
新たに構築された三次元マップには、高さ五十メートルほどの天井の下に直方体の建物が碁盤割りで広がっている。
大まかな構造はこの間まで暮らしていた居住小惑星と似たようなものである。
デイヴィッドは拍子抜けした。四百年もの年月を経た遺跡の姿は想像していたほど奇怪なものではなく、見慣れたコロニーの夜景とほとんど変わりない。
すこしばかりの騒音を立てれば、寝ていて起こされた住人が今に怒鳴り込んで来るように思えたが、計器に表示される気圧や気温はそこに生きている人間が存在しないことを示している。
解除コード入力のおかげか電源はそれなりに生き返ったが、太陽光入射機能は停止しているので辺りは暗い。
建物の壁や道路の舗装をライトで照らすと、そこにおびただしい霜がこびり付いているのがわかった。
もし今ここでドームの機能が完全に息を吹き返したのなら、内部は惨憺たる様相を呈すであろう。電源を抜いた冷凍庫の中身は悲惨である
異なるのは表層がドライアイスであるということと、あちこちに塵や氷や砂などの混合物の層からなる深さ五百メートルほどの断崖があるということである。
ぐるりを見渡せば、その断崖は渦巻き状に広がっているのがわかる。
渦巻きの中心に一見して人の手によるものと判るすり鉢状の窪みがあった。直径百キロメートル、深さ二千メートルほどの窪みである。
いかなる作用によるものか、その窪みはドライアイスの層に覆われていない。
底の方は地面が剥きだしで、黒い土の上に薄い円筒型の建造物がちょこんと顔を出している。
調査団のカナリヤはその建造物に寄り添うように船体を横たえていた。
空は分厚い雲で灰色く染まり、昼間にもかかわらず辺りはほの暗かった。灰のような雪が音も無く降っている。
デイヴィッドは雪というものを実際に見るのは初めてであった。耳鳴りがするほど静かである。
静寂は不思議にも白い綿が淡々と舞い落ちる光景と調和し、あたかも時が静止しているような感覚を抱かせる。
その感覚は神秘的ともいえるが、デイヴィッドはどちらかといえば薄気味の悪さを感じていた。
途中まで随伴していたガンダムムウシコスは、入り口を塞いでいた瓦礫をビームであらかた一掃すると憎まれ口を叩いてカナリヤに戻ってしまった。
その帰り際に、ムウシコスは自身から伸びた細いケーブルをグワッシュに繋いだ。
カナリヤからの通信用ケーブルは既にぶら下げているので、どうもただの命綱とは違うようである。
今回の作戦でオペレーターを務めるフィリアに尋ねても、小難しい単語ではぐらかされるばかりで埒が明かない。
デイヴィッドはドーム・オデュッセイア内部へグワッシュを進ませながら、皮肉を込めて投げやりな口調で言った。
「カナリヤ一号、行きまーす」
『デイヴ、真面目にやってよ。スメッグヘッド博士だってモニターなさっていらっしゃるんだよ』
フィリアの声に続いて新たにウインドウが開いて、しかめ面のアルフ博士の顔が現れた。
「失礼致しました」デイヴィッドは反射的に謝った。博士はデイヴィッドの顔を睨みつけているきりで何も言わなかったが、デイヴィッドはことさら真剣な顔をしてみせた。
通路は広く、MSが楽々通れるゆとりがあった。MSは四百年前にも存在したのであろう。
ところどころに細かい瓦礫が散らばっているが、時代を感じさせるようなものは見あたらず、壁の構造も、旧式コロニーで見られるものと同種であると思われた。
通路は緩やかな下り坂であるので、先へ進むほど暗くなって行く。数百メートルほど進むと壁が途切れて、ちょっとした広間と思わしき空間に出た。
「磁気が強いみたいだ。レーダーが利かない」
『ちょっと待っててね』
機体パラメータ画面上に、毛色の違うウインドウが目まぐるしく重なったり消えたりを繰り返した後、インストール完了の文字が出る。
『ライトを最大にして、ぐるっと、辺りを見回してみて』
新たなサブウインドウが開かれて、光を当てた部分から順におそろしく精巧な三次元マップが表示されて行く。
気温やら気圧やら、やたらと事細かな情報も各地点に書いてある。そのサブウインドウの枠にあるG-MOUSIKOSという文字が目に留まった。
「オートマッピングか」
『凄いでしょ? えっと……ここから、ここのポイントに向かってちょうだい』
「まるで餓鬼の遊びだな」
デイヴィッドは三次元マップに表示された最適な進行ルートと目的地点のマーカーを見て思わず呟いた。
親切なのは結構であるけれども、グワッシュの劣悪なマッピング性能に慣れていた彼としては妙な気分であった。
暗闇の中へ恐る恐るグワッシュの足を運びながら、デイヴィッドはふと思いついた疑問を口にした。
「なあ、今のグワッシュならビーム使えるんじゃないか?」
『阿呆な事を抜かしておらんで、さっさと進め』
冗談の判らない上官である。デイヴィッドは後ろ髪を引かれる思いで口を閉じた。
目標ポイントにたどり着いて、指示されるままにその場所の瓦礫をスコップで取り除けると、瓦礫の下から見たこともない種類の大型端末が姿を現した。
『デイヴ、次はムウシコスのケーブルのソケットをその端末に接続して』
ほとんど遺跡とも呼べる端末であるが、端子の規格は同じようであった。開発公社が周到に準備を行っていたことが窺える。
デイヴィッドは言われるがままグワッシュのバックパックに繋がれたケーブルを外して、ソケットを端末に差し込んだ。
三次元マップが消えて、いつもの粗悪なマップが表示される。
『第一解除コード入力までしばらくかかるから、そこでじっと待機していてね』
フィリアが迂闊なことを口走るのと同時にアルフ博士の顔が強張った。デイヴィッドはまるで聞いていないというふうに目を瞑った。
白い部屋であった。壁も、天井も、照明も、唯一の家具である寝台も、ことごとく白で揃えられていた。
窓は無かった。音も無かった。人もいなかった。十二ある寝台の主が戻って来なくなって久しかった。
十三番目の、のけ者にされたような配置にある寝台に自分は坐っていた。
不意に肩を叩かれた。それで、部屋に人が入っていたのがわかった。入室者は背が高く、ひょろひょろと痩せた男であった。
男はおもむろにこちらの側頭部に両手を伸ばした。何かが外された。すうとした清涼味のある開放感が目の奥を駆け巡った。
まるでその感じは、つるりと窄み抜けていくようなものであった。冴え渡る快味は小止みもなく広がり続けた。ついには寒気を帯びて来た。
冷気をついて一抹のざらざらした心地を感じた。目の前に立っていた男が、はぁっはぁっ、とすさまじく荒い呼吸をしながら少女を組み敷いていた。
少女の首から上は霞んで見えなかった。しかしそれが自分であるということは知っていた。
背中から首の後ろにかけて生ぬるいものが無理に差し込まれる感触があった。込み上がるものが堪えられなくなる直前で、さっと雲散霧消した。
頭がぼんやりになっていた。外されたものが元のところに戻されていたのがわかった。
服は乱れていなかった。目の前の男は髭だらけの口元を歪めているにすぎなかった。
いつもならばここで男は立ち去るのであったが、今回は少し様子が違っていた。
「今日はね。キミに名前をあげようと思うんだ」
自分には名前というものがないので、その申し出は大変ありがたかった。十三号というのは名前であるとはいえないと男からも聞かされていた。
いつのことか、自分は誰かに名前を呼ばれていたことがあったような気がしていた。
今まで蒸し返し味わってみていた何ともいえぬその心地よさが現実に得られるとなれば、先ほどの不愉快な思いも苦ではなかった。
男に手を引かれてたどり着いた先では、大きな人形が寝そべっていた。背の高い男より、何倍も何倍も大きい白い人形であった。
「Doll DA――今日からキミは、ドルダだ」
ようやく、自分は欲しかったものを手に入れることが出来た。しかしそれでまず味わったのは、想像していたほどの幸せでないどころか、途方もない空しさであった。
『馬鹿者! アンカーを打てと言ったろうが!』
デイヴィッドは老人の怒鳴り声でようやく我に返った。見れば幾重もの巨大なシャッターが開放され、内部の空気が気圧差でどっと押し寄せて来ている。
グワッシュはその重量にもかかわらず紙切れの如くひらひらと吹き飛んで、同じく舞い上がる瓦礫にもみくちゃにされていた。
『デイヴ! 応答してデイヴ!』
目じりに大粒の涙を溜めたフィリアが必死の様子で叫んでいる。機体パラメータ画面には所狭くエラーが表示され、AMBACもままならない。
やっとのことで壁の出っ張りにしがみ付くが、飛んで来る瓦礫が左腕のチョバムアーマーを爆発させる。
僥倖にもその後すぐに吹き付ける風は収まり始めたので、MS本体に目立った損傷は生じなかった。
『なに、やってるのさ! ばか! 甲斐性なし!』
「なあに、かえって動きやすくなった」
追加装甲の剥がれた左腕を回して強がってはみたけれども、明らかに失態である。査定に響くであろう。
『いったい君は、こんなことでなにしてんです!』
白昼夢を見ていたなどとは、言い訳にもならない。プロ意識云々以前に、夢の内容からして条例に触れてしまう。
デイヴィッドは柄にも無く平謝りしつつ、絡まったケーブルやらなにやらを直し始めた。
隔壁を抜けるとそこは市街地であった。街路灯のものと思われる明かりが見えた。
新たに構築された三次元マップには、高さ五十メートルほどの天井の下に直方体の建物が碁盤割りで広がっている。
大まかな構造はこの間まで暮らしていた居住小惑星と似たようなものである。
デイヴィッドは拍子抜けした。四百年もの年月を経た遺跡の姿は想像していたほど奇怪なものではなく、見慣れたコロニーの夜景とほとんど変わりない。
すこしばかりの騒音を立てれば、寝ていて起こされた住人が今に怒鳴り込んで来るように思えたが、計器に表示される気圧や気温はそこに生きている人間が存在しないことを示している。
解除コード入力のおかげか電源はそれなりに生き返ったが、太陽光入射機能は停止しているので辺りは暗い。
建物の壁や道路の舗装をライトで照らすと、そこにおびただしい霜がこびり付いているのがわかった。
もし今ここでドームの機能が完全に息を吹き返したのなら、内部は惨憺たる様相を呈すであろう。電源を抜いた冷凍庫の中身は悲惨である
「あー、文化財を一体発見。指示を求む。状態は……FDAに抗議文を送ってくれ。屠殺業者の忘れ物らしい」
霜に覆われた赤黒い塊が道路の真ん中に落ちていた。宇宙空間でのそれと異なり保存状態は芳しくない。
茶色く染まった合成繊維の切れ端の下に、黄ばんだ白い部分があちこち露出しているのと、そこだけ色あせていない蛍光色の毛髪が目に障った。
ドームの温度調節機能が停止するまでに数ヶ月の猶予があったことが察せられる。
『そんなものに用はない。先へ進め』
青ざめた顔で口元を覆っているフィリアに代わってアルフ博士が淡々と指示を出した。いかにも眼中に無いといった感じである。
デイヴィッドは連邦軍に居た頃にこうしたものを見慣れていたのであったが、思わず口を滑らせた。
「墓暴きの身としましては、呪いやら何やらが恐ろしくて堪らないんですがね。フィリア、この機体のシールは万全か? えたいの知れんウイルスに感染するくらいなら疝気のほうがよっぽど粋だぜ」
『デイヴィッド・リマー、我々に無駄口を叩いている時間はない』
「言うべきことも言わんあなた様がそう仰いますか? 小賢しい仕方で片棒担がせようって魂胆はとっくにわかってんだ。ことごとくが空々しいんだよ、あんた達の言うことはな」
『デイヴ!』
デイヴィッドはフィリアの慌てた声を聞いて口を噤んだ。モニターのアルフ博士は眉間に皺を寄せて、不遜なパイロットを睨みつけている。
デイヴィッドは暫しの間睨み合いを続けると、チッ、とこれ見よがしに舌打ちをしてから白々しく謝罪した。
デイヴィッドは不愉快であった。気が苛立っている理由は自身でもはっきりわかっていた。先ほどの白昼夢である。
考えまいとするほどに夢の内容はくっきりと輪郭を帯びて行き、グワッシュを進ませていながらも、不意にその光景が脳裏を掠めることが幾度と無くあった。
道中、赤黒い塊をしばしば目にしたが、何ら感慨は湧かなかった。そんなものよりも目標地点へ近づくにつれて増して行く、言い知れぬ気持悪さに吐き気を催した。
グワッシュは市街地を真っ直ぐ進んで、コントロールタワーにたどり着いた。以前と同じ要領でMS用ゲートを開き、下の階層に向かうエレベーターを予備電源で起動させた。
ケーブルは既に十キロメートルほど引き出されている。それなりに細くて軽いケーブルであるが、グワッシュの馬力で引き摺るにはそろそろ限界である。
調査の終りを思うと一息付きたくなるが、中枢ユニットへの扉を前にしてデイヴィッドは今にも泣き言を吐いてしまいたい心地であった。
目玉の裏側にざらついた引っ掛かりが生じている。瞽女声(ごぜごえ)を偲ばすような耳鳴りがしていた。気分はよりいっそう酷いことになっている。
ムウシコスからの解除コード入力が済んでシャッターが開くと、隙間から白いガスが噴出してグワッシュの視界を覆った。
ガスが晴れる間際、白昼夢の最後の場面が瞬間的に再生され、その一瞬間、ぶれるように現実の光景と重なった。
『これは、MS……』
目を向けると、巨大な中枢ユニットの前に一機のMSらしきものがぽつねんと立っていた。
純白の機体である。女性を思わせる、すらりとした形状のMSである。各部の構造はこれまで見たどのMSにも当てはまらない。
武器の類は一切装備していないようである。腕の先にあるのはレンズのようなものの付いた手の甲だけで、マニピュレータは見えない。
顔を覆う大型バイザーの上には、ガンダムタイプに似たV字型アンテナが生えている。
「どうだ爺さん、これで満足か? あんたのご希望通りオーパーツが見つかったぜ。畜生が。新品同然の小奇麗なお人形さんだ。この――」
ドルダ、と続けようとしているのに気付いて、デイヴィッドは愕然とした。
なぜ自分は目の前に立つ初対面のMSの名前を知っていて、さも当たり前のように口に出そうとしたのかわからなかった。
デジャビュの類にしては行きすぎている。加えて、そのMSの姿は白昼夢の最後の場面に登場するMSと瓜二つである。
デイヴィッドは咄嗟にこの既知感を解明しようと頭をめぐらせた。贋の追想と心理学で呼ばれている現象であるとも考えられた。
それは極端な疲労や虚脱などの状態に置かれた人間に起こりうる現象で、記憶だけが自動的に意識より先に出るために云々という原理からなっている。
けれどもその場合、既知感だけがあって、決してその原因を想起出来ないのが特徴である。残念ながら、先から白昼夢の内容に悩まされていたデイヴィッドには当てはまらない。
あの奇妙な白昼夢の記憶それ自体も、自身が瞬間的に行った妄想の産物であるかもしれないが、そうとなればいよいよ自分の脳味噌は酒の毒に蝕まれ切ったことになる。
『こいつ、動くぞ』
老人の声にデイヴィッドは引きつった顔を上げた。純白のMSは勝手に起動を始めて、あたかも痙攣する人間のようにその肢体を小刻みに震わせていた。
不可解にも光のラインが装甲の継ぎ目に走っている。エメラルドの輝きを連想させる緑色の光は、これと言った理由も無しに嫌悪感をかきたてた。
デイヴィッドは自然とグワッシュに高周波スコップを構えさせた。失われた超科学の産物に勝てるとは露も思わないが、妙な真似を見せたらば即刻飛び掛る心積もりでいた。
バイザーが引き上がり、ツインアイが露出した。いよいよガンダムに類似している。グワッシュの腰を落とし、いつでも突撃出来る体勢を整えた。
フィリアやアルフ博士が何やら喚いているのを聞き流す。
目の前のガンダムもどきを今のうちに破壊しておかなければ、何か取り返しの付かないことになるかもしれない。そうデイヴィッドは感じたのである。
所有の許されないブラックテクノロジーであるばかりでなく、もっと禍々しい何かがあの機体に秘められているという予感があった。
デイヴィッドがスラスターにエナジーを送り込まんとした折りも折り、矢庭に純白のMSに走る光のラインが消え去った。
そうして途端に失神するようにがっくりとくず折れて、痛々しい体勢で床に身体を預けてしまった。
スコップの切っ先を向けたまま油断無く距離を詰めて行くと、純白のMSの腹部装甲がゆっくりと開いて、大人二人ぶんほどの大きさのカプセルが現れた。
胴体が横を向いた無理な体勢であったので、重力に従ってそのカプセルは音を立てて転げ落ちる。
デイヴィッドは慌ててグワッシュの手を伸ばしてそれを受け止めた。
カプセルの表側は透明な材質で作られているが、カメラの解像度を上げても中は曇っていて見えなかった。
「博士、この玉っころは何なんだ?」
『おそらくは冷凍睡眠カプセルであろう。当時の文献にも記載されておる』
そうこうしているうちに段々とその曇りも晴れて行って、カプセルの中身があらわになる。
飾り気の一切見当たらない白い服を着た少女が、死んだような表情で眠っていた。年のころ十四五と思われ、顔の作りは現代の人間のものと変わりない。
ただ、腰まで伸びるエメラルド色の髪が、当時行われていた遺伝子操作の名残をとどめていた。
「よりにもよって、生ものかよ」
苦々しくそう呟くのと同時に、少女の目がぱちりと開いた。カメラ越しに視線が重なったとき、デイヴィッドは目の奥にざらざらしたものが通り抜けるのを感じた。
大気中に漂う粉塵の多い日であった。ドーム・テーレマコス脇の連邦軍駐屯地の空は赤々として、まるで血で染め上げられたように見えた。
空の色よりもさらに鮮やかな赤で彩られた一機のMSが、基地の上空に静止していた。
肥大化した異形の頭部を持つ真紅の機体は両腕で大型ライフルを構えて、その長大な砲身の矛先を連邦軍基地の一郭へ向けていた。
見下ろされる基地の方では、上空の真紅の機体を取り囲むように配置された幾十もの数のMSがそれぞれ狙撃用ライフルで狙いをつけている。それらのMSはMSU-13ブッシュである。
基地に破壊の形跡は無かった。連邦軍基地のブッシュ隊に敵対しているのは、真紅のMSのみであると思われた。
『ベイト大佐、どういうつもりだ』
「故郷に錦を飾りたくなりましてね、少将閣下殿。ガンダムマルスの力は我らマーズノイドのためにこそ用いられるべきでしょう」
『火星の重力に中てられて先祖返りしたか、マスター・ベイト。だが、いかにガンダムといえども単機ではどうにもなるまい』
真紅の機体のコックピットに坐る男は唇の端を歪めるに過ぎなかった。
通信の相手に対するものとは別に表示されたウインドウには、三重冠を被って白い法衣を着た老人が、巨大な十字架の前に立って演説する場面が映し出されている。
この映像は火星の全ドームと火星圏の全コロニーに向けて放送されていた。
演説の主な内容は、マーズノイドの独立宣言と宇宙連邦政府への宣戦布告である。
「門は開かれました。去勢された人類が目覚めねばならぬ時がきたのです」
『狂信者が世迷い事を』
「水に落ちた犬を打たぬは人の子弟を誤る。狆はことに水中に打ち落としてさらに追い打たねばならぬ――古代の俚諺です。閣下を捕虜には致しません。
革命成就のために敢えて汚名を、この私、トマス金鍔次兵衛が!」
ビームスマートガンのレドームが回転を始める。ブッシュ隊がライフルの引き金に手をかけた。
『撃てば、貴様も死ぬぞ』
「我らが天主(デウス)
さんたくるすの御しるしをもて
我らが敵をのがしめ給え
天主ぱあてれ
ひいりよ すぴりつさんとの
御名をもて あめん」
男が奇妙な祈祷文を詠い終えたのと同時にウインドウに映る老人の演説も終了し、一拍置いてビームスマートガンからひとすじの赤い光が放たれた。
司令部のある建物の外壁が爆発した途端、ブッシュ隊の約半数の機体が、残る半数の味方に銃口を向けて引き金を引いた。彼らは示し合わせていたのである。
連邦軍のブッシュ隊は不意の裏切りになす術も無く破壊されて、同士討ちにもならなかった。
『ベイト大佐――いえ、トマス金鍔次兵衛枢機卿猊下。連邦軍施設の制圧および軌道上監視衛星の破壊は滞りなく進んでおります。あと数時間もすれば完了するでしょう。
火星連合加盟に同意を表明したドームは、現在のところ全体の約七割。異教徒の多いアルカディア地域などの新興ドーム郡は中立を主張しておりますが、それも時間の問題です』
「報告ご苦労、アンデレ権八郎」
アンデレ権八郎という青年の報告が済むと、ベイトは先ほど砲撃した建物にガンダムマルスのメインカメラを向けた。
派手な爆発とは裏腹に、建物の損傷自体は大したものではなかった。
外壁から内部の司令室にかけて、整った円形の穴が開き、そこから見える床のタイルに軽い焦げ付きがあるきりである。穴を塞ぐだけで司令室は機能を取り戻すであろう。
出力、照準ともにおそろしく精密なその射撃は、ガンダムマルスの性能の為せる業であった。
有無を言わせず連邦軍が徴用した火星の技術者たちが、たえ難きをたえしのび難きをしのんだ末に完成した好ましくない生い立ちの機体ではあるが、それがマーズノイドのものとなったならある種の英雄的色彩を帯びてくる。
裏切ったブッシュの中にはガンダムマルスを向いて祈るように両手を組んで跪いている機体や、大げさに十字を切る仕草をして見せる機体があった。
建物に空いた穴の横に、端末や内装の残骸、それから生身の人間が放り出されていた。気圧差で外に吸い出されたのである。
ベイトが少将閣下と呼んだ老人もそこに混じっている。彼らの直接の死因はマルスのビームによるものではなく、主に野外活動服を着ていないことによるものであった。
最期に顔を歪める余地があったのは、火星の半端なテラフォーミングが理由であろう。ベイトは胸に下げた十字架に手を触れて、
「いんぴいあんぱあしすゥ
えっぽろすぺりたちすゥ
じりがつなうすゥ
おむにぽてんす……」
という古代語の呪文を唱えた。スペースノイドの元同僚たちを弔う意味があったかはわからない。彼の表情は小揺るぎもしていなかった。
遡って老人の演説が行われる少し前、火星の成層圏を一機の大型輸送艦が飛行していた。ずんぐりとしたその赤色の輸送艦は、カナリヤの同型艦『テレウス』である。
無駄な区画の多いカナリヤとは違って多数のMSを搭載でき、現在、その広い格納庫には三十機ものMSが鎮座していた。
どれも同じ機種で、五機の内に一機の割合で重装備が施されている。
後頭部にある二本の垂直アンテナと前に突き出した額が印象的なそれらの機体はMAS-66ガーランドというMSである。
スマートな体躯と各所スラスターによって高い機動性と運動性を誇り、加えて整備性や操作性にも優れている総合的に見て非常に優秀なMSではあるが、火星ドーム郡のMS部隊でしか用いられていなかった。
ガーランドは本来、連邦軍の主力MSとなるべく開発された機体で、ドーム・テーレマコスの軍需企業を中心とした火星ドーム郡の軍産学複合体が開発元である。
けれども、ガーランドが同時期に開発されたMSの中でも抜きん出たスペックを持ち、模擬戦で全勝という成果を収めたにもかかわらず、新宇宙暦066年の次期主力MSトライアルの結果、MSU-13の座はブッシュのものとなった。
ブッシュは月の企業が開発したのである。
三十機のガーランドの中に一機だけ全身を黒く塗装した機体があった。頭部の形状も少し異なっている。
黒いガーランドのコックピットには、赤毛の男が瞑想するような面持ちで佇んでいた。
『レオ五郎右衛門隊長、玉音放送が始まったみたいです』
通信でレオ五郎右衛門と呼ばれて、赤毛の男は微かに目じりを震わした。レオ五郎右衛門というのは洗礼名である。
スペースノイドの彼がコンパニヤというマーズノイドの宗教に入信してから一年の月日が過ぎている。しかし珍妙な洗礼名には未だに慣れることが出来ないでいた。
部下にはなるべく元の名前で呼んでもらいたかったが、彼らは火星の独立にかこつけて、今では公然と互いの洗礼名を呼び合うようになっている。そこに悪意が感じられないだけに赤毛の男としては決まりが悪い。
『ああ! 教皇ペトロ四郎猊下はなんと神々しいお方なのでしょう。満ち満ちた霊(アニマ)が目に見えるようです』
画面にいるペトロ四郎の姿に部下は感極まる様子であったが、赤毛の男からしてみれば、その老人は柔和な顔立ちという以外には別に取りたてて言うべきこともない老人である。
赤毛の男は恍惚とする部下たちを窘めて、あらためて作戦内容を確認させた。作戦開始は演説が終るのと同時である。
船体下部のハッチが幾つも開いて、下半身を固定された逆さ吊りのガーランドが姿を現した。
『ゼスス・キリシテ、サンタ・マリヤ、サンチャゴ』
全パイロットの合唱が聞える。赤毛の男も控えめに祈りの文句を唱えた。
『ゼスス・キリシテ、サンタ・マリヤ、サンチャゴ』
下半身の固定装置が外された。重力に引かれたガーランドが順々に滑り落ち、下に広がる雲の中へと消えて行った。降下目標は北極冠遺跡である。
霜に覆われた赤黒い塊が道路の真ん中に落ちていた。宇宙空間でのそれと異なり保存状態は芳しくない。
茶色く染まった合成繊維の切れ端の下に、黄ばんだ白い部分があちこち露出しているのと、そこだけ色あせていない蛍光色の毛髪が目に障った。
ドームの温度調節機能が停止するまでに数ヶ月の猶予があったことが察せられる。
『そんなものに用はない。先へ進め』
青ざめた顔で口元を覆っているフィリアに代わってアルフ博士が淡々と指示を出した。いかにも眼中に無いといった感じである。
デイヴィッドは連邦軍に居た頃にこうしたものを見慣れていたのであったが、思わず口を滑らせた。
「墓暴きの身としましては、呪いやら何やらが恐ろしくて堪らないんですがね。フィリア、この機体のシールは万全か? えたいの知れんウイルスに感染するくらいなら疝気のほうがよっぽど粋だぜ」
『デイヴィッド・リマー、我々に無駄口を叩いている時間はない』
「言うべきことも言わんあなた様がそう仰いますか? 小賢しい仕方で片棒担がせようって魂胆はとっくにわかってんだ。ことごとくが空々しいんだよ、あんた達の言うことはな」
『デイヴ!』
デイヴィッドはフィリアの慌てた声を聞いて口を噤んだ。モニターのアルフ博士は眉間に皺を寄せて、不遜なパイロットを睨みつけている。
デイヴィッドは暫しの間睨み合いを続けると、チッ、とこれ見よがしに舌打ちをしてから白々しく謝罪した。
デイヴィッドは不愉快であった。気が苛立っている理由は自身でもはっきりわかっていた。先ほどの白昼夢である。
考えまいとするほどに夢の内容はくっきりと輪郭を帯びて行き、グワッシュを進ませていながらも、不意にその光景が脳裏を掠めることが幾度と無くあった。
道中、赤黒い塊をしばしば目にしたが、何ら感慨は湧かなかった。そんなものよりも目標地点へ近づくにつれて増して行く、言い知れぬ気持悪さに吐き気を催した。
グワッシュは市街地を真っ直ぐ進んで、コントロールタワーにたどり着いた。以前と同じ要領でMS用ゲートを開き、下の階層に向かうエレベーターを予備電源で起動させた。
ケーブルは既に十キロメートルほど引き出されている。それなりに細くて軽いケーブルであるが、グワッシュの馬力で引き摺るにはそろそろ限界である。
調査の終りを思うと一息付きたくなるが、中枢ユニットへの扉を前にしてデイヴィッドは今にも泣き言を吐いてしまいたい心地であった。
目玉の裏側にざらついた引っ掛かりが生じている。瞽女声(ごぜごえ)を偲ばすような耳鳴りがしていた。気分はよりいっそう酷いことになっている。
ムウシコスからの解除コード入力が済んでシャッターが開くと、隙間から白いガスが噴出してグワッシュの視界を覆った。
ガスが晴れる間際、白昼夢の最後の場面が瞬間的に再生され、その一瞬間、ぶれるように現実の光景と重なった。
『これは、MS……』
目を向けると、巨大な中枢ユニットの前に一機のMSらしきものがぽつねんと立っていた。
純白の機体である。女性を思わせる、すらりとした形状のMSである。各部の構造はこれまで見たどのMSにも当てはまらない。
武器の類は一切装備していないようである。腕の先にあるのはレンズのようなものの付いた手の甲だけで、マニピュレータは見えない。
顔を覆う大型バイザーの上には、ガンダムタイプに似たV字型アンテナが生えている。
「どうだ爺さん、これで満足か? あんたのご希望通りオーパーツが見つかったぜ。畜生が。新品同然の小奇麗なお人形さんだ。この――」
ドルダ、と続けようとしているのに気付いて、デイヴィッドは愕然とした。
なぜ自分は目の前に立つ初対面のMSの名前を知っていて、さも当たり前のように口に出そうとしたのかわからなかった。
デジャビュの類にしては行きすぎている。加えて、そのMSの姿は白昼夢の最後の場面に登場するMSと瓜二つである。
デイヴィッドは咄嗟にこの既知感を解明しようと頭をめぐらせた。贋の追想と心理学で呼ばれている現象であるとも考えられた。
それは極端な疲労や虚脱などの状態に置かれた人間に起こりうる現象で、記憶だけが自動的に意識より先に出るために云々という原理からなっている。
けれどもその場合、既知感だけがあって、決してその原因を想起出来ないのが特徴である。残念ながら、先から白昼夢の内容に悩まされていたデイヴィッドには当てはまらない。
あの奇妙な白昼夢の記憶それ自体も、自身が瞬間的に行った妄想の産物であるかもしれないが、そうとなればいよいよ自分の脳味噌は酒の毒に蝕まれ切ったことになる。
『こいつ、動くぞ』
老人の声にデイヴィッドは引きつった顔を上げた。純白のMSは勝手に起動を始めて、あたかも痙攣する人間のようにその肢体を小刻みに震わせていた。
不可解にも光のラインが装甲の継ぎ目に走っている。エメラルドの輝きを連想させる緑色の光は、これと言った理由も無しに嫌悪感をかきたてた。
デイヴィッドは自然とグワッシュに高周波スコップを構えさせた。失われた超科学の産物に勝てるとは露も思わないが、妙な真似を見せたらば即刻飛び掛る心積もりでいた。
バイザーが引き上がり、ツインアイが露出した。いよいよガンダムに類似している。グワッシュの腰を落とし、いつでも突撃出来る体勢を整えた。
フィリアやアルフ博士が何やら喚いているのを聞き流す。
目の前のガンダムもどきを今のうちに破壊しておかなければ、何か取り返しの付かないことになるかもしれない。そうデイヴィッドは感じたのである。
所有の許されないブラックテクノロジーであるばかりでなく、もっと禍々しい何かがあの機体に秘められているという予感があった。
デイヴィッドがスラスターにエナジーを送り込まんとした折りも折り、矢庭に純白のMSに走る光のラインが消え去った。
そうして途端に失神するようにがっくりとくず折れて、痛々しい体勢で床に身体を預けてしまった。
スコップの切っ先を向けたまま油断無く距離を詰めて行くと、純白のMSの腹部装甲がゆっくりと開いて、大人二人ぶんほどの大きさのカプセルが現れた。
胴体が横を向いた無理な体勢であったので、重力に従ってそのカプセルは音を立てて転げ落ちる。
デイヴィッドは慌ててグワッシュの手を伸ばしてそれを受け止めた。
カプセルの表側は透明な材質で作られているが、カメラの解像度を上げても中は曇っていて見えなかった。
「博士、この玉っころは何なんだ?」
『おそらくは冷凍睡眠カプセルであろう。当時の文献にも記載されておる』
そうこうしているうちに段々とその曇りも晴れて行って、カプセルの中身があらわになる。
飾り気の一切見当たらない白い服を着た少女が、死んだような表情で眠っていた。年のころ十四五と思われ、顔の作りは現代の人間のものと変わりない。
ただ、腰まで伸びるエメラルド色の髪が、当時行われていた遺伝子操作の名残をとどめていた。
「よりにもよって、生ものかよ」
苦々しくそう呟くのと同時に、少女の目がぱちりと開いた。カメラ越しに視線が重なったとき、デイヴィッドは目の奥にざらざらしたものが通り抜けるのを感じた。
大気中に漂う粉塵の多い日であった。ドーム・テーレマコス脇の連邦軍駐屯地の空は赤々として、まるで血で染め上げられたように見えた。
空の色よりもさらに鮮やかな赤で彩られた一機のMSが、基地の上空に静止していた。
肥大化した異形の頭部を持つ真紅の機体は両腕で大型ライフルを構えて、その長大な砲身の矛先を連邦軍基地の一郭へ向けていた。
見下ろされる基地の方では、上空の真紅の機体を取り囲むように配置された幾十もの数のMSがそれぞれ狙撃用ライフルで狙いをつけている。それらのMSはMSU-13ブッシュである。
基地に破壊の形跡は無かった。連邦軍基地のブッシュ隊に敵対しているのは、真紅のMSのみであると思われた。
『ベイト大佐、どういうつもりだ』
「故郷に錦を飾りたくなりましてね、少将閣下殿。ガンダムマルスの力は我らマーズノイドのためにこそ用いられるべきでしょう」
『火星の重力に中てられて先祖返りしたか、マスター・ベイト。だが、いかにガンダムといえども単機ではどうにもなるまい』
真紅の機体のコックピットに坐る男は唇の端を歪めるに過ぎなかった。
通信の相手に対するものとは別に表示されたウインドウには、三重冠を被って白い法衣を着た老人が、巨大な十字架の前に立って演説する場面が映し出されている。
この映像は火星の全ドームと火星圏の全コロニーに向けて放送されていた。
演説の主な内容は、マーズノイドの独立宣言と宇宙連邦政府への宣戦布告である。
「門は開かれました。去勢された人類が目覚めねばならぬ時がきたのです」
『狂信者が世迷い事を』
「水に落ちた犬を打たぬは人の子弟を誤る。狆はことに水中に打ち落としてさらに追い打たねばならぬ――古代の俚諺です。閣下を捕虜には致しません。
革命成就のために敢えて汚名を、この私、トマス金鍔次兵衛が!」
ビームスマートガンのレドームが回転を始める。ブッシュ隊がライフルの引き金に手をかけた。
『撃てば、貴様も死ぬぞ』
「我らが天主(デウス)
さんたくるすの御しるしをもて
我らが敵をのがしめ給え
天主ぱあてれ
ひいりよ すぴりつさんとの
御名をもて あめん」
男が奇妙な祈祷文を詠い終えたのと同時にウインドウに映る老人の演説も終了し、一拍置いてビームスマートガンからひとすじの赤い光が放たれた。
司令部のある建物の外壁が爆発した途端、ブッシュ隊の約半数の機体が、残る半数の味方に銃口を向けて引き金を引いた。彼らは示し合わせていたのである。
連邦軍のブッシュ隊は不意の裏切りになす術も無く破壊されて、同士討ちにもならなかった。
『ベイト大佐――いえ、トマス金鍔次兵衛枢機卿猊下。連邦軍施設の制圧および軌道上監視衛星の破壊は滞りなく進んでおります。あと数時間もすれば完了するでしょう。
火星連合加盟に同意を表明したドームは、現在のところ全体の約七割。異教徒の多いアルカディア地域などの新興ドーム郡は中立を主張しておりますが、それも時間の問題です』
「報告ご苦労、アンデレ権八郎」
アンデレ権八郎という青年の報告が済むと、ベイトは先ほど砲撃した建物にガンダムマルスのメインカメラを向けた。
派手な爆発とは裏腹に、建物の損傷自体は大したものではなかった。
外壁から内部の司令室にかけて、整った円形の穴が開き、そこから見える床のタイルに軽い焦げ付きがあるきりである。穴を塞ぐだけで司令室は機能を取り戻すであろう。
出力、照準ともにおそろしく精密なその射撃は、ガンダムマルスの性能の為せる業であった。
有無を言わせず連邦軍が徴用した火星の技術者たちが、たえ難きをたえしのび難きをしのんだ末に完成した好ましくない生い立ちの機体ではあるが、それがマーズノイドのものとなったならある種の英雄的色彩を帯びてくる。
裏切ったブッシュの中にはガンダムマルスを向いて祈るように両手を組んで跪いている機体や、大げさに十字を切る仕草をして見せる機体があった。
建物に空いた穴の横に、端末や内装の残骸、それから生身の人間が放り出されていた。気圧差で外に吸い出されたのである。
ベイトが少将閣下と呼んだ老人もそこに混じっている。彼らの直接の死因はマルスのビームによるものではなく、主に野外活動服を着ていないことによるものであった。
最期に顔を歪める余地があったのは、火星の半端なテラフォーミングが理由であろう。ベイトは胸に下げた十字架に手を触れて、
「いんぴいあんぱあしすゥ
えっぽろすぺりたちすゥ
じりがつなうすゥ
おむにぽてんす……」
という古代語の呪文を唱えた。スペースノイドの元同僚たちを弔う意味があったかはわからない。彼の表情は小揺るぎもしていなかった。
遡って老人の演説が行われる少し前、火星の成層圏を一機の大型輸送艦が飛行していた。ずんぐりとしたその赤色の輸送艦は、カナリヤの同型艦『テレウス』である。
無駄な区画の多いカナリヤとは違って多数のMSを搭載でき、現在、その広い格納庫には三十機ものMSが鎮座していた。
どれも同じ機種で、五機の内に一機の割合で重装備が施されている。
後頭部にある二本の垂直アンテナと前に突き出した額が印象的なそれらの機体はMAS-66ガーランドというMSである。
スマートな体躯と各所スラスターによって高い機動性と運動性を誇り、加えて整備性や操作性にも優れている総合的に見て非常に優秀なMSではあるが、火星ドーム郡のMS部隊でしか用いられていなかった。
ガーランドは本来、連邦軍の主力MSとなるべく開発された機体で、ドーム・テーレマコスの軍需企業を中心とした火星ドーム郡の軍産学複合体が開発元である。
けれども、ガーランドが同時期に開発されたMSの中でも抜きん出たスペックを持ち、模擬戦で全勝という成果を収めたにもかかわらず、新宇宙暦066年の次期主力MSトライアルの結果、MSU-13の座はブッシュのものとなった。
ブッシュは月の企業が開発したのである。
三十機のガーランドの中に一機だけ全身を黒く塗装した機体があった。頭部の形状も少し異なっている。
黒いガーランドのコックピットには、赤毛の男が瞑想するような面持ちで佇んでいた。
『レオ五郎右衛門隊長、玉音放送が始まったみたいです』
通信でレオ五郎右衛門と呼ばれて、赤毛の男は微かに目じりを震わした。レオ五郎右衛門というのは洗礼名である。
スペースノイドの彼がコンパニヤというマーズノイドの宗教に入信してから一年の月日が過ぎている。しかし珍妙な洗礼名には未だに慣れることが出来ないでいた。
部下にはなるべく元の名前で呼んでもらいたかったが、彼らは火星の独立にかこつけて、今では公然と互いの洗礼名を呼び合うようになっている。そこに悪意が感じられないだけに赤毛の男としては決まりが悪い。
『ああ! 教皇ペトロ四郎猊下はなんと神々しいお方なのでしょう。満ち満ちた霊(アニマ)が目に見えるようです』
画面にいるペトロ四郎の姿に部下は感極まる様子であったが、赤毛の男からしてみれば、その老人は柔和な顔立ちという以外には別に取りたてて言うべきこともない老人である。
赤毛の男は恍惚とする部下たちを窘めて、あらためて作戦内容を確認させた。作戦開始は演説が終るのと同時である。
船体下部のハッチが幾つも開いて、下半身を固定された逆さ吊りのガーランドが姿を現した。
『ゼスス・キリシテ、サンタ・マリヤ、サンチャゴ』
全パイロットの合唱が聞える。赤毛の男も控えめに祈りの文句を唱えた。
『ゼスス・キリシテ、サンタ・マリヤ、サンチャゴ』
下半身の固定装置が外された。重力に引かれたガーランドが順々に滑り落ち、下に広がる雲の中へと消えて行った。降下目標は北極冠遺跡である。