Sorrowless ◆R34CFZRESM
唯湖さんを見送った私は彼女にくるりと背を向けると元来た道を引き返していった。
赤い夕日に照らされた丘にそびえ立つ洋館――仮初めの信頼関係を結んだ仲間の元へと。
途中、後ろから彼女に襲われるような気がして背後に警戒しつつ歩いていたけどそれは杞憂だったみたい。
私は門の前に立って唯湖さんの姿を完全に消えたことを確認すると、どっと疲労感が押し寄せてきた。
「はあ……あの人といると神経使って疲れるよ……」
世界を冷めた視線で見つめる彼女――来ヶ谷唯湖。
全てを戯れと称し刹那的な快楽に身を委ねる彼女にとって生と死は等価値の物なのだろう。
友人の命も、知り合いの命も、そして自分の命さえも快楽という名の博打に賭けてしまえるのかもしれない。
私は命が惜しい。死にたくない。生き残るために、お兄ちゃんのために。だけど彼女にはそんな感情すらもない。
完全に私とは異質の存在。もっとも――私は自分自身がまともな人間だとは思ってはいないけど。
生き残るために力を欲し。
愛する兄のために力を欲し。
そして他者を食らう。
うん、私も十分に異常者だよね。でもそれが普通なんだよ。
今この世界でラブ&ピースを謳うほうがおかしいの。
ああ、まあでもお兄ちゃんラブは認めるけどね。
バジリスク号からこの島に飛ばされた時から私の世界を構成するレイヤーはがらりと変わってしまった。
この世界は間違っている。間違った世界で生きるためには世界を変えるか、自分を変えるか。
世界を変える――あの翼の男の人が作った
ルールを壊す。
自分を変える――自らをこの世界のルールに適応させる。
私が選んだのは後者だった。
適応して、進化して、この世界の食物連鎖の頂点に立たないといけない。
庭園の奥にそびえる屋敷のテラスには春夏さんとささらさんがいた。
二人はこちらに気づいているのだろうか。
あそこからは屋敷に入ろうとする私を簡単に蜂の巣にできてしまう。
二人が裏切れば足下に転がる木田さんと同じ末路を辿ってしまうだろう。
私はごくりと唾を飲み込んであの黒光りする巨大な銃の射程に踏み込もうとした時、聞き覚えのある声が周囲に響き渡った。
『さて、定刻となった。これから、この放送までに命を落とした者達を告げる――』
静かな声で男の人は名前を読み上げてゆく。
その中には私の知っている人がいた。
「明乃さん、やっぱり死んじゃった」
どこの誰か知らない人の糧になってしまった明乃さん。
でも悲しくなんかないよ。最後はどうせ死ぬんだから。――この私に食べられて。
後もう一人、お兄ちゃんの友達が死んでいた。
あの人は別にどうでもいい。あの人はたまに私のことをいやらしい目線で見ているんだもん。
さっさと死んでせいせいするよ。
そして何より私が楽しみにしていたのはある人の名前が呼ばれたこと。
柚原このみ――
そう、春夏さんの娘さん。
春夏さんは彼女のために私と手を組んだんだから。
唯湖さんですら一目置いていた大人の女性。でも、娘さん死んじゃったよ?
それでも私といっしょに戦ってくれるのか楽しみだなあ。あははっ。
ダメだよ私を裏切ったら?
最後の日まで一緒に戦ってくれないとね?
……あれえ? どうしたのかな春夏さん。そんなところに座り込んじゃって。
ダメだよ。立って、立ち上がって戦う意志を私にみせてくれないと。
ほぉら立って?
……はぁ。ささらさんまで何をやってるのかな。
私は二人にそんなこと一つも望んでいないんだよ?
……あーあ。ダメだなぁ、本当にダメダメだよあの二人。
その程度で戦う意志を放棄するの?
自分を変えることを放棄して世界を変えるなんておこがましいんだよ。
ちゃんと進化、しようよ。ねえ?
私は門の陰に身を隠してテラスの様子をじっと伺っていた。
でも、結局二人は戦う意志を最後まで見せてくれなかった。
そして――屋敷の扉が開かれ春夏さんとささらさんが姿を現した。
二人はこちらに向かって歩いてくる。ああ……この屋敷の外に出るんだね。
本当にあの人たちったら……
■
「あ~あ、やっぱり悪いことはするもんじゃないわねえ……神さまはなんでもお見通し、私の悪事もみぃんなまるっとお見通しね。うふっ」
春夏はテラスのフェンスに背中を預けると寂しげな笑みを浮かべて天を仰いだ。
夜の帳が下りようとしている空は深い群青に覆われて、西の空には海の向こうに沈んだ太陽の残り香が広がっていた。
ちらりと視線を屋敷の門に移すと薄暗がりのなかに人影のような物が倒れていた。
全身を鉛の飛礫で貫かれ頭を叩き割られた少年の死体。
それが彼女のわるいこと。
その対価は彼女の全てを支払ってなおも支払いきれない大切なものだった。
「覚悟決めてここまでしたってのにいきなりつまずいちゃった」
ほんのつい数分前のことだった。
どこからともなく聞こえてきた男の声。
屋敷の外にいても中にいてもはっきりと聞こえたそれは死者の名を読み上げる。
柚原このみ。
春夏はその名前を聞くと力ない笑みを浮かべるだけだった。
愛する人との間にもうけた最愛の一人娘。
16年間愛情を注ぎに注いで育ててきた愛娘。
母の非情な決意を嘲笑うかのように、世界は娘を早々に連れ去ってしまっていた。
もう二度と手の届かない場所へ――
「私ってほんとバカ……馬鹿だわ」
俯いて、くすりと自嘲の笑みを浮かべる春夏。
その傍らに立つささらはかけるべき言葉が何も見つからなかった。
「ごめんねささらちゃん。春夏さんもう生きる意味も目的もなくなっちゃった。あはは」
明るい口調で乾いた笑みだけを浮かべて春夏は蹲る。
涙は出ない、悲しみもない。
ただあるのは後悔と絶望だけ。
真冬の寒空のように凍えきった春夏の心は涙を流す気力も失わせていた。
「春夏さん……」
「ちょっとそれ、私のほうへ向けてくれない?」
力なく伸ばした指の先には鈍く光る金属の塊。
巨大なそれはひとたび引き金を引けば周囲に圧倒的な暴力をまき散らすだろう。
「何を、言っているんですか……」
「私にそれの銃身を向けて引き金を引くだけの誰にでもできる簡単な作業よ? ちょっとテラスのお掃除が大変になるかもしれないけど」
「だから! 何を言っているんですかっ!」
それが何を意味しているかささらも十分理解している。
至近距離で引いてしまえば門の前の少年よりも酷いことになる。
きっと弾けた西瓜のようにテラスに春夏だった肉塊を撒き散らすだろう。
「決まってるじゃない。私はこのみの所にいける。あなたは足手まといの元・相棒を始末できる。後は……」
春夏は人差し指を顎に当て「うーん」と考えた後、少女のように微笑んで言った。
「あなたは人を殺す事への覚悟のを学べる。かな? ささらちゃん、あなたの目的はなあに?」
「それ、は……」
「なら、やるべきことは一つ。でしょう?」
春夏の言うことに間違いはない。
所詮二人の関係はいずれ破棄されるためにある同盟関係。
目的のためにいつかお互い殺し合わねばいけない。
その時期が少し早まっただけだけ。そう、これはチャンスなのだ。
ささらは自分に言い聞かせてテラスに鎮座するM134の銃座に立った。
そして銃口を春夏に向ける。
銃口の先には春夏の姿。なんて哀しい顔で微笑んでいるのだろう。
後はこの引き金を引くだけで全てが終わる。否、始まるのだ。
そうこれは開幕を告げる合図。果て無き修羅への道を始めるための号砲。
カタカタと全身が震える。
あの少年を撃ったときのようなテレビの向こう側のような感覚ではない。
撃てば目の前で春夏は肉片を撒き散らす。それが春夏の言う殺人への覚悟。
ささらは震える手を抑えて引き金に指をかけ、そして――
「もうやめましょうよ……最初から私たちに人殺しなんて無理だったんですよ」
ささらはがっくりと膝をついて項垂れた。
結局、そんな覚悟なんてできなかったのだ。
「あら、身勝手な言い分ね。私たちはもうあの男の子を殺したのよ? もう後戻りなんてできないわ」
「身勝手なことなんてわかってます! でも……これから誰かを殺すたびにこんな思いをしなきゃならないなんて私耐えられないっ!」
顔を両手で覆いささらはすすり泣く。
こんなことを続けていてはいつかは心が壊れてしまう。
大切な人を護るためにささらが持とうとしていた最後の矜持まできっと失ってしまう。
心を無くした鬼にはなれない。なりたくなんてない。
「あの人を殺したから気づけたんですよ……人を殺すことへの痛みと恐怖を。
そんな当たり前の事に気づくためにあの人を犠牲にしたのは身勝手なんてものじゃないのはわかっています……」
「それじゃあ私はどうすればいいの……? このみを失った私にはもう何も残ってないわよ……」
一粒の大きな雫が春夏の頬を伝う。
無理なのだ。春夏を支えていた柱はとっくに折れてしまっていた。
まだ何も失っていないささらの言葉なんて届くわけがない、そのはずだった。
「春夏さんっあなたは大人でしょ! お母さんなんでしょっ! だったらこの島で道に迷って泣いている子どもたちを護ってやるとぐらい言ってください!
道を踏み外しそうな子どもたちを優しく諭し見守っていてください! そして――
どうしていいか分からなくて途方にくれている馬鹿な子どもの私の手を握りしめて……私を抱きしめて……っ……ぁぁぁ……」
ささらは感情を爆発させて泣き崩れる。
その姿は道に迷って一人泣き続ける一人の子供の姿。
どうすることもできない運命に翻弄された一人ぼっちの子供の助けの声。
「ささ、らちゃん……」
春夏の最愛の娘は死んだ。無情にも死んでいった。
だがこの島には今もなお子供たちが悩み戦い殺し合い、そして助けを求めながら死んでゆく。
それを大人である自分が、母親である自分が何もしないで命を投げ出していいのだろうか。
否、いいわけがない。
なぜなら目の前の少女は泣いている。
今、一人の子供が助けを求めて泣いている。
それに手を差し伸ばさず何が大人だ。何が母だというのだ――
「ふふ……子どもに叱咤されるなんて私ったら親失格ね……」
くすりと微笑む春夏。
枯れ果て、色を失っていた瞳に光が舞い戻る。
まだ――私はがんばれる。
「春夏さん……もう少しだけ頑張ってみようかしら」
「春夏っ……さん!」
「ふふっ……どこまで頑張れるかわからないけどね」
その言葉だけでささらは十分だった。
彼女は自分に手を差し伸ばしてくれた。
「ささらちゃんに一つだけお願い」
「なんです――あっ……」
ふわりとささらの身体を包み込む春夏。
そしてぎゅっとささらの身体を抱きしめる。
「今だけ……今だけでいいから――あなたをこのみと思って抱きしめさせて」
今にも泣き出しそうな声で春夏はそっと呟く。
ささらはこくりと静かに頷いた。
「このみ……なんでお母さんより先に……あああっ……」
娘の死を受け止めてから流す初めての涙。
一度溢れだした涙は止まらない。次から次へと止めどもなく涙があふれ出す。
娘を失った悲しみ、そして背負った罪をその涙に乗せて――
「このみ……ううっ……ぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ……」
ささらは幼子のように泣きじゃくる春夏の髪を撫でる。
その表情ははまるで母親のように優しい微笑みだった。
■
泣き腫らした赤い目で春夏は立ち上がる。その瞳にはもう迷いは無い。
「もういいんですか?」
「ええ、もう十分。これ以上めそめそしてたらこのみに怒られてしまうわよ」
「春夏さんは強いですね……私が同じ立場ならきっと――」
「母は強しってやつかしら? ふふっ。でも、本当はささらちゃんのおかげ。あなたが手を差し伸べてくれたから、私はまた頑張れる」
「春夏さん……」
「さて……いつまでもここにいられないわね。こわ~い女の子たちに私たちの居場所バレちゃってるもの」
「ちはやさん……戻ってきませんね……」
「そのほうが好都合よ、もうあの子と私たちは袂を分かったもの」
かろうじて春夏とささらは踏みとどまれた。
来ヶ谷唯湖と香月ちはやは違う。彼女たちを野に放ったけじめだけは取らなくてはならない。
それが春夏の唯一の――殺めた少年への罪滅ぼしだった。
「ところで……この銃どうしましょう? さすがに持ち運びは無理ですよ」
「そうね。ここに置いておくしかないわ。とりあえず弾だけ抜いておきましょう」
春夏たちは銃から弾薬を抜いてゆく。弾さえ無ければただの金属の塊でしかない。
「これでよしっと。ちはやちゃんが戻って来る前にスタコラサッサね」
「は、はい」
足早にテラスを下りて、色とりどりの花が咲き乱れた庭園を歩く春夏とささら。
庭園は月光に照らされて幻想的な光景を浮かび上がらせていた。
そして、その幻想の終点にある現実――二人の罪の証があった。
名も知らぬ少年の亡骸。彼女たちは彼を一瞥する。
二人はこの罪を一生背負うことを約束して新しい世界に一歩を踏み出した。
「二人とも、どこへ行くのかな?」
ふいに声をかけられた。にこやかな声色だった。
だがそれは二人にとって鉢合わせをしたくない相手――香月ちはやである。
彼女の手には先がぐにゃりと変形し、赤黒い物がこびりついた鈍色の
鉄パイプが握りしめられてた。
「よくないなぁ、こういうのは」
「ち、ちはや……さん」
思わずささらの声が上ずる。
最悪のタイミングだった。口調こそ穏やかだが明らかにちはやは不機嫌そうだ。
当然だろう、彼女は最後の一人になるための手段としてささら達と仮初めの同盟を結んでいた。
それをこちらから反故にしようとするのだから――
「そんな気はしないでもなかったんですよ。特にささらさんは私や唯湖さんのこと苦手にしてる感じでしたから」
まあ唯湖さんはわからなくもないかな? あの人、私以上にビョーキですから。厄介なことになる前に始末しておきたいのは私だって同じ」
ちはやは一息吐いて話を続ける。
そして先ほどよりもやや強い口調で口を開いた。
「でもですね……私とささらさんに何か違いありますか? 私はお兄ちゃんのため、あなたも大切な人のためにと目的は変わらない。
そんなに木田さんを顔色一つ変えずにこれで殴り殺したことが異常ですか? あなただって木田さんを蜂の巣にしてるくせに」
「それ、は――」
自分と一緒にするな――
ささらは思ったが言葉にできなかった。
「ちはやちゃん、単刀直入に言うわ。私たちもう殺しはやるつもりはないの。だからこのまま黙って春夏さんたちを黙って行かせてくれたなうれしいなって」
「正直だなぁ。春夏さん。あなたのこと好きになりそうですよ。下手に誤魔化すよりよっぽど好感持てます」
「あらどうも」
「だけど、それはあまりにも身勝手すぎますね。娘さんが死んで早速心変わりですか?」
「そうなのよねえ……春夏さん正義のママに目覚めちゃったの。ま、正義と名乗るにはちょっと汚れちゃったけど。うふふっ」
春夏は頬に手を当て笑う。その言葉に嘘偽りは無く春夏の本心であることはちはやも嗅ぎ取った。
そのストレートな言動にちはやは苦虫を噛みつぶしたような表情になる。
本当に食えない女だ――唯湖と違ったタイプの飄々とした態度でやりにくい相手だった。
「でも、それって私への裏切りですよね?」
「そう思ってもらっても構わないわ」
「そんなこと私が許すとでも思っているんですか」
「あら? こっちは二人、ちはやちゃんは一人。どう見てもちはやちゃんのほうが不利だと思うわよぉ」
一触即発の不穏な空気が二人の間に流れる。
そんな春夏とちはやの様子にささらは気が気でならなかった。
しかし、口を挟むわけにはいかない。そうすれば余計にややこしい事態になるのは目に見えている。
ここは春夏の交渉術に任せるしかないのだった。
「そうですね。普通なら私のほうが不利です。でも――春夏さんたちは私を殺す覚悟まではないでしょう?
春夏さんはともかくささらさんはまだそういうのに抵抗持ってそうですから。でも私は違いますよ? 私は二人を殺すことに躊躇なんてしませんから」
ちはやは唇を歪め邪悪に微笑む。これまで二人の人間を無慈悲に殴り殺しているのだ。今更戸惑いなんてない。
今、戦えば確実に春夏かささらのどちらかは死ぬだろう。
「私、春夏さんのこと好きですよ。だからできれば考え直して欲しいなと思うんですけど」
「それはお断りするわ」
「そうですか――それは仕方ないですね」
交渉決裂――いや、元より交渉などできる相手ではなかったのだ。それをここまで引き延ばしただけでも十分だろう。
(さあて、どうやってささらちゃんを逃がそうかしら……)
春夏もささらも丸腰。一方ちはやは鉄パイプを持っていて、おそらくまともに扱えないだろうが大型の拳銃を持っている。
正直八方塞がりの状況だった。春夏の表情に初めて焦りの色が表れる。
そして――ちはやがにいと唇を歪めて鉄パイプを振り上げる。
だが鉄パイプは春夏には振り下ろされず、ちはやはくつくつと笑っていた。
「あら、ちはやちゃんもいきなり心変わりかしら?」
攻撃をしてこないちはやは春夏にとっても予想外だった。それでも春夏は表面上は余裕を装う。
春夏はささらを見るがささらは無言で首を振るだけだった。
「ふふっ、私の目的は最後までお兄ちゃんを生き残らせること。でもその前に私が死んだら意味ありませんから。だから私は頼りになりそうな人を探しているんですよ?
誰彼かまわず殺して回ると勘違いしては困りますね。今春夏さんたちを殺しても私にはメリット一つもないですから」
「へえ……意外と冷静な判断できるのね。もっと殺人狂な女の子だと思っていたわ」
「それは唯湖さんでしょう? 私にとって殺人は目的でなく生き残るための手段ですから」
「それで、ちはやちゃんは私たちを黙って見逃してくれるのかしら?」
「まさか、そうしたら私一人になっちゃうじゃないですか? 唯湖さんの他にも純粋に殺人を楽しんでる人がいるかもしれないのに一人で行動なんてできっこないですよ。
だから、私もお二人に同行させてもらいます」
ちはやの予想外の申し出にささらは困惑する。
こんな危険人物と一緒に行動なんて到底受け入れられるわけがなかった。
「春夏さん!」
「ささらちゃんなあに?」
「まさか……彼女の言うことを受け入れるつもりですか!?」
「ええ、そのつもりよ」
「そんな……っ」
ささらは絶句する。一体この人は何を考えているんだろうと。
「いい、ささらちゃん? この申し出はちはやちゃんの出来うる最大限の譲歩よ。これを蹴ったらどうなるかわかるでしょう?」
「さすが春夏さんですね。話が早くて助かります」
この申し出を蹴れば完全に交渉決裂。今度こそちはやは二人を殺しにかかるだろう。
春夏にとっては予想外の譲歩案をちはやが自ら持って来てくれたのだ。これに乗らずにこの危機を乗り切る方法は無い。
元々主導権はちはやが握っている。そのちはやが譲歩してくれるのであれば万々歳だった。
「一つだけ約束してちょうだい。私たちが生きてる間は殺人を犯さないと」
「もちろん約束します。私だってわざわざ敵を増やすようなことはしたくありませんからね。敵は敵同士でつぶし合ってくれるのが一番ですから」
「く……そんなこと信じられるわけが……っ!」
相手はすでに二人をも人間を殺害してる人間。
そんな人間がそんなことを言ってもささらにとって信じられるわけがなかった。
ちはやはそんなささらの態度を見ると呆れるような表情で肩をすくめる。そしてあからさまに見下した視線をささらに投げかけながら言った。
「ささらさんって聡明なように見えて、存外飲み込みが悪いんだなぁ」
「なんですって……」
「あなたが今、生きていられるのは誰のおかげかなぁ?ってことですよ。本当ならそこで転がってる木田さんのようになってもおかしくないんですから」
血で汚れた鉄パイプでささらの背後に転がる死体を指し示してちはやは嘲笑う。
「そういうこと。この場はちはやちゃんのほうが立場が上。春夏さんたちに拒否権はないのよね」
「わかり、ました……」
春夏にそこまで言われてはこれ以上食い下がっても意味がない。
ささらは渋々ちはやに従うことにした。
「話は決まったようですね。ではよろしくお願いします。ささらさん。至らない点は遠慮なく指摘してほしいです」
白々しい口調で挨拶し、わざとらしくぺこりと挨拶するちはやだった。
当面の危機は去ったが獅子身中の虫を飼う羽目になった春夏とささら。
春夏は仕方のないことだと割り切れていたが、ささらはまだ納得出来ていないといった様子だった。
「ところで一つ聞きたいことがあるんだけど」
「何ですか?」
「もしちはやちゃんよりも先に『お兄ちゃん』が死んでしまったらどうするの?」
「その時は私が生き残るだけですよ。少なくとも私の心の中で兄ちゃんは永遠に生きていられますから」
「はぁっ……最近の子って歪んでるわねぇ」
「褒め言葉として受け取っておきますよ。それと春夏さん」
「なに?」
「私からも一つだけ忠告。次に唯湖さんと再会したときは問答無用で殺しにかかってくださいね。彼女にこんな茶番劇通用しないと思いますから」
「あらあら、ちはやちゃんともあろう人が彼女を怖がっているのかしら?」
「ええ、怖いですよ? 見送ってる途中何度殺されると思ったか。彼女の姿が見えなくなるまでずっと、ずっと」
ちはやは純粋に唯湖に恐怖していた。
一見すると自分よりもまともに見える言動に見え隠れする底知れぬ狂気。
きっと再び会えば一片の慈悲も無く、嬉々として自分たちを狩りに来るだろう。
「だってあの人はバケモノですから。私と違って」
【時間:1日目19:00ごろ】
【場所:H-6】
柚原春夏
【持ち物:水・食料一日分】
【状況:健康】
久寿川ささら
【持ち物:水・食料一日分】
【状況:健康】
香月ちはや
【持ち物:鉄パイプ、フェイファー・ツェリザカ(4/5)、予備弾×50、水・食料一日分】
【状況:健康】
最終更新:2011年09月30日 19:25