ヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェクの地平 ◆Sick/MS5Jw
「……ノーリアクションはつまらないな」
丘を睥睨するように聳えた洋館の屋根の上でくるくるとアサルトライフルを弄り回しながら、
来ヶ谷唯湖は三人を見下ろしている。
「怯え惑われても興醒めだが、無視されるのも好きではないんだ。
あまり退屈だと欠伸の拍子にうっかりトリガーを引いてしまうかもしれんぞ」
笑みを浮かべながら露骨な恫喝を口にする唯湖に、しかし見下ろされる三人は
それぞれ違う表情を浮かべながら互いに視線を交わし合っている。
久寿川ささらの顔にありありと浮かぶ困惑を受け流すように肩をすくめる柚原春夏。
最初に口を開いたのは、そんな二人を横目に小さく首を振った香月ちはやである。
「先程はどうも、失礼しました」
「これはこれは、ご丁寧に」
ぺこりと頭を下げてみせるちはやに、屋根に据え付けられた出窓の桟に腰掛けたまま、
唯湖が上半身だけで大仰な礼を返す。
「あのとき退いたのは、やはり不利を悟ったからではなかったのですね」
「それはまあ、そうだろう」
涼しい顔で頷いた唯湖が、手にした自動小銃を誇示するようにしながら言う。
「
鉄パイプと拳銃を相手に、どうして私が不利だと思う」
「二人がかりの不意打ちでしたから」
「二人が三人でも、同じことさ」
語る間に銃を手に取るでもない三人を見下ろして、唯湖が小さく笑う。
「なら、どうして」
「……それはまあ、ちはやちゃんの目的を確かめたかったんじゃないかしらねえ」
緊張を感じさせない声は、それまで黙っていた柚原春夏である。
指先ひとつで少年を肉塊に変えながら、銃口を前に怯えるでもなく泰然と構える女を
ちらりと見やって、唯湖が頷く。
「まあ、そんなところだ」
「……」
「彼らがブリッジに上がろうとしたとき、君の姿は見当たらなかった」
「木田さんたちのことですね」
言ってちはやの視線が向いた先、兵器本来の射程からすれば至近に等しい館の門側には
赤黒い血溜まりが放射状に広がっている。
感慨もなく目を戻せば、唯湖が首肯しながら言葉を続けている。
「ああ。ならば、君は彼らの一味ではないのだろう。それがほんの僅かのうちに
共闘の態勢を整えている。何か思惑があると思うのが、普通ではないかね」
「危険な殺人犯のことを聞いて、義憤にかられる人だっているかも知れませんよ」
「……」
冗談めいたちはやの返答は、冷笑と共に受け流された。
「最初からの知り合いで、別行動をとっていた可能性だってあるでしょう」
「まさか、本気で言っているわけではないだろう?」
「……」
一笑に付した唯湖が、射線でちはやの顔を囲うように、くるくると銃口を回す。
「あの連中に混ざっていられるような人間が、そんな目をしているはずがないさ」
「……」
「そら、その目だ」
茜色に染まる夕暮れの下に、一瞬の沈黙が落ちる。
高台を吹き抜ける風が、ほんの僅か、温度を下げた。
「……まあ、そう怒らないでくれたまえ。同病相哀れむというやつだよ」
「……」
漂う沈黙の残滓を振り払うように、唯湖が続けた。
「ともあれ……そんな君が、彼を助けるんだ。何か理由があると思うのが自然だろう?」
「根拠も何も、ありませんけど」
「だが正解だった」
「……」
「君たちは哀れな少年を毒牙にかけ……私はこうして、君たちの生殺与奪を握っている」
確かにね、と吹き出す春夏の声は、ひどく空々しく響いた。
気にした風もなく、唯湖を見上げて春夏が言う。
「それにしても、よくそんなところまで上がれたわねえ」
「ふむ……やはり中にはトラップでも仕掛けてあったのかね?」
「塀や壁にもたくさんあるはずなんだけど」
「どうだったかな。奇跡的に避けられたのかもしれないな」
事もなげに言ってのける唯湖に、春夏が肩をすくめる。
「まあ、これに懲りたらせっかく築いた陣地からのこのこと出歩いたりはしないことだ。
君たちに次があればの話だが」
「肝に銘じておくわ。次があれば」
軽い調子で言い返した春夏が横を見やれば、ちはやはまだ険しい顔で唯湖を睨み上げている。
「……そういえば、ちはやちゃんは最初にどうやってあそこまで?
中、上がってきたのよね」
「さあ。奇跡でも起きたんじゃないですか」
「奇跡、ねえ」
にべもない返答に苦笑した春夏が、今度はささらの方へと声をかける。
「ねえ、あの紙、注意事項っていくつ書いてあった?」
「……十や二十では、とてもきかない程度に」
唐突に話題を振られたささらが困惑の表情を浮かべながら、それでも律儀に答える。
「……だって」
呆れたように唯湖とちはやを見たのは春夏である。
「なら……私はまだ死ぬ運命じゃないんですよ。きっと」
視線を唯湖から外さぬまま、ちはやが口の端だけで薄く笑う。
「だから、この場でも死にません」
「あら、それを言うなら私だってそうよ。大丈夫に決まってるわ」
「はっはっは。随分と呑気だな」
奇妙に歪んだ問答を見下ろしながら、唯湖が声音だけで笑う。
表情は、ひどく冷たい。
「三センチ。私の指が三センチほど引かれれば、君たちは仲良く天に召されるのだが」
自動小銃の銃口は、並んだ三人をきっちりと照準に納めている。
「それとも根拠があってそう泰然自若としているのかね。
何か切り札でも用意しているというなら、そろそろ出しておいた方がいいと忠告しておこう」
「切り札? ……まさか」
一瞬、何のことだか分からないという顔をした春夏が、それを受け流す。
「では何故、生を確信する」
「ああ、それは違うわねえ」
何気ない調子で、春夏が小さく笑って、唯湖の言葉を否定する。
小さく、小さく息をつきながら、春夏は唯湖を見上げて、言う。
「生きることなんて、どうだっていいのよ。どうだって」
表情は、変わらない。
どこまでも細く、静かな、笑みに乗せた、しかし、
「私は、死を、認めないだけよ」
それはひどく、冷えきった、声音だった。
「私には、死ねない理由がある。だから、死なない。それはただ、それだけのことだわ」
一語一語を区切るように放たれる、それは詠うような、呪詛と呼ばれるものに程近い、
耳から人を侵し臓腑を掻き混ぜるような音の羅列。
空と風と、辺りに満ちる花の香りを腐らせるような、澱みを招く言の葉。
そういうものが、柚原春夏の口からは漏れ出していた。
「―――」
音という音、色という色が失われたのは、一瞬だった。
「……それにね」
沈黙を打ち消すように、春夏が笑顔を作る。
いつもの明るく、茶目っ気のある笑みだった。
澱みはもう、どこにも見当たらない。
「あなた、楽しそうだから殺さない、って言ったじゃない?
だから楽しそうにしてれば大丈夫かなあ、って春夏さん思ったの」
「……」
「……だめ?」
「……はっはっは。―――はっはっは」
乾いた、笑いだった。
眼光も、向けた銃口もそのままに、声だけで笑ってみせた来ヶ谷唯湖が、しかし、
「確かに、君たちは面白いな」
言って、銃口を下げた。
「なるほど。君たちにはそれぞれ、保護したい人物がいると」
幾つかの言葉を交わした後、得心したように頷いたのは来ヶ谷唯湖である。
「そういうこと。だから、お互いの目的の邪魔にならない限りは手を組んでおきましょう、ってわけ。
紳士協定ならぬ、淑女協定ってところかしら?」
「淑女かね」
「淑女よ?」
胸を張る春夏に、唯湖が小さく溜息をつく。
「……まあ、いい」
「何かひっかかるわねえ。いいけど。……で、物は相談なのだけれど、えーと、」
「来ヶ谷だ。来ヶ谷唯湖」
「なら、唯湖ちゃん」
「……その呼び方はやめてくれ」
「じゃあ、来ヶ谷ちゃん?」
「……」
緊張感の緩みきったやり取りに、しかし割り込むように声を上げた人物がいる。
「春夏さん」
久寿川ささらであった。
思い詰めたように黙り込んでいたささらが、意を決して口を開いていた。
「この人は危険すぎます。私は反対です」
「あらあら」
「……」
ささらの言葉に、春夏と唯湖が目を見合わせる。
「春夏さん……といったかな。あなたの連れはどうも状況判断が苦手なようだ」
「そうねえ。いい子なんだけど、そういうところ、あるわねえ」
「春夏さん!」
茶化すような二人に、ささらがトーンを上げる。
尚も何かを言い募ろうとしたささらを止めたのは、春夏の眼光である。
笑顔の奥に潜む、何か怖気の立つようなものが、一瞬にしてささらを飲み込んでいた。
「ささらちゃん。真面目な話、私たちいま、絶体絶命」
「……」
「こうして話を聞いてもらってるだけで、大ラッキーなのね」
「……っ」
その言葉に、ささらが唇を噛んで俯く。
確かに自動小銃の銃口は下がっていた。
しかし来ヶ谷唯湖がその気になれば、徒手空拳の三人は一秒を待たず全滅するだろう。
理解していたはずの危機感は、流転する状況の中でいつの間にか薄れつつあった。
それを改めて突きつけられたささらは、顔を上げられずにいる。
そんなささらの肩に手をかけると、春夏がぐっと握り拳を作って続ける。
「……でもね、このまま春夏さんのトークで丸め込めれば、形成大逆転。
淑女協定も一気に戦力倍増よ!」
「聞こえるように言うものではないと思うが」
「大丈夫、それも計算のうちだから」
唯湖が苦笑するのへ、春夏がウインクを飛ばす。
「……まあ、いいさ。では早速、丸め込まれるとしようか」
「え?」
「そろそろ退屈してきたところだ。話を先に進めよう」
「あら、悪いわねえ」
まるで悪びれた様子もなく呟く春夏。
「こう見えて、私にも友人と呼べる存在くらいはいてね」
「本当にサクサク話を進めるのね」
「……続けていいかな」
「どうぞどうぞ」
「……私はこれから、彼らを捜してここへ連れてくる」
「ここって、そこ?」
意味のない問いに唯湖は頷くと、腰掛けた屋根を銃底で小突く。
「君たちは彼ら……そして彼女らを、この館で匿ってくれたまえ」
「そんな、都合のいい……!」
「やめなさいってば」
またも声を上げようとしたささらを、春夏が身振りで制する。
「いいわ。十人でも二十人でも、この春夏さんにどーんと任せなさい!」
「……私はそれほど友人の多い方ではないよ」
唯湖の苦笑と共に、協定は締結された。
「……ところで、君」
「何ですか」
さやさやと音をたてる梢の下、来ヶ谷唯湖が少し離れて歩く香月ちはやに声をかける。
闇が忍び寄りつつある林道である。
陽射しは既に傾いて、二人の正面に沈もうとしていた。
足を止めたちはやが、唯湖の方へと向き直る。
「そんなもの、君に扱えるのかね?」
「さあ。ないよりは選択肢が増えるでしょう」
答えたちはやの腰には、可憐なワンピースにはひどく不釣合いなものが括りつけられている。
無骨な革のベルトに差し込まれているのは、黒光りする大振りな拳銃であった。
フェイファー・ツェリザカ。
洋館の門の側に転がった、木田時紀であった肉塊から拾い上げた代物である。
「ロジカルな返答だ。花丸をやろう」
「どうも」
少女らしからぬ凶器を身につけたちはやが、やはり少女らしからぬ無表情で短く答える。
会話を続ける気のない気配がありありと浮かぶ声音だった。
「しかし、あの御仁……柚原春夏といったか。なかなかに食えないな」
「……」
千早の様子などどこ吹く風と、唯湖は楽しそうに言葉を継ぐ。
「一方的な従属に信頼は生まれない。そこのところをよく分かっている」
「……」
「大人は怖いね。女だから尚更だ」
「……連れてきたいご友人って、どなたですか」
放っておけばどこまでも続けそうな唯湖の言葉に耐えかねたように、ちはやが口を開く。
刺のある言葉は、しかし核心を突くように鋭い。
「はっはっは」
声だけで笑った唯湖が、目を細める。
「まあ……誰を連れて戻ろうと、仲良く蜂の巣だろうからね」
当然のように唯湖は協定の無視を口にする。
憤りを覚えた様子もなく、ごく自然な成り行きを告げる口調だった。
「今、丘を下っている最中に撃たれなかったのは、君がいたからだ」
「……」
「君にもそのくらい分かっているだろう。だから親切にそういうことを聞く」
「……厄介払いをしたいだけです」
「やはり優しいね、君は」
「……」
ざあ、と夜を含んで吹く風が、梢を鳴らす。
「余裕、あるんですね」
「人生は楽しむものだよ」
「……言うわりに、楽しんではいなさそうですけど」
「はっはっは」
唯湖が、笑う。
今度の笑い声には、色がついていた。
微かな愉悦の、色。
「なかなかの慧眼だ。お姉さんは少し感心したぞ」
ぽんぽんと、親しげにちはやの肩を叩くと、嫌そうに顔をしかめるその脇を抜けて、
林道の先へと歩を進める。
ややあって足を止めた唯湖が、振り向かないまま、告げる。
「……楽しくはない。楽しくなどないさ。生きることは」
見つめる先には、沈みゆく太陽がある。
その背は黄昏に向かって歩むように、見えた。
「本当に守りたいものなど、どこにもない」
逆光の中の影は、ゆらゆらと揺れているようだった。
夕暮れの茜色と、宵闇の群青と、混じり合った空に溶けるような、曖昧な影。
「きっと私は、殺すだろう。知り合いも、友人も。誰も、彼も」
ゆらゆらと揺れる影が、ゆらゆらと揺れる言葉を紡ぎ出す。
それはひどく虚ろな声で、だからちはやは吐き出しかけた言葉を呑んで、ただ、影を見ていた。
「戯れさ。戯れだよ、この殺し合いも」
それを最後に、黄昏の声が、ふつりと途切れるように、消えた。
「―――さて、見送りはこの辺りで充分だ」
振り返ってそう言った、唯湖の表情はよく見えない。
声音からは、虚ろな響きは消えていた。
きっとまた色のない笑みを浮かべているのだろうと、ちはやは思う。
「さすがにもう射程の外だし、向こうからも見えないだろう」
「……残念です」
何が、とは言わなかった。
唯湖が聞き返すことも、なかった。
代わりに小さく首を振って、唯湖は口を開く。
「壊れ物が寄せ集まっても、きっとろくなことにはならないさ」
「……」
ちはやは、答えなかった。
「まあ、よろしく伝えておいてくれたまえ」
それだけを告げて、軽く片手を上げた唯湖の影が遠ざかっていく。
振り返らず歩むその背を、闇が溶かして消えるまで、ちはやはじっと見守っていた。
「戻ってこないでしょうねえ」
「……え?」
夕暮れを望むテラスの上で、あっけらかんと告げた春夏に、ささらが思わず聞き返す。
「たぶん戻ってこないって言ったのよ。あの来ヶ谷って子」
「……」
「下のこと、聞いていかなかったもの。
……それにしても、まだちょっと臭うわねえ。ご飯が美味しくないわ」
「アンモニア臭、でしょうか。……下?」
「トラップ」
支給品のパンを小さくちぎって口に運びながら、春夏が階下を指さして見せる。
「紙がある、ってわざわざささらちゃんに言ったのよ、私」
「……確かに」
「あの子がそれ、聞き逃すわけないわ。だけど……」
「そこを突いてこなかった。つまり、誰かを連れて戻ってくるつもりなどない、と」
「そういうこと。ま、そんな傍証なんてなくたって、あの態度見てればわかるわよ、誰でも」
「……誰でも、ですか」
「そんなんじゃ、将来つまんない男に引っかかって泣くわよ?」
「……でも、それなら後ろから撃ってしまえばよかったのに」
からかうような春夏の仕草に眉根を寄せながら、ささらが言い返す。
「ちはやちゃんが側にいたでしょ。そんなに精密な狙いなんてつけられないわ。それに……」
「それに?」
たっぷりと間を空けて焦らした春夏が、悪戯っぽく笑んで、舌を出す。
「その方が、楽しそうじゃない」
「……悪い病気でも、うつされたんですか」
呆れたように言ったささらが、付き合っていられないとばかりに首を振る。
「どうかしらね」
言った春夏が、くすりと、笑った。
【時間:1日目午後6時前ごろ】
【場所:H-6 洋館】
柚原春夏
【持ち物:
M134ミニガン&大量の弾薬、水・食料一日分】
【状況:健康】
久寿川ささら
【持ち物:M134ミニガン&大量の弾薬、水・食料一日分】
【状況:健康】
※M134は固定式です。携帯してダンジョン探索はできません!
【場所:H-5】
香月ちはや
【持ち物:鉄パイプ、フェイファー・ツェリザカ(4/5)、予備弾×50、水・食料一日分】
【状況:健康】
来ヶ谷唯湖
【持ち物:FN F2000(29/30)、予備弾×120、バーベキュー用剣(新品)、水・食料一日分】
【状況:アンモニア臭】
最終更新:2011年09月26日 19:31