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くずれるせかい ◆Ok1sMSayUQ




「終わってない」

 紡ぎだされた声は、深く、静かに、しかし臓腑を抉るような掠れた声で。
 硝煙のたなびく銃口は真上に。能美クドリャフカを狙い撃たず。誰をも否定することなく。

「わたし達は、まだ、終わってない」

 ただ《醜くも、美しい、終わった世界》を拒絶した。
 いらないと言われたのならば、耐え難い理不尽が肯定され犠牲になるのが正義だと言われたのならば。
 そんなものは、端から捨ててしまえば良かった。

「そうですよ、簡単なことなんです。終わったなんて誰が決めたんですか?」

 古河渚は壊れてなどいない。笑っていなかった。目に生気があった。
 しかしそこに、元来彼女が備えていたような控えめな優しさはない。
 今あるものを拒み、憎み続け、呪い続ける意志だけがある。
 クドリャフカは多少呆気に取られたような面持ちをしていた。殺されるという確信が外れたのだろうと渚は想像した。

「……目を背けているだけです、あなたは」
「だとしても」

 その問いに、彼女の論理に、今度こそ渚は詰まることはなかった。

「認めるんですか? 死ぬことをじゃない、こんな……こんな、正しさを」
「私は、そう願われて育てられてきたんです」

 クドリャフカは小さな手を持ち上げ、何かを弄ぶような仕草をした。
 手には何も乗せられてはいなかったが、そこにはきっと誰かの願いが、祈りに通じるなにかがあったのだろう。

「世界の良き歯車となれ」

 握り締めて開く。そこには何もない。
 クドリャフカの周りの死体は、彼女が失くした『それ』の代わりに生まれたのかもしれない。

「ひとを見殺しにしたんです」

 目を伏せて、死体に触れる。

「説明が必要ならしてあげましょうか? それで、私がどうしたら正しくなれるのか教えてもらえれば」

 まだ終わっていないと言えるのかもしれませんね、と低く笑った。
 ひとを殺したことを悔い、価値のない自分がいることを皮肉だと論じ、だから罰されるべきなのだという笑いだった。

「必要なんかないです。わたしが聞きたいのは――あなたは、幸せになりたくなかったんですか?」
「なにを」
「友達がいて、家族がいて、退屈だけど明日に繋がるはずだった毎日があって」
「……っ」
「一瞬でもそれを望まなかったんですか? 今までの全部が自分なんて二の次で、誰かの幸せだけを願って、そんな聖人君子みたいな生き方」
「でも、それは」
「わたしだっていい子なんかじゃない。本当は……本当は、普通に遊んで勉強して恋だってしたかった。それこそ、無理をしてでも。
 けどできなかった。色々なことがあって、お父さんやお母さんに守られないと生きていけなくて。我がままなんて言えなかった。悪いことだったから」
「そんなの……とっくに、私だって」
「我慢してきたんです。これでいいなんて、心の底じゃ思ってなんかなかった! きっといつかは、こんな不自由ばかりの世界でも報われるって思ってた!」
「……」
「でも裏切られたんです。苦痛は幸せのためにあるんじゃない。どれだけ搾り取れるかっていう、神様の意地悪なんです」
「……だからあなたは、わたしは悪くない、と?」
「理不尽には怒るのが人間でしょう! わたしは優しいだけじゃない! 何をされても耐え忍べる人間なんかじゃない! なのに」
「裏切……られた、んですね」
「……お母さんは、最期にわたしだって見てくれなかった」
「誰も見てくれなかった……」
「そうです。……悪いことをした罰だっていうのなんて分かってました。でも、だからって……わたしは、乗り越えられるような優しさなんてない」

 耐えれば報われる。それだけを信じて愚かなまでに我慢してきた渚は、言い換えれば自分の弱さにも気付けない、生きるに値しない人間なのだろう。
 少なくとも神はそう判断したに違いない。でなければこうして何もかもを奪い、その上罪を償えなどという理不尽を押し付けてくるものか。
 それでも本当に強い人間とやらなら乗り越えられるのだろう。でも自分はそうじゃない。強いという言葉があるなら、弱いという言葉だってあるのに。
 弱い人間は、怒ることくらいしかできないというのに。

「あなたはどうなんですか。こんなことをされて、それでも正しさに従うんですか。何も望まない、何も望まなかったいい子のままで」

 彼女が、それでも首を縦に振るなら……彼女は本当に聖人君子なのだろう。機械的なまでに優しい。
 でも渚はそうだとは思わなかった。分かっていた。似ていたから。相槌を打つ彼女が、あまりに、渚自身と。

「……それ、は」

 口を開いて、閉じて、俯いて、顔を上げて、クドリャフカは逡巡していた。
 口にしてしまえば一歩を踏み出すことになってしまうと思っているのだろう。
 見知ってさえいない仲。渚は目の前の彼女を知らないし、彼女だって何も知らない。
 何があったかなんて知らない。ただ共通しているのは、『ここ』には居場所なんてないこと。
 己の中にある聖域さえ踏みにじられているということだけだ。

「……私、だって」

 震えた声だった。
 蒼い双眸が、月光を受けて鈍く輝いていた。
 眉根を歪ませ、拳をきつく握り締め、彼女は何かを睨んでいた。

「こんなの、望んでなんてなかったです!」

 その絶叫は森を貫き、風を裂き、底に仕舞われてきた思いの深さを実感させるものだった。
 そして同時に渚は思う。――やっぱり、この世界は呪われている、のだと。

「いいはず、なかったじゃないですか……! いきなり寮長さんが殺されて! 私も殺されかけて! 出会った人も自殺して! なのに壊れてるなんて言われて!」

 口調からは恐怖と混乱、そして理不尽に巻き込まれたことへの怒りがあった。

「誰も本当の言葉なんてかけてくれなかったんです! 自分で解決しろって、誰も彼もが押し付けて! それができないから、できないからって……私は……」
「だから弱いんです。わたしと同じように」
「分かってます! そんなの……!」
「だから死ぬしかない」
「……」
「生きている資格がないって言われたんです。自分でも分かってる。でも」
「……納得が、できない」

 間違っているからいらない。殺し合いの中で、我慢することしか能のない弱い自分達がそう言われて当然なのだということはこの数時間で痛すぎるほどに分かっている。
 分かってはいるが、正しさを受け入れることとはまた別なのだ。呪われた世界で何の報いもないまま終わる。では、弱く生まれてきたわたし達の意味とは何だと言うのか?

「納得なんてできないんですよ……! 認められないんです、わたしは!」
「じゃあどうするって言うんです。みんな殺して生き延びるんですか? そんなのできるはずがない」
「できないでしょうね」
「だったら……」
「逃げるしかないんです。わたしはあなただって殺せなかったんです。撃とうと思って、頭の片隅に浮かんでしまったんです」

 一呼吸置いて、渚は弱者の吐息を漏らした。
 正確に答えるなら、渚は撃とうと思えば撃てた。傷つけることはできた。
 殺すことができなかっただけだった。

「殺したあなたが頭の奥でわたしに恨みを言い続ける姿が見えたから……それが怖かったんです」

 結局、傷つけることはできても殺すことはできない、渚はそんな臆病者にしか過ぎなかった。
 最後の一線で踏みとどまっていると言えば聞こえはいい。しかし実際は、覚悟もない半端者でしかない。
 優しさなどとは決して呼ばれないだろう。甘さと謗られるだろう。そうしてまた、自分は否定されるだけなのだろう。

「……自分が可愛いだけの、臆病者」

 クドリャフカの吐き出した辛辣な言葉は、しかし渚に向けられた矛ではなかった。
 彼女は、導き出される答えを代弁したに過ぎなかったのだろう。

「逃げても殺されるだけかもしれませんよ」
「そのときは……きっと、ありったけ呪って、恨んで、苦しんでしまえと言い残すしかないと思います」
「そうでしょうね」

 私もそうしたと思います、と付け加え、クドリャフカは立ち上がった。
 亡霊のようなゆらりとした足取りで、彼女は渚に近寄る。

「私は……私は、赦されたいんです。私だけで解決なんてできないんです。ひとを見殺しにしたことを、誰かに……赦して……」

 そして渚にもたれかかり、嗚咽と共に、否定され続けるだけの本音を吐き出した。

「わたしは、生きていたい……当たり前のように、誰かから必要とされて、ここにいてもいいと言われたいんです」

 受け止めて、渚も言葉を返した。

「……赦してもらえるなら」
「ここにいてもいいと言ってくれるなら……」

 きっと、なんだってする。
 示し合わせたように最後の一言が重なり合った瞬間、二人は粘ついたような笑みを浮かべていた。

「一緒に行きませんか? これまでは、しょうがないことだったんです」
「そうでしょうか」
「そうですよ」

 体を離し、渚が改めて手を差し出す。差し伸べる。
 お互いに『群れ』を見つけたことの、確認のようなものだった。

「私には分かりません」
「分かってくれる人を見つければいいんです。わたしは、しょうがないことだったと思います」

 本心から渚はそう思っていた。
 思わなければいけなかった。今の悲惨が、全て己自身が原因で引き起こされた因果応報などとは間違っても思いたくなかった。
 自分が無意味であるまま死んでしまうことだけは耐えられなかった。それが忍耐を重ねる人生ばかりだった渚の聖域だったのだ。

「……能美、クドリャフカです。よろしくお願いします」




 【時間:1日目20:30】
 【場所:C-2】


  能美クドリャフカ
 【持ち物:CZ75(?/15)、不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:赦してくれる人を渚と探す】

  古河渚
 【持ち物:S&Wチーフススペシャル"(5/5)、.38Spl弾×?、ステアーTMP スコープサプレッサー付き(32/32)、予備弾層(9mm)×7、水・食料二日分】
 【状況:ここにいてもいいと言う人を探してクドと歩く】



137:My Beats, Your soul. 時系列順 000:[[]]
144:ヒビ割れエクソダス 投下順 146:心を捧げる
136:終わった世界で何もかも終わる 能美クドリャフカ 000:[[]]
古河渚


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最終更新:2015年03月15日 09:25