My Beats, Your Soul. ◆g4HD7T2Nls
ずっと、聞こえていた。
――トクン、トクン。
流れていく街道の灯り。
――トクン、トクン。
舞い落ちる雪の白。
――トクン、トクン。
ふたり歩いた、クリスマスの夜。
――トクン、トクン。
あの日、背負った命の軽さを、憶えてる。
背中に伝わった、儚い鼓動の音を忘れない。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
何も、何も聞こえない。
静寂。
それがいまの俺、音無結弦の認識できる全てだった。
暗闇のなかで一人、俺はいつかのように横たわっている。
感覚がない。
指一本動かない。
目を開ける気力すらない。
俺は限りなく停止している。
しかしそれは当前のことだった。
胸を鉛の弾丸に貫かれ、致命傷を負ったのだから。
死んでいる。
音無結弦の肉体は死んでいる。
死に際の恐怖や痛みもとうに過ぎ去り、既に暗闇しか感じられず。
なのに、道端に捨てられたような死体の俺は、霞む意識で尚、思うことを止めていなかった。
体が死んでも意識が在り続ける、違和。
俺は真っ当に死んでいない。
死なない筈の俺の同類達は、ここで死んだと聞いた。
ならば同じように俺も、この場所ならばあるいは死ぬのかもしれないと、考えていたけれど。
やっぱり、死ねてない。
死ねないのと同時に、生きていない。
死に掛けのまま、時が止まったみたいに。
中途半端な、死だった。
何も、何も聞こえない。
音が無かった。
あまりの静けさによって、なるほどな、と。
二度目の死で、俺は気づいたことがある。
そもそも俺には、鼓動(おと)がないようだった。
いつか誰かに譲った俺の心臓。中核無しに動いていた肉体。
道理で死ねないわけだと納得し。
ではこの場所で、今まで俺を動かしてきた仕組みとは、いったいなんだったのか。
ふと考えて、そんなことに意味はないか、と打ち切った。
なぜなら俺は、ここで消えるわけにはいかない。
消えたくないと思っている。
まだ、俺がここに居るのなら、居れるのなら。
未練のないくせにあの場所にいた俺は、その代わりに誰かの為に出来ることを、しなければならない。
音無結弦は、あの場所にいたときと変わらない。
ならば理由もまた、天上の学園にいたときと同じように。
この場所で、最初から死者だった俺を動かしていたものは、留まろうとする意志だけなんだろうから。
死にながらでも行くべきだ。
血反吐を吐きながら、動き続けなければならない。
たとえ指一本動かすのも覚束ない、潰れた虫のような体であっても。
「……っ」
そう思い、闇の中を這いずろうとした俺は、しかし不意に、
――トクン、トクン。
「……」
そんな、聞こえる筈のない幻聴を聞いて。
「……ぁ」
その懐かしさに、何故だろうか。
僅かに掴んでいた意識さえも、手放してしまっていた。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
My Beats, Your Soul.
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
ずっと、聞こえている。
――ドクン、ドクン。
暗い地下道の瓦礫。
――ドクン、ドクン。
震えるペン先で記した黒い線。
――ドクン、ドクン。
ひとり息を止めた、最後の日。
――ドクン、………。
生きる音を憶えている。
死ぬ音を知っている。
あのとき、零れ落ちた命の音を、今も背負っている。
あのとき、死ぬその時まで鳴り続けていた暖かな音は、今もこの胸に――
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
何も、何も聞こえない。
それがどうしてか、悲しかった。
「………ぅ……ぁ」
断裂する意識。
底なしの闇の中。
うめき声を上げて、塵のような意識をかき集めた。
走馬灯を見たのは二度目だった。
先ほどから途切れ途切れに、ぼんやりと浮かんだ光景、それは俺にとって忘れがたい記憶だった。
俺は死後も、あのことを思い出してから、考えることがある。
いや、それはずっと、俺の脳裏にあり続けた命題だったのかもしれない。
死後の世界。
報われない人生を歩んだ者達がたどり着き、未練をなくして消えるための場所。
そこで見てきた、二つの在り方。
不満足に、在り続けること。
満足して、消えること。
いったいどちらが、幸せなのだろうか。
二度目の、いいや違う、もう何度目かも分らない死を、感じながら。
実感しながら、俺は思い続けてる。
答えは後者なのだ、と。働かないはずの、枯れた思考で思ってる。
良かったんだ。あれで、良かったんだ。
不満足に生き続けるより、きっと満足して死ねたほうが、幸せだったんだ。
昨日の、もう戻れない自分に見切りをつけて、次に行くことが正しい。
振り返れば俺の人生、楽しいことばかりじゃなかった。
むしろ辛いことの方が多かったようにすら思える。
だけど、だからこそ思う。
幸せを感じられない生は、嘘だと。
そういうのは生きてるとは言わない。ただ存在してるだけだ。
死の瞬間、俺なりに満足できた、幸せを感じられた。
満たされることが出来た。
死の間際で、夢は叶わなくて、今と同じような日のあたらない場所で、それでも俺は生きる証を残せた。
誰かを救えたと思ったとき、生きた意味を作れたときに。
俺は確かに満たされて、満足して、逝けたんだ。
それでよかった、そう、死んだ後にすら思えたから。
俺に、未練はない、ないはずだ。
だからこそ、死後の世界で、
消えない俺は、やらなくちゃいけないことがあると思ったんだ。
あいつらにも、教えてやらなくちゃいけない。
死んだ世界の仲間達。
意地を張ってへそを曲げ続けてるあいつらにも、教えてやりたい。
お前らは満たされていいんだって、幸せになっても良いんだって。
俺の感じた思いを、知らせてやりたかった。
天国は、満たされて次に行くための場所なんだと、誰かが信じていた。
それを綺麗だと思ったから、俺も。
自分達の天国を、自分達で地獄に変えちまってるあいつ等の背中を、押してやりたかった。
あいつらを縛ってる何かから解放して、卒業させてやりたかったんだ。
それこそが、俺がここに来た意味じゃないのかって、思ったから。
だから俺は、音無は死にながらも、まだ生きなければならない。
死ねないなら止まっちゃ駄目なんだ。
動かなくちゃ駄目なんだ。
ほら、今だって、唯一死なない存在としてここにいる。
だったら、俺にしか出来ないことをやらなきゃいけない。
俺は俺がある限り、誰かに教えてやらないと。
お前は救われていいんだって、満たされていいんだって。
喩え暗闇でもなんでも、在り続けて、知らせなきゃならない。
なのに、なんで……。
――トクン、トクン。
どうして俺は、未だに動くことが、出来ないんだろう。
「……る」
――トクン、トクン。
それはさっきから聞こえているこの、優しく引き止めるような、耳に響く音のせいなのか。
「……づる」
――トクン、トクン。
どうして俺は、この鼓動がこんなにも、懐かしく思えるんだ。
どうして俺は、止めてはならない筈の身体の動きを、止めてしまいたくなっちまうんだ。
「結弦」
なぜ、聞こえる音色はこんなにも、優しい。
「結弦、聞いて……」
薄らと、俺は閉じていた目蓋を開けた。
その気力が、不意に与えられたんだ。
するとそこに、夜の闇はない、黒はない。
目の前に在ったのは白と、蒼の降り注ぐ、煌く光景だった。
ざぁ、と。長髪が、ぼやけた視界を流れていく。
「あなたの、心臓は」
俺を見下ろす、少女の瞳。
包み込むが如く広がる、荘厳の翼。
雪のように舞い散る、白い羽根。
俺は抱きしめられている。
柔らかな腕に包まれている。
耳に当たる少女の胸元から、どこか落ち着く音が聞こえてくる。
「ここにある、だから」
懐かしい鼓動だった。
愕然とする。
聞いているだけで、涙が出そうなくらい、満たされてる俺自身に。
「あなたに、わたしは……」
満たされる、満たされちまう、俺が。
おかしいだろう。
これじゃあまるで、俺が救われるみたいだ。
誰かを助けなきゃいけない俺が、この少女に、癒されてるみたいだ。
未練なんて、不満なんて、俺にはなかった筈なのに、どうして。
「どうしても言いたいことが、あって……だからどうか……」
今の俺の、駄目になった耳じゃ、少女の声はまともに聞こえない。
悲しげな声で、必死に伝えようとしている何かを、分ってやれない。
それが悲しくて、だけどこのとき俺は不思議なことに、救われてたんだ。
「あぁ……」
――トクン、トクン。
って、鼓動が、聞こえるから。
聞こえ続けるから。
あの夜みたいに。
いつか失くした筈の、鼓動が聞こえるから。
はは、なんだ、そういうことかよ、ちくしょう。
「ゆず、る?」
そうかここに、あったのか。
俺の音。俺の生きた証。俺の心臓。俺の未練。ああ、そうか君が――
「そう……か」
気づいてしまったら、嬉しくて、堪らなくなる。
空っぽのはずの胸から溢れ出す気持ち。
その衝動に抗えない。
抑えられなくなって、つい。
「…………とう」
「……え?」
掠れた声で、俺は言ってしまった。
ずっと胸に秘めていたものを、俺自身も気づいていなかった思いを。
「ありが、とう」
残したものはここにある。無駄じゃなかった。
何も成し得なかった俺の人生は、それでも無駄じゃなかったんだって、やっと確信できた。
この鼓動を聞けたから。
俺がいた意味を今も君が、奏で続けてくれてるから。
「命を繋いでくれて、ありがとう」
俺はいま、やっと分ったよ。
ずっと、そう言いたかったんだ。
残した命の証を、形にしてくれた誰かに礼が言いたかった。
それこそがきっと俺に残された、たった一つの未練。
満たされている、満たされちまってる。
それはつまり、かつての世界の
ルール通り、終わり示した。
消えていく身体の感覚、今度こそ霧散する俺の意志。
どうやらこの場所で、あるいは死後の世界で、
果たそうと思ったことは、もう手に取ることが出来ないみたいだけど。
「ありがとう、君は……」
それでも君に会えてよかった。
言えてよかったと、思ってしまうんだ。
笑って俺は、消えられる。
「君は……天使、だ」
そして儚くも眩い、君の姿に、俺は願う。
天使を、願ってしまう。
「違う私は、天使なんかじゃない」
たとえ君が否定したとしても、言い切るよ。
満たしてくれた、救ってくれた、助けてくれた。
これで俺は救われた気持ちで逝ける。
君は俺にとって、紛れもなく天使だった。
叶うなら、これからもそうあってほしい。
本物の天使のように、この悲しいことの多すぎる場所で、俺に出来なかったことを、俺の代わりにして欲しい。
俺を救ってくれたように、ここで救われないまま消えていこうとする人を、救ってやって欲しい。
「どうか天使で、あってくれ」
勝手な言い分かもしれない。
呪いのような言葉を、君に背負わせることになるかもしれないけど。
俺は願いたい、なぜなら、
「――俺の魂は、君の鼓動だから」
どうかこの気持ちも、受け継いで欲しい。
そう、祈らずにはいられない。
「……、……」
最後、薄らと見えた、頷いた少女の顔。
いいや、今は天使、なのかな。
「よかった」
本当に、よかった。
「それじゃあこれで、やっと……」
俺はやっと、心から安堵して。
疲れた体を休めることができる。
曇りきった目を、閉じることができる。
――トクン、トクン。
って、聞こえる。
俺が消えてもずっと響き続ける、鼓動の音を聞きながら……。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
そこは夜だった。
陽の日は海の向こう側に沈みきり、もうない。
日光の不在の空に訪れたのは黒色の天と、蒼白い月光。
冷たい色をした、裏側の世界である。
地上にて、闇を深くする林の下。
虫の一匹も鳴かぬ、凍えるような静けさの渦中。
少女が一人、そこにいた。
地べたに膝をついて、不死を止めた青年の死体を腕に抱く、彼女の名は立華奏といった。
彼女の抱える青年。
もう二度と口を聞かない音無結弦の表情は、とても晴れやかなものだった。
苦痛のない、満たされた表情。
不満のない、救われた表情。
満足して逝った者の微笑が、彼に刻まれた残痕である。
少女はそれを眺めていた。
澄んだ黄色の眼で、青年の死に顔を見ていた。
動きを止めたまま、食い入るように、じっと。
蒼と銀の交わったような美麗の長髪が、土の上に垂れるのも構わず。
光の粒子となって消えていく、青年の体を抱えていた。
しばらく、凍ったような時間だけが、流れ過ぎて。
そうして夜の寒気によって、彼女の細いからだが冷え切った頃。
青年の全身が形を無くして宙に舞い上がった時。
抱く者の失くした少女の唇に、やっと僅かな動きが見られ、夜風に透明な言葉が乗せられた。
「……ありがとう」
それは、置き去りにされた言葉だった。
何の意味も、価値も、重みも、存在しない。
対象を失った言葉になど、当然なにも篭らない。
「ありがとう」
それは、告げられた言葉であり、告げるべき言葉だった。
少女が言う筈の、言葉だった。
青年に告げるための、伝えなければならない筈の、少女の為にあった筈の、
「あ……」
永劫に届かない、死んだ言葉だった。
最早、果たすことの叶わない願いだった。
青年の成した充足の結果であり、
同時に、少女の果たせなかった未練の、残骸だった。
「…………ううん、違う、これじゃない」
断ち切るように少女は眼を閉じ、首を振って何かを否定する。
呟いていた言葉か、彼女の未練か、あるいは青年の結末か。
どれでもない、肯定だった。
「わかった」
僅かに現れようとしていた感情を消し去って、告げるべき言葉は、一つ。
肯定の返答。
同時に否定する、少女自身の在り方。
それ以外の答えは、彼女に残されてはいなかった。
「あなたが望むなら、そうする」
繋がせてくれた命に、返せなかった思いが、あった。
だからその言葉ごと此処に、立華奏は置き去りされ、それは在り続けるのだと。
「Angels Wing」
すなわち、いま純白の翼を広げた者は、立華奏ではない。
名を捨てた一人の少女。
否、少女ですら、今はなく。
「だって……」
私はかく在ろう、と。
願われたから、それを果たす、と。
舞い上がる白の羽、雪の降るような景色の中で。
この時、かつて立華奏という少女だった、存在は――
「私の鼓動は、あなたの魂だから」
天使は、また一つ、消える願いを見送った。
「……よかったね」
夜空に消えていく光へと、心からそう告げて。
【時間:1日目午後8時30分】
【場所:F-7】
天使
【持ち物:不明、水・食料一日分】
【状況:受継】
音無結弦
【状況:消滅】
最終更新:2015年03月15日 09:31