Fathers Rock'n'Roll ◆ApriVFJs6M
(私は……何をやっているんだろう……)
ふらふらとおぼつかない足取りで一人の男がアスファルトで舗装された道を歩いている。
すっかりヨレヨレになったワイシャツとろくにアイロンもかかっていないスラックスを穿いた中年の男だった。
まだ同年代の人間が働き盛りの真っ只中だというのに彼の頭はすっかり白髪に覆われてしまい、今となっては黒髪のほうがすっかり少なくなってしまっている。
そして顔に刻み込まれた深い皺。
彼の容姿は老人を思わせるほど、老け込んだ姿をしていた。
彼の名は岡崎直幸という。
画面の向こうの少女の死も。これから殺しあえという命令も全てが空虚で現実味がない。
どうでもいい。何もかもがどうでもよかった。
あの日から――
ただ一人の息子の将来を奪ってしまったあの日から。
彼は全てを失い空っぽになった。
彼は若くして結婚し、一人息子をもうけた。
周囲の反対を押し切っての結婚。家族を養うためただがむしゃらに働いた。
毎日の残業に疲れ果てて帰ってきても愛する妻と赤ん坊である息子の顔を見れば疲れはすぐに吹き飛ぶ。
決して裕福でないものの、幸せな生活が続くと思っていた。
だが彼の妻はまだ赤子の息子を残して逝った。
それでも彼は辛い現実に目を背けずにひたすらに耐えた。
妻の忘れ形見の息子がいる限り、どんなに辛いことにも頑張れた。
父子家庭であるゆえ国からの補助は母子家庭に比べると僅か。
彼はたった一人の家族を養うため、一層仕事に励んだ。
そして息子も成長してゆく。
いつごろからだったのだろう。
徐々に息子とのすれ違いが起き始めていたのは。
毎日仕事で遅くなる彼、いつごろからか話す回数が減ってきた。
息子と触れ合う回数が減ってきているとの自覚があっても、仕事に没頭し続けた。
気がついたら息子は中学生になっていた。
少年特有の思春期における父親への反抗心から彼とぶつかり合うこともあった。
それでも彼は息子がしっかりと育っていってることが嬉しかった。
やがて息子は高校へ
バスケットボールの特待生として入学することが決まった。
そしてあの日が訪れた。
原因はなんでもない、ちょっとした口喧嘩だったのだろう。
本当によくありふれた親子の喧嘩。
そこでたまたま彼は息子を突き飛ばし、息子は柱に右肩をぶつけた。
本当に軽く肩をぶつけただけだと思っていた。
医者から息子の右肩は二度と上がらないと告げられるまでは――
その日から彼は空っぽだった。
息子は口を聞いてくれなくなった。
息子の未来を奪ってしまった罪悪感から彼はまるで他人のようにしか息子と接することが出来なかった。
今の彼は最低限の生活費を稼ぐためしか働いていなかった。
暇があれば一日中テレビを眺め、酒と煙草に浸り、少し金に余裕があればパチンコに通う毎日だった。
毎朝、学校に登校する息子の白い視線が突き刺さる。
それでも息子を置いて一人どこかに消えなかったのは、子を持つ父親としての最後の矜持があったのかもしれない。
磨耗し枯れ果てた心。いっそのこと誰か自分を殺して欲しい。
このまま妻の下へ逝けたら。
そんなはずがあるものか。息子を残して死んだところで妻と同じところに逝けるはずがない。
彼は無意識に担いだデイバッグの中身に手を伸ばす。
ころりとデイバッグがら何かが転がり落ちる。
それは軽くバウンドしたあと道をころころと転がり、やがて止まった。
「……私に対する嫌がらせかね」
何の変哲もないただのバスケットボール。
息子がそれを持ってコートを駆ける姿。
ディフェンスを掻い潜りシュートする姿。
それらを台無しにしたのはお前だとボールが語りかけているようだった。
ふと、目の前に大きな建物が目に入った。
鉄筋コンクリート製の建造物、そして頑丈な鉄の門。
小学校か中学校か、はたまた高校か。どこにでもある学校だった。
「……………………」
直幸はバスケットボールを小脇に抱え何かに誘われるように校門を潜り抜ける。
無意識に足がこちらに向いた。
そして彼は体育館にやってきた。
初めて見る場所なのにひどく懐かしい場所。
正面に舞台があって。
舞台の端には黒塗りのピアノがあって。
体育館の隅には跳び箱とマットが形を揃えて置かれている。
遥か昔に過ぎ去った学生時代の残滓がそこに今もなお残されていた。
「あの子もここでバスケットをするはずだったんだな……」
体育館の入口側と舞台側には天井から伸びる可変式のバスケットゴールがある。
それが今は降ろされて、一つのバスケットコートを形作っていた。
直幸は舞台側のゴールに近づくと、フリースローラインの所で立ち止まった。
「それっ……!」
なぜそうしたのか彼自身でもわからない。
直幸は抱えたボールをゴールに目掛けてシュートした。
最後にこんなことをしたのは何十年前のことだろう。とても綺麗とは言えないフォーム、息子が見たら笑われそうだ。
彼の放ったシュートはゴールに跳ね返って床に落ちる。
ダンッダンッタン……タタタタン、タン……
静かな体育館に一際大きく響くボールの音。
直幸はボールを拾い上げるともう一度シュートした。
弧を描いて飛ぶボール、今回はゴールに届かなかった。
もう一度。
今度はシュートの勢いが強すぎたため、ゴールに当たった後、大きく跳ね返り直幸の後方に転がっていく。
「おっと……」
ボールを追おうとした直幸の視線の先に、人影が立っていた。
「!?」
いつの間にかに立っていた人物は赤みがかかった茶髪の男だった。
男は足元に転がったボールを拾い上げると直幸に向って言った。
「駄目だ駄目だそんなフォームじゃ、入るモンも入らねえぜ」
少し粗野な印象を受ける男の声。
彼はボールを抱えてフリースローラインまでやって来ると、ゴールに目掛けてシュートを放った。
直幸とは比べ物にならないほど綺麗な形。
重心のブレがまったくないフォームで放たれたボールは綺麗な曲線を描いてゴールに落ちた。
「どうだオッサン! 俺様の華麗なるシュート完璧じゃね!?」
男は親指を立てると白い歯を除かせてにっと笑った。
■
直幸は男がまるでガキ大将がそのまま大人になったかのような印象を受けた。
ともすれば躁病と疑いたくなるぐらい彼は感情の起伏が激しい。だが直幸に危害を加えるつもりはないらしい。
年の頃は見たところ直幸とそう変らなさそうに見える、だが彼のほうが直幸より何倍もの若々しく生命力に溢れていた。
20歳年が離れていても通用するぐらい、直幸と男の老け込み具合は違っていた。
「あんた……苦労してんだな……」
同じ数十年を生きてきたがゆえの匂いを彼は感じ取ったのだろうか。
男はぽつりとそう言った。
「そう……ですね、苦労してきました」
「家族はいるのか?」
「結婚してすぐに妻に先立たれてしまいましてね……男手一人で息子を育ててきましたが……気がつくと高校生です。この前までこんなに小さかったやつが今や私より背が高いんですよ」
「すまねえ、野暮なこと聞いて。俺は幸いにも嫁と娘に恵まれたよ。娘は少し身体が弱いがな」
「娘さんはいくつで?」
「奇遇なことにあんたんところと同じ高校生だ。嫁に似て今じゃすっかり女らしく育ってよーたまに目のやり場に困る時があるぜ、はっはっは。――ホント子の成長は早いモンだぜ」
彼の反応から、親子の仲はすこぶる良いようだ。
言動は子どもじみていても彼は良い父親でいるようだ。彼が羨ましかった。
「あんたは……どうだ?」
彼の問いに直幸は無言で首を振る。
「私は駄目でした。良い父親になれませんでした。息子の将来を駄目にした私は父親として失格でした」
直幸の言葉に男は言葉を返せなかった。
幸せな家庭を運よく手に入れられた彼は何を言っても直幸の励ましにならないと思ったからだ。
「ところでさ、あんたどこで見たことがあるんだが……見たことがあるというより俺の知ってる奴によく似てるんだ」
「えっ……?」
「最近娘に友達が出来てよ、ちょくちょくウチに飯食いに来るんだ。目つき悪くて口が悪くて生意気な小僧だけどよ、嫌いじゃねえ。あんたに雰囲気がよく似てる
ああ、すまねえ俺は古河秋生っていうんだ。古河ベーカリーっつーパン屋やってるぜ」
「古河……」
そういえばそんな名前のパン屋が町にあった気がする。
一度も行ったことがないのでどんな人間が経営してるのかも知らなかった。
「岡崎……直幸です」
「ああ――やっぱそうだろうと思った。あんた朋也……岡崎朋也の親父さんだろ?」
「息子をご存知なんですね……」
「まあな、娘が世話になってる」
「……あなたが、私の代わりにあの子の父親であればどれほど良かったか」
「馬鹿言うな、俺はあいつの父親じゃねえ。あいつの父親はあんたただ一人……そうだろ? 岡崎さん」
彼は穢れ無き真っ直ぐな視線でそう答えた。
なぜこうも迷い無く言い切れるのだろう。
「駄目……ですよ。あの子は私を許すことはないでしょう……全ては遅すぎた」
親子の絆はとうの昔に切れてしまっている。
今さら絆を取り戻すことなんてできるはずがない。
直幸が勇気を出して歩み寄ったところで息子は拒絶するだろう。
こんなにも空は青いというのに直幸の心には冷たい雨が降りしきっていた。
「うっしゃ! 岡崎さん! 俺に良い考えがある!」
「は……?」
「バスケ、やろうぜ!」
何を言っているんだこの男は。と直幸は思った。
「汗でもかいてさっぱりしようぜ! ほらよ!」
「な……古河さん……」
秋生は座り込んでいる直幸の手を引いて強引に立ち上がらせる。
そして秋生は抱えていたバスケットボールを直幸に手渡した。
「1on1で三本先取。ボールを三回奪われたら攻守交替だ。まずはあんたから攻めな」
「あ、あの……」
「男だったらグダグダ言わずにかかってきな!」
こうなったらバスケをやるまで秋生は黙らないだろう。
しぶしぶ直幸はフリースローラインまで歩く。
「いつでもいいぜ!」
秋生はゴールを背に直幸から2mほど離れた場所で仁王立ちになる。
ここからシュートを狙うか?
駄目だ。自分の腕ではまともにゴールに入れられないことぐらい直幸自身もわかっている。
こうなったら出来る限りゴールに近づくしかない。
直幸はまともに左手でドリブルなんて出来ない。攻めるコースは右からのみ。
そしてダッシュ。
「抜かせるかよッ!」
即座にディフェンスに入り猛烈なプレッシャーをかけてくる秋生。
いくらドリブルをしても軽快なサイドステップでぴったりと張り付いてくる。
「ほらどうした。いつまでもドリブルしても点なんか入らないぜ!」
「く……!」
ゴール下の線で区切られた台形の中に全く入れない。
こうなったら少し遠いが無理矢理シュートを決めるしかない。
立ち止まりシュートの構えに入り、強引にシュートを放つ。
だが――
「そらよ!」
直幸がシュートを放つと同時に秋生は飛び上がる。
まるで巨大な壁が迫るかのようにシュートコースが塞がれボールは秋生の手に弾かれ奪われた。
「あっ……!」
「残念だったな。次は俺が攻める番だ」
そう言って今度は秋生がフリースローラインに立つ。
直幸はすでに息が上がって肩をしていた。
たった五分にも満たぬ時間なのにもう息が切れ、汗が噴き出してくる。
いつの間にか自分はここまで衰えたのだろうか、目の前の男は息すら上がっていないというのに。
直幸はぎっと歯を食いしばる。
「おいおい、もう息切れか?」
「ぐっ……まだまだ……!」
なんで自分は必死になっているんだろうと直幸は思う。
この数年間感情を揺り動かしたことなんてないのに。
ただ空っぽの毎日を過ごしていたというのに。
「じゃあ……行くぜ!」
秋生はとてつもない速さで右側から一気に切り込んでいく。
まったくもってドリブルの速さにについていけない。
一瞬で直幸のディフェンスは抜かれ、秋生は華麗なレイアップを右手で決めた。
「はあっ……! はぁ……はあっ……!」
攻撃時とは比べ物にならない体力の消耗。
ドリブルに付いて行こうとしてるのに足が言うことを聞いてくれない。
「次も俺の攻撃だ。ほらよ!」
まだ息も整いきれていないのに秋生は攻撃を開始する。
再び右からのカットイン。そう何度も同じように――!
必死にドリブルに食らいつく直幸。
今度はいける――
「甘いな」
「え……?」
直幸の必死なディフェンスを嘲笑うかのように秋生はドリブルをする左足を軸にくるりと後ろ向きにターンした。
まるで手に吸い付くかのようにボールは右手から左手に移動する。
直幸は完全に虚を付かれていた。秋生が右から攻めるとばかり思い込んでいた。
しかし秋生はターンをすると即座に向って左側に切り返す。
ディフェンスの行うための身体の重心は完全に直幸自身の左側。つまり秋生から見て右側に重心が移動してしまっている。
あっさりと直幸は抜かれてしまい、秋生は今度は左手でレイアップを決めた。
「がっ……はっ……! あ、ぐっ……!」
声が出ない、膝がもう笑っている。
息をしようにも肺がうまく空気を吸い込んでくれない。
「これでラストだ。今度は俺様のとっておきの技を見せてやるぜ」
もうまともに守れない。しかし足は止まらない。
秋生はドリブルをしながらゴールとは逆方向、スリーポイントラインを超えてセンターライン近くまで移動していた。
まさかこの距離からシュートを?
直幸は笑った足に鞭を打ってシュートを撃たせまいと秋生に近づく。
「うおおおおりゃあああああああああああ!!」
それはまるでロケットの如く加速。
それまでのドリブルとは比べ物にならない速さ。
一瞬のうちに最高速まで達した秋生は直幸を抜き去ると猛然とダッシュする。
そして彼の足がフリースローラインまで達したとき。
秋生は飛んだ。
跳んだではなく『飛んだ』しか比喩しようがない。
まるで秋生は宙を歩くかのごとく舞い、手に持ったボールをゴールに叩き付けた。
直幸は呆然と秋生のダンクシュートを見つめていた。
否、完全に秋生の美技に魅了されていたのだ。
(そうか――これが朋也が目指していたもの――)
足元がふら付いてもう立っていられない。
直幸はそのまま仰向けに大の字に倒れこんだ。
■
「よう、立てるか」
「すみません……もうしばらく」
勝負は圧倒的な力の差で秋生の勝利に終わった。
直幸はふらふらでまだ仰向けに寝転がっている。
汗はびっしょりで、一生分の運動をしたような気分だった。
でも気分は不思議と晴れやかだった。長年降り続いた雨が上がったような気分だった。
「どうだ。少しは汗かいてすっきりしたろ?」
「かも……しれませんね……」
「なあ、もう一度向き合ってみろよ。朋也……いや、あんたの息子と。諦めたらそこでゲームオーバーだ」
「私に……できるでしょうか」
「さあ、な。それはあんた次第だが……できるさ、朋也のただ一人の家族で、ただ一人の親父なんだろ?」
「……………………」
「こんなクソったれなイベントに連れてこられてあいつブルって泣いてるかもしれねえんだぞ? 守れるのはあんたしかいないんだ」
「……………………」
「俺は守り抜く、何としてでも俺の家族を守ってやる。それでてめえがおっ死ぬことになってしまってもだ。
嫁と娘を守って死ぬなら男として、父親として本懐じゃねえか」
なんて純粋で真っ直ぐな言葉だろうか。
一筋の涙が流れ空っぽだった心が満たされるのを感じる。
もう一度、もう一度頑張ってみよう。それでもだめならもう一度。
家族の絆を取り戻すためなら何度でも頑張ってみよう。
直幸は立ち上がる。まだ膝が笑っているが、しっかりと大地を踏みしめて立ち上がる。
そう、何度でも――
「そう……だな。まだ俺はやるべきことが残っていた。古河さん、俺は息子に――朋也に会いにいく」
「おう、その心意気だぜ!」
かつて失った物を取り戻すために。
やがて訪れる家族の未来を守るために。
父親達は決意する。
【時間:1日目午後1時ごろ】
【場所:E-6 学校】
岡崎直幸
【持ち物:バスケットボール、水・食料一日分】
【状況:疲労】
古河秋生
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】
最終更新:2011年08月28日 03:24