DISTANCE ◆Sick/MS5Jw



高く青い空を、一羽の鳶が舞っている。
長閑に響くその鳴き声に小さく欠伸を返しながら、男が一人、立っていた。
偉丈夫である。
容貌魁偉、巌を彫り上げたような体躯には簡素な布服と赤い外套を纏い、両の肩には大きな鉄製の肩当。
何より人目を惹くのは、その左眼に走る刀傷である。
古戦場から抜け出してきたような、男であった。

「……で? まだやるかよ」

男が、静かに口を開く。
視線は足元。
無骨な革製の編み上げ靴の下に、何かが転がっていた。
薄汚れたズタ袋のような、何か。

「……っけんな……」

否。
呻くように声を出したそれは、人である。
泥に塗れ、俯せのまま男に踏みつけられているのは、少年であった。

「……ざけんな……! 俺はまだ負けてねえ……!」

言葉を搾り出し、起き上がろうと動かす手は、しかし空を掻く。
体幹の中心を、男の足が正確に踏みつけている。
動くに動けずもがく様は、まるで羽をもがれた虫の蠢くようでもあった。

「ったく……丸腰の相手にさんざのされて、よくもまあンな口が叩けるな。せっかくの得物が泣いてるぜ」

呆れたように首を振った男が、傍らに突き立つ棒のような物をひと撫でして息をつく。
大刀であった。
男の巨躯の前には些か丈が短くも見えるが、飾り気の無い白木の柄から伸びる刃はそれでも二尺を超えている。
側に転がる白鞘はそれを収めていたものか。
陽光を集めて煌く刃には、しかし刃こぼれも血糊の跡もない。

「うるせえ……! 殺るならひと思いに殺りやがれ……!」

突き立つ白刃に手を伸ばそうとして届かず、なおも男の体重から逃れようともがきながら少年が声を張り上げる。
見下ろした男が、大仰に肩をすくめてみせた。

「ぎゃあぎゃあとまあ……ハネっかえんじゃねぇよ餓鬼が。若い身空で死にたがりもねえだろう」
「死ぬのが怖くて『戦線』の前を張れっかよ……!」
「……」

間髪を入れず返ってきた答えに、男が表情を変える。

「ああ、そうかい……」

片眉だけを上げたその顔は、笑っているようにも、どこか悲しげにも見え、

「ひとつ、教えてやるよ」

そして何より隠しようもなく、怒りの色を浮かべていた。

「死んじまっちゃあ……何もかんも、おしまいだぜ……っと!」

ぐぶ、と奇妙な音がした。
音は、少年の喉から響いていた。
僅かに重心の位置を変えた男の爪先が、俯せに倒れた少年の胸骨の隙間から、肺腑を抉っていた。

「……次の喧嘩ァ、相手見てふっかけるんだな」

言いながら足を引いた男が、くるりと踵を返す。
枷から解き放たれたはずの少年は、しかし動かない。
否、動けない。

「さて、まずは大将や連中を捜さねえと……面倒くせえなあ、おい」

男の言葉に耳を貸す余裕など、なかった。
競り上がってくる胃液と、そして悲鳴が口から漏れるのを耐えるのに、精一杯だった。

「ま、気長に行くか……何せ俺たちゃ、うったわれるぅ~、ものぉ~、っとくらぁ」

男の足音と鼻歌じみた節回しが、遠ざかっていく。
それでも少年は動けない。
やがてそれらの音が消え、更にしばらくの時が過ぎても、少年は蹲ったまま、動かない。
動かない少年の上を、風が吹き抜けていく。
梢が、ざわめいた。

「……じまったら……」

微かな、声だった。
ざわめく梢に紛れるように、消え入るように。

「……死んじまったら、おしまいだ?」

少年が、声を漏らす。
その声が合図ででもあったかのように。

「わかってんだよ、んなこたぁ……」

少年が動き出す。
震える拳を握って、引き剥がすように、顔を上げた。

「俺たちゃもう―――」

泥に塗れたその顔が、光に照らされて歪む。
置き去りにされた刀の、陽光を反射した光だった。

「もう、終わってんだよ……!」

突き立つ刃のすぐ側を、小さな蟻が、這っていた。
叩き潰したのは、拳である。
鳶の舞う高く青い空から遠く離れて、震える拳で虫を潰し、独り地に伏す少年の名を、野田という。

死を越えて在る、それは存在の、筈だった。


【時間:一日目 午後1時ごろ】
【場所:F-4】

クロウ
 【持ち物:不明、水・食料一日分】
 【状況:健康】

野田
 【持ち物:白鞘の大刀、水・食料一日分】
 【状況:軽傷・恥辱】


005:101匹天使ちゃん? 時系列順 007:Fathers Rock'n'Roll
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GAME START 野田 062:森の出会い
クロウ 073:イキカエル


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最終更新:2011年08月26日 19:56