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鬼が出てくる現存する最古の文献は『古事記』である。失われた「国紀」や「旧辞」に鬼に関する文章があるのかまでは流石に知らない。
ともあれ、『古事記』の黄泉比良坂がおそらく最古の鬼の記述だろう。 しかし、『古事記』は奈良時代に太安万侶らによって編纂されたものだ。 話を膨らませるため、鬼を駆逐する大和王朝を正当化するために鬼が追加された可能性が高い。 確かなところでは、聖徳太子の直属の部下、倉木仲麻呂の書状に出てくる御色多由也への鬼の討伐の命令書が現存する確かな証拠だ。 書状は現在、大和県立文章館に保存されている。 鬼が本格的に人間とぶつかり合うのは飛鳥時代辺りからだが、当時は完全に鬼が優勢だった。飛鳥時代の兵士に戦えと言う方が酷だろう。 だが、鬼は今で言うゲリラ的戦法で村々を荒らし回っており、対処しないわけにも行かなかった。 これをとっても鬼はけして力任せの狂戦士ではないことが読みとれる。数の少なさという弱点を兵力の分散で埋めるの は『孫子』にすら載っている戦略の常識である。 長岡京・平安京の遷都も少なからず鬼の影響があるというのは裏の世界では常識である。 有名な藤原種継の暗殺の死因が表の歴史では射殺なのに対し、裏の歴史、『鬼密紀』では鋭い刃物で八つ裂きにされて死亡とされていることからも、当時の鬼の勢力の恐ろしさが読みとられる。
平安時代はまさに、鬼と鬼に対抗する者との闇闘の時代だったと言っていいだろう。
阿倍清明、源頼光、酒天童子、茨城童子。まさに鬼退治者と鬼の間にスーパースターが出そろった時代である。 いちいち例を挙げて説明はしないが、鬼と人との幾多の激突があった。
ところが、万寿二年(一〇二五年)の征伐を境目に、鬼の勢力は著しく縮小し、鎌倉時代あたりには、表からは勿論、裏もほとんどその存在を隠す。
この万寿征伐(私が勝手に命名した)については、まるで意図的に消されたかのように資料が残っていない。 それでも、断片的な資料をつなぎ合わせて考えると、どうも「冷泉」の分家である「柏木」が鬼を裏切って朝廷側についたのが原因ではないかと推測される。 関ヶ原を筆頭に、裏切りが合戦の勝敗を分けることは、日本や中国ではよくあることだ。(中世の西洋の軍の中核は大概傭兵だったから、将の寝返りで合戦がひっくり返ることは少ない) この「柏木」の血統については、怪しいところが多いのだが、如何せん、現在調査中としか言うことはできない。データがあまりに少ないのだ。 その後、鬼は分化がかなり激しくなる。分家がやたらに増えたのもこのころだ。現代において鬼の研究家が、この時代で足踏みするのはこれが主要因だ。 室町・戦国と鬼の好みの乱世が続くにも関わらず、表だって現れたのは、織田信長の二度の天正の役のみである。暗躍はあるにしても、あまりにも寂しい。 江戸時代にはあの松尾芭蕉がその半生を賭けて阻止した八つ裂き連続殺人事件があった。 「鬼行紀行」によると、この事件の犯人は「津山」の本家の鬼だったようだ。1200人という死者の数にも信憑性がある。 だが、厳しい幕藩体制の檻の中では、やはり活動は鈍かった。 明治になると、海外に家ごと移住する鬼家まで現れて大変だった。 時代の流れは鬼すら押し流れないわけにはいかなかった。超人的な力だけでは、もうどうしようもない時代がやってきたのだ。 いくら鬼でも、素手て戦車に向かっていって勝てるわけはないのだ。大砲が直撃すれば死ぬ。機関銃の弾はさすがに避けられない。 明治以降、鬼家は衰退の一途を辿っている。しかし、決してその力は衰えているわけではない。 いつか酒天童子や平将門のような強力なリーダーが生まれれば、再び表の歴史に帰ってくることもあるかもしれない。
願わくば、その時がこず、妥協が成り立つことを祈りたい。
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俗に「鬼名一二家」と言われるが、実際は滅んだ血族や海外へと雄飛した連中もいる。正確に日本にいるのは十家だけである。
もっとも、あくまで「現在」の調査報告によるものであり、野に断絶した血族が残っていたり、新たなる血族ができないと断言することはできない。 |
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この一族は本当に滅んでしまった。いや、正確には分家の「柏木」が現在まで続いている。しかし、この一族はその分家であるはずの「柏木」によって滅ぼされている。これは現在に至るまでの鬼研究者の最大の謎となっている。今までにも書いたが、このころの情勢に関する資料がほとんどないのだ。どう考えても「柏木」一族が怪しいのだが、証拠はない。
肝心の部分以外の資料では、この一族の記述は事欠かない。 大江山を本拠にし、鬼のみならず周辺の人間からも慕われた「鬼大将」、酒天童子や関東の鬼の総大将で人と鬼の両方を巻き込んだ最大級の反乱を起こした平将門がこの一族である。鬼の中でも高名な大将は、鬼からも人からも慕われている。特に酒天童子など地元では、今でもその命日では刃物を使わず彼の冥福を祈るほどの人気である。 今の鬼にもこれほどの指導者が現れれば、、、。 この一族は常に他の鬼を先導してきた。「柏木」ですら、その力は比較するに足りないだろう。平将門など、平均身長150センチの頃で、身長2メートルもあった。その刀は巨岩をも両断したという。朝廷は、農民兵が田畑の刈り入れをする時期を見計らって攻め、それでも多大な被害を出し、ようやく討ち取った。「冷泉一人は万人の敵」とまで言われた所以である。 |
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系図を辿ると、柏木は、鬼の王たる「冷泉」の分家だ。にも関わらず、ほぼ全ての鬼から忌み嫌われる謎の存在だ。
一説には、平安時代にあった万寿の征伐で、人間側に裏切ったともいわれているが、資料はほとんど現存していない。 明らかに何者かによる隠蔽の跡が伺えるのだが、、、。引き続き調査を続行したい。 分家としては「柊木」や「桂木」がある。 毎回書いていて思うのだが、「柊木」の読み方は「ひいらぎ」ではなく、「ひいらぎき」になると思うのだが、、、。まあ、そんなことはどうでもいい。 特徴は、全ての鬼をも屈服させる実る力に尽きる。もちろん、水中戦なら「辰宮」や「村上」には苦戦するだろうし、爪の切れ味なら「津山」の方が上だろう。 しかし、これだけは言える。「何もない草原で鬼同士が戦うことがあれば、最後に立っていのは柏木だ」と。全てにおいて他の鬼を上回る、それが王である柏木だ。 言葉で表すより、一度戦えばすぐに分かる。次の瞬間、自らの首が飛んでいるのが分かるだけだから。 「最強」としか形容することはできないのだ。 他の鬼との関係は最悪である。無論、最強たる柏木に、手出しをする馬鹿はいない。 だが、協力することは無いし、柏木が一人死ねば、他の鬼は柏木の見えないところで、「不安が一つ消えた」と安堵するだろう。 唯一ましなのは、中立派を宣言している「一角」のみである。だが、「一角」も、個人的なつきあいでも無い限り、進んで助けるようなことはないだろう。 「最強」である柏木が他の鬼と仲が悪いのが、鬼の統合を妨げているような形になっている。 もし、柏木が許されるようなことになれば、かつてのような鬼の連合が成立するかもしれない。 「柏木」は鬼を語る上での最重要用語と言えるだろう。今後の鬼の情勢は、「柏木」が握っている。 |
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鬼には本来、超人的な回復能力がある。少々の刀傷なら、ものの数分で塞がるだろう。それでも、鬼は戦闘を好む以上、生傷は絶えない。そこでこの一族が登場するわけだ。
鬼が他人を癒すには、通常、血を移植する方法が採られる。しかし、この方法は鬼の本能の暴走を招き、人間に行うと、その人間は鬼になる。 そしてほぼ確実に暴走する。よほど精神力がなければ、鬼の血の激烈な変化に耐えられないのだ。 ところが、この一族は、「回復力の付与」ということができる。 手をかざし、患部に当てると、傷口が塞がるのだ。「ヒーリング」という現象によく似ている。外傷だけではなく、ある程度なら内患にも効く。 どういう原理なのかはよく分からない。だが、いわゆる「魔術」と言うものとは根本的に異なるようだ。 他の鬼との関係は良好だ。永世中立を宣言しており、全ての鬼を分け隔てなく治療している。ただ、中立であるので、他の鬼と同盟する事はない。 スイスみたいなものと考えていただければよい。 分家は「二角」や「三角」がある。数字に「角」で大変わかりやすい。それにしても、この「一角」という苗字と癒しの力は、西洋のユニコーンを連想させはしないだろうか?もっとも、鬼状態の「一角」の角に、癒しの効果など無いが。いずれ、このことについて追及する時があるかもしれない。 新古に関わらず、よく宗教的な説話にヒーリングの例はよくある。それと一角を結びつけるのは少々強引だと思う。 とはいえ、日本の民話にも山などで迷い、たどり着いた一軒家で、道中に負った大怪我を癒してもらうパターンの話がある。 「一角」の所在地と照らし合わせてみると、これがぴたりと一致する。 江戸時代以降は邪法として、その癒しの技が見つかり次第、斬首にされた。しかし、近郊の民などが内密に病人や怪我人を連れてくることはままあったようだ。 |
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水上戦を「鉤針」と共に担当するこの一族は、河童のモデルではないかと言う説もある。
何故か、この一族は代々男性ホルモンが多いらしく、男性型脱毛症にかかった人間が多い。しかも、鬼の形態になった「辰宮」には、水掻きがある。その上、体色は緑になる。どう見ても、鬼になった状態の辰宮は「河童」である。 一刻も早く、私は辰宮と河童の所在地に関する研究に入る予定だ。だが、鬼の所在地は、今の時代でも分かり難い。やりがいがありそうだ。 各地の河川や湿地で、彼らは熾烈な戦いを繰り広げていた。 当時の川というのは、単に「流れる」だけのものではなく、船舶による輸送に無くてはならない「輸送路」であった。 彼らは時には「輸送部隊」、またある時には「略奪隊」として暗躍していた。戦場においての補給の重要性についてはここでは語らない。 ただ、彼らは鬼の勢力を支えるのに重大な任務を果たしていた。それだけのことだ。 他の鬼との関係は、普通だ。ただ、同じ水軍として、「鉤針」とはライバル関係にある。別に両者が争うことはないが、お互いに敵視ではない対立をしている。 現に、年に2回、両者は会議を取り持っている。 分家には、「鳥宮」、「猫宮」などがある。動物がらみなわけだ。 この一族がその名を高めたのは、やはり、新皇平将門の軍勢の中核を成したところだろう。 平将門自身は「冷泉」の出身だが、その軍勢は、関東に住み着いていた土着の「辰宮」が中核であった。 「水人」といえば、それは彼らのことだ。平将門の乱自体の説明は後に回すとして、彼らの夜中の奇襲は、討伐軍の心胆を大きく寒からしめた。 |
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「辰宮」が河川や湿地の戦闘を主任務にしているのに対し、彼らは大海原で戦うことを誇りとしている。
瀬戸内海を根拠にし、彼らは中世日本史に大きく関わってきた。こと海上戦にかけて、彼らは無敵を保ってきた。 (今は流石に苦しいが)幾たびもの海戦で、人間側の水軍は、実にあっさりと叩きつぶされた。彼らの海上輸送は、鬼の砦を難攻不落の要塞とした。 鬼という奴は、身体が大きく身体能力も高いため、かなりのカロリーを必要とする。要するに大飯喰らいだ。輸送の物資も大量に必要なのだ。 あの有名な藤原純友の乱があそこまで長引いたのも、彼らの暗躍によるものである。 なにしろ、瀬戸内海は彼らの庭のようなものだ、討伐軍が気の毒である。よくぞ平定できたものだ。 他の鬼との関係は、普通だ。ただ、同じ水軍として、「辰宮」とはライバル関係にある。 別に両者が争うことはないが、お互いに敵視ではない対立をしている。現に、年に2回、両者は会議を取り持っている。 同じ文章の使い回しだが、気にしないで欲しい。一般的に言って、「海の男」な鉤針は、声が大きく、特に笑い声が大きい。好き嫌いの分かれるところだろう。 分家は「村上」や「河野」が代表的なところだ。というより、瀬戸内の海賊は、多かれ少なかれ「鉤針」と関係がある。 余談だが、私は分家筋と親戚関係にある。世の中は狭い物だ。 戦国時代は多くの鬼が縮小した時期だが、彼らのみは、大きく時流にのって、江戸時代にはちゃっかり、船手奉行になっていたりする。 「鈴木」を除けば、今日最も繁栄している鬼であるといっても、あながち間違いではないだろう。海の持つ力は、偉大である。 また、断言はできないのだが、その性質上、彼らの相当数は海外に移っていたのではないか。海外の鬼伝説は、「鉤針」と深い関係がありそうだ。 「辰宮」同様、音戸の舟唄にあるように平将門との縁が深い一族でもある。
現在の頭首は、「鉤針 碇」。
強面だが人情に熱い兄貴だ。 |
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津山という一族は、まさに剣士の名に相応しい。
戦場で常に先頭を切って突っ込んだのは彼らであり、「鬼の切り込み隊長」と相手に畏怖されていた。 無論、鬼といえども不死身では無いので、戦での死亡率は、彼らが一番高かったようだ。 特に、万寿の征伐では、一族の本家も分家も含めて七割が戦死した。この時に幾つもの津山の分家が絶えている。 だが、現在においても、その凶暴性故に、津山は鬼の一族の中でも特に名高い。その爪は、鉄板をも易々と切り裂き、素早い動きは、常人にはまず捉えられないだろう。 ただ、鬼の中では、比較的持久力がないとされており、ばてるのは早い。無論、「鬼の基準」でのことだが。 分家としては、「津村」や「津川」がいる。 他の鬼との関係は、さほど良くない。何に付けても急進的で浅慮な傾向のある「津山」は、他の鬼たちにも「目のない鉄砲玉」くらいにしか思われないケースが多い。 特に「闇走」はよく、囮に津山の若い衆を使っているといわれ、いがみ合っている。とはいえ、その武力は大きく、鬼の中では重宝されている。 「津山」は自己主張は強いし、それに見合った力を持っている。にもかかわらず、組織をまとめたり指揮を執るのは苦手だ。 一言で言えば、カリスマ性が無い。鬼の中では強者に分類されるのに、いまいち目立たないのはその辺りに遠因が、、、 頭首は代々、「刀十郎」という名前を襲名するのがしきたりとなっている。
現在の頭首は、「津山 刀十郎(旧名:楓)」。
現在の刀十郎は、女性でありながら歴代最強と言われる頭首だ。 歳は見た目からは想像もつかないが、80は超えているのではとささやかれている。 |
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この家はかなり特殊な家訓を持つ。家を継ぐのは血の繋がる一族ではなく、養子である。何の血縁の無い人間をさらい、鬼の血を分ける。
そして、発狂した者はその場で殺し、血の苛烈な衝動に耐えきれた者のみを一族に迎え入れる。そういう意味では、純粋の「闇走」なる者は存在しないと言っていい。 その後も詳細は不明だが、苛烈な特訓を半年に渡って受け、生き延びると一人前と認められる。そして、上官の命に従い実戦へと出る。 内部は厳しい階層性になっていて、上に上がりたいなら方法は、自らの上官を殺すか自然死を待つかしかない。 さらにこの一族の特殊な点は、一つも分家が存在しない所にある。 一族の成り立ちを考えれば当然かもしれないが、この一族は、これで精強さを保っている。そして、生業である暗殺や工作、誘拐などを繰り広げる。 「冷泉」でさえ、この「闇走」に頭ごなしに命令することはできなかったといわれている。 他の鬼との関係は、まず、ほとんど接点がない。闇に生き、闇に死ぬ闇走に関係無いのはほとんどの鬼が同じだ。 あまりの特殊性故に、一族の人数も少ない。彼らは依頼さえ受ければ同族でさえ、ためらい無く殺すだろう。友好を求めてもどうしようもない。 「冷泉」に鬼がまとまっていた時」は、果たしてどういう態度で会議などに出ていたのか、個人的に興味がある。 もっとも、誰がトップに立とうが彼らには関係ない。彼らは、命令どおりに「任務遂行」するだけなのだから。 |
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読みにくいが、「くそう」と読む。この一族こそ、鬼の中で最も謎に満ちあふれていると言っても過言ではない。
古来より、傀儡や猿回しといった芸能を行い、この一族は日本中を巡り歩いていた。目的は分かっていない。 一説には間者として諸国を偵察していたとも言うが、具体的な資料がまるで無いのだ。 だからといって、おいそれと傀操の方に伺うわけにもいかない。現在でもこの一族はかなり排他的なのだ。 この一族は近年になるまで文字を習得せずに口伝で技や歴史を伝えてきた。 鬼の全盛期、彼らはほとんど会議にも出ることがなく、やはりその辺を彷徨いていただけだった。 それに目を付けた人間の軍勢が夜襲をかけたらしい。その軍勢は、翌朝、世にも悲惨な死体となって発見された。 喉笛を噛み千切られた者、五体をずたずたの八つ裂きにされた者、何か重い物で頭部をすりつぶされた者。全員の死体が原型を留めていなかった。 その後、何喰わぬ顔で彼らは去っていった。これ以来、この一族に手出しする事件は無かった。 分家は芸の名前によって決まる。本家の「傀操」は傀儡の技、「猿操」は猿回し、「占操」は占いといった具合である。 現在でもそれぞれ得意の芸を引っ提げて全国を巡っている。最近はサーカスなどもやるようだ。 他の鬼とは疎遠だ。何をやっているのかよく分からない「傀操」に対して、他の鬼の反応は冷ややかだ。特に助けることはまず無い。 ただ、「闇走」とは、他の鬼と比べてだが、連絡があるようだ。 これは未確認の情報であり、追跡調査が今後も必要だが、この一族が一芸に秀でるわけは、技を殺しに使っているからという情報が入っている。 曰わく、「傀操」は操り人形の糸で人体を切断する「操弦」の技、「猿操」は猿に相手を噛み殺させる「喰猿」の技、「音操」の人間は死体をも意のままに動かす「操笛」の技を使うというものだ。この他の分家にもあるらしい。 これが真実なのかどうかは未だに確かめるすべをもたないが、上記の死体の有様と技を対比してみると、実に殺し方が似ている。私は傾聴に値する意見だと思う。 それにしても、これが正しければ、この鬼だけが己の肉体を武器にせず、技で戦うということになる。(「闇走」は除く)道化の力、侮るべきではない。 |
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この鬼を人はこう呼ぶ。「狂気の鬼」と。それほどこの一族には狂人が続出している。狂気と正気の狭間に立つ定めなのが彼らだ。
この鬼の最大の特徴は、その狂気を他人にも伝染させることができる所にある。その人物の持つ狂気を刺激し、目覚めさせる。 かつて何人もの「鬼殺し」が、彼らによって精神を磨り減らされ、引退していった。 狂気は人によって違うので、ある者は過食に走ったり、またある者は潔癖症になったりと、対策のたてようがない。せいぜい、「強く自分を持て」くらいしか言えないのだ。 また、歳月を経た「月宮」は、その狂気を現実に反映させることができるとも言う。灼熱地獄を想像すれば、それが現れると言った具合にだ。 さすがにこれは確証は持てないが、あり得ないことと言い切るのは、この世界を知っている人間にはできないだろう。 他の鬼との関係はあまりない。狂人が多い一族故に、通婚関係もない。 その狂気の技が気味悪がられていることも手伝って、鬼の中でもアウトローな一族だ。 分家は「月山」や「月丘」というように、「月」が頭に付く。英語で「狂気の」が「Lunatic」であることを暗示しているかのような命名だ。 この鬼はこの精神汚染の能力を駆使して、歴史を暗躍したとも言われる。有名な平清盛の「髑髏の怪」も、この一族の陰謀ではないかと疑われている。 |
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天狗のモデルとなったのは、この一族と言われている。
天狗には大きく分けて、鼻の高い大天狗(鼻高天狗)、鷹や鷲のような姿をした小天狗(烏天狗)などがあるが、「羽扇」はそういう姿ではない。 格好から言うと、修験者である。問題は超人的な力にあるわけで、、、。 例えば、幼き日の源義経を指導した鞍馬天狗や、流罪後の崇徳上皇に仕え、平氏の人間を苦しめた白峰相模坊などがこの一族と思われる。 どうも、修験者の格好をしている割に、政治臭のする連中である。 分家としては、「羽杖」や「羽嚢」などがある。しかし、元々閉鎖的な一族である故に、その絶対数はきわめて少ない。 修験者の格好をしているので、嫁も来にくい傾向にあるようだ。 他の鬼との関係は、やはり疎遠だ。同じように諸国を巡る「傀操」とは一定の協定と交流があるようだ。 修験者の格好をして、この一族は諸国を巡った。険しい山道もその健脚で瞬く間に走覇する姿は、その辺りに住んでいる住民にしてみれば、どう考えても「天狗」としか見えないだろう。 ちなみに「天狗」の語源は素戔嗚尊の吐く息より生まれたとされる天逆毎とされている。中国の「天狗」は「天の犬」という意味で、全然関係がない。 主に四国や大和などの、旧来よりの参拝地とされて来たところを、彼らは巡っていることが多い。なぜ、道無き道を歩むのか。西洋のドルイド僧と比較する研究報告もある。 だが、一説には山に逃れ、「一族」から離れた「はぐれ鬼」を狩っているのではなかったのか、とする説もある。 その超俗的態度から、人間に対しても、何処か突き放したような態度に出ることも珍しくはない。 しかし、歴史に顧みても人間に手を貸すことも多いようで、古くから人間との交流があるのもこの一族である。(いわゆるツンデレというやつだろうか?) |
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鈴木は鬼の一族の中で最も数が多い一族だ。数えるのもいやになるほど分家がある。
とはいえ、血が相当薄いらしく、自らの「鬼」が目覚める人間は滅多に出ない(本家は除く)なにしろ、普通の鈴木さんも日本では非常に多いのだ。 はっきりといって、家系図を見ないと、「鬼の鈴木」か「普通の鈴木」か分からない。多すぎる、というのも不便なものだ。 鬼のなかで、人海戦術を今でも使うことができるのはこの一族くらいのものだろう。その分、他家に全ての能力で劣り、「雑兵」扱いされることもある。 だが、現在絶滅とまではいかなくてもその数を減らしつつある鬼の中で、いち早く人間との通婚を奨励し、その一族の数を着々と増やしてきた一族である。 本家を中心とした一大サーキット(回路)を張り巡らしているとも鬼の間では噂されている。 最弱の鬼は、一族の結束と数を強化することで、侮りがたい力を手に入れたわけだ。 分家は上記の通り、分からない。多いのは確かだが。 他の鬼との関係は、超俗的な「闇走」や「羽扇」などはともかく、その他の鬼からは下にみられている。 特に、近代に至るまで不当な弾圧や差別を受けてきた「傀操」からはよく白眼視される。「人間に媚びている」というのが最大の理由だ。 歴史上有名な鈴木は多いが、この一族で一番有名なのは、織田信長の猛攻を執拗なゲリラ攻撃でうち破った根来衆の頭の鈴木一族だろう。 よく分からない人も、雑賀孫市と言えばわかるだろう。本名を鈴木重秀と言う彼は、徹底的なゲリラ戦法と鬼には珍しい集団行動の徹底、そして、最新鋭の鉄砲の集中運用で、伊賀の鬼を天正の役で根絶した信長と互角に渡り合い、最終的には和平までもっていった。 個人戦を重視し、あまり戒律に厳しくなかった鬼達にとって、これは衝撃的だったらしく、この後鬼の間で一族協同が強く叫ばれるようになった。 近代兵器に対して、いち早く目をつけたのもこの一族である。 |
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この一族は現在、日本ではその姿を見ることができない。その存在は、中世以降途絶えている。
それはなぜか?有力な説は、海外に一族ぐるみで渡海したというものだ。それにはとある要因が関わっている。 西洋におけるワーウルフには幾つもの種別がある。 詳しくは「月夜の森」にでも行けば資料はあるが、それらの一族の中に全く入っていないにも関わらず、中世以降ひょっこり現れ「無冠の一族」とされる一派がいる。 どうも、彼らが、中世以降日本から姿を消した「犬神」ではないかと言われている。 この一族の特徴が、「鬼」と化したときの体型が、人型ではなく獣であることである。 本家は「犬」というより「狼」、分家の「熊神」は「熊」など、姓にかかる動物の姿をとるのだ。 原理はよく分からないが、そういうことから、この一族は人間はもとより同じ鬼からも「忌み筋」とされ、冷遇されていた。 その辺りに一族大量移住の真相があるのではないかと思われるが、、、なにしろ、詳しく調べるには西洋・東洋・シルクロードと調べねばならず、一苦労だ。 おそらく合同調査チームを組まねばなるまい。 この一族には、まだよく分からないことが多い。とはいえ、鬼と同じくらいワーウルフも閉鎖的な一族である。前途は多難である。 某探偵と、遺産争いで骨肉の争いを起こした某一族とは一切の関係もない。 最近まで滅びたと言われていたが、富士の樹海にてその個体らしきものの目撃例が上がっている。 しかし、富士の樹海といえば裏の世界では立ち入っては行けない禁忌の場所である。どうしたものか。 |
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重大な違反を犯した同族(鬼族)や暴走し手に負えなくなったものを狩るための組織が「オヤシロ」である。
設立時期は定かではないが、ここ数十年から百年ほどの間で設立された新しい組織と言われており、各家の連携を強めたいとの思惑もあるようだが効果の程は定かではない。 (一部ではBBNの設立と同時期に設立され、BBN所属の鬼達によって設立されたとの情報もある) 「オヤシロ」は普段は神社を営んでおり、各家によって祀られている神様は違っており、「鉤針」なら恵比寿、「傀操」ならば弁天と言った具合に家業に関係する。 現在は、10の分隊があり、各部は各家の直系の者達と「宮司」と呼ばれる「オヤシロ」の最高責任者によって治められ、10人ほどの人員から成り立っているようである。 普段は鬼族の厄介事(魔物関連)を片付ける仕事がほとんどだが、暴走し手に負えなくなった同族が出ると12家の決定の元に“狩り”を実行する。 心のない同族には死神などと呼ばれ忌避されることもあるようで、鬼達の内部も一枚岩というわけではなさそうである。 BBNとは繋がりが古くからあり、相互的に協力体制にあるようだ。 |
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12柱のアスラ王をリーダーとした天界より落とされた多面多臂の神々であり、鬼達の祖先と言われている存在だと言われる。
元々は鬼族の長達が、目下の者達に権威を示すための妄言だと思われていた。 しかし、ある遺跡にて鬼を生むアスラ達の姿が描た壁画が発見されたことによって、その見解は多少なりとも見直されることとなる。 実際に神や悪魔と呼ばれる高次の者達が存在することは裏社会では常識の範疇であり、 この発見によって今まで明かされていなかった鬼達のルーツが解き明かされるかもしれないと期待された。 最初の遺跡発見以後、同じような遺跡は発見されず鬼達の排他的な社会の構造も相まって調査は難航しており、真相は依然として闇の中である。
現在では、この壁画すらも太古の鬼族達が自らの権威を象徴するために描いたのではないかと言われているほどだ。だが私は、この意見に対して少々違う見解を持っている。
ここからは私の推測と妄想の範囲になってしまうが、こういった話に浪漫を求めずにはいられないのが私のような人種であろう。
知人の話によれば、歴代の鬼達の長の中には副椀を持った者も多くいるらしく、そういった者は必ずと言っていいほど強力な力を持っているそうだ。
副椀といえばアスラを連想させる特徴の一つであり、先祖返りだとは考えられないだろうか? また、アスラ王は11柱神々とそれを束ねる1柱の神から構成される。それらの名は現在の十二家の苗字を連想させるものだ。 少々乱暴な見解であることは承知だが、私がこういった考えを持つのには他にも理由がある。 鬼達の信仰に目を向けてみると一見普通の神道を進行しているように思えるが、 彼らが進行している神仏の像を見てみるとどの像も多面多臂であることからアスラ信仰が源流にあると考えられる。 一族の長が絶大な力を持つ鬼にとっての信仰とは、長の神格化にあるように思えてならない。実際彼らが信仰しているのは、12家本家に縁があるものばかりなのである。 また、彼らと同じアスラを信仰する者達は、種族関係なく一部ではあるが鬼の力を発揮するものもいる。 これは、アスラを信仰することによってその加護を受け、鬼としての能力を発現したのではないだろうか。 異国の宗教には、教徒が信仰によって力を得る例も多数見受けられるため、アスラ信仰にもこういった力があるのではないかと私は考えている。 こういった実際に異能の力が関わっていることを考えると、「鬼の祖先がアスラである」といった意見を一笑に付してしまうのは早計であると私は考えるのである。
以上、ある冒険家の手記より抜粋。
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