「みっみっ、みらくる、みっくるんるん、みっみっみらくる、みっくるんるん・・・」
「(なんでこんな曲がカラオケにあるんだ・・・?)」
音程はいつものように外れっぱなしだが、天使の歌声をいっしょうけんめい響かせている朝比奈さん。
歌っているのは、去年の文化祭でOP・EDテーマとして挿入された例の曲である。
「こいのっまじかるっ、みっくるんるん! ・・・はぁはぁはぁはぁ」
「きゃほー! いいわよみくるちゃん! さすがはみくるちゃんね!」
「はぁはぁ・・・、そ、そうですかぁ?」
「次はあたしよっ! こらキョン! 曲ばっかり選んでないでこっち向きなさい!」
今、俺たちがいる場所はもうお分かりのようにカラオケボックス。
何でこんなことになっているのかは、3日ほど時間をさかのぼらないと説明できないだろう。
2年生に進級し、しばらく経った後の7月始めのことである。
去年に引き続きハルヒ大先生にテスト勉強をご教授願い、何とか期末を乗り切ったテスト明けの日。
ぐったりとした俺を半ば引きずりつつ、我らが団長様は文字通り太陽のような笑みを浮かべて部室へのルートを突き進んでいた。
このあたり、俺とコイツの関係を見事に表していると思うのだがどうだろうか。
「なにブツブツ言ってんのよ。それより」
「あ? なんだ?」
俺の訝しげな視線に、ハルヒは少し―――、何というか、はにかんだような控えめな笑みで。
「滅多になかったんじゃない? あたしたちが一緒に部室に来るなんて」
あー、くそ。グッとくるじゃねえか。いつも100ワットの笑みを浮かべてるからこそ、こういう仕草が引き立つのかね。
「そ、そうだな。珍しいなー、あっはっは」
「? なに笑ってんのよ」
俺の心情など露知らず、ハルヒはキョトンとした顔をした。
部室まではもうすぐ。他愛もない雑談をしつつ、俺とハルヒは特に警戒することもなく歩を進めた。
いや、まぁ―――。
部室の中であんな光景が繰り広げられているなんて、このときの俺には想像もできなかったんだからな。
♪♪♪♪♪♪♪
文芸部室の前についた俺たちは、いつものように部室の扉をノックしようと―――。
「(ちょっと、待ちなさいキョン!)」
伸ばした手を、団長に掴まれた。
「おいハルヒ、何のつもり―――」
「(しぃっ! 静かにしなさい!)」
「(な、何でだ?)」
「(何か聴こえない? 部室の中から)」
「(・・・え?)」
俺は気配を悟られぬよう、ゆっくりと部室の扉を開けた。
「「(・・・・・・・・・!)」」
二人分の驚愕、声にならないそれが見事にハモるのを感じる。
隙間から流れてきた、その音声は―――。
「わーたーしーにもー、ただーひーとーつのー、がんーぼうーがーもてるならー」
あろうことか、長門の歌声だった。
「んなっ、なぁっ・・・!」
「(こ、こらバカキョン、静かにしなさいってば!)」
「(んなこと言っても、長門だぞ? あの長門が歌ってるんだぞ!?)」
「(なに興奮してんのよバカ。そりゃまぁ、確かにあたしもビックリしたけどさ)」
「きおくのーなかー、さーいーしょーかーらをー、ほんにしてー、まどべでーよーむー」
俺たちが聴いていることに気づいていないのか、未だに響き続ける長門の歌声。
「(しかし・・・、歌上手いわね有希。意外というか何というか)」
別に意外じゃない。あいつなら何ができてもおかしくないからな。というか、何ができないのか見当もつかん。
「(それにこの曲・・・聴いたことないわね。まさか・・・)」
「(・・・長門のオリジナル、だったりしてな)」
「ぺーじーにはー、あかいしーるしー、あらーわれーてーおどりだすー」
ノってきたのか、左手を胸に当て、右腕を前に差し伸べて歌う長門。
歌ってるのは意外や意外、トランス調のやや激しめの曲だった。
それにしても、歌詞が長門にマッチングしすぎている。本当にオリジナルの曲なのかもしれない。
と、そこまで想像したとき。
ふと何かに気がついたように、長門がゆっくりとこちらを見た。
目が合った。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
俺は無言。
長門も無言。
ついでに何とハルヒも無言。
重すぎる沈黙を破ったのは、
「・・・・・・あなたの顔面を破壊する」
恐ろしく珍しいことに、殺気に満ちた長門の宣言だった。
「ま、待て長門! それはマズイ! とてもマズイ!! 版権的にも!」
「うるさい。関係ない」
「待って有希! これにはあたしにも原因が」
「うるさい。関係ない」
やべぇ、スイッチ入っちまってる。
結局、ブ厚いハードカバーの魔導書モドキをふりかざして暴れる長門を俺とハルヒで押さえつけ、なんとか沈静化したのはそれから5分後のことだった。
♪♪♪♪♪♪♪
「・・・ごめんなさい。謝罪する」
落ち着いたのか、いつもの定位置でほんの僅かに俯き、長門は俺たちに向かってそう言った。
「いいのよ有希。覗き見したキョンが悪いんだから」
「俺だけかよ」
とりあえずツッコミを入れつつ、俺は長門に向き直った。
「なぁ長門、あの曲は―――」
「・・・わたしのオリジナルではない。3日前、偶然店頭に並んでいた」
そうなのか。というか、俺の心の中を読まないでくれ。プライバシーも何もあったもんじゃない。
「ふうん、そうなの・・・。そうね、みくるちゃんの歌唱指導もしたいし・・・」
そう言って不敵に笑うのはもちろんハルヒ。あ、まずい。こっちにもスイッチが入っちまった。
「決めたわ! キョン、せっかくだからみんなでカラオケに行きましょう!」
待て。勝手に決めるな。それにいつ行くってんだ。
「決まってるじゃないの、今度の日曜日よ! 土曜日の不思議探索は普段どおりに実行するの! こういうのは継続してやんないと意味がないんだからね!」
・・・やれやれだ。
こうして団長様の横暴により、俺の貴重な休日にまことに遺憾ながら予定が追加されてしまった。
とりあえず、目下俺の心配事といえば、
「もちろん、土曜も日曜も最後に来た奴は罰金刑だからね!」
俺の財布が急激なダイエットによって体調を壊さないか、ということに尽きるのだが。
♪♪♪♪♪♪♪
「ぼーうけんでーしょーでーしょーほーんとがーうそにー、かーわーるせーかいでー」
そうして、時系列は現在に戻る。
やはり異常に歌が上手いハルヒと、それに無邪気に喝采を送る朝比奈さん。そして無言で曲を選び続ける長門を見ながら、
「はぁ・・・」
俺はため息をついていた。目ざとくそれを見つけやがった古泉が話しかけてくる。
「よろしいのではないでしょうか。こうして見ている限り、涼宮さんの精神はとても安定していますよ」
そんなことを心配してんじゃねえよ。俺がしてんのは俺の、もっと言うと俺の財布の心配だ。
結局2日とも奢らされた俺は、一気にやせ細ったわが同志の哀れな姿に心を痛めつつ、あの団長の横暴を軽く呪っていた次第である。
古泉はくつくつと笑い、
「仕方ありませんよ。涼宮さんが望んだことは現実になってしまうのですから。あなた個人の到着時間を操作することなど、閉鎖空間を生み出すことに比べれば造作もないことです」
そんなに言うならいっぺん立場を代わってみろ。つらさが身にしみるはずだぜ。
「さて。僕には役者が不足していますよ」
そう言って、古泉はリモコンでコードを入力、
「どこからーせーつーめいしまーしょーうかー・・・」
ちゃっかり自分の持ち歌を歌い出しやがった。くそ、上手い。
♪♪♪♪♪♪♪
ところで、俺は俺の行動に常に目を光らせ、いぢり倒して遊ぶチャンスを伺っている人間を一人知っており、その名を涼宮ハルヒという。
「こらぁキョン! あんたもなんか歌いなさいよ!」
団長直々にそう言われては断れるはずもなく、またあらゆる抵抗は水泡に帰すということをこの一年余りで学んでいたため、無難な曲を選ぼうと、
「あんたはコレよ!」
伸ばした手を団長に掴まれた。前にもあったな、このパターン。
「あ? なんだこの曲・・・。っげ」
すでにコード入力も完了し、ディスプレイに表示されていたのは、
『倦怠ライフ・りたーんず!』
俺の持ち歌だった。ちょっと表記が違うのは勘弁してもらいたい。さすがにそのまま使うのはまずいからな。
んなこと言ったら歌詞だってそうだろう、というツッコミも、せっかく俺が封印してるんだからやらないように。考えるだけ無駄だ。
「みくるちゃん、マイクもう一本!」
「はぁい」
げげ。コーラスまで入れる気かよ。デュエットは恥ずかしいぞ。
古泉、そんな生暖かい目で俺を見るな。朝比奈さんも、お願いです。そんな微笑ましそうな顔をしないで。
・・・長門、お前はもう少し反応してくれ。悲しくなってくるから。
♪♪♪♪♪♪♪
「あー、なんでいーつもー、きけんちだいこうちょー(爆発寸前!)、あー、にげるまーえにー、あくむがやってくるぅ!」
「はやくイくわよっ♪」
「にちじょーをこわすなよー、おれはふつーになまけるっ! もくひょーとかいいからー、どうでもいいからぁー」
「なにいってるの!?」
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
「き、緊張したぁ・・・」
なんとか歌い終わった俺は、隣にいるヤツが何か言いたげな視線を送ってきていることに気が付いた。
「どうしたハルヒ?」
「いや・・・、この曲作ったひとって何者なんだろう、って」
「はぁ?」
いきなり何を言い出すんだコイツ。
と、長門や朝比奈さんまでがその意見に同調しなさった。
「・・・あなたに最適な曲」
「そうですねぇ、キョン君そのものを表したみたいな」
・・・俺ってそんなに無気力かな?
「べ、べつにそうは言ってないじゃないの。それより、もう一曲歌いなさいよ!」
「何でだ。断る」
「何でもいいのっ。団長命令! 逆らったら罰ゲームだかんね!」
「・・・はぁ」
まぁ、逆らえないだろうということは薄々分かってはいたが。
「じゃぁ、次は・・・。コレっ!」
ハルヒが喜色満面でマイクを突き出してくる。またデュエットするつもりらしい。今回ディスプレイに表示されていたのは、
「・・・コレか」
♪♪♪♪♪♪♪
「それでは、心を込めて歌います」
半ば冷やかしているような喝采のなか、俺はゆっくりと言葉を紡いだ。
隣のハルヒとアイコンタクト。タイミングをはかり、
「「聴いてください―――『ハレ晴レユカイ』」」
「「あるーはれーたひーのことー、まほーいじょーのゆーかいがー」」
いつのまにか、デュエットが合唱になってやがる。
だが、悪い気はしなかった。歌の上手いヤツに引っ張ってもらうのは楽でいいし、不思議と俺たちの声質は合っていた。
歌詞とテンポはハルヒに合わせ、ところどころにボヤき・・・もとい、合いの手を入れる。
「おいかーけてーねー(分かった)、つかまえてみーてー(俺も行く)」
「「おーおきーなー、ゆめ、ゆめ、スキでしょっ?」」
・・・そして、最後のメロディ。
俺は少なからずアドリブを入れ、隣で満足そうにしているハルヒの、
「ふえっ、ち、ちょっとキョン!?」
手をとって、台詞を吐いた。
何故、そうしたのかは分からない。その場のノリか、はたまた深層心理が余計なことをしやがったのか。
ただ・・・、俺は確実に、一歩を踏み出した。
未来への一歩を。
「ほら、何やってんだよ。行こうぜ―――。
いつまでも、どこまでも一緒に、な」
顔を真っ赤にしているハルヒから目を離し、客席の方を見る。
ハルヒと負けず劣らず顔を赤くしていらっしゃる朝比奈さん。
やれやれ、とでも言わんばかりに肩を竦めてみせる古泉。
相変わらず無表情で、でも少し透明な(恐怖の)オーラを纏っている長門。
それぞれの反応を楽しみつつ、ハルヒへと向き直る。
止めとばかりに、俺はハルヒを優しく抱きしめ―――。
♪♪♪♪♪♪♪
その後のことは、あえて語るまでもないだろう。
古泉が「残念でした、僕も狙ってたのに」と言わんばかりの気色悪い視線をなぜか俺に向けてきたり、
朝比奈さんが俺とハルヒの歌声をべた褒めしてきたり、
長門がどこか諦めるようにオーラを消滅させたことなど。
「キョン、今度の日曜にカラオケ行きましょ!」
今の幸せに比べれば、そんなのは些末事に過ぎないんでね。
>Fin...