ㅤかたちあるものは。
ㅤいつかはこわれて、きえてしまう。
ㅤぴしりと、おとをたてながら。
ㅤぽろぽろと、あふれるままに。
ㅤひびわれて、こぼれて。
ㅤそして、かたちをなくしていく。
ㅤ――ああ、まただ。
ㅤわたしのかたちが、とけだしてゆく。
ㅤこわい、こわいよ。
ㅤだけど。
ㅤわたしがいつか、かたちをなくしたそのあとは。
ㅤ――かたちなきしあわせを、つかめますように。
■
身体が軽い――巴マミがそんな感覚に陥ったのは、おおよそ6時間ぶりのことだった。6時間前は、幸福感、もとい高揚感から。鹿目さんが魔法少女になる決意を固めて、一緒に戦ってくれると誓ってくれた時のもの。ずっと欲しかった私の居場所というものがようやく与えられたような気がして、それが魔女との命を賭けた戦いの場であるというのに、どこか舞い上がってしまっていた。その結果――眼前に迫り来る、死という底知れぬ恐怖を垣間見ることとなった。
そして今、マミは再び、同じ感覚に陥っている。しかしその裏に秘められた感情は、6時間前とは真逆であった。憔悴、焦燥、そして絶望――全身の脱力が感じられるほどに、脳裏を駆け巡る様々な想い。
数時間に渡る鎌月鈴乃との戦闘は、マミの精神を着実に蝕んでいた。確かにマミは、幼少期にキュゥべえとの契約を果たし、以降長きに渡り魔女と独りで戦ってきたベテランの魔法少女である。しかし鈴乃も同様、幼い頃から暗殺の訓練を受け続けてきた歴戦の暗殺者。二人の年齢差をも考慮に入れれば、むしろ鈴乃の方が戦いに身を投じてきた年期は長い。さらには、消耗すればするほど失われていくソウルジェムの輝きに対し、鈴乃は大気から聖法気を取り込むことができる。最初の段階で互角に撃ち合っていた地点で必然的に、戦いが長引けば長引くほどマミの側の不利が広がっていく。
そんな戦局の中で、鈴乃の警戒の外側にあった唯一の切り札、『ティロ・フィナーレ』は確かに、鈴乃を捉えたはずであった。そう、その瞬間に、鈴乃の後方に潜んでいた庇護対象、潮田渚の姿さえ見えなければ。
護るべき相手を、射殺しかけたことによる焦り。そして鈴乃と渚に向いていた銃口を強引に捻じ曲げて阻止したとしても、未だ護りたい相手である渚が、殺し合いに乗っている(と思っている)鈴乃の射程圏内に入ってしまっているという事実。焦燥が加速する要因は、この上なく出来上がってしまっていた。
「――やあ、調子はどうだい?」
極めつけに、狙ったかの如きタイミングで流れ始めた
第一回放送。本来であれば、1秒先の自分の未来すら閉ざされているかもしれない戦場で、耳を傾けるに値するだけの情報ではなかっただろう。
事実、鈴乃はその声をいったん、意識の外に置いていた。完全に音声をシャットアウトすることなどできはしないものの、心持ちを眼前の光景に集中すれば、ある程度を除外することは可能である。
一方で、マミの側。最初に聴こえてきたその声を、意識の外に飛ばすことなど――到底、できるはずもなかった。
「キュゥ……べえ……?」
その声の主――殺し合いの主催側の人物であり、自分たちをこの死地にたたき落とした紛うことなき敵であると認識していた相手は、マミのよく知る存在であったのだから。
魔法少女としてのマミの隣には、誰もいなかった。守る側と、守られる側。同じ人間であろうとも、両者の隔たりは大きい。研鑽を怠れば命を落とし得る者と、当たり前のように日々を謳歌している人たち。成績を維持する程度の勉強を行っていれば、趣味に費やせる時間が無い者と、文武両道を為せる者たち。歳を重ねるごとに、その溝は大きくなっていった。
そんな中でも、隣にとまでは言えずとも、常に共にあり続けた唯一の存在。それが、キュゥべえだった。その企みも知りえぬままに、家族の代わりとすら言えるだけの、歪な信頼関係がそこにあった。
この殺し合いの主催側に、彼がいる。その事実は、簡単に拭えるはずもない。
「……そっか。そうなんだ。魔法少女って、そういう……」
放心にも見える表情で、何かを呟いているマミ。そして、暗殺者、鎌月鈴乃はその隙を逃さない。放心状態のマミへと即座に銃口を向ける。魔法少女の身体の耐久性は先の応酬で理解している。厳密には、偶然にソウルジェムに当たっていないがためにマミへと致命打を与えられていないだけで、実際の耐久性とは認識の齟齬がある。ただ少なくとも、魔法少女の秘密など知る由もない鈴乃にとっては『ただの銃撃では殺せない』と判断するには十分な要素でしかなく、『殺さずに無力化する』という目的のために銃撃を選ぶ結果となった。
「っ……待って!」
「なっ……!?」
そんな鈴乃に対し、発せられた声。その主は、鈴乃の言葉を耳にして、この戦いが誤解から始まっていることをすでに察している少年、渚だった。
獲物に対して銃口を向ける鈴乃の行いは、ただの人間である暗殺者、潮田渚から見れば『マミの殺害』を試みる挙動に他ならない。魔法少女となったマミが、鈴乃から銃撃では殺せないと判断されるまでの能力を持っていることは、実際に戦っているわけではない渚にまで伝わっているわけではない。
しかし一方で、鈴乃は殺し合いに乗っているわけではないことも察している。当然、戦いが始まる前に接していたマミも同様。
渚には、殺し合わなくてもいい二人が殺し合っているようにしか、見えないのだ。止めなくては――単純明快な理屈に裏打ちされたその一心で、鈴乃の手にした銃へと思い切り右手を伸ばし、根本から銃口を逸らした。
渚が教室で暗殺を学んだ一年にも満たない期間など、鈴乃の暗殺者としての経験には遠く及ばない。しかし、鈴乃も決して完全無欠なる人間ではなく、注意を渚に逸らされ、物理的に銃の側面からの力を加えられたままに使い慣れていない銃を正確無比に扱うことなどできはしない。発射された弾丸はマミへと命中することはなかった。
そして――その一瞬はマミの意識を戦場に引き戻すには十分であった。
「――渚くん。」
改めて見た光景には、銃を構えた敵の姿があった。護るべき相手の姿もあった。そして――それ以上の認識はできなかった。キュゥべえによる放送の困惑も、未だ抜けてなどいない。短い期間で矢継ぎ早に突きつけられた様々な情報の波はマミの脳にキャパオーバーを起こすには充分すぎる。
明確に隙を晒した自分に対して行われようとしていた攻撃が最大威力の武身鉄光ではなく、鈴乃に殺意が見受けられないこと。そもそも鈴乃が渚を狙う様子を全く見せていないこと。そういったミクロの観察など、今のマミにできようはずもなく。さらには鈴乃と渚が会話を交わしているという聴覚情報すら、キュゥべえを主とする放送に集中力を奪われ阻害されてしまっていて。
――ボンッ!
手のひらに生成されたマスケット銃は即座に、<庇護対象>の近くにいる<敵>へと放たれた。咄嗟に成された判断ゆえ、その起動計算も大雑把だ。ただし間違っても、鈴乃の右手側に位置する渚へ当たらぬよう、弾丸は左へと大きく逸らされている。その結果――
「ぐっ――!」
――鈴乃の左肩が、大きく抉れた。
側面からの渚の突撃により僅かに体躯の逸れた鈴乃は、魔避けのロザリオの効力を持ってしても魔力により生成されたその弾丸を躱すことができない。当たる箇所によっては人の脆弱な身体など容易に弾き飛ばすであろう殺傷力の弾丸を初めてその身に深く刻んだ鈴乃。危険信号としての痛みすら吹き飛ばしてしまうほどの、強大にして単純な破壊力。
同時に、思い至る。カンナ殿は、これを頭部に受けたのだ、と。いくら彼女がドラゴンであるとはいえ、これを脳にまともに受けて生きていられるはずがない。
カンナに命中した弾丸が跳弾に跳弾を重ねて速度が落ちていたことや、本当は頭部ではなく、特に硬い角に命中していたことを知らない鈴乃は、その表情を曇らせた。追い打ちをかけるかのごとく、次の瞬間。
"――小林トール"。
半分以上を聞き流していた放送から微かに聴こえてきた『こばやし』の四文字に、鈴乃は背筋が凍り付くような感覚を覚える。呼ばれている名前が死者の名前であるという最低限の認識は持っており、その上でカンナ殿の苗字が耳に入ってきたのだ。
(……違う、カンナ殿ではない。カンナ殿の……家族、か。)
襲い来る安堵の感情。同時に、カンナ殿は家族を失ったというのに、少なからず安堵してしまったことへの罪悪感もが、僅かに遅れて到達する。これまでの放送も殆ど聞いておらず、死者の発表が五十音順に為されていることなど理解していない。だから、トールが呼ばれた地点でカンナの生存が確定していることも察していない。まだ、鈴乃の中に猫箱は閉じられたまま存在している。
だが、関係ない。カンナ殿の存否に今やるべきことは左右されない。
マミのターゲットにならないよう、肩を撃ち抜かれた自分を前に呆然としている渚を押しのけ、鈴乃は前に出る。左腕が使えない現状、単純計算で攻撃力も防御力も半減。殺さずに無力化、などと甘いことを言っていられる状況でもなくなった。この場で殺意を鈍らせては、殺される。そう認識するや、鈴乃の動きは未だ混乱中のマミよりも早かった。
一瞬遅れて、マミの魔法少女衣装のフリルから漂うリボンが鈴乃へと伸びる。罠を張るような余裕が今のマミにあるようにも見えない。先にも受けた拘束魔法を、今度は搦め手無しに放っているに過ぎないと判断。そしてその予測は、一切の誤りなく的中していた。ステップによるフェイントを織り交ぜ、リボンを回避。それに伴い鈴乃の前進が一瞬止まったその時間、マミは先ほど放ったマスケット銃を放り捨て、実弾入りのマスケット銃を生み出す。
両者の距離はいま一度、近接戦闘と呼べるまで近付いた。ゼロ距離で鈴乃に向くマスケット銃の銃口。そして――それより一瞬早く、紡がれし詠唱。
「――武身鉄光っ!」
「しまっ――」
大槌へと膨張したロザリオが、突きつけられたマスケット銃を弾き、銃口を明後日の方向へと導いた。
鈴乃へと向かう攻撃はもはや何も無い。このまま右手に握った大槌を振り下ろせば、マミの殺害――うまくいけば、無力化。どちらにせよ、カンナ殿の下へ心置き無く戻ることができる。
ただひとつ、気になることがあるとするならば、マミへと銃を向けた自分を渚が止めたということ。単に殺し合いに反対しているだけなのか、それともマミと組んでいるマーダーであるのか。はたまた――何か見落としている誤解があるというのか。
事実確認をする時間はない。それに時間を費やしてマミへの対処を怠れば、最悪の場合は自分も渚も、立て続けに殺されてしまう結果となる。
「……すまない。」
僅かに漏らしたのは、命を十全に奪い得る一撃を放つことへの、贖罪の言葉。これまでも暗殺対象に、数え切れぬだけの回数、紡がれてきた言葉である。
その者の全てである命を消し去ってしまうには、あまりにも空虚で、軽く。しかし冷徹さの裏側に添えるにはどこか重みのあるその言葉の意味が、見い出せない。マミの顔は、不可思議なものを見たように、疑問に歪む。ただその表情も、つかの間。振り下ろした大槌が、マミの頭部を強く殴打した。回避する余裕もなく脳への強いショックを受けて、必然的にぐらりと揺れる視界。勝利を確信し、冷徹さに満ちた仮面の如く、ポーカーフェイスを浮かべる鈴乃。
そして。
ㅤ直後、鈴乃が見たのは――
「……まさか謝るとは思わなかったわ。随分と、余裕があるのね。」
――その一撃に足元を大きくふらつかせながらも、勝利を確信したかのごとく口元に笑みを浮かべた、マミの表情だった。
一度逸らしたマスケット銃の銃口が、再び鈴乃の胸に突きつけられる。魔避けのロザリオも作用しないほどの至近距離からの、一撃で肩を吹き飛ばすほどの弾丸の威力。鈴乃の絶対的な死が、目の前に迫る。
マミが武身鉄光を死亡も気絶もすることなく耐え切ったのには、理由がある。今の鈴乃は片腕しか使えず、武身鉄光の威力を存分に発揮できなかった点。経験を積んだ魔法少女ができる、痛みをシャットアウトする方法により、痛みにより防衛的に気を失う作用が起こらなかったこと。しかし、前者はもちろん、後者も先の応酬の中の会話で、鈴乃には伝わっていた。これらも計算に入れた上で、鈴乃は渾身の一撃を放つことができていた。
鈴乃の計算外があったとするならば、ただひとつ。
"――遊佐恵美"。
攻撃の直前に、放送で唐突にもたらされたその一言により、一瞬だけ、躊躇が生まれてしまったということ。
カンナ殿の名前は放送で呼ばれ得ると、最悪の場合の想像はすでに脳内にあった。ややもすると、魔力を失って全盛期より弱体化している真奥や芦屋、漆原の名なども呼ばれ得ると認識していた。
だけど、遊佐の――勇者エミリアの心配は、最も遠くにあった。その一撃の軸を不確かなものにしてしまう程度には大きい動揺が、かの瞬間に鈴乃の胸中を迸った。
(……ありえないな。私が、仲間の死ごときに、ここまで動揺するなんて。)
クリスティア・ベル。それはエンテ・イスラ随一の、冷酷にして冷徹なる暗殺者のコードネーム。鈴乃がその名を冠していた頃のように、放送で呼ばれた仲間の名など気にも留めないほどに、ただ冷たく在り続けていたならば。
(……まさか、な。)
そんなもしもの自分を想起させ、そう在れなかった己に僅かに、自嘲を零す。教会に仕えていたあの日々のままの――クリスティア・ベルとしての自分で、仮にこの殺し合いと向かい合っていたならば。
それはきっと、初めに出会ったカンナ殿を無慈悲に殺し、次の獲物を求めてここに立っていた自分でしかなかっただろう。この敗北が、そしてその先の死が、追慕の情などというクリスティア・ベルにあるはずのない情念によるものであるのなら――仮に散ったとしても、それは鎌月鈴乃としての死だ。
その私は、ずっと捨て去りたくて、だけど捨て去るには振り払ってきたものが重すぎた殺し屋の仮面を、外せているだろうか。
それを本望とは言わない。カンナ殿の屈辱を晴らすという誓いに反する無念の敗北でしかない。けれど、私の本質は殺戮では無かったのだと、せめてそんな微かな想いを胸に抱きながら逝く事も、できるだろうか。
コンマ一秒後に襲い来るであろう銃撃を、半ば諦めたように受け入れたその時。
「――させるかよっ!」
斜め上から縦に凪がれた赤い閃光が、マミのマスケット銃を瞬時に切断した。ごとり、と小さく音を立てて落下する銃口から弾は撃ち出されず、空砲の音だけが辺りに鳴り響く。
予想だにしていなかった第三者の介入。いかなる人物の救援か視線を向け――その先にいた人物の目視と同時、顔を顰めたのはマミの側。
「……ご無沙汰ね、佐倉さん。まさかこんな再開になるとは思わなかったわ。」
「あたしもだよ。……マミ先輩。」
視線の先に立つのは、赤いワンピース型の装束に身を包み、体躯ほどの大槍を構えた少女、佐倉杏子。遠い過去に決別し、違う道を歩むこととなった存在。
「それで? 用は何かしら。また、私の邪魔をしようってわけ?」
今しがた杏子が行なった戦場への介入が戦局に刻みつけたのは、鈴乃の救出という結果のみ。仮に杏子が殺し合いに積極的であるならば鈴乃が撃たれた直後にマミに不意打ちを仕掛ければ良いのだから、客観的に見て、杏子が殺し合いに乗っていないのは明らかだった。それに対し、邪魔をするなと言わんばかりに発せられた、マミの一言。この戦いの始まりが何であったかは定かではないが、たった今マミは明確に、眼前の少女を殺害しようとしていたのだ。
「……確かに、一体あたしは何でこんなことやってんだろうな。」
だが、マミが相手を殺そうとしていたからなんだと言うのか。
何せ魔法少女と、それに類する力の持ち主が戦っているのだ。過程がどうあれそんなもの、喧嘩の範疇を超えて殺し合いになるに決まっている。
その認識の下、杏子は厳かに口を開いた。
「仲裁とか、ほむらのヤローの真似事みてえなことも気に食わねえし、そもそもあたしの柄じゃねえかもしれねえけど――」
杏子が殺し合いに反逆しているのは、正義だとか信念とか、そういった大層な思想からではない。ただただ自分がそうしたいからそうしているだけだ。
殺し合いに乗っている者に気に入らないと思うことはあっても、間違っているなどとは思わない。むしろ、己のために他者を蹴落とすそのあり方は、誰かのために力を使う奴なんかよりもずっとずっと正しいとすら思える。
それでも、その上で――たとえ、己が信念に逆行する行いであったとしても。
「――だからって。殺し合いたい奴が勝手に殺し合ってるだけだとしたって。今の……そんな辛そうな顔で凶器を振りかざすアンタを放っておくときっと、後悔するからさ。」
事実としてあたしはそう選択するしかないんだから、もう仕方がないじゃあないか。
「……さて、アンタが乗ってるかどうかは知らねえけど、ここから離れな。」
緊張の糸が張り詰める中、傍に立つ鈴乃に対し、そう告げる。
「……いや、殺し合いには乗ってない。それに私はまだ戦える。」
一方、あの時に不覚を取り殺されかけていたとはいえ、鈴乃はまだ致命傷を負ったわけではない。そう主張する鈴乃を、片手で制止する杏子。
「……アンタを殺そうとした相手の処遇を、知り合いだからってこっちが決めようとしてるんだ。その不義理にアンタが付き合う道理は無いし……何よりあたしが、一人でアイツとカタをつけたいんだ。……頼む。」
「……そう、か。」
物憂げそうに紡がれたその言葉を曲げるだけの信念を、鈴乃は持たない。そもそも目の前の少女がマミの相手をしてくれるのなら、自分は最優先事項、カンナ殿の下に戻ることを果たすことができる。言われたままに、カンナ殿が倒れた場所へと向かい、駆け出す。すでに放送は終わっており、カンナ殿の生存は確認できている。
(それにしても、義理だの道理だの、まるであの魔王のようなことを言うものだな。)
ふと、そんなことが頭をよぎった。
真奥貞夫がエンテ・イスラへにゲートが繋がった時に戻らなかったのは、日本へ与えた影響を元に戻してからでないと帰れないとのことだからだ。もし彼らが帰郷を急ぐあまり、誰かへの迷惑も厭わぬ巨悪であったならば――きっと、勇者と魔王の宿命はとうに終わっているだろう。それがどちらの勝利によるものかは、定かでは無いが。
そして鈴乃が撤退した戦場には、魔法少女が二人。マミとしては当然、渚にその刃を向け得る鈴乃を逃がすのは本意ではない。だが鈴乃自体の戦闘力に加え、昔タッグを組み、決別にまで至った魔法少女、佐倉杏子が立ちはだかっている。追跡は困難を極めるだろう。
ㅤ――それに、だ。今のマミには、杏子と戦うだけの理由がある。
「……変わったわね、佐倉さん。」
刺々しく飾ったマミの言葉の裏には確かに、共に魔法少女の仲間として過ごした日々がある。
――そうだろう、な。
アンタに最後に見せたあたしと、今のあたしはきっと、違う顔をしている。あの時はあたしから突き放しといて、今さらアンタに手を伸ばそうとしている。変わってしまったのは、あたしなのだろう。
……と、そう結論付けてくれてれば、まだ振るう槍は軽かったのだろうけれど。
「……それとも、変われなかったと言う方が正しいのかしら?」
「……。」
続くひと言は、確かにあの時の"あたし"を知っている、マミさんのものに違いなくて。あの日の延長にいるマミが、あの日と全く違う言葉を吐くのが、忌々しくて仕方がない。
「……好きに解釈してくれたらいいさ。」
「そうね、どっちでも構わないわ。」
マミは、嘲笑うようにあたしを見た。続く言葉は、びっしりと棘を、纏って。
「――キュゥべえに選ばれた剣奴でしかない私たちにとって、今さら戦う理由なんて些細なことでしかないものね。」
杏子はまるで時が止まったかのように、その言葉を吐いたマミの姿を呆然と、見つめていた。躍起になったかのような言葉の吐き出し方が、いつかのさやかと、重なる。
間もなくして、理解が追随してきた。
マミは、キュゥべえの正体を知らないままここにいる。だからこそ、主催者側にヤツがいたことの受け取り方は、あたしたちとは違うのだ。
「……なんだよ、その言い草は。」
「何か間違ったこと、言ってるかしら?」
その言葉は正しいのだろう。死の運命すら覆し、なお殺し合うために呼び出された自分たちは、剣奴――見世物のために戦わされる奴隷に等しく、マミの言葉を否定する材料なんて何一つ持っていない。
「……それ、死んじまったさやかにも、同じ言葉を吐けんのかよ。」
でも、だからといってそんな言葉を簡単に認めていいはずがない。何せマミの――正義の味方の、背中を追っかけて魔法少女になった奴がいる。それはさやかの憧れた生き様に唾を吐くに等しい言葉だ。
しかしマミは、不可思議な表情で首を傾げるばかり。
「変なことを言うのね。魔法少女の話であって、あの子たちを含んだつもりはないわよ。……そもそもあなたたち、いつの間に知り合ったの?」
そういやそうだったか、と呟きを零す。マミも自分と同じく、死の運命を曲げられて、この場に立っているのだと、先ほど予測したばかりだ。さやかが契約したのはマミの死亡後なのだから、さやかも魔法少女となったことなんざマミには知る由もない。
「……ただ、そうね。あの子たちも、私が無闇に関わったせいで巻き込んでしまった。もう私に、あの子たちの先輩面をする資格はない。」
ただし、死んださやかが魔法少女であったことをマミが知らなかったとしても、ふたりを巻き込んでしまったというマミの認識に大きな誤解はない。魔法少女として独りで戦うにあたっての孤独感から無理にふたりを勧誘したからこそ、キュゥべえに目をつけられてしまった。さやかに至っては、それで死なせてしまったという負い目までもがマミにはある。
「――そうよ。こんなの、間違ってる。」
その上で。それだけのマイナスを、背負ってしまった上で――マミはまだ、心を壊してなどいない。魔法少女の契約が殺し合いという見世物の参加者の選定であると考えたとして、それならばと優勝を目指すよう方向転換できるほど器用ではない。彼女の抱く正義は、簡単に曲げてしまえるほど軽くない。
「だから、決めたの。」
――でもね。
それを間違いであると断じたからといって、魔法少女の本質は変わらないわ。勉強、部活動、恋愛――一般に青春と呼ばれる多くのものを、魔女の退治に捧げてきた。それで人々を守れるのなら構わないと、心の底にあるわだかまりから目を逸らしながら。
……それすらも、この戦いのための訓練だったというの?ㅤそんな薄汚れた枠組みの中で、私はずっと踊っていたというの?
「――魔法少女が、殺し合いのために契約させられた、殺戮を生業とする存在だというのなら……それは魔女と何が違うって言うの?ㅤそんな汚れた存在、私は認めない。」
だって、そうでしょう?
仮にこの殺し合いに勝ったとして、キュゥべえとの契約は残ってる。きっと待っているのは、次の殺し合いの日に向けて魔女退治をさせられる日々。誰かに手を伸ばせばその人も鹿目さんや美樹さんみたいに、契約をしていなくても殺し合いに巻き込まれるかもしれない。現に、私が気にかけてしまったせいで美樹さんは死んでしまった。
これって、魅入った相手を死に誘う『魔女の口づけ』と、何が違うっていうの?
誰にも心を開けないまま、孤独のままで――そんなの、悲しすぎるから。
私が憧れた魔法少女とは、誰かのために泥を被って、誰かのために戦えるそんな存在。
でも分かってる。私はそうじゃない。
誰かのために戦うのは、誇り高いことだと分かっていても、心が、叫びを辞めないの。独りは寂しいって、誰かを求めて止まないの。
「だから――私は魔法少女を"救済"する。」
ずっとずっと……信じてた。
誰かの命を救うことが、私の、使命なんだって。
そして今も、信じてる。
事故で死んだ両親が戻ってくるわけではないけれど、紙一重で繋がれたこの命で、誰かを助けられたならば。両親の命を繋ぎ止められなかった私が、その分、誰かに手を、差し伸べられたならば。その時私は、あの時生き残って良かったんだって、思える気がするの。
――だから、ね。
これが最後の、人助け。
呪われた存在になってしまった魔法少女をみんな救済――すなわち殺して。そして。
ただ魔法少女に魅入られ、巻き込まれただけの、鹿目さんや――渚くんのような。守られる側の人たちを解放してあげるの。
――もう、大丈夫。
魔法少女(あなたたち)はもう、独りじゃない。
魔法少女(あなたたち)はもう、戦わなくていい。
私がその殺意ごと全部、受け止めるから。
だから――私と一緒に、いきましょう。
最終更新:2022年10月13日 01:28