夢に踊れ(前編)



「だあああああぁぁぁ!!!」

龍の尾を模した柳葉刀を高く掲げて、龍騎は雄叫びと共に戦場を駆ける。
息をもつかせぬ勢いで振り下ろされたその一撃は、しかしその先にある灰色の巨躯には届かない。
白刃取りなどという大層なものでさえない、片手のひらを閉じただけのそんな軟な防御方法で、龍騎の全力は呆気なく受け止められていた。

「このッ……!」

押し切ることも、退くことも出来ない桁外れの怪力。
物言わぬ表情を前に、得物を捨ててでも引くべきかどうか、龍騎が一瞬の迷いを見せたその瞬間、唐突に灰色の巨躯の背後から火花が吐き出される。

「真司を離せ!灰色お化け!」

その声の向こうにいたのは、龍騎と同じく龍を模した仮面ライダー、電王へと変身したリュウタロスの姿。
デンガッシャーによる射撃は相当な威力を誇るはずだが、しかしこの敵はまんじりとも怯みはしない。
どころかまるで何事もなかったかのように、ゆっくりとした動作で以てもう一方の掌から電王に対し青色の光弾を放った。

「やばッ――」

――CLOCK OVER

想像していなかった遠距離への攻撃手段に電王が覚悟を強いられた次の瞬間、しかし鳴り響いた電子音が彼の無事を知らせた。
光弾が着弾した場所には既に電王の姿はなく、その先、新たに現れたトンボの意匠を身に刻んだ水色の戦士が、彼を抱きかかえその救出に成功していた。

「麗奈!ありがと!」

「気を抜くなリュウタロス。奴は強い」

麗奈と呼ばれた水色の戦士ドレイクは、今の一撃を以て何とかドラグセイバーを捨てることなく怪人から離れた龍騎を見てホッと胸をなでおろす。
だが、それだけで一切の安心はおけない。
自分でも言った通り、この敵は恐らく今まで出会った中で敵味方問わず最強の敵である。

今の自分たちが持つ戦力で倒し切れるだけの力があるのかどうか、正直なところ微妙なところ。
勿論、この中で一番戦いなれている龍騎があそこまで敵わないとするのであれば、勝ち目などないとするのが普通であろう。
だが一つだけ自分たちがこの敵に勝ちうる可能性がある、それは――。

(――いや、この男にそれを期待するのは酷だろうか……)

自身の横で震えながら銃を構えるデルタのことだ。
今自分たちが戦っている敵は、十中八九三原修二の世界に存在する敵、オルフェノクと見て間違いない。
名護啓介や他の仲間たちの情報によって、ファイズやデルタなどのベルトであればオルフェノクに対する有効打を所有していることは分かっている。

目の前の敵がどの程度の実力かは分からないが、その種族がオルフェノクであるならば、デルタを持つ自分たちにも十分勝てるだけの可能性はある。

(……と、理屈ではその通りなのだが)

だが問題は、その変身者だ。
先の浅倉戦では彼がいなければ負けていたという局面があったとはいえ、それは言ってしまえば彼の運が良かった以上の意味を持たない。
自分たちに効いた浅倉の精神攻撃が効かない体質だったという幸運がなければ、あそこで全滅ということも十分にあり得ただろう。

正直に言ってこと戦闘において麗奈は三原を全くと言っていいほど信用していないし、信用するべきではないとも思う。
それは彼が弱いからとか情けないからとかいう理由以上に、戦いたくないと思っている男を戦いに駆り出すこと自体が間違っていると思うからだ。
とはいえ少なくとも今回に関しては彼の変身するデルタが勝利の鍵なのだから、どうにも頼るほかなかった。

(となれば後は三原修二が必殺技を出せるだけの隙を作らなくてはならないが……)

「間宮さん、大丈夫か!?」

思案に沈む麗奈の前に、何とか敵から距離を取った龍騎が帰還する。
或いは四人が無傷の今逃げるべきかとも思うが、先ほどのヴェールで瞬間移動され追跡をされれば、それこそいいようにやられるだけ。
どちらにせよ相手どらなければいけないとするのであれば、デルタという有効打を持つ自分たちが今戦った方が得策であると、麗奈は結論付けた。

城戸真司、私とお前で奴に隙を作るぞ。リュウタロス三原修二は援護を頼む」

「お、おう!」

「任せて!」

リュウタの返事と共に、二人は一斉に駆けだした。
龍騎は先ほどと同じく柳葉刀を構えて、ドレイクは引き金にその指をかけながら。
威嚇射撃としての意味も薄い弾丸を、しかしそれでも一抹の希望を込めて放つドレイク。

対する巨躯が光弾を放とうと開いた掌は、後方で援護する電王とデルタが打ち抜く。
相変わらず攻撃は効かないながらも僅かに照準はずれ、ドレイクは容易に光弾を回避し、再び弾丸を敵の顔目掛けて乱射する。
同時、そうして目くらましと行動の遅延を重ねた末の本丸は、既に敵の頭上に構えていた。

「はああぁぁぁぁ!」

柳葉刀を構えた龍騎が、大きく跳び上がり自由落下の勢いさえ利用してその刃を敵に突き立てんと叫んでいた。
龍舞斬の名を持つその一撃は、並の敵であれば容易に切り伏せられるだけの威力を秘めた強力な一撃。
故にその刃が敵を傷つけられない唯一の理由は、今相対する敵がこれまでにないほどの堅固さと戦闘センスを誇っているという、極めてシンプルな理由によるものだった。

跳び上がった勢いなど無視するように、先ほどまでと同じようにすんなりと刃をその手で受け止めた灰色の巨躯。
だが先ほどと違うのは、その剣の柄の先に得物に固執する龍騎の姿が存在しないということだった。

「ばーか!引っかかったな!」

――STRIKE VENT

巨躯が足元に目をやれば、そこにあったのは電子音声と共にその腕に龍の頭を模したガントレットを装備した龍騎の姿であった。
その手に持ったドラグセイバーを捨て対処に回るより早く、巨躯はその身に突き立てられたドラグクローに一歩後退を強いられた。
しかしその程度大したダメージに繋がるわけもない。

揺ぎ無くその足を進め龍騎を亡き者にするべく手を伸ばそうとして。

――EXCEED CHARGE

背に突き立てられた忌むべき毒素を含んだ白い三角錐に、その動きを止められた。

――FULL CHARGE
――RIDER SHOOTING

背後を確認することも出来ぬまま、左右からそれぞれ紫と水色の巨大な光弾が巨躯の身を押し潰さんと迫る。
いよいよ以て身動きが叶わなくなった巨躯は、そのまま成すすべもなく視界の先を見据え。

「はああああぁぁぁぁ……だぁ!!!」

その先で、巨大な赤き龍が主の動きに合わせこちらを焼き尽くす炎を吐き出すのを見た。
四方から放たれたそれぞれに相当の威力を誇る必殺の一撃を前に、立ち尽くす巨躯。
なればとばかりにその背後から、デルタは止めを刺さんと大きく跳び上がった。

「たあああああぁぁぁ!」

瞬間、オルフェノクを貫く刃、悪魔の鉄槌ルシファーズハンマーが、巨躯に深く突き刺さる。
まともな防御さえ出来ないこの状況であれば、恐らくは上の上たるオルフェノクといえど直撃を免れないと断言できる絶対的なこの状況。
だから彼らにとって不運であったのは、今対峙している相手が格付けなど出来ないほど、まさしく“別格”の存在であったことだろう。

「――ヌン!」

この戦いで初めて、巨躯が一つ声を上げた。
それと共に……僅かばかり、ほんの僅かばかり彼が身じろぎをした。
ただそれだけで、龍騎の、電王の、ドレイクの、そしてデルタの必殺技たる光弾は、巨躯に何らの効果も果たさぬまま跡形もなく霧散した。

数多の怪人を葬り去ってきた一撃を、都合四発も受けてこの余裕の態度。
それぞれの攻撃を生身で受けておきながら、なお無傷を誇る頑強な身体。
あぁ今こそ、この灰色の巨躯を確かな名前でこう呼ぼう。

アークオルフェノク、或いは――王と。

「な……」

弾け飛ぶ自分たちの攻撃と、情けなくも吹き飛ばされていくデルタを見やりながら、ドレイクは絶句する。
敵に対する攻撃は、確かに自分たちが持ちうる最大火力の合算ではなかったかもしれない。
だがデルタの攻撃を重用したこの一連の攻撃に、油断があったとは到底思わない。

見当違いがあったのだとすれば、それはデルタの力量を見誤ったことではなく間違いなく敵の力量を甘く見積もったことだ。
これまでにないほどの強敵、などというレベルではない。
これ以降もないほどの最大の強敵であるという想定でなければ、仕損じるような規格外の存在だったのだ。

「ぐ……」

どうすれば勝てるかではなくどうすれば逃げられるかに思考を切り替え始めた麗奈の視界の端に、衝撃故変身が解除された三原が呻いているのが映った。
まずい、と考えるより早く、彼女の手は腰のクロックアップスイッチをスライドする。

――CLOCK UP

電子音と共に高速移動空間へと移行したドレイクは、そのまま三原を戦闘の危害が及ばない場所にまで移動させようとする。

「ッ!?」

だが、それより早く目の前で発生した地面と光弾が接触したことによる爆発に、その行く手を阻まれた。

(まさか……もうそこまで見抜いているのか!)

次いでドレイクが見据えたのは、やはりというべきかこちらに向け掌を翳すアークオルフェノクの姿だった。
先ほどリュウタロスを救出したあの一回のクロックアップで、奴はこちらの起動スイッチを理解し対処してきたのだ。
言葉を発さないという点に甘んじていたが、奴の知能は決して低くはない。

どころかこと戦闘においては機械のような処理速度で以て合理的な判断を下す、まさしく戦闘マシーンとでも呼ぶべき敵なのだと、麗奈はようやく悟った。

――CLOCK OVER

同時、高速移動空間から弾き出されてドレイクは、生身を晒しながら目の前の爆発に飲まれ吹き飛ばされる。
あくまで余波だけであるというのに十全な威力を持ってその身から火花を飛び散らせ変身さえ解除させるそれを見て、電王は思わず飛び出していた。

「麗奈のこと、いじめるなー!」

デンガッシャーより銃弾を乱射して、アークの動きを僅かに鈍らせる。
直撃すれば鉄筋コンクリートの建物でさえ容易に消し飛ばす彼の弾丸は、しかしアークを前にしては有効打足りえない。
攻撃など意に介さずゆっくりと自身の方を向いたアークを前に、電王は思わず攻撃の手を緩めてしまう。

そして瞬間、やはりというべきか電王へ向けてアークは掌を向けていた。

「させるかぁぁぁ!」

だが、その掌から放たれる光弾を受け止めるのは、電王ではなかった。
ガードベントを使用しその身に盾を構えた龍騎が、彼を庇う様に立ちはだかったのである。
瞬間、真司でさえ聞いたことのないような金属音と衝撃を伴いその身体ごと大きく後退させられつつも、ドラグシールドは光弾を弾ききった。

だが、それで攻撃の雨が止むはずもない。
龍騎の盾を突き崩さんとするように、アークは二発三発と攻撃を重ねていく。
その度にガリガリと足を引きずり後退を強いられつつも、しかし龍騎は電王を守るように立ち続ける。

「――リュウタ!皆を連れて逃げろ!」

「え、でも真司は……」

「いいから!」

放たれたのは、息もつくのもやっとという中でしかし色褪せない真司の魂を込めた叫びであった。
この敵には、自分たちだけでは勝てない。
なれば名護や翔太郎、或いは士など、頼れる仮面ライダーと力を合わせなければならない。

そうして皆が逃げることにどうしても犠牲が必要だというのであれば、今の自分がそうなることに迷いはなかった。

(折角、俺の願いみたいなの、見つかったと思ったんだけど……)

麗奈との問答の末に見つけた『どうしても戦いを止めたい』という願いを無為にするのは、言いようもなく辛い。
だがそれでも、きっとその願いはそれを聞いた麗奈が、そして仲間たちが叶えてくれるはずだと、真司は信じることにした。
そうだ、仮面ライダーは自分の思った通り、傷つけあう敵同士なんかじゃなかった、助け合える仲間だったのだ。

それを知れただけで、今の真司は気持ちが楽になったようにさえ感じていた。
だから、ライダー同士の戦いを止めるという願いさえも委ねて、仲間の為に盾になることが出来たのだ。
だから――。

「真司!」

「リュウタ!早くしろ、もう抑えきれ――」

思考を中断させるリュウタロスの声に、思わず首だけでも振り返ったその瞬間。
真司の言葉は、それ以上紡がれることはなくなった。
光弾の乱射が意味を為さなかったに業を煮やしたアークが、その指先を伸ばし一筋の突きを放ったのである。

元の世界で、かつてカイザのベルトを突き破りその変身者にさえ致命傷を与えたそれは、此度も先ほどまでの応酬を無にするように呆気なく龍騎の盾を突き破り。
ドラグシールドほどではないにしろかなりの硬度を誇るはずの龍騎の胸を容易く貫いて、その下にある生身にまで到達していた。

「が……ッ」

それにより生じた暴力的なまでのダメージを前に全身を脱力させて、真司は強制的にその生身を晒し俯せに横たわる。
そのまま彼は、最早ぴくりとも動かなくなってしまう。
刹那そこにあったのは、あまりにも圧倒的な力に蹂躙された、願い届かず倒れ伏した守護者の姿であった。

「真司ぃぃぃぃぃぃ!!!」

電王が、仲間を失った慟哭を叫ぶ。
復帰してきた麗奈の腕が、力なく垂れさがる。
変身さえ解除された三原の足が、これ以上なくガクガクと震える。

この敵を前には、勝つどころか満足に逃げることさえ許されないのか。
やるせなさに拳を握りしめた麗奈は、しかし次に盾になるべきは自分だとワーム態への変身を躊躇なく実行しようとして。

「――おいおい、騒がしいから来てみれば……随分な状況だな?間宮麗奈」

「乃木、怜治……」

――彼女にとって最も望んでいなかった救世主が現れたことで、それを遮られた。




時は、数分前に遡る。
放送を聞き終えた乃木は、これから先の行先について迷っていた。
間宮麗奈や門矢士を探すか、或いは工場にUターンして三島という男と戦うか。

どこにいるともしれない前者を探すのは骨が折れるというのが正直なところだが、一方で三島を殺したところで大ショッカーがG-1エリアをそう易々と探索させてくれるという保証もない。
第二第三の刺客が現れて邪魔立てをするというのであれば、それこそイタチごっこだ。
骨が折れるどころの話ではない。

とはいえ西半分だけになったとはいえそれでも広いこの会場を無策にただ動き回るというのも品がない、と思考を重ねた瞬間に、彼の視界に映る灰色のヴェールが一つ。

「あれは……まさか大ショッカーの連中の差し金か?」

それは、先ほどの放送でも見た、大ショッカーの飛空艇が出現するときに生じるものと同じだった。
であれば少なくともあそこには、大ショッカーに迫れるだけの何らの手掛かりがあるとみるべきだ。
もし単純に刺客を送り込み人数を減らす算段なのだとしても、大ショッカー打倒を掲げる乃木にとっては遅かれ早かれ戦う敵には違いない。

「まぁ、当座の目的地としては最適か」

どちらにしろ向かうことに不利はないと考えて、乃木はそのままブラックファングのエンジンを吹かす。
その胸に、先に待ち受ける存在が今の自分の力を試せるだけの相手であればいいがという期待を込めながら。




「乃木、怜治……」

「なんだその顔は?あんなに派手にやっておいて誰も来ないと思ったか?」

相も変わらず敵意を向けてくる麗奈に対し、乃木は皮肉気に笑う。
どちらかといえば途中で戦闘になっていることは分かっていたが、まさかその中に目当ての一人がいるとは幸運だった。
さっさと彼女を狩るべきか悩み周囲を見渡した彼の視界に映ったのは、既に事切れた様子の城戸真司という男と首輪のない灰色の怪人の姿であった。

「ほう、貴様が大ショッカーの手先か?」

「……」

「無口なことだな。話す理性も持ち合わせないとは、哀れなものだよ」

伝わるかもわからない嘲笑をアークに向けた後、乃木は麗奈に向き直る。
彼女の表情は未だ警戒の色が深かったが、しかしどこか喜色も滲んでいた。
考えるまでもなくそれは自分が助けに来たからなどではなく、邪魔者同士が戦うことで生まれる間接的なメリットに対するものだったが。

「……そこで待っていろ、間宮麗奈。貴様は俺が殺す」

「無駄だ、お前はそいつには勝てない」

「どうかな」

短く切り捨てた麗奈の言葉に、しかし乃木は一切怯まない。
元より目の前の怪人が先ほどまでの自分であれば二人がかりでも足蹴にされるほどの規格外であることなど分かっている。
だがそれでも悠々とこの場に姿を現したのは――今の自分もまた、彼と並ぶだけの規格外であるという確信があったからだ。

「そーだそーだ!お前なんてその灰色お化けにやられちゃえばいいんだ!」

飛んできた野次に視線をやれば、その声は先ほど戦った紫のイマジン……確かリュウタロスとかいう奴のものだった。
先ほどは少しばかり痛い目を見せたから、少なからず恨みがあるということだろう。
あぁそれなら、自分の力を思い知らせるには丁度いいと、乃木は彼に対して一歩前に踏み出した。

「おや、誰かと思えば……リュウタロスだったかな?君は俺がこいつにやられると思うのかい?」

「当たり前じゃん、だって――」










「――答えは聞いてない」

刹那。
麗奈の視界の中、確かにずっと存在していたはずの乃木怜治は、はるか後方へと消えていた。
クロックアップを使用したならすぐさま対処できるはずの準備を整えていたというのに、変身することさえ、叶わなかった。

油断していた?いや違う、そんなものではない。
あれは、あれはまさか――。

「リュウタ!」

最悪の可能性に脂汗を流す麗奈を尻目に、自身のすぐ横で三原が悲痛な叫び声をあげていた。
瞬間、とある可能性に至った彼女もまたその視線を追随する。
あの乃木が、何事もなく“あの能力”を使うはずもない。

だがそれでも。
彼女は瞬間、思い至りたくなかった可能性が現実となるのを、その瞳に焼き付けた。
すなわち――その身に纏ったオーラアーマーを喪失させながら、人間でいう頸椎から多量の砂を吐き出すリュウタロスの姿を。

――フリーズ。
カッシスワームが元来持っていた、文字通り時を止める最強の能力。
かつて、度重なる復活によって失われていたその能力を、乃木は今使ったのだ。

煩い小蝿を潰すのに、飛び回る隙さえ与えぬように。
自身の邪魔をする厄介な女の介入を、阻むために。
そして何より、自分の実力を甘んじた者にその過ちを償わせるために。

この会場でここまでの時間を生き抜いてきた歴戦の戦士を一瞬にして葬り去る、まさしく反則級の能力を、彼が発動させた瞬間だった。

「あぁぁ……ああああああああ!」

乃木が今発動させた能力を理解した麗奈の、彼女らしくもない感情的な慟哭が、その場に響いた。
自分の判断ミスで撤退の判断が遅れたために、仲間が既に二人も殺されてしまった。
自分が人として生きることを許してくれた、かけがえのない仲間。

それを失った不条理に対するその絶叫は、誰よりも深く辛いもので。
思いを同じくする三原でさえ言葉を失うほどに、鬼気迫るものであった。

「フン」

そんな麗奈の慟哭を気にすることなく、乃木は一つ気合を入れ、その姿を異形のそれへと変貌させていく。
カブトガニを連想させるその甲殻は、先ほどよりも一層重厚に。
以前までも生えていた角は、両の肩よりも天を貫かんと高く伸びて。

カッシスワームディアボリウス。
今までのカッシスワームの能力全てを取り込んだ最強の形態が、今ようやく他者に向け姿を晒した瞬間であった。

「グオオッ!」

咆哮をあげたカッシスは、そのまま一瞬にしてアークへ肉薄する。
クロックアップを使ったわけではない。
ただの跳躍力を用いたステップで、互いに存在していた距離を無にしたのである。

「フンッ!」

そのまま掛け声一つ、剣と化した右腕を振るって、アークを切り落とさんとする。
だが、対するアークもまさしく王。
その剛腕も紛れない生身であるはずだというのに、恐れなくカッシスの剣を受け止める。

形状変化をしているとはいえ、生身同士のぶつかり合いとは到底思えないような衝撃音を響かせて、両者は拮抗する。
どうやら、両者の実力は互角程度。
であれば勝敗を喫するのは、僅かな気の持ちようと大技を放てるだけの隙を突けるかどうかだとカッシスは思案する。

そして同時に、その時間を作るのは自分にとって極めて簡単であると、カッシスは知っている。
クロックアップを使い無理矢理にその時間を稼ぐなど、自分には他愛もないこと。
であれば後は簡単だと勢いよく後ろに跳んだカッシスは、そのまま高速移動を開始しようとして。

「――!」

対峙するアークオルフェノクの全身からまるで曼陀羅に描かれた千手観音のように無数に生じた触手を前に、思わず二の足を踏んだ。
これではそもそも、接近のしようがない。
高速移動できたとして、あそこまで広範囲の攻撃を絶え間なく発生させられていては、速度など早くても変わらない。

或いは蘇ったフリーズの能力で無理矢理に勝利を手繰り寄せる手もあるが、先ほども使ったばかりだ、芸がないと思われるのも本意ではない。

(それにこいつなら、新しい俺の実力も測れそうだしな。容易に刈り取ってはむしろ勿体ない……)

そんな、極めて自分勝手な思考を繰り広げて。
目の前の敵を障害ではなくただ自分の実力を測るための実験台として考えながら、カッシスはその右腕に、禍々しい光を纏わせた。




「なんだよ、これ……」

掠れ、震えた声で、三原は目の前で繰り広げられる闘争に対してただ戦慄を口にした。
あのオルフェノクが現れて精々未だ5分ほど。
たったそれだけの時間で、既に仲間は二人もやられてしまった。

頼りのはずのデルタの鎧も、真司も、守りたかったはずのリュウタロスさえも。
あまりにも呆気なく、信じられないほどにあっという間に、失ってしまった。
挙句の果てに目の前で行われている紫と灰の怪人による戦いは、まさしく別次元の代物。

例え少し未来のデルタの資格者として戦う自分がここにいたとしても何も変わらなかっただろう惨状を前に、三原はただ絶望に立ち尽くしていた。

「三原、修二……」

茫然とする三原の意識を呼び覚ましたのは、いつの間にか立ち上がっていた麗奈の、しかし彼女にしては弱弱しい呼び声だった。
果たしてそこにあったのは、いつもの気丈な彼女からは想像もつかない、目を真っ赤に充血させその頬を濡らした麗奈の姿だった。
だが彼の目を最も引いたのはその涙以上に、他ならぬ彼女の表情。

それは、仲間を失った怒りに流す涙を流し終え、今や憤怒に燃える今までに三原が見たことのないものであった。

三原修二、お前は逃げろ」

「え?」

「私は……奴とのケリをつけねばならない。お前は病院に向かい名護たちとの合流を目指せ」

その目を赤く染めながらも、見るだけで敵を射殺すような瞳をぶつかり合う二つの異形から外すことなく、麗奈は告げる。
三原には目もくれず放たれたその言葉に、しかし三原は何か反論するべきかと言葉を探す。
だが脳裏に浮かぶのは、どうせ戦ったって勝てっこないだとか、今のうちに逃げた方が得策ではないかだとか、そんな今の麗奈に言えば殴られそうなものばかりだった。

そんな言葉しか浮かばない自分に対する自己嫌悪に陥りながら、しかしそれでも一人で逃げるという行為へはそれ以上の忌避感を覚えた。
それは、仲間を見殺しにするような行為に対してか、一度は守りたいと感じた女性に殿を任せることに対してか、それとも或いは……一人で逃げたところで危険が付きまとうからか。
しかし、本人でさえ明らかでないそれらの葛藤に対しどうにも言葉を失った三原を置いて、麗奈は一歩敵へ向けその足を進めていた。

呼び止めるなら今しかない。
そんな風に感じる自分は確かにいるのに、どうしても声が出てこない。
仲間が殺されて悔しいのに、辛いのに、何も出来ぬまま頼りにもされず逃げ出すことは格好悪くて嫌なのに。

それでも三原の足は確かに一歩、また一歩と戦場から、そして麗奈から離れるように動き出していた。
足取りは重く、どうしようもなく後ろ髪を引かれるような心地をずっと感じ続けている。
だがそれでも……どうしようもなくひとまずの我が身の安全に安堵している自分が、確かに存在していることを、彼は感じてしまって。

(ごめんな、リュウタ……)

心中で述べた謝罪は、どうしようもなく短いものだった。




「……行ったか」

遠ざかっていく三原の足音を背中で感じながら、麗奈は一人呟く。
これでどうにか、ひとまず一人は逃がすことが出来た。
と言ってもデルタを狙う村上を始めとして、危険人物のたむろするこの会場においては、彼単身での病院までの道のりは決して安全なものとは言えないだろうが。

結局はこれ以上目の前で誰かを失いたくない自分の我儘にすぎないのかもな、と自嘲しながら、麗奈はとある男の前でその片膝をついた。
それは、先ほどの戦いでその命を刈り取られた城戸真司その人のもの。
俯せに倒れ伏すその身体に、目立つ外傷は見られない。

だが恐らくはその身体の中心には先ほどその身を貫いた触手による穴が確かに開いていて、この体の下には夥しい量の血だまりが出来ているのだろう。
彼のことを思えばその身をこれ以上動かすことは死者への冒涜にあたるのだろうが、だがそれでも麗奈にとってそれは必要な行動であった。
それは彼を弔うためではなく、彼の持つ龍騎のデッキを自身が貰い受ける為。

情けない話ではあるものの、先ほどのカッシスにさえ敗れた自身のワーム態如きでは、今のカッシスには手も足も出ないのが関の山だ。
だが、その切り札たるファイナルベントを未だ切っていない龍騎であるならば。
或いはその最大火力の一撃だけでも、奴の身に有効打を届けることが叶うのではないかと、麗奈は考えたのである。

我ながら、酷く身勝手な作戦だと思う。
身を賭して自分たちを守ろうとしてくれた戦士の遺物を勝手に使い、ほんの一瞬の自己満足のためにこの命さえ燃やそうとするとは。
きっと心優しい彼は、今の自分の行いを知れば反対するだろう。

だがそれを知ってなお後に引けぬだけの復讐の炎が、今もなお麗奈の身を焼き焦がそうとして燃え盛っているのである。

「すまない城戸真司……どうか最後に一度だけ、私に力を貸してくれ……」

身勝手な願いと知りつつも、意を決した麗奈がその腕を横たわる真司の身体にかけようとした、まさにその瞬間。
ガシリと音を立てるように、彼女の腕は掴み取られた。
さしもの麗奈も、驚愕に目を見開き事態の理解に意識を集中させるが、しかしうまくいかない。

だが、それも仕方のないことだろう、何故なら――。

「あれ、間宮さん――?」

まさしく彼女の腕を掴んだのは、死んだと思われていた城戸真司その人のものであったのだから。




――深く暗い闇の中で、城戸真司は目を覚ました。
どちらが上で、どちらが前かもわからない、ただただ闇が広がる空間。
どこまでも続くような広い闇の中で、自分だけがぽっかりとそこに浮かんでいた。

「あれ、俺……」

キョロキョロと周囲を見渡して、彼はなぜ自分がこんなところにいるのか思い返そうとする。
どこかに閉じ込められた?編集長と飲みすぎた?それともまさか……ミラーモンスターに何かされたか?
うんうんと唸りながらここに至るまでの記憶を辿っていた真司は、瞬間ハッと気づいたようにその顔をあげた。

「そうだ……俺、大ショッカーに殺し合いを……!」

言いながら真司の脳裏に、駆け抜けるように自分が今ここに来る直前までの記憶がフラッシュバックする。
世界の存亡をかけた戦いを命じられ、元居た世界と同じように殺し合いを止めるために戦った。
そんな中で得た、志を同じくする仲間たちを守るため、自分はこの身を盾にしてあの灰色の怪人に立ち向かって——。

「真司」

「っておわっ!?」

先ほどまで誰もいなかったはずの虚空より発せられた、自分を呼ぶ声に思考を中断された。
気配を感じなかったのが不思議なほどに至近距離からの声に、思わず素っ頓狂な声をあげながら、真司は振り向く。
だが瞬間、振り向いた先にあったのは、最早見ることの叶わないと思われていた一人の女性の顔だった。

「お前……霧島……?」

「何寝ぼけたこと言ってんの、私に決まってるでしょ」

「え、でもお前、確か……」

真司の驚愕も、無理はない。
そこにいたのは、自分と同じく大ショッカーによる殺し合いに参加させられ、既にその死を告げられた霧島美穂その人だったのだから。
浅倉本人から殺したとさえ言われた彼女の突然の登場に、真司は困惑を露にする。

だがそんな彼を見て、まるで予想通りだとでも言うように美穂はため息を一つ吐いた。

「うん、まぁそう。だからここはそういうとこで、あんたはそういうことなわけ」

「マジかよ、そんなのって……」

「うん、マジ」

未だ状況を飲み込めずしどろもどろに言葉を詰まらせる真司に対し、美穂は極めて端的に返す。
彼には少々可哀そうでもあるが、ここで変に希望を持たせる方が、よほど残酷だ。
どうにもならない現実があるのなら、さっさと知らせる方が情だろうと、美穂はリアリストなりにそう思った。

「じゃあ、そういうことなんだな?ってことはお前——










——大ショッカーまで騙してたのか!やっぱりとんだ悪女だな!」

「いや、なんでそうなんのよ!」

今までの会話を何も理解していなかったらしい真司の的外れな言葉に、美穂は思わずずっこけそうになってしまう。
これがボケなら救いもあったが、どうやら彼の顔を見る限りその線も薄そうなのだから悲しくもなるというものだ。

「へ?いやだってお前放送で名前呼ばれただろ?実は死んでなかったのに大ショッカーを騙してたってことなんじゃないのか?」

「違うっての!あんたってホント馬鹿ね!」

「馬鹿ってなんだよ馬鹿って!大体お前はなぁ――」

「――いつまでやってる」

いつぞやと同じように子供の様な口論を始めそうになった二人のもとに、ぴしゃりと冷たい声が響く。
呆れ果てたようなその声に、しかし真司は聞き覚えがあった。

「蓮……」

「最初に言っておくが、俺たちは生きてなんかいない。余計な誤解はするなよ」

自身の死でさえ極めてドライに事実だけを吐き捨てるその姿勢は、まさしく真司の知る秋山蓮を思わせるもので。
だからこそ、そんないつも通りの蓮の言葉に、真司はようやく、自分が今置かれている状況を理解してしまった。

「じゃあ俺、ほんとに……死んだのか」

「うん、だから私たちが迎えに来たってわけ。ほら、迷っちゃうといけないし」

言いながらいつものように笑う美穂の笑顔は、しかしどこか引き攣っていた。
同情なのか、悲しみなのか、或いは自分たちの世界が滅んでしまうことへの未練なのか。
どうあれそれでも優しい言葉を吐く美穂を前に、真司はここではないどこかを夢想しながら虚空を眺めた。

「結局俺の願い、叶えられないままだったな……」

ポツリと、真司は呟く。
13人のライダー同士の戦いに参加したものとして、願いの一つでも見つけてみろと麗奈に言われ、ようやく探そうと思えた自分自身の願い。
そうして辿り着いたのが、誰に何と言われようと、どう思われようとライダー同士の戦いを止め世界を救いたいという願いだった。

ミラーワールドに生きる仮面ライダーとして、そして様々な世界に生きる自由と平和のために戦う仮面ライダーの一人として、戦いたいという自分の、素直な願い。
この一年戦い続けて思い至った小さな望みは、しかしこんなところで容易く終わりを告げてしまった。
それがどうにも悔しくて、真司は美穂や蓮を見やることもなくどこにあるとも知れない生者の世界に思いを馳せていた。

「ねぇ、真司」

「ん?」

「あんたも、願いを見つけられたんだね」

「あぁ、お前らに言ったら、反対されそうだけど……」

「アハハ、まぁ想像はつくけどさ」

少し笑った後、美穂は蓮と顔を見合わせた。
どこか訳知り顔な二人の様子に真司は訝し気な表情を浮かべるが、それを問うより早く、蓮は唐突に距離を詰め真司の襟首をつかんでいた。

「ちょちょ、なんだよいきなり!」

「城戸」

「なんだよ!」

「これは、貸しにしておく。いつか……返しに来い」

言いたいことだけ吐き出したというように蓮は踵を返し、どこか遠くへ歩いていく。
距離にしてみれば近いはずの蓮は、しかし一歩一歩ごとに手の届かない距離にまで行ってしまうように、真司には感じられた。

「ちょ、蓮!どこ行くんだよ」

「……」

真司の呼びかけを無視して、そのまま蓮の姿は闇に溶ける。
まるで最初からそこにいなかったかのように消えた彼の姿を探し真司は周囲を見渡すが、しかしその姿はどこにも見当たらなかった。

「おい蓮!おい!」

「真司」

「なんだよ!」

意味深な言葉を残し消えた蓮に対し苛立ちを隠せない真司の耳に、美穂が自分を呼ぶ声が届く。
だが、今はそれどころではないとばかりに振り返った彼の瞳に映ったのは、蓮と同じようにその身体をゆっくり闇に溶かしていく美穂の姿だった。

「ごめん。なんか……もう時間っぽい」

「時間って……なんだよそれ!お前、俺を迎えに来たんじゃないのかよ!」

「あー、ごめん。あれ嘘。本当はさ……ちょっと、あんたと話したかっただけ」

「話したかったって……」

真司の脳内は、もう混乱でぐちゃぐちゃだった。
いきなり真っ暗い空間に飛ばされたと思ったら、死んだと思っていた美穂や蓮がいて。
自分も死んだのだと言われたのに、今度はいきなり時間が来たとか言われ、二人も消えてしまうのか。

言語化できないほどに複雑な感情に困惑する真司に対し、美穂はただ優し気な笑みを浮かべながら真司に向け歩を進める。
やがて彼女の顔は、真司のそれとよもや接触するという距離にまで、近づいていた。

「真司」

「なんだよ」

「ふふ……呼んでみただけ」

なんなんだよ……とぼやきながら、真司は僅かにその足を美穂から一歩分離す。
やはりというべきか、なんというべきか、彼女といると妙に調子が狂う気がする。
自分はいつも通り振る舞っているつもりなのに、いつの間にか彼女のペースに呑まれてしまう。

彼女の仕事柄、口が上手いからだろうか。
いや、しかし弁護士である北岡にはこんな風に悩むことがないことを思えば、それもまた違う問題なのかもしれない。
……或いは北岡には、美穂以上に相手にされていないというだけの話かもしれないが。

(ていうか、さっきから何なんだよ霧島の奴……。話してみたかっただの呼んでみただけだの、何が目的なんだよ……)

死んでしまった存在と話せる空間でさえ現れない北岡の存在に少しだけもの悲しくなった真司は、それを誤魔化すように目の前の美穂に意識を向ける。
一方で、訝しむような真司の表情を察したか、美穂は再びその口を開いていた。

「真司、ちょっと目、瞑ってくれる?」

「え、なんで……」

「いいから」

美穂の強引に押し切るような言葉に、真司は渋々目を瞑る。
本当に何から何まで、さっきから何を要求しているのか分からない女だ。
とはいえこうして何やかんや言いつつその要求を受け入れてしまう自分も、少しは悪いのだろうが。

(……でも霧島の奴、本当に目なんか瞑らせて何やらせる気なんだ?)

腕を組み目を瞑ったまま、真司は美穂がやろうとしていることを推理してみようとする。
目の前で何かをしている様子もなく、ただそこに気配だけがある、なんとも言いがたい状況だ。
こんな状況で、わざわざ目を瞑らせる理由を少しばかり考えて、それから真司は、ハッとしたようにとある思考に辿り着いた。

(まさか霧島の奴、また何か盗んでるじゃないだろうな……!?)

それは、初めて彼女と出会った後、美穂と遊園地に行ったときのこと。
少しの間だけ凭れさせてほしい、などと良い雰囲気を演出しておいて、彼女は自分の懐から龍騎のデッキを奪おうとしていた。
結局寸前でそれは阻止できたものの、彼女の仕事である詐欺師を思えば、今もまた同じように真司から何かを盗もうとしている可能性は、決してないわけではなかった。

であればやはりこのままこの目を開けるべきか、とそう考えるが。

(いや、もし本当に何かしてくれようとしてたらどうするんだよ。
別にもう戦う理由だってないわけだし、今更わざわざ何か盗む必要もないんじゃ……)

その一方で交流を深めた彼女を信じるべきではないかと言う自分が、それを妨げる。
どちらにせよ、もうライダー同士の戦いなんていうのも無関係なのだ。
欺したり盗んだりする必要など、欠片も存在しない今、彼女が純粋な善意で何かをしようとしている可能性も、否定しきれない。

(いやいや、こいつは詐欺師だぞ?今も何か企んでるかもしれないだろ!?)

(いやいや、でも一緒にお好み焼き食べてる時は、全然良い奴だったし、こいつも根は悪い奴じゃないと思うんだよな……)

(いやいや、でも――)



――ピシッ

深入りしていく思考を中断させたのは、美穂のデコピンによって生じたおでこに響く鈍痛であった。

「痛っ」

「なーに期待してんの。変態」

「変態ってなんだよ変態って!お前が目瞑れって言ったんだろ!」

ホントとんだ悪女だな、とむすくれながら、真司は彼女を良い奴と思いかけていた自分を後悔した。
何かを盗んだわけではないにしろ、彼女はやはり詐欺師である。
死んでもろくな女じゃないなと、文句の一つでも口にしようとした、その瞬間。

突如美穂の身体が、小さく、しかし強く光る粒子になって辺りに散らばっていく。
突然の出来事に困惑する真司だが、それ以上にその光の眩しさに目を覆わざるを得ない。
だがそれでも、何とか彼女を消してなるものかと、真司は必死にその手を美穂に伸ばす。

だが美穂は、その手を取ることはしない。
ただ微笑みだけを向ける美穂に対しそれでも懸命に手を差し伸べ続ける真司だが、やがてその身体は美穂から離れ宙へ浮かんでいく。
闇から離れ、急速に光の中に浮上する彼に対して、彼女は今度こそ嘘ではない素直な笑みを浮かべ――。

「真司。今度からは靴紐……ちゃんと結べよな」

「霧島ぁぁぁぁぁぁ!!!」

その声を最後に、真司の腕の先にあったはずの美穂の身体は、遠く遠く離れていく。
手を伸ばそうとすればするほどに遠くなる彼女の姿を、しかしなんとかして掴もうと、真司はその手を伸ばし続け――。

「あれ、間宮さん――?」

次の瞬間には、自身が掴みたかったそれとは違う女性の腕を、確かに掴んでいた。

139:The sun rises again 投下順 140:夢に踊れ(後編)
時系列順
138:そしてゴングは鳴り響く 城戸真司
三原修二
間宮麗奈
リュウタロス
アークオルフェノク
129:レクイエムD.C.僕がまだ知らない僕(3) 小野寺ユウスケ
132:Diabolus 乃木怜治(角なし)

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最終更新:2019年06月20日 16:43