Tを越えろ/苦悩



彼らがこのサーキット場に辿り着いたのは、おおよそ半刻ほど前のこと。
到着してすぐ、彼らは数エリアに跨がる広いサーキット場の全体をざっと見渡し、参加者が他にいないことを確認した。
理由は勿論、友好的な参加者を探しその協力を仰ぐことが最たるものだが、それだけではない。

彼らがこれからしようとしていることは、この殺し合いの場においては余りにも悠長かつ、
無防備な姿を長時間晒すことになるものだ。
その隙をつき襲撃してくる参加者の懸念を拭い、また万が一奇襲された際にも焦らず行動出来るよう、この施設について多くを知っておくことが必要不可欠だと考えられたのである。
果たしてその目論見が上手くいったかと問われれば、正直なところ、その成果はあまり芳しいものではない。

まず第一に確認したのは、友好な参加者、敵対する参加者どちらもいなかったこと。
心強い協力者を得られなかった代わりに、すぐさま戦闘という形にならなかったのは、この状況では素直に幸いだったと喜ぶべき事だろう。
だが一方で、監視カメラや安全な脱出ルートなど、外敵に速やかに対処出来る設備が一切存在しなかったのは、彼らにとって誤算だった。

より正確に言えば、或いは本来であればそういったものを管理するのだろう部屋こそあったが、どれも反応せず使い物にならなかった、ということだ。
正直なところこれにはかなりガックリと来たが、しかしそんな彼らの空気を一変させるだけの代物も、また、このサーキット場には用意されていた。
それは、何の変哲もない一台のバイクと、その傍らに用意されたモトクロス用のレーシングコース。

即ち彼らの求めていた、トライアルの特訓をする為に必要十分な条件を満たす、二つの要素だった。
元はと言えば、彼らがこのサーキット場へわざわざ赴いたのは、一条の持つアクセルの更なる力、トライアルを使いこなすのに必要な特訓を行う為だ。
特殊なコースを、トライアルメモリのマキシマムドライブと同じだけの負荷をかけた状態で、10秒以内に走りきるという、トライアルの特訓内容。

それをこなすため、それなりに病院から近く、かつ存分に走れるだけの場所、としてサーキット場を選んだだけのつもりだったが、まさか特訓にお誂え向きの設備が用意されているとまでは思わなかった。
風都を模したこの会場において、本来であれば東側に広がる森の中に存在するはずのこのサーキット場がわざわざここに存在するのは、偶然か必然か。
或いは本来の変身者である照井もそれが使いこなせない時期からこの殺し合いへ連れてこられていた為に、こうして設備を万全のものとして用意したのかも知れないが、ともかく。

考えれば考えるほど翔太郎たちからすれば出来すぎた話で、わざわざそれを用意する大ショッカーには虫酸が走る思いを抱く。
だが、様々な大ショッカーの癪に障るお膳立てに、それでも苛立ちだけでなく僥倖を感じたのも、また事実。
故に彼らにとって今重要なのは、トライアルの特訓を求める者がこのサーキット場にいて、その願いを叶えられるだけの設備がここに揃っている、ということだった。

そして今――キーを回し、起動する一台のバイク。
その手応えを確かめるように、一条は勢いよくハンドルを回した。
それによって急激に暖まったエンジンが、マフラーを通じて心地よい低音を響かせる。

鼓膜を揺さぶるその音は、かつて一条も認めた名機、トライチェイサー2000に比べれば流石に些か見劣りするもの。
だがそれでも、彼はその性能に満足したように数度頷いた。

「どうだ、一条。やれそうか?」

「左さん――えぇ、問題はなさそうです」

ふと意識外から降った声に、一条は面食らう。
どうやら自分は、自分で思う以上にこういった機械弄りに没頭してしまう節があるらしい。
意外な自分の一面を自覚しつつ、声の主――左翔太郎へ向き直った一条は、誤魔化すように小さく会釈して自身を取り繕った。

それは柄にもなくはしゃいでしまった自分への気恥ずかしさから生まれた、ほぼ反射的な行動だったが、そんな自分の隙を彼はさほど気にする様子もない。
これが名護の言う翔太郎の持つ“遊び心”というものなのだろうか、と思う一方で、そんな風に他者の行動をいちいち気にしている自分はやはり硬すぎるのかもしれないと、一条は自戒した。
ともかく、気を取り直すように、彼はバイクに跨がり、備え付けられたヘルメットを被る。

その視界の先に広がるは、オフロード仕様で作られたモトクロスのレーシングコースだ。
これを今から自分は、マキシマムドライブの凄まじい負荷に耐えながら10秒で走り抜けなければならない。
最初に翔太郎からその特訓内容の詳細を聞いたときは流石に驚いたものだが、しかし五代が度々行っていた特訓に比べれば、随分と道理の通ったものだ。

なれば、最早一条に退路など残されているはずもない。
どんな苦難だろうと、困難な道だろうと、乗り越えてみせる。
殉職した同職の遺志を継ぎ、彼に恥じない仮面ライダーとして戦い抜く為に。

自分の使命を再度確かめた一条の前に、翔太郎が手を伸ばす。
その手に握られたトライアルメモリがバイクの窪みへしっかりと装着されるのを見届け、一条はヘルメットのシールドを下ろす。
否応なしに抱いた興奮と緊張で、思わず高ぶる自分を自覚しながら、ライダースーツに身を包んだ一条は、今一度気を引き締め直した。

これでようやく、準備万端だ。
自分はいつでも始められると神経を集中させようとして、ふと傍らに立っていた翔太郎が一歩その足を一条へ進めるのを、彼はその視界の端に捉えていた。

「……最後に確認だが、これからやる特訓は照井でも死にかけたもんだ。今のお前じゃ、本当に死ぬかも知れねぇ。……それでもやるんだな?一条」

「えぇ、覚悟は出来てます。どれだけ苦しい特訓でも……やり遂げて見せます」

一条の瞳にはもう、一切の迷いはなかった。
死の危険を前にしても一歩も退かない覚悟を決めた男に対して、それ以上の言葉は無粋だ。
翔太郎の目指すハードボイルドな男なら、或いはアクセルを託した照井竜本人であれば余計な言葉は飲み込むだろうと、翔太郎は理解しているつもりだった。

「……そうか、なら俺はもう何も言わねぇ」

それだけ言い残して、彼はコースの外へ歩み出す。
その背中を見やりながら、一条もまたバイクに備え付けられたトライアルメモリを操作し、メモリを起動させた。

――パッ

トライアルメモリと一体化したマキシマムカウンターが、まるでレースのスタートを告げるシグナルのように、赤く点灯する。
思わず逸る気持ちを抑える為瞳を閉じた一条は、その手触りを確かめるように指先で押さえているクラッチを少しずつ緩めていく。

――パッ

シグナルが、黄色く染まる。
コースの外からただ見守るしか出来ない翔太郎は、押し潰されそうなほど高まる緊張感にただその拳を握りしめることしか出来ない。

――パッ

シグナルが、青に変わる。
一条はその手を完全にクラッチから離し、緊張に強ばった瞳を一気に見開いた。

――パァァァァァァァン

シグナルが全て点灯し、トライアルメモリがカウントを開始する。
それと同時一条もアクセルを振り絞り、急回転したバイクの後輪が土を巻き上げた。
加速するバイクに跨がる一条の身体を、今まで感じたことのないような凄まじい圧が襲う。

トライアルのマキシマムドライブ時に生ずる想像を絶したGが、このマシンに乗っている間、恒常的にこの身体に降りかかるのである。
故にそのスピードもまた、通常考え得るだけのバイクによる加速度の比ではなく。
されど、それで今更弱音を吐けるはずもないと、一条は歯を食いしばりまた一つ土で出来た山を飛び越えた。

そして数秒の後、目まぐるしい速さでコースを一周した一条は、バイクを止め翔太郎を見やる。
タイムなど、運転している自分では測れるはずもない。
果たして特訓は成功したのか、と期待と不安を込めて、一条はストップウォッチを持つ翔太郎の言葉を待った。

「……14.67。駄目だ」

沈みながら告げられた、目標に対し遅すぎるタイムに一条が項垂れるのと同時、その身体をまるで電流が走るような激痛が襲う。
トライアルのマキシマムを時間内に終えられなかった為に、過剰なエネルギーが一条にまで降りかかってしまったのである。

「一条!」

「まだやれます!私は、大丈夫です……」

苦悶に喘ぎ身を捩るが、しかしこれで弱音を吐く訳にはいかない。
思わずコース内に立ち入り一条をマシンから引き剥がそうとする翔太郎を制して、一条は再びスタート位置へと自力で戻った。
この程度で、諦められるはずがないではないか。

照井の遺志を継いだ自分が、こんな中途半端で終わって良いはずがない。
その思いで、彼は再びスタートを切っていた。
だが――――――。

「……13.69。」

――何度。

「……14.42。」

――何度繰り返しても。

「……12.73。」

――一条が望む結果は、一向に与えられることはない。
そして――。

「……13.36」

「ぐあああ!」

今また再び、一条の身体に激痛が走る。
度重なる失敗故に、既に何回目の挑戦なのか、一条自身数えてはいない。
だがそれでも、毎回この身に襲いかかる痛みだけは着実に蓄積され、自身を蝕んでいることだけは、確かなことだった。

「……一条、そろそろ休んだらどうだ。根詰めすぎてもいいことねえぞ」

「いいえ……まだやれます。私は、まだ――!」

そこまで言って再びスタート地点へ戻ろうとして、一条はプツリ、と自分の中で何かが切れたような感覚と、凄まじい頭痛を覚えた。
意識が一瞬だけ飛び、世界がぐにゃりと音を立てて歪むような錯覚と共に、目の前がブラックアウトしたのだ。
不味い、と直感で察知して、すぐさま倒れかけた身体を右足で支え、意識を無理矢理引き戻す。

危なかった。あと一瞬対処が遅れていたら、自分の足はバイクの下敷きになるところだった。
意地を張りすぎる余り、あと一歩で自分が再起不能になり、特訓の全てが無駄になるところだったのである。
自身の想像を超えるほどに溜まっていた疲労と、傍らで見守る翔太郎の苦い顔が物語る感情を理解して、今度こそ一条は素直にバイクを降りた。




モトクロスのコースから少しだけ離れた場所に設置されたベンチの上で、一条はただその両手を握りしめ、無力感に暮れていた。
この特訓が始まってから、早くも一時間ほどが経過している。
それだけ長い時間をずっと特訓に費やしてきたはずなのに、未だ特訓が成功するビジョンを描けない。

幾度となく失敗し、マキシマムの負荷にこそ身体が慣れてきたが、それでも越えるべき10秒という壁は、どこまでも高い。
何度挑戦を繰り返しても、その壁を越えられる自分のイメージが、どうしても描けなかった。
このままでは果たして自分がこの特訓を終えることなど、夢のまた夢ではないのか。

そんな風にどうしようもなく弱音を吐きそうになる自分自身が何より嫌で、一条は再びその拳を強く握った。

「……待たせたな。ほら、お前の分だ」

「……ありがとうございます」

声に顔を見上げると、翔太郎がすぐそこの自販機で買ってきたのだろう二本の缶コーヒーのうち、一つを手渡してくる。
それを受け取りつつほぼ反射的に口から出た感謝の言葉は、しかしどこか上の空で、感情の伴わない空虚なものだった。
プルタブを開けることもしないまま、再び物思いに沈んだ一条を横目に見やりつつ、翔太郎は自身の分として買ってきたコーヒーを一口飲み込む。

温かい飲み物にかじかんだ身体が暖まり、文字通り一息つく。
久しぶりの心安まる一時に生まれた安堵感は、無用な言葉をも飲み込んでいく。
されど、そうして生まれた束の間の沈黙は、長くは続かない。

「……すみません」

「……何がだ?」

「こんなに長い時間……私の特訓に付き合わせてしまって」

一条から漏れたのは、謝罪の言葉。
だがそれに対し翔太郎は、怪訝な顔をするでもなくただ再びコーヒーを口に運んで、それから応えた。

「気にすんな。それに俺からすりゃあ、こんな特訓を弱音も吐かねぇでやってるだけで、十分だと思うけどな」

「――十分な訳ないでしょう……!」

極めて本心から一条のタフさを称える思いで述べた言葉は、しかし彼にとっては気休めにしか思えなかったらしい。
手に握る未開封の缶が潰れるのではないかというほどに力を込めて、彼は堰を切ったようにその心中を吐き出しだした。

「照井警視正は私の命を救ってくれただけでなく、このアクセルの力をも託してくれたんです。なのに私は彼と違って誰も守れていない、何も成し遂げられていない……!」

溜息と共に脳裏に思い出すのは、自分が取りこぼしてしまった数多の守るべき人たち。
京介に小沢、そして津上翔一……本当であれば自分が命に代えても守らなければならなかった、善良な一般人たちだ。
その命を犠牲にしてでも職務を全うした照井や父の思いを継いだはずなのに、自分は何も出来ていない。

それが何より、歯がゆかった。

「……照井警視正は本当に、素晴らしい警察官であり仮面ライダーでした。なのに、その力を受け継いだ私は、こんな特訓さえ満足に越えることも出来ない。それが一番悔しいんです」

鋭い瞳で睨み付けるのは、その手に握るトライアルのメモリ。
この特訓さえ終えれば自分は強くなり、クウガの横に立ち並んで共に戦えるようになる。
そんな風に軽く考えていたさっきまでの自分が、酷く滑稽に思えた。

この力を手にすれば、もう誰かを取りこぼすようなことはしないと?
どんな特訓だろうと、自分であれば間違いなく成功させることが出来ると?
心の片隅にそんな自惚れがあったのだろうことを自覚して、一条は我ながらその見通しの甘さに苛立ちを隠せない。

「甘かった自分を……殴りつけてやりたい気分です。私なんかに、照井警視正のような仮面ライダーとしての資格があるはずもなかったのに、勝手に舞い上がって、私は……!」

心中の吐露と共に、言葉を詰まらせ、一条は無力感に俯く。
その瞳にはどうしようもない迷いと自己嫌悪が浮かび、彼の心理的な疲労感は嫌でも理解出来た。
だが、そんな悩める男を目の当たりにして翔太郎は、一つ笑みを浮かべる。

それは決して、苦心する一条に対する嘲笑でも、苦笑でもない。
まるで何かを懐古するような、それでいてどこか嬉しそうな、そんな笑みだった。
されど、その真意など一条には知るよしもない。

どういうつもりだ、と怪訝な顔で見上げる彼の瞳に対し、翔太郎は一つ謝罪を述べた。
それから口調を整えるようにまた一口コーヒーを飲み込んで、少しの後に一条へと向き直った。

「悪ぃ、お前に一つ、言い忘れてた。……照井は、この特訓を成功させてねぇ」

「えっ……?」

言い放たれた情報は、一条にとって余りに衝撃的かつ意外なものだった。
彼は今、一体何と言ったのだ。
トライアルの特訓を、照井が終えていないだと……?

「どういうことですか?しかし貴方は、照井警視正はこのメモリを使いこなしたと」

「あぁ、使いこなしたさ。ぶっつけ本番、やらなきゃやられる……そんな絶体絶命の状況で、ある少女を守る為にな」

翔太郎の語る照井の記憶に、一条はしかし複雑な感情を抱いた。
とある少女のために、土壇場でトライアルを使いこなした照井は、やはり素晴らしい仮面ライダーなのだという羨望と敬意も、勿論沸く。
だが正直に言えば、あの照井であってもこの特訓を終えられなかったという事実への驚愕の方が、より大きかった。

「意外か?照井にも、出来ないことがあったって」

「……えぇ」

「俺からすりゃあ、照井がそんな風に思われてることの方が意外だぜ。あいつだって失敗もすれば欠点もある、俺らと同じ……一人の人間さ」

呟いて翔太郎は、どこかここではない遠くを見つめた。
照井と共に解決してきた様々な事件と、それと共に知っていった彼の詳しい人となりを思い出したのである。
幾度となくぶつかり合い、そしてその度に完璧人間だと思われていた彼の思わぬ弱点や、欠点を数え切れないほど翔太郎達は知った。

復讐に焦る余り無関係な人間を手に掛けそうになり、それを防ごうとする翔太郎達と直接戦ったこともある。
敵ドーパントの罠にはまり、まんまとその術中に嵌まってしまったことも、決して少なくない。
それに亜樹子に演技でキスシーンを求められ、困惑して逃げ出すなどという恋愛に疎い面もまた、照井の大きな欠点の一つとして、翔太郎の脳裏に鮮明に焼き付いている。

だが、目の前のアクセルを継いだ悩める男は、そんな照井を最高の理想だと勘違いしている。
そして、その理想にほど遠く及ばない自分は仮面ライダーとしての資格などないのだと。
だがその考えは全くの筋違いだと言うことを、翔太郎は既に知っている。

なればこそ、彼に教えねばなるまい。
自分の師が残し、かつて同じように仮面ライダーとして挫折しかけた自分のことも再起させてくれた、あの言葉を。

「一条、俺の師匠の言葉に、こんなのがある。“Nobody’s perfect”……誰も完全じゃない、ってな」

「“Nobody’s perfect“……」

繰り返した一条に、翔太郎は強く頷き返す。
それは自身の師、鳴海荘吉が残した言葉の一つ。
ダブルへの変身が出来なくなり、心折れたその時に自分を立ち直らせてくれた事もある、まさしく彼がくれた最高の贈り物の一つだった。

「お前が照井から受け継いだのはアクセルの力だけじゃなく、あいつの意思もだろ。ならそれが……一番の仮面ライダーとしての資格って奴なんじゃねぇのか?」

「しかし自分は……あまりに、無力です」

認めたくない自身の弱さを吐露した一条は、思わず言葉を詰まらせる。
照井が自分に託してくれた意思――それこそが、自分が仮面ライダーアクセルである理由であり資格だと、翔太郎は言う。
だが、思いがけない言葉に脳の整理が追いつかず、一条はそれから先の言葉を継ぐことが出来ない。

そうして苦悩する彼を前にして、しかし翔太郎は再び気障に笑った。

「いいや……街を守る仮面ライダーは、強いだけじゃ務まらねぇ。それを知ってるはずのあいつが、お前に全てを託したんだ。――例えその結果が弱さだとしても……あいつはきっと、受け入れるさ」

それだけ言って翔太郎は、帽子を押さえ天を仰いだ。
視線の遙か先にいるだろう今は亡き友に真意を確認する為か、或いはかつて同じようにして自分を立ち上がらせてくれた相棒に、思いを馳せているのか。
そのどちらかは分からなかったが、それを受けて一条もまた、同じように空を見上げた。

太陽が真上に昇りつつある空は、見渡す限りの晴天だ。
1日ぶりのはずなのに、何故か随分と久しぶりに見たような気がするその空の青さに、一条もまた今は亡き友を連想する。
それは、どこまでも続く青空のように清々しい笑顔を浮かべる、一人の冒険野郎の笑顔。

彼がこの場にいたら、またいつものように楽観的な言葉で、上手くいくと励ましてくれただろうか。
それとも或いは、多彩な技の中から何か即興で皆を笑顔にするような芸を、披露してくれただろうか。
そのどちらもをもう二度と見られないと思うとやはりどうしても寂しかったが、それでも一条はようやく、その頬を綻ばせた。

彼がくれたたくさんの笑顔や彼が守った数え切れない笑顔は、今も一条の中でずっと光り輝いている。
それを思い出すだけで彼との出会いが決して無駄ではなかったと断言出来るし、何より思い出したのだ。
自分が以前、もう一人のクウガである小野寺ユウスケに対し、らしくもなく大声で叫んだ言葉を。

――『そうだッ、君は君でいい。五代は決して超えなくてはいけない目標なんかじゃない、クウガとしての理想なんかじゃない!』

(君は君でいい、か。どの口がそんな言葉を偉そうに……)

フッと、自嘲気味に笑う。
されどそれは、必要以上に自分を苦しめる自嘲ではなかった。
自分は既に分かっていたのだ。人は皆それぞれ長所と短所があるということなど。

他人に対してはあれだけ雄弁に語れたはずのそんな言葉も、自分のことになると何故かつい見失ってしまう。
五代に捕らわれ自分を卑下していた彼と同じように、自分もまた照井と自身を、必要以上に比べすぎていた。
彼だって五代に出来なかったことをやってのけたのだ。照井が出来なかったからといって自分も同じように出来ぬ道理など、ないではないか。

――『大丈夫ですって。だって俺、クウガだから』

かつてない強敵と相見え、今のままでは勝てないと厳しい現実が突き付けられる度、五代が笑顔を浮かべ口にしていた言葉を思い出す。
本当は怖かったのかも知れない、本当は不安だったのかも知れない。
それでも彼は何の根拠もないそんな気休めを、いつも真実にしてみせた。

クウガだから。そんな責任感を、自分自身の強さに変えて。
なれば自分も、同じようにやってみようではないか。
だって今の自分は彼と同じ――。

(――仮面ライダーだから、な)

その名を思い浮かべるのと同時、すっと一条は立ち上がった。
手にはトライアルのメモリを携え、その顔には先ほどまでよりも穏やかな表情が浮かんでいる。
何故だかとても、晴れやかな気分だった。今の自分に出来ないことはないと、そう思えるほどに。

「……行くのか、一条」

「えぇ、次こそ成功させて見せます」

告げた一条の瞳には、もう迷いはない。
コクリ、と翔太郎に一礼だけ残して、彼は確かな足取りでレーシングコースへと歩んでいく。
それは、根拠はないが次で確実に成功する……そう思えるような、強い歩みだった。

きっともう彼に心配はいらないだろう。
総司のように独り立ちして、仮面ライダーとして立派に戦えるはずだ。
彼にアクセルを託した男にそれを報告するように再び天を仰いで、それから翔太郎も一条の後を追おうと立ち上がった、その瞬間。










――突如として彼らが目指していたバイクが、衝撃波に刻まれ爆発した。










「なっ……」

轟音と共に、四散した金属の破片が燃え上がり彼らの足下に吹き飛んでくる。
いきなり訪れた急展開に驚き困惑を露わにしながらも、しかし二人は油断なく周囲を見渡す。
刹那、バイクを襲った襲撃者は、呆気なく見つかった。

爆風に揺れる赤い服、軽薄そうに見える茶髪にヘラヘラと張り付いた笑み。
見覚えのあるその青年は、彼らをして許されざる邪悪と断ずることの容易い存在だった。

「キング……!」

呼んだ翔太郎の声に、青年――キングはふと気付いたように向き返る。
わざとらしいその余裕ぶった動作が、今は異様に気に障った。

「やぁ、ダブルの左側、それにアクセル。駄目じゃんこんなことしてちゃ。殺し合いはまだ続いてるんだよ、特訓なんてしてる暇ないでしょ」

「てめぇ……」

あたかも自分が正しいと言いたげにニヤつくキングに、翔太郎は激情を隠せない。
照井が託し、一条が受け継いだ仮面ライダーの力を十全に扱う為の特訓を、こんなこと呼ばわりだ。
怒りを胸に、射貫くような瞳でキングを睨み付けるが、彼は依然としてその笑みを崩さない。

「何?怒り心頭って感じ?ウザいんだけど」

「こっちの台詞だ。……今度こそ決着付けさせて貰うぜ」

「それこそこっちの台詞だって」

キングの減らず口は、止まることを知らない。
こいつを黙らせるにはやはり封印するのが一番らしいと、翔太郎はその懐からドライバーとメモリを取り出した。

「左さん、私も――」

「いや、お前は休んでろ。こいつだけは、俺がやらなきゃ気が済まねぇ」

自身もアクセルドライバーを取り出した一条に、翔太郎は揺るがぬ気迫でそう返す。
こいつは剣崎一真を侮辱し、総司を操り、そして翔一を殺した。
この邪悪だけは、自分で始末を付けなければ気が済まなかった。

翔太郎のただならぬ雰囲気を前に、一条も言葉を呑み素直に引き下がる。
それを受けロストドライバーを腰に巻いた翔太郎に対し、キングもまた懐からカードデッキを取り出していた。

――JOKER!

「行くぜ……変身!」

「……変身」

――JOKER!

ドライバーに装填されたジョーカーメモリが、翔太郎の身体を紫の粒子で包み込む。
彼そのものが“切り札”の記憶を纏い変身したその姿は、仮面ライダージョーカー。
それと同時に、キングもまた変身シークエンスを完了し、仮面ライダーベルデへと変身を遂げた。

緑と黒、相対した二人はそれぞれ、自身の敵である仮面ライダーへと、その瞳を輝かせた。


146:名もなき者に捧ぐ歌 投下順 147:Tを越えろ/疾走
時系列順
135:restart your engine 一条薫
左翔太郎
139:The sun rises again キング


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最終更新:2019年12月29日 17:21