何故鶏は道路を渡ったか
死んでいる。
なんだか真っ黒焦げで、元がなんだったのか良く解らない。でも。
人だ。
人が死んでいる。
熊だとか何だとか言ってたし、能力者とはまた違う、人とは思えないような力を持っていた。けど。
人間だ。
けだものには、言葉は無い。心も無い。時間と言う概念も無い。ただ、本能に従うだけだ。学習はしても、本当の意味で理解はしない。
自分だけの現実は。人間にしかないものだ。
――この。
目の前にあるものは。
人だった。今は違う。死んでいるから。
脳は死んでも、ほんの少しだが爪は伸びるし髪も生える事があるらしい。身体の細胞は生きている時間があるのだ。
けれどこれは駄目だろう。
だって真っ黒だ。腐敗する間もなく、脳髄も神経も内蔵も血液も皮膚も顔面も眼球も骸骨も、みんな同じになってしまった。
――私が。
殺した。
疲労感がある。
何がどうしてどうなったのか、よく覚えていない。
殺さなければ、こちらが死んでいた事は間違いない。
でも、自分は。生きた人間を――殺したのだ。
厭だ。
普通なら如何するのだろう、こんな時は。
私は棒きれのように突っ立っている。まるで不似合いだ。不似合いと言うより間違っていると言うべきか。
でも仕様がないって。いっぱい傷があるし。血も沢山出てるし。凄く疲れてるし。
現実とは思えない。でも、現実なんだろうな。
溜息を吐いて空を見上げると。
ぐにゃぐにゃの変な形をした月があった。
なんだろう、あれは。
一度眼を閉じて、深呼吸をして、もう一度眼を開いた。やっぱりぐにゃぐにゃだ。
疲れているからだ。もの凄くどんよりとしてしまって、そのまま地面に仰向けに倒れこんだ。
その途中。
変なものが視界に入った。
森の木だ。丁度、黒焦げになったものの真横の所にあるやつだ。
くにゃっと湾曲している。蛇行しているというのだろうか。でも、曲がっているところは一箇所だから、蛇行とは言わないのか。
変だ。どうやったらあんな形に育ってしまうのだろう。
もっとどんよりとした気分になった。
ぐうとお腹が鳴った。こんな時でも、どんな時でも、生きていればお腹は空くのだ。
周りには誰もいないと思うけど、気恥ずかしい。服も襤褸布みたいになってるし。
涙が出そうだ。女の子だから。私は。
寝転がったまま、全然可愛くない機能性だけを追求したようなバッグに手を伸ばす。ギリギリで届かなかった。苛々する。
立ち上がる気力もなかったから、芋蟲のように這いずって移動する。
自分が立てているずるずるという音が気色悪い。本当に泣きたくなる。
漸くバッグに手が届く地点まで辿り着いて、起き上がろうとしたけどできなくて、変な姿勢で地べたに座り込んだ。
何となしに袖を見やると、汚らしい穢らわしい如何わしい腐ったような臭いがする潰れ果てて歪んだ茶色い蟲の死骸がこびりついていた。
厭だ。
眼を背けてバッグを開ける。
形も色も最悪でちっとも食欲をそそらない不味そうな食べ物が見つかった。食器はない。
手掴みで喰えと言う事か。けだものの如く。
またお腹が鳴った。
土で汚れた手でなるべく端っこの方を持って、恐る恐る口に含む。
思っていたほど不味くはなかった。そもそも、味というものがまるでなかった。
半分だけ食べるとそれでお腹が一杯になった。手で触れた部分を見ていると食べる気が失せたのかもしれない。
甘いものが欲しい。お菓子でも飲み物でもいいから。
否。
友人と一緒なら。どんな食べ物でもいい。
――その為には。
帰ろう。
そうだ。泣き言なんて言ってられるか。こんなの、ソッコで全部終わらせてやる。
まずは。
立とう。
そう決意して、何とか立ち上がろうとして。
思いっきりすっ転んだ。
無様――である。だが。
初春がこの光景を見ていたら、どうするだろう。笑うだろうか。心配してくれるだろうか。
そんな事を考えていると、先程よりも幾分かマシな気分になった。
取り敢えず――杖とか。その代わりになるものとか、無いだろうか。
少し離れた場所に、バラバラになった機械の残骸がある。もしかしたら、使えるものがあるかもしれない。
でも、よく考えたら。このまま普通に休んでた方がいいんじゃないかなあ。
ううん。
いやいや、これは気持ちの問題だ。ここで負けちゃうようじゃ、ダメだ。きっと。
そう考えを纏めて、またずるずると這っていった。
それでも、やっぱりこの動き方は――。
厭だ。
長いのか短いのかよく分からない時間をかけて、残骸が散乱している場所に辿り着く。
そして私は、酷く混乱した。
近くで見ると、曲がっていた。
残骸は。
全部、あの変な木と同じように。途中から、くにゃりと。
おかしいよ。こんなの使えないじゃん。
そもそもこんな壊れ方ってない。絶対に変だ。
もしかしたら、観え方が変なのかもしれない。空気の温度差とか、そういうので光が屈折する事はある。
だが、それは違うと思う。そうなら、背景も屈折して見えていなければならない。
それくらいの知識は持っている。中学生と雖も。
それに――顔を動かして、角度を変えても曲がって見えるのだ。
残骸自体が曲がっているのなら、インチキマジックの棒と同じで、観察する位置によってそれなりに変わって見える筈なのだ。
観察者の私が移動しているのだから、見え方も変わるべきである。それなのに。
何処から観たって同じように歪んでいる。
つまり、観察者である私の移動に伴って歪み方が変化していると捉えるよりない。
無機物が私に合わせて変形する訳がない。そんな事は有り得ない。
もう、これは明らかに変だ。何が変って、私が変だ。
厭だ。
いや。
落ち着かなくてはいけないだろう。
落ち着かなくては。
丁度、シャーペンくらいの長さと大きさの残骸を見つけた。これも途中で曲がっている。
私はペンを手に取って、指先で回し、転がしてみた。
本当に曲がっているなら、ころころ転がったりしないだろう。
誰が考えたってそうだ。無理に転がしたら、タイヤが四角の自転車のように、かくかくする筈だ。
その筈なのに。
ペンは普通に転がった。歪んだまま。
私の観ている位置からの歪み具合は変わらないのに、指先の動きに合わせて回転している。
つまり。曲がっていないのだ。曲がって見えているだけなのだ。
でも。
地面に適当な文章を書いてみた。曲がった鉛筆で字を書くのは、結構難儀だった。
と言うか書けないよ。
私の字はひょろひょろと歪んだ変な字になった。
変な字の上にペンを置く。曲がった部分の下の字は、ちゃんと見えていた。
横にして、文章の上に載せてみる。
本来ペンの残骸は真っ直ぐ――かどうかは判断できないが、曲がっている箇所以外は真っ直ぐに見える。
だから文章はまるまる隠れる筈だ。
でも。曲がった部分の下の字は、ちゃんと読める。物理的に曲がっているのだ。
光が屈折しているのなら、文章だって同じように歪んで見えなければおかしい。
錯覚だとしたって、隠れているところが読めるのは変だ。
矛盾している。何だ。これは。こんなのは。
私は眼を瞑った。
厭だ。
厭だ。
大体、私は普通の中学生で。無能力者で。色々大変な事はあったけどそれでも友達と一緒にそれなりに頑張ってきて。でも。
人を。殺したから。
いや。関係ないよ。
今は。そんな事は。
そうだ、関係ない。
解らない事なんて放って置いていい。狂っていると言うなら、この状況が既に狂っている。
だから杖なんて無くたって立ち上がって、それで――。
眼を開けると。
視界に入るものは、全部ぐにゃぐにゃになっていた。もう曲がってるどころじゃない。
森の木も地面も総てどろどろに見える。別に柔らかくはないのだけれど、そう見える。
残骸は現代美術のオブジェみたいになっていた。近くに置いてあったバッグはそれに巻き込まれて取り出せない。
だが。私だけは、普通だ。ならば。歪んでいるのは、私の方なのか。
厭だ。
強く強く。二度と世界を見ないように眼を閉じる。
もう――厭だ。
目が覚めた。
眠ってしまっていたらしい。
ここは。何時もの――そう、何時もの。私の部屋だ。
学園都市だ。
全部、夢だったんだ。
でも。
でもさ。歪んだままだよ。みんな。
家具はみんなデコボコで、着替える事も顔を洗うこともできなかった。
ミラーハウスの波打った鏡みたいになっているドアを開けて、私は街に出た。
街は。
と言うか世界全部は。案の定、私を拒んでいた。
歩くのさえ困難だった。
あっちに蹌踉け。
こっちに傾き。
まるで。
アスレチックみたい。
地震の中を歩くかのように。
よたよたと私は進んでいった。
道行く人は誰も皆、化け物ばかりだった。
三日月みたいになった顔。
蟷螂みたいな逆三角。
蛇腹に畳まれた人。
捩れた学生。
直角に折れた女。
二メートル以上に伸びた人。
「佐天さん」
呼ばれた。振り向くと、初春の体があった。体の上には、変なものが乗っかっていた。
顔なのだきっと。顔の中心に、全部のパーツが引き寄せられていた。
もう眼だか口だか鼻だか花だか分からない。
歪んだパーツがじくじくと動いた。
どうしたんですか佐天さん――。
私は遂に限界を迎えた。
こんなのあるか。
私は駆け出した。
真っ直ぐなものは何一つない。
上も下も横も前も後ろも渦を巻いていて何処もかしこも私を拒絶している。
私の方が歪んでいるというのなら、もう私は原型を留めない程ぐちゃぐちゃになっているに違いない。
薬物中毒患者の視る風景はこんななのだろうか。
サイケデリックでシュールレアリスムでキュビズムでダダイズムで、要するに滅茶苦茶だ。
運動とか理論とか思想とか、そういうものまでぐにゃぐにゃだ。
支離滅裂の五里霧中の混ぜるな危険だ。
それなのに、どういうわけか自分の姿だけは普通に見えている。
何なんだこれは。
走って。走って。走って。いつの間にか。
私は、森に戻っていた。
何処から何処までが夢なのか。もう何もかも分からない。厭だ。本当に厭だ。
無気力に辺りを見渡すと。
歪んでいないものがあった。
人の形だ。人の顔だ。子供だ。でも、変だ。
顔は大人だ。体格は子供なのに、顔だけは中年の男の顔だった。学園都市に来る前に、見た事がある。
ああ。
これは観音様だなあ。
「あやあや、哀れな娘であることよ」
観音様はそう言った。
「私は」
罰が当たったのですか。人を殺したから。
「どうもせぬよ」
そんな。そんな事は。ならこれは何。
「己が心に聞くが善い」
こころ。
記憶。
そう言われれば。思い出さないようにしていたのかもしれない。殺した時の事を。
そんな事を思い浮かべた瞬間に。私は全部思い出した。
そうだ。私は。
戦いを。ひとごろしを半ば楽しんでいたじゃないか。
最初にここに放り出された時だって。
目の前で人が殺されたのに、脳天気に初春や御坂さんが助けに来る事を期待していただけだった。
私は。嗚呼――わたしは。
熱い。
凄く熱い。火だ。全然気が付かなかった。
でも。火も歪んでる。
そうだ。結局これは変わってないんだ。
本当に何なんだこれは。
「じゃあ――世界の方がどうにかなったのですか」
「どうもせぬよ」
「そんな訳ないじゃない。あなた、何か知っているでしょう」
観音様は眼を細めた。
「世が歪み物が歪み人が歪み。それは普く心の歪み也。現を見ずに嘘を観て生きておる故」
は?
「汝は独りだ。ずっと独りだ。何も見ず、何も知らずに生きておるだけだ。これが現実也」
はあ?
「汝は世がどんなものなのか知らぬのだ。汝が最前まで信じおった世界こそ、虚構也」
「あんた、馬鹿じゃないの?」
私がそう言うと、観音様は不機嫌そうな顔をした。
「如何に。何故莫迦なるか」
「だって」
そんな訳がない。そんな、ありきたりな理由で世界がこんなになるか。
「私が本当は引き篭もりか何かで、今までの人生全部妄想だったとか、そういう話?」
頭悪いからそういうの。
「こ、この罰当たりめ」
「うるさいなあ」
私は、思い切り強く観音様を蹴飛ばした。もう、むしゃくしゃしていたのだ。
観音様は痛い痛いと泣きながら、くるくる回転してそのまま何処かへ行ってしまった。
気持ち悪いよ。
言われた通り本当に罰が当たって、私の身体はぐにゃぐにゃになった。
腕はくるくる円弧を描き、足は波線状にひね曲がり、顔は団扇のようになって、その上熱した蠟細工みたいに蕩けた。
もっと歪めもっと歪め、みんなと同じぐにゃぐにゃに曲がれ。
ああ、よく歪んだ。
これで普通に。
戦えるだろうか。
【観音様@歪み観音 死亡】
【B-3森/黎明】
【
佐天涙子@とある科学の超電磁砲】
状態:疲労(小)、ダメージ(大)
装備:なし
道具:なし
基本思考:対ヒグマ、会場から脱出する
1:仲間を見つける
※第四波動とかアルターとか取得しました。
※異空間にエカテリーナ2世号改の上半身と左天@NEEDLESSが放置されています
最終更新:2015年03月22日 14:24