久々に戻ってきたピドナのメインストリートの相変わらずの騒がしさに多少の懐かしさも覚えつつ、カタリナは慣れた足取りで夕刻のパブ•ヴィンサントを訪れた。
 日が沈む前から既に賑やかさが漏れ聞こえる扉をくぐると、どうやら顔を覚えてくれていたらしいマスターがカタリナを見つけて会釈をしてくれる。それににこやかに応えてから、カタリナは迷わず店内の奥の方にある席に向かう。
 その後ろには、まるでこれから死刑宣告を受ける囚人の様な表情をしたユリアンが続いた。
 こっそりとハリード、トーマスが後から入店してカウンターから二人の様子を窺うが、それには気付かぬ様子で先に入店した男女は席についた。
 椅子の背には体を寄せずに縮こまった様子のユリアンと、まるでこれから詰問を始める審問官の様な鋭い目つきでそれを見るカタリナ。
 その状態で硬直が数秒続いたかと思うと、おもむろに口を開いたのは、勿論カタリナであった。

「貴方は、モニカ様の事を生涯愛していけるのですか?」

 その言葉はまるで挙式に挑んだ新郎新婦に問いかけるようで、しかしそこに一切の温もりはなく。
 カタリナは硬質の声色で静かに聞いた。
 それにピクリと反応して顔をあげたユリアンは、それまでの弱々しさとは打って変わって力強く頷いて口を開く。

「・・・勿論です」

 その言葉を黙って聞いていたカタリナはユリアンの瞳を凝視し、言葉を続けた。

「如何な事情が背景にあろうとも、世間からみれば貴方は国同士の政によって定められた婚儀を妨害し、あまつさえ一国の姫を誘拐した、国家間で指名手配される極悪人と認識されるでしょう。この先その身に二度と安寧はなく、常日頃から追われ続ける立場となる。それでも貴方は・・・罪人の咎を背負ってでも、モニカ様のことを愛していけるというのですか?」

 再度、聞く。
 なにもこれは、脅しているわけではない。事実なのだ。世間からは、そのようにしか認識されない。
 開拓民が侯族の姫と駆け落ちなどということが認められるような事例は、童話の中ですら存在していない。
 逃げ果せても日の当たる暮らしは難しく、捕えられれば極刑以外はないだろう。
 だが、ユリアンは再度しっかりとした口調で言い放った。

「・・・勿論です」

 その言葉と響き、そして瞳の光をカタリナは暫く見ていたが、やがて沈黙の後に一つ息を吐いてから姿勢を崩した。

「・・・モニカ様は、わたくしはずっとお兄様のお側にいるの・・・と言うのが口癖なほどだったわ」

 ぽつりとカタリナが呟くと、ユリアンは目を瞬きながらも、しっかりとそれに耳を傾けた。

「だから、今回ツヴァイクへと嫁ぐ話を聞いた時は、私も・・・モニカ様の胸中を察するだけで胸が苦しくなった。それがよりにもよってミカエル様からのお話であるのならば、なおの事・・・」

 気を利かせた店員が水の入ったグラスを二つテーブルに置いていくと、二人はお互いにそれを一口啜った。

「・・・いっぱい、泣いたんでしょうね・・・。聞かせて頂戴、貴方の口から、ここ迄の話を」

 目を伏せながらカタリナが言うと、ユリアンも下を向きながらそれに頷き、ぽつぽつと語り始めた。

「・・・カタリナ様が宮廷を去って、俺がプリンセスガードに入隊してから間もなくその話が出て、それ以降モニカ様が泣いてない日は、多分・・・なかったです。俺はその時すでにモニカ様に心惹かれていたから、それを見て俺も辛かったけど・・・何もできなかったんです」

 ユリアンはその光景を思い出すように遠くを見つめるような目をすると、水滴のついたコップを握りしめた。

「でもモニカ様は、それでも気丈だったと思っていました。ミカエル様の前では笑顔を絶やさず、心配をかけまいとしていた。それは・・・とても強い、意志でした。だから俺も、彼女のその意志と覚悟に従おうと思ったんです。でも・・・そうじゃなかった」

 ユリアンはツヴァイクへと向かう船の上でモニカが見せたあまりに悲壮な表情を、頭の中に思い描く。まるでこれからの人生に絶望するかのようなその表情は、あわやこのまま夜の暗い海に飛び込んでしまうのではないかとすら感じたものだった。

「だから俺は・・・船の上から消えてしまいそうなモニカ様を見たあの時既に、何処かへ連れ去ってやる位の気持ちでした。身分だとか運命とか宿命とか・・・そんなもので彼女のこの先の人生が犠牲になるのが、耐えられなかった」

 物静かに語るユリアンの瞳には、強い意志が見える。
 カタリナは黙ってそれを聞きながら続きを待った。

「・・・俺からモニカ様に想いを伝え、モニカ様はまた泣きました。でもそれは、モニカ様も俺に想いを寄せてくれていた証だった。それが彼女を更に苦しめることであったとしても、俺は彼女の想いが純粋に嬉しかったんです」

 無言でユリアンの言葉を聞きながら、カタリナは彼の気持ちと発言に一切の揺らぎがないことを感じ取る。
 そのままユリアンは魔物の襲撃からツヴァイクに辿り着くまでの経緯をカタリナに話した。
その間、当初はあまり関わりの無いこともあってユリアンに対する不信感の拭えなかったカタリナの中で、既に自分がこの男に対して言えることはないと感じていた。

「・・・八つの光に俺とモニカ様も含まれていたことは未だにいまいち信じられないんですが、この先何があろうとも・・・俺がモニカ様を守ってみせます。彼女の宿命を自分の咎として代わりに背負えるのなら、俺はそれを望んで止まない。ですからカタリナ様、モニカ様を・・・いえ、モニカを俺にください!」

 喋りながらヒートアップしてきたユリアンは、最後には叫ぶようにそう言うとテーブルにぶつけんばかりに頭を下げた。
 店内に響き渡ったその声に、一時その場の全員がしんと静まり返って奥の二人に目線を向ける。
 カタリナは頭を下げるユリアンを暫し無言で見つめたかと思うと、ふっと笑った。

「それは私より、然るべき時を待ってからミカエル様に言いなさい。その時は・・・私も、できる限りの口添えをしてみましょう」

 カタリナがそう言うと、ユリアンは嬉しそうな表情で顔をあげる。
 すると、丁度そのタイミングでパチパチと拍手をしながら立ち上がる人物がいた。

「いや、なんだかドラマチックですね。いつもの流しのつもりが、ついつい目的を忘れて聞き入ってしまいましたよ」

 カタリナとユリアンも含めて今度こそその場の全員の視線を集めたその人物は、様々な人々が集まるこのピドナの中でも、一際目立った格好をした男だった。

「あいや、これはご挨拶が遅れましたね。私は単なる一介の聖王記詠み。各地を流れて歌を歌うばかりの詩人でございます」

 そう言うと、詩人と名乗った男は優雅に一礼をした。
 聖王記詠みとは、その名の通りに聖王記を民衆に語り聞かせる楽人の事を指す。一般的にはリュートなど何かしらの楽器を持ち歩いており、純粋な聖王記だけを詠むものも居れば、流行りの歌を聞かせる者もいる。
 そこで詩人は早速足元から珍しい形のフィドルを取り上げると、一音鳴らしてから再び丁寧に礼をした。

「さて、それでは目出度き話もあったところで、これより早速今宵の一曲を参りたいと思いますが・・・皆様、お手元にお飲み物のご準備は宜しいですか?」

 その言葉に合わせるように店員がカタリナとユリアンのいるテーブルにジョッキを二つ置くと、驚いている二人を見ながらハリードがニヤリと笑う。

「では、今宵もよく飲んで騒いで、ハッピーに参りましょう!かんぱーい!」

 詩人の号令で店内の客たちが一斉にグラスを掲げると、詩人は軽快なテンポで曲を弾き始めた。
 どうやら靴に仕込んでいるらしい鉄板で床をリズム良く打ち鳴らしながら、詩人は器用にフィドルを弾きながら店内を練り歩く。
 ノリの良い客が詩人に一杯奢ると彼は見事な呷りっぷりを見せつけ、場を更に盛り上げる。
 そのうちトーマスがエレンやサラ、モニカとおまけにポールを呼び寄せ、そのままヴィンサントにてプチ宴会がてらにその場の客を交え、ユリアンとモニカを声高らかに皆で祝福した。
 その中で久しぶりにモニカの純粋な笑顔を見たカタリナは、少しだけ胸の内にあったしこりが無くなった想いであった。まるで巣立って行く我が子を見守る親のような気持ちでユリアンとモニカを眺め、ちょっぴり淋しそうに杯を呷る。
 そこに席を移動してきたポールとハリードがカツンとグラスを合わせてくると、ふっと笑ったカタリナは一気に杯を飲み干し、詩人が持ってきていたリュートを借り受けて詩人と共に即興でセッションを始めた。
 それに店内が反応して盛り上がり、やがてそれは観客を巻き込んでの婚礼歌の大合唱となる。
 ここで意外にも実に見事な独唱パートを披露したハリードは、飲み客からチップを投げられて飲み代をチャラにしてのけた。
 突然の宴は夜更けまで続いて死屍累々の山を築き上げた後に、気持ち良さそうに眠るユリアンを挟んでカタリナとモニカは静かに語り合った。

「こんなに騒いだの、初めてかもしれませんわ。とても楽しかった。有難うね、カタリナ」
「いえ、私は何も。私も楽しかったですし、久しぶりにモニカ様の笑っているお顔も拝見出来ましたし」
「・・・カタリナが無事でよかった。本当に、心配したのよ」

 モニカがほろ酔いでそう口にすると、カタリナは素直に謝った。

「ご心配をお掛けして、申し訳ありませんでした。しかしながらまだマスカレイドは見つかっておりませんから、未だロアーヌへは帰れぬ身です」

 カタリナが自嘲気味に苦笑いをしながら言うと、モニカは珍しく頬を膨らませて怒ったような表情をみせた。

「お兄様は厳しすぎるわ。何も出入り禁止にしなくたって・・・」
「いえ、とんでもありません。マスカレイドはロアーヌ侯国にとって最も大事な国宝。それを奪われるという事は、即座の極刑に値してもおかしくない失態です。それがこうして奪還の機会をお与え頂けただけで、ミカエル様は十分にご寛大でいらっしゃいます」

 カタリナのその言葉にもまだ納得がいかなそうな表情のモニカであったが、それ以上は何も言ってはこなかった。
 代わりにワインを一口啜ると、テーブルに突っ伏しているユリアンを眺めながら少しだけ顔を和らげた。

「・・・わたくしは今でもお兄様をとても大事に思っていますが、これからはユリアン様と生きてゆくと決めた身。だから離れてしまう分、お兄様の事が心配なのです。ふふ、こんな事お兄様が聞いたら、お顔をしかめそうですが」

 ミカエルが顔をしかめる様が容易に想像出来て、カタリナも思わず頬を緩める。
 モニカはゆっくりとユリアンの頭を撫でながら、カタリナを見つめた。

「だから・・・カタリナ。貴女には、お兄様のお側にいて欲しいなと思うの」

 いきなりのその言葉にカタリナがきょとんとしていると、モニカは多少身を乗り出しながら熱く語り始めた。

「だってお兄様も、既にご結婚をされていておかしくないご年齢。かといって相応しいお相手はわたくしの目から見ても、今のロアーヌ国内には居ないわ。でもカタリナなら、お兄様とお似合いだと思うの。だめかしら?」
「え、ちょ、お待ちくださいモニカ様!?滅相もない!」

 だめかしらもなにも無いだろうと慌てふためくカタリナに、モニカはすわり始めた目でカタリナを覗き込んだ。

「いいえ、わたくしは脈ありと思いますわ。お兄様はわたくし達のお母様の事もあって少し女性不信な所がありますが、でもカタリナに向ける視線にはそういった感情は見えませんでしたもの。サラ様はそういうのをムッツリだ、と表現しておられました」

 どうやら、斜め上思考の持ち主であるサラの入れ知恵だったようだ。
 カタリナは頭を抱えたくなりながらも、酔いも回って饒舌になるモニカの言葉に実のところ興味をそそられていた。

「カタリナはとても綺麗だし、文武に優れ、騎士としての気高い誇りも兼ね備えた人。ロアーヌ宮廷内でも人気ランキングでは常に一、二を争う程だったのだそうよ。これはポール様が先ほど教えてくださったわ」

 素早く、一つ向こうのテーブルで落ちているポールにギロリと視線を走らせるカタリナ。どうもモニカの周囲には彼女の精神衛生上よろしくない輩が紛れているようだ。
 そこは後々粛清しようと胸の内に誓うカタリナをよそに、モニカはいよいよ大詰めの様相でカタリナに迫った。

「そんなカタリナを、お兄様も間違いなく気にしていらっしゃるわ。でもお兄様はムッツリ。ムッツリは自分からは動かないとサラ様は仰っていました。だから、カタリナから仕掛ければ良いとの助言も頂きましたわ。なんでも夜襲が有効とのことですわ」

 遠いメッサーナの地で最愛の妹にムッツリと連呼されるミカエルを哀れに思いつつ、とんでもない事をモニカに吹き込んだサラに視線を向ける。
 彼女は隣にいる姉の肩に頭を乗せながら、気持ち良さそうに寝入っているようだ。姉のエレンは、何やらトーマスと話し込んでいるようだった。

「だから、カタリナ。無事にマスカレイドを奪還した暁には、お兄様をよろしくお願いしたいのです。恋愛成就の前には困難が有るものと、古より伝記にもあるそうですわ」

 これも入れ知恵だろうか、妙に力強く語るモニカがなんとも可愛らしくて、思わず笑みがこぼれる。
 しかしながらその内容にまで微笑ましいとは思えず、カタリナは苦笑いをしながら口を開いた。

「・・・私は、女で有る前にロアーヌの騎士です。勿論ミカエル様のお側に仕える事は我が身に余る喜びですが・・・今のご提案には、首を縦には振れません」
「そんな、カタリナなら絶対お兄様とお似合いだと思うのに・・・」

 まさか断られるとも思っていなかったのか、モニカは意外そうに驚きながらも食い下がろうとした。
 しかし表情を崩さずに頑なに否定する様相のカタリナを見て、ついにこの場は諦める事にした。

「・・・私はロアーヌの剣であるだけでいいのです。それが、誇りなのです。ですからとにかく今は・・・一刻も早くマスカレイドをご返上しなければ」

 二人きりでも相変わらず生真面目なカタリナの様子に、モニカは一息つきながら微笑む。
 カタリナはそんなモニカを、まるで自分の妹のように優しく見守る。
 だがその胸中では、今の自分の言葉と裏腹にミカエルに寄せる想いの色褪せなさに我ながら呆れかえる、複雑なものがあった。
 そうしているうちにモニカは小さな可愛らしい欠伸を一つすると、流石に時間も遅かったか二度三度瞼をこすってからユリアンの頭に目を落とす。そして安心した様にふわりと笑ってから、間もなく安らかな眠りに誘われていった。
 すぐさまモニカの肩に薄手の毛布を掛けて席に戻ったカタリナは、テーブルに肘をついてグラスを傾けながら、何処か遠くを見つめていた。






最終更新:2012年09月06日 22:12