気がつくと、そこは大理石製の見事な装飾が為された廊下だった。
ここに至るまでにどのくらいの時間意識がなかったのか、それはカタリナには分からない。
だが今それを気にしても意味はなかろうと思い直し、隣でゆっくりと起き上がったトーマスに目配せだけで安否を問うた。
「・・・大丈夫です」
そう言って立ち上がったトーマスは、周囲を見渡しながらずり落ちていた眼鏡の位置を正した。
「ここは・・・昨日幻に見た場所と、酷似した作りですね・・・。恐らくは、ピドナ宮殿です」
「という事は・・・ミューズ様と同じ場所の可能性は高いわね」
言いながらいつもの癖で背中の大剣を背負い直したカタリナは、自分が何時の間にか鎧に包まれている事に気がつく。
えらくラフな格好でミューズ達の元へと駆けつけたはずだったのにと、彼女は大きく首を捻った。
「夢の中では常識は通用しそうもない、ですかね」
同じく、ミューズの家に駆け込んできた時とは異なる武装を携えたトーマスが肩を竦めながら言った。
「そうみたいね。兎に角、急いでミューズ様とシャールさんを探しましょう」
そう言ってとりあえず歩き出したカタリナに、トーマスもすぐさま続いた。
ゴンと共に旧市街に駆けつけたのは、トーマス、サラ、エレン、ハリードの四人だった。
だが小瓶に残された秘薬は僅かであり、せいぜいが二人分。カタリナは行くことを決めていたのでもう一人誰が行くかということになったのだが、集まった面子の中で強く同行を名乗り出たのは、やはりトーマスであった。
「シャール様!」
何度目かの声をあげながら、切り捨てた醜い魔物を踏み越えてトーマスが辺りを見渡す。
だがそれに対する返事はまたしても無く、二人は目配せだけで会話をし、先へ先へと進んでいた。
当初は無人かと思われた幻想宮廷内には、驚くべきことに何人もの給仕達が日常のように歩き回っていた。だが其れらは須らくカタリナとトーマスの前で異形へと変貌し、襲いかかってきたのだ。
そうして何度か襲撃を受ける最中にカタリナは、動きも素早く強靭な魔物を相手にして槍と術法で互角以上に渡り合うトーマスに目を見張った。
以前魔王殿に同行したときに武術の心得があることは聞きかじっていたが、正直これほどまでの使い手であるとは想像すらしていなかったのだ。その身のこなしと攻撃の威力たるや、歴戦の槍兵と宮廷魔術師が合わさったかのような印象さえある。
それについて賛辞を送ると、トーマスはふっと笑いながら眼鏡の位置を正した。
「・・・いえ、実は私自身もこの戦闘技術にはつい先ほどまで覚えが無かったのです。ですが、何故か今は記憶にあるのです」
まるでカタリナが魔王殿で経験した様なのと同じ事を、トーマスは言った。となればこれも恐らくは、王家の指輪があの映像と共に八つの光にもたらしたものなのだろう。
しかし術法に関してはカタリナなどは元から才能がなく騎士候補生時代にすっぱりと諦めており、それは王家の指輪から記憶を受け継いだ今も変わらない。
となると記憶による戦闘技術の継承も、ある程度は本人の才覚に左右される部分があるのだろうか。
そんな事を考えながら足を進めていると、前方から剣戟の音が微かに響き渡ってきた。
「・・・誰かが戦っている!」
「行きましょう!」
直ぐ様その場を駆け出した二人は、幾つか曲がり角を曲がった先のエントランスの端で、何匹もの魔物達が囲う一角を見つけた。
それを見るや否や、カタリナとトーマスは注意を引くために雄叫びを上げながら全速力でそこに向かう。
だが二人がそこに辿り着くより前に、魔物達は一斉に囲んでいた獲物に飛びかかった。
「シャールさん!」
その光景を見ながらカタリナが叫ぶが、それで魔物が止まるわけではなく。
しかしそう思われた状況に反して、魔物達は止まった。
それどころか、瞬くうちに飛び掛ったのとは逆方向に一斉に弾き飛ばされたのだ。
「!?」
弾かれたうちの一匹が此方に飛んできたのをトーマスが槍の豪快なスイングで殴り飛ばすと、魔物達が先ほどまで囲んでいた中央には、灼熱の炎の壁に包まれたシャールと、その後ろで立ち竦んでいるミューズの姿があった。
だがそちらに駆け寄る間もなく、魔物達は直ぐ様起き上がって新たに現れたカタリナ達にも敵意の篭った視線を向けてくる。
「先ずは片を付けるぞ!」
すかさず飛んできたシャールの檄に、カタリナ達は其々魔物に対峙した。
最初に動いたのは、カタリナだった。今やお家芸といってもいい程の練度を誇る神速の二段切りでカタリナが魔物の一匹を屠ると、同じタイミングでトーマスは玄武術によって作り出した雷球に魔物が怯んだところを、飛び上がって真上から狙い澄ました強力な一突きで仕留める。
そうして二人がシャール達に振り返ると、そこでは襲い掛かってきた二匹を相手に身体ごと回りながら槍で切り刻んで飛ばし、炎を纏って加速しながら飛び上がるシャールの姿があった。そして上空から流星の如き槍の投擲で一匹を仕留め、その着地と同時に体勢を立て直したもう一匹が襲いかかるが、振りかぶられた前足の一撃をシャールはなんと右腕で受け止める。
瞬間、シャールの身体から炎が噴き出し、襲い掛かってきた魔物の身を焦がした。
そして悶え苦しむ魔物にシャールが地面に刺さった槍を抜いて止めを刺さんとしたところを、カタリナが先んじて一刀両断に切り捨てた。
「ミューズ様、シャール様!」
剣の穢れを払い落とすカタリナの後ろから、トーマスが駆け寄る。
するとシャールははにかむ様に笑い、やれやれといった表情で二人を迎えた。
「・・・予想はしていたが、やはり来られたか。済まないな」
「とんでもないです・・・。うまいこと、同じ空間に入れたようですね。ミューズ様、ご無事でしょうか?」
カタリナがシャールに微笑みかけながら言ったあとにミューズに視線を移すと、ミューズは怯えながらも気丈に表情を引き締めている様子が伺えた。
「・・・皆さん、すみません。私などのために・・・」
「いえ、ミューズ様がご無事で何よりです。あとは早急に、ここから脱出する方法を模索しましょう」
トーマスもミューズを安心させようと穏やかな口調で言うと、漸くミューズも多少表情を緩めた。
そしてミューズは視線をシャールに向け、彼と視線を絡めてから同時に同じ方向を向く。
「・・・この先に、ここに私たちを呼んだホストが居ます。私を誘う声と、銀の手が指し示しているのです」
「・・・銀の手?」
カタリナが聞き慣れない単語に首を傾げると、シャールがふわりとその右腕を上げて見せた。
誘われるままにカタリナとトーマスがそれを見ると、シャールの右腕は生身ではなく、見事な意匠が隈なく施されて鈍く銀に輝く手甲に包まれていた。
「・・・私がここで意識を取り戻した時には、既に私の右腕にこれがついていた。すると驚いた事に、腱を切られたはずのこの腕が、全盛期を超える程の感度で動くようになっていたのだ」
シャールのその言葉を聞きながら、カタリナは驚いた表情をしつつも先ほどのシャールの戦いぶりを思い返す。
確かにあの身のこなしと槍捌きは、腕一本が使えない人間の動きではない。
無論のこと、腕が二本動くからといってあの動きができる人間なんて殆ど居ないのだろうが。
そんなカタリナの表情を読み取ってか、そこにはミューズが答えた。
「・・・銀の手は、聖王遺物の一つ。そして・・・私の中にあったものです」
「ミューズ様の中に・・・?」
不可思議な表現にトーマスが首を傾げると、ミューズはコクリと頷いた。
「クラウディウス家は、古くからピドナにある名家でした。その歴史は三百年前に遡り、祖は、名をパウルス・クラウディウスといいます。名前で既にお気付きでしょうが、聖王三傑のパウルス様です」
「えぇえ!?」
流石にこれには驚きの声を上げるカタリナ。その隣では、トーマスも器用にメガネのずれ具合で驚きを表している。
「・・・公にはされておらぬし、ピドナでもごく一部のものしか知らぬ事実だ。ミューズ様は正真正銘、初代メッサーナ国王様の直系の子孫であらせられる」
ここに至り、何も隠すことはないと悟ったのだろう。シャールはミューズに代わって説明をしてくれた。
血族による国家統治を選ばず養子継承を採用した初代メッサーナ国王パウルスは、早速自身の部下であったアウレリウスという青年に王位を譲り、一線を退いた。
彼は後に宮廷からほど近い場所に邸宅を設け、そこで穏やかに余生を過ごしたと言われている。この養子継承制度はそもそもパウルスが子を生さなかったことに起因すると歴史学者は言い続けているが、しかしその実でパウルスは自身の血を次代へと受け継いでいたのだ。
そしてそんな彼の余生の一方、コングレスが終わった後のピドナには王たる彼によって二つの聖王遺物が残された。
一つは、聖王の槍。
これは聖王と共に槍を鍛えたレオナルド工房の初代マエストロに進呈され、長きに渡り工房のシンボルとして飾られることとなった。
そしてもう一つは、銀の手。
同じく聖王三傑のフェルディナントに負けず劣らずの豪傑とも云われたパウルスは、これを特に愛用していたと言われ、これは彼が個人的に保管することとなった。
この銀の手とは聖王遺物の中でも特殊な代物で、使用者の装着箇所の筋力や器用さ等を飛躍的に高める効果があるものだ。パウルスはこれを利き腕でないほうにあてがい、両腕を利き腕として戦ったという。
「でもなんで、それがミューズ様の中に・・・?」
カタリナが首を傾げながら聞くと、ミューズは少しだけ視線を落とした。
「パウルス様は、後の世にオーパーツとして比類なき力を発揮する聖王遺物がいたずらに人心を惑わすことを、予測しておりました。それを見越して、銀の手に封印を施されたのです。この封印は、再び銀の手が必要とされるその時まで、クラウディウスの名を継ぐものの血肉として溶け込み、受け継がれてきました」
「血肉って・・・、それじゃあ文字通り、体の中に埋まっていたということなのですか?」
そんな馬鹿なとでも言いたそうな表情でカタリナが思わず口に出すと、ミューズは微かに首を横に振った。
「もちろん、実体を持っていたわけではありません。ですが、確かに私の中にあったのです。そしてこの封印は死蝕以降にいよいよ時を悟って自ら解かれ始め、それは思わぬ負荷となって私の体にずっとのし掛かっていました」
そういいながらミューズがふわりと片手をあげると、それにあわせて戦士達三人の身に刻まれていた生傷が数瞬で消え去る。
それに驚きながら皆がミューズをみると、彼女はニコリと笑いながら、ほとんど膨らまない二の腕で力こぶしを作って見せた。
「死蝕以降はずっと病気がちでしたが、今これよりは、その原因もなくなりました。これなら、私も皆さんをサポートできます。参りましょう」
妙に元気に言い放って奥へと歩き始めたミューズに三人は驚いたように顔を見合わせ、次いで慌ててその後を追った。
最終更新:2013年01月11日 00:00