□ ■ □
つまるところ。
少女、
天王寺深雪に足りなかったもの。――否、足り過ぎたもの。
それは偏(ひとえ)に
阿見音弘之に対する信仰心だろう。
盲信とも言い変えれるほどのその信仰は、少女の心を開くにはどう足掻いても隔たりとなる。
頑固とも言えるほどに強固な盲信癖は改心はもとより、ただの会話をするにしたって不自由なものなのだろう。
現に生前の
鬼一樹月も彼女との会話の難航さに呆れ果てていたのだから実際不自由極まりない。
丹羽は先の水掛け論でそれをおのずと察した。
決して馬の耳に念仏と言うわけではない。――それでもこのままじゃ埒が明かないことも、自然と結論となる。
故に丹羽は決めた。少女を助けようとするならば決めざるを得なかった。
この天王寺深雪を助けようとするならば、言葉では無意味――行動で表すほかない。
そう判断する。
事実それは正しかったのだろう。
きっと言葉で延々と垂れ流すよりもよっぽど、効果的で効率的だ。
この上なく正しくて清らかで、天王寺を信じ込ませようとするならば、最善の方法だった。
しかしそれは賭けだった。
フィフティフィフティな賭けでも、無かったのかもしれない。
それを判断するには、丹羽と言う青年は天王寺と言う少女を知らな過ぎて、逆も然り。
互いの情報が欠け過ぎていて、賭けをするには天王寺深雪の情緒には不確定要素が多すぎた。
だから、行動で示すと一口に言ってもどれが適切な判断かなんて、知る由もない。
究極的にいえば、120%の感情を込めた力説も、一種の行動ともとれるし、須藤がしたような一心に抱擁をするだけと言うのもある種の行動。
方法なんて無限にある、かといって悩む時間もない。
その為に丹羽は真っ先に頭に浮かんだ行動を執った。単純でいて明快。
――昔、どこかの漫画なり映画なりで見たことあるような、捨て身の行動。
自らの武装を解除し、ただ一心不乱に相手の良心を信じるだけの、無茶苦茶な方法。
失敗は直結してお陀仏。成功したとしても、それが吉と出るか凶と出るか。それすらも定まらない極めて無謀な作戦。
俗に言う吊り橋効果に期待を込めた、というのもあながちでは嘘ではない。
それぐらいには、危険と称するにふさわしい『作戦』だったんだろう、と自身で振り返り、そう思う。
まあ。
そうは言っても何も勝ち目が零の勝負に挑むほど丹羽と言う男は馬鹿でもない。
幾ら本能的に見出した方法とはいえども、考えるべきところは考えるものだ。
根拠、といえるほど確固たるものではないが、丹羽は既に感じ取っていた。
言葉や態度の端々から垣間見れる天王寺の優しさや、殺人への嫌悪感を。
丹羽からしてみれば、それで十分だった。信じるには、それで十分。
――おそらくこの少女は後ひと押しで自分に素直になれるだろう、と。曖昧模糊と言われたらそこまでの理屈をまかり通して、結果を得た。
多分、ここにいる多くの参加者はそれを無謀と揶揄するだろうし、きっと丹羽自身もそう感じるだろう。
それでも、丹羽はその行動を執って、天王寺の心を揺るがすことが出来た。――人の優しさをぶつけることが出来た。
十二分な成果であり、天王寺深雪の精神にとって、大きな進歩をさせることに成功した。
この世の中、終わりよければすべてよし、の精神は殊のほか通用するようつくられているもの。結果オーライと呼ばれる奴である。
「……さて」
と掛け声と共に立ち上がって、一息。
緊張やらなんやらで固まった筋肉をほぐすために軽く柔軟運動をする。
そんな瞬間、目の前の視界から、なにかが――天王寺の姿が崩れた。
膝の力が抜けたのか、座り込んでしまった。
腰まで伸びていた煌びやかな銀髪が、フローリングの床をなぞる。
声まで含めて、現実離れするほどに可憐で、絵に描いた様な美少女は、失意の果てに抗う気力が殺がれてしまったらしい。
恐らくそれが、本来あるべき姿の天王寺なんだろう、と。丹羽はふとして思い、思わず微笑む。
(ああ、なんだよ。――こうしてればただの可愛らしいガキじゃねえかよ……)
この勝負――というより賭けは丹羽に采配があがったことは見ての通り。
もはや天王寺から殺意や敵意は感じ取れない。
膝を曲げ、ぺたんと地面に座り込んだまま、俯いて陰の含む顔でぼやいていた。
そこまではいいとして、さて、どうしたものか。
と内心で考えあぐねていると、ふと天王寺が声を寒気とは違う震えた声をあげた。
「あの……」
「ん?」
「どうして、私をそこまで信用できるんですか? 現に私は人を殺したんですよ? なのにどうして……」
瞳に宿るのは純粋な疑念。
この男の『異常』なまでの行動力は確かにこの目で見て。自らの心を揺さぶられたのだけれど。
その行動原理が何なのか。彼の脳に働いた干渉の源は一体全体何なのか。天王寺にはそれが理解に遠かった。
仕切り直して言うほどでもないが。
丹羽は自他とも認める、純粋な――死者蘇生を一回だけ経験したことあるという奇特な体験をした以外には至って普通の人間だ。
先述したとおり、『異常』なまでの行動力があるとはいえ、それはただ単に彼が感情的な部分があるだけの話であり、
身体能力に秀でるわけでもない。奇策妙計に富んだわけでもない。怪力乱神を有するわけでもない。
何がどう揺るごうとも、丹羽が一般人である事実には変わりはない。
――天王寺の観察眼では少なからずそうであり、まさしくそれが彼なわけだが。
それなのに、どうしてこんな危険な真似をしてでも優しくしてくれるのか。彼女には理解し難かった。
そして丹羽自身。
訊かれてから改めて顧みると――。
……。
…………。
………………。
「うーん……。どうしてだろうな」
「……はい?」
自分自身良く分かっていなかった。
突発的に自らの命を犠牲にしてでも、あって数時間の少女を助けるほどの『異常』な行動力で動いた結果がこれなのだから。
あまりにも奥底からの抒情であり、故に彼の理性的な考えのもとの行動であったかと言うとやはり違うのだ。
確かに少女、天王寺深雪はこのまま放っておいたら確実に危険だし、このままではダメだと思ったのも事実。
そもそもこの少女と因縁を契ったのはその思慮からだった。
しかし命の危険を晒してまで戦うべく相手だったかと言ったら、そうじゃない。
言い方が悪いが、丹羽と天王寺ほどの体格差ともなると、いくらナイフなんて持っていようが簡単にねじ伏せられる。
と、いうよりそもそも逃亡も簡単であろう。
この少女と河田が対面したって、きっとそれは同じはず。運動神経が極端に悪い奴ではなかったと記憶している。
前提として出会った時、天王寺は気絶をしており。
あの場の状態を確認できた時点で、少女を見捨ててもよかったはずである。
(……はて?)
考えれば考えるほど。
別段、あそこまでする必要性はなかった。
結果から見れば何事もなく終わったが、場合によっては死にはせずとも活動に支障をきたす創(キズ)を負っていたかもしれないのだ。
顎に手を添え、本格的に想起する丹羽。
その姿をなんとも不思議そうに見つめる天王寺。シュールである。
当人たちは、大真面目にやっているわけであるが。
それから半分ほど経った頃、丹羽が答え直す。
「じゃあ、俺はきみを助けたかった。以上」
言ってる丹羽が赤面するほど臭い台詞だった。
今時、そんなことをいうのはライトノベルぐらいだ。もしくはこのバトルロワイアルか。
「…………」
天王寺は如何にもなジト目で丹羽の双眸を窺う。
嬉しくなるほどの好意の理由が、はぐらかされるのに納得がいかない。
その瞳は暗にそう告げていた。
「な、なんだ、その不審そうな目は」
「…………別に」
丹羽の動きが、一瞬止まる。
内心で、うわー、と泣き言にも近い感情をそのまま漏らす。
なんだろうか、この台無し感。せっかく身体を張ってようやく手に入れた僅かな信頼関係なのに無駄になりそうな感じ。
要約:焦る。たじろぐ。
少女の可哀相なものを見る目(※体感的)にすっかり眠気が急速に褪せていった。
これもこれで普段を考えれば珍しいと言えば珍しい光景だが、それどころではない。
はっきりいって、ここまでして繋いだ縁を、こうも簡単に千切らせるのはお断りだった。
先も言った通り、格段天王寺を力でねじ伏せるのは残酷であるが、鬼一に限らず大人の人間だったら女性でも容易いだろう。
天王寺の年齢や体格は、明らかに意志とは反比例している体格なのだ。それなりに鍛えているつもりなのだろうが、丹羽のそれに敵うはずもない。
肉体的征服は、息を吸うほどに容易なこと。
だがしかし。
天王寺の心を開かせるのは、おそらく至難のわざであろう。
狂信者と言うものは、周りが見えなくなる。――テレビなどで放映されている限りそうであるし、天王寺の本来の性質を考えるとその通りなのだ。
妄信的従事、盲目的従事と言うものは、心の殻を強固と化し、付け入る隙をことごとく潰すものとなる。
故に、精神的な話となると難易度も飛躍的に変わる。
必然か偶然か。
丹羽はそれを成し遂げることが出来て、現段階ではそれなりに会話が出来る。
それを崩したくはなかった。
ここで崩したら、この子はまた不完全な殺害人形と為り、不必要な殺戮を犯すのかもしれない。そう思うと一度関わっただけに、心が痛む。
助けるという目標指針を掲げた以上、避けるべき、忌むべき結果であることに違いない。
まあ。
かといって、そんな風に考えたところで。
天王寺の問いに対する調子のいい答えなど、一向に浮かんでこない。
行動に込めた感情に嘘偽りなど――ひとつもないのも確かな話に違いはないが。
普段ロクに働かせない脳をフル稼働させる。
悩む。絞る。削る。などなど無意味なほどに大層に考え――。
「ああうん、あれだ。別に理由なんかねえよ。俺がそうしたかったからそうしたんだ……。ちょっとは悟れよ」
結果。
思わず真実嘘偽りなく、晒してしまった。
散々悩んだ結果がこれなのだから情けない話である。
ある意味こういう場に限って言うなら河田の理解するのも困難な喋り方が羨ましく思えた丹羽であった。
恥ずかしいぐらいに率直でいて直球な発言と言うのは、そのままストレートに恥ずかしいものなのだ。
対し。
そんな答えのようで具体的なことなんてひとつも挙げれてない丹羽の返答をきき、
ポカン、と半ば放心状態にまで行きかけていた。
「はい?」と再度おなじ言葉を繰り返しそうになって、止まった。
――今の言葉からは、先ほどのような冗談めいた軽快さは含まれていない。
さもありなん、それが丹羽にとって最上級の正確さを求めた、最上位の答えなのだから。
その言葉に軽快さが含まれているのなら、丹羽と言う男は相当なお調子者と言うことになる。
(……意味が、わからない)
しかし、丹羽の内心など知る由もない天王寺には理解するのも困難だった。
当然だ。
そうしたい、『それだけ』の気持ちで自らの生殺与奪を、殺し合いに乗っている人間に授けるだなんてリスキーにも程がある。
そもそもの話。
その『それだけのことがしたい』という考え方は天王寺の考えとてんで逆位置に存在する考え方なのだ。
天王寺の思考回路、それは『第三者が求めることだけに服従する』。自分の考えなどないにも等しいあり方。
だからこそ余計に、丹羽の考えには同調しかねる。
当然の結論であった。
――――ただ。
(……だけど、それは、温かいな)
冷めきった少女の心を解かすのには、正解だ。
逆位置に存在した行動理念は、この場には正常以上に作動した。
――たとえばだが嫉妬。
嫉妬と言うものは、他者が有する、『自分がないもの』に羨望し、徐々に歪んでいって嫉妬と化す。
人間と言うものは、自分が知らない世界を、不思議と興味を示し、或いは固執してしまう。
だからこそ研究者というものはいつの世にも絶えることはない。
この場合の天王寺は、その類に当てはまると言えよう。
分からないが故に、新鮮で。
知らないが為に、知りたがり。
阿見音が埋めることのなかった、或いは埋めることのできなかった天王寺の空白に、浸透させていく。
阿見音という男に完膚なきまでに壊されたモノトーンな世界は、
疑似的であろうと、あるいは真正なるものであろうと、色が塗られていく――鮮やかに。
確かにまだ、色合いは薄いけれど、それでも、丹羽のした行為は決して無駄にはならなかった。
天王寺の心の扉に阿見音によって何重にも縛られた鎖は、再び解き放たれようとしている。
安っぽい台詞であろうとも、くさい台詞であろうとも、心を動かしたのは紛れもない事実。
どんだけ理由を理性的に推測をしようとも、結局は天王寺にも知らない感情。
理由なんてもしかしたら今の彼女に要らないのかもしれない。
『心を動かされた』という結果が、ここでは重要なのだ。
「そうですか――ありがとうございます」
不思議と言葉は温かく。
阿見音様と慕う恩人を忘れる気にも勿論なるわけないけれど。
それでも今は、この感情に従いたいと思う彼女もそこにいて。
この、理解できない男に付いていって、この気持ちが何なのか確かめたい彼女もまた、そこにいて。
胸を温かくする、希望めいた奇妙な心に白黒つけたい彼女が、今、確かにここにいる。
「んーとさ、言い辛いんだけど、俺と一緒に行動する気ある? 俺はできればそうしたいんだけど」
差し出された掌。
前を見れば、穏やかな丹羽の顔がそこにあった。
天王寺自身の掌とは比べものにならないほど大きな掌。
最終的に、何が正しいのか。
阿見音に忠誠を誓い尽し、人殺しをするべきなのか。
丹羽の言うように――今、彼女がしたいことをするべきなのか。
正しい答えなんかわからない。
けれど今は、と彼女は心の奥で決断を下して。
「私でよければ付いていきます」
丹羽との同行を、したいと思ったから、天王寺はそう決断した。
覚えている限り、あの日出会って以来初めての体験だった。
阿見音の為以外に動くことなんて。昨日の彼女自身なら夢にも見ない、奇々怪々な思考回路。
だけど、怖くはなかった。
申し訳ない気持ちは蔓延するけれど、後悔だけはしていなかった。
それが何故か。
まだ彼女に知る術はないけれど、生きていればいつかきっと、知るときだって来るかもしれない。
「じゃあ、よろしくな。天王寺」
差し出された丹羽の掌に、天王寺は手を乗せて、返答する。
静かに、淡々に。――だけどそれは、ここ最近、一番彼女の『真』の感情が籠った、そんな声。
「宜しくお願いします。丹羽さん」
静かに、丹羽は微笑んだ。
□ ■ □
後始末の話。
丹羽の提案の許、天王寺も風呂を浴びて、服を着替えることにした。
付着した血を洗い流したり、
心機一転させるためには、
風呂は効果的で、特に反対することもなく、天王寺は風呂で湯船に浸かっていた。
適度に温まっている浴槽に溜まる湯は、疲れきっていた天王寺の心を癒す。
ちゃぽん――
そんな音がする。
蛇口からは既に湯は流れて来ない。
先ほどまで、滔々と、滝のような怒涛の勢いで流れ落ちてきた水の音が嘘のように、そこには静けさが場を支配している。
水滴が鼓膜に届き、しっかり感じ取れるまでに、音のない世界。
風呂の外からも、「じゃあ代えの服はここ置いとくから……」と先の真面目さが嘘のような気だるさを含む声以降、物音一つこぼさない。
もしかしたら寝ているのかも、と想像して、なんとなくおかしくて笑う。声は漏らさず、口元だけで。
身体が揺れて、水面に映る波紋ができる。
天王寺が眺めていた、水面に映る、自分の顔が崩れて消える。
「……はぁあ」
音なき世界で久々に響く、人の声。
入浴してから約十分ほど、何をする訳でもなく湯船に浸かっていた彼女の声は、どこか湿っている。
時間で言うと、今は午前の中頃といったところか。
ゆったりとした時間の中で、少女は一人、物思いに耽る。
頭の中で、浮かび上がるは――阿見音弘之と、
丹羽雄二。二人の男の顔。
改めて、後悔をしている訳ではないけれど、思い返す。
そして思い返しては
(ふぅ)
溜息を吐くばかり。
天王寺にとって、『丹羽に付いていく』という選択は、とても心惹かれるものである。
その行為で、自らが望むことを、手に入れられそうな気がするから。
丹羽の言っていた、『自分がしたいこと』、『天王寺深雪個人が殺人をしなきゃいけない』理由が、見つかりそうだから。
確かに、阿見音の為を思い、殺人を犯したところで、阿見音がその行為を否定したら本末転倒どころか大迷惑だ。
そう言った面も含めて、丹羽は『殺人を行使する理由に、他人を使うな』と言ったんだろう。
その通りだと思う。
――だけど、殺人を阿見音が肯定、促進させたら、どうすればいいんだろう。
そう思う。
未来の事を考えて、不安になる。
天王寺は、人を殺さなくちゃいけなくなる。――自分がしたいことを見つけた傍から、人を殺さなければいけなくなる可能性もある。
もっというと、丹羽雄二と言う男も、殺さなければいけなくなる。
それも恐らく自分の手――天王寺の手で。
阿見音が殺人を命令するなら、恐らく阿見音自身が手を下すのは稀だろう。
それはよっぽど追い詰められた時か、よっぽど不愉快な時か、よっぽど対象に興味の湧かない時だろう。
天王寺は、今まで過ごした時の中で得た阿見音のおおよその像だ。
無論違う場合だってあるかもしれないし、例外だってあるかもしれないのは百も承知。
ただ、阿見音と出会った時に丹羽雄二が隣にいたら、いたと仮定するならば。
阿見音弘之と言う男は――十中八九、天王寺深雪に丹羽雄二の殺害を要求する。
元々、天王寺が殺し合いに乗っていた理由は阿見音の無事を確立させるため――ある種仕事のようなものではあるが、命令されたのならば従うのもまた、服従――仕事である。
そうしたら、天王寺は阿見音に従うのが、義務である。
――はたして、できるのだろうか。
既に。
既にこの段階にしたって、こんなことを考えるぐらいには、丹羽と言う男に感情移入してしまっている。
それがなんでかという理由こそ、天王寺には分からなかったが、そんな男を、笑いながら殺せるのか。
「……」
結局。
答えはその時にならなきゃわからない。
だからといって、ズルズルと引き摺っていてはいけないというのは頭では理解していても、
どの選択肢が、成功(ハッピーエンド)に繋がるかだなんて分からなくて、ある意味知りたくなくて、考えたくなくて。
故に、一番興味のある――少なくとも今はまだその程度の理由しかない丹羽との同行に甘えた(賛同した)のだ。
「洗お」
思考の海から逃げるように、狭い湯船から、身体を引き上げる。
白磁のようで、加え成長過程特有の円みの帯びた滑らかな柔肌。
首から下の白銀の髪が水に濡れて、その柔肌に纏わりつく。水に濡れていながら、光沢を放つ綺麗な髪は、さながら宝石のようでもある。
高そうなシャンプーを、トリガーを引くことも難しそうな細い指を使いながら、掌に馴染ませ、髪をなぞる。
白い泡が、白銀を埋めていく。
仄かに香る、独特なかおりが、天王寺の鼻孔をくすぐった。
慣れないかおりに少々戸惑いつつも、立てば腰まである長い髪を、繊細に洗う。
水でシャンプーを洗い流した後は、リンス、もしくはコンディショナー。
シャンプーの時とおなじく、丁寧に洗い、そして流す。
丹羽の粗雑な入浴とはまるで違う。一挙一動が、麗しい。
「……」
シャンプー、リンス、ときたら残るは、身体。
丹羽から譲り受けたお風呂セットから、石鹸を取り出して、シャンプーとリンスも仕舞う。
タオルと石鹸をこすりあわせ、ぶくぶくと泡立てる。
その光景に少しばかり目をとられていたが、意識を戻すととっとと身体を洗っていく。
シミ一つない幼き全身をくまなく洗う。
凹凸のない、俗に言う『ぺったんこ』な胸も。
ちょっとした大人だったらそのままへし折ることもできそうな細い腕も。
余計な脂肪は一つもない――それでもぷにぷにとした柔らかさを未だ有す可愛らしいお腹も。
贅肉などない、かといって鍛えられている訳でもない、まさしく子どもそのものの太ももから伸びる足も。
余すことなく、洗い尽す。
今まで行ってきた――鬼一樹月を殺害した罪だって拭えるものでは決してないけれど、それでも、今までの行いを洗い流すかのように、一心不乱に身体を清める。
恩人、阿見音弘之に救われた身体を――懸命に洗う。
どんなに恩義に反する無礼を執っても、それだけは、揺るがすつもりなど一切なかった。
それから。
静の時間から反するように動の時間へ移り変わったのと同じ様に。
身体も同じく洗い流した後に、再び静の時間がやってくる。
ちゃぽん――
彼女が風呂に入ってから、約二十分。ゆったりとしすぎな面も否めない。
まあ、それでも心情は徐々に穏やかなものに変わりつつあるのだから、この時間も無駄ではない。
それでも、そろそろ腹をくくるべき時間は到達する。
いつまでも、どうしようどうしよう、ではいけないことも知っている。
――そろそろ、いい加減に、決断を下さなければ。彼女は、
ふう、と溜息。
ふと顔をあげて、呆と視点を合わせるわけでもなく眺めた。
「私は……」
漏らした声をいったん区切る。
これが本当にいい行為なのか、再度じっくりと吟味する。
言ったからには、少なくてもそれが今の『天王寺深雪がしたいこと』だから、後戻りなんて、言い訳なんて出来やしない。
間違えてはいけない――だからじっくりと、間違えてないかどうかを味わう。
……そして。
彼女は、意を決し呟いた。
「私は、『私』のしたいことをしよう」
それが何かはまだ分からない。
だけど、阿見音のことを思うことだけが決して自分ではないと、先の殺人への躊躇いで、気が付いた。
(私は……多分、人を殺したいわけじゃない)
分かっていたことだった。
幾ら笑って誤魔化そうとも、現実から目を背けようと、恐らく違う。
殺人への忌避感を、知らなかったが故に臨んだ殺人。――知った後は、覚えてしまった後の殺人は、辛いだけであった。
ならば彼女は一体全体何がしたいのか。
――その、不明瞭な部分を、天王寺は知りたかった。
「だから阿見音様、ごめんなさい。私はしばらく、阿見音様のもとを離れるかもしれません。
――それでも私は、白鷺教として、天王寺深雪として、阿見音様に一生仕えていくことは、変わりません。だからどうか、お許しください」
決意の裏で。
当人に聞こえるわけないけれど、彼女は胸に刻む。
変えてはいけない。――それだけは何が何でも変えてはいけない指針を、明白に示す。
迷わないように、そこだけは、迷わないように。
――阿見音が人殺しを命じたら、本当に殺せるのか
――白鷺教の一員として、阿見音のいきざまを信じ抜くことが出来るのか
――天王寺深雪のやりたいことなんて、本当に存在するのか
それは、繰り返すようだが分からない。
それを知るための、決断なのだから。
「……あがろう」
決意新たに、というほど振りきれていないかもしれないけれど、それでも入浴前に比べたら、だいぶ落ち着いてきていた。
冷静な判断を、下せたのだろう。
そう思わせる顔つきだった。
湯気のこもる浴室から上がり、丹羽が置いていったのか、備えてあったタオルで水気を拭きとる。
タオルの下には、真っ白なワンピースが畳んで置かれており、これを着ろ、ということは天王寺でも優に想像がついた。
元々の彼女の服は、自分が招いた惨状とはいえ、前半分が容赦なく血に塗れていたため、着れるものではない。
そのことは既に彼女も了承しており、以前の服は今頃ゴミ箱――
(ああ……いや、私が切って捨ててって頼んだんでしたっけ)
聞けば隣の住宅には、彼女が殺した鬼一樹月の死体があるらしい。
それが十軒以上離れた位置に、乱暴に捨てられていたならまだしも、隣の部屋にそんな血塗れな服が脱ぎ捨てられているとなると、
鬼一樹月を殺した犯人が、その服の正体だと推理するには、容易いものだ。
返り血であんなに血はつくのか、とかいう冷静な議論点はあるけれど、そんなのは別に裁判をやってるわけではあるまいし、あまり関係のないことだ。
それらを見た参加者たちがどう思うか、それが大切である。瞬時にそこまで冷静に考える参加者も少ない部類だろう、と彼女は考えて、丹羽にそう命じたのだ。
よもや、天王寺のような、小学生中学生相応の服のサイズを着る参加者も、きっと少ない部類に入ると思うと、犯人が天王寺と行き着くのも、割と難しくないかもしれない。
ならば証拠隠滅する必要がある。
決して、鬼一を殺したという罪は一生を懸けたところで消えやしないのだろうけれど、
そう易々とバレたり、明かしてはイケないことだというのも、承知している。
それは自分にとっての障害にもなりうるし、今後ともに行動する丹羽に対しても障害となりうる。
もっといえば、阿見音にも影響を及ぼすかもしれない。そう思うと、用心に用心を重ねても、問題ではない。
まあ、その作業も直ぐに終えれるであろうから、今は寝ている――という先の予想もあながち的を外してはいない様な気もするが。
身体を拭き終えて、ドライヤーがないのでそのままワンピースを着ることにして、動きが止まる。
「…………?」
なにかを忘れているような。
そんな感覚に陥った。
髪は洗った。
身体も洗った。
意気込みも相応に整った。
お風呂場で済ますようなことはすべて片付いたはずだ。
ならば、今。
お風呂をあがった時から、しなきゃいけないことのはず。
天王寺は、未だ火照っている身体で、全裸のままで考える。
風呂から上がった後にすること。
身体を拭く。髪を拭く――問題ない。
服を着る。――ここで問題があった。故に止まった。
「……?」
なにが引っ掛かるか、考えつかない。
ならば、もっと細かく区切って考えてみることにしよう、天王寺は目を閉じて考える。
まずは髪を拭く。ドライヤーも本来であれば使うが、ないものはねだっても仕方がない。その考えはもとよりあったので、これは理由にならないだろう。
その後には、手を拭き、胸、お腹と、胴を拭いて、足を拭く。――順調に進んだ。
そして服に着替えるのだけど、まずはパンツを穿く――――。
「あ」
閃いた。
そうだ、パンツを穿いていない。
ただそれだけの話であった。
なんだ、と安堵を含む息をついたあと、パンツを穿こうと、パンツを手にと――
「……あれ?」
れなかった。
なにせ、そこに、天王寺の変えのパンツは無かったのだから。
天王寺の手が目的のものを掴めないのも、然るべき話である。
「あれ、あれ?」
ワンピースの下や、タオルの下など、色々探しまわってみたが、なかった。
おそらくは――というかほぼ確実に丹羽が、用意し損ねていたのだろう。
天王寺からしてみれば「ああ、もう用意はしてあるから」という言葉を聞いて、特に何も用意せず浴槽に向かった訳だが、その結果がこれである。
怒るべき話でないのは重々理解してこそいるが、このあとのことを思うとげんなりせざるを得ない状況に陥った。
(う、うぅ……)
唸るが、効果はない。
仕方がなしに一先ずワンピースだけ着て、二階にあるらしい衣服タンスを漁りだす。
階段を昇るの音に気付かないとなると、本格的に丹羽は睡眠を執っているかもしれない。
不用心だな、と思うと同時に、まあいいか。と何故か心が諦めか、甘えか、或いは信頼かで落ちつかせたが、はっきりいって天王寺の意識はそちらに行かなかった。
「ない、ない、ない、ない。ここにもない……」
尋常ではないスピードで、タンスを漁っていく。
しかし有るのは男性用の衣服のみ。
見事なまでに男性用の衣服に埋め尽くされて、むしろ逆に、よくこのワンピースだけはあったな、と思えるほど男性用の衣服しかなかった。
「……………………………………………………」
希望が潰えた。
お先真っ暗、痴女街道まっしぐら。
嫌な想像が、脳裏をよぎる。
強いて言うなら丹羽がパンツだけは切っていない、という望みがあるが、
そもそもの話、服と同じく血塗れのパンツをもう一度穿くのも拒否感は多大にある。
ならば今出来る選択肢は、一つに絞られる――
「行く、しかないですよね……」
現状の状況おさらい。
風呂上りに火照った身体。
純白と言う形容が適当なワンピースに身を包む。
ただし、パンツを穿いていない、一歩間違えば普通に見えてしまう状況。
まあ、小、中学生だからか、元よりブラジャーというものは身につけていなかったが、パンツを穿かない状況なんて覚えている限り初めてだ。天王寺は愕然としながら今の状況を確認した。
御世辞にもワンピースの丈も決して長いというわけでなく、風でも吹けば一瞬にして終わる。何がとは描写しないが。
さながら痴女のようだ――と自分自身に震えながらも、このままでは埒が明かないことも事実なので、階段を下りる。
下りる際も、実を言うと、丹羽はそこにいて、下から見上げていたらどうしよう――なんてくだらなくも本人にとっては死活問題に逡巡しながら、
無事一回に下りたって、丹羽のいる部屋、リビングに到着した。
「すぅ……すぅ……」
ソファで気持ちよさそうに眠っている。
丹羽雄二は、バトルロワイアルの最中、予想通りに故意に眠っていた。
天王寺を信じてくれている、と思えば天王寺も少しは心温かくなるが、生憎今は(彼女にとっては)それどころではないので容赦なく起こした。
丹羽の隣に座り、肩を揺らす。間もなくして、夢心地な声が返ってくる。
「……ん、……んぅ……あと五分……」
「いや、起きてくださいって」
デジャブだ。
ただし発言者が逆に変わっているが。
寝起きはそれなりに良好なのか、目をこすると丹羽の意識は割合直ぐに回復した。
「あれ? 天王寺じゃんか……。……風呂あがったのか……」
呑気な声である。
心穏やかとは言い難い天王寺は、そんなマイペースな丹羽に、今のこの現状を説明する。
両者共々とても恥ずかしい話であった。
「あー……わりぃ、前のパンツも切っちゃったぜ、俺」
元々ロリータコンプレックスの性癖のない丹羽にとって、天王寺のそれに対する欲情も発情もなく、服と同じく、偶々持っていたカッターで裂いた。
まあ、ロリータコンプレックス抜きにしても、そんな血の臭いしか漂わない血塗れのパンツに欲情するなら、もはやそれは別の世界の話になる。
そういう点も踏まえて、恥ずかしいと言えば恥ずかしかったが、変なことはしないだろう、と天王寺も思い至り丹羽に下着までも同じく渡したのだから、予想通りと言えば予想通りだ。
「しっかしどうしたもんかねえ……」
天王寺の身体を見定めながら、困ったように丹羽は呟いた。
二人は今、ソファに座っているので、余程の事がない限り、
丹羽からは天王寺のスカートの中は見れないようになっている。
「うーん……こりゃ俺のミスだな。悪い、これは本当……なんだ。悪い」
「そこまで気にしなくてもいいんですが、さすがにこのままは嫌ですね……」
「あー……うん」
気まずそうに、頬を掻く丹羽。
……ただしそれは、『用意が全然できなくて申し訳ない』という意味では、ない。
違うのだ。
丹羽はこの状況を打破(という描写が正確なのかはさておいて)できるアイテムを――持っているのだ。
しかしそれは、易々と口に出来るものではない。
一歩間違えれば、人生も終わったも同然の、そんなアイテム。格好よく言うなら諸刃の剣。
さて、言おうか言うまいか――。
丹羽が悩んでいた、その時のことである。
突如、轟音が鳴った。
フラグすらないイベント発生。強制イベント。
なにかが倒壊したかのような――
銀丘白影がド派手に爆裂させて、轟かせたあの轟音が、彼らの耳にも届いていたのだ。
唐突に流れた音に、ビクンと大きく身体を震わした二人。
――――こうしている間にも、バトルロワイアルは進行していることを、実感させるに容易い音だった。
なら、こんなところでグズグズしていたらいけない。
丹羽と天王寺、両者共通の認識であった。
そうであったが為に、丹羽は腹をくくって――提案した。
「……あーんとさ、隣の家から持ってくるって選択肢もあったけど、それどころじゃなさそうだから、提案だ」
「はい?」
不思議そうに首を傾げた天王寺に、丹羽は臆することなく言い放つ。
ディバックから――
「下着の代わりにこれ着てろ、スクール水着。隠すことぐらいなら出来る」
――紺色のそれを手に握りながら、言い放った。
しばしの間、天王寺の表情が凍ったのは、言うまでもない。
□ ■ □
――少女着衣中――
□ ■ □
白いワンピースに、スクール水着。
白いからか、ワンピースの上からでも、僅かながらにスクール水着の輪郭が透けて見て取れる。
一部の層を狙い撃ちするその姿さま(なお丹羽は違うようだが)は、見る人から見れば、扇情的でもある。
「さて」
「さて……じゃないでしょうに」
「悪いな」
「そういっておけばいいと思ってませんか?」
「気のせいだ」
ぶう、と頬を膨らましそうな勢いで丹羽を見つめる。
視線を彷徨わす丹羽に、その責め立てるような視線は、チクチクと痛く刺さってくる。
それでも、数十分前のそれとは違い、敵意はないだけ、丹羽にとっては素晴らしく嬉しいことでもあった。
閑話休題。
話題のネタは、先の轟音へと戻る。
音量的に――なにが崩れ去ったかはさておき、そこまで遠くないことが予想できる。
ならば行動はより迅速に行った方が良いに決まっている訳で。
二人は着替えが終わるとテンポよく、これからの行動を整理した。
「で、だ。とりあえず外に出よう。さっきの音のした方面に向かうのかもそうだが、話はそこからだ」
「そうですね――それから私は、私のしたいことを見つけます」
「そっかよ……まあ、頑張れよ」
「ええ」
流れるように終了した。
決まるや否や、丹羽はソファから立ち上がり、丹羽はディパックから銃を取り出す。
断るまでもなく、護身のために武装は必要不可欠だ。――その為に、二時間も四時間も歩いていたのだし。
今までは、天王寺に対することもあり、仕舞っていたが、家を出るとなると話は別だ。出来る限り装備をした方が良いに決まっている。
まあ。
よくよく考えれば、先ほど生まれて初めて本物の銃と言うものに触ったが、いまいち実感は掴めずにいた。
銃の重さも、手で感じ取れるし、簡単に銃弾が飛び出してくることぐらい頭では理解しているものではあるが、どうにも猛威を知らない、というのは仇になる。
対し。
天王寺深雪は、その銃の猛威を知っていた。
パンッ! パンッ! と連続して響いた乾いた無情の音は今でも克明に想起できる。
そんな銃を見て、鬼一と狼――襲禅とのやり取りを思い出して、怖くなって、あの時の人を刺した感触を思い出しては、震えてきた。
殺害光景が鮮明に心象風景として、描かれては、恐怖の色に染まる。
「…………」
丹羽は、そんな天王寺の姿を観察し、一度だけ頷くと。
ディバックから血こそ洗い落としたが、天王寺が鬼一を殺した凶器であるアンテニー・ダガーを手に持ち、
ダガーを――そっと、天王寺の手に乗せる。そして、握らせた。
優しく、柔らかに、天王寺の手にダガーが包まれた。
「――――っ!」
天王寺の顔色が変わる。
全身から肌が粟立っていくのを覚える。
殺人を受け入れられなかった彼女にとって、このダガーは俗で言うトラウマにも等しい部類の存在。
心を病ます、心の凶器。
先とは違い、その感情を受け入れてしまったが為に、このダガーを握るという行為は、特別な意味を有する。
そして、その反応は丹羽の予想の範疇にあった。
丹羽は驚きもせず、小刻みに揺れるダガーの握られた天王寺の手を、そっと包み込むように、銃を置いて両手で握る。
「俺は信じてるからな。お前はもう誰も殺さないって」
丹羽は武張った面持ちで、断言した。
信じたかったし、信じるしかなかった。
それでも丹羽の言葉には、嘘偽りはどこにもなく、真剣そのものである。
相も変わらず、安っぽい言葉だと自身で思うがそれが彼の限界であろうから仕様がないと彼の中で決着する。
天王寺は、その純然な言葉をどう受け止めるべきなのだろう、と思索していた。
先ほどのやり取りのように、その答えを得るのは難しい。
分かりきっていた。或いは悟りきっていた。
もう、天王寺でも、天王寺と丹羽の考え方、生き様には、理解し難いほどの壁があることは、理解していた。
「……信じてくれるんですか」
「他にどうすんだよ」
「いえ……なら、期待にこたえるのも、悪くはないかもしれません」
理解しているのなら、論理的に考えるのはもうやめだ。
感情的に天王寺が選び抜いた結論。――――ある意味では、久しくしていなかった取捨選択。
阿見音至上主義から、少しだけ、脱した瞬間。
それが喜ばしいことか、嘆かわしいことか。当の本人も含めて分からずじまいであるが、確かにこの瞬間――天王寺は揺らいだのだ。
「……そっかよ、ならこたえてくれ。…………じゃあ行こうぜ」
「ええ」
丹羽の差し伸ばされた手に、天王寺の手が重なって。
彼らの足は、玄関へと向いていた。
何時の間にか、天王寺の震えは和らいでいた。
ダガーを、力強く握って、それでも前を向いていた。
丹羽は微笑ましく思い、頬が微かに緩む。
繋いだ手が、いやに心地よく感じて、自分のした行為に、少しだけだけれど、自信が持てた。
(糾弾する権利……か)
ふと思い出すは、始まって数十分。
青髪の少年にも見えるほど童顔の青年と対峙した時、自らが感じた違和感のようなしこり。
確かにあの時、自分は迷った。そして今にしてみても、そんな便利な権利があるとは思わない。――――けれど、だ。
(俺がしたいことをやる……)
天王寺に示した歩み方。
咄嗟に示した、天王寺を改革させるための言葉であったと言ってもさして差支えない、安い言葉。
しかしそれでも、なかなか馬鹿に出来ないほどに、使い勝手のいい言い訳で、同時に。
(そうだよな。やっぱ、関係ねえよ……。俺がしたいことをやる……上等じゃないか)
彼にとっては、この上なくしっくりくる理論。
彼が提案した故に、極々当たり前のことでもあるのだが。
そうであっても、彼自身、忘れかけていた行動指針。
前の殺し合いで、身を挺してまで河田を護った事を思い出す。
――――あれこそ、まさしく自分の事だけを考えた、自分のしたいことをやりきった結果。後に遺された河田の気持ちも察しず、あらん限りの自己満足で成り立った自己犠牲。
そしてそれが、丹羽雄二――――!
意を決す。
もう迷わない。迷いたくない。
丹羽は、便利な言い訳だと自覚しつつも、自らが作りだした存在の示し方が肌にあうことを察す。
故に、俺の在り方はこうだろう――自然に行き着いた答え。
矛盾だらけかもしれないけれど、最高の在り方を貫きたい。
その偏な気持ちを、胸に刻む。
刻み込んで、前へと進む。
玄関の扉を開けて、広い道に出る。
そこで先ほどの音のした方面を、ほぼ二人は同時に振り向くと――――そこには一つの影があった。
丁度逆光で、その影はおぼろげにしか伝わらない。
耳が生えていたりと、二人の世界観からすればその時点で特異的だが、須牙を見た後だと、どうもその印象は薄い。
いや、或いは二人にとって、そんな事を考えている余裕なんてなかったのかもしれない。
――――丹羽と天王寺は、直ぐ様それが危機だということが理屈云々を抜きにして理解した。
息を飲まざるを得ない、そんな状況が待ち構えていた。
そんな事実に直面したという現実を、オートマチックに、認識する。
理屈はなくとも、理由はある。
結果に至る筋道は不明瞭であれど、結果に至る原因は明瞭だ。
丹羽と天王寺の視線は、おのずと『それ』に収束する。
逆光で影になっていても、そのあからさまな形状は誤魔化せない。
浮かび上がる小振りな鶴嘴とも見えなくはない独特な形状。
そんな物質に、矢が装填されている。
「「「…………」」」
そこには、クロスボウをもった参加者がいた。
そこには、紅色の狐がいた。
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最終更新:2012年12月18日 17:27