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昭和冷戦期②


皇紀2633(昭和48/西暦1973)年
 カシミール紛争勃発。印度亜大陸を逃れようとした大量の難民がカシミール地方へ流入。中華人民共和国を実効支配するソ連軍とパキスタンに駐留するグレートブリテン軍が撃退の為共同戦線を構築し、難民に対して発砲する事態が多発。
  • 7月25日
 大日本帝國、環境資源省発足。職員の多くは兵部省出身者(兵部省隷下の軍需省。軍需物資である稀少資源管理の専門集団でもあり、長期的な軍事的戦略の観点から見た環境汚染の問題にも詳しい為)が多かった。
  • 9月
 大日本帝國、支那大陸からの難民流出に備えた軍備方針として、現在の艦隊規模(戦艦16隻から成る世界最大最強の水上打撃艦隊と、世界最多の大中16隻の航空母艦とそれを護衛する対空・対潜駆逐艦及び潜水艦から成る敵根拠地殴り込み決戦強要を基本戦略としていた)を維持し、これらによって支那大陸沿岸からの難民流出を海空戦力による戦略級通常弾攻撃での即時殲滅体制を基本戦略とする国防大綱を発表。海軍戦略として超大国同士の艦隊決戦に備えた睨み合いよりも、明らかに支那・印度の新型インフルエンザ封じ込め戦略を重視した整備方針へと大きく舵を切った方針転換で、諸外国の度肝を抜く。背景には先の大戦に於いて大量の核兵器実戦使用による放射能汚染が大きく、通常兵器での殲滅能力維持が求められたことと、大陸に深入りする程の投射能力を必要とせず、包囲網の外縁付近を必要な時に必要なだけ攻撃出来る能力を常に有することの方が余程重要だったことが挙げられる。

皇紀2634(昭和49/西暦1974)年
  • 5月
 カシミール紛争激化。武装難民百万人余りとの間に戦端が開かれ、死を恐れずに前進する武装難民をソ連軍が砲撃したことを切っ掛けに全面衝突。新型インフルエンザ保菌者である武装難民の流出阻止の為、核攻撃の使用すら視野に入れられる。
  • 5月18日
 常設国連軍はカシミール紛争への介入を決定。常設国連軍が独自に開発・保有した核弾頭を、アメリカから提供を受けたB-70型超音速爆撃機で投下。武装難民キャンプを丸ごと焼却し、推定50万人余りの難民が短時間で死亡。カラチに展開した常設国連軍航空団が印度亜大陸西部を空襲。
  • 8月
 満洲国、支那大陸との国境線に対し大日本帝國と共同で万里の長城を活かした防壁構築を決定。難民流入阻止の為、万里の長城の向こう側に新たにコンクリート製の壁を構築する構想。
  • 11月
 第十雄洋丸事件発生。衝突事故により炎上したタンカー第十雄洋丸は、東京湾外へ曳航後に再び大火災を起こし手がつけられなくなったまま漂流する事態となり、急遽連合帝國軍による海没処分が命令される。
 しかし出動した駆逐艦の攻撃では埒が明かなかったため、たまたま太平洋上で実弾を搭載したまま訓練中だった近衛第一艦隊所属(当時)の戦艦「大和」に攻撃命令が下る。「大和」は対艦徹甲弾と対空榴散弾を混載した状態で全砲門一斉射撃を行い、駆逐艦隊が梃子摺っていた第十雄洋丸をたった一撃で命中・大爆発させ見事撃沈する。
 この時の砲撃シーンと命中シーンはテレビのニュースでも放映され、日本の海軍力に戦艦が航空主兵の現代に於いてもなお存在し続け、かなりの維持費を要求すること(※空母に比べればかなりマシだが)に肯定的な意見が一般的となる。
  • 12月22日
 大日本帝國、羽越道新幹線開通。新潟~青森間。

皇紀2635(昭和50/西暦1975)年
 大日本帝國、国家の肥大化に対応し、「皇紀2635年体制」と呼ばれる改革開始。
 従来、京都・大阪・東京でしか実施されていなかった『都制』の連合帝國全体への導入が帝國議会で可決。連合帝國の主要都市に対し『○都(○の中にはその都市に最適な語が入る。例:『帝都』『商都』)』が付与される。
 また省庁も大改編され、全国規模の行政組織は全て帝國高等行政庁に人員を統合・集中し合理化を図る。各上位省庁は単なる予算要求と、宰相に報告すべき意見と権力が一人の大臣に集中するのを防ぐための窓口にまで縮小される。逆に言えば、連合帝國が普通の政府規模では収まらないほど大き過ぎるほどに発展したということになる。
  • 1月13日
 常設国連軍は「航空作戦機要求提案」計画で国際共同開発された制空戦闘機「X-FX1」が完成し、要求仕様を完全に満たしていることから採用を決定したと発表。同機を常設国連軍正式名称「F-1」とし、それまで各国から供与された「お下がり」を運用していた常設国連軍戦闘機部隊を、全て同機に転換するとした。
 同機は常設国連軍の要求を満たす為、計画に参加した各国による合弁会社(国連技術廠)に設けられた設計チーム(ドリームチームと呼ばれ、その後社名そのものを本当にL.N.ドリームチームに変更した)が担当し、特許を始めとする各種利権に関しても国連が所有する同社が管理し、資金分担比率に応じた使用料が参加国に支払われる形を採っっており、常設国連軍での採用とほぼ同時に参加国各国でも其々の名称での採用が決まった。ちなみに、同機の主な採用国での主製造者及び採用型番、呼称は次の通りである。
・大日本帝國
 [[日本ルリックィード]] FAF-35 局地戦闘機「戦隼」
・アメリカ合衆国
 ジェネラル・ダイナミクス F-16 戦闘機「Fighting Falcon」
・ワルシャワ条約機構
 SAAB SAAB 38 戦闘機 「Falk」
  • 3月10日
 大日本帝國、九州新幹線、陸奥道新幹線、開通。それぞれ博多~鹿児島間、東京~青森間。北海道、四国道、山陰道新幹線整備決定。
  • 4月
 カシミール紛争、形成されつつあった難民キャンプが崩壊し難民がインド亜大陸側へ戻り沈静化。ソ連とグレートブリテン、難民流入阻止の為の「壁」構築をインドや支那大陸との国境地帯に構築することを決定。鉄条網と地雷原、築堤、掘割及びコンクリート製の壁を場所に応じて使い分ける構造。
  • 9月
 アメリカ合衆国、「旧式化」したアイオワ級全て(「アイオワ」「ニュージャージー」「ミズーリ」「ウィスコンシン」「イリノイ」「ケンタッキー」)を常設国連軍に売却。自らは2年間隔で交互に新型戦艦または超大型空母を起工し、今後24年間を掛けて6隻ずつ戦艦と空母を建造し、実数に於いて戦艦12隻・空母12隻を維持しながら世代更新を図るものとする計画を発表。
  • 11月11日
 オーストラリア、豪州危機勃発。ジョン・カー豪州総督によって予算審議停滞を理由にゴフ・ウィットラム首相が解任されたことを以て、形骸化し慣習的に関与しないものとされてきた総督による首相解任に対し、国内で反発が発生。人種的対立や産業構造の偏在(有色人種の多い西部から北部は一次産業比率が高く、荒野を緑化しながら開拓していたが、二次産業や三次産業は東部に集中し、両者の間にロシア革命以来のロシア系移民や、ドイツ本土を脱出出来たドイツ系の移民が低所得者層として南部から中部に跨って分布していた)に、独立しているにも拘らず本国から派遣された総督によって政治に介入されたことへの不満から、州議会が反政府デモに即発される形で一方的な独立を宣言し州境を封鎖し、国連に提訴した。緑化の進むオーストラリアは人類の食糧庫となりつつあり世界各国の目も集まりつつあったため、オーストラリア政府の要請に基づいた軍事介入を躊躇したグレートブリテン政府が妥協する形で、各々が交渉のテーブルに着く。

皇紀2636(昭和51/西暦1976)年
  • 1月1日
 オーストラリア、有色人種が大半を占める西部・中西部・北西部が豪州聯邦、ロシア系やドイツ系が大半を占める南部・中東部が南オーストラリア連邦、東部がオーストラリア王国として3カ国に分離独立し、個々に国連に加盟。尚、豪州危機に際して新嘉坡に戦艦を入港させてみたり南洋に艦隊を増やしてみたりして軍事的圧力を掛けてみた大日本帝國と、オーストラリアの分離独立を避けようとしたオーストラリアとグレートブリテン政府との関係性が冷却化する。
  • 3月8日
 満洲国、吉林省に隕石が落下。大日本帝國が自国とその同盟国に提供する大陸間弾道弾の早期警戒網は、大気圏内に突入する隕石を探知したものの、主として地球周回軌道から地上を向いて構築されている早期警戒網では、地球周回軌道の外側から飛来する物体を探知し迎撃するのは困難であることから、迎撃には失敗。人類の手が届く範囲は広いようでいて余りにも狭いことが浮き彫りとなる。

皇紀2637(昭和52/西暦1977)年
  • 3月2日
 大日本帝國、台湾新幹線開通。台北~台中~高雄間。湖北新幹線、若狭路新幹線、新幹線整備開始。
  • 9月8日
 常設国連軍、前年の満洲国吉林省への隕石落下を受け、弾道ミサイル早期警戒網を発展させた「天体危機管理センター」を立ち上げる。尚、同組織の「天体危機」には弾道ミサイル、隕石落下、宇宙ゴミの衝突が含まれており、これらの探知と迎撃・排除システムの構築運用が主任務とされた。

皇紀2638(昭和53/西暦1978)年
 大日本帝國、日本ルリックィード社が旧ロッキード社時代に開発したL-1011型機を改設計したYSL-1011-22を発表。大日本帝國勢力圏の旅客航空会社が挙って採用決定を発表する。

皇紀2639(昭和54/西暦1979)年
 大日本帝國、大和級以前の戦艦を全て予備役へ順次移行するものとする艦隊計画を始動。大和級、中型空母、敷香級、大型空母の順に隔年で建造を行い実数を維持するものとする。
 フランス、分割占領から10年を経て人口が大幅に低下し反占領運動も下火となり、第二次世界大戦から第三次世界大戦に掛けて行われた人民戦線内閣に拠る凄惨な戦争行為が、機密資料も含めて白日の下に晒されフランスという祖国への幻滅に繋がったこと(圧倒的な軍事力で徹底的に破壊され全く逆らえなかったこともあるが)と、周辺諸国が断固として欧州フランスの再統合を認めない方向で結束していたことから、分割占領統治が今後10年間は続行されることが決まる。
 自由フランス人民共和国、旧本国からの公的移民船運行の終了を宣言。最終的に2400万人余りが旧本国から移り住む事に。これら大人口を養うため、自由フランス人民共和国ではサハラ砂漠での緑化計画を推し進める。

皇紀2640(昭和55/西暦1980)年
  • 6月
 大日本帝國、60年代に一旦は改正された教育大綱を、60年代以降の簡易化路線の結果総合的な学力の低下が露呈したため、「甘やかすだけが人の為ではない」と旧字体を「教養」に摩り替えるなどの施策で新しきも取り入れつつ旧きを残す方向に転換。更に国鉄の半民営化が決定されるが、有事や災害時には軍などの特別列車が優先されると決められる。

皇紀2641(昭和56/西暦1981)年
 大日本帝國、大和級の順次改装を開始。装甲の殆どをより単位重量あたりの強度に優れる複合材に換装し、重心を低くするために主機も大重量のコンクリート隔壁に覆われた原子炉に交換。ターボ・エレクトリック方式を採用し速力は33ノットに向上。副砲やこれまでの改装で対空砲の代わりに搭載されていたミサイルランチャーを一掃し、垂直発射装置(VLS)やOTOメララ社と共同開発した76mmコンパクト砲などに換装。トドメに同時多目標迎撃システム「碧天」を搭載し、単艦としては破格の戦闘力を獲得。

皇紀2642(昭和57/西暦1982)年
  • 4月2日
 グレートブリテン領東インド、第一次ベンガル湾紛争勃発。バングラデシュ、東インド藩国、ビルマ国が独立を宣言。インド亜大陸封鎖の為という名目で置かれていた駐留グレートブリテン軍は常設国連軍の肥大化に併せて縮小が続いていた為、諸外国の目もあり軍事介入に動けず。そもそもほぼ現地人で構成されていた駐留グレートブリテン軍は其々の国に帰順を宣言したため、現地で事実上解隊される。
  • 4月4日
グレートブリテン、寝耳に水の独立宣言はインド亜大陸封鎖網を崩壊させる混乱を招く恐れがあるとして、セイロンのグレートブリテン軍を差し向ける警戒体制を取った為、旧グレートブリテン領東インド諸国が国連に提訴。
  • 4月5日
 大日本帝國、「友好国の要請」に基づいて呂宋から大日本帝國が艦隊を出動させる。
  • 4月6日
 グレートブリテン、大日本帝國の艦隊を警戒して分派した潜水艦がマラッカ海峡で超大型タンカーと衝突。流出したナフサに引火しマラッカ海峡は火の海となり、視界低下と混乱から事実上封鎖される。
  • 4月7日
 大日本帝國、艦隊が新嘉坡入り。
 旧グレートブリテン領東インド諸国、マラッカ海峡が衝突事故による火災で封鎖されたのは、大日本帝國の早期介入阻止を目論んだグレートブリテンによる陰謀であるとする声明を発表。グレートブリテン軍の潜水艦が危険行動を取ったとされたこともあり、俄に緊張が高まる。
  • 4月9日
 グレートブリテン軍の艦隊がベンガル湾東部、ニコバル諸島南方のマラッカ海峡の出口寄りに移動し、海峡を通過しようとするかもしれない大日本帝國の艦隊を事実上封鎖。
  • 4月11日
 国連、旧グレートブリテン領東インド諸国は大きな混乱もなく、インド亜大陸封鎖線は変わりなく封鎖状態が保たれていると発表。逆にグレートブリテンによる軍事的威嚇が封鎖線崩壊を誘発しかねないと勧告する。
  • 4月23日
 大日本帝國、マラッカ海峡の睨み合いにより海上物流が混乱し続け、経済に悪影響が出始めたことから、グレートブリテン軍のニコバル諸島からの撤退を要求する最後通牒をグレートブリテン政府に対し行い、第四次世界大戦の危機で世界中で緊張が高まる。
  • 4月24日
 マラッカ海峡海戦。マラッカ海峡で日本艦隊の海峡突破を警戒していたグレートブリテン軍潜水艦「コンカラー」が接近したため、日本艦隊が威嚇攻撃を実施。後退した「コンカラー」救援の為飛来したグレートブリテン軍機と日本軍機が異常接近から威嚇を行い、実弾射撃を伴った空中戦に発展する。
  • 4月25日
 大日本帝國とグレートブリテンは停戦に合意。双方の軍部隊が其々呂宋とセイロンに撤退することで合意が取られ、常設国連軍インド洋艦隊がニコバル諸島とマラッカ海峡に入り停戦監視任務に就く。
  • 4月30日
 大日本帝國とグレートブリテンは双方に「不幸な行き違い」があったとして相互に謝罪を交わし、互いの利権・国益の干渉に関して再確認が取られる。「ブリテン病」と言われる不況から脱出しようとしていた矢先、オーストラリアの分離独立や旧グレートブリテン領東インドの独立という形で領土と利権を蚕食されたグレートブリテンに対し、大日本帝國が「各々の勢力圏の再確認」により今後の手出しをしないと約定を交わすことで、「貸し」を作って引かせた状態に。以後両国間の関係は急速に冷え込む。
  • 5月1日
 常設国連軍インド洋艦隊がニコバル諸島とマラッカ海峡に展開し、緊張状態の終息を宣言。セイロン島以東呂宋以西のインド洋から東南アジア周辺海域はこれ以降、常設国連軍インド洋艦隊が常駐するようになり、大日本帝國とグレートブリテンの勢力圏が入り乱れる地域で、両軍が直接睨み合う事態に発展しない為の抑止力となる(両者にとっての戦略的要衝でありながら、両者の軍が近寄らない地域となる)。
  • 11月15日
 大日本帝國、沿海州新幹線開通。安室~小無双森~巾呂府宿~浦汐寿徳間。
 また満洲国に於いて満州新幹線も開通。大連~奉天~新京~哈爾浜~巾呂府宿間。この時点で海拉爾~斉斉哈爾~哈爾浜~浦汐寿徳間(海浦線)の建設も決定する。
  • 12月25日
 国連、地球総人口が30億人に再到達したと見られると発表(この統計には支那、印度、パレスチナ、ドイツ等の各汚染隔離地域の推定人口は含まれていない)。第三次世界大戦終戦から20年を経た現在、汚染隔離地域の核攻撃を受けた地域の大半は、人口が回復せずに自然に埋もれるがままにされていることが公表される。またこれら隔離地域を再び可住域とするため、西暦2001年から100年という壮大なスケールで行われる隔離地域回復計画「G2プロジェクト」が提案される。これは「新型インフルエンザの克服」と平行して「隔離地域に種苗を散布し緑化」を行い、「最適と考えられる方法で(現状では無主の地と考えられる)隔離地域を段階的に周辺諸国の統治下へ置き(同化)」ながら最終的な隔離地域の消滅を図るという、大胆ながら変形的植民地化とも言うべき利権争いに発展する危険性をも潜在的に孕んだ提案であり、特に隣接する国境線を持たないアメリカは最もこの隔離地域の取り込みに乗り遅れる可能性が高いことから、物議を醸す。

皇紀2643(昭和58/西暦1983)年
 大日本帝國、大阪と神戸からほぼ等距離にある大阪湾の沖合に畿内国際空港(と沖港区)が史上初の浮体構造物(メガフロート)式工法で建設開始。以後の日本の沿岸大都市空港は海上浮体構造物式工法で造られることが決定する。
 山陰道新幹線、開通。北大路(京都)~下関間。

皇紀2644(昭和59/西暦1984)年
 大日本帝國、北海道新幹線、札幌~小樽~北函館間、札幌~新千歳空港~室蘭~北函館間、札幌~旭川間で開通。
 国連、第二次宇宙開発計画始動。赤道直下の世界各地に宇宙開発の足場兼常設国連軍の展開拠点となる国連管理下の宇宙港を築き、一先ず(依然として隔離地域の封鎖という重たい負担が存在することを除けば)安定的な人類社会の次なる進出目標である、広大な宇宙空間利権の機先を制する。

皇紀2645(昭和60/西暦1985)年
 大日本帝國、帝國議会が通称「第二次日本改造計画」を可決。日本各地での公共事業への浮体構造物安定供給(と将来の保守管理)のため、半官半民の形で特殊法人浮体構造物供給公社設立。高度経済成長に向かう。
  • 3月
 ソ連、改革路線を掲げるゴルバチョフが政府首班に就任する。
  • 6月
 大日本帝國、大鳴門橋が開通。

皇紀2646(昭和61/西暦1986)年
 国連、第二次宇宙開発計画に於ける宇宙港開設地域として国連委任統治領のカメルーン、東アフリカ、東ティモール、南太平洋(フィジー)と、アメリカ領パナマ(太平洋側)、ブラジル領ギアナの各沖合を選定し、これらの地域に大日本帝國の開発したメガフロート式工法を採用。全世界に対して大日本帝國規格を準国際規格として事実上認めた国連仕様で発注するものとする。

皇紀2647(昭和62/西暦1987)年
 大日本帝國、国鉄半民営化。日本国有鉄道(NNR)から全日本旅客鉄道会社(ANR)に。湖北新幹線、若狭路新幹線、四国新幹線開通。それぞれ近江塩津~米原間、豊岡~西舞鶴~敦賀間、高松~松山間。更に樺太道新幹線の整備を決定。間宮海峡トンネル、宗谷海峡トンネルの建設を決定し沿海州新幹線と直通運転を図る。

皇紀2648(昭和63/西暦1988)年
 大日本帝國、瀬戸大橋、青函隧道開通(それぞれ電車線は複々線で、さらにそのどちらも東側の2線が新幹線用)。四国道新幹線、岡山まで延伸。
 越南帝国、新幹線整備計画策定。

皇紀2649(昭和64/西暦1989)年
 昭和天皇崩御。新元号「平成」。

最終更新:2015年01月25日 19:48