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日本連合帝國 戦艦一覧


日露戦争世代

富士級 戦艦(45口径31cm砲連装2基4門)

  • 富士 - ふじ
  • 阿蘇 - あそ
  • 八島 - やしま
  • 春日 - かすが
  • 磐梯 - ばんだい
  • 石鎚 - いしづち


敷島級 戦艦(45口径31cm砲連装2基4門)

  • 敷島 - しきしま
  • 朝日 - あさひ
  • 初瀬 - はつせ
  • 三笠 - みかさ
  • 有珠 - うす
  • 雲仙 - うんぜん


弩級世代

香取級 高速戦艦(50口径31cm砲連装3基6門)

 日本海海戦に於ける戦訓から、常に相手に対し有利な位置を取るための機動性を保証する高速力と、これまで前後に2門ずつだった砲撃力の向上を求め、艦体を前後に伸ばし増強した機関と、左右どちらにも指向可能な様に一段高い位置に主砲を置いて戦闘力を向上させた。元々は日露戦争に備えた戦力増強の意図から建艦計画が進められていたが、起工前の資材集積中に開戦したため間に合わず、要塞砲や歩兵の武器弾薬の製造が優先されたために予算執行が停止され建造中止。その間に順調に戦争が推移し、日本海海戦で決定的な一撃を得られたことから従来の設計が一気に陳腐化したため、改設計を行い改めて予算が組まれ起工された所、図らずも似通った思想の下に建造されたドレッドノートが先んじて就役した。香取級はドレッドノートから艦橋左右の主砲を取り除いてスリム化した、より先進的な形態を取っていたため、諸外国では日英同盟の深さに、日英間では機密流出疑惑に慄くことになった。
 第一次世界大戦に於いてその高速力を活かし通商護衛に従事したが、全艦大西洋上でドイツ軍潜水艦に撃沈された。
  • 香取 - かとり
  • 鹿島 - かしま
  • 鵜戸 - うど
  • 熱田 - あつた


薩摩級 戦艦(50口径31cm砲連装4基8門)

 香取級に続いて、陳腐化した富士級と敷島級を代替すべく建造された。純粋に香取級を艦首方向に伸ばして主砲塔を1基増設した見た目をしており、機関室の大きさは変わっていないが、従来の蒸気レシプロエンジンより小型軽量で大出力を得られる蒸気タービンを採用し、長大化した艦体の効果もあって香取級と変わらない速度の確保を果たしている。第一次世界大戦に於いては本国近海に止め置かれ亞細亞・太平洋地域の各ドイツ帝国領攻略と対米警戒任務に従事した。東京軍縮条約の締結に伴い主砲と装甲を撤去し工作艦や標的艦に改装され、第二次世界大戦後に廃艦された。
  • 薩摩 - さつま
  • 安藝 - あき
  • 河内 - かわち
  • 攝津 - せっつ


筑波級 高速戦艦(50口径31cm砲連装4基8門)

 薩摩級より優速のため、本級のために新たに高速戦艦という種別が作られた。グレート・ホワイト・フリートに対抗して建造されたが、日米関係がやや改善し太平洋上の軍事的圧力が低下し、また本土で扶桑級や伊勢級の建造が順調に進行していたため、その高速力を活かし金剛級との連携が取れることから欧州に派遣され、ユトランド沖海戦で交戦し善戦するものの全艦大破し、八八艦隊計画の費用問題から修理されないまま廃艦されかけたが、オスマン帝国海軍が戦力補完に欲したため修理の上売却され、冷戦勃発までの長きに亘って使用された後、日本との友好の証としてオスマン帝国各地の港湾に於いて記念艦として保存された。
  • 筑波 - つくば - オスマン帝国海軍戦艦「ヤウズ・スルタン・セリム」として売却。
  • 生駒 - いこま - オスマン帝国海軍戦艦「スルタン・メフメト・レシャド」として売却。
  • 鞍馬 - くらま - オスマン帝国海軍戦艦「アブデュル・カーディル」として売却。
  • 伊吹 - いぶき - オスマン帝国海軍戦艦「フフズ・ラフマーン」として売却。


第一次世界大戦世代

金剛級 高速戦艦→戦艦(50口径36cm砲連装4基8門)

 グレート・ホワイト・フリートの対抗馬として、既存の総ての戦艦を圧倒することを企図して攻防走総てに於いて建造当時世界最大の性能で建造された。その後すぐ就役した英国海軍のクイーン・エリザベス級が15インチ砲(38.1cm砲)を搭載したため追い抜かれたが世界最速の座には君臨し続け、第一次世界大戦を迎える。第一次世界大戦に於いては英国から名指しで派遣を要請され、日米間の緊張が緩和され扶桑級や改扶桑級(伊勢級)の建造が順調なことから、香取級が大西洋で撃沈された後、穴埋めと復仇戦のために欧州に筑波級共々派遣され、ユトランド沖海戦に参加。しかし当時は知られていなかった防御上の不備によりたった一発の被弾で機関損傷により大破(これは世界各国に共通することで、当時の防御設計では何れの国も長射程化により大落下角で飛来するようになった砲弾に対処可能な装甲を持っていなかった)。この戦訓から既存艦艇の改装が急遽必要となり八八艦隊計画にも遅延が生じた。
 ワシントン会議が日英と米国の対立により不成立となった後、東京軍縮会議が開催されると、八八艦隊計画は『金剛級以降の戦艦8隻+八八艦隊計画艦8隻』の組み合わせに改められたが、その最中に発生した関東大震災により帝都が罹災し八八艦隊計画艦が船台上で大破したり、復興予算捻出のため建造が断念されると、八八艦隊計画は四四四艦隊計画に再度改められ、本級は徹底的な本来八八艦隊計画に費やされた筈の予算で以て徹底的な改装が行われた。幸いにも本級は大正末期から昭和十年代までを平穏に過ごしていたが、1934年に「榛名」が日本海での演習中に誤って実弾を投下され大破し航空機による戦艦撃沈の可能性が現実化してくると、第二次近代化改装によって萌芽しつつあった航空主兵主義に対応した性能を獲得。速力を30ノットにまで増強し、第二次世界大戦を迎える。
 第二次世界大戦に於いては当初、主に東南亜細亜からインド洋にかけての砲艦外交に従事していたが、日米開戦に伴い遣欧艦隊が帰還すると機動部隊の直掩任務に就き、内南洋まで誘引した米軍をレイテ沖に於いて艦隊決戦によって撃滅。「あ号作戦」に於いては米戦艦部隊と交戦し全艦大破。真珠湾に橋頭堡が築かれた後、応急処置のため真珠湾に入港するも「金剛」が力尽きて座礁するなどし、艦齢が30年に達そうとしていたため廃艦を決定され現地解体が計画されるが、亡命していた布哇王室の特別の希望により全艦が浮揚・修理の上、再独立の記念碑として真珠湾の一角に永久保存することが決定された。
  • 金剛 - こんごう
  • 比叡 - ひえい
  • 榛名 - はるな
  • 霧島 - きりしま


扶桑級 戦艦(50口径36cm砲3連装2基+連装2基10門→50口径36cm砲3連装4基12門)

 金剛級の純拡大型として建造された。当初は主砲塔連装6基12門案も存在したが、防御区画が過大になるという問題から将来的に3連装4基12門及び機関換装可能な設計とした、3連装2基+連装2基10門という変速配置にされた。しかし、1番艦「扶桑」竣工間際に生起したユトランド沖海戦に於いて、大落下角の砲弾に対する未知の不備が発見されたため直ぐ様改装に入る等、初期にはその戦力価値に於いて疑問符が付けられる事態に陥った。しかし八八艦隊計画が軌道に乗るまで、本級は第一次世界大戦に於いて欧州に没した香取級や筑波級の代艦としての戦力価値は高く、更に八八艦隊計画が莫大な財政負担から当初計画の半分を達成した後、既存艦艇と合わせて八八艦隊と成す様に計画を改められると、まだ艦齢の若い身空であるにも拘らず八八艦隊の予算で改装が決された。第一次近代化改装で大落下角砲弾対応の装甲に改正され、第二次近代化改装に於いて伊勢級と同じ要目に揃えられ、自動装填装置を搭載し、量産効果を狙って大量発注された新型空母(翔鶴級)用の機関に換装され、傾斜装甲や装甲バルジを装着した。
 第二次世界大戦に於いては当初は南洋の哨戒任務に就いて居たが、日米開戦を受け住民の疎開に於ける護衛任務に従事。その後、レイテ沖海戦に於いてレイテ湾への殴り込みに成功。連合艦隊所属戦艦の総てが合同した飽和艦砲射撃を敢行し、米侵攻部隊を完全殲滅する。布哇沖海戦に於いて空襲により中破するも無事生き残り、対馬丸事件に於いて米国西海岸への報復攻撃に於いて艦砲射撃によって誘き出した米軍機を殲滅する航空撃滅戦を実施し攻撃が集中したため全艦中~大破。艦齢もあって後継艦も就役し、そのまま修理されること無く戦後廃艦される予定だったが、自存自衛と武装中立を国家目標に掲げる布哇王国支援のため、日布間の永世好意的中立条約締結に当っての友好の証として全艦譲渡された。
 その後、日米双方の都合により両国間の直接貿易や直接渡航が再開されず、済し崩し的に布哇王国を間に挟んだ中継貿易が活発化すると、国連本部が布哇王国へ移転して来た為、布哇王国は主力艦隊を常設国連軍に委譲。本級は設立後間もない常設国連軍の数少ない海上戦力として大切に扱われ、第一次中華事変や朝鮮戦争、東南亜細亜独立戦争に於ける武力介入に従事。艦齢が60に達しようとする北印戦争終結まで現役に置かれた後、遂に総ての任務を解かれて退役。東南・南亜細亜各国の独立記念艦として永久保存された。
  • 扶桑 - ふそう
  • 山城 - やましろ


伊勢級 戦艦(50口径36cm砲3連装4基12門)

 扶桑級の準同型艦として建造された。両者の違いは扶桑級を最初から3連装4基12門で建造したか否かの程度であり、扶桑級同様の大落下角砲弾に対応した防御を持たず就役当初から半ば旧式化してしまっていたが、八八艦隊の整備の遂行が総てに最優先されたため予算が付かず改装は断念されている。東京軍縮条約が締結されて訪れた海軍休日時代に於いても本級と同様の弱点を抱え、就役年数の長い金剛級と扶桑級の改装が優先されたため、就役時の性能のまま半ば放置された。しかし金剛級代艦の建造が満州事変やドイツ政変、沖縄事件の勃発等で緊迫化してくると東京軍縮条約(及びそれに追随するロンドン軍縮条約)の拘束力が自動消失し、手っ取り早く戦力向上が図られ本級もようやく第一次近代化改装が行われた。
 この第一次近代化改装に伴い要目上扶桑級と全く同じ性能となった本級は、艦種を扶桑級に再分類された。第二次世界大戦に於いては当初、日本近海の哨戒任務に就いており、日米開戦に於いてはその高速性を評価され空母機動部隊の直掩艦に就き、レイテ沖海戦に於いてレイテ湾への殴り込みに参加。飽和艦砲射撃により米侵攻部隊を殲滅の後、布哇沖海戦に従事。対馬丸事件に於いて米国西海岸への報復攻撃に参加し、航空撃滅戦に伴う空襲により中破する。以降の経歴は扶桑級に同じ。
  • 伊勢 - いせ
  • 日向 - ひゅうが


八八艦隊世代

長門級 戦艦(50口径41cm砲連装4基8門→50口径41cm砲3連装4基12門)

 言わずと知れた『全艦16インチ・速力25ノット以上の新造艦で以て艦隊を成す』八八艦隊計画の一番手。当初より近代化改装により時代の趨勢に合わせた、比較的余裕ある性能向上の余地を持たせている。ユトランド沖海戦の戦訓を反映するための改設計により起工が遅れたが、第一次世界大戦中の勢いのままに持て余した生産力を一気に投入した様な状態で建造されたため、早期の戦力化を達成した。
 艦体は伊勢級を基に、客船の高速化に対応して普及しつつあった電気推進(ターボ・エレクトリック)方式を採用しており、その発揮速力は28ノットに達した。大落下角砲弾に対応させ対16インチ砲防御に必要な厚みを持たせ大型化しただけとも言えるある意味手堅い設計であったが、実験的に傾斜装甲を採用しており、実質対45口径43cm砲に(辛うじて)対応した装甲を備えていた。当時の技術水準としての限界点である50口径41cm砲を搭載したものの装填機構に難があり嵩張ったため、3連装砲塔を搭載可能な設計でありながら連装砲を搭載した状態で竣工した(これについては就役直後に欠点を解消した装填装置が開発されている)。
 東京軍縮会議に於いては突貫工事で就役した後発の加賀級等を含めその存廃で紛糾し、関東大震災によって八八艦隊計画の内既に起工済みの天城級が全艦建造中止や空母への転用になるなどして、結局東京軍縮条約に伴って当初計画の四分の一しか保有が認められなかったものの、長門級は加賀級と共に存続を許された。海軍休日中には沖縄事件に於いて緊急出動し、2.26事件に於いては帝都に対する艦砲射撃に備え東京湾(当時)に布陣した後、海軍休日の終了に伴い第一次近代化改装に入った。
 第一次近代化改装に於いては加賀級で採用されたものを発展改良した自動装填装置を採用し3連装化に成功した新型砲塔に全砲塔を換装し機関・対空兵装を強化。この結果、金剛級・扶桑級やその代艦として建造が進められた黒姫級などと共同交戦が可能な30ノットという俊足を得、装甲バルジによる間接二重装甲等により雷撃にも強い戦艦に成長した。
 第二次世界大戦にあっては第一次近代化改装に伴い本国に止め置かれたまま欧州戦線に関与することも無く、再就役時には日本近海を哨戒しており、米海軍の東京湾奇襲を免れた。その後は米軍侵攻に備えた南洋住民の疎開護衛任務に従事。レイテ沖海戦に於いては主力部隊として陽動任務に就き、見事米海軍戦艦部隊を誘き出し、大和級から成る任務部隊と協同し殲滅する武勲を挙げた。レイテ湾での艦砲射撃では強化された砲撃力を遺憾無く発揮し、破滅的と形容される破壊力を振り撒いた。布哇沖海戦に於いて2隻とも中破し、本国へ回航され日米終戦を迎える。その後修理の上、遣欧艦隊として欧州に派遣。伊海軍最後の意地とばかりに出張ってきた戦艦部隊との決戦に及び勝利を収めた。そのまま2年間の長期に亘って英海軍スカパ・フロー泊地を拠点に、ナチス独海軍との戦闘で半壊した英海軍の代替戦力として活動。ナチス崩壊と欧州赤化に於いては大西洋側から日英欧州大陸進駐軍の上陸支援任務に従事し、ベネルクス三国へのソ連軍侵入を阻止する軍事的圧力に一役買った。
 退勢した英国の海軍力が戦時急造艦の戦後の完成により補完されると、本級は遣欧艦隊の任務を解かれて本国に帰還。艦齢は既に20年を超え代艦を建造されるべき時期に来ていたが、状態が良好であったことや度々連合艦隊旗艦を務めたことから人気が高く、本級は不活性化処理が施され保管状態とされた。その間に冷戦が激化し第一次中華事変が勃発し再就役。本級は東シナ海に於いて空母機動部隊の護衛に就き、沿岸部への艦砲射撃任務を実施。更に朝鮮戦争に於いて朝鮮半島東北部沿岸への艦砲射撃を行った後、連合艦隊事件に於いて叛乱部隊を鎮圧し、再度予備役として保管状態に置かれるが、その後近代化改装されることも再就役すること無く退役。2隻は「長門」が防門県下関港、「陸奥」が陸奥県大湊港に於いてそれぞれ記念艦として保存されている。
  • 長門 - ながと
  • 陸奥 - むつ


加賀級 戦艦(50口径41cm砲連装5基10門→50口径41cm砲3連装5基15門)

 八八艦隊計画の二番手で、長門級を前後に伸ばして砲力を強化した高速戦艦として建造された。ワシントン軍縮会議に於いて米国がその就役を阻止しようと固執したため、当初計画である長門級の装填機構を改良し3連装5基15門ではなく、長門級の予備として製造された予備品を搭載し連装5基10門の主砲を搭載して突貫工事で就役した。結局ワシントン軍縮会議は不首尾に終わり、大日本帝國(当時)が天城級の建造に着手し、少なくとも八八艦隊計画の半数である8隻の確保に目処が立った時点で、日英の友好関係維持により戦略的優位が確保され米国の不利が明らかとなり、東京軍縮会議によって既成事実的に起工済みの艦の保有を認めるものとする案を叩き台に交渉が進められた。しかし実際には、関東大震災の発生により天城級は全艦が建造中止または空母として建造される四四四艦隊計画に変更を余儀なくされることとなり、一転して圧倒的生産力を誇る米国が日英と互角となる戦略環境に持ち込まれた。
 海軍休日時代に於いては連合艦隊旗艦を交代で務める長門級の2隻に対し、比較的活動は低調で、半ば練習戦艦としての長期訓練航海任務に就くことが多かった。黒姫級の就役と共に真っ先に近代化改装の対象となり、突貫工事によって完成させられたままであった艦様を一変。主砲を3連装5基15門とし、副砲類を総て両用砲とし、黒姫級で採用された塔型艦橋に改装。従来とは一線を画した性能を獲得し再就役を果たした所で第二次世界大戦が勃発し、当時唯一本国を離れられる大型水上艦艇であったため、遣欧艦隊主力として派兵される。喜望峰回りで英国に到着した本級は、ドーバー海峡に於いてドイツ海軍と睨み合い、バトル・オブ・ブリテンに於いてはその豊富な対空火力で以てドーバー海峡の移動対空陣地として布陣すると共に、艦体対空戦闘に於ける貴重な戦訓を得た。その後、英国の戦時生産が軌道に乗り、ある程度戦力化が進んだことで、日米対立激化に伴い本国帰還が決定。その帰途、地中海に於いてイタリア海軍との決戦に及び之を撃破。空母と協同した空海立体戦闘の実戦証明を果たす。
 日米開戦に於いては欧州での戦傷を癒すためドック入りしており、突貫工事によってレイテ沖海戦に間に合わされた。レイテ沖海戦では旧式艦故の敗走を装った米国戦艦部隊の釣り出し作戦の主力を担い、見事その任を果たしたが中破した。布哇沖海戦では上陸部隊の直協に当たり、対馬丸事件の報復ではパナマ運河に対し艦砲射撃を実施。その途上で雷撃を受け全艦大破。ドック入りの憂き目に遭い遣欧艦隊には組み込まれず、本国防衛任務の名の下に存置され、ナチスドイツの敗勢が濃くなると英国復興支援艦隊の護衛として再び欧州に派兵。地中海から日英欧州大陸進駐軍の支援任務に従事し、東欧南部の赤化を阻止することに一役買った。
 英国の軍事力がある程度復活し、イタリアを中心として南欧の復興への道筋が付けられると、本級は本国に帰還し不活性化処理が施され保管状態に置かれた。しかし第一次中華事変によって直ぐ様現役に復帰。南シナ海を中心に支那大陸と本国を往復する輸送艦隊の護衛任務や、大陸沿岸への艦砲射撃任務に従事。続いて朝鮮戦争に於いて朝鮮半島西北部沿岸での艦砲射撃任務に従事。連合艦隊事件に於いては叛乱部隊の鎮圧に従事し再び不活性化処理を施され保管状態に置かれる。大和(豊後)級の就役に伴い保管を解かれ退役。2隻は「加賀」が越前県金沢港、「土佐」が土佐県高知港に於いてそれぞれ記念艦として保存されている。
  • 加賀 - かが
  • 土佐 - とさ


天城級 巡洋戦艦(50口径41cm砲3連装4基12門→未成)

 八八艦隊計画の三番手で、加賀級の砲力を減らして機関を強化した巡洋戦艦として建造を開始されるも、東京軍縮条約と関東大震災により「天城」「愛宕」が「撃沈」され、「赤城」「高雄」が空母に転用された。
  • 天城 - あまぎ - 関東大震災により船台から落下し大破。建造中止。
  • 赤城 - あかぎ - 東京軍縮条約により空母に転用。
  • 愛宕 - あたご - 関東大震災により復興費用捻出のため、建造中止。
  • 高雄 - たかお - 東京軍縮条約により空母に転用。


紀伊級 戦艦(45口径48cm砲連装5基10門→50口径36cm砲4連装4基16門)

 八八艦隊計画の四番手で、加賀級に当時実用化に成功していた最大口径である45口径48cm砲を連装で5基搭載しようと目論んだ意欲的な戦艦であったが、起工直後に東京軍縮条約と関東大震災により日本海軍向けとしての建造を中止されるも、一、二番艦のみ、そのまま設計を改め性能を抑え小型化して建造したものが、壊滅した海軍力の復活に取り組むオスマン帝国に向けて売却された。
  • 紀伊 - きい - オスマン帝国海軍戦艦「カーヌーニー・スルタン・スレイマン一世」として建造。
  • 尾張 - おわり - オスマン帝国海軍戦艦「チェレビー・スルタン・メフメト一世」として建造。
  • 十一号艦(播磨) - はりま - 起工中止。
  • 十二号艦(越後) - えちご - 起工中止。


十三号型 巡洋戦艦(45口径48cm砲連装4基8門→未成)

 八八艦隊計画の最後の計画艦で、紀伊級の砲塔を一つ減じて速力を強化したものであったが(この時点で既に巡洋戦艦では無い)、起工前に東京軍縮条約と関東大震災により建造は中止された。艦名はそれぞれ「日本列島」「台湾」「神威嘉」「呂宋(フィリピン)」の最高峰から予定されていた。
  • 十三号艦(富士) - ふじ - 起工段階で東京軍縮条約により艦体のみ流用が決定し空母「芙蓉」として建造。
  • 十四号艦(新高) - にいたか - 計画中止。
  • 十五号艦(苅萱) - くりゅかや - 起工段階で東京軍縮条約により艦体のみ流用が決定し空母「鳳仙」として建造。
  • 十六号艦(遥邑) - あおう - 計画中止。


第二次世界大戦世代

黒姫級 戦艦(50口径41cm砲3連装4基12門)

 東京軍縮条約に於いて定められていた純粋な金剛級の代艦として、艦齢が20年に達する1930年代からの建造が計画されていたが、満州事変やドイツ政変、沖縄事件等に伴う国外情勢の緊迫化に伴い、東京軍縮条約(及びそれに追随するロンドン軍縮条約)の拘束力が自動消失したため、日本連合帝國は本級の建造を打ち切り、より戦力価値が高い(為に建造期間と予算と資材を要する)諸外国を圧倒する新型戦艦(大和級)の建造へと移行することになる。発注済みであった3、4番艦の資材については長門級及び加賀級の改装に転用された他、基礎が出来上がっていた艦体については航空母艦へと転用され大鳳級(大鳳、鷲鳳)として就役している。種別上は巡洋戦艦であり命名基準もそれに沿ったため山岳名が付けられているが、これは巡洋艦級の高速力(34ノット)を与えられていたことに基づいている。但し大和級に於いて大出力機関が採用された結果、こちらも巡洋艦級の高速力を与えられたため両者の区別は曖昧となり、運用上砲撃力を除いて特に性能差を生じなくなったため、両者の種別は戦艦に統合された。本級は計画上、八八艦隊の新性能(超弩級)戦艦群に続くものと看做されており、八八艦隊計画艦に続く形で十七~二十までの計画番号が振られていた。未成に終わった本級の三、四番艦の予定艦名はそれぞれ荒棲家、毬亞南の最高峰から取られている。
  • 黒姫 - くろひめ
  • 武尊 - ほたか
  • 十九号艦(和成) - でなり
  • 二十号艦(亞群) - あぐり


大和級 戦艦(50口径46cm砲3連装4基12門→53口径46cm砲3連装4基12門)

 言わずと知れた世界最大最強の戦艦。人類が建造した戦艦総ての頂点に立つ。時代の趨勢が完全に航空機と原子力潜水艦に移行した後も、その巨体を活かした圧倒的な火力投射能力に着目され現役に置かれており、半ば伝説的な戦果を挙げていることから感情面で退役が許されず、艦齢を重ねる毎に殆ど新造(下手すると新造よりも手間隙を掛けて)と言っても良い程の改装を重ねており、代艦の確保に頭を悩ませている。
  • 大和 - やまと - BB-53→BBN-53
  • 武蔵 - むさし - BB-54→BBN-54
  • 信濃 - しなの - BB-55→BBN-55
  • 甲斐 - かい - BB-56→BBN-56


敷香級 戦艦(50口径41cm砲3連装4基12門)

 航空主兵の優位性が中途半端に証明されたことに伴い、第二次世界大戦後も世界では空母と予算・人員・資材を二分する形で戦艦の建造が続けられた(その原因には恐竜進化を遂げた大和級に対する諸外国の軍事的対抗措置があるし、空母機動部隊を整備するほどの予算と戦略を編成出来ない国々に於いては、空軍と戦艦の組み合わせこそが最良と考えられた)。大正時代の設計に過ぎず老朽化も進行し陳腐化も著しい扶桑級や長門級の代艦として、決戦兵器以外の用途では過大に過ぎる大和級の要目をあらゆる意味で適正な大きさに縮小した「量産可能な大和級」「小回りの利く大和級」を念頭に建造された。その風貌は大和級のテストベッドでもあった黒姫級と非常によく似ており、所謂「大和坂」の有無(黒姫級は大和坂を持たない)によって敷香級か否かを見分けることになる。本級の完成に伴い、日本海軍は正規空母2隻に対し黒姫級以降の戦艦2隻で機動部隊を5つ編成し、その内3つを常に洋上に置く様になる(これは後に空母艦載機の火力向上と共に正規空母1隻に対し黒姫級以降の戦艦1隻とし、之を常に平時に於いては近衛軍に2個(予備2個)、海軍に3個(予備3個)の計10個機動部隊を置くことに改められた)。
  • 敷香 - しすか - BB-57→BBN-57
  • 涙前 - るいぜん - BB-58→BBN-58
  • 大筑 - おおつく - BB-59→BBN-59
  • 仲久 - ちゅくち - BB-60→BBN-60


冷戦世代

大和級 戦艦(53口径46cm砲3連装4基12門)

 発展余地に乏しく、過渡期にあって中途半端な技術革新を盛り込まれた結果老朽化が進んだ黒姫級と、大型化する駆逐艦と戦艦との間に挟まれ中途半端な戦力と化していた巡洋艦を艦隊から一掃すべく、それら水上戦闘艦の代艦として第一次改装後の大和級と同じ設計で建造された。同型艦としては異例の隔年建造が行われ、戦艦としては同型艦の最多・最長建造記録を達成したが、建造当初の大和級とは異なる改装後の形態での建造が行われたことから、別級として分類される向きもある。
  • 豊後 - ぶんご - BBN-61
  • 羽前 - うぜん - BBN-62
  • 伯耆 - ほうき - BBN-63
  • 胆振 - いぶり - BBN-64


敷香級 戦艦(50口径41cm砲3連装4基12門)

 新八八艦隊計画に於いて、決戦兵器である大和級8隻に対する空母機動部隊随伴の直衛艦として、敷香級の第二次近代化改装に用いる設計図を元に新規建造された。南洋方面の構成国から命名されている為、北方諸国から命名されている前期型に対し、後期型を南洋級と呼ぶ向きもある。3年毎に建造が行われ、足掛け12年掛けて揃えられた。
  • 呂宋 - るそん - BBN-65
  • 毬亞 - まりあ - BBN-66
  • 帛琉 - ぱらお - BBN-67
  • 鳳舞 - おうぶ - BBN-68


最終更新:2013年02月11日 16:03