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アントナン・アルトー
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プロフィール
本名 | アントナン・アルトー(Antonin Artaud) |
生存期間 | 1896年9月4日~1948年3月4日 |
出身地 | フランス、マルセイユ |
職業 | 詩人、俳優、演出家 |
関係人物 | シャルル・ドゥラン、アンドレ・ブルトン |
登場作品 | Red Flood(アヴァンギャルド・フランス指導者) |
アントナン・アルトーは狂気の詩人、劇作家としてよく知られている。その狂気は病跡学的には統合失調症及び、薬物依存とされているが、統合失調症の関与の方が大きい。明確に発症したのは1937年のアイルランド旅行のときである。
経歴
- 1896年9月4日: マルセイユの船用品商の家に生まれる。
アルトーの両親はいとこ同士である。アルトーの二人の祖母は、ギリシャのスミュルナ(現トルコのイズミル)出身の姉妹である。
アルトーには8人の兄弟がいたが、3人しか生き残らなかった。
アルトーには8人の兄弟がいたが、3人しか生き残らなかった。
- 1901年~1902年(5歳): 脳髄膜炎にかかり、以後神経障害に苦しむことになる。このときには治療が行われなかった。
副作用で、物が二重に見えていたらしい。父親は、静電気を発する機械を頭に取り付けられるなど疑似科学的な治療をしていた。
- 1902年~1905年(6歳から8歳):吃音症と顔面神経と舌の拘縮が起こる
- 1906年~1907年(9歳):生後7か月の妹ジュルメーヌが乳母に殴られて亡くなる
- 学生時代:詩作を始める。
- 1914年:高校卒業直前に、神経衰弱に陥る
アルトーは以前の詩作を放棄し、友人に蔵書を譲った。また、この時期に精神的危機から神に絶えず祈りを捧げており、この頃のアルトーは司祭になりたがっていた。
- 1914年~1919年:サナトリウムをたらいまわしにされる
第一次世界大戦の徴兵によって中断されることもあったが、殆どの時期を診療所や温泉で過ごした。
1917年に、スイスの病院でアヘンを処方されたことにより、生涯にわたり薬物依存に苦しむことになった。
1917年に、スイスの病院でアヘンを処方されたことにより、生涯にわたり薬物依存に苦しむことになった。
- 1920年: マルセイユからパリに上京。リュニエ・ポーらと知り合う。
- 1921年: 制作座で初舞台を踏む。デュランやピトエフの劇団に加わる。映画にも出演。
- 1920年代前半: シュルレアリスム運動に参加。
- 1926年~1927年: 劇団「アルフレッド・ジャリ劇場」を組織。
- 1920年代後半から30年代前半 C.T.ドライヤーの《裁かるるジャンヌ》やA.ガンス《ナポレオン》などの映画出演
- 1931年: パリ植民地博覧会でバリ島の演劇に衝撃を受ける。
- 1935年: 「残酷劇場」設立。
- 1936年: メキシコの先住民タラウマラを訪れる。
このメキシコ旅行で、ペヨーテというLSDと似た作用を持つサボテンを体験している。ちなみにサルトルやアメリカのヒッピーも体験してたらしい。
- 1937年: アイルランド旅行中に錯乱状態となり、精神科病院に収容。
- 1938年4月1日:著名な精神分析家ジャック・ラカンに「回復の見込みのない固定化した精神病」と診断される
- 1942年: 南フランスのロデズで電気ショック療法を受ける
現代のと比べると、拷問レベルのやばい電気ショックであり、人道性の欠片も無かった。
- 1945年: パリに戻る
- 1948年3月4日: パリ近郊のイブリの療養所で直腸癌のため死去。
思想
政治的無関心、反共主義
アルトーは政治的に基本的に無関心であったが、マルクス主義については明確に嫌っていた。具体的には、フランス共産党との協力を打ち出したブルトンらを「トイレットペーパー革命家」、共産主義を「愚か者の革命」と呼んだ。
ただし、社会の変革に関しては、むしろ共産主義者より強く望んでいたため、保守主義者とは言えない。アルトーは共産主義の非徹底さを嫌ったと言ってもよい。
作品
- 1923年: 詩集『空の双六』
- 1924年: 『NRF(新フランス評論)』の編集長リビエールとの『往復書簡』
- 1925年: 詩集『冥府の臍』、散文詩『神経の秤』
- 1932年: 『残酷演劇宣言』
- 1934年: 小説『エリオガバール,あるいは戴冠したアナルシスト』
- 1935年: 戯曲『チェンチ一族』
- 1937年: 『タラフマラ族の国への旅』
- 1938年: 演劇理論書『演劇とその分身』(1930年代の講演や評論を集めたもの)
- 1942年から45年頃まで:『ロデスからの手紙』
- 1947年: 『ファン・ゴッホ、社会の自殺者』、『モモのアルトー』
- 1948年:ラジオ放送『神の裁きと訣別するために』
TIPS
- ラカン(L博士とぼかしていたが)を始めとする精神分析家や精神科医を嫌っており、「ゴリラ」呼ばわりしていた
参考文献
- コトバンク:アルトー
- 創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで
- Companion Spider: Essays