あんなバケモノ共の伏魔殿なんかいられねーや、とばかりに退散した場所は、見慣れた皮下医院――ですらなかった。
本来であれば、カイドウが繋げたポータルは、あの病院の院長室と連動していた筈なのだ。全く、異なる場所に飛ばされた。
病院の内部どころか、外近所ですらなく――寧ろ、病院からかなり離れた、草っ原の上に、皮下は着地したのである。
遠く離れた場所には池があり、更には、売店のようなものまで確認出来るではないか。一般市民に向けて、開放されている公園の類である事は、間違いない。

「此処は……」

 場所は直ぐに解った。
大火の焔を映したような、薔薇色の輝きを帯びた夕の空。沈みゆく太陽は世界の果てに刻々に滑るように近づいて行く、燃え盛る一滴の黄金のようで――
その黄金の落涙を背に、皮下が佇む場所から更に遠く、NTTドコモの超高層ビルが聳え立っていた。
『新宿御苑』。間違いなく、皮下は其処にいた。

「御誂えの場所だ。殺しても、露見しない」

 10m程背後から、目下最大の強敵である、峰津院大和の声が聞こえて来た瞬間、皮下は動いた。
動いたと言っても、振り向いた訳ではない。大和に背を向けたまま、皮下の背中から白衣を突き破り、金属細胞による黒い鞭が伸びて行き、これが凄まじい撓りを以て大和目掛けて振るわれたのである。

 ガキンッと言う音が生じた。
金属質の音で、密度のある金物どうしをぶつけないと生じ得ない音である。 
事実、生やした鞭ごしに皮下に伝わっている感触は金属のそれだ。問題は、『何で防いでいるのか』、と言う事だった。
この金属細胞で再現している金属の名前は黒陰石と呼ばれるものであり、嘗ては理論上のみ存在するだとか、某国では今も軍事研究として予算が使われているだとか、
真偽様々な情報が行き交う裏社会のスパイ界隈に於いても、実在が危ぶまれていた曰く付きのそれであった。

 黒陰石は、半ば都市伝説として語られる通りの硬度を秘めており、これを相応の速度を以て投げつければ岩が砕けるし、鉄の板だとて厚さ次第で容易くバラバラにしてしまう。
それを、防がれている。少なくとも同程度の硬度の代物である事は間違いない。その正体について、一瞬思考を奪われた瞬間。
ズンッ、と言う内臓の深奥にまで響くような重低音を生じさせ、凄まじい衝撃を叩き込まれる皮下。紙くずの様に上空20mの地点を、舞っている。
空中で体勢を整え、その動作の最中に攻撃を仕掛けて来た者の正体を確認する。右腕をアッパーカットの要領で突きあげていた、峰津院大和の姿。

 そして、大和の数m後で構えている、巨大な四足歩行の獣。
遠目からライオンに見えるその動物は、鋼の様な色味の獣毛を携えており……皮下の見間違いでなければ、尻尾を含めて6mはあろうかと言う、
神話の世界から抜け出して来たような怪物だった。その怪物は皮下目掛けて大口を開けた状態で睨み付けていた。――その獅子の口腔には、橙色の炎で形作られた、紅蓮の球体が鎮座していた。

「ばっきゃろう……!!」

 慌てて皮下は斜め下の地面目掛けて、身体から黒い槍を伸ばした。芝に、槍が突き刺さるや、それを伸縮させ、一瞬でその場から消え失せる
皮下が芝生に着地するのと、皮下がつい半秒前まで吹っ飛ばされていた場所に、獅子の口から放たれた大火炎のビームが通り過ぎて行ったのは殆ど同じタイミング。
火炎のレーザービームは、そのまま新宿のあらゆる摩天楼よりも高くに伸びて行き、そのまま雲まで貫かん、と言う所で消失した。
皮下の目測では、葉桜適合率に極めて恵まれた、アカイの炎よりも遥かに優れている。喰らっていればまさに、骨は勿論灰の一握りすら残っていなかっただろう。

「ライオンがペットかよ、汚い金持ちじゃねーんだからさ」

 欲しいものをあらかた手に入れ終えて、今ある予算の内で現実的に買えるものを探すのではなく、莫大過ぎる予算を減らしたいから趣味じゃない物を買う、
と言うレベルの金持ちがこの世の中にはいる。そう言う連中は大抵、金があっても国際法上、輸入は勿論市場に出回る事も、そもそもそれを取引する市場がある事すら許さない、
珍しい代物を欲している事が多い。絶滅危惧種などまさにそれで、ライオンは特に人気のある商品の一つである。

「私の片腕とも言える獅子だ。お前も今に、ケルベロスの異の中に消える事になる」

「旦那と言い夜桜と言い、イヌコロ一匹に大げさな名前付けやがってまぁ……」

 あの怪物の一族と言い、目の前の大和と言い、ペットの名前に付けるセンスは似通るのかと皮下は思う。……まさか目の前のあの銀獅子が、正真正銘本物のケルベロスであるだなどとは、夢にも思うまい。

 大和の方に身体を向けたまま、しかし、周囲の状況を意識しながら、皮下は考える。
自分の病院の事を一切意識せず戦える、と言う点で新宿御苑は彼にとって有利に働くフィールドである。
皮下が本気で相手を叩き潰すべく行動を始めた場合、あの程度の面積の施設では、1分と持たずに廃墟に変貌する。それだけの威力の攻撃を、皮下は行使出来るのだ。
患者や従業員の命については何ら問題ないが、施設そのものが消えてなくなるのは拙い。その為、あの病院内で戦うとなると、皮下としては、面倒な枷を付けている状態に等しい。
この新宿御苑では、その枷もない。思う存分、皮下は、その暴力性を披露する事が出来るのだ。

 ……ただしそれは、大和についても同じ事が言える。皮下が本気を出せるフィールドであると言う事実は、大和にしても変わらない。
寧ろ、本当に広いフィールドに移動出来て、暴力を遺憾なく発揮出来るのは、大和の方である可能性の方が高い。
この男の底知れなさは、対峙する皮下にとっては非常に驚異的だ。何をしてくるか解らない得体の知れなさをそのままに、その全てが、必殺の技と言う確信が、彼にはあるのだ。この御苑に於いては、その必殺技を全て開帳してくる前提で動かねばならない。

 ――そして、最悪ともいえる事が、

「この場所がどう言う所なのか、理解しているのだろう?」

 新宿御苑だろ? と言う、ちゃらけた返事を皮下は返さなかった。確かに、此処は新宿御苑だ。

 ……『峰津院大和が抑えている数ある霊地の一つ、新宿御苑』である。

NPCに開放してやれよ、公共の憩いの場だろここ?」

「貴様や、他の無粋な参加者の手に堕ちるよりは、私が有効活用してやった方が願ったり叶ったりだろう」

 夕を過ぎる時間になっても、新宿御苑レベルの公園であれば、通常の場合は警備員が巡回しているし、
そもそも今の時間帯であれば、まだ善良な一般市民が憩いの場として活用していてもおかしくない。にもかかわらず、この公園には人っ子一人の気配すら存在しない。
単純な話で、峰津院財閥が『自らの権力を持ち出して本来の御苑の管理組織含めたあらゆるNPCの立ち入りを禁じているから』に他ならない。
入口を取り囲むように、バリケードも張られていた筈である。確か、表向きの理由は、地質調査の為だったか。
実際には、地質調査に必要なボーリングマシンの搬入が全くなく、これが地質調査の為でない事は土木工事に聡い者であれば誰もが理解出来る事柄であった。

 此処は既に、峰津院大和及びその財閥の持つ無尽蔵のカネとコネの力で。
大和にとって有利な作用を齎すフィールドに、改造されているに等しい場所であった。皮下は最早、相手の腹中にいるに等しい。

 NPCがいない事によって、先ず、『大和が此処で人を殺した』と言う事実が露見しない。
必然、皮下が当初考えていた、『人を殺そうとする大和のスキャンダラスな姿をNPCに見せつける』と言う作戦はこの時点で作戦足り得なくなる。
加えてもっと厄介なのが、大和がこの新宿御苑に如何なる仕込みを用意したのか、全く解らないと言う点である。
最悪、御苑全体が大爆発を引き起こすと言われても、皮下はその場で信じてしまいそうだった。それをやりかねないだけの力が、大和にはある。

「此処に飛ばされたの、アンタの仕込み?」

 皮下がそう尋ねるが、流石に口を滑らせる手合いじゃない。
不敵な微笑みを浮かべて大和は相手の問いを黙殺する。まぁ、そりゃ言う訳はねぇわな。皮下は素直にそれ以上問う事はしなかった。
カイドウのポータルは間違いなく、座標を皮下医院に設定した物だと思っていた。それを此処まで狂わせるとなると、あの規格外のランサーが何かしでかした、そうと思うのが常だろう。大和と、あのランサーならば、意図的に此方に有利なフィールドに、ワープ先を書き換える。それ位の事は、するだろうと皮下も思っていた。

 実は大和本人からしても――新宿御苑に飛ばされたのは、全くの予想外の事だった。
大和もまた皮下同様、空間の裂け目を通り抜けた先はあの病院だと思っていたし、それを想定した戦い方も頭の中で練り上げていた。
にもかかわらず、実際に大和と皮下が現れた場所は、――大和にとっては嬉しい誤算だが――新宿御苑であった。

 『特異点』、ベルゼバブの持つ、ランク化されていながら、その実、規格外のスキルの一つが作用したのであろう事は間違いない。大和はそう睨んでいた。
ベルゼバブの持つスキルや宝具はどれも具体的で、用途も明白。それでいて、どれもこれも極めて強力な物ばかりが揃っている、と言う隙の無い構成だった。
そんな中で唯一、特異点と呼ばれる要素についてだけは、抽象的なそれであった為に、大和の印象に強く残っていた。
ベルゼバブの話に曰く、因果すらも捻じ曲げるに足る力だと言っていたが、それが意味するところは、大和の知識を以てしても定める事は難しい。
2つ程確かな話があるとすれば、ベルゼバブは間違いなく大和に気を利かせてこのような場所に転移させたのではないという事。
そして、大和にとってこの場所は、己の神威を発揮するにはうってつけのものである、と言う事であった。

「砂時計の砂は、全て落ちた」

 着流していた黒いロングコート、そのポケットから大和は一つの物を取り出した。銃か、と皮下は思った。大和なら携帯していてもおかしくないと思っていた。
……実際にはそんな生易しい代物ではなく、見るからに、対峙する者にとっては、それが確実に此方に『最悪の結末』を齎し得るだけの代物である事を悟らせる、
不吉のオーラを禍々しく醸し出している代物であった。大和の握る代物は、鋼に似た質感の、鉄片のようなものだった。ナイフの刃に似た形状をしている、艶やかな鉄の剥片。

「夢見の時は過ぎた。地獄が呼んでいるぞ、皮下」

 其処まで言うと、大和が右手に握っていた鉄片が、カっと輝きだし、光が収まると、彼の手に剣が握られていた。 
如何なる技術で鍛造されたのか、想像だに出来ない程、澄んだ青い剣身が特徴的な西洋剣。とてもじゃないが実戦を想定した作りには見えない。
それこそ、富豪が玄関先や、私室、コレクションルームにでも飾っておくような、宝飾品のような扱いの代物であろう。
だが、そんなようなお飾りの代物ではない事など、皮下でなくとも誰だとて解るであろう。美しさ以上に……、あの剣には、拭いきれぬ死の臭いが漂っている事を、皮下は感じ取っていた。

「家の総督が何気なく口にした言葉があってね。結構、心に残ったからよ。それを以て、アンタへの返事とさせて貰うぜ」

 不敵な笑みを浮かべるや、皮下の双眸に、淡い文様が光った。桜の花びらを模した、夜桜の、スティグマが。

「人の夢は終わらねェ」

「死ね」

 皮下の姿が、高速の移動によってその場から消えた瞬間、戦端は切って落とされた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 地獄について、どう言う物を連想するかと尋ねれば、返って来る答えは様々な物があるだろう。
人によって、類型は様々だからだ。尋常ではあり得ぬ空の色、人の血の様に赤い水、生命の色どりが一切感じられない禿げた山に荒れた大地。跋扈する、鬼や羅刹の獄卒達。
まるで悪い事をした子供に対しての戒める為の、脅し話、その中に出てくるような。或いは、日本人になじみ深い、仏教の宗教観そのものの地獄のような。
自分が幼い頃に、教育の為に使われて来たあらゆる戒め。そして、自分が信ずる宗教観が説く所の、不心得者や悪人が、死後に行き着く先。
そう言ったイメージを、地獄に対して抱く者が多かろう。他方そうではなく、大切な誰かを失って、それでも、今を生きて行かねばならないその現状をこそ、
地獄と認識する者もいるだろう。二度と面も拝みたくないような者がいるのにそれでも日々の生活の為に、それでも、足を運ばなくてはならない場所。其処を地獄と認識する者も。

 人によって、何を地獄と呼ぶかは様々だが――。
恐らく、今新宿に起きているこの現状を、地獄か、この世の終わりが。遂に、現実と言うヴェールを破られて剥き出しになったのだと。認識する者がいても、何もおかしな所はないであろう。

「なんだよ、何が……何が起こってんだよ!!」

 外回り中のサラリーマンが空とスマートフォンを同時に眺める。
空の色は、まるで、血で濡らした刷毛で何度も撫でて見せたように、真っ赤に染めあがっていた。
手にしたスマートフォンはと言うと、市街地の真っただ中、Wifiも電波の飛び方も良好なそれであるにもかかわらず、完全に圏外となっていた。

「お母さん……」

 怯えた様子で子供が、窓から空を呆然と見上げる母親にしがみ付いた。
まるでイチゴをピューレにしたような、鮮やかに赤い積乱雲が、地獄の魔城の如くに空に浮かび上がっていて、その雲が、幾度となく雷を閃かせていた。

「……」 

 制服に身を包んだ女子高校生が、スマートフォンを取り出して、公園の時計を撮影していた。
F1カーの、スピードメーターの様に、信じられない速度で時計の長針と短針が回転しているのだ。
世界の時間が正しいのか、それとも、この時計の方が正しくて、自分の身体は時計の針が回っている通りに老いているのではないか? 
それが少女には解らなくて、恐怖と、それでも、この状況を誰かに教えたくて動画を撮ってはいるも、電波が繋がらない為誰にもその状況を伝える事が出来ない。

 新宿の、その区画だけが、あらゆる因果から切り離され、隔絶された、別世界にでもなったみたいだった。
この世界が、誰から見ても異常な空間である事は歴然としていた。当たり前の話だった。
『ある区画だけ空の色が明瞭に真っ赤で、雷が轟いていて、雨も降りだしているのに、その区画より外は雲一つない夕空である』などと。
子供であっても、その風景の異常さが露わであろう。神話や説話の中に語られる、宗教の世界観。
その一部を切り取って、我々の現実世界にペーストして上書きして見せたような、その浮き彫りになった特異さ。

 ――それがまさか、地底の奥深く。
それも、『異なる時空で戦う2名の怪物の衝突の余波が、現実世界に干渉した結果である』、と言う事実を、果たして誰が、そうなのかと受け入れる事が、出来ようものか。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 強い者が上を喰える、と言う気風は、別に百獣海賊団だけに限ったものじゃない。
偉大なる航路(グランドライン)の常識が一切通用しない、雷神と風神の怒りの具現のような天気の数々、海神の憤怒がそのまま鏡映しになったような大シケの海模様。
そう言った場所に於いては、お行儀が良い善人男女では、悪人に食い物にされるとか以前の問題として、生き残れない事の方が圧倒的に多い。
必然、あの海で名を挙げる海賊共と言うのは、鬼神も三舎を避けるような荒くれ者の比率が高くなってしまうのだ。
何せ偉大なる航路を往く船で、沈没するかしないかの瀬戸際に立たされた場合、比喩を抜きで一秒が全ての明暗を決めてしまう極限状態になる。
その状況下では全ての動作は荒々しくなり、余人の事情など斟酌していられず、指示出す言葉も喧嘩腰の荒っぽいそれに即座に変わる。丁寧に、が通用しないのだ。

 そのような、強さが他人を判断する価値観、基準として無意識のうちに組み込まれた海賊達を、統治する術とは何か。
麦わらや白ひげと言った、仲間や子への情に訴えかける者もいれば、四皇の一人であるビッグ・マムの如く、恐怖で抑えつける手段もまたある。
無法の荒海に帆を出し駆ける、海賊共とは言えど、完全な無秩序と野放図では立ち行かない。海は、人が思い描くよりもずっと無秩序かつ無軌道で、
宝の渇望や自由への希求を容易く呑み込み粉砕してしまう無慈悲な世界なのだ。斯様な世界であるからこそ、海賊は、その組織を成り立たせる為の独自の支配体形が必要になる。

 カイドウ率いる百獣海賊団は、恐怖と放任主義の二足の草鞋を履く事で、海賊団として成立していた。
此処では歳が上だから、海賊団に尽くして来た時期が長いから、偉い、と言う年功序列の仕組みはちり紙以下の価値観でしかない。
強くて、その強さの故に打倒した奴らが多いから、偉い。功績をあげられているから、偉い。それが、絶対の基準になるのである。
他方、恐怖とは何かと言われれば、それはカイドウの事である。船のシンボルとは、即ち船首に飾る像であり、母艦の帆であり、船そのものであったり……。
百獣海賊団の場合、カイドウただ一人こそが、海賊団を象徴するシンボルマークであり、恐怖と権威の権現であり、大黒柱なのである。
力を信奉する荒くれ者ですら、機嫌を窺い媚を売り、奪った宝を貢ぐ程の、圧倒的なカリスマ性。それが、カイドウにはあるのだ。
大なり小なり、海の上では海賊団と言うのは、船長による独裁のカラーがどうしても強くなる。船長の命令には、従わなければならない。そのレベルの裁量があるからだ。
カイドウは、その色を是とし、純度を高めた海賊団と、その仕組みを問題なく運営していると言う点で、他の海賊団と決定的に異なると言えるだろう。

 ――疫災のクイーンは、そんな百獣海賊団の、上澄みも上澄み。
下っ端達が、「いつかは俺も……」と夢見る大看板を任された、最高戦力の一人であった。
下剋上を狙う者が多い百獣海賊団の中にあって、クイーンは十何年を容易く超える年数を、大看板として働き、カイドウを支えて来た古参中の古参だ。
年功序列が意味を成さない海賊団にあって、クイーンがこれだけ長く大看板の座を堅守して来たのは単純明快。彼が強いからに他ならない。勤めた年数など一切関係ない。その強さで、他を跳ね除けて来ただけなのだ。

 カイドウの活躍を間近で見て来て、彼が暴れた場所がどうなったのか、と言う事も誰よりも知っているクイーン。
海賊王に相応しいのはあの人だ、と言って誰よりもリスペクトしている男の今の姿を見て、願う。

 ――頼むからこれ以上暴れねぇでくれえええええええええええぇぇぇぇぇぇぇ……!!――

 大看板と言う立場上、遠く離れて逃げる訳にも行かない。
キングと同じ位置で、カイドウと、この鬼ヶ島に現れた黒衣の不届き者……ランサー・ベルゼバブの戦いの様子を、祈りながらクイーンは眺めていた。

 宴会場は、カイドウとベルゼバブの両名の戦いに、5秒と耐えられなかった。
四方数百mはある広大な場所が、たった5秒。カイドウとベルゼバブが激しく動き回り、攻防を繰り広げるだけで、二度と宴会目的では使用出来ない程に、原形を留めずボロボロになってしまったのだ。

 ベルゼバブとカイドウは、鬼ヶ島への外へと移動し、其処で攻防を繰り広げている。
勿論、破壊された宴会場から外周へと移動する傍らにも、攻撃を両名は続行しており、その結果がどうなったのか?
400m程上の地点、より言えば、鬼の頭蓋骨を象ったような巨大な岩の構造物、即ち、鬼ヶ島の本丸の事であるが、この鬼の頭で言えば、側頭部。其処をぶち抜くように開けられた、巨大な大穴を見れば、一目瞭然と言う物であった。

 生やした鋼の翼を、音速の6倍の速度で振るうベルゼバブ。質量そのまま鋼のそれが、音を遥かに置き去りにするスピードで動く。
それによって生じた衝撃波は鬼ヶ島の本丸の外壁を、薄焼きの煎餅の如く破壊し、そのまま内部を駆け抜けて行く。
この質量とスピードの暴力を、カイドウは両手に握った金棒でガード。それによってまた、核爆発にも似た爆音とソニックブームが駆け抜ける。
発生した衝撃波は容易く、分厚い岩盤で構成された地面をバラバラに砕き、地煙を立ち上らせる。
攻撃と攻撃どうしのぶつかりあい、それによって発生する副次物で、岩盤が砕けるのだ。況や、人体など、推して知るべし。現にカイドウとベルゼバブの攻撃の衝突、その余波に直撃した何十人の部下は、身体が粉々に爆散されて死亡してしまった。

 ベルゼバブの一撃を防いだカイドウは、ゴルフのウッドでも振るう要領で、金棒を掬い上げるようにスウィング。
鋼翼を音以上のスピードで振るうベルゼバブも異常だが、それを言うなら、規格外の体格で超質量の金棒を持っているのにそれを音を超える速度で振るうカイドウの方が、
異常性の面で言えば如実であったと言える。音の、4倍。しかし、ベルゼバブはこれを見切っていた。跳躍して攻撃を避けたベルゼバブは、カイドウの胸部の高さに到達するや、
ドロップキックを怪物の大胸筋に叩き込む。凡そ、人体と人体がぶつかったとは思えない程の凄まじい音が鳴り響く。想起されるイメージは、ダイナマイトの炸裂だった。
凡百のサーヴァントなら宝具級の鎧に身を包んでいた上からそのまま即死に持ち込めるこの一撃を直撃してなお、直立の姿勢を維持したまま、十m程後退させられるカイドウ。
ランサーの攻撃を防御するのに、相当の気合いを入れて踏ん張ったと見える。後退させられた距離と同じ分だけ、岩盤の地面に、カイドウの両足と接していた所が抉れて削られている痕跡が残っていた。

 攻撃を叩き込んだ側のベルゼバブの方はと言えば、攻撃を受けた側のカイドウよりも、長大な距離を吹っ飛ばされていた。
蹴り足を延ばした状態のまま空中を舞っている状態のまま、ベルゼバブは考える。防御能力が異常である。
勿論、カイドウの側は力む事によって、叩き込まれるであろう攻撃を迎え撃った事は解る。それにしたとて、あり得ない程の肉体的な防御力だ。
両足から伝わって来た感触は、凄まじい反発力を内包したゴムで包んだ、鋼。生身の肉体が持ちうる性質からは、余りにかけ離れていた。
この防御力の前に致命傷を与えられず、無念の敗退を喫した主従も、予選の中には多かった事が、ベルゼバブには窺えた。

「――破ッ!!」

 と、カイドウが一喝したその瞬間、彼の身体から突風が発生。
明白な指向性を以てベルゼバブへと向かって行くが、その突風の中に渦巻く、真空の刃――カマイタチの存在を、ベルゼバブは理解していた。

「温い」

 空中で姿勢を整えた後、鋼の翼を、横薙ぎに一閃。
それだけで、岩の塊ですらキャベツやレタスの如く容易く両断するカマイタチの霰が、これらを運ぶ突風ごと破壊されてしまう。

「悪食な事だ。貴様、何を喰らった」

 腕を組み直立する。その姿勢で空中を浮遊しながら、ベルゼバブは言った。

「ンなもん、おれのセリフだ。テメェの方が、よっぽど理解の及ばねぇ何かだぜ」

 ベルゼバブとしては、「余と渡り合えるだけの強さを何処で手に入れたのだ」、と言う思いの方が強かったろうが、
その疑問はどちらかと言えば、カイドウの方が強かった。そしてカイドウの方は、ベルゼバブが今の強さに至れている理由が、てんで理解出来ずにいる。
カイドウが強くなった理由など、シンプルだ。海の悪魔が宿るとされる、悪魔の実。それを喰らい、かつ、その悪魔の実自体がトップクラスの潜在能力を持っていて、
かつ、実を喰らった事に慢心せず己と能力を長年鍛え上げて来たから、に他ならない。そしておまけに、カイドウ自体の素質も高かった事も、忘れてはならない。
何て事はない。鍛えたから、強い。それを地で行くから、カイドウは四皇なのである。真物になる近道も裏技も、この世にない。力を理解し、それを如何伸ばすか。強者へ至る道とは、これを実践する方法一本しか延びていないのである。

 カイドウの骨子は、海賊でありながら近道を好まぬ、真面目なそれであるとすら言える。
勿論、その近道が正しいものであるのならば利用こそするが、全幅の信頼を置いている訳ではない。
SMILEにしてもそうであった。あの主だった用途は下っ端の平均値の底上げ、つまりボトムアップに用いたのであって、
カイドウが信を置く飛び六胞以上の面々には一切使用しなかったし、幹部クラスの面々には全くSMILEの適合者は存在しなかった。
しっかりと己を鍛え、自分の手足で功績を積み重ねる。自身もそのようにして今の地位を勝ち取って来たし、そう言った部下をカイドウは可愛がる。この点に、カイドウの性格や本質が、強く表れている。

 ――してみると、ベルゼバブと言う男は、カイドウからすれば全く理解不能の生き物であった。
このサーヴァントの強さは間違いなくある種の極点に達しており、油断すれば自分だとて喰らわれる事を、カイドウは理解していた。
ベルゼバブが、今の強さにまで至った理由が、全く理解出来ない。練度は申し分ない、どころか、下手をすればカイドウすら上回っている。
だが同時に、鍛え上げただけの要素ではない事もまた、朧げながらに理解している。

 ――……こいつも、混じってねぇか……?――

 悪魔の実、と呼ばれる珍奇の果実は、それこそ生涯を海賊として貫き通したカイドウですら、その全数と全貌を把握出来ない程であった。
しかし、悪魔の実の数が星の数程あれど、この実には一切の例外がないルールが幾つか存在する。それこそが、悪魔の実は大別して三種類しか存在しないと言う厳然たる事実。
超人系(パラミシア)、動物系(ゾオン)、自然系(ロギア)。全ての悪魔の実は、この三種の内のどれかに属し、カイドウの場合はその内の一つ、動物系悪魔の実を喰らっている。
動物系、つまり、本来人間である生命に、他の動物の性質を宿させる実だ。数ある悪魔の実の中で、喰らえばその時点で身体能力が跳ね上がるのは、動物系のみ。
ライオンの力を宿した実を喰らえばライオンの噛筋力を、恐竜の力を宿した実を喰らえば恐竜の膂力を。インスタントに、得られる訳だ。
カイドウの場合は、悪魔の実全体を通してみても特にレアとされる、幻獣種、より詳しく言えばウオウオの実モデル青龍と言う、動物系どころか悪魔の実全体を見ても、上澄みの実を喰らっている。

 生身に動物の力を宿す実を喰らい、それを極限まで練り上げて来たカイドウだからこそ、解る。ベルゼバブも、同じクチだ。
但し、世界観の違いがある為、悪魔の実を食した訳ではないのは明らかだ。このレベルの存在、いようものなら世界中で噂になる。
何か異なる生命体の力を取り込んでいるのは確かなのに、それが何か解らない。或いは、本当に、神でも喰らったのかも知れない。そうであったとしても、不思議はない。目の前の、ベルゼバブであるならば。

「殺してバラせば解るか」

 金棒を、肩に背負って構え、カイドウが言った。どうあれ――こいつを殺せば、解る事だろう。

「その強度は、興味深い。身体を腑分けして、検証してやろう」

 同じ事を、ベルゼバブも考えていた。似た者、どうし。

 金棒に覇気を込め、片手で思いっきり、横薙ぎに振るうカイドウ。
届かない。金棒の範囲よりもベルゼバブは離れているからだ。だから、当たらない、と言う考えでは、即死する。
そう言う楽観的な考えでカイドウに敵対して来た者は皆、今、金棒から放たれたような怒涛のエネルギーと覇気のうねりに呑み込まれ、身体中を粉々に爆散されて、死んでいったのだから。

 無数の海賊船を海の藻屑へと沈めて来た、まさに、透明な津波そのものとすら言える覇気とエネルギーの波濤。
ベルゼバブはこれに対し、なんて事はない。サマーソルトキックの一発で迎え撃った。脚部と、エネルギーの波がぶつかり合う。
この世のものとは思えない大音と、激震が鬼ヶ島をうち叩く。思いっきり叩かれたドラやシンバルみたいに鳴動する鬼ヶ島に対し、ベルゼバブは、涼しい顔をしている物だった。堪えている様子が、欠片もない。

「意趣返しだ、くれてやる」

 サマーソルトの体勢から戻るよりも前に、ベルゼバブは――厳密に言えば、彼の鋼の翼の一片が、剥離して行った、その刹那。
一瞬にしてその破片は、一つの形に転じて行く。破片よりも、遥かに体積が大きい。カイドウは、変じたそれを見て、弦楽器を連想した。
ブラックマリアが、弾いていそうな代物だ。だが、彼女が引いていそうな三味線とは全く趣をそれは異にする。例えて言えば、その楽器は、リュートだった。
いや、厳密に言えばリュートですらないのかも知れない。それはそうだ。

 ――リュートは、その楽器本体の周りに、乱気流など生じさせない。
ベルゼバブが生み出した楽器……、厳密に言えば、アストラルウェポンの一つ、『イノセント・ラヴ』。その楽器の周りだけ、見えない何かの流れが生じているらしい。その流れに沿って、煙は楽器を避けて行くのだ。

 ひとりでに、楽器が掻き鳴らされた。
聞くだに心が洗われるような、清らかで、心地の良い旋律と共に生じたのは、スプーンでゼリーやプリンでも掬うが如くに、地殻を捲り上げさせる程の勢いの、竜巻だった。

 重さにして数tにも匹敵する岩塊ですら、パン屑の如く巻き上げられているにもかかわらず、当のカイドウは平然そのもの。 
岩が身体にぶつかる――岩の方が砕ける。
当然と言わんばかりに、竜巻内部に生じているカマイタチが迫る――薄皮一枚、裂けやしない。
最早それ自体が、対軍宝具として機能する程の大嵐の暴風域に、カイドウは当たり前のように直立し、攻撃の機会を伺っている。

「嵐を泳ぐ龍に、竜巻は効かねぇ」

「蹴りなら効くだろう」

 その、自ら生じさせた大嵐を突き抜けて、ベルゼバブが、カイドウ目掛けて音速超のスピードで滑空。
右足に、この嵐を生じさせた武器である、イノセント・ラヴが付随していた。件の神器を付けたこの状態のまま、ベルゼバブは強烈なソバットを、カイドウの鳩尾目掛けて叩き込んだ。

 カイドウを呑み込んでいた、直径にして数十m余りの竜巻。
これを容易く呑み込む規模の超巨大竜巻が、イノセント・ラヴが蹴りの衝撃で爆ぜたのと同時に、巻き起こった。直径にして、二百m超。
内部に生じているカマイタチは、それ一つが最早、凶悪な宝具の攻撃そのものと換算しても間違いないものへと変貌。
山の峰にすら、消えぬ裂け目を生じさせる範囲と威力を内包する、凄まじいものとなっていた。

 外野、百獣海賊団の面々は、竜巻の中にいるカイドウとベルゼバブの姿が、見えずにいる。
見えないで、当たり前だった。天高くまで巻き上がる砂煙は覿面に視界を遮るスモークと化すのだし、そもそもキングとクイーンを除いた他の面々は、
鬼ヶ島内部に避難し、僅かに設置された窓や穴から彼らの戦いの様子を眺めているに過ぎないのだから。それだけにとどまらず、カイドウとベルゼバブが戦っている、
まさに爆心地から彼らは一㎞超も離れているのだ。『これを越えて二名が戦っている現場に近づくと、戦いの余波で死ぬ』からである。
キングとクイーンにしたとて、カイドウとベルゼバブの居る場所から500m程は離れて注視している。これ以上は、大看板であっても危険空域である、と言う事だった。

 嵐を突き破って、一つの塊が飛び出して来た。
それが、ベルゼバブである事に気づいた者が、果たしてどれだけいた事か。
自らの意志で出て来たと言うよりも、不可抗力によって出ざるを得なかったと言う飛び出し方だった。
空中で身体を捻らせ、一回転、二回転。姿勢を制御した後に、鋼の翼を羽ばたかせ地面へと急降下。左手と両足を岩盤の地面に接地させ、吹っ飛んだ勢いを全て殺しきる。地面に、靴と指とでブレーキを掛けた、抉れと削れの跡が刻み込まれていた。

「確かに……効いた蹴りだった」

 竜巻が止む。カイドウが、一本の巨木の様に立ち尽くしていた。
あれだけの規模の竜巻の内部にいながら、彼の身体には目立った外傷が殆ど見受けられなかった。
……ただ一つ、ベルゼバブのソバットの直撃を受けた鳩尾。其処にだけは、ジワリと、赤い血が滲んでいて、痛々しい打撲の跡が確認出来た。

 ベルゼバブの場合、左掌の皮膚が裂け、其処から血がポタリと滴っていた。
これは、ソバットを受けたカイドウが、カウンターとして繰り出した金棒の一撃を、左手で受け流し――しかし、完全に威力を殺しきる事が出来なかった結果、
吹っ飛ばされたと同時に負った傷だった。この程度のダメージで済んでいる事が、奇跡だった。彼でなければ、腕の骨が折れるどころの話ではなく、金棒に触れたその瞬間に、背骨が枯れた枝の様に圧し折られていたのだから。

「木偶の棒め」

 姿勢を正し、血を流す掌に力を込めるベルゼバブ。
如何なる術理が働いたのか、見る見る内に傷口が塞がって行き、回復してしまう。

 カイドウとベルゼバブ。両名に許された、休息の時間は僅かに呼吸一回分のみ。
それで、十分なのだ。今までの攻防による疲労、呼吸の一回で、帳消しに出来る、と言う事なのだから。

 ベルゼバブが展開している鋼の翼、その左翼部分から、ナイフの剣身のような形状をした羽が複数、舞い落ちて行く。
それは、数十㎝程落下した所で、輝きと共に体積と形状を激変させる。ゼロカンマ秒の速度でその羽は、白樺を削って誂えてみせたような、光り輝く美しい槍に変貌していた。
ランスと言うよりはスピアと言うべき形状をしているそれは、見る者に、半神の英雄が振るうが如き神韻を感じさせる程の、神々しさを与える業物だ。
だが、この魔王が生み出す武器に、神々しいものなどありはしない。徹底して、必殺の武器、殺しの道具、殺戮の機構。生み出した槍の銘が例え、『ロンゴミニアド』であったとしても、この事実は、揺るぎようがないのである。

「此処からだ」

 ベルゼバブのその言葉を、カイドウは、額面通りに受け取った。
虚勢でも何でもない。カイドウも本気を出してないように、ベルゼバブもまた、あれだけ暴れておいて本気ではなかったのである。

 ロンゴミニアドの複数が、ベルゼバブの近辺から消失。恐るべき鋼翼の魔王の近くに、一本のみを残す形となる。
その一本。照準をカイドウの方に合わせた光槍が、その輝く穂先から純白の光条を射出して来た。音の、十倍。

「遅ぇ」

 見聞色の覇気を用いる事で、ある程度の先読みは出来ていたらしい。
破滅的な速度で迫るレーザーを、身体を半身にする事で回避する。確かに、一本までなら――カイドウならば――回避は容易いだろう。では――それが無数に存在したら。

 カイドウが今避けたような光線が、まさにあらゆる角度から放たれた。
背後、左右、頭上。果ては、鬼ヶ島の内部から岩壁を貫いて。レーザービームが、カイドウの巨躯へと殺到して行く。

 これをカイドウは、手にした金棒を、両手に握った状態で、振るった。
生じた風が、鬼ヶ島を象徴する髑髏の山に直撃し、巍々たる岩山を鳴動させる。起こっていたのは風だけじゃない。衝撃波も、また。
遅れて激突した衝撃波は髑髏の岩山に直撃するや、山の巨大な外殻を容易く削り取り、粉砕する。
天すらも揺れるのではないかと言う轟音と、真実、大地を轟かせる程の激震が鬼ヶ島中に走り抜ける。
ただの素振りでは、なかった。振るわれた金棒に込められた覇気は、レーザービームの軌道を捻じ曲げ、あらぬ方向へと逸らさせて行く。
放たれた光の悉くが、カイドウの身体に掠りもしない。空に向かって関数の曲線の様に飛んで行くものもあらば、地面に向かって沈んでゆくものもあるし、カーブを描いて逸れて行くものもある。それはまるで、カイドウと言う一つの巨頭に、恐れをなしているかのようだった。

 ――唯一、カイドウの威力に恐れを成さなかったものがあるとすれば……、『空間転移を以て一瞬で距離を詰めて来たベルゼバブ』位のものであった事だろう。

「オオッ!!」

 カイドウの胸部の高さを浮遊するようにして現れたベルゼバブは、右手に握っていたものを振りぬいて来た。
斧、だった。木を切る為、そんな牧歌的な目的の為に作られたそれには到底見えない。と言うより、戦いの為に作られたようにも見えなかった。
宛らそれは、神に捧げ奉る、宝物か神器のようにも見える。或いは、地上に於いて姿を持たぬ無形の神が、形代として憑依する為の、御神体か。
平伏したくなるような威厳を醸し出すその斧は、湾曲した形状が特徴的な刃で、しかも、その刃の部分はルビーの様に赤熱していた。『ソル・レムナント』。そうと呼ばれる、武器であるらしい。

 斧――ソル・レムナントが、岩山のようなカイドウの胸部に突き刺さる。
明王の胸筋に、僅かに食い込んだとみるや、斧そのものが、砕け散った。壊れたのではない。
ベルゼバブ自身が、ソル・レムナントの耐久力を超えた力で振るって、『わざと壊したのだ』。
壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)。この原理をベルゼバブは完璧に理解していると同時に、自信の鋼の翼で生み出した、宝具級の礼装なら、これが可能だと踏んだのである。

 プロミネンス、と見紛う程の巨大な火柱が、カイドウが佇む地面を割って噴き上がり、ベルゼバブごと呑み込んだ。
当然の様に、ベルゼバブには炎が通じていない。寧ろ、炎がベルゼバブのみを的確に避けているからだ。
つまり、壊れた幻想によって生じた、摂氏6000度超の焔は、カイドウのみを的確に焼いていると言う事になる。
地球上に存在するあらゆる物質をプラズマ化させるレベルの極熱の中に晒されて尚、カイドウは、大したダメージを、負っている様子すらなかった。

「フンッ」

 金棒を、フルスウィング。
台風と見紛うばかりの突風と、核の炸裂に例えられる程の衝撃波が再び巻き起こる。
生じたプロミネンスは、突風と衝撃波によって雲散霧消。攻撃の掻き消しと同時に、カイドウのこの一振りは、攻撃をも兼ねていた。
金棒は音を遥かに置き去りにするスピードで、ベルゼバブの下へと向かって行くが、これを瞬間移動でベルゼバブは難なく回避。
カイドウの背後に回ったベルゼバブは鋼の翼を首元目掛けて打擲しようとする、が。
迅雷の如き速度で振り返ったカイドウが、その振り向きの速度よりも更に速く、金棒を一振り。激突する、鋼翼と鬼の金棒。
またしても、島を激震させる程の衝撃と轟音が響き渡る。互いの攻撃は全くの互角の威力であったらしく、翼と金棒は、鍔迫り合いの体を成していた。

 5秒程、その様な状況が続く。
拮抗の時間を打ち破ったのは、ベルゼバブが先程生み出し、各所に展開していた、ロンゴミアド。
これらを壊れた幻想にする事で、蟻の這い出る隙間もない、と言うレベルの密度で、白い熱線の驟雨が放たれた。
その総数は最早、千や二千で効く数ではなく、数える事すら愚かしい程の本数に至っていた。

 一切の逃げ場がない。上下左右は勿論、頭上からすら、鋼をも容易く貫通するレーザービームが、弾幕のように迫り来る。
何て事はない、カイドウはこれを、身体に武装色の覇気を纏わせる事でガード。……いや、正確に言えば、カイドウがやったのは覇気を纏っただけだ。
防御の構えらしい構えは一切取っていない。ノーガードだ。にもかかわらず、ロンゴミアドの光条は……、一切カイドウの身体にダメージを与えない。
表皮を、軽く炙る様に焦がしただけ。数千条ものレーザービームが与えたダメージは、その程度に終わったのだ。

「憎らしい程の頑健さだ」

 ベルゼバブが空間転移を行い、カイドウから百m程離れた所まで距離を取る。
だが、見聞色の覇気により、転移先を先読みしていたカイドウは、ベルゼバブが現れた先に既に手を伸ばしていた。
指を猛禽の爪に見立てて、曲げているその様子はまるで、龍か虎の口を連想させるみたいであり――

「熱息(ボロブレス)」

 其処から、炎が射出された。
否、それは最早炎を一束に纏めた、破壊光線とも言うべき装いで、少なくとも、吐息(ブレス)と呼ばれる類のモノでは断じてあり得なかった。
何て事はない。カイドウは、龍の姿に変身せずとも、況して、口からでなくとも――この技を、如意自在に放てるのである。

 放たれた熱息が、此方に直撃する、そのタイミングに合わせて、ベルゼバブは乱雑に左腕を振るった。
百獣海賊団の誰もが、悍ましいものでも見る目でベルゼバブを見た。当たり前だ。山の頂すら吹っ飛ばす熱息を、腕の動作だけで弾き飛ばしたのだ。人の技では最早ない。
大看板の面々ですら、若干引いている目をしている中で、カイドウだけが、狂猛の笑みを浮かべて、ベルゼバブを眺めていた。
それは無限の宝を前にした略奪者の笑みでもなければ、絶望の姿を露わにする弱者を見て恍惚とする変態の笑みでもない。
戦闘の悦楽と戦争の狂楽に酔いしれる、戦争狂の笑みであった。

「惜しいな……」

「何?」

 クツクツと笑うカイドウに、ベルゼバブは、理解が及ばなかった。

「此処でテメェをぶっ殺しちまう事がよ。おれの思い描く理想の戦争……テメェなら良い駒になれると思ったんだがな」

「駒……? 貴様が如き羽虫が、余を御するとでも? 片腹痛いぞ、思い上がるな」

 カイドウの方へと歩んで近づいて行くベルゼバブ。
ベルゼバブはカイドウと戦ってから、決定打を打てていない。全ての攻撃を、何らかの形で対応されているか、ノーダメージに近いレベルで防がれている。
だがそれは、カイドウにしても同じで、ベルゼバブの気勢を挫く事も、彼に対してダメージを与える事もままならないでいる。
互いが、互いの強さを最早十分すぎる程に理解している頃合いだ。にも拘らず、ベルゼバブの足取りには一切の迷いもない。勝つのは、我。そうと信じて疑わぬ、確固とした歩みを以て、カイドウに向かって、ただ歩む。

 カイドウの方が、地面を蹴って、距離を詰めて来た。
今まではベルゼバブの方が、受けに回っていたカイドウを攻め立てると言う構図だったが、今回は真逆だった。
9mを超す図体に、数百㎏を上回る体重。巨人そのものと言うべきその巨躯からは、想像も出来ない程、カイドウは軽捷だった。
数tの金棒を手にしていてなお、その速度は、時速に換算して700を優に越していた。

 金棒を上段から振り下ろすカイドウ。
脳天から、それをベルゼバブは受け止める。脳漿と頭蓋、脳髄が花火の様に飛び散る、凄絶極まる勝利の光景を、カイドウが目の当たりにする事はなかった。
ベルゼバブの頭頂部と金棒が触れた瞬間、夢幻の様に、彼の姿が消失したからだ。超スピードによる残像の類ではない。
五感すら惑わし掌握するレベルの、強力な幻術。それによって生み出された、幻影の類だった。

 ――勿論、目の前にいたベルゼバブが幻影であった事など、見聞色の覇気でカイドウは理解していた。
だからこそ、幻影を破壊した上段からの振り下ろし、それを地面に激突させるよりも速く、急激に軌道修正、左方向に振るわせたのである。

 激突する、金棒。攻撃を迎え撃ったのは、ベルゼバブが持つ杖だった。
全長にして、ベルゼバブの身長と同じ程。白磁のような色と艶の柄に樹木が巻き付いたような意匠の杖であり、それを特異点達は、『ユグドラシル・ブランチ』と呼んだのである。

 杖を正しく、目にも留まらぬ速さで振るいまくるベルゼバブ。 
振り下ろす事もあれば、振り上げる事も、右薙ぎに振るう事もあったし、袈裟懸けにする事もあるし、突いてくる事も。変幻自在の攻め手だ。
カイドウの方も、金棒でそれをいなすや即反撃に打って出るが、ベルゼバブはこれを、もう片方の腕で握った白い槍、ロンゴミニアドで受け流して防御する。
ベルゼバブの攻撃に、ロンゴミニアドによる光線の照射も混ざり始めた。心臓、頭部、肝臓、脊椎等々。人体においての急所目掛けて、寸分の狂いなく純白のレーザーは向かって行く。
これをカイドウは、金棒を片手に持ち構え、残った側の手でレーザーを弾く事で防いでいた。究極、極限とまで言っても差し支えないこの攻防下で、
攻撃と防御を並列して行える、この判断能力と反射神経。尋常のモノでは、断じてあり得なかった。

 殆どゼロ距離に等しい間合いで、ロンゴミニアドを壊れた幻想に用いるベルゼバブ。
砕けて散った槍の破片、その一欠けら一欠けらから、レーザービームが照射される。その数、1459条。
無数のレーザーが、カイドウの胴体に集中していく。そのまま全部直撃すれば蜂の巣どころか、胴体が消失する所だろうが、武装色の覇気を纏わせて容易く防御。
レーザーを受けても、カイドウは止まらなかった。ロンゴミニアドの壊れた幻想、それによって生じたレーザーを受け止めながら、カイドウは攻撃を叩き込んだ。
この一撃と、ユグドラシル・ブランチによる痛烈な一撃が、激突。余りに強烈な衝撃の為、カイドウもベルゼバブも、仰け反った。

「チィッ……!!」

「羽虫めが……!!」

 ベルゼバブの方は、インパクトの強さに杖が耐えきれなかったのか、中ごろから圧し折られてしまい、そのまま魔力の粒子となってそれが消滅して行く。
瞬間移動を行い、カイドウから距離を取るベルゼバブ。戦っていて解ったが、カイドウは恐らく、金棒を振るうだけのバカではない。
本当はもっと、多彩な攻め方を有している筈なのだ。それは、カイドウの中で混ざり合っている、超常生物の因子に絡んだ攻撃だ。
熱線を放つ、カマイタチを放つ。このような攻撃を、本来あのライダーは多数有していて、そのどれもが並大抵のサーヴァント相手なら、オーバーキルを免れ得ぬ威力なのだろう。
何故、ベルゼバブ相手にそれを用いないのか。単純な話だ。『それらの攻撃が決定打に絶対にならない事をカイドウ自身が理解している』からだ。

 カイドウの攻撃の中で最も威力が高いのは、『自身の五体を用いた直接攻撃』。ベルゼバブは確信していた。
山を破壊する熱線、岩石や鋼すら切断するカマイタチ、大地を叩き割る稲妻。そう言った現象を用いた攻撃よりも、金棒で殴る攻撃の方が、カイドウは強いのだ。
それを理解しているからこそ、カイドウはベルゼバブ相手に執拗に金棒で殴り倒そうとするのだろう。カイドウが愚直な訳でも、馬鹿なのでもない。
『ベルゼバブを倒すに最も相応しい攻撃のみを選んでそれを徹底しているからこそ、傍目から見れば金棒を振るうしか能がないように見える』だけなのだ。

 簡単に倒せる手合いではない。
それは、今この状況に至るまで、ベルゼバブもまた、カイドウを相手に決定的な一撃を叩き込めていない事からも明らかだ。

 ――チッ……この状況、あのクソランサーの方が有利だな……――

 それは、実力的な意味ではない。カイドウと、ベルゼバブ。実力で言えば伯仲しているとすら言える。
誰が負けてもおかしくないし、共倒れでも不思議はない。状況的な意味で、この戦い、カイドウの方が不利だった。

 カイドウの持つ宝具である、『明王鬼界・鬼ヶ島』……つまり、ベルゼバブと鎬を削っているこの鬼ヶ島の事だが、
これはカイドウと言うサーヴァントをライダークラスに召し上げている要因でもあり、再現された生前の部下達が跋扈する鬼城なのである。
語るまでもなく強力な宝具であり、現実世界に展開出来るだけの魔力プールを用意出来たのならば、その時点で勝負ありが確定するレベルなのだ。

 ――このままでは鬼ヶ島が、一度たりとも東京にその威容を知らしめる事無く崩壊する。
鬼ヶ島の崩壊は、強力な宝具の消滅に留まらない。それは即ち、今の段階での魔力総量では、鬼ヶ島内部でしか生きられない百獣海賊団の面々全員の死を意味する。
そもそもの話、鬼ヶ島の破壊を憂慮する事になるとは、カイドウとしても予想外の出来事だった。鬼ヶ島は、巨大な岩山の中の城の事である。
自然による堅固な要塞に加え、悪鬼羅刹による警備体制はまさに盤石。如何なる軍師が編み出す神算鬼謀をも跳ね除けるし、外部からの対軍・対城宝具だとて、
無傷にやり過ごす。攻略不能・破壊困難。拠点を再現する宝具、と言う観点に於いては、正しく一つの到達点に達している宝具なのだ、鬼ヶ島は。

 それが、こうも容易く破壊される。百獣海賊団の構成員達が、ボロ屑の様に殺されていく。
ベルゼバブは、強い。鬼ヶ島を破壊出来るサーヴァントなど、それこそ数限られる。その限られたサーヴァントが自分以外にも存在して、しかも、
こんな早い段階から攻めてくるなど、誰が予想出来よう。戦いは、水物。いつ何が起こるか解らない、これをカイドウはかなり最悪に近い状況で思い知らされていた。

 カイドウにとっては、鬼ヶ島の崩壊させてまでベルゼバブを討ち取るか。別のアプローチをとるか。選択肢はこの2つに1つだった。
……酒に酔っていたのなら、最悪の選択肢をカイドウは選んでいただろう。数千を越す頭数の配下及び、この1か月もの間皮下が努力して拵えて来た、
諸々の下準備の全てを台無しにしてでも、ベルゼバブとの戦いを愉しむ。そんな未来も、状況によっては選んでいた。
今は違う。酔いが回っていない今のカイドウは、数千名の海賊達を率いる総督、四皇の一柱。神よ魔よと畏怖され、そのものの如くに敬意を払われて来た魔人なのである。
故に、知略を巡らせるだけの頭脳の冴えを、維持出来ている。カイドウが選んだ選択肢は、何としてでも、ベルゼバブをこの鬼ヶ島から退散させるか、殺すか、だった。

「おれは今まで、この聖杯戦争で、戦う相手戦う相手、1分と経たずにぶっ殺して来た。常勝無敗だった、って訳だ」

 一匹だけ、取り逃したサーヴァントがいたにはいたが、客観的に見て、アレをカイドウの敗北だと捉える者は先ずいなかろう。誰が見ても、カイドウが圧勝していた戦いだった。

「人間の中では、それなりにやる事は認めてやる」

「勝ちっぱなしだったからよ、冷静に考えれば、聞いた事がなかったのよ。他のサーヴァント共が、何を考えて聖杯を獲ろうとしてるのかをな」

 当然と言えば当然だし、余りにも前提条件が過ぎるので、誰も疑問にすら思わない事柄だ。
聖杯戦争に呼ばれている以上、そのサーヴァントは何かしらの願いがあって聖杯戦争の檜舞台に導かれている筈なのだ。
カイドウとて例外じゃない。自分の強さを誰しもに解りやすい形で喧伝する事が出来、カイドウであっても壮絶に散らざるを得ない、大戦争(アーマゲドン)。この勃発こそが、カイドウの目的であり、悲願だった。

「他の有象無象、雑魚共の願い何て知らねぇがよ。テメェの願いとやらに興味がある」

 カイドウですら認める他ない強さの男、ベルゼバブ。
此処まで強いのに、界聖杯を巡る聖杯戦争に参加しているという事は、鬼神の如きこの強さがありながらそれでもなお叶えたい願いがあるからに他ならない。
これだけの強さを得ていながら、この魔王は、何を渇望しているのか。如何なる星に、手を伸ばそうとしているのか。生前に叶えられなかった理想とは、何だったのか?
それが、知りたい。界聖杯は、この男のどんな欲望を、煽ったと言うのか。

「願いは何だ? 女か? 金か? 二度目の人生とやらか? 生前の後悔をこの戦争で晴らすとかかよ?」

「余の目的は、常に一つ」

 両腕を、仰々しく広げて見せ、芝居がかったような素振りを見せた後で、ベルゼバブは、言った。

「――最強」

「は?」

 予想していなかった言葉に、カイドウは思わず、そんなリアクションをとってしまった。

「全てを掌握し、支配する、万物万象の頂点。全にして、一なる者。それこそが余の望みよ。余は、全ての力を手に入れ、最強の存在に……絶対者になる定めが与えられている」 

「はぁ~~~~~~~~~……」

 遠く離れた大看板達にも聞こえてくる程の、カイドウの、ドデカい、溜息。 
はぐらかされる可能性も考えていたし、戦う事が望みだと言う返事も読んでいた、手あかのついた陳腐な願いだと言う筋も捨ててはなかった。
……此処まで、単純かつ幼稚願いだとは、誰が予想出来た事だろう。余りに、頭が悪すぎる。
小難しい言葉をどれだけ並べ立てようが、言っている事はとどのつまりは『世界征服』。子供の御伽噺に出てきそうな、魔王様の目的を大真面目にこの男は叶えようとしているのだ。

「……馬鹿みてぇだ」

 それは、ベルゼバブの余りにもあんまりな理想に対しての言葉だったか。
或いは――彼相手に、提案を持ちかけようとした、自分に対しての言葉だったのか。

 調略も、カイドウは得意とする。
ベルゼバブの願いを問うた上で、その願いに纏わる『餌』を用意して、共闘か、同盟に近い関係を結ぼうと言う考えも、憤懣やるかたなくはあるが、候補としてあった。
こんな願いの前では、策略も腹の探り合いも、全く意味がない。何故なら、この魔王の願いには『妥協』の介在する余地がないからだ。
四皇として。最強の海賊の一角として。その名が伊達でも張りぼてでもない事をその実力を以て証明していたカイドウには、解る。
妥協と落としどころを探る者には、頂点は獲れないのだ。最後の最後まで、夢を捨て切れず、諦めず。どんな道でも歩き続け、どんな荒海や大嵐の中でも帆を張れる。
そんな者にしか、最強の座は掴み取れない。ベルゼバブの願いが最強に至る事であるのならば、カイドウと手を取り合うなどと言う選択肢は万に一つもあり得ない。何故ならカイドウの願いもまた、形は違えど、最強になる事であるから。

 ――“海賊王”になる男だ!!――

 ――それは、嘗ての昔、カイドウに対して跳ねっ返って来た、一人の恐れ知らずの若造が、恥知らずにも口にした言葉。
幾ら痛めつけても。力の差を見せつけても。信じられない諦めの悪さを見せつけ、その都度立ちはだかって来た、カイドウからしてみればケツの青いひよっこ。
年齢も違う、体格も違う、況して、アレと同じ人間か如何かすらも解らないベルゼバブと、ルフィと名乗ったDを冠する小僧。その姿が、カイドウには重なって見えてしまったのだ。

「とんだ巡りあわせもあったもんだ」

 自分の脅しに屈しなかった、ヤマトを名乗る若造。
そして、今自分の目の前で、信じ難い程の強さで立ちはだかっている、あの憎らしいゴム小僧と姿が重なって見える、ベルゼバブ。
海賊は大なり小なり、験を担ぐ者が多い。元が、まともな仕事に就くのが嫌だから志す者も大勢いる、馬鹿の稼業だ。
論理も何もあったものじゃない迷信や信仰を、大事にする海賊団も大勢いる。蛸は深海に住まう生き物であり、その足で船を引きずり込むからと言って、
周囲数百里に島一つない海のど真ん中に放り出されても蛸だけは口にしないと言う誓いを立てていた海賊もいる程だ。
そんな海賊達の中にあって、カイドウは神仏の類も信じていないし、迷信深くもない手合いの海賊だが……今この瞬間、運命や縁と言う物は、あるのだろうと思った。
神でもなければ、このような、皮肉めいた邂逅を、用意出来る筈がない。海賊の神と言うのは、成程、どうして性格が最悪であるらしかった。

「この世に王は二人といらねぇ」

「ああ、その通りだな」

 覇王は、二人もいらない。
最強とは、一人しかなれないのだ。二人とも同じ最強では、最早それは最強ではないのだ。その考えは、カイドウも、ベルゼバブも。同じだった。

「テメェが消えろ」

「貴様が去ね」

 ベルゼバブとカイドウの姿が共に掻き消えた。
小細工抜きだ。両者共に、鬼ヶ島の大地にクレーターが生じる程の力で踏み込み、音が遅れて聞こえる程の速度で移動。
あ、の一音口にするよりも速く、互いの攻撃の間合いに入った二人。ベルゼバブは鋼の翼を横に振るい、カイドウは金棒を下から掬い上げるように振り上げた。

 ――攻撃の激突と同時に、翼と金棒の衝突箇所から、『赤黒い稲妻』が迸っていた事に気づいた者は、何人いようか。


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最終更新:2021年11月10日 23:39