……すまない。俺は、君達に嘘をついた。
俺はもう、君達の元へ戻るつもりはない。
君達のプロデューサーは死んだものと思ってくれて構わない。
俺は『彼等』と共に全ての役割を遂げて、全ての結末を見届ける。そう決めた。
何を言っても言い訳にしかならないし、許してくれとは言わない。
だがこの道しか、俺は今まで自分が犯した間違いと折り合いがつけられない。
だから、この選択に後悔も諦めもない。
短い間だったが、君達の元で働けて幸いだった。
そして―――これでお別れだ。
…………………
…………
……


―――時は、暫し遡る。



               ▼    ▼    ▼



「黄金時代ちゃんのサーヴァント、まだかな……」


品川区、プロデューサー宅付近の路地にて。
割れた子供達の構成員、竜宮レナは同盟相手のサーヴァントを待っていた。
時刻は19時前。夏のしぶとい太陽もいよいよ洛陽の時を迎えていた。
だが先程起きた地震の影響か、待ち人は未だに姿を現さない。



「焦っちゃダメ。向こうにはサーヴァントがいるんだもん。
私一人が突っ込んだってどうにもならない」


虎の子の地獄の回数券は渡されているが、相手は忍者を超える正真正銘の怪物だ。
挑み、帰ってこなかったものは両手の指では足りない。
その事実が、逸りそうになるレナの心にブレーキをかけていた。
だが、数分前に入ったガムテの通信では標的は出かける準備をしていると言う。
食事などならいいが、明らかに誰かに会うための準備との事だった。
急がなければ、好機を逃してしまうかもしれない。
まだか。まだか。腕に嵌めた時計に視線を映した、その時だった。
どろりと、己の直ぐ近くで泥がはじける様な音が響いたのは。



そして、世界から音が消えた。


「ンンンン、失敬。遅くなりましたな。羽虫が一匹様子を伺っていたものですので…
拙僧はアルターエゴ、どうぞリンボとお呼びください」


―――来た、間違いない。
弾けた黒い泥の先に現れた、白い肌の偉丈夫。
ねばつく泥の様な存在感。この男こそ、黄金時代のサーヴァント。
その足元には、極道と思わしき狒狒面の男が目を見開いて事切れていた。
リンボと名乗った男が柏手を一つ討つと同時に男の亡骸が泥に包まれ消え失せる。
その尋常ならざる光景に思わず気おされそうになるが、心を落ち着かせてレナは尋ねた。


「……いいえ、構いません。黄金時代ちゃんから話は聞いてますか?」
「ええ、仔細という訳にはいきませぬが――拙僧の役目などは」
「そう、ですか。なら直ぐに―――」
「何、急いては事を仕損じましょう。一先ず、仔細を教えて頂けます哉?」
「……?今はそれよりも―――」

悠長なリンボの言葉に、レナは訝し気な声を上げた。
確かに自分は任務遂行のために、ガムテや解放者から犯罪卿や283に纏わる情報を渡されている。
だが、それを説明している時間はない。
第一、おいそれと教えられる事でもないのだ。
ただでさえ、今割れた子供達は情報漏洩に過敏になっているのだから。
しかしリンボはニヤニヤと拒否の言葉にも笑みを深めるばかり。
悪意の坩堝の様なその顔を見て、本能的な危機感からポケットのヤクに手が伸びる。
だが、所詮はNPC。できたことはそこまでだった。
既にそこは邪悪なる陰陽師の間合いだったのだから。
視界が歪み、意識が朦朧とし、何も考えられなくなる。
木偶になった少女を眺めながら、リンボは満足げに語り掛けた。


「何、心配せずとも話を伺うのみに御座いますれば
仔細を承知している方が拙僧としても御役目を果たす士気が上がるという物」


彼は、何処までも面白い事があればその中心に立ちたがる手合いであった。




               ▼    ▼    ▼



七草にちかと約束した時間は20時。
確実に陽が墜ち、ランサーが行動可能になる時間帯だった。
無論の事だが、現時点で彼女と事を構えるつもりは毛頭ない。
例え彼女が、俺の知っている彼女ではなかったとしてもだ。
だが、相手のサーヴァントはどうなのか分からない。警戒するに越したことはない。


「……そろそろ、準備しないとな」


待ち合わせの時間まであと一時間余り。
外を見れば少し前に起きた地震の影響か。
自衛隊や消防救急の車両がせわしなく動き回っていた。
陽の堕ちた夜空も、普段の様子は明らかに違っていた。
今までずっとにちかの無事を確認するのに必死になっていたが、後で何があったか確認しておかなければならない。
……本当は、サーヴァント間の衝突によって先程の地震が起きた可能性が脳裏を過ったが、直ぐに考えるのを辞めた。
幾ら何でも、そこまででたらめな怪物が競争相手にいるとは考えたくなかったからだ。
思考を切り替え、時間には十分間に合うが手早く準備に取り掛かる。
髪を軽く整髪剤で整え、顔を洗い、髭を剃り、半袖のワイシャツにてきぱきとアイロンをかける。



―――うーわ…プロデューサーさん、人に会うときは身だしなみくらいしっかりしてくださいよ…


だらしない格好で会えば、こういわれても仕方ないだろうな。
脳裏に浮かんできた彼女の声に苦笑し、靴を簡単に磨きながら思案を巡らせる。
……きっと、これで身の振り方がはっきりする。良くも悪くも、だ。
七草にちか。
俺の、罪の証。
これから出会う彼女は、あの日、俺の前から姿を消してしまった彼女なのか。
そうであって欲しいという気持ちと、こんな場所にいてほしくない気持ちが両方あった。
けれどそれよりも一番心の中を占めていたのは、彼女に会いたいと言う気持ちだった。
ただ会って、言葉を交わしたかった。
そうすれば、あの日からの決して消えない後悔が少しだけ報われるような気がしたから。


「よし、と……」


アイロンをかけたワイシャツに袖を通し、身だしなみを今一度確認する。
疲れ切った顔はそのままだったが、朝よりは遥かに見れる風体になったと言えるだろう。
そして、そんな時だった。
俺のサーヴァントであるランサーが、再び目の前に姿を現したのは。



―――破壊殺、羅針。


現れたランサーはその身体を、冷酷な殺意で満たしていた。
一瞬また何か彼の癇に障ることをしてしまったかと思ったが、その殺意が俺に対して向けられていないことは直ぐに分かった。
何故なら、彼は俺に一瞥も向けようとはしなかったからだ。
その上能力を解放しながら現れるなど、どう考えてもただ事ではない。
どうしたのかと尋ねるより先に、ランサーは口火を切った。


『マスター、敵だ。明らかに此方を狙っている』
「……確かなのか?」
「間違いない。日没前から此方に向けられた闘気は感知していた。
そしてこの闘気は敵サーヴァントでも、マスターでもない。贋作のものだ」
『マスターでもないって…誰かがNPCをけしかけてきてるって事か…?』


背筋に冷たいものが流れる。
予選で自分たちが経験してきた戦いはどれも偶発的な遭遇戦だった。
けれど、今回は明らかに毛色が異なる。
NPCを差し向けて此方を狙わせる、人を動かせる主従。
脳裏に過ったのはもう一人のにちか達が抱えるサーヴァントだが……


『ランサー、そのNPCがどんな相手か分かるか。
逃げるにしても、追い払うにしても、相手の姿は知っておきたい』


こうなると日没直後に数分だけでもランサーを索敵に回しておいて良かったと心の底から思う。
ランサーは直接の戦いだけでなく、優れた探知能力を持っているからだ。
彼の探知能力には予選の段階でも何度も助けられた。
今回も、俺の引いたサーヴァントが彼でなければ突然襲われていてもおかしくはなかった。
だが、それが良い事ばかりを齎すとは限らない。
それをランサーの口から俺は知る事となった。


『に、にちかだって……!?』


背筋に冷たいものが奔る。
ランサーの口から聞かされた襲撃者の風貌は、俺の知る七草にちかそのものだったからだ。
だが、七草にちか本人ではないことは闘気を見たランサーの言から調べがついている。
二人のにちかをマスターとして招いておいて、三人目のにちかをマスターではなくNPCとして配置する可能性は、俺の目から見ても低く思えた。
一瞬NPCとしてこの場所に居たにちかが、誰かに操られてけしかけられた可能性も危惧した。
ランサーが明らかに市井の者の闘気ではないと否定したことでその仮説も棄却されたが。
だが、現状重要なのはそこではない。
重要なのは、襲撃者が俺たちを相当調べ上げている可能性が非常に高いという事だった。
最早偶然の遭遇戦ではない事は明白。でなければにちかに化けてやって来たりなどしないだろう。
此方の顔や人となりも割れている可能性が高いとなれば、逃げ切ったとしても問題の解決にはならない。
待ち受けているのは拠点を喪い街中で知り合いの顔をした敵に怯え続ける未来だからだ。
どうするべきか。
考えを巡らせるが、状況は俺を待ってはくれなかった。


『―――!サーヴァントが到着した様だな。
……こいつは今までの相手とは次元が違うぞ』


その言葉に、嫌でも緊張が走る。
できるだけ消耗を避けたいと思っていた矢先にこれだ。
全く持って、自分の運の無さを呪いたくなる。


『君よりも…か?』
『あぁ、闘気の量だけなら俺を凌ぐ。まだ仕掛けてくる様子はないが――
逃げを討つなら今しかない』


その言葉に、頭を殴られた様な衝撃が奔る。
ランサーよりも、彼よりも強いサーヴァント。
できる事なら居てほしくはなかったが、最悪の仮定はえてして当たるものらしい。
そしてランサーの言葉通り、逃げられる可能性は今しかないだろう。
だが…俺は数秒の逡巡の後、首を横に振った。
逃げても問題は解決しない。現状よりも悪化するのが目に見えている。
となれば、今は腹を括って勝負に出るしかない。
俺は深く息を吐いてから、ランサーに命じた。


『ランサー、打って出よう』


分かっている。この場ではどう考えても逃げを打つのが最もリスクの低い選択だ。
だが同時に攻める事ができるのも今しかない。
すぐさま攻めてこない辺り、相手がまだ此方が気づいていないと思っているであろう今しか。
逃げるだけでは喪い続けるしかない。
にちかが事務所を去ったあの日から、嫌でもそれは理解させられたつもりだ。


『俺たちとは喧嘩するより仲良くした方が得だって、相手に分かって貰おう。
必要なら令呪も使う。先に向けての投資だと思うさ』


反発が来ると思ったが、ランサーの対応は穏やかだった。
ただ一度「よく考えての決断なんだな」と尋ね、俺が頷くともう何も言わなかった。
俺をじっと見つめた後、くるりと身を翻して彼は言った。



「……今まで蓄えた魔力を全て使う。それで五分だ」



ランサーのその言葉に、俺は無言で頷いた。
蓄えた魔力。それは予選でランサーが倒し喰らったマスターやサーヴァントから得た魔力。
その全てをここで使い切る。それほどまでの相手だと、彼の背中は語っていた。
ハッキリ言って、危険な賭けだ。ここまでしても勝てるかどうかは分からない。
…それでも自分たちより強いかもしれない相手と組むならこうするしかない。
勝てるかもしれないが、戦えば深手を負うと思わせられれば、対等に近い立場で交渉できる。
そして強い相手ならそれだけ味方につけたリターンも大きい。
だから、これから死地へと向かう彼に、俺は強く声を掛けた。


「―――あぁ、ランサー、正念場だ。一緒に乗り切ろう」


その言葉を最後に、颯のように戦場へと向かう無言の背中を見送る。
そして、思うのだ。
…何故、最後の戦いに臨もうとしていたにちかにもこうやって言葉を掛けてやれなかったのか、と。
分かっている、そんな言葉を掛けた所で、俺はステージの上には上がってやれない。
彼女と一緒戦ってやることはできない以上、気休めにもならなかっただろう。
だけど…今は違う。
俺にも、ランサーのためにできる事が一つだけある。
手早く財布とスマートフォンだけを握りしめ、俺は扉を空けた。





              ▼    ▼    ▼





「ンンンンンン!素晴らしい。いやはや拙僧のあずかり知らぬ所でそのような座興があったとは」


逢魔が時を迎えた路地裏で悪辣非道たる陰陽師の快哉が響く。
目の前には虚ろな瞳を浮かべた若草色の髪の少女が一人。
彼女の、礼奈(レナ)の忠誠心もリンボの呪術を前にしては無力に等しい。
あまり手を加えては己のマスターの同盟者の怒りを買う恐れがあったため暗示程度に納めたが、それでも効果は絶大だ。
非常に興味深い話を幾つも聞かせてくれた。


竜宮礼奈を始めとする、マスターの同盟者である怨嗟と憎悪に満ちた割れた子供達。
彼らの王が従える怪物が如きライダー。
そして、そんな主従に真っ向から喧嘩を売ったらしい”犯罪卿”とそのマスターと思しき偶像達。
そんな偶像たちを絶望に沈めるための第一の矢として自分が選ばれたのだ。


「えぇ、えぇ。であれば拙僧ほどの適任はおりますまい」


リンボの関心を何より惹きつけたのは犯罪卿の存在だ。
話に聞くだけでも、圧倒的窮地にありながら全てお見通しだと言わんばかりのその態度。
それはリンボにとって世界で唯一の仇敵を想起させるに十分なものだった。
そんな犯罪卿が我が眼の光を喪い、絶望の大海に沈む姿を想像するだけで胸がすくような思いだ。
できる事なら、これから襲う男のサーヴァントではなく偶像たちのサーヴァントであればいい。
そして、これから襲う男が偶像たちと深い関係で会ってくれればなおよい。
其方の方が収穫できる悲痛と絶望も、より甘美なものとなるだろう。


「ンンン!やはり仕事の背景を知った方が士気も上がるというもの―――」


ではいざ、哀れな子羊を狩りにいくと参りろうか。
余り趣味に傾倒しているとマスターからお叱りを受けかねない。
愉悦に唯浸るだけでなく、仕事も完遂するのが一流のサーヴァントだ。


「―――ッ!?あ、あれ……礼奈(レナ)…どうしたのかな?かな?」


ぱしんと柏手を打つと同時に、少女に掛けられていた暗示を解く。
別に此方としては掛けたままでも構わないが、真っ向から同盟者の反感を買うような真似はマスターにも不信感を与えてしまう。
また呪いをかけようと思えばすぐにかけられるため、一旦解いておくこととした。
呆けた様子で上背のある自分を見上げてくる少女に笑みを向けて。



「では、参りましょうか」



そう告げた、その刹那の事だった。




―――――破壊殺・終式



狩られるはずだった羊が、狼に化けたのは。



              ▼    ▼    ▼



――――破壊殺・終式



上弦の参足る猗窩座が取った方法は、実に単純なものだった。
破壊殺・羅針によりレーダーの如くリンボの存在を感知し。
羅針の座標めがけて鬼種の魔に複合された魔力放出を使用、捕食行動で蓄えていた魔力を全て放ち、ロケットブースターの如く肉薄する。
その速度は音の壁を突破し、300はあった距離を瞬きよりなお短い時間で零にした。
リンボの誤算は猗窩座の索敵能力が想像以上だったことだ。
もし他の上弦であれば間違いなく最初から最後まで”狩る”側だったのはリンボだっただろう。
加えて、もう一つ。
今の猗窩座は―――



―――――青銀乱残光


鬼舞辻無惨の走狗だったころとは違う、正に滅私の戦鬼であった。
その戦闘に一切の無駄は介在しない。
遊びもなく、強者を鬼に堕さんとする勧誘もなく、ただ機械のように。
愚かで滑稽でつまらない男のために、ただ勝利を捧げようとする機構。暴力装置。
故に既に格上だと察しているリンボに振るう拳も小手調べの一撃ではなく。
放つは彼が放つことのできる最高峰の一手。
ただ敵を撃滅せんとする、最高速度から振るわれる闘気を纏った拳の暴風雨。


「フハハハッ!!」


猗窩座の強襲は間違いなく、奇襲としては最高に値する技であった。
しかし―――それで悪辣非道の陰陽師足るアルターエゴ・リンボが狩られる側に回る事はない。
事実、絶死の拳を前に、リンボは笑みすら浮かべ。
残像が残る速度で懐の式神を顕現させると、即席の盾とする。
コンマ数秒で到達するはずだった拳に間に合わせるその反応速度。
特に式神の顕現速度は陰陽師として十二分に神業と言って良いものだった。
直撃するはずだった拳はこれで直撃にはなり得ない。だが―――


「なん…とっ―――!」


逆に言えば、彼が撃てた防御策はそれだけだった。
一撃ならば十分に防御できたはずの式神に、怒涛の連打が襲い抱る。
轟!!と。
接触の瞬間まるで爆発でも起きた様な轟音が、否、それは最早正真正銘の爆発であった。
リンボの後方に控えていた竜宮レナの身体が衝撃で吹き飛ばされ、宙を舞ったのだから。
そのまま路地の傍らに設置されていたガードレールに体を打ち付け、沈黙する。
結果的に、リンボの暗示でヤクをキメる事ができなかったのが災いした。
だが、当然現状の彼にその事を構っている暇はない。


「ンンンンン―――!!!」


時間にして刹那。
爆発めいた拳を撃ち据える音が極めて同じタイミングで響くこと、二十四。
そこで式神は限界を迎え、遂に打ち破られる。
だがそれでも拳撃は止まることはない。
破壊殺・終式・青銀乱残光はほぼ同時に、百発の乱れ撃ちを繰り出す技。
この技は生前、鬼舞辻無惨にすら通じた水柱の防御すら真っ向から打ち破った。
無駄撃ちしたとは言えたかだか24、まだ数十発の残弾を残している。
ここで有効打を与えられなければ、首を取られるのはこちらだ。
予選で蓄えた全ての魔力を、この技に賭ける。


「―――フ」


対するリンボは―――それでも尚、笑みを崩さない。
余裕がある、という訳ではない。
猗窩座の放っている技は、さしもの彼でも直撃を受ければ致命打は決して免れない。
それでも彼は狂気の笑みを浮かべて、その巨躯を迫りくる死へと前進させる。
刀剣の様な爪を煌めかせ、稲妻の様な呪力を纏い。


「フフフフフッ!!ハハハハハハハ!!!!」


心底楽しいと言わんばかりに。
まるで子供の様な笑い声を上げて。
彼が選んだのは、陰陽師という存在からは逸脱した迎撃方―――突き(ラッシュ)であった。
そして、衝突。
先程まで響いていた音が爆発だったならば、今度は遠雷であった。
それも、当然ながら一度では終わらない。
衝突。衝突。衝突―――!突き(ラッシュ)の速さ比べ。
軍配が上がるのは、当然の如く猗窩座の方だ。
一撃衝突するごとにリンボの爪は砕け、手は裂け、骨さえ露になっていく。


「ハハハハハハハハハハ――――!!!」


放たれた拳が八十を数えた時、均衡は破られる。
金槌で叩いた砂糖細工より哀れな様相を呈したリンボの拳と両腕が、猗窩座の下段からの拳によってカチあげられる。
そして―――残りの闘気の暴風が、リンボに殺到した。



「オ――――オォオオオオオオオオオァッッッ!!!!!」


猗窩座の咆哮が轟き―――
連打。連打!連打!!!!
敵を絶する拳が、リンボの全身を粉砕していく。
鬼狩りなら一度受けただけで胴が泣き別れになる一撃を二十以上受けて、リンボの二メートル近い巨躯が砲弾のように吹き飛ぶ。


(――――浅い!!!)


見事競り勝った猗窩座だったが、笑みを浮かべる事は無かった。
自分の闘気と拳を受けてなお、相手の闘気は陰りを見せては居ないのだから。
事実彼の放った技は有効打ではあった。だが、致命打には届かない。
その証拠に。


「ンン。いやはや、中々の拳でしたなァ。だが哀しきかな、拙僧の首を獲るには不足。
何、安心なされよ。我が五芒星であれば御身を更なる境地に立たせるのも可能なれば」


リンボは大健在であった。
無論、無傷ではない。
砕けたはずの両手は既に癒えていたが、口の端からは鮮血を垂らしている。
しかし―――それだけだ。
暗黒の太陽と悪の神を取り込んだハイ・サーヴァントを倒すには、猗窩座入魂の一撃を以てして不足。
それを誇示する様に、リンボは嗤う。そして、思案を巡らせる。
先のセイレムの巫女と比べれば見劣りするが、この鬼のサーヴァントも傀儡としてなら一級品だ。
呪ってやろう。堕としてやろう。犯してやろう。かつての英霊剣豪のように。
今度はこちらの番だと言わんばかりにゆらりと、蛇の様に手を翳し唱える。


「急―如律令」
「……ッ!」


立ち上がる業火を、しかしてセイレムの巫女とは違い墜ちた戦鬼は交わしてのける。
当然、その隙をリンボが見逃すはずもない。
先程撃ち負けた獣の吶喊が、今度は猗窩座の身を裂く刃となる。
肉が引き裂かれ、骨を晒す。人の英霊ならば既に致命傷の傷である
それでも猗窩座は人ではない。心臓を貫かれ、頭部を破壊されても駆動が可能な超常の鬼だ。
すぐさま傷は癒える。が、リンボの攻勢は止まらない。
再び宙に式神が舞い、それを起点としてドス黒い呪毒の奔流が迸った。


―――破壊殺・鬼芯八重芯


ドス黒い呪毒の洪水を、蒼光の闘気にて強引に切り拓き離脱する。
上手い。リンボは心中で称賛の声を漏らした。
ここで回避を選択していれば、呪毒の奔流は周囲を押し包み、罠として仕掛けていた五芒星が起動する手筈だったのだ。
しかし相対する鬼が放った技は、呪毒に隠された罠の呪符を正確に破壊し、致死の空間をこじ開けて見せた。
卓越した勘と戦闘経験だけではない。何か此方の動きを探知、予知する能力を目の前のサーヴァントは備えているのだろう。
今もそうだ。
先程の奇襲以降、槍兵とアルターエゴの戦いは槍兵の防戦一方の様相を呈している。
だがその実槍兵の受けている傷はどれも有効打にすらなり得ないものばかり、致命的な呪いが籠められた攻撃は悉く回避・迎撃せしめている。
簡単には破壊されぬよう別行動させている式神に力の三割程を籠めたのもある。
最初の奇襲のダメージは決して小さくはない。
だがしかし、それでも尚自分の攻勢を凌いでいる目の前のサーヴァントの奮戦はリンボをして称賛に値するものだった。


キィン、と。
そうしている間にも拳と爪が激突し鋼の旋律を響かせながら三十六度目の交錯が終端を迎える。
傷を負っているのはやはり猗窩座だった。
しかし、その戦意は衰えてはいない。


「お見事、お見事。実に素晴らしい。その身に拙僧の宿業を授ければ良き英霊剣豪になり得るでしょう」
「ほざけ、俺は貴様の顔を見ているだけで不快な顔を思い出して虫唾が奔る。
生理的に受け付けない。今ここで殺す」
「ンン。つれなき物ですなァ―――だがそれは決して叶わない。
貴殿の在り方では、黒き太陽を喰らった拙僧を超える事は決してない―――」


嘲笑と共に、リンボは猗窩座のある一点を指さす。
そこは傷としては僅かな物だった。小さな小さな火傷傷。戦いには何の支障もない。
だが、傷が残っている。それ即ち鬼の最たる強みである不死性が機能していない事を意味する。
そう、その傷を付けた攻撃は、リンボが喰らった黒き太陽の力が籠められていたのだ。
導き出される答えは一つ。目の前の鬼は―――太陽/天の高みは決して越えられない。
それさえ分かってしまえば最早彼の槍兵は敵ではない。
何故なら、悪逆の陰陽師たるアルターエゴの宝具は正に。
鬼の身を灼く暗黒太陽に他ならないのだから。
小賢しい探知能力も周囲一帯を包み照らす暗黒太陽を前にしては何の意味もない。


「ではこの座興の結末も見えました。適当に炙って―――我が傀儡に作り変えて差し上げましょう」


言葉と共に、リンボの周囲に漂うコールタールの様な粘性かつ黒色の魔力が肥大していく。
彼の宝具である狂瀾怒濤・悪霊左府の限定展開。
通常の三騎士ならば滅ぼすに不足であろうが、目の前の鬼ならば別だ。
限定展開でも十分に戦闘不能まで追いやることができるだろう。
猗窩座が発動を阻止せんと迫ってくるが、四股を踏み、呼び出した適当な式神を使い捨ての尖兵とすれば発動まで十二分に時間は確保できる。
発動まで後二秒、これにて詰みである。


――――リンボさん。お待ちなさいな。


その時の事だった。
今まで静観していた己のマスターから静止の念話が入り、魔力の供給が強制的にカットされたのは。
当然宝具の発動もストップし、槍兵の命を刈り取る筈だった致死の太陽は日の目を見ることはなくなった。


『如何いたしましたかな、マスター。今暫しお待ちくだされば―――』

―――いいえ、時間切れですわ。貴方が趣味に興じる時間は。聞こえてくるでしょう?

『……?』


主からの伝令を受け、意識を耳に集中させると遠くの方からサイレンの音が聞こえてきた。
聖杯から与えられた知識から推察するに、この都の検非違使(警察)か。
この戦いを見た市井の民の通報を受けやってきたかと思ったが、それにして来るのが早すぎる。
そもそも、この周囲には人払いの呪いを掛けており、異変が伝わることなどあり得ない筈だった。



「……俺が呼んだんだ。君と、話がしたくてね」



リンボの脳裏に浮かんだ疑問に応える様に。
ランサーのものではない、新たな声が路地に広がる。
現れたのは、夏用のスーツに身を包んだ青年だった。
右手に刻まれた三画の令呪は紛れもなく彼がマスターであることを示していた。


「もし君たちが聖杯を目指しているなら…俺は君と手を結びたいと考えている。
態々俺の事を調べてきたんだろう?何か俺に用があるんじゃないか。
でも、もし君が振り上げた手を下ろせないなら…こっちも覚悟は決めないといけない」


男の言葉を受けて、さてどうするべきかとリンボはその悪意の詰まった頭脳を働かせる。
今宝具を発動させればランサーを倒すことは容易い。
だが、男の闖入によってほんの僅かにだがリスクが生まれた。
即ち、令呪の行使と言うリスクが。
念話による命令をキャッチしほんの一瞬意識を傾けた隙に、ランサーは式神を全てなぎ倒し、男の直ぐとなりに控えている。
令呪による命令そのものを妨害するのは難しいだろう。
三画の絶対命令権によって命じられるのが攻撃ならばまだいいが、瞬間移動による離脱を選ばれればその時点でこの拿捕作戦は失敗に終わる。


―――リンボさん、ガムテさんからの伝言です。目立つような真似は辞めろ。との事ですわ。
向こうの方から来てくれる様子ですし、私の今後のためにも貴方の趣味は別の相手にして下さいな。


プロデューサーにとっての幸運は二つ。
一つは、新宿の一件により出動していた警察車両が偶然直ぐ近い位置に巡回していた事だ。
そうでなければ通報から五分以内に警察が付近まで来るなどあり得なかっただろう。
もう一つはこの拿捕作戦を決行したガムテが情報の拡散に若干神経質になっていた事。
宝具まで使用されては余計な注目を集めかねない上に、流れ弾で人質にするプロデューサーが死亡しかねないからだ。
となれば、静止するのは自明の理であった。
対するリンボにとっては、お愉しみに水を刺された形となる。
しかし、暫しの間じっとランサーのマスターを見つめ。


「ンンン!いやいや、拙僧は元より貴殿のお迎えに上がった使いの者。
貴殿が自らの足で来てくださるというなら、矛を交える必要などありませぬとも」


意外にもあっさりと、邪悪の権化足るアルターエゴは、矛を納めた。
そのまま恭しく礼をして、友好の意を示す。


「使いの者?」
「えぇ、実は我が主の同盟者であるさる御方が貴殿の協力を求めている次第に御座いますれば。
そこで拙僧がお迎えに上がった、という訳です。
先ずはそこで気をやっている少女が起きるまで情報交換と言うのは如何でありましょうや―――」


             ▼     ▼     ▼


「ンン。さて、あの御仁の天運は如何ほどか」


一仕事を終えて、満足げにリンボは独り言ちた。
ランサーとの戦闘に水を差されると言う幕切れに放ったが、全く不満などはない。
むしろ、実に鑑賞/干渉に値する見世物の可能性を狭めなかった主に感謝の念すら抱いていた。
実にナイスタイミング。

「できる事なら、生き延びて欲しいモノですなァ…地を這うように。
其方の方が、拙僧の愉悦を満たす至極愉快な座興(プロデュース)となりましょう」

あの男を見た時、電流が流れる様な感覚が奔った。
あの男の瞳と魂は、かつて自分を破った人類最後のマスターとよく似ていた。
中立にして善。普遍的な魂の形。
けれど全く同じではない。
むしろ似ていながら、その実どうしようもなく遠くなってしまったものだ。
消せない罪を課されて、拭えない汚れを背負って。
本質的には同じでありながら、どうしようもなく遠くなってしまったもの。
そんなものが、そこにあった。


あの男がもっと深い深淵まで堕ちていくところが見たい。
窮極の地獄界曼荼羅の計画とは別の所で、リンボはそう思っていた。
尾の男が絶望し、堕落し、一点の曇りなき闇に染まる瞬間を最前列で鑑賞したい。
田中一が甘き蜜ならば、此方は極上の美酒だ。
此処で途絶えるのは余りにも惜しい。
故に、自分が割れた子供より奪った情報はすべて伝えた。
無論、宝石たちの窮状もだ。
それを知ればあの男は後には退かないだろう。そう確信していた。
それに加えて、彼を守る陽光に嫌われた鬼が昼も活動できる様に護符も贈った。
―――屍山血河の死合舞台とまではいかずとも、一刻程度であれば陽光を遮り紅き月を呼び出す力は零落した霊基にも健在であった。
陽光を遮る他は精々実家の様な安心感を抱く程度の力しかないが。


敵に塩を送る所ではない。余りにも自己の欲求優先の非合理な選択。
だが、この快楽と悦楽の求道者。悪辣なる陰陽師は迷いなくそれを選ぶ。
彼は彼にとって実に正しく存在している。
そして、これだけお膳立てをしても彼の男が生き残れるかは分からない。
あの男が向かった場所は正しく死地なのだから。
だからこそ生き残ってほしいと願う。
もし生き残る事ができたなら、彼の中の穢れはさらなる萌芽を迎えるはずだ。
願わくば、そうなった彼と是非また会いたいものである。


「いやはやこの界聖杯は全く喜劇と地獄に満ちている。成らぬと分かっていても目移りを禁じ得ませぬなァ…」


一刻程前に起きた、新宿周辺の莫大な魔力衝突の気配。そしてあの異常な空。
方角的にも間違いなく、あのライダーが引き起こしたものだろう。
それによって一体どれ程の地獄が生まれたか。想像するだけで頬が緩んでしまう。
突然自分とのリンクが絶たれた式神もそうだ。
本体に情報を送る暇もなく倒されたらしい式神。下手人は一体何者か。
気になる事は山ほどある。休んではいられない。
邪悪なる陰陽師はただ、静かに。次なる悦楽を求めて。
ゆっくりと、降りた帳の中へと溶け込むようにその姿を消した。

【品川区・プロデューサー宅付近の路上/一日目・夜】

【アルタ―エゴ・リンボ(蘆屋道満/本体)@Fate/Grand Order】
[状態]:全身にダメージ(中)
[装備]:なし
[道具]:???
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:この東京に新たな地獄を具現させる。
0:地獄界曼荼羅の完成に向けて準備を進める。
1:マスタ―には当分従いましょう。今の拙僧はあの幼子の走狗なれば。
2:新宿区の地獄を眺めに行くか、リンクの切れた式神の調査を行うか…
3:式神は引き続き計画のために行動する。田中一へ再接触し連合に誘導するのも視野
4:それはそうと新たな協力者(割れた子供達)の気質も把握しておきたい
5:まさに怪物。――佳きかな、佳きかな。
6:“敵連合”は静観。あの蜘蛛に邪魔されるのは少々厄介。
7:機会があればまたプロデューサーに会いたい。

[備考]
※式神を造ることは可能ですが、異星の神に仕えていた頃とは異なり消耗が大きくなっています。
※フォ―リナ―(アビゲイル・ウィリアムズ)の真名を看破しました。
※地獄界曼荼羅の第一の核としてフォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)を見初めました。
 彼女の再臨を進ませ、外なる神の巫女として覚醒させることを狙っています。
※式神の操縦は一度に一体が限度です。本体と並行して動かす場合は魔力の消費が更に増えます。


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ネクタイを、今一度結びなおす。
時節を考えれば真夏の盛り、クールビズが囁かれて久しい昨今だが、プロデューサーがそれを外す気配は決してなかった。
しっかりと、丁寧にアイロンをかけた夏用のスーツに袖を通す。
これこそ自分の戦闘服だと己を鼓舞するように。
そしてきっと、死に装束ともなるだろう。
そんな思考を頭の隅に追いやり、怪しきアルターエゴから伝えられた情報を必死に咀嚼していた。


曰く、自分に変わりこの東京における283プロダクションを運営していた犯罪卿の存在。
曰く、その犯罪卿がこれから出会う少年たちと敵対しているらしいこと。
曰く、少年たちは優れた統率力と殺人経験を持つ殺し屋であること。
曰く、そんな彼らに、自分が見つけてきたアイドル達が狙われている事。


話を統合すれば、こんな所だった。
どこまで真実かは分からない。
何しろ、あのリンボと言う男は胡散臭さと生理的な嫌悪感に満ちていた。
でも、嘘は言っている様子は不思議となかった。
無論、手放しで鵜呑みにすることはないが。
それでも、これから向かう場所は間違いなく死地となる。
となれば、今自分が持っている情報が生命線になるかもしれないのだ。


「……彼に、感謝しないとな」


ぽつりと呟きながら、手の中の護符を握りしめる。
かのアルターエゴからのもう一つの餞別。
陽の光を嫌うランサーのために用意してくれたらしい護符。
何でも、日中でも陽の光を遮断し、紅い血染めの月が呼び出せるらしい。
零落した身ではその他に特別な効果はなく、貴殿にとっても安心な代物である。
それが彼の言だった。
安易にその言葉を信じたりはしないが、一度ランサーを呼び出す前に使って見るのも視野に入れて、スーツのポケットにしまい込む。
これで、準備は万端。


「行こうか、ランサー」
「………」
「そんな顔をしなくても大丈夫だよ…俺を、信じてくれ」


今から死地へと赴く男とは思えないほど穏やかに。
プロデューサーは傍らに立つランサーにそう命じて。
部屋を出ると、窓ガラスの前に立つ少女の眼前に静かに相対する。


「準備、できましたか?」
「あぁ、迎えに来てくれてありがとう」
「……別に、感謝されるようなことはしていません」


感謝の言葉を告げられるのは予想外だったのか。
今はもう、七草にちかの姿から元の外見に戻った茶髪の少女がバツの悪そうに顔を背ける。
そして、その後はプロデューサーに対して無言のままに。
光を放つ窓ガラスの向こうを指さした。


「……ガムテ君、プロデューサーさん、準備できたみたいだよ」
「オッケ~~!!御苦労(オツカレ)礼奈(レナ)~撤収して良いぜ~」
「うん、ごめんね、役に立てなくて」
「Pたんちゃんと来てくれるなら問題無~し!!気を付けて帰ってこいよな~」


主と思わしき少年の言葉にこくりと頷いて。
礼奈は、鏡の前へと進むように促した。
その案内にプロデューサーは無言で歩を進める事によって応える。
生き残るための布石は打ったとはいえ不安はある。迷いはある。
だが、立ち止まる事も。後ろを振り返る事も彼はしなかった。


この界聖杯が作った世界は残酷だが正しい。
何も選ばずリスクを放棄するだけでは、喪い続けるしかないのだ。
だから、喪って後悔を重ねる前に。
後悔する前に、自分で選択する事を、彼は選んだ。
だから、鏡が放つ輝きの向こう側へと、死地へと顔色一つ変えずに進んでいった。



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最終更新:2022年01月27日 10:28