人間万事塞翁が馬とはよく言ったものだ。
 皮下は眼下に広がる変わり果てた鬼ヶ島の姿を見下ろしながら、肺の空気を全て外に押し出す勢いで溜息をついた。

「まあ、上手く行き過ぎてるな~とは思ってたけどよ……」

 皮下真及び彼の率いる陣営は、間違いなく此度の聖杯戦争における優勝候補の筆頭だった。
 神秘こそ持たないものの下手なサーヴァントよりは余程戦えるし、尚且つしぶとい"再生"の開花持ち。
 あらゆる人材や武装・設備を格納出来る上に潜伏先としても優秀極まりない固有結界・鬼ヶ島。
 そして極めつけが鬼ヶ島の主。今は皮下の目の前で不機嫌そうに髭を擦り、杯を呷っている人外じみた巨躯の怪物。
 暴力の化身たるカイドウ。一つの世界における"最強"の座を恣にした魔人が優れたマスターと膨大な戦力の両方を抱えているのだ。
 これで勝利を確信しないのはむしろ臍曲りというものだろうし、事実余程の相手でもない限りは、彼らの牙城を崩すことは不可能であろう。

 問題は――その"余程の相手"がこの界聖杯内界には存在していて。
 尚且つ運の悪いことに、そいつが皮下の潜む拠点に突撃して来たことだった。

「なあ総督よ。鬼ヶ島(これ)の修復って俺の魔力を吸い上げてパパっと終わらせたり出来ねえの?」
「止めとけ。幾らお前でも干上がっちまうぜ」
「流石に無理かぁ。俺としちゃ倉庫ってイメージの方が強いんだけど、これ固有結界だもんな。
 しゃあない、保管してる実験体共を多少溶かすよ。ちょうど試してみたいこともあったしさ」

 皮下とカイドウの負った損傷は大したものではない。
 多少魔力を使う羽目にはなったが肉体面の疲労はとうに全快している。
 カイドウについては言うまでもない。
 問題は彼と戦っていた鋼翼のランサーもまたさして大きな損傷を負っている様子がなかったということだが、こればかりは退かせた人間である手前胸に留めた。
 只でさえ頭の痛い状況だと言うのに、下手なことを言ってこの怪物の怒りを買ってしまう事態は避けたい。

「(本当は明日の夜明け前にも鬼ヶ島計画を実行に移して、聖杯戦争を詰めに掛かりたかったんだが……流石にそれまでには間に合わねえな)」

 先の交戦が皮下陣営に齎した痛手は大きく分けて二つある。
 一つは表の拠点であり、自身のロールの要でもあった皮下医院の崩壊。
 研究設備は鬼ヶ島に軒並み送っていたからまだ助かったが、少なくとも社会的ロールに絡めた計略はもう打てない。
 然るべき時が来るまでは"皮下真"は病院の崩落に巻き込まれて死んだと、そういう風にしておくのが無難だろう。

 そしてもう一つの痛手は、真の拠点である鬼ヶ島に大きな被害が出たことだった。
 これが一番皮下にとって頭の痛い事案だ。
 鬼ヶ島の復興までに掛かる時間消費(ロス)が、ほぼ約束されていた勝利までの道筋を大きく遠ざけてしまった。
 これで葉桜関連の設備や備蓄が破壊されてしまっていたならいよいよ頭を抱えるしかなかったに違いない。
 そうならなかったのは、百年以上に渡って世に蔓延り、あらゆる犯罪に加担しながら悠々と生き永らえてきた男の悪運か。
 幸い事態は最悪ではないが、それでも決して良くはない。
 あのクソドラ息子がよ~~、と、口汚い愚痴が溜息に乗って口からつい出てしまう。

「まあ……確かにおれも盛り上がり過ぎた。それは認める。
 英霊になれば少しは落ち着くかとも思ったが、あんな野郎が出てきちまうとついな」
「あんたの部下がどんな気持ちであんたに付いて行ってたかよ~く分かったよ。
 ……それで? 結局どの程度だったんだ奴さん。俺が止めなかったら殺せてた?」
「あれが奴の限界ならな。だがそうは見えなかった」

 一対一(サシ)でやるならカイドウだろう。

 人は畏怖と諦観の念を込めて彼のことをそう評した。
 故にこその"最強生物"。超人魔人犇めく大海賊時代における四つの頂点、その一つ。
 そんなカイドウだが――彼は"最強"ではあっても"無敗"ではない。

 カイドウは数え切れない数の勝利と蹂躙を生涯通して重ねてきたが、彼の背後には少なからず敗北の記録も存在する。
 彼は最初から最強だった訳ではなく、何度も転んではその度に起き上がり、その威容に似合わない真面目で地道な研鑽を重ねて此処まで強くなった。そういう類の強者なのだ。
 とはいえ此処まで仕上がり、最強生物の肩書を体現するまでに至った彼を負かせる存在などそうそう現れはすまい。
 だがカイドウは先程相見えた鋼翼のランサー……真名を"ベルゼバブ"という破壊者の内に、決して小さくない致命の可能性を見た。
 鬼ヶ島と現世を股にかけて戦った先の大戦(こぜりあい)がベルゼバブの限界であったなら恐るるに足らない。
 後先を考えなくていいのなら次は確実に撃滅出来るだろうとカイドウはそう踏んでいる。
 問題はベルゼバブの強さにまだ"先"があった場合である。
 隠し玉の仔細にも依るが、場合によってはベルゼバブは最強生物カイドウを討ち滅ぼす何人目かの勝者となり得るだろう。

「おれの予感じゃ、あの野郎はまだ何か手を隠してる。おれと同じでな」

 とはいえ、手を隠しているのはカイドウも同じだ。
 ベルゼバブとの戦いでも幾らか見せた悪魔の実の能力。
 カイドウがその身に宿す幻獣種の力には、まだもう一つ先の段階が存在する。
 それを解放することを前提で考えるならばベルゼバブの打倒は十分に可能と見ていた。
 しかしベルゼバブもまたカイドウと同じであるのならば……その時は先の比ではない、空前絶後の大戦争を演じることになる筈。

「じゃあ比較したら不利なのはこっちだな。あのガングロ男は良いとして、隣でふんぞり返ってるお坊ちゃんが厄介過ぎる」
「戦ったんだろう。どうだった?」
「化け物だね。俺も大概人のこと言えないだろうが、流石にあそこまでじゃない。
 安全に処理するんなら大看板をぶつけるのは必須だな。飛び六胞じゃ手に負えないし、虹花(ウチ)の奴らは論外だ」
「とことん弱者の気持ちが分からん奴らだな」
「あんたが言えたことかよ、総督」

 自分達でさえこれほど苦戦させられたのだ。
 そこらの真っ当な主従があれらとかち合えば、さぞかし見応えのない殲滅になることは想像に難くなかった。
 つくづく悪い冗談のような奴らだった……皮下は先の騒動をこう総括する。
 そんな彼に対しカイドウは訝るような目を向ける。よもや臆病風にでも吹かれたのかとそう疑う目だった。

「そんな目で見るなよ。これでも一応色々考えてるんだぜ。これからのことは」
「指揮官はお前だ、皮下。お前が使える人材である内は、言うことも聞いてやるよ。
 だがそうでなくなったなら、その時はおれも考えるぜ」
「そいつは困る。俺にはあんたが必要なんだよカイドウさん。
 仮に大和の野郎からあのランサーをぶん取れたとしても、あいつじゃ俺のサーヴァントは務まらない。
 あんたが持つ"最強の力"と"最強の兵力"が最高なんでな。あんたは俺にとって理想のビジネスパートナーだ」

 二枚舌の口先八丁はお手の物の皮下だが、この言葉に嘘はない。
 本戦が始まって早くも最初の夜を迎えた東京。
 中には此処に来て自分のサーヴァントに見切りをつけ始めた者も居るようだが、少なくとも皮下にその気は一切なかった。
 彼が自分を切るというのならば土下座でも何でもして温情を乞うただろう。
 それほどまでに、カイドウは皮下にとって理想的な存在だった。
 小細工が出来て、手数に任せた圧殺も出来て、それでも駄目なら馬鹿みたいな最強生物が金棒でガンガン殴って無理矢理潰す。
 まさに何でもござれだ。そして皮下は彼の武力に驕ることなく、絶好調の現状を更なる高みに押し上げる策も練っていた。

 結果的にそれは功を奏したと言えよう。
 峰津院大和とそのサーヴァントの襲撃により皮下の絶好調にはケチが付いた。
 それでもまだ覇者の王冠に限りなく近い優勝候補なことに変わりはなかったが、よりそれを確実なものにしたければ大きな変化が必要になってくる。
 聖杯戦争に勝利するために立てた筋道(プラン)の改良と、そして改造(リモデル)が不可欠だ。

「ずっと考えてたんだ。この聖杯戦争って儀式(ゲーム)、もっと効率良く勝てる裏技があるんじゃねえのって」

 まだ、それは仮説に過ぎない。
 可能性がある、という段階に過ぎない。
 だがもしもそこを乗り越えて実用化に至れたならば。
 皮下真の頭の中を飛び出して、現実の道理としてその裏技(グリッチ)が罷り通るのならば――。

 その時、皮下は。
 そして、カイドウは。

「……ウォロロロロ。面白え話じゃねェか。皮下てめえ、何を掴んだ?」
「じっくり語って聞かせたいところなんだけどな。見ろよ、予想した通りお呼び出しだ」

 肩を竦めてスマートフォンの画面をカイドウに向ける。
 そこには彼らの同盟相手である、とある主従からのメールが表示されていた。

 これから俺の指定する場所にライダーを連れずに30分以内で来い。でなければ同盟は破棄する。
 ……まあ、ものの見事に足元を見られている。
 表面上の拠点とはいえ病院をああも完膚なきまでに潰されては仕方のない話だったが、こう強気で来られると多少面倒だった。

「どうすんだ。切るなら切るでもおれは構わねェが」
「あんたは構わなくても俺は結構死活問題でなー。サーヴァントの方もそうだが、何とこっちもマスターの方がちと具合悪い。
 首輪を付けて飼ってないとおっかなくて夜も眠れねえよ。あの兄さんは間違いなく俺の天敵だ」
「回復の禁止、だったか? ま、確かにてめえには効果覿面の鬼札だわな」
「……正直今の内に殺しちまうのもアリっちゃアリなんだけどなー。
 いよいよもって東京中のあらゆる主従から目を付けられるだろうことに目を瞑れば、だけど」
「はっきりしろよ。おれの出番なら出撃(で)てやる。お前に死なれると俺も困るんだ」
「いや、此処は素直に行ってやることにする。もし死んだらあの世で謝るわ」

 流石に、カイドウの姿を前にしても頑なに服従を拒んだだけのことはある。
 どういう経緯で彼がこの思考に至ったのかも大体想像はつく。
 自分がなんとか逃げ遂せた後にでも、彼らは彼らで大和と接敵していたのだろう。
 そしてスカウトなり何なりを受けた。峰津院大和と皮下真を利害の天秤に掛けた結果、沈んだのは前者だった。
 だからこうして直球で足元を見に来たのだと皮下は推察する。なんとも面倒で、かったるい話であった。

「本当なら今頃は、目ぼしいマスター候補の連中に片っ端から粉掛けて遊んでる筈だったんだけどな。峰津院のせいです、あーあ」

 とりあえず多少の時間は掛かるが建て直しは出来る。
 峰津院大和と鋼翼のランサーの実力を思えばこれだけの損害で済んだのは喜ぶべきことなのだろうが、皮下はそこまで謙虚にはなれなかった。
 リップ達のところに向かうことを決めて返信を打ち込みつつも未練がましく愚痴る。
 カイドウはぐびぐびと酒を呷って微かな疲れを癒やしつつ、彼と語らった。

「真乃ってガキか? クイーンが弄り回してる連中のダチだとか言う」
「真乃ちゃんもそうだけどさ、俺は俺で色々と調べてたんだぜー?
 今ネットでボコボコに叩かれておもちゃにされてる神戸あさひって子とか。
 侍みたいな風体であちこち出歩いては気まぐれに人助けしてる、妙な大柄の男とかさ」
「何だそりゃ。もしマスターならバカって次元じゃねェだろう」
「だよなー。でもマスターなのは多分間違いないんだよ、これが。
 クロサワって覚えてる? 虹花(ウチ)の部下なんだけどさ」
「覚えてはいる。興味はねェけどな。人殺しが上手いだけの兵士なんざ、今更さしたる価値は感じねェ」

 百獣海賊団の上位幹部に比べれば皮下の率いる虹花のメンバーは戦力で見て数段劣る。
 後先考えずに暴れれば一部は飛び六胞に届き得るだろうが、それでも現状神秘を宿せないのだから戦力としては期待出来なかった。
 しかしそれでもカイドウは、彼ら彼女らの顔と名前が全員一致する程度には記憶野の容量を割いてやっていた。

「そのクロサワから連絡があったんだよ。
 件の風来坊殿はサーヴァントらしき別の侍を連れていた、ってな」
「そりゃ分かりやすくて話が早えな。出る釘は打たれるって言葉を誰も教えてくれなかったと見える」
「峰津院のガキがカチコミかけてさえ来なかったなら、潰すなり上手く取り込むなりしたんだけどな。
 ……ま、そんだけ目立ってるんだ。わざわざ俺達が手を下さなくても目聡い誰かが目を付けるだろうさ」

 皮下は戦力の増強を良しとする。カイドウも同じだ。
 他の誰かの手で潰されるくらいなら自分達の手で格の差を分からせて、令呪でも使わせた上で隷属させた方が遥かに利がある。
 そう考えて皮下は件の風来坊にカイドウをけしかけようと思っていたのだが……それも今となっては白紙だ。
 とてもではないが、そんなことをしている場合ではなくなってしまった。
 リップの元に向かうべく踵を返し、ぽりぽりと頭を掻きながら。皮下は何度目かの嘆息を漏らした。


「惜しかったな~、真乃ちゃんも光月なんちゃらも。
 大和のクソガキさえ居なかったら、思う存分遊んで虐めてやるところだったんだけどなー」


 とはいえいつまでも過ぎたことを引きずっていても仕方がない。
 とりあえず今はリップと会って、彼と今後の関係性について話し合うのが先決だろう。
 何を話すか。もとい彼に対してどう出るかはもう決めている。
 それで通るならば良し。通らないのなら、その時は多少無茶をしてでも生き延びることに全力を注ぐまでだ。

 そう思考しながらいざ、一歩を踏み出そうとした皮下。
 だが、彼の足が二歩目を踏み出すことはなかった。

 踏み出そうとしたその寸前で――さながら、突如皮下の周囲の重力が数十倍に膨れ上がったかのような重圧に襲われたからである。


「(――――――――なんだ? これ)」


 それがどうやら己の背後に居る鬼神の如き男から発せられたものであると理解した時、皮下は背筋に明確な寒気を感じた。
 この世の何よりも美しく、それでいて悍ましい永久の満開を保つ桜と共に死ぬことを決めた瞬間から、彼は人間ではなくなった。
 どんな非道にでも手を染める。昨日まで和気藹々と話していた人間がボロ雑巾のように死んでも泣くどころかケラケラ笑える。
 人でなしのマッド・サイエンティスト……その皮下にとって恐怖という感情は長らく無縁の概念であった。
 そのため、少しばかり気付くのが遅れた。
 自分の足を止め、背筋を寒からしめているものの正体が、そんなとうの昔に忘れた筈の情動であることに。

 カイドウは馬鹿げた強さの持ち主だが、しかし馬鹿ではない。
 知略、計略、軍略、交渉まで幅広く手がけるまさに総督肌の人間だ。
 だから基本的には話が通じるし、彼の考えと反目してしまう場合でも辛抱強く理を説けば認めてくれることも多い。
 だがそれを踏まえても、皮下はこの男を親しみやすい存在だなどと思ったことは一度もなかった。

 地雷が埋まっていると分かっている荒野で陸上競技をさせられているような張り詰めた緊張感が常にある。
 酒に酔っている時は勿論、素面の時であってもカイドウはいつ何処でブチ切れるか分からない。
 話が通じると言っても、いつその前提があちらの都合で崩れ去るか分からないのだ。
 そして万一彼を怒らせてしまったなら、たとえマスターであろうと情け容赦は期待出来ない。
 ひとえにカイドウとは、"海の皇帝"とはそういうものなのである。

「え、えぇっと……どうかされましたか? カイドウさ~ん……?」
「皮下。お前、今なんて言った?」

 何処だ? 何処で地雷を踏んだ?
 考えてもそれらしい言葉を口にした心当たりはない。
 鬼ヶ島の郎党を除けば誰よりもカイドウの恐ろしさを知っているのがこの皮下だ。
 軽口を叩くことはあっても彼の怒りを買うことはないよう、常に気を配って振る舞っている。
 如何に余裕のない状況とはいえそんな致命的なミスをした覚えはないのだったが……カイドウはそんな彼にもう一度問うた。

「偶像(アイドル)のガキなんざに興味はねェ。
 もう一人の方だよ、皮下。おれの聞き間違いかもしれねェからもう一度名前を聞かせろ」
「ん? ああ……光月――光月おでんだよ。そんな名前あるか? って笑ったからよく覚えてる」

 どうも怒らせたわけではないらしいと察し、一人安堵する皮下。
 だが今度は疑問が込み上げる。
 2021年の東京で侍装束を纏い堂々と歩き、人助けと日雇い労働に邁進する巷で噂の風来坊。
 確かにクロサワを相手にしても一歩も退かなかったという辺り相応の度胸と実力はあるのだろうが、何故カイドウがこうも気にするのか。

「……もしかして知り合いか? カイドウさ――」

 ん、と言いかけて振り向いて。
 皮下はまた固まった。そんな彼を臆病だと笑える人間が果たしてどれだけ居るだろう。
 彼が振り向いた先にあった光景は、全ての動作を投げ捨ててでも静止してしまうに足るものだった。

 百獣海賊団"総督"、世界最強の生物、海賊の頂点"四皇"、ワノ国の明王――百獣のカイドウ。
 十数騎のサーヴァントを無傷で屠り、蒼き雷霆を容易く退け、鋼翼の破壊者とすら互角に渡り合った怪物。
 その彼が、俯いて震えていた。人間の規格を完全に超えた長身と鋼以上に堅牢な肉体を震わせ、揺らし、呻いていた。
 いや、違う。呻いているのではない――笑っているのだ。
 カイドウは愉快だとか痛快だとかそういう言葉では表し切れない、万感の想いでも込めたかのような重厚な歓喜の念でその図体を揺らしている。

「そういう重要なことは早く言えよ。それを知っていたならおれは……もっと真剣にやってやったってのによ」

 そんなことを今言われても困る。
 その言葉はどうにかぎこちない愛想笑いの内側に押し込めたが、皮下は今以って理解が追い付かなかった。
 東京でまことしやかに評判が広がっている義侠の風来坊・光月おでん。
 彼の名前を突き止めたのはつい先刻のことであるし、そうでなくても何故この怪物がこうまで件の侍に巨大な感情を向けているのか。
 元の世界で知己ないしは宿敵の間柄だったのだろうことは察せられたが、だとすればおでんという男は果たしてどれほどの人物なのだ。
 あの鋼翼と相対した時ですら大きく感情を揺るがすことのなかったカイドウ。
 そんな何処まで行っても規格外の一言でしか形容出来ない男を、こうまで揺らせる光月おでんとは何者なりや。

 皮下の困惑を余所に、カイドウは空を見上げて獰猛に笑んだ。

「……そうか。そうか、そうかよ。てめェ此処に来てやがったのか――おでん」

 そこに宿る情念は煮え滾る溶岩の如し。
 彼の言い草は間違っても友人や同胞に向けるそれではなく、そこから両者の間柄は想像出来る。
 だとすれば。カイドウがこうまで情念を燃やす光月おでんという男は――まさかカイドウに勝ったのか。
 脳裏を過ぎった最悪の想像に、皮下は思わず表情筋を引き攣らせた。いつになったら俺の受難は一段落するんだと心の中で女々しく嘆いた。

「気が変わった。リップのガキとアーチャーは必ず連れて帰って来い。お前に限って失敗はねェよな」
「そりゃ俺だってそのつもりだけどよ……いきなりどうしたんだよ。急にそんなマジになられると心臓が吃驚するぜ」
「帰ってきたらお前の言う奥の手とやらも教えろ。使えるかどうか見極めてやる」
「……お~~い。総督~~……?」

 まるで話を聞いてくれない。
 これまでのカイドウは言うなれば巌のようにどっしりとその場に構え、時が来るまでは不動を保つというスタイルだった。
 峰津院大和とそのサーヴァントによる襲撃があったことを含めても、カイドウは当面指針を変えるつもりはないように見えた。

 なのに光月おでんの名前が出た瞬間――これだ。
 突如としてその姿勢は前のめりに変わり、リップとアーチャーを連れ戻せという命令にはある種の圧力すら伴っていた。
 もしも失敗して帰ってこようものなら、たとえ皮下であろうと彼の不興を買うことは間違いないだろう。
 戸惑う皮下の前でカイドウは杯を呷り、喉を鳴らして、酒で濡れた口元を拭い言う。

「もう遊びは終わりなんだよ、皮下。
 この戦争で最も危険視すべき相手は峰津院大和でもなければ、あの鋼翼野郎でもねェと分かった」

 百獣のカイドウ。誰もが認める最強の生物。
 彼は自分自身の武力と、その背後に揃った戦力に絶対の自信を持っている。
 だからその立ち回りには焦りがないし、見ようによっては消極的と取られてもおかしくはないものとなる。
 当然カイドウとかち合って無事で済むサーヴァントなど存在しないだろうが、生憎と此処は数多の可能性が犇めく蠱毒の壺。
 最強生物の牙城を崩し、彼の聖杯戦争を終わらせる"討ち入り"が起こる可能性は十二分にあった。

 その点を踏まえて言うならば、皮下が彼の前で"その名"を口にしたことは間違いなく最大級のファインプレーであったと言えよう。
 光月おでん。その名を聞いた瞬間、カイドウの中から全ての慢心が消えた。そして火が点いた。
 文字通り"遊びは終わり"なのだ。その名を軽んじることはカイドウに限っては絶対にない。

「サーヴァントらしく忠言ってやつをしてやる。"光月おでん"を見くびるな」

 警告をしているとは思えない、吊り上がった口角。
 隠し切れない歓喜を滲ませるカイドウを前にして皮下は悟った。
 自分は今まで、この怪物の表面だけしか見ていなかったのだと。
 彼の中に潜む狂おしく荒れ狂う禍々しき情念――最強生物の裡を今、見た。

「野郎は……このおれに消えねェ敗北を刻んだ"侍"だ」

 カイドウの胴に刻まれた大きな、大きな刀傷。
 英霊となっても尚癒えることのない、それほどの意味を持つ傷。
 忘れられない、忘れるなど出来る筈もない、生涯最大の敗北の証。

 界聖杯を巡る戦いの中における最大の敵。
 少なくともカイドウにとってそれは、間違いなく光月おでんであった。
 皮下には分からないだろう。ともすれば百獣海賊団の部下達ですら理解は示さないかもしれない。

 しかしそれでもカイドウだけは疑わない。
 もう二度と、彼が光月おでんを軽んじることはない。
 奴こそが、此度の戦争で立ちはだかる最大の難敵であると。
 そう声高に断言するカイドウに……皮下は何も言えなかった。
 何か少しでも言葉を誤れば取り返しの付かない目に遭う、そんな本能的直感があったからだった。


◆◆


 皮下が去り、部下の一人も居ない玉座にて。
 カイドウは一人飽きもせずに酒を呷っては呼気を吐いていた。
 これほど呑んでいるというのにしかし酔いはまるで回っていない。
 回る気配もない。かの男の名を聞いた瞬間から、カイドウの頭は未だかつてないほど冴え渡った状態を維持し続けている。
 それほどまでに重き名であった。
 それほどまでに、意味のある名であった。
 誰もが最強と呼んで恐れたカイドウが、ただ一人生涯に渡って縛られ続けた男。
 どれだけ研鑽を重ねても塗り潰すことの出来ない敗北。
 天を翔ける龍であろうと彼岸の向こうにまでは届かず。
 ついぞその生涯が終わるまで――カイドウは自らの喫した雪辱を果たすことは叶わなかった。

「お前の侍共はよくやったぜ、おでん」

 思い出す。
 二十年の時を超えて自分の許に討ち入った赤鞘の侍達。九里大名であったおでんの家臣共。
 光月おでんは滅んだが、彼の意思は肉体が失われた後においても生き続けた。
 カイドウを斃すためではなくワノ国を救い、開国するために。
 彼の想いは受け継がれ、"D"に繋がり嵐を生み、遂にはカイドウの喉笛にまで迫った火祭りの夜の大戦争。
 しかし今。カイドウの胸中を満たす期待と歓びは、あの時と比べても尚全く別格のそれであった。

「あれだけ派手に暴れてやったんだ。お前も、もうおれの存在には気付いてんだろう」

 誓って意図した訳ではなかったが、よもやあの無軌道な巡遊が功を奏する事態が到来しようとは。
 余人が見たのなら、周囲への被害も省みずに暴れる青龍のサーヴァントが居るという認識だけに留まるだろう。
 だが光月おでんが居るのであれば、彼に対してだけは話が違う筈だ。
 おでんはカイドウの存在を認識する。そして、己の現界の意味を悟る。
 カイドウを討たねばと猛り、かつて青龍斬りを成し遂げた閻魔を握り締めているに違いない。

 そうであってなければ困る。
 死を超え、時空を超え、そうまでしてようやく舞い込んできた再戦の機会。
 これでどうして笑わずにいられるだろう。
 カイドウの願いは、もうこの時点で一つ叶ったのだ。

「お前に不覚を取ってから随分鍛えた。もうあの時のおれじゃねェぞ」


 ――真面目だな……せいぜい強くなれ。


 カイドウはその言葉を真に受け強くなった。
 最強と呼ばれるまでに自らを鍛え上げた。
 もはや此処に居るのはあの日のカイドウではない。
 本人もそう思っているからこそ、尚更彼はおでんの居る世界に召喚されたことを喜ばしく思うのだ。

 生死の彼岸すら超えた再戦。それが成るのであれば……あの日の不本意な決着を塗り替えて、今度こそ自分の手で光月おでんを滅ぼせるのならば。
 それは、一体どれほどの僥倖であろうか。

「来いよ、おでん。おれを殺しに来い。お前の討ち入りをもう一度見せてみろ。
 今度こそは誰の横槍も入れさせねェ――あの日のやり直しをしようじゃねェか」

 此処に誓おう。
 今度こそは一対一だ。
 おれかお前か、どちらかが滅びるまで。
 誰の邪魔も許さない。誰の横槍も認めない。
 その果てに聖杯への道が閉ざされたとしても、それが運命(さだめ)と諦めよう。

「もっとも……"勝つ"のはおれだがな」

 しかしその"もしも"を空想する意味はないとカイドウは断ずる。
 彼は海賊だ。己の没落を想定して船を出す海賊など居ない。
 それと同じで、カイドウは自身の敗北など微塵も考えてはいなかった。
 かつては死という、"人の完成"を求めた身。
 されど今は違う。今のカイドウはただ純粋に、おでんとの決着という悔恨をやり直すことこそを求めていた。

 さあ、今こそ戻らないあの日をやり直そう。
 舞台は東京。ワノ国によく似た異界の大地。
 再戦までに経た時は二十年……否、もっと遥かに長い久遠。
 ようやく叶った悲願を前に――カイドウは四皇としてではなく、一人の海賊として、再びおでんとの戦いをやり直すことを決めた。


「……で」

 それはさておき、と。
 カイドウは眉を顰め、虚空を見据えていた。
 異空間に広がる空、その向こうに繋がる現世。
 そこから伝わってくる皮膚の痺れるような感覚は忌々しくも感じ慣れたもので。
 光月おでんの存在を確信した時の歓喜が一転、苦虫を噛み潰したような嫌そうな顔になる。
 その表情をした理由は、界の層を隔てても尚カイドウの元に届く程のこの強烈な"覇気"の主が誰なのか、容易に理解出来てしまったからだった。

「何をしてやがんだ、あのババアは……
 そもそも何だってこんな所に居やがる。おれを追い掛けてきたわけでもあるめェし」

 カイドウにとっての腐れ縁。
 何かにつけて恩着せがましく付き纏ってくる狂った女。
 それでいて、カイドウと肩を並べる程の規格外――海の皇帝、その一角。
 "ビッグ・マム"と呼ばれた鬼婆の存在を、彼はこの時確かに感じ取っていた。

「おれはもう今度という今度こそは分かってんだ。お前と組むとロクなことにならねェと……」

 現世で突如ビッグ・マム……シャーロット・リンリンの"覇王色の覇気"が撒き散らされた理由は想像出来る。
 昼間の巡遊か先の新宿大戦かは知らないが、何処かのタイミングでリンリンはカイドウの存在を知ってしまったのだろう。
 だからこうして大胆どころの騒ぎではないド派手なアプローチを打ってきた。
 おれは此処に居る。おれとお前で組めば敵はねェだろ、仲良くしようぜ昔みたいに――。
 あのババアの考えなど手に取るように読める。
 しかしカイドウにその誘いを受けるつもりはさらさらなかった。

 リンリンは確かに強い。
 それはカイドウも認めるところだ。
 聖杯を獲れる可能性のあるサーヴァントは己とあの鋼翼、そして彼女の内の誰かだろうと確信している程だ。
 しかしリンリンを味方に抱えることのリスクの大きさを、カイドウは嫌というほど知っていた。
 ひょんなことでタガが外れて暴れる、人の部下を癇癪起こして勝手に倒す。
 リンリンの菓子欲求が限界まで達したならどうなってしまうかなど考えただけでも頭が痛くなってくる。

 海賊同盟など二度と組んでやるものか。
 ……とはいえ、あからさまに"誘って"きたリンリンを放置しておくのも賢明な選択とは言えない。

 くどいようだが、あのババアには常識というものが一切通用しないのだ。
 彼女が勝手に弟分と思い目をかけているカイドウに誘いを無視されたなどと知れば何を仕出かすか分かったものではない。
 鬼ヶ島に居る間はさしもの彼女も居場所を特定して乗り込んでくるようなことはないだろうが……後顧の憂いを断つに越したことはないだろう。
 はあ、と酒臭い溜息を吐き出して、カイドウはリンリンに会いに行くことを決めた。

「まァ……それも皮下の野郎が帰ってきてからだ。リップのガキめ、一丁前におれから鞍替えしようとするなんざふてえ奴じゃねェか。
 あまり跳ねっ返りが酷ェようなら灸を据えなきゃならねえか――いや。
 或いは、そういう奴も居てもいいのかもしれねェな。あの"最悪の世代"のガキ共のように、おれの予想を超えてくれるかもだからよ」

 去るのならば殺すが、味方で居る内は生意気も跳ねっ返りも美点と見るべきかもしれない。
 かつてそういう若者達に痛い目を見せられたカイドウは、それ故にリップという青年のことを高く評価していた。
 リップの中には、カイドウを最大の窮地に追い込んだ"最悪の世代"を彷彿とさせるぎらつきがあった。
 敵に回れば厄介。されど友軍に抱え続けた場合の可能性は未知数だ。
 サーヴァントの強さも申し分なく、峰津院にお礼参りをする際の良い兵器になるやもしれない。
 拠点を破壊され、虎の子の鬼ヶ島をすら半壊させられながらも……カイドウの心は弾んでいた。
 これは面白い。必ずやこの先に自分を満足させてくれる戦乱があるのだとそう確信してさえいる。

 思う存分に楽しもう。
 思う存分に味わおう。
 そして、その果てに――あの日の悔恨に"決着"を。

「(あのイカレババアにかかずらってる暇なんぞおれにはねェんだ。
  タダじゃ退かねェだろうが、いざとなったらマスター諸共叩き潰して済ませるか……)」

 リンリンが自分を誘い出そうとしてきた意図。
 それが何であれ、カイドウの出す答えは決まっている。
 絶対にあのババアとは組まない。邪魔をするなら叩き潰す。
 そう胸に誓いながら、残った酒を一息に己の体内へと流し込む、カイドウなのであった。


【新宿区・皮下医院跡地(異空間・鬼ヶ島)/一日目・夜】

【ライダー(カイドウ)@ONE PIECE】
[状態]:健康
[装備]:金棒
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:『戦争』に勝利し、世界樹を頂く。
0:あの日の悔恨に"決着"を。
1:ライダー(シャーロット・リンリン)とは組まない。まず何で居やがるあのクソババア!(それはそうと会いに行く準備中)
2:鬼ヶ島の顕現に向けて動く。
3:『鬼ヶ島』の浮上が可能になるまでは基本は籠城、気まぐれに暴れる。
4:リップは面白い。優秀な戦力を得られて上機嫌。てめェ戻って来なかったらブチ殺すからな
5:リンボには警戒。部下として働くならいいが、不穏な兆候があれば奴だけでも殺す。
6:アーチャー(ガンヴォルト)に高評価。自分の部下にしたい。
7:峰津院大和は大物だ。性格さえ従順ならな……
8:ランサー(ベルゼバブ)テメェ覚えてろよ
[備考]
※鬼ヶ島の6割が崩壊しました。復興に時間が掛かるかもしれません
※ライダー(シャーロット・リンリン)の存在を確信しました。


◆◆


 日は落ちて、空は夜天が満たし。
 頭上に星々を瞬かせながら両者、もとい三者は邂逅した。
 待っていたのは眼帯の青年と、機械めいた装いの少女(サーヴァント)。
 現れたのはへらへらとした軽薄な笑いを浮かべた白衣の男。サーヴァントは連れておらず、その気配もない。
 代わりに片手に持っているのはエナジードリンク。翼を授けるとか、そんな謳い文句で宣伝されている代物だった。
 それをぐびぐびと呷りながら現れた男――皮下真は、手土産代わりに持ってきたらしい未開封のそれをひょいと青年・リップに投げ渡した。
 当然、リップは缶を払い除ける。
 地面に落ちて缶が割れて、じゅうううと音を立てながら中身が溢れ出しアスファルトを汚し始めた。

「ひっでえな。食べ物を粗末にする男は嫌われるぜ」
「負け犬が。よくノコノコ顔を出せたもんだな」

 負け犬、と評されて皮下はけらけら笑いながら肩を竦めた。
 自虐している風ではない。彼はいつだとてこうなのだ。
 軽薄で、馴れ馴れしくて、何も知らない者には好青年の印象を与えるが事情を知る者にはただただ不快感ばかりを押し付ける。
 もっとも今彼が立たされている状況が苦境のそれであることを知っている故、リップの出方は挑発的だった。
 彼が峰津院大和とそのサーヴァントの襲撃によって表舞台での拠点を失い、裏の拠点にも甚大な被害を受けたことを知っているからだ。

「呼んだのはお前らだろ? 状況が変わった途端に足元見てきやがって。俺は悲しいぜ」
「俺は打算でしか他人と組むつもりはない。
 先の戦いを見て……そして直接峰津院大和に接触してみて思った。現時点じゃ、お前より奴と組んだ方が得策だってな」

 は、と鼻で笑うリップ。
 そう、あくまでも彼が抱いているのは打算だ。
 確かに皮下の有する兵力は膨大だが、状況が整わなければろくに現出させられない兵力など無いも同然だ。
 であれば、この現実社会に対して他と一線を画した影響力を持つ峰津院を味方につけた方がどう考えても賢明であろう。
 少なくとも現状では、リップの中の天秤では峰津院と組む未来のほうが優先されていた。

「首輪付けて飼えるとでも思ってたか? 間抜け。手綱を握ってるのはこっちの方だ」

 皮下達は、すっかり"してやった"気持ちで居たことだろう。
 だがそれは一気に崩れた。峰津院大和の進軍を前に崩壊した。
 その結果、今手綱を握って、足元を見ているのはリップ達の方だ。
 笑みを浮かべたままの皮下に対して、リップは尚も続ける。

「俺が求める条件はメールで伝えた通りだ。今この場で明確な具体策を提示出来なきゃお前らを捨てる」
「俺じゃなきゃ頭抱えてる無理難題だぜ、それ。この短時間でどれだけのものが用意出来るってんだよ」

 アーチャー……シュヴィ・ドーラはリップが皮下に突き付けた命題を指してこう評した。
 蓬莱の玉の枝の方がまだ簡単なくらいの、とてつもない無理難題であると。
 事実それは皮下も認めるところであったし、リップもそのつもりで彼に突き付けている。
 そして、皮下が何を言おうとリップに条件を歪めるつもりはない。
 あくまでも今足元を見ているのは自分達の側なのだから、温情をかけてやる理由など一つとしてなかった。

「即座に切らないだけ譲歩だと思え。
 お前の持つ戦力は確かに強大だが、お前という一個人に対する信用は出会った時からずっと地の底だ。
 本当なら、交渉の余地なく捨ててもよかったんだ」

 皮下真という人間に対するリップの印象は、最初から現在に至るまでずっと"最悪"の一言に尽きた。
 皮下はお世辞にもまともな人格をしているとは言い難い、残忍で非道な人物だ。
 情けを掛ける理由など一つたりとも見当たらない、後腐れなく殺せる屑だ。
 そんな男がカイドウ――あの鬼神の如きライダーを連れているというのはあまりにも目障り過ぎる。

 とはいえ、リップは皮下を完全に切るつもりでいるわけではない。
 皮下が自分の押し付けた無理難題に応えてのけたなら、素直に同盟関係を続行してやるつもりであった。
 その場合でも峰津院を退けつつ、尚且つ皮下陣営を壊滅させられる算段は既に先程立ててある。 
 リップは選択を強いられる側ではなく、選択することが出来る身分なのだ。
 皮下陣営と峰津院陣営。この聖杯戦争を終わらせる力を持つ両陣営を、贅沢にも比較して選ぶことが出来る。
 そんなリップの心中を見透かしたように、皮下は嗤った。

「嘘だね。お前なりの未練だろ、リップ」

 空気が張り詰める。
 リップの眼光と皮下の眼光が交差した。
 自身が事実上丸腰であることを忘れたのかと思うほどの流暢な口振りで、皮下は語り出した。

「峰津院のお坊ちゃんに何を吹き込まれたか知らないけど、今対面して確信したよ。
 口じゃ高圧的に脅し紛いのことを言ってるが、結局お前もお前で俺達に未練があるんだ。
 まあ気持ちは分かるぜ、仕方ない仕方ない。俺らを切るってことは、当然あの人も敵に回るってことだもんな」
「仕損じた奴がよく言うもんだな。あのまま続けてれば勝ってたとでも言うつもりか? この国じゃそれを"負け惜しみ"って言うんじゃなかったか」
「勝ってたんだよ。退かせたのは合理的判断ってやつだ」

 皮下の言を負け惜しみと貶したのは本心からだ。
 だが、皮下の言う"あの人"……彼が率いるライダーを敵に回す云々の下りに関しては否定しきれない側面があった。
 峰津院大和と彼が従えているサーヴァントは確かに怪物だろう。
 しかしそれは、リップとシュヴィがあの時見た鬼神の如き男の脅威度を引き下げる要因にはまるでなってくれなかった。
 今でも引き続き、リップにとってカイドウは脅威なのだ。

 アレは、怪物だ。
 アレは、化物だ。
 大和の連れるランサーと比べても何ら劣らない強さを持っていることを理解しているからこそ、皮下の負け惜しみを貶しこそすれど全否定出来ない。
 本当にあのまま戦いが続いていればどうなっていたのか。
 皮下が臆病風に吹かれていなければ、新宿大戦の結末は如何なものとなっていたのか。
 それを断言出来ないからこそ、リップは現在の同盟関係を維持する未来を完全には捨て切らなかった。
 まさしく"合理的判断"だ。ともすれば混乱してもおかしくない状況に置かれながら、どちらの道にでも転べる最善の思考を練ることに成功した。

「とはいえこうして議論してても平行線だ。そして俺も、ぶっちゃけ今は色々忙しくてな。
 鬼ヶ島の修復のこともそうだし、総督は何故か急にやる気出し始めてるし、他のことにあまりかかずらってられないんだわ」

 そして皮下は、リップが賢明な判断をした末にこうして自分を呼び付けているだろうことを察していた。
 彼は人間の可能性や美しさを信じない。彼が信用するのは、今この時点で目の前にあるデータだけだ。
 されどその点においても、リップという人間は極めて優秀な――油断ならない"やり手"であった。
 だから信用した。リップが最善を選んでくるだろうことを。
 だから此処までやって来た。最善を選べる頭のある輩には、こちらも最善を選んで相対さなければならないから。

「だからまあなんだ。あっちに行きたきゃご自由にしてくれて構わないぜ?」

 胡座を掻きながらのんびり来るべき時に備えていればいい、そんな慢心はこの一時間弱で吹き飛んだ。
 カイドウが聖杯戦争に対する関心を明らかに高め出したことも、彼の気性と不安定さを思うと素直に喜んでいいものかどうか分からない。
 そんな真実の皮を巧みに被って、リップに頑なになられては困る自分の本心を包み隠す。
 こればかりは年季。この世界に比べて何十倍、否誇張抜きに何百倍も裏社会の技術力や人材レベルが上昇した世界で百年暗躍してきた杵柄だ。
 実力と相性ならば上を行かれるだろう。
 しかし悪人としてのキャリアならば、皮下はリップを遥か後ろに置き去ることが出来る。

「……大きく出たな。自分が置かれてる状況は理解出来てるか?」

 こき、と首を鳴らして薄笑いの皮下を睥睨するリップ。
 彼がした一瞬の目配せに、シュヴィはこくりと頷いた。
 何も手抜かりはない、という意味合いだ。
 皮下が何かしようとすれば、即座にシュヴィは過剰火力で彼を吹き飛ばすだろう。

「アーチャーの解析でお前があの化物を連れて来てないことは分かってる。
 此処で話が決裂するなら晴れてお前との縁は解消だ。お前のことは此処で殺したって構わない」
「そら見ろ、未練タラタラじゃねーか。否定すんなら喋る前に一撃なり入れる場面だろ不治(アンリペア)。同性相手のツンデレはキツいぜ?」

 オブラートなど一切包まない剥き出しの脅迫(ナイフ)。
 皮下はエナジードリンクをまた一口飲み、まるでカフェで一服でもするみたいな調子で彼へと返した。

「そっちがその気で来るなら令呪を使ってライダーを呼ぶ。確かにお前との相性は最悪だが、それならそれで"喰らわないように"逃げに徹すればいいからな」
「させると思うか」

 リップの言う通り、皮下はこの場にカイドウを同伴させていない。
 虹花の中で動かせる僅かな人材――ちょうど現世へ出ていたアカイを近くに待機させてはいるがそれだけだ。
 もしも何か怪しげな行動を起こせば、くどいようだがシュヴィが黙っていない。
 アカイが駆け付けることに成功したとして、神秘を持たない彼女では何の足止めにもなるまい。
 令呪を使うまでの時間稼ぎすら、果たして出来るかどうか。

 皮下はそれが無茶なことは自覚している。
 此処に来る前、元の世界で悲願の成就に向け邁進していた頃。
 皮下が運命の車輪で轢き潰した轍の一つ。
 そこから飛沫して車輪に紛れ込んだ、あるとても小さな砂粒の存在が、彼に一つの窮地を生んでいた。

 おぞましき血筋。凡人にとっての悪夢。
 人の不幸を苗床にして咲く徒花。ある魔人の始まり。
 一家六人、全員が超人。一個師団は愚か、誇張抜きに一国を敵に回すのと同等クラスの危険度を誇る連中。
 夜桜一家。色濃い破滅を突き付けられて意地で笑むしかないこの状況は、彼女達との対決が決定的になったあの懐かしい世界でのそれにもよく似ていた。

「あまり舐めてくれんなよ」

 皮下の眼に、ぼうっと灯るその光。
 桜の紋様。開花の証。彼を包む呪わしい祝福。
 ぐしゃ、とエナジードリンクの缶を握り潰して投げ捨てた。


「俺が今まで、誰と揉めるの覚悟でやってきたと思ってんだ」


 さりとて、窮地にあって尚皮下は歩みを止めない。
 過去。夜桜との対決という破滅の運命を見据えても、彼は足を止めようとはしなかった。
 何故なら彼は常に、その状況を想定して、覚悟して罪を重ね続けてきたから。
 そしてそれは世界が変わり、敵が変わった今であろうと何一つ変わらない。
 カイドウ、峰津院大和、そしてリップとシュヴィ・ドーラ。
 誰が相手でも、皮下真は一歩も退かない。
 ポーズはしよう、処世術も使おう、でも道を譲ることだけは有り得ない。

 夢追い人が歩みを止めればそれで終わりだ。

「……とはいえだ。何のかんの言っても、人材を失うってのはあまり旨くない話だ」

 いざとなったら腹を括ろう。
 しかし、言わずもがなそれは最悪の展開になった場合の話だ。
 皮下とてそうならないように努力くらいはする。
 そして今回は幸い、頭の中にあった秘蔵のカードを一枚明かすことで済んだ。

「だから一応、話自体は持ってきたんだぜ。ただ実証実験はこれからだ。
 今はまだ仮説段階の話でしかないし、ひょっとしたら俺の考え違いで全部終わる可能性もある」

 問題があるとすれば、それがまだ確証も糞もない仮説上の話であること。
 もし実証段階に移して空振ろうものなら、その時はいよいよ去る者達を引き止められない。

「ただ」

 勿論、カイドウの不興も買うことになろう。
 皮下は今以上のピンチに追い込まれるということだ。
 が、もしも全てが皮下の考える通りであったなら。
 その仮説を実証に移した時、得られる成果が皮下の思い描いた可能性をなぞってくれたなら。


「全部が俺の推定通りなら、間違いなく勝ち馬は俺達の方だ。
 多分俺達が一番効率よく、それでいて大規模にやれる。
 総督が聖杯戦争の粗方を終わらせてくれるだろうぜ」


 ――それが証明された時点で、聖杯戦争の終わりは見える。


 皮下はそう確信していたし、だからこそ此処でカードとして切ったのだ。
 峰津院大和という新たな取引先を見つけたリップの心を曲げさせるのは容易なことではない。
 故にこれは、皮下陣営にとっての今後を決定付けると言ってもいいワイルドカードであった。
 そうまでして自分達を引き止めたい、その考えはリップ達にも筒抜けだろう。
 皮下とてそれは承知の上。しかし今以上は一歩も譲らない。
 彼らが"これ以上"を求めるのならば話は決裂、一か八かの大博打……皮下はそう考えていた。
 どだい同盟相手に足元を見られ養分を吸われているようでは、あの大和を相手に打ち勝てなどすまい。

「(ハッタリを言っている風には見えないが……お前はどう思う?)」

 訝る様子を隠そうともしないリップ。
 彼の送った念話に、シュヴィが応答する。

「(ん……。虚勢ってわけでは、ないと思う……。
  ただ皮下も相当焦っては、いる……ペースを乱されないように、気をつけて……)」
「(分かった。ただ一応、いざとなればすぐにでもこいつを殺せるよう準備しておいてくれ)」

 解析体(プリューファ)であるシュヴィの眼はそう簡単には誤魔化せない。
 皮下の心拍数やバイタルサインを常に把握し、シュヴィは彼の言葉に嘘がないかを逐一監視している。
 皮下の焦りなんかはこれである程度筒抜けになっているのだったが、それでも嘘を吐いている風には見えなかった。
 念話を聞いたリップも、皮下の十八番が話術を用いての撹乱であることには察しが付いている。
 落ち着きを保ったまま、あくまで"上の立場から"、彼に話の続きを促した。

「聞かせろ。それに応じて考える」
「俺の部下の話は……したことあったよな」
「虹花。葉桜の超高度適合者で組織した私兵集団だったか」

 あれらはリップにとっても面倒な奴らという認識だった。
 数こそそれほどでもないが、一人一人が人間程度なら数百人単位で殺せる武力を植え付けられている。
 リップとて、虹花の主戦力になり得るメンバーに多対一を仕掛けられれば死を覚悟しなければなるまい。
 つくづくロールの格差がでかい戦いだと、界聖杯に悪態をつきたくなったものだった。

「あいつらには聖杯戦争のことと、この世界の真実についてを教えてある。
 自分達が勝敗に関わらず必ず滅んで消える線香花火みたいな存在だって知って尚健気に仕事してくれる最高の仲間達さ。
 それはいいが──おかしいと思わないか?
 界聖杯の定義じゃ奴らはNPC……"可能性なき者"って話だった筈だろ。世界の真実と自分の末路を知った連中は、それでもまだ"可能性がない"のか?」

 ……これについては、リップも考えていたことだ。
 "可能性なき者"と聞けば、浮かぶ印象はただ流されるままで、盤上に主体的に関与することの出来ない存在――というもの。
 故にNPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)。言い得て妙な表現である。

 では皮下の虹花のような、世界の真実を知り行動する者達は――その扱いに含めていいのか?
 自ら物を考え、終わる世界の中を歩む者。それを、可能性なき者の一言で片付けていいのか?
 これは何も道徳上の話を論じているわけではない。界聖杯内界における定義の問題だ。
 リップも疑問に思ってはいた。ただその上で、然程重要視するべき事でもないかと片付けていただけ。

「俺はそうは思わない」

 しかしそこには確たる意味があるのだと、確信した様子で皮下は断言した。

「界聖杯が言うところの"可能性"は、多分外側からの煽動で後天的に発現させることが出来るんだ。
 さあ、そこでクイズだリップ。別にアーチャーちゃんが答えてもいいけどな」

 どっかりとその場に腰を下ろして胡座を掻く藪医者。
 クイズ番組の出題者でも気取っているのか、指を一本だけ立ててみせる。

「ではそもそも、界聖杯にとって"可能性"とは何を意味する?
 未来へ歩む資格があるとかそういうエモい話じゃなくて、もっとシステマチックに考えた場合だ」

 界聖杯は"宇宙現象"の類であるが、そのあり方は非常に機械的だ。
 実際界聖杯とは無限の猿、或いは渦を巻く五十メートルプールにばら撒かれた時計の部品。
 小数点を遥か、本当に遥か下回る、ほとんど無と変わらない確率で出来上がった"自然発生した機械"。
 そう見るのが正しい存在なのだろうと、皮下はそう考えていた。
 少なくとも界聖杯そのものに何らかの意思が介在している気配はない。 
 であれば界聖杯が頻りに重視する"可能性"とは。ひいては、"可能性の器"とは一体何を意味する言葉なのか?
 その答えを先に出したのは、やはりと言うべきか機凱種の少女だった。

「ただの、NPCと……そうでない存在を、区別する……データ………?」
「正解……かどうかはまだ分かんないけどな。少なくとも俺はそう予想してる。
 要するに可能性持ちの人間ってのは、そうでない連中に比べて持ってる容量がでかいんだ。
 この世界の人間はNPC。元を辿れば界聖杯が直接生み出した存在だろ?
 ならその構成材質は人体組織に限りなく酷似した魔力で間違いない。似てはいるけど、人間じゃあないんだよ。本来はな」

 そう、あくまで本来は。

「しかしそこに外からアプローチを行うことで、本来存在しない筈の"可能性"を代入することが出来るんじゃないかと俺は考えた。
 可能性を後天的に得て覚醒したモブ共は途端に"ノン・プレイヤー・キャラクター"らしからぬ行動を取り始める。
 繰り返しの日常に疑問を抱き、いずれ来る終末に何かを想い、場合によっては命を懸してでも誰かの願いに奉仕しようとさえする」
「……まるで本物の人間のように――か?」
「そうそう、厳密には違うけど概ねヒト。四捨五入したら人間、みたいなイメージだな。
 で、界聖杯サマは多分そこのところをあまり厳密に区別してないんじゃないか……って所に俺の計画の骨子がある」

 皮下とリップの会話を見ているシュヴィの眉が微かに動いたことに、リップは気付いていた。
 けれどリップは何も言えない。彼は、シュヴィほどこの世界の住人の"命"を重く見られない。
 だから皮下の非道な言にもすんなりと順応することが出来た。

「無垢な人間もどきと知恵の実を齧った解脱者。サーヴァントに喰わせるならどっちの方が美味しいディナーになると思う?」
「後者、だろうな。界聖杯の定義する"可能性"がお前の言う通りのものならだが」
「確かにそうだが、此処では俺の仮説が正しいものとして話を進める。
 可能性覚醒者を狙っての魂喰いは、恐らく通常のそれとはかけ離れた効率の良さを持つと俺は考えてる。
 そうじゃなきゃ原理的に話が通らないからな。で、そういう裏技が使えるんなら、だ」

 そして皮下には当然、この世界に生きるNPCの命にも。
 可能性を与えられたことで覚醒した者達の命にも、等しく興味がなかった。
 どだい全てが終われば泡沫と消える命の重さなど、彼にしてみれば羽毛に等しい。
 いや。己の願いの礎になること、そしてこれから明かす"策"の燃料になることを踏まえるならば。
 羽毛というよりかは――"薪木"の方が近いか。
 天、或いは地平線の彼方へと飛翔する為に必要な炎。そこに焼べるための、薪木。



「人口密集地で鬼ヶ島を開き、NPCを取り込んで覚醒者を乱造する。
 哀れな彼らに世界の真実を共有したら片っ端からライダーの餌。
 鬼ヶ島の復旧は進むし、あのアル中モンスターはやればやるほど手に負えねー化物になっていくってわけだ」


 ……さしものリップも、一瞬閉口した。


「机上の空論だな。第一、その"可能性覚醒者"とやらがそう簡単に乱造出来るものとも思えない。ヒトラー気取って演説でもするつもりか」
「どうせ殺すんだ。勇気に燃えてくれる必要はない」

 確かに全ての理屈が正しいのならば、これは目を覆いたくなるほど効果的な裏技(グリッチ)だろう。
 本来そこにはもう一つ、"そんなことが可能ならば"という言葉が付くのが普通だ。
 が、皮下達に限ってはそこは問題ではない。彼らには鬼ヶ島がある。
 あの異界に外から入れる存在など、どだい先の鋼翼くらいのものなのだ。
 つまり重要なのは皮下の唱えた仮説が正しいかどうか。それだけなのである。
 そしてもし、全てが彼の考察した通りであったのなら。

 ――鬼ヶ島を展開して無差別にNPCを取り込み、覚醒させ、喰らう。
 このプロセスを用いて、何処までもカイドウや自軍のサーヴァントを強化することが出来たなら。

「"死にたくない"って気持ちも、世界の真実と合わせて捏ねれば充分"可能性"だろ。
 ウチのライダーや、おたくのアーチャーちゃんの力があればそこの課題は克服出来る。
 お手軽でローリスクな強化法(レベルアップシステム)の完成ってワケだ」

 その先に待つのは、確かに。
 聖杯戦争の終幕、そうでなくとも洛陽だろう。
 カイドウという圧倒的な"個"と、彼が有する百獣海賊団。
 彼の傘下に入ったサーヴァント達による援護射撃。
 これを切り抜けられる陣営など、まず居ない。
 少なくとも外からでは間違いなく切り崩すことの叶わない、世界最悪の軍勢の完成だ。 

「ま、出せる交渉材料はこんなところだ。これでも気持ちが変わらないならそれまでだな。
 お前らからなんとか逃げたら、次に会うのは聖杯戦争を終わらせるその時だ。
 お前はアーチャーちゃんと二人三脚で、頑張って総督への対抗策を考えてくれや」

 ひらひらと手を振って、今までのお返しとばかりに思い切り足元を見る。
 無論、皮下が背にしているのが断崖絶壁であることに変わりはない。
 "リップ達から逃げる"ことがまず前提条件として難題過ぎる、しかしそんなことは百も承知だ。
 此処まで来たら後は度胸と覚悟。嘘は見抜かれるのでなりふり構わず堂々、面と向かって勝負するしかない。


「──で、どうする?」


◆◆


「(あっっぶね~~~~~~! こんな序盤で令呪もう一画なんて使えるかよ~~~~~!!)」

 皮下が提示したカード。
 それを前にしてリップが選んだのは……"一先ずの"同盟関係の継続だった。
 とはいえ、同盟を反故にする旨の全面撤回とまでは行かなかった。
 リップが先方から提示されている回答期限、それまでに皮下が確たる成果を示すこと。
 もとい、背中に冷や汗を垂れ流しながら一か八かで突き付けた虎の子の覚醒者乱造計画。
 それが"実現可能なものである"とリップが認めなければ、彼らは当初の予定通り皮下陣営を離反する。
 落とし所としては上々だろう。むしろ皮下はよくやった。
 あの場面で掴み取れる最大の戦果を、寿命の縮むような思いをするのと引き換えに見事毟り取れたわけだ。

「(まあ、これでとりあえず当面の間は引き止められるだろ。
  ……実験やるまでにもう一回、今度はカイドウさん直々に面談でもしてもらうか。
  もしかしたら上手いことこいつらを完全に懐柔出来たりするかもしれないしな。うんうん、時には仕事は上司にぶん投げだ)」

 もう二度と、こんな大立ち回りはしたくない。
 峰津院大和との対面といい今回の交渉といい、この一時間弱の間で振り切った筈の寿命が爆速で縮んだのを感じる。
 とにかく今、皮下はさっさと鬼ヶ島に帰ってゆっくり腰を落ち着けたかった。
 というか、リップから離れたかった。
 気まぐれ一つで自分に決定的な致命傷を刻めるような"天敵"の傍に居たいと考えるほど、皮下は酔狂な人間ではないのだ。


 そして、皮下が胸を撫で下ろす一方で。
 リップとシュヴィはやはり、お互い以外には聞こえない声で対話していた。
 話題はもちろん、今しがた皮下から聞いた話について。
 正確には、皮下の話を一時的にとはいえ"信じた"その選択について、であった。


「(よかった、の……? 皮下の話、信じて……)」
「(実際馬鹿に出来た話じゃないからな。
  奴の理論が的を外していたなら即座に見切りをつけるが、本当に例の方法が通用するなら組み続ける価値はある)」

 峰津院大和、ひいては彼の率いる峰津院財閥は確かに強大だ。
 しかして、社会のしがらみに一切縛られることなく他者を圧せる絶対的な存在の出現を前にしては烏合の衆と変わらない。
 皮下の計画はまさに、峰津院大和が持つアドバンテージを正面から押し潰し得る"蓬莱の玉の枝"だった。

「(それに俺が回収した"麻薬"。これの量産も、多分峰津院よりかは皮下達の方がスムーズにやれるだろう。
  皮下もそうだがクイーンとかいうクソ野郎も居る。設備の規模もデカくておまけに足が付かない)」

 皮下陣営と峰津院を天秤に掛けた時、リップは麻薬――"地獄への回数券"について妥協した。
 峰津院財閥の手でも量産は可能だろうが、速度で言えば皮下達と組んだ場合に比べれば劣るだろうと。
 そう分かった上で様々な条件を鑑み、妥協ないしは後回しにしてもいい部分であると踏んだ。
 が、皮下が峰津院はおろか目の前の現状全てを破壊し得る作戦(アイデア)を持っていたとなれば話は変わってくる。
 一度は妥協し遠ざけた問題に、もう一度手を伸ばすことが出来るようになったわけだ。

「(期待はしてなかったけどな。少なくとも、当分様子を見てみる価値はあると判断した)」

 皮下の話が的を外していたならばその時は大手を振って離脱するまでだ。
 問題は、もしも皮下がこれから行うだろう実証実験で成果が出てしまった場合の話。
 そうなれば、皮下陣営と峰津院、どちらと組むかのウェイトは完全に逆転する。
 リップは結果を見て、それに応じて出す答えを切り替えればいいだけ。

 なんとも旨い話だと思う者もあろう。
 けれどリップはそうではなかった。
 そしてシュヴィも、そんな主の心境を理解していた。
 皮下が提示してきたワイルドカード。
 それが本当に効果を発揮することが判明したとして、強い力を味方に付けることには代償が伴う。

「(ただ、あのライダーが余計に強くなることだけは留意しておく必要がある。
  そもそも分が悪かった相手が余計に魂喰いで肥え太るんだ。胡座掻いてたら気付いた時には手遅れだ)」

 リップが大和と組むことに対して示した難色。
 彼が挙げた四つの減点。その三番目と四番目は、そのまま"仮説が正しかった場合"の皮下陣営にも当て嵌められる。
 派手にやり過ぎたことについてはまだいい。カイドウの持つ異空間に隠れ潜めば、大半の輩は座標すら突き止められないのだ。
 四番目の減点項目に関しては論外だ。大和とは違い、皮下は十中八九自分の願いに譲歩しない。
 大和の言が本当だったかどうかは今以って分からない。真実は奴の頭の中にしかない。

 だが重ねて言う。皮下は、その点においては論外である。
 万が一の時の夢も希望もありはしない。
 皮下を選ぶということは即ち、今までにも況して"必ず勝たねばならない"ということ。
 此処に関しては大和を信じていいかが微妙なラインであることを踏まえても、明確に皮下側が劣る点だろう。

「(後、これだけは言っておくが)」
「(……、……)」
「(仮に皮下の論が正しかったとしても、俺はお前に"覚醒者喰い"をさせるつもりはない)」

 カイドウの排除手段を手に入れておかなければならない理由の一つが、これだった。
 リップはシュヴィに覚醒者喰いをさせるつもりがない。
 それが心の贅肉、非合理的な思考に基づく判断であることは百も承知だ。
 だが、それでもリップはその一線だけは踏み越えなかった。
 踏み越えたくなかった、というのが正しいだろうが、彼はそれを頑なに認めないだろう。

 リップは、そういう男であるから。
 何もかも捨てたような面をして、最後の最後まで他人への情を捨てられない。

 その優しさが、シュヴィには痛かった。
 魂喰いなどしたくはない。それは、シュヴィの愛する"彼(リク)"の選んだ道と反目する行いだから。

 けれど、リップが自分のために本来歩むべき道を逸れることには――心が痛む。
 私のせいで、と。そう思ってしまうシュヴィもまた、マスターに負けず劣らず非合理的な英霊だった。
 彼らは――どれだけ覚悟を決めても、覇を唱えても、心の奥にある優しさまでは捨て切れない。
 そんな合理の二文字とは正反の道を行く、優しい者達なのであった。

「(皮下達と組む場合は、当然あの化物じみたライダーを殺す策も並行して組んでいくことになる。
  こいつだって馬鹿じゃないんだ。俺達との同盟を維持出来るのが確定したら、確実に不治(おれ)を対策してくる筈だ)」

 皮下の暗殺を狙えばカイドウの排除は容易だと、そう高を括れたら確かに楽だ。
 だが現実は違う。皮下はリップへの対策を考えるだろうし、カイドウも黙っては居るまい。
 かと言ってカイドウの強さに胡座を掻いていれば、地獄と向き合うことを後に回していたツケを誰も彼もが死に絶えた地平で支払うことになる。
 この辺りについては後ほど作戦を立て、程良く暴れさせた上で頃合いを見て蹴落とせるよう準備しておくことが肝要だ。
 最悪。峰津院との同盟自体は断りつつも、あちらに内通するような立ち回りも視野に入れる必要があるか。

「(……悪いな、シュヴィ。結局のところ俺は、自分の願いへ向かう近道を選んじまう)」
「(マスターが、謝ることじゃ、ない……。おかしいのは、シュヴィの方……だから……)」

 語るべき、伝えるべき方針を全て語り終えたリップが告げた言葉。
 それがもし念話でなく声に出しての対話であったなら。
 二人だけで交わす会話の一部であったなら、シュヴィはふるふると首を横に振っていただろう。

「(マスターは……シュヴィに、誰かを殺すことをさせないでくれた……。
  それだけでも、シュヴィは……マスターに、ありがとうって……言わないと、だよ……?)」
「(そうか。……悪――いや。こっちこそありがとう、か」

 とはいえ、方針は決まった。
 皮下の理論が正しいものであったなら彼の方を。
 彼の理論が空振ったなら、峰津院大和の方を取る。
 どちらを選ぶにせよ油断なく、確実に自分達が勝てるように立ち回るまでだ。
 リップは念話を終え、鬼ヶ島へ繋がる門(ポータル)を開いた皮下の方へ視線をやった。

 ……その時。おもむろに口を開き、白衣の彼へと問いを投げたのはシュヴィだった。


「……ねえ」

 シュヴィは、皮下を嫌っている。
 胡散臭く、命を何とも思わず、おまけに言動までいけ好かない。
 そんな相手を好きになれる道理はないと今でもそう思っているが。
 彼女はそれでも、皮下に対して口を開き。そして、問いを投げた。

「あなたは……なんで、聖杯を……求めてる、の……?」

 リップも、彼女のその行動には驚いた。
 驚いたが何を言うでもなく無言を保ったのは、彼もまた興味があったからか。
 これから手を組むことになり得る相手の志に、或いは根源に。
 形はどうあれ触れておくことはマイナスにはならないだろうと、そう思ったのか。

 定かではないが、彼は己のサーヴァントの独断行動に沈黙を保ち。
 問われた側である皮下は門へと向かう足を止め、振り返らないまま口を開いた。

「世界を平和にしたいんだ」
「……え……?」
「平等と平和だ。聖杯なんかなくても叶えられる算段はあったが、最近はちょっと雲行きが怪しくてなー。
 界聖杯を手に入れてぽんと種をまく。全人類の血に、綺麗な綺麗な桜の花弁を混ぜるんだ。
 そうすれば誰もが等しく超越者、人類はみんな仲良く横並びになるってわけさ。
 意外と素敵な野望だろ? 峰津院のお坊ちゃんには、理想に反するってにべもなく切り捨てられちまったけどな」

 その言葉に嘘がないこと。
 こんな非道で、ただただいけ好かない人間が。
 他人の地雷の上でタップダンスを踊って爆笑しているような人間が、嘘偽りなくこんなことを言っている。
 それが、なまじヒトより遥かに優れた解析力を持ってしまったシュヴィには分かってしまった。
 分かってしまったからこそ、返す言葉はなく。

「驚いたか? 俺みたいなろくでなしが、存外まともなことを夢見てるって」
「全く以ってらしくないな。悪い冗談だ」
「ですよねー。けど、これでも百年くらいかけてちまちま進めてきた話なんだぜ?」

 ――ああ、そして。

「満開に咲いた綺麗な桜が、いつか皆の"当たり前"になるように。
 誰もがそうであることを疑いもしない、そんな世界が来るようにってな」

 シュヴィには分かってしまう。
 伝わって、しまう。
 忌み嫌っていた男の瞳に浮かんだ微かな慕情の色。
 それを見て、察せてしまう。
 彼が叶えようとしている願い。数多の屍を踏み越えて辿り着かんとしている理想の果て。
 それが、"誰かの為"の願いであることを。
 誰もが夢物語と笑い飛ばすような過酷な旅路の果てに待つ、空想じみたエンドロールであることを。

 知らなければ良かった。
 知ろうとしなければ良かった。
 されど一度踏み出した足は戻らず、なまじ優秀な記憶野は覚えたことを忘れてはくれず。
 シュヴィはただ異界へと向かう主の後に続くことしか、出来なかった。


【渋谷区・中央付近/一日目・夜】

【皮下真@夜桜さんちの大作戦】
[状態]:魔力消費(中)
[令呪]:残り二画
[装備]:?
[道具]:?
[所持金]:纏まった金額を所持(『葉桜』流通によっては更に利益を得ている可能性も有)
[思考・状況]
基本方針:医者として動きつつ、あらゆる手段を講じて勝利する。
0:とにかく少し休みたいんだが……そうも行かねえんだろうな~~~。
1:覚醒者に対する実験の準備を進める。
2:戦力を増やしつつ敵主従を減らす。
3:沙都子ちゃんとは仲良くしたいけど……あのサーヴァントはなー。怪しすぎだよなー。
4:全身に包帯巻いてるとか行方不明者と関係とかさー、ちょっとあからさますぎて、どうするよ?
5:峰津院財閥の対処もしておきたいけどよ……どうすっかなー? 一応、ICカードはあるけどこれもうダメだろ
6:リップとアーチャー(シュヴィ)については総督と相談。
7:つぼみ、俺の家がない(ハガレン)
[備考]
※咲耶の行方不明報道と霧子の態度から、咲耶がマスターであったことを推測しています。
※会場の各所に、協力者と彼等が用意した隠れ家を配備しています。掌握している設備としては皮下医院が最大です。
 虹花の主要メンバーや葉桜の被験体のような足がつくとまずい人間はカイドウの鬼ヶ島の中に格納しているようです。
※ハクジャから田中摩美々、七草にちかについての情報と所感を受け取りました。
※峰津院財閥のICカード@デビルサバイバー2、風野灯織と八宮めぐるのスマートフォンを所持しています。
※虹花@夜桜さんちの大作戦 のメンバーの「アオヌマ」は皮下医院付近を監視しています。「アカイ」は星野アイの調査で現世に出ました
※皮下医院の崩壊に伴い「チャチャ」が死亡しました。「アオヌマ」の行方は後続の書き手様にお任せします
※ドクロドームの角の落下により、皮下医院が崩壊しました。カイドウのせいです。あーあ
皮下「何やってんだお前ェっ!!!!!!!!!!!!」


【リップ@アンデッドアンラック】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:走刃脚、医療用メス数本、峰津院大和の名刺
[道具]:ヘルズクーポン(紙片)
[所持金]:数万円
[思考・状況]
基本方針:聖杯の力で“あの日”をやり直す。
1:皮下の提示した理論が正しいかを見極める。
2:もしも期待に添わない形だった場合大和と組む。
3:敵主従の排除。同盟などは状況を鑑みて判断。
4:地獄への回数券(ヘルズ・クーポン)の量産について皮下の意見を伺う。
5:ガムテープの殺し屋達(グラス・チルドレン)は様子見。追撃が激しければ攻勢に出るが、今は他主従との潰し合いによる疲弊を待ちたい。
6:峰津院大和から同盟の申し出を受けました。返答期限は今日の0:00までです
[備考]
※『ヘルズ・クーポン@忍者と極道』の製造方法を知りましたが、物資の都合から大量生産や完璧な再現は難しいと判断しました。また『ガムテープの殺し屋達(グラス・チルドレン)』が一定の規模を持った集団であり、ヘルズ・クーポンの確保において同様の状況に置かれていることを推測しました。
※ロールは非合法の薬物を売る元医者となっています。医者時代は“記憶”として知覚しています。皮下医院も何度か訪れていたことになっていますが、皮下真とは殆ど交流していないようです。

【アーチャー(シュヴィ・ドーラ)@ノーゲーム・ノーライフ】
[状態]:健康
[装備]:機凱種としての武装
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:叶うなら、もう一度リクに会いたい。
0:…マスター。シュヴィが、守るからね。
1:マスター(リップ)に従う。いざとなったら戦う。
2:マスターが心配。殺しはしたくないけと、彼が裏で暗躍していることにも薄々気づいている。
3:フォーリナー(アビゲイル)への恐怖。
4:皮下真とそのサーヴァント(カイドウ)達に警戒。
5:峰津院大和とそのサーヴァント(ベルゼバブ)を警戒。特に、大和の方が危険かも知れない


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最終更新:2021年11月29日 23:29