刀というのは、剣というのは、非常に繊細な得物である。
 使い方一つ、振るい方一つでどんな業物でも鈍らに成り下がる。
 今武蔵が目の前にしているその剣は、一見すると莫迦の世迷言としか思えないような形(なり)をしていた。
 刀身の巨大さもさることながら、三叉に分かれた異形の刀身はあまりに奇を衒いすぎている。
 剣に精通した者であれば失笑とてしよう。こんな一発芸で死合の場を切り抜けようなど笑止千万、片腹痛し――と。

 ひとしきり笑った後で、そのまま死ぬだろう。
 その身を散り散りに引き裂かれて、臓腑を撒き散らしながら果てるだろう。
 剣の極致に触れた武蔵にはそれが分かる。常なる剣士ならば扱えぬ莫迦げた刀も、しかし異能の鬼が振るうならばどうか。
 その答えが具現化するのを待たずして武蔵は仕掛けた。先手必勝、勝負事の世界においてはいつも不変の真理。

「……ッ!」

 が、仕掛けた武蔵よりも更に疾く黒死牟の剣戟が迸った。
 行った動作はほんの微かに虚哭神去、真の姿を露わにした鬼刀の刀身を傾けただけ。
 しかしそれだけで無数の斬撃が、地を這いながら武蔵に向かって襲いかかった。
 言わずもがなそこには不可視の力場が載っている――武蔵の目をしてもそれは見えないが、これだけ打ち合っていれば形は正確にイメージ出来る。

 イメージさえ出来るならば、形と大きさが分かるならば。
 欠けていく月の像を正確に思い描けるならば――斬り伏せることは造作もない。
 無論それからして絶技も絶技。人間が辿り着ける領域を遥かに超えた魔人の剣だ。
 それを誇るでもひけらかすでもなく当然のものとして繰り出しながら肉薄する、武蔵。
 黒死牟も驚かない。この女剣士はまさに達人、否それ以上。
 そう分かっているからこそ、"知っていたぞ"とばかりに乱れず動じず呼吸する。

「(――来る!)」

 ホォオオオオ、というその独特な呼吸音は武蔵の知らない技術だ。
 同じ剣士としてどういうノウハウを使っているのか教えを乞うてみたい気持ちもあったが、そんな雑念は排除して全神経を集中させる。
 その意気や良しとばかりに振るわれた刀が描いたのは、月の呼吸――捌ノ型。

 月龍輪尾。その名の通り、龍が尾を振るったような重く鋭い横薙ぎの一閃が迸った。
 しかしその斬撃の大きさ、即ち攻撃範囲の広さは先程まで彼が見せていた剣技の比ではない。
 ざっと数倍に達して余りある範囲を死線に定義しながら、そこから更に月の力場を撒き散らす。
 何たる欲張り。何たる無茶苦茶。とことんまで、下総の英霊剣豪達と被る男だった。
 見通しが甘かったと武蔵は思う。これほど"出来る"鬼を相手にするに当たって、自分はどれほど軽い気持ちでいたのかと。

「(重っも……! 間違っても直撃は出来ないわね……!!)」

 受け止めた剣が砕けるのではないかというほどの威力。
 衝撃を殺して力場を斬り、舞い上がる粉塵の中で大地を踏んで接敵へ。
 武蔵も負けてなどいない。彼女が放つ斬撃の速度、そして手数は黒死牟のそれを超えている。
 多刀のアドバンテージを活かしての連撃で、武蔵は至近距離から黒死牟の牙城を攻略しにかかった。
 既にお互いの手の内は相手に殆ど割れている――よって戦いのステージは単純な実力勝負、最も原始的な形のそれに回帰した。

 黒死牟には失血という概念がない。
 臓物を撒き散らしたところで、手足を斬り落とされたところで、体を両断されたところで、彼は死なない。
 しかしそれは不死を意味しない。始祖以外の全ての鬼に共通する、日光以外のもう一つの弱点――それが頸だ。
 頸を斬られれば黒死牟とて死ぬ。滅ぶ。
 その点、先程の武蔵は惜しかった。
 あともう少し刃を深く通せていたなら、黒死牟を斬首して殺すことも可能であったろう。
 尤もその場合は黒死牟も身に迫る死の気配を察知し、武蔵に斬られる不覚をそもそも晒さなかった可能性もあるが。

「(気付いていようがいまいが関係はない。この女には、私の頸に触れられる程の力量があるのだ)」

 黒死牟がかつて人間だった頃。
 丁度その時代を生きていた、とある剣術家の存在を彼は思い出していた。
 直接剣を交えたことはおろか会ったこともない、一方的に風聞を聞いたことがあるだけの相手だ。
 曰く二刀流。二天一流兵法の開祖。巌流島の戦いを制して天下にその名を轟かせた、日ノ本剣士の代名詞――。

 その名と生涯に興味を惹かれた試しはなかった。
 黒死牟はその男なぞより余程優れた、怪物としか形容のしようがない剣士の存在を知っていたからだ。
 だから彼を追いかける道すがら、余計な横道を見るようなことはしてこなかった。
 だが今、相対してみて感じる。互いに死を超えて迷い出た異境の戦場で死合っているこの女から、その剣士の伝説を。生き様を。
 勝利のためなら手段を選ばない姿勢、決められた型に収まることのない柔軟でそれでいて苛烈極まりない剣。
 彼女が風評とは異なる性別をしてさえいなかったなら、黒死牟はその真名を看破していたかもしれない。

 剣と剣が交錯する。
 火花を散らして斬り結ぶ。
 絶望するどころかより活き活きと、愉しそうに全力の黒死牟と戦う女剣士。
 彼女こそは、世界こそ違えども、黒死牟が脳裏に描いたのと同じ名を持つ英霊。
 すなわち宮本武蔵。消えゆく世界からさえ弾かれた流浪人。
 されど、されど――その剣の冴え、武芸の次元。いずれも、黒死牟が侮った"男の武蔵"を遥かに凌ぐ。

「さあ鬼さん、次は何?」
「そう望むのならば……馳走しよう……」

 挑発するような武蔵の言動。
 それを受け止め、黒死牟が次なる月を繰り出すべく呼吸する。
 その隙を縫うように切り込む武蔵の暴挙は想定の内だ。
 糞真面目としか言い様のない完璧な対処、迎撃を行いながら、その上で満を持して次の凶月が顕現した。


 ――月の呼吸・拾肆ノ型。
 その型の多さからしてまず異質なことは言うまでもないが。
 黒死牟の剣は型の数字が増す毎に、"技術"と"血鬼術"のウェイトが逆転していく。
 拾肆ともなればもはや繰り出される斬撃は剣術の域を完全に超絶する。

 まさに兇変。兇変――天満繊月。
 黒死牟の周囲を武蔵諸共に埋め尽くし、磨り潰さんとする渦状の斬撃。
 その攻撃範囲はもはや、剣という武器から繰り出されるそれではなかった。
 血鬼術に物を言わせた殲滅斬撃。武蔵の体に裂傷が増え、血が風に乗って地面を汚す。

 武蔵は瞠目していた。
 異能の剣など見慣れている筈の武蔵が目を見開いた訳は、しかし単に"技"の冴えに対して驚愕しているわけではなく。


 それは、憐れむ眼であった。
 それは、哀しむ眼であった。
 そういうものを見る、眼であった。


「(何故――私をその眼で見る)」 


 どくん――。
 今はもうない心臓が脈打つような錯覚を覚える。
 その時黒死牟の脳裏に過ぎったのは、思い出したくもない赤い月の夜だった。
 数十年の時を経て、人間相応に老いさらばえて、それでも二本の足で地を踏み締めていた忌まわしい男。
 お労しやと。人の肉体を捨て永遠になった黒死牟を、かつて人間だったソレを見て涙を流した彼の瞳。
 それとよく似たものが武蔵の瞳に宿っているのを、黒死牟は確かに見た。

「(私の何が憐れだというのだ。私の何が、哀しいというのだ)」

 武蔵は生きている。
 己の凶月の只中にありながら、月光の代わりに降り注ぐ斬撃の中にありながら、耐えている。
 だが黒死牟にとって今重要なのは、武蔵が浮かべたあの眼だった。
 鎖した記憶。死に際に見た追想。侍とは思えぬ姿に成り果てて自壊し、塵のように消えていったその末路。

 ――こんなことの為に、私は何百年も生きてきたのか?
 ――負けたくなかったのか? 醜い化け物になっても
 ――強くなりたかったのか? 人を喰らっても

 やめろ。
 やめろ。思い出すな。
 出して来るな、それを。

 ――家を捨て。
 ――妻子を捨て。
 ――人間であることを捨て。
 ――子孫を斬り捨て。
 ――侍であることも捨てたというのに。

 やめろ。


 ――――ここまでしても、駄目なのか?


 開きかけた妄執の門。悔恨の最期。
 パンドラの匣めいたそれが最後まで開かれることがなかったのは、しかし何という皮肉か。
 斬殺ではなく圧殺に等しい斬撃の渦を乗り越えて懐にまで迫った武蔵を視認したことで、黒死牟の思考がようやく現実に戻ってきた。
 元より拾肆の型は打ち終えた後に多少の隙が伴う技。
 にも関わらず忘我の境地に立たされているようでは当然、身を滅ぼす窮地が訪れることになる。

 筋肉を限界を超えた領域で駆動させる。
 自身の頸を狙い迫る刃を迎え撃つべく魔剣を振るう。
 それでも間に合うか、否々間に合わせずしてどうする。
 剛柔の後者を切り捨てた、ただがむしゃらに生を繋ぐためだけの斬撃。
 それが武蔵の剣に触れるかどうかの一瞬に。
 武蔵が呟いたその声が、聞こえた。

「そう。貴方、自分でも分かってるんだ」

 その意味合いを理解することもなく。
 自身の剣が彼女の剣を弾いたかどうかを確認することもなく。
 この戦いの勝敗を、自らの生死を悟ることもなく。
 黒死牟は、目には見えない逆らい難い力に引かれて死合舞台から姿を消した。


◆◆


 熱中症とだけ聞けばありふれた、そこまで怖くないものに聞こえるかもしれない。
 だがその認識は大間違いだ。熱中症は怖い。人を殺すこともあるし、そうでなくても一人の人間を永久的に意思疎通の困難な状態にすることもある。
 有名な例えだが、卵を茹でた結果出来上がったゆで卵があったとしよう。
 それを生卵に戻せと言われて出来る人間は、魔法使いでもない限りまず存在すまい。
 それと同じだ。熱中症は脳にダイレクトで、不可逆の変化を及ぼす。そしてその変化は、人間の一生を終わらせるのに十分すぎるものなのだ。
 医学の道を志す者として、幽谷霧子は当然かつて熱中症から生まれた悲劇の数々を知っていた。
 だから本人が「大丈夫」と言っても横着することなく、医学的な最善の手段で目の前の少女を介抱した。

「大丈夫……? 具合が悪かったら、遠慮せず言ってね……」
「……みー。もう大丈夫なのですよ、霧子」

 触れた感じ熱はなかった。
 その時点でとりあえず重篤ではないと分かったが、念には念をだ。
 霧子はコンビニで冷却シートとスポーツドリンクを買い、少女……古手梨花へと与えた。
 冷却シートは額ではなく首元に貼った。太い血管が体の表面近くを走っている箇所に貼った方が、熱中症対策としてはベターである。

「そっか……なら、よかった……。でも無理しちゃダメだよ、梨花ちゃん……」
「現役のアイドルさんに直接看病してもらえるなんて、みんなに自慢できそうなのですよ。にぱー」
「ふふ……そう……? そう言ってもらえるのは、嬉しいな……」

 今、二人……いや。
 霧子に同行していた柔らかい雰囲気の女性・ハクジャを含めれば三人か。
 三人の居る場所は、梨花を見つけた場所からそう遠くない位置にあったチェーンの喫茶店だ。
 霧子はミルクティーを、ハクジャはレモンティーを。梨花は葡萄のジュースを頼んでいる。
 日が当たらない場所である上にクーラーも程よく利いており、梨花の具合は大分良くなりつつあった。
 無垢な少女として、いつも通り猫を被って霧子達に応対する一方で。

「(幽谷霧子。アンティーカのメンバー……咲耶の、仲間)」

 梨花はその心中では、一人の少女の面影を描き出していた。
 白瀬咲耶。本戦まで生き残ることの出来なかった"可能性の器"。
 否、彼女という人間の人となりに触れたことのある身としては、そんな無機質な形容はしたくなかった。

 白瀬咲耶。強くて、誠実で、どこまでもまっすぐな――ひとりのアイドル。
 華やかなだけでない確かな芯と心を持った彼女の声を聞くことは、もう叶わない。
 その顔を見ることすら、叶わない。あの時取れなかった信頼の手に"もう一度だけ"と手を伸ばすことさえ許されない。
 そんな梨花の前に現れた、幽谷霧子。アンティーカのメンバーである彼女は、傍目には落ち込んだり打ちのめされたりしている様子は見えない。

 だが平気ではないだろうと、梨花はそう考える。
 大事な仲間を喪う痛みの重さはよく分かるつもりだ。
 そして、だからこそ。目の前の霧子に後ろめたさを感じないと言えば嘘になった。
 梨花が悪いわけではない。
 確かに梨花が咲耶と協力する道を選んでいれば運命は変えられたかもしれないが、それを彼女の咎として責め立てるのはあまりに酷だろう。
 けれど。自分達の間にあったことを知らずに優しい善意を分けてくれる霧子に対して何も感じないほど、梨花は割り切れなかった。

「梨花ちゃんは……今日は、お出かけ……?」
「はいなのです。お買い物をするつもりだったのですが、お日さまがぴかぴかでボクはへなへなにゃーにゃーになってしまったのですよ」
「ふふっ……。そうなんだ、でも……この季節は、熱中症にはくれぐれも気をつけてね……」
「身に沁みて分かったのですよ。これからは気をつけますです」

 傍目には微笑ましいそれにしか見えないだろう会話に興じつつ、梨花はちらりと。
 霧子の隣に座って自分達の会話を眺めている妙齢の女性の方を見た。

「改めて、危ないところを助けてくれてありがとうございました。霧子も、ハクジャも」
「ふふふ。お礼を言うのは霧子ちゃんに対してだけでいいのよ? 梨花ちゃんを見つけてくれたのは、霧子ちゃんの方なんだから」

 ハクジャ、と呼ばれた彼女。
 立ち振る舞いは上品で、梨花はどことなく自分を運命の檻の中に捕らえていた看護婦のことを思い出した。
 だからこそ、というわけではないが――梨花はハクジャに対しこう思っていた。
 この女は怪しいと。隙を見せたり、自分の素性に近付かれてしまうような情報を晒すべき相手ではないと。

 それとなく探ったところ、霧子のマネージャーのような立場というわけではないらしい。
 霧子が暮らしているという病院寮。その大元である病院……皮下医院に縁のある人物だという。
 近頃は何かと物騒だから、こうして霧子の外出に付き添っている。
 表面上こそ納得した素振りを見せたものの、内心では梨花は"それは出来すぎているのではないか"と疑っていた。
 普通に考えれば警戒しすぎと片付けられてもおかしくはない疑念。
 されど古手梨花が聖杯戦争の参加者、可能性の器(マスター)であることを踏まえて勘案すればむしろ妥当なものという評価に変わろう。

「霧子は、ハクジャと一緒にどこへお出かけするつもりだったのですか?」

 武蔵が戻ってきたなら、彼女の評価も聞いてみたいところだったが。
 別れてからそれなりに経つというのに、未だあのお転婆な女剣士が戻ってくる気配はなかった。
 彼女の実力の程は知っている。知っているけれど、それは心配しない理由にはならない。
 何かあったのではないかと思いつつも、不用意に念話をして彼女の剣を鈍らせてしまったらと思うと迂闊な行動には出られず。
 結果梨花はクーラーの効いた喫茶店の中で、悶々とした時間を過ごすのを余儀なくされていた。

「…………見つけたいものが……あって……」
「……え?」
「もしかしたら……形は、ないかもしれないけど……。
 でも……それでも、わたしは……どうしても、見つけたいんだ…………。
 きっとそれが……今のわたしに出来る、一番のことだから………」
「そう、ですか。……みー。それはとっても素敵なことだと思うのですよ」

 話を繋ぐため、それでいて不自然さを感じさせないため。
 梨花としては、精々その程度の腹積もりで話を振ったつもりだった。

 けれど霧子はそんなこと知る由もない。
 そもそも彼女は、梨花のことを見た目相応の可愛らしい子どもとしか認識していなかったろう。
 だからこそ。いや、"にも関わらず"――か。
 霧子は事の本質をぼかすことこそすれど、梨花の問いに対して極めて正直な回答を返した。
 梨花にその言葉の意味が伝わることはないだろうと分かった上で、それでも嘘を吐いたり誤魔化したりはしなかったのだ。
 そして、そんな霧子の言葉は。奇しくも彼女自身の意思とは裏腹に、古手梨花に"完全に"伝わってしまった。


 ――見つけたいもの。
 形はもうないかもしれないもの。
 アンティーカの末っ子、幽谷霧子が今見つけたいと願うもの。
 その正体を、輪郭を、梨花は思い描けてしまう。
 何故なら梨花は、恐らく霧子が今面影と遺したものを探しているのだろう"彼女"と既に会っているから。

 梨花は、霧子に何と言葉をかければいいか分からなかった。
 "彼女"。白瀬咲耶との間にあった出来事を、顛末を、全て伝えてあげたい。
 ハクジャさえ居なかったなら、梨花は霧子に対しそうしていたかもしれない。
 しかしハクジャが梨花の視点で警戒対象である内は、彼女に向けてそれらを吐露することは出来ず。
 結果として、梨花は曖昧な返事を返すだけして沈黙することを余儀なくされてしまった。


 ――時間は流れる。
 各々が頼んだ品物を胃の中に収め終える頃には、すっかり日が沈み始めていた。
 今は夏だからまだ完全に暗くなったわけではないが、それでも梨花の齢ならばもうそろそろ家路につくべき頃だろう。

「……みー。改めて、ボクを助けてくれてありがとうなのですよ、霧子とハクジャ。
 二人にはきっと、オヤ――こほん。神さまの御加護があると思いますです」
「ふふっ……そう、かな……。だったら、嬉しいな……?」
「ボクはこれでもありがたい神社の子どもなのです。神様とお話したこともあるのですよ」

 運命の呪縛から解かれ、正しく巡る時の中に戻された古手梨花の前から、神は笑って姿を消した。
 あの時にはまさか再び繰り返しの地獄が始まることになるなどとは思ってもいなかったし、いざ彼女の残滓と再会した時には当たってしまったけど。
 それでも思う。見たことのない、既存のルールも常識も何もかも通用しない異形の雛見沢の中でも、時空を超えた聖杯戦争の中であっても。
 傍に誰かが居てくれるというのはとてもありがたく、それでいて支えになるものなのだと。

 実際、何だかんだ言いつつも常に傍に武蔵が居てくれることには身も心もかなり助けられていた。
 あの土地神と比べるとかなり直球で頼れるのもいい。
 逆に行動がアクティブすぎて時折生きた心地がしないのは玉に瑕か。
 ……まあ、つまり。新旧どちらも一長一短、古手梨花の相棒は毎度そういう奴らばかりということだった。

「だからボクは、助けてもらったお礼にお祈りしておきますです。
 霧子。あなたの探しものが見つかりますように――と」
「…………。……ありがとう、ね。梨花ちゃん…………」

 咲耶のことを教えてあげられなかったことへのせめてもの侘びというのもあるし。
 純粋にこの善良で、ぽかぽかと優しく照らすお日さまみたいな温かさの少女の想いが報われて欲しいと、梨花はそう思った。
 だから今は何処に居るとも分からない、母親のようでも姉妹のようでも、友人のようでもあるかつての比翼に祈る。
 あんたも一応神様なんだったら、巫女のお祈りには応えてみせなさいよね――と、やや皮肉を交えてではあったが。


 新宿(せかい)が揺れたのは、それからすぐのことだった。


◆◆


 何が起きたのか、最初は全く分からなかった。
 突然、世界が揺れた。いや、跳ねた、弾んだ、と言った方が正確だったかもしれない。
 店内に轟く悲鳴。明滅する照明。テーブルはまるで痙攣でもしているみたいに揺れ震え、窓ガラスがけたたましい音を立てて割れた。
 地震――? ようやく思考が現実に追いつき始めた梨花が最初に考えたのはそんなこと。
 まともに立つこともままならない世界の中で、霧子が懸命にも立ち上がり、梨花の隣にやってきてその手を握る。

「……梨花ちゃん……! ハクジャさんも……早く、机の下に隠れよう………!」

 霧子もきっと、梨花と同じ結論に行き着いたのだろう。
 しかし霧子の手の熱を感じ取る頃には、梨花は既に「地震ではない」と数瞬前の結論へ否を唱えていた。
 割れた窓ガラスの外。そこから見える空が、先程までとは一線を画した異様な色彩を湛えていたからだ。

 赤い――血そのものの色を何処かから引っ張ってきたとしか思えないような、赤い空。
 遅れて霧子もそれに気付いたのか、梨花と同じく空を見つめて言葉を失っていた。
 両者の思考は此処で一つになる。互いの立場には気付かぬままでありながら、それでもだ。
 これは、自然災害などではない。恐らくは、聖杯戦争に関係する――途方もなく強大な存在が引き起こした"破局"であると。

「霧子ちゃん」
「……は……ハクジャ、さん――――っ…………?」

 ともすれば、混乱に満たされてもおかしくない状況で。
 ただ一人震動に乱されることなく、すっとその場に立っているハクジャが霧子の名前を呼んだ。
 その髪の毛が、目の前でするすると伸びていく。どこまでも長く伸びていく、見惚れるほど美しい白髪。
 元々彼女に疑念を抱いていた梨花は"やはり"と思ったが、警戒も何もしていなかった霧子はただただ戸惑う他ない。
 それはきっと、隠していた素性を晒した相手に対して取るにはこの上なく最悪な反応だったろうが……そういう意味では霧子は幸運だった。

 ハクジャが霧子に正体を明かし、彼女をどうにかしてしまう未来。
 そんなものが仮にあったとして、しかしそれはもはやあったかもしれない"もしも"でしかない。
 今、そしてこれからまさに。"そんなことをしている場合ではなくなってしまう"のだから。


「令呪でサーヴァントを呼びなさい。多分――私じゃ守り切れないから」


 なんで、そのことを。
 一瞬、世界が静止したような錯覚すら覚えてしまう霧子。
 信じられないものを見るような目で自分を見る梨花の反応に「どうして」と疑問を抱き、考える余裕は今の彼女にはなかった。
 遠くから迫ってくる轟音。それはもう、霧子達の耳でも聞き取れるレベルの距離まで迫っていたからだ。
 ハクジャがもう一度言う。「早く」と、ただそれだけ。
 霧子はその声に背中を押されて、その手に刻まれた三画の刻印の一遍を輝かせた。
 迫る破局の片鱗。破壊的なソニックブームの到来に揺れ惑う世界の中で、霧子はただがむしゃらに――叫んだ。


「…………わたしたちを――――わたしたちみんなを……! 助けてください、セイバーさん…………!!」


 その声に。
 その魔力に。
 吸い寄せられるようにして――日没を迎えた都市の一角。
 これから吹き飛ぶことになる一帯の中へと、鬼が立つ。

 鬼気と凶気を横溢させる彼の手に握られている剣は、三叉に分かれた異様な形をしていた。
 鬼は顕れるなり己が主君の方を見、何かを言おうとしたが。
 到来する破壊への対処が先であると踏んだのだろう。
 そのまま刀を大上段に構えれば、形のない衝撃波へと向けて――此処に来る前、二天一流の剣士へ見せたのと同じ型を放った。
 兇変・天満繊月。鬼……もといセイバーのサーヴァント・黒死牟が持つ技の中では最も広い範囲を補えるものであるからだ。

 黒死牟が単なる"呼吸の剣士"であったならば、押し寄せるソニックブームを切り払うなんて芸当は不可能だったろう。
 しかし彼は生前からして人間を辞めている。呼吸の技術を保ったまま鬼となり、堕ちてからも自己の研鑽を怠ることはなかった。
 その奇跡的な噛み合い、要素と状況の符合が本来不可能であった筈の芸当を可能にした。

「何故……己を連れて逃げろと、命じなかった………」

 喫茶店は僅かな骨組みだけを残してほぼ完全に崩壊した。
 が、黒死牟の奮戦の甲斐あってか、屋内に居た霧子達とその他の客達の身体に被害は殆どなかった。
 事情を知らない後者は"どうやら助かったらしい"ことを悟るや否や蜘蛛の子を散らしたように逃げ出すか、或いはショックで気絶しているかのどちらかで。
 結果として残されたのは事実上、黒死牟幽谷霧子、そしてハクジャと古手梨花。聖杯戦争についての知識を持つ者達のみとなった。

 黒死牟はこの場に転移してきた瞬間、古手梨花がマスターであることに気付いた。
 ハクジャに関してはとうの昔に皮下真が寄越してきた間者であると見抜いていた。
 霧子がほんの僅かでも利己に、保身に走ってさえいれば。
 この場に居合わせた邪魔な命を二つ。最低でも離脱手段のないハクジャだけは葬ることが出来た筈なのだ。
 霧子を連れて逃げる際に与えられた一瞬の時間で、黒死牟が直接斬り捨ててやっても良かった。
 しかし霧子の令呪が彼に命じたのは自身の身の安全の維持ではなく――"わたしたちの"救出。

 サーヴァントに対する絶対の命令権であるところの令呪は存分にその役割を果たし。
 結果、黒死牟は数百年ぶりに――殺すためでなく守るための剣を振るう羽目になった。
 令呪一画を費やして。あった筈の好機さえも逃して。得たのは本来敵になる筈だった二人と、数える価値もない幾つかの雑多な命。

「あ……その……ごめん、なさい……。でも…………」

 詰問する黒死牟に対し、霧子は正直まともな答えを返せる自信がなかった。
 今この場に居る面子の中で一番何が何だか分からないのは――混乱しているのは間違いなく彼女である。
 突然の破局にハクジャの変貌。梨花がマスターであることにまだ気付いていないのは、幸か不幸か。

「………セイバーさんなら、できるって………わたしたちみんなのことを、助けてくれるって……思った、から………」

 とにかく。
 頭を使うことなどまだ出来なそうな霧子には、ひどく拙い答えしか返せなかった。
 何やら怒っていそうな黒死牟。彼の機嫌を伺うとか、そういう器用な真似は出来なかった。
 霧子が口に出来たのは、一番最初に心に浮かんだ答えをそのまま口にするという、ただそれだけのことで。

「――――」

 それに、黒死牟は沈黙した。
 何なのだ、この娘は。
 もう幾度考えたか分からない疑問。
 ともすれば見限ることを考えてもおかしくない状況、場面。
 それが分からぬ訳でもないだろうに、何故この娘はこうなのだ。
 考え、らしくもなく言葉に窮し、その末に口を開いた――しかし。

 黒死牟の口から次の言葉が紡がれようとしたまさにその瞬間。
 ぱち、ぱちという乾いた拍手の音が突如響き出したことにより、彼の次ぐ言葉はかき消された。


「お見事でした。幽谷霧子さん、そしてそのサーヴァント」

 眼鏡を掛けた、オールバックの男性だった。
 その傍らに侍って裾を引いているのは、まだ就学すら済んでいないだろう小柄な"獣耳の"少女。
 紳士然とした空気を纏う前者を精一杯守ろうとしているのか、後者の少女は気を張っているように見える。
 黒死牟が刀の柄に手を伸ばしたのを見て、男性は両手を自分の前に掲げ敵意がないことを示した。

「え……あの、ええと……? どこかで……お会い、しましたか……?」
「おっと、これは失礼。お会いするのはそういえば初めてでしたか」

 ふむ、と顎に手を当てて。
 男は微笑し、慇懃に一礼する。

「私はミズキと申します。所謂"可能性の器"ではありませんが……聖杯戦争については一通りの知識を持っていますのでご安心を」

 ハクジャさん、貴女も命拾いしましたね――
 そう言って笑うミズキに、ハクジャも「ええ、全く」と微かな苦笑を返す。
 黒死牟はそれで察した。要するに此奴らも、皮下の手の者なのだと。
 これまでは間者を一人付けるだけで済ませていた連中が、何故此処で急に直球の接触を図ってきたのかも想像は付く。
 今の破壊だ。新宿区を席巻した大破局(カタストロフ)。
 あれの影響で、皮下達の計画が大きく狂ったのだろう。その発想が正しいことは、すぐにミズキの口から語られる。

「経緯を話すと長くなる上、まだ私も事の全容を把握出来ている訳ではないのですが。つい先程、皮下医院は崩壊しました」
「え…………っ」
「ああ、ご心配なく。院長は"今のところは"健在ですよ。
 ただ如何せん受けた被害が甚大過ぎるもので……蒔いた種の経過をのんびり見守っていられるような状況では無くなってしまったのです」

 新宿区を舞台に繰り広げられた、最強と最強の激突。
 それが理不尽にも撒き散らした無数、無尽数の被害。
 均衡は乱され静寂は破られた。
 故に誰もが突き付けられる。誰もが、問いかけられるのだ。
 目の前の他人に。或いは、内なる己に。


「単刀直入に言いましょう、霧子さん。貴方には――我々の居城に来ていただきたい」


 ――どうする? と。


【新宿区・喫茶店(ほぼ崩壊)付近/一日目・日没】

古手梨花@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:疲労(小)、焦り
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]
基本方針:生還を目指す。もし無ければ…
0:セイバーに念話で連絡する。場合によっては令呪を使うのもやむなし。
1:白瀬咲耶との最後の約束を果たす。
2:ライダー(アシュレイ・ホライゾン)達と組む。
3:咲耶を襲ったかもしれない主従を警戒、もし好戦的な相手なら打倒しておきたい。
4:彼女のいた事務所に足を運んで見ようかしら…話せる事なんて無いけど。
5:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
6:戦う事を、恐れはしないわ。

幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、動揺と混乱、お日さま
[令呪]:残り二画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]
基本方針:もういない人の思いと、まだ生きている人の願いに向き合いながら、生き残る。
0:混乱中。病院のことがとにかく心配。
1:色んな世界のお話を、セイバーさんに聞かせたいな……。
2:病院のお手伝いも、できる時にしなきゃ……
3:包帯の下にプロデューサーさんの名前が書いてあるの……ばれちゃったかな……?
4:摩美々ちゃんと一緒に、咲耶さんのことを……恋鐘ちゃんや結華ちゃんに伝えてあげたいな……
[備考]
※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※皮下の部下であるハクジャと共に行動しています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。
 はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。

414: で、どうする?(後編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/26(金) 23:31:53 ID:tGNg28PM0

【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:苛立ち(大)、微かな動揺
[装備]:虚哭神去
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:強き敵と戦い、より強き力を。
0:この者ら……
1:鬼の時間は訪れた。しかし──
2:皮下医院、及び皮下をサーヴァントの拠点ないしマスター候補と推測。田中摩美々七草にちか(弓)はほぼ確信。
3:セイバー(宮本武蔵)とはいずれ決着を着ける。
4:上弦の鬼がいる可能性。もし無惨様であったなら……
5:あの娘………………………………………
[備考]
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
 記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。


【新宿区・路地裏/一日目・日没】

【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:全身に複数の切り傷(いずれも浅い)
[装備]:計5振りの刀
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:マスターである古手梨花の意向を優先。強い奴を見たら鯉口チャキチャキ
0:急いで梨花の元に戻る。
1:おでんのサーヴァント(継国縁壱)に対しての非常に強い興味。
2:アシュレイ・ホライゾンの中にいるヘリオスの存在を認識しました。
3:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
武蔵ちゃん「アレ斬りたいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。でもアレだしたらダメな奴なのでは????」



時系列順


投下順


←Back Character name Next→
069:この狭い世界で、ただ小さく(前編) 皮下真 087:神の企てか?悪魔の意思か?
ライダー(カイドウ)
071:嘘の世界で貴方と2人 リップ
アーチャー(シュヴィ・ドーラ)
064:宿業 古手梨花 080:てのひらをたいように(前編)
066:凶月鬼譚 セイバー(宮本武蔵)
064:宿業 幽谷霧子
066:凶月鬼譚 セイバー(黒死牟

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最終更新:2022年01月18日 07:19