彫像の如きその男が、一人災禍の過ぎ去った後に沈んでいた。
肉体に刻み込まれた斬閃の数は大小様々で、直撃を避けたとはいえ"崩壊"の余波に炙られた事もあり死に体同然の様を晒している。
にも関わらず、霊体実体を問わずあらゆる事象に伝播して拡がっていく崩壊を前に男が生を繋げている理由は、彼という男がこの聖杯戦争に招かれた誰よりも規格外の怪物であるからに他ならなかった。
こと肉体の頑強さであれば、朝日の蒼穹に散った混沌王すら凌駕する。
『最強生物・百獣之皇』。
何しろ彼は、その肉体そのものが宝具だ。
あらゆる攻撃から受ける損耗を軽減し、一定の水準に達さないものはそもそも弾き飛ばす天性の装甲。
彼が
光月おでんを前にこうまで深い傷を受けた理由は、ひとえにかの大殿侍が百獣の王に対する無二の特攻を有していたからに他ならない。
逆に言えば。あの時あの場で、誰よりも"崩壊"に対して強く出られるのはこの四皇"
カイドウ"だった。
とはいえ重ねて言うが、無傷には程遠い。
峰津院大和に負わされた手傷、そして宿敵おでんとの死合で受けた数多の致命傷。
彼との一騎打ちに全神経を注がねばならなかった都合、さしもの
カイドウも不意に降り注いだ滅びに100%の対応をすることは不可能だった。
即死こそ免れたものの、彼をしても行動不能と言う他ない極度の損耗状態――それは宿命の戦いに横槍を入れてきた白い魔王を追撃するでもなく、大穴の底に鎮座しているその姿を見れば瞭然だった。
特におでんから受けた剣は霊核にまで届き、既に消滅へのカウントダウンが始まっているような状態である。
不動の明王は項垂れる。既に酔いは醒め、涙を流して喚き散らすような気力もなかった。
「後少しだったのになぁ。てめえの民の仇を仕留め損ねてんじゃねェよ、バカ殿が……」
あの時、決着は間違いなくすぐそこにあった。
あと一撃。たったの一撃。それだけ放てる時間があれば、
カイドウの願いは叶っていたろう。
鍋奉行の刀が龍の心臓を引き裂くにしても、魔龍の総力が侍の意地をねじ伏せるにしてもだ。
決着は着いた。白か黒か、互いを定める色が塗られる筈だった。
しかし結果はどうだ、今や
カイドウの周囲に宿敵の生の脈動はない。
死体は確認していないが、
カイドウほどの見聞の使い手にはそんな確認作業すら無用だった。
間違いなく、おでんは死んだ。最後にまた馬鹿げたことを一つやらかして、滅びの波に呑まれて散った。
那由多の時を経て再び巡り合った宿敵は、またしても
カイドウの手が届かない彼方の彼岸へと消え去ってしまった。
天駆けるワノ国の魔龍も、世界の垣根までは渡れない。
最強の名をほしいままにする怪物は今回もまた、たった一つの悲願を叶え損ねて独り残された。
「はァ………………疲れた」
どの道、この有様ではもはや戦線への復帰は不可能だ。
直に自分は消滅するだろう。戦えと言われれば、サーヴァントの数騎は持っていくことも可能だろうが――
未来なき身であるとも知れない勝利への道を歩むには、今の
カイドウはどうしようもなく燃料不足だった。
あれほど満ち溢れていたモチベーションが枯渇している。今となっては立ち上がり、この大穴から這い出ることさえ億劫なのだ。
鬼ヶ島が墜ちたこと、腐れ縁のシャーロット・リンリンが死んだこと。
そのどちらよりも何よりも、
光月おでんとの再戦がお預けに終わったことが大きかった。
どんな宝よりも自分を狂わせ、どんな浪漫よりも自分を熱くさせたあの侍の居ないこの世界に価値を見出だせない。
酒臭い溜め息をついて腕を持ち上げる。そのまま夜空を見上げて、
カイドウは独り呟いた。
「よし、そうだな。死ぬか」
これまで何度となく人生に絶望し諦観し自殺を試みた。
だが死ねなかった。
カイドウという規格外の怪物を殺すには、彼の生まれた世界はあまりにひ弱だったのだ。
砲弾もギロチンも薄皮一枚切り裂けず、天空からの身投げは軽い頭痛止まり。
自殺の模索と失敗はもはや
カイドウにとってライフワークの一つに成り果てていたが、今回のそれは今までのとは意味が違う。
胸に刻まれた大傷の奥には傷ついた霊核がある。此処に手を突っ込んで"中身"を握り潰せば――如何に己(
カイドウ)と言えども確実に死ぬだろうという確信があった。
未練はあるが、気力がない。
おでんとの決着も果たせないまま何かを目指してどうなるというのか。
勝ち損ね、負け損ねた明王が抱いた自殺の決意は揺るがず、その腕は自らの傷口を抉じ開けようとして……
『生きてるか、総督』
「……なんだ、生きてたのかお前」
そこで
カイドウは、鬼ヶ島の墜落に巻き込まれ死んだとばかり思っていたマスターの声を再び聞いた。
カイドウが
皮下真の死を内心悟っていた理由は一つだ。
鬼ヶ島があれほど派手に破壊され、撃墜されたこと。
皮下が超人であることは知っていたが、鬼ヶ島の下敷きになれば流石に生きていられるとは思えない。
事実念話での報告もなく(仮にあったとしても、おでんとの戦いに熱狂している彼の耳に入ったかどうかは怪しいが)、故に皮下の生存は
カイドウにとって多少驚きだったのだが……驚いているのは皮下の方も同じのようだった。
『日頃の行いが良かったからかね。この通り、見事なまでに死に損なった』
「そうか、そりゃ良かったな。おれはこれから死ぬところだがよ」
『おぉっとどうやらベストタイミングだったみたいだな? 流石にこれ以上胃痛の種を増やさないでくれよ』
「冗談じゃねえ。本気だ」
されどマスターの生存程度で今更
カイドウの決意は覆らない。
彼の絶望はそれほどまでに色濃く、そして深かった。
今こうして念話に応じてやっているのは、短い間とはいえ同じ軍勢で轡を並べたことへの義理でしかない。
カイドウは海賊。欲しいものを手に入れるためにあらゆる手を使うが、他人の"欲しい"に寄り添ってやる義理は何処にもないのだ。
自分の何より欲しい宝が永遠に失われた以上は、もうこの世界には何の興味もない。
聖杯の恩寵でさえ、
カイドウの乾ききった心を潤すには甚だ不足だった。
「そういう訳だから切るぞ。お前はお前で好きにやれ」
『……本当さぁ。酒癖最悪な上に躁鬱のメンヘラとかマジで勘弁してくれよ』
そんな
カイドウの声に、皮下は頭を抱えたように苦笑した。
そして次ぐ言葉は、いざ自殺を実行に移さんとした
カイドウの手を止めさせるに足る威力を持っていた。
『デカい図体で傷心気取ってないでさっさと立て。大看板共を喰って新生しろ』
「――――――――あ?」
世界の温度が、現実に数度下がる。
皇帝の威光に世界がひれ伏した。
或いは、彼の怒りを買うことを世界が恐れた。
殺意と呼ぶのも生易しい鋼鉄の殺意は念話の向こうの皮下にも届いている筈だったが、皇帝の決定に指図するその過ぎた口は止まらない。
『他は全滅してるだろうがあいつらはタフだ、多分生きてる。
サーヴァント三騎分の魂を食って、宝具の一部からあんた自身の霊基の一部へと変換するんだ。
そうすればあんたは復活できる。霊核が多少ヒビ割れたくらいで死ぬタマじゃねえだろ』
「お前。自分が誰に物言ってるか分かってんのか」
カイドウは
皮下真のサーヴァントだ。
しかし、彼は自分が皮下のしもべだなどと思った試しは一度もない。
マスターとは己をこの世界に繋ぐ要石であり、しち面倒な社会戦や工作を一任する便利な参謀。
そんな参謀が王である自分の決定に背き、それどころか広い海からかき集めた部下を喰えなどと命令してきたのだ。
その不遜は、念願叶わず消沈した
カイドウの心に激怒の火を灯すには十分すぎるものだった。
「忘れたか? お前はおれの部下だ! おれとたまたま利害が一致したからお前の目的に付き合ってやっていただけだ!
そんな雑魚の人間風情が――てめえ誰に命令してやがる!? あああァ!?」
『その人間に勝ち逃げされてショボくれてんのはどこの誰だよ』
「――ッッ! てめえッ!!」
怒りを通り越して視界が白く染まる。
今もしも皮下の姿が目の前にあったなら
カイドウは間違いなく叩き潰していただろう。
分を弁えない命令を下した挙句、人より多少強い程度の"凡人"が自分とおでんの血戦を揶揄したのだ。
地雷どころの騒ぎではない。激怒に震える
カイドウに、皮下はしかし怯まず言った。
『俺の戦いは何も終わっちゃいない。
こんな所で枯らしていい種じゃねえんだ――――』
そう、まだ何も終わっていない。
シャーロット・リンリンは墜ち海賊同盟は崩壊した。
光月おでんは死んだ。
龍脈の宝は魔王の手により欠片も残さず消し去られた。
そして
カイドウの心は折れた。願いを叶えることさえ億劫になり奈落に沈んだ。
それでも終わっていないと、要石が吠えている。
『聖杯を獲りに行くぞ。分かったらさっさと立て、
カイドウ』
彼方。桜の花弁が一つ、光と共に宙へと舞って――
◆◆
死んだ。
本当にそう思った。
崩落の中でも生を繋ごうと努力はしたが、島一つの大質量に揉まれながらではさしもの皮下もそれは叶わなかった。
墜ちる――落ちる――堕ちていく。
落下の際に見た走馬灯が何であったか、それすら思い出せはしない。
最後に一つ大きな衝撃が身体の奥底にまで重く響いて、
皮下真は鬼ヶ島の残骸と共に地へ叩き付けられた。
皮下にとって一つ幸いだったのは、
ベルゼバブが放った星辰光そのものへの直撃だけは避けられたことだろう。
高所数百メートルからの落下は超人たる彼をしても生半なダメージではなかったが、瓦礫がクッションになり即死だけは同じく免れた。
とはいえ負った手傷は甚大。燃え盛る鬼ヶ島の中に気絶したまま沈んでいれば、桜の身体は再生が間に合わず焼け焦げ荼毘に臥す。
その筈だったし、彼は落下の最中完全に自身の生存を絶望視していた。そして、それ故に。
「あ……よかった、起きた……」
「……お前……何やってんだ?」
自分を瓦礫の真下から引きずり出している黒髪の、犬耳の少女を覚醒した視界に収めた皮下が口にしたのは疑問だった。
彼女の名前を皮下は知っている。いや、もう忘れても構わないものだとすら思っていたが。
虹花の一人であり、葉桜の完全適合者。大神犬の遺伝子を搭載した幼い造花の桜。
名前をアイという彼女は、皮下がかつてその手で殺そうとした相手に他ならなかった。
皮下の肉体は見るに堪えないほど損壊している。
右腕は肘の部分から千切れ、腹には瓦礫が突き刺さって腸が露出し、半身は火傷に覆われて見るも無残だ。
内臓を貫いている骨も一本や二本では効かず、少し身じろぎしただけでも発狂死しそうな激痛が押し寄せてくる。
"再生"の開花を持つ皮下をしてもすぐに完調とはいかないほど大きくそして深い傷。
そんな自分を、この少女がどうやら助けたらしいその状況が皮下にはただただ不可解だった。
「皮下さんのにおい、したから……助けてあげないと死んじゃうかもって、思って……」
「……はは。マジで言ってんのか、お前」
何故なら自分は彼女を殺しかけただけではなく、彼女の大切な家族を――
「ミズキのことはもう忘れたのか? 俺は覚えてるぜ、あいつの首をこの手で切り落とした感触を」
「っ……」
安堵に染まっていたアイの表情が曇る。
そう、皮下は彼女の保護者代わりだった男を殺している。
裏切り者の処分といえば理由は真っ当だが、それでも彼に懐いていたアイに許容できる理屈ではないだろう。
そして事実。皮下に指摘されたアイは顔をくしゃくしゃにして、ぐっと歯を噛み締めた。
「わすれる、わけ、ない……!」
だよな。
皮下は小さく息を吐き出す。
要するにこれもまた、因果応報ということなのだろう。
自分は未だ身動き取るのも難しい状況で、再生も追いつききっていない体たらくで。
そして目の前には自分に恨みのあるアイがいる。
これからどうなるかなど語るに落ちている。誰の命も尊ぶことなく歩んできた極悪人の末路が決まったということだ。
「やれよ。お前には、まあ、そうする権利はあるだろうしな」
「なんで……」
「ん?」
「なんで、ミズキさんと、ハクジャさんのこと――殺したの、っ……!!」
「そうだな、邪魔だったからだよ」
まあ、鬼ヶ島の下敷きで死ぬよりはまだ格好も付くだろう。
肩を竦めて、皮下は処刑人の最後の問答を受ける罪人めいた心持ちでアイの詰問に応じる。
「方舟に加担する人間が増えることはどうしたって避けたい。
ましてやこっちの内情を知る奴があっちに流れるなんてのは最悪だ。
そうなるくらいなら、この手で潔く損切りしちまった方がリスクがない」
「そんな、……そんな、ことで……」
「大事なことだよ、いいか? 覚えとけ。死んでも何か成し遂げたいって人間は冷酷であればあるほど長生きできるんだ」
皮下には、ミズキ達を殺したことに対する罪悪感など欠片もない。
もう一度あの状況に立たされたとしても彼はきっと同じことをしただろう。
それが最も合理的だから。自分を害する邪魔な存在など、切れる内に切っておくに越したことはないのだから。
そんな皮下を涙ながらに睨みつけて――アイはその拳を振り上げた。
「――ゆるさない」
幼い顔が怒りに染まる。
呟く言葉は憎悪に満ちていた。
大切な人を殺されて、少女は今哀しみながら怒っている。
これほどまでに分かりやすい年貢の納め時もそうはあるまい。
あらゆる命を吸いながら生き長らえてきた桜の化身、その従僕。
夜桜に呪われた男の顔面に、少女の鉄拳が容赦なく叩き込まれた。
「――――、」
脳が揺れる。
頭蓋が軋む。
折れた奥歯が口の中に散らばる。
鼻血が噴き出し、甘いマスクを赤く染め上げる。
二度目の拳を振り上げたアイに、皮下は諦めた微笑を浮かべたが……しかし。
「……、おーい、どうした。俺は割としぶといからな、こんなもんじゃ死なないぜ」
「……皮下さんは、どうして笑えるの」
アイの拳が振り下ろされることはもうなかった。
わなわなとそれを震わしながら、アイは涙の雫を仇の顔面へと落としてくる。
「アイさん、ぜんぜん楽しくない……! 皮下さんのこと、たたいてもっ、こころの中が痛くなるだけ……!!
皮下さん、もっと痛いはずなのに……なんでそうやって、にこにこしてるの……!!」
この世には憎悪を糧に何処までも強くなれる人種が少なからず存在する。
例えば、虹花のアカイ。家族を焼き殺された怒りは復讐心を呼び、果たした後も彼女を燃え盛る災厄たらしめた。
何かを奪われ絶望した人間は、時に人の限界さえ飛び越え得る。
ただ、その点で言うならばアイは"そうはなれない"少女だった。
だから次の拳を振り下ろせない。
ミズキを奪われた怒りと同じだけ、自分を虹花に加え入れ孤独でなくしてくれた皮下への想いがその小さい身体の内側で溢れ反駁している。
「長生きしてるとな。大半のことには慣れてくるんだ」
長い年月は人の感情を容易く麻痺させる。
他人を切り捨てることはおろか、生きたまま切り開いて苦痛を与えながら生体実験を行うことにすら眉一つ動かさないようになる。
果てには、死すら恐怖の対象ではなくなる。
皮下の場合、人より多少それが早かった。
家族や知人を全て流行り病で失って研究畑に入り、国の命令で非人道的な研究を繰り返す内に――既に歪みは始まっていたのだ。
「わかんないよ……アイさん、そんなふうに、なりたくない」
「ならどうする。俺を殺さないのか」
「……ころさ、ない。もういい。ミズキさん達のこと、ゆるせないけど――」
握り締めた拳が静かにほどけて下りる。
アイが思い出しているのは、あの時出会ったマスターの少女達の顔だった。
この世界で生きて、何にもなれずに消えていくだけだった自分達に。
生きたいという気持ちと、明日を夢見る希望を教えてくれた人達。
あの時皮下を裏切るようなことを考えなければ、ミズキもハクジャも死なずに済んだのかもしれない。
それでもアイにとって彼女達の言葉は光であった。
自分にも、そして自分の大切な人達にも、生きるという未来を示してくれたあの言葉が今も頭の中をぐるぐると巡っている。
『生きたいって思えるだけで…………生きてていいの………』
アイドルの少女が、過去に誰かから貰った言葉。
それを受けて紡がれた言葉は、誰もいなくなってしまった今もアイの耳に焼き付いていた。
ハクジャは死んで。ミズキも死んでしまった。
あの言葉を聞いたこの世界の人間はもうアイしか残っていない。
けれど。それでも。いや、だからこそ。
「アイさんは、梨花や霧子と一緒に"いきたい"。だから、皮下さんのこと――助けてあげる」
「……いいのか? 此処で俺を殺しておかないと、俺は必ずお前らの敵として立ち塞がるぞ」
アイは目の前の命を奪ってしまいたくなかったのだ。
一撃は殴った。でもそれは彼女にとって楽しくも気持ちよくもなくて、ただただ悲しみとやるせない気持ちを膨れ上がらせるばかりだったから。
だから、やめた。そして自分が助けた目の前の命を、次へと繋いであげることにした。
皮肉なことに
皮下真は、自分が切り捨て、それどころか視界からも完全に排していた駒の少女に命を救われ、見逃されたのだ。
「その時は……嫌だけど、もっかいぶんなぐる」
「はは。やっぱガキだなーお前。言っとくけど、後で死ぬほど後悔するぞ」
「皮下さんは、アイさんにころしてほしいの?」
「まさか。ちゃんと感謝してるよ、アイさん様様だ。俺も一応、こんなところで死ぬ訳にはいかない身だったんでね」
ぐぐぐ、と上体を起こして伸びをする。
未だに少し動くだけでも激痛だが、命を拾った以上は無駄にするつもりもない。
此処は依然として死線の真っ只中だ。落ち武者狩りに遭う前に姿を晦まさなければ元の木阿弥である。
幸いにして鬼ヶ島の残骸という派手なカモフラージュがされているのだ、この機に乗じない理由はないだろう。
「お前も早く此処を離れな。総督の兵隊を殺し回ってた電ノコ頭のサーヴァントがこの辺を彷徨いてる筈だ」
「……、ん」
「虹花もお前以外は多分ほぼほぼ全滅してる。誰と会うにしろ急ぐのが賢明だ」
「わかった。……皮下さんも、元気でね」
「おう。世に蔓延ることだけが能なんでね、拾った命は精々有効活用させてもらうさ」
走り去っていくアイの背中は、かなりの速度で皮下の元から遠ざかっていく。
アイが鬼ヶ島の外へ出ていたとは考え難い。
大方、彼女は大神犬の身体能力と身軽さを駆使して崩落の中をなんとか生き延びていたのだろう。
それでも生を繋げたのは奇跡としか言いようがないが、兎角生を繋いだアイは持ち前の嗅覚で皮下(じぶん)の存在を感知した。
馬鹿正直な子供であるアイは死にかけていた自分を掘り出し……そして今に至るといった所か。
「我ながら、運がいいんだか悪いんだか分からんな」
アイを殺しておくべきだったかと少し後悔する。
この場で殺し、体内のソメイニンを取り込みでもすれば治癒の促進に一役買ったかもしれない。
そうでなくとも方舟への合流を公言している彼女は、間違いなく目的の人物に会うなり自分の生存を伝えるに違いない。
殺さない選択肢はなかった。平時の皮下ならばしないようなミスだ。
それを冒してしまった理由は――アイが自分を見逃した理由が、あまりにも斜め上のものだったから。
「……ま、いいや。どの道今からじゃ追い付くのはしんどいしな。
善行を積んだってことにしておくか」
隻腕で頭を掻き、皮下は苦笑する。
再生は現在も進行中だ。
その証拠に折れていた両足は既に元の機能を取り戻し、砕け半身を麻痺させていた頚椎も復調済み。
本調子に戻るまでには一時間もあれば十分だろう。本当に――本当に運良く、生き残ることが出来た。
「それにしても、久々に見たな。元世界(あっち)からエールでも送ってくれてんのかね」
夢を見ていた。
あの日の夢だ。
忘れるべくもない、呪わしき過去の追憶(ユメ)だ。
粉々に吹き飛んだ病院の残骸の中で、
皮下真は美しい女と相対している。
周囲の荒れ果てた惨状など知らぬ存ぜぬとばかりに無傷を保った、白い女。
少女の可憐さと妙齢の色気を併せ持った、永久の時を生きる呪われた桜。
夜桜つぼみ。
遺伝学の常識を根底から覆す、人類進化史の最前線を行く突然変異の新生命。
飢餓と病気と戦争が罪禍のように付き纏う人類の歴史に終止符を打てるかもしれない彼女の存在は、皮下にとって紛れもない希望だった。
――いつの日か……あんたのような人間が当たり前の存在になれば……こんな愚かな歴史も多少マシに……なるかもしれない……
それは
皮下真の原風景(オリジン)。
絶えず付き纏う死に辟易した男が出会った特異点。
あの日。末期の時に皮下は彼女に己の夢を吐露し、そしてつぼみは彼を祝福した。
『私の意志においてのみ夜桜の力は授けられる。
あなたの言う夜桜(わたし)が「当たり前」となる未来を――私に見せて下さい』
そうして皮下は、百年を生きる魔人になった。
幾万の人間を犠牲にしながら、誰かの命を踏みつけにして生きてきた。
顧みる気など欠片もない。むしろこれからも彼はその生き方を平然と続けていくだろう。
それでも思うのだ。これは、とんだ呪いであり絶望だと。
希望などと思ったのは勘違いだった。夜桜は存在するだけで人を狂わせ翻弄し、無慈悲に命を吸い尽くす呪われた徒花なのだと思い知った。
皮下真の命もまた、夜桜つぼみによって吸われていたのだ。この百年間、一度たりとて絶えることなく。
呪いと苦しみに満ちた生涯はまだ終わらない。
現に今、己はこうして生きている。
奇跡のような偶然で生かされている。
あれで死ねないのなら、いよいよもって呪いは骨絡みに至っていると言う他ない。
悪夢だ。
またこうして巡礼が始まる。
血塗られた桜の歴史を繋げるための――
「いや」
皮下は此処でかぶりを振った。
彼は他人に看過されるような人間ではない。
アイの言葉も、彼の本質を改革するには到底至らない。
だからこれはきっと、後がなくなった男がとうとうなりふり構うのを止めたというだけのこと。
ただそれだけのことなのだ。
きっと。
「もういいか、そういうのは」
あの日繋いだ絆が今も己の中で疼き続けている。
ただ惰性のように、生かす以上に死に逝く者を見送る人生。
そこに現れた桜の君に――自分はまんまと魅入られた。
国の命令。上層部の意向。仕事の一環。実を結ぶとは思えない研究。
そう思いながらも
皮下真は、間違いなく夜桜つぼみに魅入られていたのだ。
『桜のように注目され、崇められ、弄ばれるのはもう沢山。
小さく取るに足らない……どこにでもいるタンポポのような、そうタンポポみたいな……』
普通の存在になりたい、と。
誰よりも強く恵まれた肉体を持ちながらそう希った女に、百余年も長々付き合い続けてきた。
であればそろそろ、あの日の誓いを果たす時だろう。
種まき計画。今際になる筈だったあの瞬間に語った理想を。
いや、そうでなくたっていい。
人類の進化による死の連鎖の終焉という願いの成就、その形でなくとも。
ただ一つ、そうただ一つ、ただ一輪。
「夢はいつか醒めるもの。ならお前のも、そろそろ醒ましてやらなくちゃな」
ただ一人のために、この命を遣おう。
見苦しく根を張り老いさらばえ、時の経過と共に自己すら喪失しながら夜桜の血という悪夢に付き纏われ続けるあの女のために。
悪夢以外を知らないあれが、タンポポみたく慎ましやかに笑える。
そうして夢から醒められる。
「俺も、いい加減――」
そんな夢を叶えよう。
皮下真は残骸と化した勝利の中から一人立ち、笑みを浮かべて歩き出した。
再生途中の見るも無残な肉体は痛ましいそれだったが、しかし瞳に宿る桜の光は心做しかこれまでより強く大きく。
それに合わせて再生の開花を宿した肉体が脈動する。
生物の進化。いや、違う。
これは"適合"だ。今までは彼の肉体を蝕むばかりだった呪わしき血が、この局面にあってその可能性を覚醒させた。
同時に脈動の正体が露わになる。
皮下の総身……頭部、四肢、胴体、あらゆる箇所から芽吹き花開く桜の花。
一度は花開いたそれが、再生していく肉に巻き込まれるようにして皮下の内側に消えていく。
以前までの彼ならば。いや、鬼ヶ島に搭載されていた葉桜及びソメイニン絡みの研究設備を全て失った彼ならば――この花を抑えられなかった。
全身に桜の花が咲き、命を吸い取られて塵のように朽ち果てるのが関の山。
そしてそうなるのは時間の問題である、その筈だった。
アイの献身は無意味に終わり、皮下は捨て置いても恐らく数時間以内に死んでいた、その筈だった。
だが此処に、一つの奇跡が成就する。
界聖杯(ここ)はあらゆる可能性を受容し歓迎する発展の海だから。
だからこそ桜に魅入られた哀れな男は、この土壇場でとうとうその身を蝕む夜桜の血を逆に征服し掌握することに成功した。
夜桜の血族が用いる"開花"よりも更に旧く、そして巨きな覚醒。
その名を……
「――素直になるよ。つぼみ、俺はお前の願いを叶えるために戦おう」
"万花繚乱"と、そう呼ぶ。
もはやこれは皮下であって皮下ではない。
種まき計画という大義を捨て去り、偽ることをやめた一人の男。
呪いの全てを受け入れて、その上で共に在ろうと認めた新生物。
正真の夜桜に並ぶ、或いは凌駕さえする、人類進化史の最先端――桜の化身にして、桜に滅びを運ぶ者。
夜桜つぼみという存在を己の比翼であり憧憬だと認めたからこそ、彼は今こそ真の意味での再起を達成した。
全ての傷が癒えていく。腕が生え、潰れた内臓は最適化され、すぐさま傷一つない完全な姿へと回帰する。
秋を見送り、冬に耐え、枯れ果てた枝に新たな花を咲かせるように。
憧憬(かのじょ)の全てを終わらせるため、男は歩み出した。
その念話は地に沈んだ龍王へと。
今や彼の言葉には、欠片の怯みもない。
令呪が一画消える。
桜の花弁が一つ散る。
その願いは、心挫けた"総督"を叩き起こすために強制力を以って行使された。
『……お前、何かあったな?』
「まあ、な。腹を括ったってとこだ」
『おれに殺されるのが怖くはねェのか?』
「どうしてもって言うなら、もう一画使ってお許し願うよ」
怒りを通り越して冷静になったらしい。
念話として聞こえてくる
カイドウの声は、いくらかの落ち着きを取り戻していた。
彼のことは気の毒だと思うが、それでもやる気になって貰わねば困る。
そして彼が今相当な手傷を負っていることも皮下は感じ取っていた。
まずはこの手傷を癒やすことが先決だろう。
カイドウの力は、此処で失うにはあまりにも惜しいものだから。
「それで、俺がさっき言った理屈で回復はできそうか? 大看板を使っての再生だ。
最悪俺の"開花"を試してもいいんだが確実性に乏しい。今は早急にあんたを回復させたい」
『お前も知っての通り、おれの肉体は特別だ。
普通なら身動きできねェような状態だろうと、そこらの雑魚なんざ十把一絡げにして蹴散らせる』
そんな怪物が、正規サーヴァントに匹敵する霊格を持つ大看板達を取り込めば。
『三人ならば完全に回復する。二人でも見違えるだろう。最悪一人でも、霊核の損傷や崩壊の傷跡は補って余りある筈だ。
そしてあいつらはおれに忠誠を誓ってるウチの"大看板"だ、おれが命令すればすぐにでもその魂を捧げるだろうぜ』
大看板の扱いは、システム上『明王鬼界・鬼ヶ島』の一部として数えられている。
故に
カイドウがそうすると決めたなら、実際に合流するのを待たずして彼らの魂は自分達の王を満たすために使うことが可能だ。
それは皮下にとって想定し得る限り最上に近い返答。
だが、見誤ってはならない。海賊に部下(クルー)を手放させるその意味を。
『ただな。おれにそう命じるなら覚悟しろよ皮下。
その瞬間、お前の未来は"勝つ"か、この世で最も凄惨な"死"かのどちらかだ』
「……怖いな。予言かい?」
『惚けるんじゃねェ。おれが、そうするんだよ』
カイドウは本気だ。
皮下が少しでも附抜ければ、その瞬間に彼は何を置いても己がマスターを叩き殺すだろう。
何故なら今の彼は過去最大の消沈中。願った決着を横取りされて、生きる意味さえ見出だせず燻っている最中なのだ。
そんな彼を奈落から引きずり出し、死ぬな生きろ早く戦えと急かし立てるなら、当然そこには相応の対価が伴う。
・・・・・
『もう一度聞くぞ。いいんだな?』
「ああ。その時は一思いにやってくれ」
勝利するか、地獄に落ちるかのどちらか。
悪魔よりも恐ろしい龍との取引に、皮下は頷いた。
「それに、あんたにとっても悪い話じゃない。
見誤るなよ、聖杯はどんな願いでも叶えてくれるって触れ込みだぜ?」
『……、……』
「悔いがあるなら聖杯の力で"三度目"を願えばいいだろ。
今度こそ邪魔が入らないまま最後まで、って付け加えれば界聖杯ちゃんは丁寧に叶えてくれるかもしれない。
臍曲げて英霊の座で次の召喚があるまで不貞腐れてるよりかは幾らかマシだと思わないか?」
『いい性格してるぜ、てめえは』
「お互い様だろ、海賊が」
鬼ヶ島は墜ちた。
虹花は消えた。
葉桜は尽きた。
社会戦の土壌は自らの口で壊したし、そもそももう一度同じ手が使えるとは到底思えない。
旗色は見る影もないほどに最悪だったが、しかし皮下は今不思議と清々しい気分だった。
全てを失ったことで、本当に直視するべきものを見据えられたからか。
鬼ヶ島の残骸が散らばる廃墟の街に、足跡代わりに桜の花を咲かせながらふらりふらりと歩く。
「……さて、此処からだ」
そう、全ては此処から始まる。
勝って殺すか負けて死ぬかの大一番。
命を拾うのではなく壊すための戦争が今、遂にその幕を開けるのだ。
――ひゅるり、と風が吹いた。
それに溶けるようにして、
皮下真は無数の花弁となり消え失せる。
他でもない夜桜つぼみの血を用いた万花繚乱を習得した彼の存在は、今や座標や距離に縛られない。
混沌王亡き地平に次なる混沌(ケイオス)の到来を約束するが如く、真夏の渋谷に桜が咲いた。
【渋谷区→???/二日目・朝】
【
皮下真@夜桜さんちの大作戦】
[状態]:万花繚乱
[令呪]:残り一画
[装備]:?
[道具]:?
[所持金]:纏まった金額を所持(『葉桜』流通によっては更に利益を得ている可能性も有)
[思考・状況]
基本方針:つぼみの夢を叶える。
0:さて、此処からだ。
[備考]
※咲耶の行方不明報道と霧子の態度から、咲耶がマスターであったことを推測しています。
※会場の各所に、協力者と彼等が用意した隠れ家を配備しています。掌握している設備としては皮下医院が最大です。
虹花の主要メンバーや葉桜の被験体のような足がつくとまずい人間は
カイドウの鬼ヶ島の中に格納しているようです。
※ハクジャから
田中摩美々、七草にちかについての情報と所感を受け取りました。
※峰津院財閥のICカード@デビルサバイバー2、風野灯織と八宮めぐるのスマートフォンを所持しています。
※虹花@夜桜さんちの大作戦 のメンバーの「アオヌマ」は皮下医院付近を監視しています。「アカイ」は
星野アイの調査で現世に出ました
※皮下医院の崩壊に伴い「チャチャ」が死亡しました。「アオヌマ」の行方は後続の書き手様にお任せします
※ドクロドームの角の落下により、皮下医院が崩壊しました。
カイドウのせいです。あーあ
皮下「何やってんだお前ェっ!!!!!!!!!!!!」
※複数の可能性の器の中途喪失とともに聖杯戦争が破綻する情報を得ました。
※キングに持たせた監視カメラから、沙都子と梨花の因縁について大体把握しました。結構ドン引きしています。主に前者に
※『万花繚乱』を習得しました。
夜桜つぼみの血を掌握したことにより、以前までと比べてあらゆる能力値が格段に向上しています。
作中で夜桜百が用いた空間からの消失および出現能力、神秘及び特定の性質を有さない物理攻撃に対する完全な耐性も獲得したようです。
"再生"の開花の他者適用が可能かどうかは後の話にお任せします。
「……、……」
大穴の底から、静かに立ち上がる鬼が居る。
鬼神の如きその身体は傷だらけだが、それでも微塵たりとて強さを損ねていない。
どっかりと地面に胡座を掻いて朝の風に当たる彼は宿敵の死体を探したが、既に風に散らされた後だった。
「――また生きちまった」
また死に損なった。
そして今は死ぬことすら許されない身になって。
光月おでんという渡り鳥が飛び去った後の世界で、一人こうして過ごしている。
聖杯を手に入れて追い縋ることに何の意味があるのか。それは果たして、本当にこの渇きを満たす手段になるのか。
虚無感の中、激戦と崩壊によって均された街並みの地平線を見据えて
カイドウは呟く。
「お前のいない聖杯戦争は、つまらねえなァ……おでん」
彼は方舟に決して傾がない。
皮下が戦うと決めている以上は、今も変わらず全ての聖杯戦争関係者にとって最大級の障害であり続けている。
だが最期の一瞬まで熱く、ただひたすらに心を燃やし続けた侍とは違い、今の彼はひどく静かだった。
カイドウよ、何処へ行く。幸福の中から再び無味乾燥とした生き地獄に突き落とされた鬼よ。
彼の鼓動を早め、血沸き肉躍らせる"新時代"が再びその眼前に吹き荒ぶことは果たしてありやなしや。
咲き誇った"彼"との繋がりなのか、
カイドウは自分の周りに舞い散る桜の花弁を幻視したが。
それを肴に一献やろうにも、今は飢えを紛らわす酒すら彼の手元にはないのであった。
【港区・東京タワー跡/二日目・朝】
【ライダー(
カイドウ)@ONE PIECE】
[状態]:霊核損傷、胴体に斬傷(大)、首筋に切り傷、全身に崩壊による負傷、極めて強い虚無感
[装備]:金棒
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:『戦争』に勝利し、世界樹を頂く。
0:また生きちまった……
1:大看板を喰って回復を図る。気乗りはしていない。深刻なモチベーション不足
2:
リップは面白い。優秀な戦力を得られて上機嫌。てめェ戻って来なかったらブチ殺すからな
3:リンボには警戒。部下として働くならいいが、不穏な兆候があれば奴だけでも殺す。
4:アーチャー(ガンヴォルト)に高評価。自分の部下にしたい。
5:
峰津院大和は大物だ。性格さえ従順ならな……
6:ランサー(
ベルゼバブ)テメェ覚えてろよ
7:"ガキども"? ……下らねェ
最終更新:2023年05月04日 21:40