初めて会った時から好きだったわけじゃ、多分ない。
 私にとってあの子は、あの裏側の世界で久しぶりに出会った他人で。
 たまに喧嘩したり引いたりしながらも、気付けばいつも一緒に過ごすようになっていて――
 いつしかそれは、私の中で一番大きな存在に変わっていた。

 空魚。そらを。
 私の共犯者で、たぶん二人目の好きな人。
 これを言うと、きっとあの子はまたいじけちゃうだろうけど。
 冴月が消えてしまって虚ろに彷徨うばかりだった私を引っ張り上げてくれたことには本当に感謝してる。
 空魚がいたから、あの日空魚が私の前に現れてくれたから、今の私があるんだよ。


 ――あ、これ、だめだ。

 すぐにそうわかった。
 あの時、世界が大きく震動した瞬間。
 何かが来ると分かって、私は咄嗟に空魚を突き飛ばした。
 それからすぐ、私の背中からお腹にかけてを何か熱いものが突き抜けた。
 銃とか破片とかそういうのじゃない。もっと禍々しくて、ずっと悪意に満ちたもの。
 となれば犯人は一人しかいない。あの鬱陶しい陰陽師が、往生際悪くこの土壇場で最悪の嫌がらせを飛ばしてきたってこと。

 意図があったのか、それともあの派手な爆発の流れ弾だったのかは分からない。
 まあでも。私は普通の人間で、ちょっと<あっち側>のものに触れるだけの女の子だから。
 そんなよく分からないとばっちりでも、こうして普通に壊されてしまうのは悔しかった。

 悔しい、とっても。
 私はまだ此処にいたくて、此処で生きていたくて。
 せっかく会えた空魚と二人で、偉そうにほくそ笑んでる奴らを全員引きずり下ろしてやろうかとか考えてたのに。
 それも全部、めちゃくちゃ悪いやつの最悪な嫌がらせでおじゃんになってしまう。
 余裕があったら地面を転がって駄々をこねたいくらい悔しかったけど、残念ながら私にはもうそれほど時間は残されていないみたいで。
 スローモーションで進む視界と、少しずつ熱くなっていくお腹。
 自分が突き飛ばした空魚は何か呆けたみたいな顔をしてて、ああよかった、と思う。


 最後に見る顔が、涙じゃなくてよかった。
 空魚はたぶん、私が死んだら泣いてくれるだろうけど。
 でもあいにく私は好きな人の泣き顔が好きだなんて変態じゃない。
 泣いてぐしゃぐしゃの顔で終わるくらいなら、いっそ何も分からないでいてくれた方が幸せだ。

 たぶん私は死ぬだろう。
 もう分かってる。不思議と怖くはなかった。あれほど怖い思いばっかりしてきたから、いろいろ麻痺してしまってるのかもしれないけど。
 恐れも震えもないのはありがたかった。だってこれなら、最後にやるべきこともちゃんとこなせるから。
 まずは右手の令呪に意識を傾けて、私の残された全部注いでアビーちゃんに託す。

「アビーちゃん、お願い」

 アビーちゃん。
 私の可愛い、なんだか妹みたいなサーヴァント。
 この子もきっと、私がいなくなったら泣いちゃうかな。
 ごめんね。ほんとはあなたのことも、私の大好きな人に紹介してあげたかった。
 空魚は結構やきもち焼きだから最初は嫌な顔したかもしれないけど、アビーちゃんならきっと仲良くなれるよねってそう思ってたのに。

 もう、それは見れないや。
 あーあ、名残惜しいな。


「空魚を……私の、好きな人を…………助けて、あげて」


 私は空魚がいないと駄目だけど。
 空魚はきっと、私がいなくても大丈夫。
 だって空魚はすごい子だから。
 頭が良くて機転が利いて、ふてぶてしくてしたたかで。

 そんな空魚なら、必ず小桜達のいるあの世界に帰れる筈。
 だからこれは、私から空魚への最後の贈り物。
 明るい子だから空魚はびっくりしちゃうかもしれないけど、すごくいい子なんだよ。

 アビーちゃんも、空魚の力になってあげてね。
 その子は、私の宝物なの。
 その子のためなら命だって投げ出せるってくらい大切な、大好きな人なの。
 私はもうあなたの前からいなくなっちゃうけど、たまに思い出してくれたら嬉しいな。

 二人でいられて楽しかった。
 元気づけてくれて、嬉しかった。
 あなたは、私の最高のサーヴァントでした。
 最後まで助けられてばかりのマスターでごめんね。
 だけどどうか、私の大切な人をお願い。
 鳥子からアビーちゃんへの、最後のお願いです。


 ああ、思い出が巡る。
 初めて会った時、一緒に冒険した時。
 此処に来た時、一緒に暮らした時。
 ようやっとこの世界で再会できた時。
 どれも忘れることの出来ない、仁科鳥子(わたし)にとって特別なメモリー。

 お母さん、ママ。
 二人にも空魚のこと紹介してあげればよかったね。
 こんなことにならなかったら、いつかその日も来たのかもしれないけど。
 あっちで見ててくれてたかな、私達のこと。

 私ね、見つけたよ。
 お母さんにとってのママ。
 ママにとっての、お母さん。

 だから、たくさん聞いてね。
 話したいことがいっぱいあるんだ。
 もうすぐ私もそっちに行くよ。
 でも――最後にひとつだけ。もうひとつだけ、許してね。


「空魚」

 まわり、うるさいな。
 ちゃんと聞こえるかな。
 聞こえてたらいいな。

 空魚。
 私の、大事な共犯者。
 あなたと出会えて、幸せでした。
 もう私は遠くに行ってしまうけど、気の利いたお別れの言葉の用意もないけど。

 ねえ、泣かないで。
 ねえ、忘れないで。
 いつか時が流れて空魚がおばあさんになっても、別の誰かを好きになっても、私という共犯者がいたことをどうか覚えていて。

 空魚。
 そらを。

 ありがとう。

 ごめんね。


 ――――――――だいすき。


「負けないでね」


◆◆


「悪いな。オマエの意向に背いた」

 アサシンの言葉は私の耳にはほとんど届いていなかった。
 目を覚ました時、私が最初に見たのは青空だった。
 澄み渡った、能天気なほど青い朝の蒼穹。
 眼球を動かせば、次に目に入ったのはアサシンの見慣れた粗野な顔。
 そして鳥子の傍にいた、あいつのサーヴァントらしい金髪の女の子。

 ――いない。
 何処にも、いない。
 上体を起こして辺りを見渡しても、あのとんでもない美人の姿は何処にも見当たらない。
 胸がざわつく。
 腹の底がちりちりとひりつく。
 心臓がきゅっと締まって、鼓動の一発一発が喧しいほど存在感を持って私の内界に響き渡っていく。

 頭で考えるよりも先に身体が動いていた。
 私は、鳥子のサーヴァント……アビゲイルとかいう子供へ掴みかかる。
 その服をがっしりと握り締めながら、ひどく沈痛そうな顔で俯くそいつと無理やり目を合わせて叫んだ。

「……っ、鳥子は! あいつは、何処にいるの!?」

 地獄界曼荼羅がどうだとか。
 リンボの奴はどうなったかとか。
 あの場で崩落に巻き込まれた他の連中は、とか。
 そんなことは何もかも、等しく今はどうでもよかった。
 私が今求めている情報は一つだけ、これ以外にはない。
 鳥子は――私の共犯者はどうなった。
 その質問に、半ば答えの解り切った質問に、アビゲイルは唇をきゅっと噛み締めて……

「ごめん、なさい……。マスターは、もう……」
「……は?」
「私が、駄目な子だったから……! マスターを守るの、間に合わなかったから、そのせいで――!」
「……、……何言ってんの? ……あぁもう、いいや、うちのアサシンに聞くから!」

 ほとんど私は半狂乱になっていた。
 そんな自分を客観的に見つめる、変に冷静な自分の存在を認めたくなくて目を背けた。
 答えを改めて聞くまでもなく、彼はもう問いの答えを口にしていたのに。
 "お前の意向に背いた"っていう言葉の意味が、私にはもう分かっているのに。

「アサシンさん。鳥子は無事なんですよね、ねえっ!?」
「気になるなら見てこいよ。あそこだ」
「……は、はあ? 普通"会ってこい"でしょ、そこは……、――」

 指差された先は路傍の隅。
 そこには、一枚の布切れが落ちていた。
 掛け布団にしちゃずいぶんと貧相で簡素だ。
 あいつ、がさつにも程があるだろ。
 そう苦笑さえしながら、私は急いで駆け寄っていく。

 鼻から頭に駆け上ってくる"匂い"を無視して。
 私は駆け寄るなり、すぐに布切れを引っぺがした。


 ――そこに、私の共犯者が"あった"。


「……………………、……………………は?」

 鳥子は眠るように横たわっていた。
 顔は相変わらず厭味なほど綺麗で、金髪も土埃で汚れてはいるけどそれでも私のより遥かにさらさらで煌めいてる。
 腕は片方欠けてしまっていたが、それでも私達の絆である透明な手は変わらないままだった。
 どの業界でも通用するような抜群のプロポーションも相変わらずだ。
 しかしそこに、一つだけケチが付いている。

 鳥子の腹は、真っ赤に染まっていた。
 衣服はそこだけ破けて、今も血が滲み出していて。
 素人目に見てもこれは駄目だと察せてしまうような大傷が、私の大事な鳥子の身体で口を空けている。
 鳥子の胸は上下していない。呼吸の音も聞こえない。

「おまえ……何、やってんだよ。この状況でそういう冗談は洒落にならないって、考えたら分かるでしょ」

 話しかけて、身体を揺さぶる。
 たちの悪いドッキリだというありもしない可能性に賭けて。
 そうして私は、一瞬呼吸が止まった。
 鳥子の身体があまりにも冷たかったからだ。
 まるで暗室にずっと放置した石膏像を触ってるような、そんな感触が肌を通じて伝わってきて――

「……っ、起きろ! 鳥子!!」

 気付けば私は、叫んでいた。
 ぼろぼろと流れ落ちる涙をみっともないとか取り繕う余裕も今はない。
 揺さぶる、ひっぱたく、手を握る、呼びかける。
 できそうなことは全部した。それでも鳥子の瞼は固く閉ざされたままで、目の前の現実は何一つ変わることなく血まみれで横たわっていて。

 私は、否応なしに理解させられる。
 私の共犯者で、もしかしたらそれ以上だった存在。
 この世界でもずっと探してきて、ついさっきやっと頓珍漢な再会を果たせた相棒。
 ネガティブ思考がデフォルトな私でも、こいつと一緒なら何でもできるんじゃないかと馬鹿げた夢をつい見てしまうような最高の女。
 紙越空魚という人間にとって、間違いなく世界で一番大切だった相手。
 仁科鳥子。
 憎たらしいほど美人で、人の心にずかずかと不法侵入してきたこいつは、もう……

「……っ! あ、あぁあ、あああああああああああああ――――!」

 死んでいる、のだと。

 理解した途端、私は吠えた。
 それは慟哭だった。
 自分はこんなに大きな声が出せたのかと驚いた。
 身体の中身を全部吐き出す勢いで、咆哮した。
 そうでもしないと今すぐにでもこの喉を掻き毟って、あいつと同じところに行ってしまいそうだったから。
 どうやらその代償行為としてこんな行動に出たらしいと、私の冷めた脳みそはこの期に及んでむかつくほど冷静な自己分析を下してくる。

 鳥子が死んだ。
 最後、私を突き飛ばして。
 <裏>の冒険は自己責任だっていつも言ってたのに、いの一番に私のことを守りやがって。
 そうして、鳥子の身体には花が咲いた。
 その花は今も、目の前にある鳥子の身体で咲き誇っている。

「――おまえ!!」

 叫ぶと同時に、私はもう一度アビゲイルへ掴みかかっていた。
 華奢な身体は抵抗する様子もなく、あっさりと地面へ押し倒される。

「おまえ、っ……何してたんだよ!」

 その従順さすら腹が立った。
 こいつは、あの時もこうだったのか。
 鳥子を死に至らしめるものが飛んできたその時さえもこうして、何もしないで見てたのか。

 ふざけるな。
 ふざけるな、ふざけるな。
 私の中で湧き上がった怒りはとうに沸点を超えていて。
 私はあいつのサーヴァントの胸倉を掴んで引き上げ、思いの丈をぶち撒けた。

「おまえ……鳥子のサーヴァントだったんだろ!?
 なのになんでこんなことになってるんだよ! なんで、守れてないんだよっ!!」
「ごめんなさい……」
「ごめんなさいじゃ、ないだろ……!」

 辛そうな顔をして謝る姿にますます怒りが刺激される。
 謝って済むと思ってるんだったら今すぐ鳥子を生き返らせてみろ。
 そもそも、鳥子があんな場所に立ち会わなきゃいけなかったのは。
 あんな奴に執着されて追い回される羽目になったのは、元を辿れば……

「全部――全部、おまえのせいだろうが……!」
「――っ」

 全部、こいつのせいじゃないか。
 アビゲイル・ウィリアムズ
 銀の鍵だか地獄界曼荼羅の布石だか知らないが、要するにこいつが誘蛾灯になってあのクソ坊主を鳥子に引き寄せた。
 こいつさえいなければ、鳥子のサーヴァントがアビゲイルでさえなければ。
 鳥子はそもそもあんなことになったりはしなかったんじゃないのかと。
 あいつと再会する前も、再会した時もその後も……ずっと抱き続けていた奥底の感情が溢れ出して止まらない。

「なのになんで、そのおまえが……! 元凶のおまえが、死なせてる……!!」

 アサシンがあの場で私を優先したことは、この際いい。
 あの男は基本的に仕事人だ。
 私が鳥子をどれだけ尊重していたとしても、いざとなったらクライアントの身の安全を第一に動くだろう。それは納得できる。
 でもこいつは、アビゲイルは違うじゃないか。
 こいつの仕事は、守るべき存在は、鳥子だ。
 なのに鳥子は今、あの綺麗な身体に大穴空けて死んでいる。

 どういうことだ、これは。
 説明してみろよ、できるものなら。
 詰め寄る私に、アビゲイルは震える唇を動かして――

「ごめん、なさい」

 ただ、謝った。
 ぽろりと涙の雫を白い頬に伝わせながら、わなわなと身体を震わす。

「空魚さんの、言う通り。私が守らなきゃいけなかった、助けなきゃいけなかった、なのに……」

 なんでおまえが泣くんだよ。
 泣きたいのは私の方だ、この――
 と。そこまで考えたところで、私は自然と理解させられてしまう。

 ああ。
 鳥子はきっと、こいつが好きだったんだ。
 それはもちろん、私に対してあいつが向けてた"好き"とは違うと思う。
 あいつ、結構世話好きなとこあったし。
 アビゲイルに対しても妹か、歳の離れた親戚の子みたいに接していたんだろう。
 だからこいつも泣いてるんだ。
 鳥子を守れなかった、こいつも。

「私、妬んでいたの。空魚さんのこと」
「は……?」
「羨ましかった。だって空魚さんは、この戦いが終わった後もマスターと一緒にずっと冒険をし続けられる。
 私は手を振って、去りゆくあの人を見送るしかない。
 だから私、空魚さんのこと、羨ましくて、妬ましくて――この時間がずっと続けばいいのにって、そんないけないことを考えてた」

 罰が当たったんだわ。
 私が悪い子だから。
 神様が、私を見ていて――

 そうまで言ったアビゲイルの頬を、私は衝動的に引っ叩いていた。

「――ふざけんな!」

 サーヴァントには物理攻撃は効かないだとか。
 そんなことは、今は一切合切どうでもよかった。
 私の中にあったのはそう、ただ"ふざけるな"という気持ちだけ。

 罰が当たった?
 神様が見ていた?
 アビゲイルが"悪い子"だったから、そのせいで神様があいつを殺したとでも言うのか。

「おまえのせいだ」

 それじゃ、カルトの理屈じゃないか。
 よりによって私にそれを言うのか、こいつは。

「おまえのせいで、私のせいなんだよ……!」
「……っ。違うわ、空魚さんのせいなんかじゃ――!」
「うっさい、クソガキ! 勝手に人の責任(もん)持ってくな!!
 イエスだかマリアだか知らないけど、そんないるかどうかも分からん絵空事にあいつの命を重ねて見るな!!」

 そうだ。
 あれは、アビゲイルが鳥子を守れなかったから起きたことで。
 そして私が、鳥子に守られてしまったから起きたことなんだ。
 死の責任はこいつと、他でもない私。その二人だけにある。
 神様だとか罰だとか、アビゲイルが悪い子だったからだとか、そんな理屈を用立てることは絶対に許さないし認めない。

 鳥子は私達のせいで死んだんだ。
 その事実は動かないし、それから逃げるっていうなら私はこいつの首をねじ切ってでもそれを否定してやる。
 あいつの死の責任まで私から持っていくな。
 おまえが逃げるのは勝手だけど、私からまで盗るんじゃない。

「……次言ったら、ほんとに、ぶっ殺すぞ……っ」

 こいつを殺すのはたぶん簡単だ。
 今すぐにでもアサシンに、そう命じればいい。
 アビゲイルはたぶん抵抗しないだろう。
 なのにそれをしないのは、こいつのせいだけじゃないからだ。

 こいつに全てを背負わせて殺せば、鳥子は完全に私の許から去ってしまう。
 責任/罪という絆すら、私の手元には残らない。
 それが怖くて、ひどく忌まわしくて。
 だから私は怒りを散々ぶつけておきながら、アビゲイルを殺せと叫ぶ気にはなれなかった。
 主人一人守れなかった疫病神でも、それでも……こいつは、鳥子が助けたいと思った相手みたいだし。

 目が痛いし喉も痛い。
 酸欠で頭がくらくらしてきた。
 もう嫌だ。何もかも忘れて寝てしまいたい。
 それとも、いっそオーバードーズでもして死んでやろうかと。
 そこまで考えたところで、アビゲイルは私におずおずと言った。

「……空魚さん。マスターは最後に、私に言葉を残したの」

 鳥子が、私に。
 言葉を、残した。
 その台詞を聞いて私はふと思い当たる。
 あれからどれくらい時間が経ったのか分からないが、目の前のアビゲイルには消滅する気配がまったくない。
 マスターを失ったサーヴァントは退去することになると、アサシンからそう聞いた覚えがある。なのに、どうして。

「"空魚を。私の好きな人を、助けてあげて"」
「……令呪で、あいつがそう言ったの?」
「ええ。最後の最後までマスターは、空魚さんのことを考えてた。
 守ってあげられなかった私に恨み言一つ言わずに、あなたのことだけを」

 だから、とアビゲイルは目尻の涙を拭って私を見た。

 鳥子が私のために、最後にアビゲイルへ伝えた令呪。
 自分の死を覆すためじゃなく、私のために使った最後の切り札。
 馬鹿かあいつ、と呆れる一方で、鳥子らしいな、とも思う。
 そんな私にアビゲイルははっきりと言った。

「私は……マスターを、鳥子さんを守れなかった。
 そんな駄目なサーヴァントに、せめてあの人の最後の遺命(ことば)を守るチャンスをください」

 私に。
 鳥子のいない世界に帰れって、そう言うのか。
 私は答える前に、自分の髪の毛をぐしゃりと握り締めて俯いた。
 考えられない。考えたくない。
 あいつのいない日常に何の価値を見出だせばいいのかもはや分からない。
 そんな世界で生きるくらいなら。
 必死こいて生き抜いた結果がそれだというなら、もういっそのこと死んでしまった方が救いじゃないか。
 帰るべき世界を私の死で、私の人生から排除して壊してしまった方が――

「……あ」

 世界を、壊す?
 それは何も、私の死を以ってしか成し遂げられないことではないんじゃないか?


「紙越」

 アサシンが何を言おうとしてるのかわかる。
 だから返事をしない。返事をするよりも考えたかった。
 鳥子の死んだ世界は、私にとって生きるに値しない白黒写真だ。
 色もなければ風も吹かない、永遠に無味乾燥とした退屈の地獄だ。
 私はそれを壊したい。
 じゃあ、どうすれば壊せる。
 私の未来に広がる忌まわしい白黒を、どうしたら。


 その答えは、意識が弾け飛ぶほどに瞭然だった。


「仁科鳥子の死を覆す手段が、一つだけある」

 問題なのは一つだ。
 私の進む先に、その世界に鳥子がいないこと。
 そんな世界に、私は生きる価値を見出だせない。
 いや、この際存在する価値だってないと断言してやる。

 じゃあ、どうすればいい?
 どうすれば、その無価値な世界と未来を壊してやれる?
 完膚なきまでに粉々に破壊して否定して、踏み躙ってやれる。

 答えは一つじゃないか。
 一足す一の計算をするよりも、ずっとずっと簡単なことだった。


「お前が聖杯を手に入れて」
「――鳥子の死を、なかったことにする」


 言葉の先を待つことはできなかった。
 そうだ、その手段だけが私に残された運命への抵抗策でありたった一つの希望。
 鳥子が死んだ事実はもう何をどうしたって覆せない、死者を蘇らす方法なんてものは世界の何処にも存在しないんだから。
 でも。此処には、少なくともこの世界には――ひとつだけそれが存在する。

 界聖杯。
 全知全能の宇宙現象とかいう御大層な触れ込みの願望器。
 それを手に入れ、私が今狂おしいほどに抱いているこの願いを懸けたなら。
 その暁に起こるだろう事象こそは、私の行く先に待つくそったれな世界の破壊そのものではないのか。

「聖杯の権能による反魂、もしくはもっと単純な死者の蘇生。
 その方法でなら、オマエの手はもう一度仁科に届く」
「……鳥子がつくった絆も信頼も、全部踏み躙って?」
「そうだ」

 だがその先は茨道だ。
 きっとそれをしたら、私は本当の意味での人でなしに堕ちるだろう。

 "誰か"の願いを踏み躙り。
 "誰か"の未来を奪い取る。
 そうしてただ一つ、自分だけの願いを叶える。
 自分の世界のために、他の全てを犠牲にする。
 これを人でなしと呼ばずして何と言うのか。
 私は血塗られた人殺しの手で、もう一度あいつの透明な手を握るってのか。

「俺はどっちでもいい。そこのガキも、お前に手を汚せと迫る気はないらしい。
 決めるのはオマエだ、紙越空魚」
「――、――」
「選べ。生きて疼くか、殺して疼くか」

 そんなの。
 ああ、そんなの――


「決まってるじゃないですか」

 上等だと、私は迷うことなくそう断言した。
 この手は血に汚れ、この背中は罪を背負うことになるだろう。
 私に託して死んだ鳥子だって、きっとそんなこと望んでないに違いない。
 でも、それも含めて、上等だと言っているのだ。
 私はあいつのためなら、あの<裏世界>で出会い誓いを結んだ共犯者のためなら、幾らでもこの醜いエゴを貫き通せる。

 人でなし? そんなの、今更のことだ。
 元から私はそうなんだ。
 あいつと出会って、ちょっと人間らしくなったかもしれないけど。
 そのあいつがいなくなったんなら、元に戻るだけ。それ以上でも以下でもない。

 失うものなんて、あいつ以外にはそもそもなかった。
 ならやることも選ぶ道も一つだろ、紙越空魚。
 生きるために敵を撃て。あの青の世界でそうしたように。
 鳥子のために――、誰かを殺せ。


 生き残れ。
 鳥子と二人で。


「アサシンさん……ううん、アサシン。
 聞きたいことがあるんだけど」
「言ってみろ」
「ぶっちゃけた話、私の存在はあんたの要石になってるの?
 あんたって、私がいないと本当に現界を維持できない?」
「悪くねえ着眼点だ。"違う"」

 よしきた、と私は思う。
 私のサーヴァント・アサシン――伏黒甚爾は"特別"だ。

 人は生まれながらに、しばしば秀でるか劣るかして生まれてくる。
 例えばサヴァン症候群。人知を超えた記憶力や演算能力。
 例えば染色体異常。知能も寿命も無慈悲にこそげ取る不治の先天性障害。
 原理としては、たぶんそれと同じだ。
 アサシンは生まれながらにして、天から呪いを与えられてる。
 天与呪縛。フィジカルギフテッド。一切の呪力/魔力を持たない代わりに、超人的な身体能力を持つという特性。

「俺は猿だからな。そもそもからして、召喚できてる事実からして聖杯戦争のセオリーに当て嵌めて考えればイレギュラーだ」

 今回大事なのは前者の方、つまり"一切の呪力/魔力を持たない"の部分だ。
 この人は本当に一切、魔力を使うことができない。
 だから念話も通じないし、令呪での命令も効かないと聞いている。
 念話が意味を成さないのは実際にチェック済みだ。
 つまり、この人はその持つ力と道具以外はほぼほぼ普通の人間と変わらない。

 そんな人に、よりによってマスターを失えばサーヴァントは云々のルールだけ適用されているなんてことがあるだろうか。
 それは不自然というものじゃないか。
 念話や令呪といった聖杯戦争のルールが通じない存在ならば、マスターの不在という脱落条件の部分も然りなんじゃないのか。
 そう睨んだのは、どうやら当たりだったようで。

「仮に今此処で、どこぞのビルからスナイパーがオマエの頭をぶち抜いたとして。
 俺はオマエが死んで"はぐれ"の身になろうが、十中八九このまま現界を維持できる。
 別段クライアントを亡くしてまで叶えたい願いもない身だ。考えたことはなかったけどな」
「じゃあ、なんとかして私とあんたの契約を切ることができれば――私とアビゲイルで再契約しつつ、アサシンの力も借り続けられるってこと?」
「そういうことだ。俺からも同じ提案をしようと思ってたが、仁科は良い置き土産を残したもんだ。
 アビゲイル・ウィリアムズ……フォーリナーだったか? そいつはオマエにとって、リスク無しにこき使える二騎目のサーヴァントになれる」

 アビゲイルが、自分の胸倉をきゅっと握り締めていた。
 あのクソ陰陽師が必死になって追い求めた存在。
 詳しくは分からないけど、とても大きな力を秘めてるらしいサーヴァント。
 鳥子が私に遺してくれた、あいつの大事な置き土産――。

 思うところはある。
 正直、ありまくってる。
 だけど使えるってんなら、使わない手はない。
 それにこいつはたぶん、私と同じだ。
 私と同じことを考えてる。私と同じで、取り戻したいと願ってる。
 私達が失くしてしまったあいつを、手を引っ張ってでももう一回こっちに引き上げたいと思ってる。私にはそれが分かる。私だから、分かる。

「じゃあ問題は、都合よく契約だけ切る方法か」
「いや、それならもうある。
 狙い澄ましたみたいな話だが、最初から俺の手持ちだ」

 そう言ってアサシンは、その口を開いて化け物をずるりと引き出す。
 何度見ても食欲の失せる光景だったが、今は込み上げるものはない。
 重要なのはアサシンが取り出した呪具(どうぐ)、丈の短い鉾のようなそれの方だ。

「特級呪具『天逆鉾』。発動中の術式を強制的に解除できる優れ物だ」
「……術式の解除。そうか、それで……!」
「ああ。こいつで俺とオマエの契約を断ち切れば済むだけの話だ。
 流石に試したことはねえが、まあイケるだろ。自分で言うのも何だが、結構とんでもない代物だからなコレ」
「――細かい話はこの際いい。できるんなら今すぐお願い、刺したら死ぬとかないよね?」

 躊躇いなんてあるわけもない。
 そんな段階は、あいつが死んだ時点でとっくに過ぎた。
 今の私の頭にあるのは、日和りきった帰還論や死者の想いが云々の御高説じゃない。
 エゴだ。全てを喰らい尽くすような、大きな大きな私のエゴ。
 私という醜い生き物を滞りなく駆動させるために必要不可欠な、誰にも見せられないほど真っ黒な部分。

 手を差し出して、アサシンの行動を待った。
 これはきっと最後の分かれ道だ。
 立ち止まるなら、今しかない。

「――どうでもいいよ」

 呟いて、私は迫る逆鉾の切っ先を受け入れた。
 私の手に、小さな刺傷が刻まれて。
 それと同時に私とアサシンの間を繋いでいた契約の糸がぷつりと途切れる。

 これで私は、アサシンのマスターではなくなった。
 契約の枠は空き、鳥子の遺したモノと繋がれる状態になったわけだ。
 私は視線を、アビゲイルの方へと向けた。
 アビゲイルも私を見ていた。その目は、うざったいほどまっすぐに私の目を見つめている。


「全員殺すよ。分かってるよね」
「……、……」
「分かった上でこの手を取るってことは、あんたも私と同じになるってこと。
 あんたが何を信じてるのか知らないけど、よっぽどの邪神でもない限りもうあんたを救ってなんかくれないだろうね」

 神様なんてものがもし本当に存在するのなら。
 これは間違いなく、そいつの教えに唾吐く行為だ。
 隣人に愛でなく弾丸を贈る。人を殺して、願いを叶える。
 死は救済だとか謳う負け惜しみを蹴飛ばして、血塗れの手であいつを抱き締めるための戦争だ。

 救いなんてもの、私は必要ない。 
 私にとっての救いは鳥子の、私の共犯者の生存だから。
 あいつのいない世界に救いはなくて、だからこそ私は救われるために人を殺す。望みを断つ。

「それでも、あんたがあいつを取り戻すために戦うっていうんなら――」

 おまえも、私と同じだっていうのなら。
 あいつのために何もかも壊す、そんな道を歩めるというのなら。

「この声に応えて、アビゲイル・ウィリアムズ。
 あんたのマスターだった、あの馬鹿を助けるために」

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の■に。
 聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら我に従え。
 ならばこの命運、汝が■に――

「……私は」

 アビゲイルの手が、静かに伸びて。
 もはやマスターではなくなった私の手のひらに、そっと触れる。
 その瞬間、私達の物語は一度終わり。
 そして新たに、始まりの一ページを迎えた。

「あの優しい人が死んでしまったことを、許したくないわ」

 光が、満ちて。
 そして――――


◆◆


 何だ、こいつは。
 契約の縛りから解き放たれ、真に何にも縛られない万人にとっての不確定要素と化した伏黒甚爾は眉を顰めていた。

 紙越空魚と再契約を結んだ仁科鳥子のサーヴァント、アビゲイル・ウィリアムズ。
 つい先程までの彼女は、見た目だけならば普通の幼い少女と言って差し支えない可憐で凡庸な存在だった。
 信仰心に篤く、大切な人の生き死にに大きく揺らぎ、激しく詰め寄られれば息を詰まらせるそんな娘。
 にも関わらず。今空魚の前に立つアビゲイルの姿は、これまでのそんな印象から大きく乖離した異様なモノに変じている。

「(霊基の再臨か。だが、それにしても……)」

 清貧と日々の祈りを重んじる清教徒の少女。
 そんな像とはてんで結び付かない、冒涜と退廃を匂わせる衣装。
 蛸の触手のように連なって伸びた蝶型のリボンの下から覗く地肌の露出は、仁科鳥子の傍にいた時のそれとはまるで似つかない。
 そしてその表情もだ。少女らしい天真爛漫さは薄れ、どこか虚ろなものが幅を利かせるようになって。
 極めつけとばかりに額に顕れた、不明の鍵穴――そこに目を凝らそうとして、甚爾は怖気を覚えた。

「(けったいなモノに成りやがったな。いや、そもそも本質はこっちなのか?)」

 甚爾は、これに近いものを見た覚えがある。
 旧デトネラット本社で見た、チェンソー頭の怪物。
 今のアビゲイル、もといその奥底から滲み出しているものはあれに近い。
 無論厳密に言えば性質も実像も異なるが、ある一点においては明確に共通していた。

 恐らくこれも、あれと同じ。
 呪霊など及びもつかぬ。
 正真正銘、本物の。
 世界に対する――呪いだ。

「ごめんなさい、空魚さん。私、鳥子さんを守れなかった。
 あの人のことが、本当に好きだったのに。
 家族みたいに思って、慕っていたのに」

 アルターエゴ・リンボ、蘆屋道満の見立ては正しかったのだとそう確信する。
 リンボは曼荼羅の中核に彼女を使わなかったが、彼は実に惜しかった。
 後一歩。後ほんの一歩で、彼は目的を遂げられていたのだ。

 仁科鳥子はアビゲイルを上手く律せていた。
 彼女に惜しみのない親愛と信頼を注ぎ、リンボの企ての中にあっても彼女の正気を保たせ続けていた。
 それでも狂気の萌芽を完全には止められなかったが、信頼関係を築けていた鳥子ならいざという時引き戻すことさえ可能だったかもしれない。
 しかし鳥子は死んだ。彼女の願いによって、アビゲイルは紙越空魚の許へと渡った。
 アビゲイルは、鳥子を喪ってしまった現実に強く打ちひしがれており。
 空魚は、その現実を認めず破壊することを願った。

 鳥子はアビゲイルに願わなかった、求めなかった。隣人たれと祈った。
 だから少女は正気のままに、鳥子の安寧と幸福のため寄り添い続けた。

 空魚はアビゲイルに願った、求めた。鍵たれと祈った。
 鳥子を喪った事実の破却、その旅路へと誘った。
 だから少女は今、望まれたままの巫女となり――喪失を変転させるために生贄を吊るす狂気の魔女と化した。
 その歩みは未だ中途。されど、"そこ"に辿り着くための方向性だけは絶望的なほど備わっている。

「だから鳥子さんと、あなたのために門を開きます。
 あなたの祈りがいつか、■■■に届くように」

 可能性の変容は始まり、少女はもはや不可逆の存在となった。
 その虚ろな笑みは、甚爾だけでなく空魚にも少なくない動揺を抱かせるものだったが…… 

 しかしすぐにこれでいいのだと思い直す。
 鳥子が遺してくれたもの、彼女が大切にしていた存在、アビゲイル・ウィリアムズ。
 それを歪めてしまったことに罪悪感を抱かないと言えば嘘になるが、そんな感傷でへこたれるほど彼女の覚悟は軽くない。
 堕ちるのだと決めた。ならば堕ちよう、何処までも。
 堕ちて、何もかも踏み越えて勝ち取ると決めたのなら――狂おしいくらいがちょうどいい。


「……わかった。じゃあ、あんたを信じるよ。
 鳥子が遺したあんたが、私を導く鍵だってそう信じる」

 空魚は視線を甚爾へと移す。
 二体目のサーヴァントという、他の誰にも真似することのできないアドバンテージ。
 ましてや甚爾は全ての感知や結界をすり抜けて暗躍できる、全ての定石を破壊し得る存在だ。
 彼を戦術の核にしない手はない。当然空魚もそう考えた。

「アサシン。鳥子と一緒にいた奴らの行方を、追える範囲でいいから探って」
「追い打ちか」
「そういうこと。あいつらが態勢を完全に立て直す前に"削り"入れられれば、間違いなく打撃になるでしょ。
 たぶん私とアビゲイルが直接突っ込むより、アサシンに任せた方が撤退の判断も利くだろうから」
「まあ、損切りは裏稼業の基本だからな。で? それだけか」
「……まだ行ける?」
「最善は尽くすさ。実に割に合わんタダ働きだが」
「……、……」

 空魚は、口元に手を当てて思案する。
 甚爾の存在は、常に最大限に活かして行動するべきだ。
 彼という何にも縛られない猿は、必然この先自分達の標的になる連中にとっても意識外から最悪の手を打ち込んでくるジョーカーとなる。
 空魚の頭の中を、これまで過ごした時間の中で手に入れた数多の情報とワードが駆け巡る。
 今、彼に集めて貰うべき情報。ないし取り組んで貰うべき工作は――

「十分だけ時間をちょうだい。その間になんとか考えまとめてみるから」

 爪を噛みながら、空魚は保留を進言した。

 思い上がるな、私は超人じゃない。
 あの"M"や峰津院大和みたいな怪物になんて、どうあがいたって一朝一夕じゃなれないんだ。
 私にできるのは考えること。頭をうんと捻って、ありったけの悪いことをイメージすること。
 そこまでできれば後は行動するだけだ。アサシンとフォーリナー、二枚のカードを使って全てのイメージを叶えていくだけ。


「(……鳥子。ごめんね、たぶん鳥子は私がこういうことするの嫌がると思うんだけどさ)」

 本格的な"悪巧み"に入る前に。
 空魚は最後にもう一度、鳥子へと語りかけた。
 もう空魚の傍に、最高の"共犯者"は存在しない。
 これは、失われてしまったそれを取り戻すための戦いなのだから。

「(でも――ごめん。やっぱり私、鳥子がいないと生きらんないや。
  だってあんたのいない人生とか、想像しただけですっごいつまんなそうなんだもん。今更もう戻れないよ)」

 駆け寄って、もう一度布を剥がす。
 やっぱりその死に顔は、驚くくらい綺麗なままだった。
 けどそこにはもう、空魚の知っている彼女の温度はない。

 涙はもう流し終わった。
 これからは前を向き、やるべきことをやる時間だ。



「……あのさ。おまえ、私のこと、好きすぎだろ」

 ――分かってるなら、応えてやればよかった。
 変に困惑したりなんかしないで、私も言ってやればよかった。
 後悔するには遅すぎて、でも今此処で言わなければ"その言葉"はもっとお預けになってしまう。

 初めて会った時は、なんだこいつ、と思った。
 冒険を重ねていく内に、こいつしかいないと思うようになった。
 あの時間がずっとずっと続いていくものだとばかり思ってた。
 だから、私は"私達"を続けてみせるよ。
 終わりなんて認めない。
 いつかもう一度、必ず鳥子の手を握ってみせるから。
 その時こそは、照れたり恥ずかしがったりせずに、ちゃんと伝えてみせるから。

「……私も、好きだったよ。鳥子のこと」

 今は、これで許してね。
 そう呟いて私は、鳥子の顔に唇を落とした。
 桃色のふっくらしたそこはひどく冷たくて、命の宿っていない味がして。
 だけどその柔らかさは私の隣で笑ってた鳥子のままだったから、私は――

「待ってて。私が……鳥子の共犯者が、全部終わらせてくるから」

 他の何を犠牲にしても。
 どれだけの罪を、重ねても。
 何をしてでも、何を使ってでも。
 何を奪ってでも――こいつを取り戻してみせると、改めてそう誓った。

 慟哭の時間はもう終わり。
 此処からは、戦いの時間だ。

 祝福をありがとう。
 そして今だけ、さよなら。
 必ず迎えに行くから、未来で待ってろよ。
 ……私の、世界で一番大切な共犯者。


【仁科鳥子@裏世界ピクニック  死亡】


【港区/二日目・朝】

【紙越空魚@裏世界ピクニック】
[状態]:疲労(中)、覚悟
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:マカロフ@現実
[所持金]:一般的な大学生程度。裏世界絡みの収入が無いせいでややひもじい。
[思考・状況]基本方針:鳥子を取り戻すため、聖杯戦争に勝利する。
0:アサシンに何を任せようか……。
1:マスター達を全員殺す。誰一人として例外はない。
2:リンボの生死に興味はない。でも生きているのなら、今度は完膚なきまでにすり潰してやる。
3:『連合』についてはまだ未定。いずれ潰すことになるけど、それは果たして今?
[備考]
※天逆鉾によりアサシン(伏黒甚爾)との契約を解除し、フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)と再契約しました。

【アサシン(伏黒甚爾)@呪術廻戦】
[状態]:腹部にダメージ(小)、マスター不在(行動に支障なし)
[装備]:武器庫呪霊(体内に格納)
[道具]:拳銃等
[所持金]:数十万円
[思考・状況]基本方針:サーヴァントとしての仕事をする
0:オマエはそう選んだんだな。なら、俺もやるべきことをやるだけだ。
1:峰津院の霊地へと向かい、どちらかに現れるであろうアルターエゴ・リンボを殺す。
2:あの『チェンソーの悪魔』は、本物の“呪い”だ。……こいつ(アビゲイル)もそうか?
[備考]
櫻木真乃がマスターであることを把握しました。
※甚爾の協力者はデトネラット社長"四ツ橋力也@僕のヒーローアカデミア"です。彼にはモリアーティの息がかかっています。
※櫻木真乃、幽谷霧子を始めとするアイドル周辺の情報はデトネラットからの情報提供と自前の調査によって掴んでいました。
※モリアーティ経由で仁科鳥子の存在、および周辺の事態の概要を聞きました。
※天逆鉾により紙越空魚との契約を解除し、現在マスター不在の状態です。
 ただしスキル『天与呪縛』の影響により、現界に支障は一切出ていません。

【フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:霊基再臨(第二)、狂気、令呪『空魚を。私の好きな人を、助けてあげて』
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを守り、元の世界に帰す
0:マスター。私は、ずっとあなたのサーヴァント。何があっても、ずっと……
1:空魚さんを助ける。それはマスターの遺命(ことば)で、マスターのため。
[備考]
※紙越空魚と再契約しました。


◆◆


「――ふ、はは、ははははは……さて」

 危ないところだった。
 そう認めざるを得ない。
 高揚の哄笑を一段落させたリンボではあったが、しかして本懐へと続く階を生み出せたこと以外は相応に不味い状況が続いていた。
 それもこれも、全てはあの雑魚。
 メロウリンク=アリティという取るに足らない雑兵の一刺しが、彼の臓腑を撒き散らし結果的に半身を奪い取ったことに起因している。

 あの場で滅ぼされる可能性は、率直に言って十分すぎるほどあった。
 むしろ生を繋げたことは奇跡と言ってもいい。
 それほどまでに、メロウリンクの打ち込んだ復讐の杭はリンボを敗亡の淵にまで追い詰めていたのだ。

 しかし、憎まれっ子世に憚るとはよく言ったもの。
 この界聖杯で恐らく最も多くの敵意(ヘイト)をかき集めてきただろう悪の陰陽師は、その苦境にあってなお生を繋いでのけた。
 奇跡は善悪を問わず誰にでも微笑む事象であると、今こうして彼が生存している事実が酷薄なまでにそう告げている。

 とはいえ、だ。
 先程も述べたように、メロウリンクの一刺しが彼にとって全く無意味な肩透かしであったかというと決してそんなことはない。
 下半身を引き千切らなければ逃れられないほど深く、強く突き刺さった杭。
 それが彼に負わせた手傷は、此処まで食らってきたものとは比較にもならないほど甚大だった。
 肉体的な損傷はもちろんのこととして、今後の動きにも少なからず影響を及ぼす程度には、不味いものであった。

「この有様では……生活続命の法にはもはや頼れぬか。
 重ね重ね、つくづく忌まわしい。よもや二度も、この儂が我が法を喪う羽目になろうとは」

 リンボの暗躍を支えてきた法、生活続命。
 式神に己の魂を転写して飛ばす御業が、この体たらくでは遣えない。
 少なくとも彼の"本命"が殻を破るその時までは、まず頼れないと見てよかった。
 その理由こそが、メロウリンクの一撃により霊核を破壊されていること。
 底冷えた猟犬の牙は、引き抜いた今になってもまだリンボの身体を忌まわしく責め苛み続けていた。

 アルターエゴ・リンボはこの界聖杯でも指折りの強力なサーヴァントだ。
 "四皇"や今は亡き"混沌王"、"始まりの剣士"には劣れど、彼らの次点になれるだけの力をその身に秘めている。
 だがそれも、心臓/霊核を破壊され半身を失った状態とあっては話が別。
 この有様で他人の前に本体を晒すことは、野望を自ら投げ捨てるにも等しい自殺行為だと言う他ない。

 つまり。
 リンボの跳梁は今後、奇しくも彼が神に見据えた少女の羽化の時まで停滞する。
 何しろ彼も今は霊基の再臨中。
 彼が持ち前の悪あがきでマスターを奪ったフォーリナー・アビゲイルがそうしたように、再臨を以って全ての傷を打ち消さんとしている。
 逆に言えば、再臨が完了する前にリンボを叩くことができたなら。
 それは即ち、未来の神へと昇華するための蛹化を行っている北条沙都子も含め纏めてこの悪意の主従を潰せることを意味していたが――そこはリンボとて当然織り込み済み。

「帳よ、下りよ。
 闇より出でて闇より黒く、その汚れを禊ぎ祓え――」

 蘆屋道満は日本史上きっての陰陽師であり、同時に呪術師でもある。
 彼が今此処で用いたのは、呪術師が戦闘に際して自分を含めた常識外の脅威を秘匿するために下ろす"帳"と呼ばれるものであった。
 だがしかし、そこは悪なる道摩法師。
 広義のそれと全く同じではなく、溢れんばかりに漲った呪力に物を言わせた"改良"を加えてある。

 帳を下ろすのと同時に、その帳の内側を自己の呪力を用いて異界化させる。
 疑似なる領域展開。
 自身と生育途中の"巫女"を覆い隠し、その時が来るまで延命するための隠れ蓑。

「……これで善し。やられっ放しは性に合わぬが――ンン。今はその愉悦も含め、後に取っておくとしましょう」

 アルターエゴ・リンボ、しばし休眠。
 あわや己が企みを打ち砕きかけた猟犬と、彼が身を置く方舟の徒ら。
 それらへの情念を燃やしながらも、密やかに目を瞑る。
 傍らで悶えながら胎動する巫女、マスターピースたる少女を慈しむように撫でながら。


◆◆


 ――夢を見ていた。
 あの、思い出したくもない日々の夢。


 汚い家だった。
 見てくれもそうだけど、雰囲気も。
 いつも耳に喧しい怒鳴り声が響いていて、いるだけで息が詰まってしまうようなあの家。

 品性というものをお母さんの子宮に置き忘れてきたのかと思うほど下品で、そして乱暴な叔母が立っている。
 私を庇うように、私の前にはにーにーが立っていて。
 にーにーのそんな姿にも苛立ちを深めたのか、また叔母は唾を飛ばしながら喚き散らすばかり。
 此処は私とにーにーの家なのに。どうしてこんな連中が我が物顔をして居座っているんだろう。
 思っていても言葉に出すことはできなくて、私は毎日こうしてにーにーの背中に隠れるだけだった。

「(今更……何だってこんな夢を見ているんですの、私は)」

 もはやそれは、辟易だった。
 こんな記憶、今の私にとってはどうしようもなく遠い過去だ。
 絶対の意思を以って永遠に繰り返すと決めた昭和58年6月よりも更に前の、どうでもいい過去。
 叔母がまだ生きていて、叔父がまだこの家に留まっていた頃の、追憶――。

 私が冷めていることなど知らず、にーにーは今も必死に叔母から私を庇ってくれている。
 この日々の中で、彼がどれだけ擦り切れそうになっていたのかは後で知ったことだ。
 にーにーが叔母を殺して、私の前から消えた日。
 あの日になるまで、弱くて愚鈍だった私はそれを自覚することすらなかったっけ。
 くだらない。つまらない。見ていて苛ついてくるほど、情けなくてみすぼらしい。
 夢なら早く醒めればいい。
 今更こんなものを見せられても、この百年の魔女が感じ入るものなんて何一つ――


『――あなたは本当の強さを何もわかってない!』


 ない、と。そう言いかけた時、いつかの親友の言葉が脳裏をよぎった。
 あれは確か、そう。
 私のお気に入りのカケラの一つだ。
 叔父が雛見沢に帰ってきて、私はこの北条家に帰り日に日に摩耗していく。
 その行き止まりの運命をなんとか覆そうと、部活の皆が行動を起こして私を助けようとしてくれる世界。
 その中でも、他のどれよりも上手く行くとても珍しいカケラ。
 結末から、エウアさんは"皆殺し編"って呼んでいた。

『悟史の強さをあんなに身近にいてまだ気付けないの?』
『悟史はね、あなたのように怯えてただけじゃない』
『あの恐ろしい叔母に真っ向から戦った! それこそが強さなのよ!!』

 知っていますわよ、そんなこと。
 にーにーが戦ってくれたから、私を守ってくれたから。
 この恐ろしくて下劣な叔母に立ち向かってくれたから、今の私があるんですもの。

『その怖くて醜悪な顔を見なさい。
 もしあなたが悟史に対する罪を贖おうとするならば、恐ろしさに立ち向かった悟史の勇敢さに気付きなさい!』

 ちら、と視線を動かす。
 やっぱりそこにある叔母の姿はひどく醜かった。
 醜悪。まさに、その一言に尽きる。
 眉間に寄った皺も弛んだ肌も、吐き気がするほど醜くて気味悪い。
 見ているだけで胸の奥がぐるぐるしてきて、私は思わず眉根を寄せた。

 こいつを、これ以上見ていたくない。
 こいつは、私の世界に不要なモノだ。
 胸糞悪いものが大きくなるにつれて、頭の中の梨花の声も大きくなる。

『沙都子――この一年でどれだけ強くなったのかを、悟史に見せなさい。
 悟史のような勇気を、今こそあなたの胸に宿しなさい!』

 そんなもの、もう要らないんですのよ。
 私はもう、人を手のひらで弄ぶ側なの。
 運命に挑む必要なんてない、絶対の意思で無限にあなたを翻弄する魔女。

『あなたの勇気を、見てるから』


 ああ。
 もう、うるさい。
 そんなにお望みなら、そうして差し上げますわ。

 目の前に立つにーにーを押し退けて、私は前に出て。
 ポケットに手を突っ込んだらそこには銃がなかったので、溜め息混じりに叔母を睨みつけた。


 ――邪魔ですわ。


 ただそれだけ。
 それだけで、私の"勇気"はあっけなく証明された。
 叔母の頭が割れたスイカみたいに弾け飛んで、種の代わりに歯が飛び散る。
 何の感慨もない、頭の中に響く梨花の声に仕方なく応えてやっただけの殺人。
 でも、それは。
 私が"勇気"を以ってしたその行動は、思いの外――

「……さ、とこ?」
「あれ――なに、これ。
 え、これって……こんなに気持ちのいいことだったんですの?」

 とても、とっても、気持ちがよかった。
 本当に予想外。意識の外。
 人を弄ぶことには慣れていたつもりだったけど、もう決まって動かない運命を自分の手で壊すことがこんなに気持ちいいものだなんて。
 そんなことはまったく、本当にまったく知らなかったから。いや――久しく、本当に久しく、忘れていたから。
 煩い、テレビの音が聞こえないと怒鳴り込んできた叔父にももう一度同じことをした。
 ただ睨みつけて、一言呟く。
 それだけで叔父の頭が真っ二つに割れて中身を吹きこぼす。
 こうして、私とにーにーの家を汚す害虫どもはあっけなく私の"勇気"の前に死に去った。

「さ、とこ……。今、一体何を……」

 尻餅をついて私を見上げるにーにーの言葉さえ、今の私の耳には入らない。
 知ってしまった、気付いてしまった。
 思い出してしまった、運命を打ち破る気持ち良さを。
 始まりのカケラで、梨花や皆と一緒に巨大な陰謀に打ち勝ったあの瞬間の高揚を。
 運命なんて金魚すくいの網よりも簡単に打ち破れるんだというその事実を、上から見下ろす側になってすっかり忘れてしまっていた歓びを!

 すべての運命を、薄紙のように打ち破って。
 定められたどうにもならない筋書きを、書き換えて。
 決まりきった結末を、思いのままにねじ伏せる。

 ああ、だとしたら確かにそう。
 それはもはや、"魔女"などではない。

 魔法なんて要らない、小手先の小細工なんて必要ない!
 ただ想い一つ、気持ち一つで全ての願いを実現できるそんな存在がもしもこの世にいるのなら。
 それは、それは――


「あ、は――あははは、あははははははははははははははははははははははっ、きゃは、ははは、あーっはっはっはっはっはっは!!!!」


 ――神、と。オヤシロさまと。
 そう呼ぶしか、ないでしょう?


【品川区・疑似領域/二日目・朝】

【北条沙都子@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:『異界の巫女』
[令呪]:残り二画
[装備]:トカレフ@現実
[道具]:トカレフの予備弾薬、地獄への回数券
[所持金]:十数万円(極道の屋敷を襲撃した際に奪ったもの)
[思考・状況]
基本方針:理想のカケラに辿り着くため界聖杯を手に入れる。
0:?????????????
1:脱出の道は潰えた。願うのは聖杯の獲得による、梨花への完全勝利のみ。
2:皮下達との折り合いは適度に付けたい。
3:ライダー(カイドウ)を打倒する手段を探し、いざという時確実に排除できる体制を整えたい
4:ずる賢い蜘蛛。厄介ですけど、所詮虫は虫。ですわよ?
[備考]
※龍脈の欠片、アビゲイルの触手を呪的加工して埋め込まれました。何が起こるは未知数。

【アルタ―エゴ・リンボ(蘆屋道満/本体)@Fate/Grand Order】
[状態]:気分さらに高揚、魔力消費(中)、ダメージ(大)、下半身両断、霊基再臨中、休息
[装備]:なし
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:この東京に新たな地獄を具現させる。
0:では、大盤振る舞いにて。
1:沙都子を神に戴き、窮極の地獄界曼荼羅の実行開始。
[備考]
※生活続命の法が途切れました。霊基の完全な再臨後にどうなるかはお任せします。


◆◆


 ――皮下は恐らく、まだ生きている。
 それがリップ=トリスタンの推測だった。

 鬼ヶ島は墜ちた。
 それ自体はあの男にとっても、恐らく最大級の不測の事態だったに違いない。
 そして東京タワーの霊地争奪も、ぶち撒けられた"崩壊"を見るに思うようには運ばなかったと見ていいだろう。
 要するに恐るべき海賊同盟は、目的を何一つ果たすことなく完全な敗北を喫したというわけだ。
 実に無様。拍子抜けしてしまうほど肩透かしな決着。
 だが、シュヴィの解析によるならば……海賊同盟の片翼である"皇帝"、カイドウは消滅していないという。

「(どういうことだか、分からないけど……あの東京タワーの辺りにまだ、カイドウの反応がある……)」
「(……マジでどういうことだ。霊地を台無しにされて意気消沈でもしてんのか?)」
「(そうだったら、むしろ……怒って突っ込んでいくタイプだと、シュヴィも思った……)」

 カイドウは生存している。
 ただ、何の理由があってかある一点から動かずにいる。
 であれば必然、彼の要石である皮下真も生きていると考えるのが妥当だろう。
 決して根拠のない信頼ではない。皮下は人間をやめている身だ、そこらの一般人はおろかリップと比べても生命力の強さは比較にならない筈。

 リップが彼に対してイニシアチブを握れていたのは、ひとえに能力の相性があまりにも良かったためだ。
 "再生"と"不治"。考え得る限りこれ以上に優れたカウンターはそうそう思い付かない。
 とはいえ逆に言えば、そんな特攻能力持ちでもない限り皮下は難攻不落と言っていい存在なのだ。
 天空数百メートルからの墜落という、常人なら間違いなく死ぬ状況でも――生を拾っていないとは言い切れない。
 それにこれは非合理的な話だが、アレはアレで相当に悪運の強い男だ。
 ひとまずしばらくは連絡待ち。もし本当に死んでいるようなら、その時は改めて手を考えればいい。


 ……方舟、か。
 リップは、古手梨花の言葉を脳裏で反芻した。

 恐らく彼女の言葉に嘘はない。
 方舟側に正式に加担するとなれば、あちらはリップ達のことを快く受け入れるのだろう。
 それはリップとしても、次善の策として決して悪いものではなかった。
 界聖杯の入手は今のところ、シュヴィという巨大な戦力を以ってしても非常に難易度の高い目標だ。
 であれば聖杯を手に入れるという第一目標を諦め、元の世界へ確実に帰って神への反逆を続けるという手も――十分に"アリ"だ。

 リップも、頭ではそう分かっている。
 だが、心は違う。
 合理では利かない部分が、その考えに断固として否を唱えていた。


 ――次善、じゃ駄目だ。
 必要なのは、完膚なきまでに俺達の運命をねじ伏せること。
 そのためには聖杯が必要で、方舟に逃げ込む選択肢は絶対的に"無い"。

 神は強大だ。
 認めたくはないが、一からやるのと道筋をすっ飛ばすのとでは価値の違いが巨大すぎる。
 元の世界に必ず帰れるというのは、界聖杯を手に入れる見通しが完全に途絶して初めて魅力を持つ文句だった。
 よってリップの方針は今のところ変化なし。
 方舟に加担する選択肢は取れない。あくまで自分は自分達の手で聖杯を手に入れ、願いを叶えて帰還する。
 方舟は次善の策としては有用だが、残しておくだけでリスクにもなる目の上の瘤だ。
 皮下の生存、もしくは死亡を確認次第――本格的に"どうするか"決めねばならないだろう。
 あちらの言うことを全面的に信用して、のらりくらりと時間を引き伸ばしてしまうのは方舟勢力の性質上愚の骨頂と言ってもいい。

「(皮下は全てを失った。だからこそ、今のアイツは誰より信用できる)」

 今の皮下には鬼ヶ島も、葉桜の増産設備も、そして恐らく虹花の実験体達もない。
 あの男は当分、リップとシュヴィを切ることができない身に堕ちた。
 であれば信用は可能だ。ともすれば同盟が万全だった頃よりも、心に余裕を持って付き合うことのできる相手になった。

 ――悪いな、古手梨花。
 俺は、優しい世界じゃ生きられない。

 心の中でそう吐き捨てながら、連絡を待つリップ――その一方で。


「(これ、は……なに……?)」

 シュヴィは今も、自分の中に宿った正体不明の事象に当惑していた。
 それは、歌。
 あの時流れたそれに対する説明が、今この状況に至ってもなおできていない。
 どうやら、あの時蒼雷のアーチャーの記憶が、偶発的に自分の中に流れ込んだ結果なのだろうと推測は立てられているものの、これは本当にただそれだけで説明の利くものなのか。
 響く音色の意味。謡精の歌声、それを歌い上げているのが誰なのか。
 シュヴィ・ドーラは依然として論理的な説明を付けることができておらず――


「(……さあ、沙都子。まずは私達の勝ちよ。
  それで、次はいったい何をしてくるの?)」

 そして古手梨花は、一人親友との次なる戦いに向けて思考を尖らせていた。
 雛見沢分校部活メンバーに最も必須な能力、それはへこたれない不撓不屈の精神だ。
 何でもありのダーティープレイで叩きのめされた挙句、メイド服やら園児服やらありったけの恥ずかしい服装で下校させられる辱めを受けて、それでもめげずに牙を研ぎ続けられる人間でなければ部活メンバーは務まらない。
 その点、北条沙都子は間違いなく生粋の部活メンバーである。
 ならば、あれしきで死んでいる筈がない。
 必ず、沙都子は立ち上がる。
 立ち上がってもう一度、あの紅い瞳で自分に追い縋ってくる筈だ。

 沙都子について、梨花は未だに気持ちの整理ができていない。
 彼女をああさせてしまったのは、間違いなく自分に原因があるのだろうということは分かる。
 しかしながら、沙都子は既にカケラを重ね、世界の構造を理解してしまった。
 絶対の意思で運命を弄ぶことの、その快楽を知ってしまった――もうこの喧嘩は、ただの"ごめんなさい"では終わらない。

 古手梨花(じぶん)を永久に囚え続けるのが、沙都子の勝利条件だ。
 では、梨花にとっての勝利条件は?
 自分は一体何をすれば、どうすればあの魔女気取りに胸を張って「勝った」と宣言できる?

「(……みー。こんな時こそ、セイバーの助言がほしいのですよー……)」

 きっと、一番大事なのはそこなのだ。
 どうすれば勝てるのかも分かっていない状態で、沙都子とゲームをして勝てるわけがない。
 小手先の勝利をいくら積み重ねたって、部活メンバー相手のゲームでは意味がないと梨花もよく知っている。
 やるんなら徹底的に。完膚なきまでに、打ち負かす。
 そうでなければ、火のついた部活メンバーは止まらない。


 異界にて交わった、二人の"百年の魔女"。
 彼女達の物語は一旦小休止。しかし、その再開は約束されている。

 神となるべく胎動するのは、北条沙都子。
 繰り返すものさえも超えた、真の"絶対"へ至らんとする魔女。

 神の到着を待ち受けるのは、古手梨花。
 幾星霜の死と惨劇を経ても尚、未来への希望を失わないかつて魔女だった少女。

 彼女達の戦いが再び始まる時、東京は再び嵐に見舞われるだろう。
 その果てに、最後に立つのはどちらなのか。
 この終わらない"部活"に終止符を打つのは、沙都子なのか梨花なのか。
 答えは未だ、繭の中。
 新たなるオヤシロさまの降臨が、それを争う最後の部活を宣言するのだと悪縁の道化が嘲笑っていた。


【中央区/二日目・朝】

【リップ@アンデッドアンラック】
[状態]:健康、魔力消費(小)
[令呪]:残り二画
[装備]:走刃脚、医療用メス数本、峰津院大和の名刺
[道具]:ヘルズクーポン(紙片)
[所持金]:数万円
[思考・状況]
基本方針:聖杯の力で“あの日”をやり直す。
0:現状、方舟は「無い」。
1:皮下の連絡を待つ。連絡がなければ死んだものと判断する。
2:シュヴィに魂喰いをさせる気はない。
3:283プロを警戒。もし本当に聖杯戦争を破綻させかねない勢力なら皮下や大和と連携して殲滅に動く。
4:古手梨花を利用する。いざとなれば使いつぶす。
5:敵主従の排除。同盟などは状況を鑑みて判断。
6:地獄への回数券(ヘルズ・クーポン)の量産について皮下の意見を伺う。
7:同盟は瓦解した。関わる必要はないが皮下との連絡は繋げておく。
[備考]
※『ヘルズ・クーポン@忍者と極道』の製造方法を知りましたが、物資の都合から大量生産や完璧な再現は難しいと判断しました。
また『ガムテープの殺し屋達(グラス・チルドレン)』が一定の規模を持った集団であり、ヘルズ・クーポンの確保において同様の状況に置かれていることを推測しました。
※ロールは非合法の薬物を売る元医者となっています。医者時代は“記憶”として知覚しています。皮下医院も何度か訪れていたことになっていますが、皮下真とは殆ど交流していないようです。

【アーチャー(シュヴィ・ドーラ)@ノーゲーム・ノーライフ】
[状態]:頭部損傷、右目破損、『謡精の歌』
[装備]:機凱種としての武装
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:叶うなら、もう一度リクに会いたい。
0:うた、が、きこえる?
1:戦場を監視し、状況の変化に即応できるようにしておく。
2:マスターが心配。殺しはしたくないけと、彼が裏で暗躍していることにも薄々気づいている。
3:フォーリナー(アビゲイル)への恐怖。
4:皮下真とそのサーヴァント(カイドウ)達に警戒。
5:峰津院大和とそのサーヴァント(ベルゼバブ)を警戒。特に、大和の方が危険かも知れない
6:セイバー(宮本武蔵)を逃してしまったことに負い目。
※聖杯へのアクセスは現在干渉不可能となっています。
※梨花から奪った令呪一画分の魔力により、修復機能の向上させ損傷を治癒しました。
※『蒼き雷霆』とのせめぎ合いの影響で、ガンヴォルトの記憶が一部流入しました。
※歌が聞こえました。

【古手梨花@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:疲労及び失血(大)、右腕に不治(アンリペア)、決意
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]
基本方針:生還を目指す。もし無ければ…
0:リップと交渉。方舟との仲介役を務める。
1:沙都子を完膚なきまでに負かして連れ帰る。
2:白瀬咲耶との最後の約束を果たす。
3:ライダー(アシュレイ・ホライゾン)達と組む。
4:咲耶を襲ったかもしれない主従を警戒、もし好戦的な相手なら打倒しておきたい。
5:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
6:戦う事を、恐れはしないわ。
7:私の、勝利条件は……?



時系列順


投下順


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145:地平聖杯戦線 ─Why What Wolrd White─(1) 皮下真 151:業花の帝冠、筺底のエルピス
145:地平聖杯戦線 ─Why What Wolrd White─(1) ライダー(カイドウ) 151:業花の帝冠、筺底のエルピス
145:地平聖杯戦線 ─Why What Wolrd White─(1) 古手梨花 151:業花の帝冠、筺底のエルピス
145:地平聖杯戦線 ─Why What Wolrd White─(1) 北条沙都子 156:呪胎空想樹
145:地平聖杯戦線 ─Why What Wolrd White─(1) アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満) 160:ひぐらしのなく頃に桜 -桜渡し編-
145:地平聖杯戦線 ─Why What Wolrd White─(1) 紙越空魚 154:敗者ばかりの日(前編)
145:地平聖杯戦線 ─Why What Wolrd White─(1) アサシン(伏黒甚爾)
145:地平聖杯戦線 ─Why What Wolrd White─(1) リップ 151:業花の帝冠、筺底のエルピス
145:地平聖杯戦線 ─Why What Wolrd White─(1) アーチャー(シュヴィ・ドーラ) 151:業花の帝冠、筺底のエルピス
145:地平聖杯戦線 ─Why What Wolrd White─(1) 仁科鳥子 GAME OVER
145:地平聖杯戦線 ─Why What Wolrd White─(1) フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ) 154:敗者ばかりの日(前編)

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最終更新:2023年07月29日 04:18