戦況が変わる。
皇帝
カイドウの乱入は、それを齎すのに十分すぎる青天の霹靂だった。
ゆらり、と。陽炎のように、その巨体が揺らめく。
シュヴィの眼には、そう見えた。
だが逆に言えばそれは、彼女/機凱種ほどの高度な観測手段を持っていなければ視認することさえままならない初動動作ということでもあり。
事実ガンヴォルトが"攻撃されている"と気付いた時には、既に
カイドウは彼の目の前にまで迫っていた。
「"雷鳴八卦"」
「が、ご……ッ!」
八斎戒を力強く握り、ただ振り抜く。
やっていることはそれだけだ。
特別な技術や小難しい理屈など何ひとつ介在する余地のない、極めて単純な攻撃。
しかしそこに最高クラスの敏捷性という要素が一つ加わるだけでただの殴打が不可避の稲妻に変わる。
雷撃鱗が砕かれ、ガンヴォルトの華奢な身体があっさりと吹き飛ばされる光景は悪夢のようだった。
「何だ? だらしのねえ。てめえには一度見せてるだろうが」
それは絶対強者の言い分だ。
本物の雷にも届く速度で放たれる通常攻撃、そんなものに一度見た程度で順応できる手合いなどそうはいない。
強化形態――スーパーガンヴォルトとなった今でも動体視力が追い付かないほどである。
まして今のガンヴォルトは全身に纏った雷鎧の強度も、以前に比べて格段に上がっている状態だ。
にもかかわらず、ただの一撃で直撃した箇所のみとはいえ雷撃鱗が砕けて剥がれた。
化物め。
そう毒づかずにはいられない。
まさに怪物の中の怪物――今の今まで死力を尽くして果たし合っていたシュヴィの存在すら霞むほどの、圧倒的すぎる"個"の強さ。
それでも、ガンヴォルトはまだ負けていない。
心の膝を折るなど以ての外だ。
たとえ何が相手だろうが、どれほどの絶望が立ち塞がろうが。
彼はただ一言――「立ち上がれ」と、己にそう命じ続ける。
血反吐を撒き散らしながらでも、這いつくばってでも、必ず勝つのだとそう誓って。
「舐めるなよ、海賊……!」
カイドウが再び地を蹴ろうとした瞬間、ガンヴォルトが後の先で動いた。
その動きは先程までよりもさらに速い。
雷鳴八卦。彼を打ち抜いた先の一撃のそれにも匹敵する。
一瞬で距離を詰め、雷霆を振るう姿はもはや閃光にも等しい。
だが対する
カイドウもまた、目を見張るほどの反応速度でそれに対応した。
轟く稲妻を、それと同等以上の速さで振るう得物で打ち砕く。
放つ、放つ。砕く、砕く。手数と手数、力と力の応酬が、刹那の間に幾度となく繰り返されていく。
ガンヴォルトは、自身の力の高まりにかつてないほど感謝していた。
最初に邂逅した時にも感じたことだが――こいつは格が違いすぎる。
クードスを解き放って強化形態で戦うことは大前提。そうでなければ、そもそも戦いにすらならない可能性が高い。
だからこそ、霊基の変質によって後先を考える必要がなくなったことは素直にありがたかった。
おかげでこうして出し惜しみなく力を解き放ち、なんとか怪物の暴力に付いて行くことができている。
「舐めるなよ、だと? 抜かすじゃねェか」
言葉と共に繰り出される攻撃が、いよいよ苛烈さを増してきた。
雷速の連撃でさえ捌き切る
カイドウが繰り出すのは、より速く鋭い打擲だ。
もはや視認することも困難な速度で振るわれる凶器に、少しずつ拮抗が崩れていく。それでもなお、ガンヴォルトの攻撃の手は止まらない。
否、止められない。
この怪物相手に少しでも手を緩めれば、その瞬間に敗北が確定すると理解しているからだ。
その考えは実に正しかったが、しかし……
「ならその気にさせてみろよ。おれァ今どうしようもなく渇いてんだ」
ガンヴォルトが維持してきた戦線が、遂に破られる。
カイドウの巨大な脚が地面を踏み締めると同時に轟いた激震。
それは相手の脚を地に固定し、逃げの一手を潰す拘束技として機能する。
その上で
カイドウが試みたのは、あろうことにこれまたごくごく単純な……単なる突進だった。
しかし、それはあくまでただの体当たりではない。
その速度と威力たるや、まさに桁外れ。
六メートルを優に超える巨体が音にも迫る速度でぶつかってくるのだから、尋常な衝撃である筈もなかった。
「"羅刹蹂躙"――――」
ガンヴォルトが咄嵯に身を捩り、どうにか直撃を避けたと見えた次の瞬間には。
その身体が、宙へと舞い上がっていた。
直撃を避けたとしても、衝撃だけで英霊を空へ打ち上げる恐るべき威力。
カイドウと目が合う。その紫電の眼光に背筋を粟立たせてしまったことを、一体誰が責められるだろうか。
「――――"雷鳴八卦"ェッ!!」
空へ振り抜かれる八斎戒。
既に二度見た技ではあるが、逃げ場なき空中で受けるとなればその危険度も捌く難易度も必然的に跳ね上がる。
集中の余りに、脳の血管が切れそうだった。
対処し損ねれば死ぬ。比喩でなく、この界聖杯から退場する羽目になりかねない。
そうなるわけには行かないからこそ、ガンヴォルトは
カイドウの思い通りになることを善しとしなかった。
あらん限りの雷を手元に集中させ、そのエネルギーで以って受け止めつつ微かに攻撃をズラして致命を避ける。
次の瞬間、まるで落雷のような爆音が轟き渡った。
「ッ、おォ……!?」
「舐めるなと、言った筈だ」
ほぼ零距離で、すれ違いざまに叩き込まれた蒼い雷霆が
カイドウの巨体を貫いたのだ。
いかに強靭な肉体を誇る
カイドウとはいえ、肉を素通りして体内へ伝わる電流が相手では無痛とはいかない。
漏れる呻き声。スーパーガンヴォルトの火力は、彼ほどの怪物でも涼しい顔で受け止められるものではない。
「《LIGHTNING SPHERE》……!」
直撃するなり
カイドウの巨体を飲み込んだのは、彼の巨躯をも丸ごと包み込む巨大な雷球だった。
ライトニングスフィア。既にシュヴィに向けて使った技であるが、その威力と規模は先ほどまでのを遥かに超えている。
ガンヴォルトの代名詞である蒼き力が、雷球の内側を荒れ狂う稲妻の奔流となって暴れ回る。
スーパーガンヴォルトの出力ならば、これだけでも宝具の真名解放に匹敵する威力が伴う。
少なくとも、まともに喰らえばまず間違いなく無事では済まない。
しかしそれは、まともに喰らえばという条件に加えてもう一つ。相手が道理の通じる"まともな"相手であることを前提にした場合だ。
その点彼が今相手取っているこの怪物は、その前提条件の真逆を地で行く生き物と言っていい。
雷球の内圧が臨界に達し、飽和へと向かい始める寸前。
白目を剥いていた
カイドウの眼球が、ぐるりと戻ってきて。
骨まで焦がす超高圧の雷電に焼かれているとは思えないほど冷たい声で一言、言った。
「で?」
――直後、雷球が。
内側から放出された圧力に耐えかねて粉々に砕け散る。
「こんなものか?」
その光景を目の当たりにしたガンヴォルトは、内心で舌打ちせずにはいられなかった。
あれだけの電撃を真正面から浴びて尚、彼が漏らした苦悶はわずかに一瞬。
パフォーマンスのような呻きを引き出せただけというのだから、苛立ちの一つも溢したくなるのは道理だろう。
ガンヴォルトは改めて、目の前の男が規格外という言葉でさえ表し切れない
ルール無用の怪物であるのだと理解した。
「随分でけえ魔力を放ってやがるから、ちったあマシになったかと思ってたが。とんだ期待外れだぜ」
「心配しなくても、お前の期待には応えてやる。望み通りその身体に、終わりの痛みを刻んでやろう――!」
雷霆が迸る。
カイドウは迫る雷撃の嵐の中へ、知ったことかと直進。
雷の熱も閃光も、肌を通じて体内に伝わる電流も全てねじ伏せる。
力。ただただどこまでも圧倒的で、純粋な力。それが、彼の成すあらゆる無理を道理に変えてゆく。
悪夢だった。悪夢そのものだった。これこそが、
カイドウなのだ。かつて己が打ち倒された男は今なお自分よりずっと格上なのだと、そう認めざるを得ない。
そして、だからこそ。
たとえ何があろうとも、どんな理由がそこに在ろうとも。
負ける訳にはいかないガンヴォルトも、過去を改めてねじ伏せる。
出力は常に最大。この地で重ねた運命の交差(クードス)と、或る小鳥の遺命とが何より強い力となってガンヴォルトに限界を超えさせる。
「はああああああ――ッ!」
輝く雷霆そのものと化して、
カイドウの速度へ強引に追いつく。
刹那、八斎戒と雷剣が正面から衝突して莫大な衝撃波を生んだ。
力比べでならば勝てる望みはない。その現実を、魔力の放出による強制的なブーストで埋め合わせる。
ビリビリと大気が震える中、ガンヴォルトと
カイドウの視線が交差する。
刹那にして、両者が鍔迫り合うのをやめた。
それは当然、諦めから生まれた行動ではない。
より確実に敵をねじ伏せるため、打算ありきで判断し動いた結果であった。
「――"降三世
引奈落"!」
「《SPARK CALIBER》――!」
真上から振り下ろされる、鬼神の金棒。
真下から突き上げる、雷霆の巨剣。
二つの刃が交錯する瞬間、再びの轟音と共に衝撃が弾けた。
両者が共に後ろへと下がる。ガンヴォルトは雷の鎖を顕現させ。
カイドウは、その身体を閃光で包んだ。
刹那。彼らの最初の邂逅、そこで演じられた戦闘の構図が再現される。
カイドウは青龍に成り。そしてガンヴォルトはそれを捕らえるべく、ヴォルティックチェーンを引き出した。
だが単純な焼き直しとは行かない。最強生物も、蒼き雷霆も――あの頃とはずいぶんと変わった。多くの経験と喪失を積み重ねた。
そんな彼らが、かつての戦いと同じスケールでしか戦えない凡夫である筈など当然ないのだから。
天へと、高く。
舞い上がった龍を、地から雷霆が睥睨する。
まるで、世界が天地で二つに分かれたようだった。
地には雷光。天には青龍。
どちらもが、神話の生き写しの如き力を宿している。
龍が顎門を開いた。雷光が、輝きを蓄えた。
一瞬の膠着。それが破られるのと同時に――世界が神話(えそら)に呑まれる。
「"熱息(ボロブレス)"!!」
「《VOLTIC CHAIN(ヴォルティックチェーン)》!!」
カイドウの吐いた龍炎を、雷の縛鎖が引き裂く。
それはかつての邂逅では成らなかった迎撃。
この意味するところは、それほどまでにガンヴォルトの出力が上昇しているということ。
龍王の熱息を引き裂いて活路を作り出せば、次に鎖は本来の役目を果たす。
巨大な龍体に纏わり付きながら、先のライトニングスフィアにも劣らない熱と通電を見舞うのだ。
されどガンヴォルトの表情は依然として固い。
火球を破った。その巨体を戒めた。
それだけで封じることのできる相手ならば、そもそも数多の能力者を打倒してきた彼が遅れを取ることはなかっただろう。
現に
カイドウは、英霊を消滅に至らしめるに十分な電流を受けながらもはや苦悶の一つすらこぼすことなく――
「"龍巻壊風"」
さも当然のような顔をして、次の天変地異を投げつけてきた。
竜巻。そして、万物薙ぎ払う暴風。
その両方が、
カイドウの意のままに具現して戦場の全域に展開される。
今のガンヴォルトの出力でさえ、一撃ではとても消し切れないほどの規模と密度。
それでも彼は、怯むことも躊躇うこともなかった。
逆巻く風を、嵐を。己の魔力を限界まで高めることで、強引に束ねて押し返さんと試みる。
「災禍を力に変えるのが、お前だけだと思うな」
「その言葉、そっくりそのままてめえに返してやるよ」
直後、ガンヴォルトが覚えたのは寒気。
咄嵯に電磁結界と雷撃鱗を同時に展開し、迎撃ではなく防御の体勢を整える。
同時に、
カイドウを縛るヴォルティックチェーンが弾け飛んだ。
青龍が顎門を再び開く――しかしそこに収束していくのは今度は炎ではない。
今度は。黄金色に輝く、自然の災禍の象徴。そして神話において、荒ぶる龍が自在に扱うと語られた天の怒りそのものであった。
「確か名前は……こうだったか? ――――"大雷球(ライトニングスフィア)"」
ガンヴォルトのSP(スペシャルスキル)。
さっき
カイドウの身を焼いた筈の雷球が、色合いこそ蒼と異なる金であるものの、形も威力も兼ね備えて意のままに再現されていく。
「ッ……!」
なんという出鱈目。
なんという、滅茶苦茶。
龍が巻き起こせる現象ならば全ては
カイドウの思い通りで。
彼の力の範疇で模倣できる攻撃は、当たり前のようにコピーされる。
その上これは、このライトニングスフィアの出力は。
先ほどガンヴォルトが彼に放ったものよりも、ずっと。
「お、……おおおおおおおおおおおッ――!」
咆哮と共に、金雷と蒼雷が激突する。
壊風の吹き荒ぶ戦場が、今度は光で包まれた。
笑みすら浮かべぬまま、
カイドウが龍化を解く。
空中で解き放たれた鬼神が、ヴォルティックチェーンの残滓を薙ぎ払って地へ降りる。
振り翳すのは大業物、八斎戒。
賽の目の結果は実のところ、それほど関係がない。
大雷球を捌けなかったならそれまで。
仮に捌けたなら実に見事。次は降りてきた
カイドウの剛撃に対応するか死ぬかを選べ。
それが叶わないのならそれまで、捌けたなら実に見事。次は……、……。その繰り返し。
絶対的な強者を相手にするというのは、即ちそういうことなのだ。
一つ乗り越えればまた次が、それを乗り越えてもまた次が。
敵の息の根を止めるまで延々と、限界を超えた艱難辛苦が降り注いでくる。
雷球が、弾ける。
果たしてこれは、単なる雷球の四散に留まるのか。
蒼き雷霆の少年の魂が弾けた瞬間なのではないのか。
その答えの如何を気にする余裕もないままに。
チェンソーマン/英霊
デンジは、こちらもこちらで大変に絶望的な戦いを強いられていた。
「ッ……クソァ! ちょこまかちょこまか鬱陶しいんだよ!!」
ガンヴォルトの相手を
カイドウが引き受けている以上、必然的にデンジの担当は
シュヴィ・ドーラになる。
そして言わずもがな、
デンジにとって自由自在に空を飛び回るシュヴィは相性最悪の相手であった。
デンジの攻撃は当たらず。一方でシュヴィは、手の届かない位置から一方的に暴力を叩き込んでくる。
いつか、鬼ヶ島を囲う海で女武蔵が演じたのと同じ……いやそれ以上に絶望的な戦局。
思わず
デンジが吐き捨てたのは詮ないこと。
とはいえ愚痴を溢したところで、現状が改善することなど一切ありはしないのだったが。
弾が
デンジの手足を撃ち抜いて。
爆風が、その身を焦がす。
立ち上がろうとすれば刃が降ってきて、咄嗟に避けようと転がった身体を惨たらしく刻む。
霊骸の汚染に蝕まれた彼の口からは血反吐がとめどなく溢れ、体調も言うまでもなく最悪だった。
「ハァ……ハァ……! どっちに転んでも地獄とか、勘弁してほしいぜ……!!」
毒づく影が爆炎に再度呑まれる。
シュヴィはその光景を、ただ無感のままに見下ろしていた。
さながらそれは、かつて"彼"と出会う前の彼女のよう。
愛を知らず、感情(こころ)を知らず。
機凱種という全体に奉仕する一機体として大戦の地を駆けていた頃の姿を思わす、まさに機械じみた冷たさを纏った姿であった。
もう、迷いはしない。
あの時確かに、そう決めた。
だが、それでも甘かったのだと今では思う。
死の淵に瀕し、心からの絶望と悔恨を味わった。その事実は、或る種のトラウマとしてシュヴィの思考回路に刻み込まれていた。
負けはしない。
失わない。
あの人に、これ以上喪わせない。
その一心が、かつて誰も殺さないと誓う男に連れ添った少女を冷血たらしめた。
この世。世界の全てを裏切ってでも、この頭脳に今も焼き付いた"彼ら"の生き様に反してでも。
――今はただ、己の栄光の為でなく。
リップ=トリスタンという心の優しい、それでいてあまりに哀しい男のために全てを使おう。全てを、費やそう。
シュヴィはそう決めた。誓いは更に強固になった。ならば、もう手抜かりなどするものか。
「俺としちゃ、テメエに恨みはねえんだけどよ~……!」
砲撃砲撃砲撃砲撃砲撃砲撃/射撃射撃射撃射撃射撃射撃。
逃げ場は少なく、しかしあえて皆無にはせず。
意図して残した安全地帯(オアシス)へ飛び込んだところに本命の一撃を込める。
デンジはまんまとそれに引っ掛かり、見るも無残に右腕を肩口から吹き飛ばされた。
痛みはある。衝撃もある。だが――そんなもの、チェンソーマンは慣れっこだ。
「テメエらが居ると、俺のツレが困ンだってよ。
俺以外のカップルなんざどうなろうと知ったこっちゃねえけどよお……相手が可愛い女だってんなら、話も変わってくるよなア!!」
爆発の衝撃を利用して跳び上がる。
自分とシュヴィの間を隔てる一番大きな壁は、単純明快に"高度"。
逆に言えばそれさえ詰められればどうにでもなると、
デンジはそう判断していた。
空を飛ぶ悪魔を相手取った経験はある。
それは正確には、"この"
デンジの記憶ではなかったが。
支配の悪魔の打倒から更に未来。チェンソーマンとして悪魔を殺し回って承認欲求を満たしていた時の記憶、その片鱗は今も彼の中にあった。
チェンソーのリーチを超えた間合いを保ちながら殴ってくるいけ好かない相手に対して、まず真っ先に考えるべきは近付く方法だ。
その場にあるありとあらゆるものを使って、なりふり構わず距離を詰める。
そこさえ埋められれば、後は得意のゴリ押しでどうともでなる――だから
デンジは此処で、シュヴィの攻撃の苛烈さそのものを利用した。
「しおの奴をずっと助けてきた強くて気の利く色男となればよぉ! "さとちゃん"が俺に鞍替えする可能性もまあまああるんじゃねえの――!?」
動機は不純。
それはかつてなら、シュヴィの合理的思考に一縷の隙を作る要素であったかもしれない。
デンジはめちゃくちゃだ。チェンソーマンという、悪魔の常識さえ超えた災厄を継ぐ者として十分すぎるほどに彼は型破りだ。
しかし今のシュヴィに対しては、その一切が意味を成さない。
彼女はもう、そもそも相手の言うことに耳を貸さないから。
目指すのも見据えるのも、勝利の二文字ただそれだけ。
だからこそ
デンジに勝機はなく。同じ高さまで上り詰めて放った渾身の斬撃も、彼女の武装解放の前にあっさりと躱されてしまった。
「『制速違反(オーヴァ・ブースト)』」
武装と呼んでは語弊があるかもしれない。
正確にはこれは、機凱種が共通(デフォルト)で有するブースターだ。
精霊を一気に吸い込んで屠殺し、それによって生まれた霊骸の排出により生まれる運動エネルギーで加速する加速用装備。
そのオーバーテクノロジーから繰り出される速度は、
デンジという英霊が対処できる次元を優に超える。
「あっ!?」という声がむなしく響く中、しかしシュヴィはあろうことか減速の兆しをまるで見せない。
『制速違反』。
『制速違反』。
『制速違反』。
『制速違反』。
『制速違反』。
攻撃自体は回避できたというのに、尚も止まらないブースターの連続稼働。
点と点を延々と繋ぎ続けるその動作は、無論意味のない愚行にあらず。
加速――加速――加速――加速――加速――とめどなく。
重ねがけに次ぐ重ねがけ。
シュヴィ・ドーラの天翔ける速度は、制速違反の稼働回数の重なりに比例して天井知らずに増幅していく。
姿形を残像で捉えられたのなど、今となっては遠い昔のこと。
音速を超越し、大気摩擦の熱のみで空間にプラズマを生み出しながら駆ける彼女は極高速と呼んでいい次元に達して余りある。
――そっか。
――あなたも……"愛"のために、戦ってるんだ…………。
デンジの漏らした言葉を脳内で反芻しながら、シュヴィはそんな感慨を覚えた。
彼はきっと、自分の知らない"愛"を知っているのだろう。
そしてサーヴァントとして、それを守るために戦っている。
口ぶりはぶっきらぼうだが、シュヴィはそこに不器用な愛の形を見出した。
それは、そう。彼女がかつて心を通わせ、生涯を誓い合った――ある不器用な男のような。
「でも」
そこに思うところがないと言えば嘘になる。
シュヴィは、もう無感の機械ではない。
彼女はその想いで数百数千という同胞たちの未来をも変えた特異点。『意志者(シュピーラー)』と繋いだ『解析体(プリューファ)』。
デンジのむちゃくちゃさの中に。シュヴィはシュヴィなりに、マスター……
神戸しおへの感情を見て取った。
そこにあるのは確かな絆で。形はどうあれ、"愛"で。それを理解し心を痛め呑み込んで、その上でシュヴィは断ずる。
「それは……あの人の未来にとっての、障害でしかない……ッ」
ゆえ、彼女は望んだ。
愛よ潰えろ。それは邪魔だと。
そう断言して、少女は軌跡となる。
わずか一瞬の交差。
デンジが見たどの悪魔よりも速い速度で迫るシュヴィに対し。
チェンソーマンになって尚、
デンジは不吉な予感を覚えて咄嗟に飛び退く程度の対処しかできなかった。
彼の右半身が、大きく抉れて消える。
ただの体当たり――機凱種にあるまじき直線的な攻撃であったにも関わらず、
デンジは一瞬にしてそれだけの損害を被ったのだ。
「ッ……!」
さしもの彼も、息を呑む。
が、体勢を立て直す余裕はなかった。
身体は舞い上がって吹き飛び、そこにシュヴィが飛んでいくの以上の速度で押し迫る。
彼女の右手には、再び黒槍が……ケイオスマターの複製品が握られていた。
その穂先が、両腕を吹き飛ばされて打つ手の消えた
デンジの心臓を貫く。
鋭利な乱杭歯の生え揃った口が、かっと開かれ。チェンソーマンが、血反吐を吐いた。
「――ギャアアアアアアア!! 痛っ……痛ッてえええええええ!! 死ぬ!! 死ぬ死ぬ死ぬゥウウウ!!!」
瞬間
デンジが覚えたのは、壮絶などという言葉では尽くせないほどの激痛だった。
痛い。痛い。自分という存在が、根本から蝕まれすり潰されていくような痛みが思考を塗り潰していく。
全身をバラバラに引き裂かれたかのような衝撃と苦痛に、意識さえ遠ざかりそうになる。
それもその筈。いや……この有様でさえ、彼にとってはこの程度で済んで幸運だったとすら言えよう。
ケイオスマターは不死殺しの究極。
貫いたものを腐らせ滅ぼす、必殺の魔槍に他ならない。
今シュヴィが扱っているのはあくまでもその残滓を核にした模造品だが、それでも不死者に対する特効性能は健在らしかった。
デンジの悶絶がそれを物語っている。
悶え苦しみ、動きを迎撃に割くのも忘れてのたうつ彼の胴体を、最高速度まで加速したシュヴィの一槍が今度こそ粉微塵に破壊した。
飛び散る
デンジの肉片、残骸。
そこに飛びつく影が一つ、あった。
大雷球の炸裂から飛び出した、傷だらけの少年。
辛くも最低限の相殺を成し遂げて死線を切り抜けたガンヴォルトが、間一髪で
デンジのスターターを引く。
ぶうん、と音がした。
それだけで、確定していた
デンジの死は撤回される。
ガンヴォルトがすぐ彼の性質に気付けたのも、シュヴィとの共鳴で得た解析能力の賜物だった。
デンジの胸元のスターター。そこにだけ、彼のものとは明確に異なる魔力反応があるのを事前に見て取っていたのだ。
よって蘇生は成る。チェンソーマンは不滅の存在。
胸のスターターを引く者がある限り――狂おしきデビルハンターは何度でも蘇る。
「目は覚めたか、ライダー」
「……おう。ったく、もうちょい早く助けに入れよな」
「悪態に付き合っている暇はない。今ボクらは生死の瀬戸際に居ることを理解してくれ」
「説教臭えんだよテメエはよ。……んなこと言われなくっても分かってるっつの。こっちは胴体消し飛ばされてんだぜ」
希望的観測は、実のところあった。
ガンヴォルトは霊基の強化と、そこに駄目押しで開帳した強化形態。
デンジはつい今の今まで殺されかけていたシュヴィが相手だという事実。
それらが彼らの背中を押し、現実的な勝機というビジョンを見せていた。
だが、蓋を開けてみればどこまでも現実は無情で不動。
カイドウはあいも変わらず最強で。シュヴィは弱さ甘さを更に切り捨て、より容赦のない機械として再起してしまった。
「こりゃ、各個撃破は無理だな」
「同感だ。奥の手がないわけじゃないが、それでもリスクが勝る」
「……しゃあねえな。俺もこれ以上派手に爆発四散するのは御免だぜ」
「助かる。……良かったよ。さとうの比翼が、キミのような優しいサーヴァントで」
「見込み違いだろ。ンなこと言われた試し、今までに一度もねえよ」
いいから、さっさとするぞ。
そう言ってチェンソーを猛らせる
デンジに。
ああ、とだけ答えてガンヴォルトは並び立った。
構図は悪夢そのもの。
聳え立つ鬼神と、彼と陣営を同じくする兵器。
いずれか片方でも手に余るというのに、彼奴らは仲間割れの兆しも見せずに戦線を共にしている。
悪夢でなければ、地獄か。
二つの絶望を前に、しかしヒーローとヴィランは揺らぎなく。
「"さとちゃん"ってどんな女なんだ?」
「……強い子だと思う。自分の愛にまっすぐで、何を失おうとも――傷つきながら、迷いながら。まっすぐ歩き続けられる。そんな少女だとボクは思った」
「俺の入り込むチャンスはあると思うかい?」
「倒錯しているのか?」
カイドウが、金棒を振り上げた。
シュヴィが、武装の開帳の予兆を見せた。
ガンヴォルトは、雷を携えて。
デンジは、刃の稼働音を激しく掻き鳴らす。
それと同時に――桜の木が、渋谷全域を埋め尽くすように激しく咲き誇って。
戦端は、理不尽なほどの激しさでもって第二幕へと移行した。
◆◆
満開の桜が、咲き誇っている。
虚空から出現したその男に今更驚きはしない。
さとうも、しおも。あまりに経験を積みすぎた。
しおの手を引いて飛び退きながら、口内の紙麻薬を強く噛みしめる。
しおの方も、とっさに懐から取り出した紙麻薬を服用。
一瞬にして自分を超人に変え、ハッピーシュガーライフを引き裂く乱入者の無粋を力ずくでねじ伏せる。
「世も末だな。薬物乱用者のバーゲンセールかよ」
皮下を中心に顕現した木々。
瞬時に都市は、樹海と化す。
無論これはただの桜ではない。
ソメイニンによって編まれ育まれた"夜桜"の木。
伸びる枝や根は、触れた生き物の命を文字通り出涸らしになるまで吸い尽くす捕食器官だ。
更に、その上――
桜の根本から吐き出してくる異形の塊までもが、愛し合うふたりを穢そうと猛り狂っているから事態は更に最悪を極める。
「……しおちゃん、絶対離れないで」
「うん。さとちゃんの方こそ、私から離れたらだめだよ」
私が守るから。
私が、助けるから。
もう守り守られの関係性は崩壊した。
両方が、両方を守るのだと伊達でも酔狂でもなくそう想い合う二人が駆ける。
それを追い立てるのは、桜の怪物達。
夜桜の血から生まれ、単純明快な指向性だけを与えられて解き放たれたこれに名前を与えるならば……。
「俺のアイデアじゃないんだけどな。桜坊と、そう呼んでやってくれ」
桜坊(さくらんぼう)、それが相応しいだろう。
夜桜の運命に抗い。醒めない夢に身を投じた愚かな男が考案した悪夢。
皮下はその記憶をなぞり、愛を食らう桜毛虫も同然の存在としてけしかける。
此処に来る前、
NPC達の避難所を強襲して二百人あまりを加工して用立てた兵隊達だ。
さとうとしおは、地獄への回数券の効能で超人と化している。
だが彼女達の生来の戦闘能力は、いわゆる平の極道と比べてもまだ下だ。
そのため回数券を服用したところで、正真正銘の超人達に匹敵できる次元ではない。
一方でこの"桜坊"は――スパイの中でも更に上位一握りとされる実力者たちでようやく対処できるレベルの怪物だ。
故に彼女達で敵う道理はなく。
彼女達も、そう理解していた。
「大丈夫かな」
「だいじょうぶだよ。だって一ヶ月もいっしょにいたんだから」
「……そっか。しおちゃんがそう言うなら、きっと大丈夫だね」
にぱ、と笑うしおの姿に寂しさを覚えないと言えば嘘になる。
それはきっと、子がだんだんと自立していく寂しさに近いのだろう。
さとうはしおの親ではなく共に愛を育み合う仲であったが、それでもやはり成長していく彼女の姿には悲喜交交の感慨を覚えてしまう。
今でもそれは変わらない。此処に来る前のしおは、自分以外の他人に対して決してこんな顔はしなかったから。
でも、その"彼"がこの一月自分に代わってしおを守り続けてくれたことは確かで。
だからこそ、さとうは現れた"彼"の姿を――ちょっとの悔しさと共に見つめるくらいに留めることができた。
桜の樹海が、切り倒される。
開ける視界。その中から音が響く。
ぶうん、ぶうん。けたたましい音と共に現れたのは、チェンソー頭の怪人。
彼は、しおとさとうの前に二本の足で着地して。
振り返ることなどしないまま。押し寄せる桜坊を、猛る電刃にて血霧に変えた。
その姿を、さとうがちゃんと見るのは初めてだ。
だから、目に焼き付ける。
自分のしおに勝手に近付き、あまつさえひとつ屋根の下で共に暮らした人間がいるだなんて気持ちのいい話では決してなかったが。
それでも、事実として。
この一月の間、自分の天使を守ってきたのはこの男なのだ。
"らいだーくん"。
神戸の家族も、自分も。
誰もいない環境で、あの子と共にあり続けた防人。
チェンソーの異形頭と返り血で汚れた全身は、まさにスプラッタ映画の怪物役といった風体だが。
彼を見つめるしおの眼には確かな信頼の念が宿っており、自分に対するのとは明確に違うその好意を見て――さとうは思った。
――そっか。言ってたもんね、友達ができたって。
しおは、友(かれ)を見上げていた。
彼の、血濡れの仮面の奥にある瞳を。
その素顔を知っているからこその、彼女の無垢な信頼が見ているさとうにも伝わってくる。
「怪我ねえか?」
「うん。らいだーくんこそ……だいじょうぶ?」
「一回木っ端微塵になったよ」
「そっかぁ。よかった」
「話聞いてたか?」
なるほど、とさとうは思った。
不死。身体が粉砕されても生存を継続できるのか。
そこで脳裏に浮かんだのは、さとう自らの手で袂を分かったあの鬱陶しい鬼の笑顔だった。
あれのことは最後まで、全くと言っていいほど好きになれなかったが――今だけは因果を感じてしまう。
さとうとしお。引き離された砂糖菓子の日々の欠片たちは、奇しくもどちらも不滅のサーヴァントを引き当てていたのだ。
想いは不滅。
それがお互いを想い合う、"愛"なら尚のことだ。
だからこそこの巡り合わせになった、なんて考えてしまうのは自惚れ過ぎだろうか。
そんなことを考えるさとうの方に、チェンソー頭の"らいだーくん"が振り向いた。
「……おい、しお。この人が"さとちゃん"なのかよ」
「うん! らいだーくんのおかげで、もういっぱいお話できたんだよ」
「――――」
彼の視線が、さとうの身体を頭から足の先まで嘗めるように見回す。
何せ見た目が見た目だ。さしものさとうもやや身構えたが、次の瞬間にしおのライダーが口を開いて言った言葉は。
「かわいい~~~~~!!!!」
さとうのそんな警戒も、さとうが彼に対して覚えていた一抹の信用も、すべてすべて跡形も残さず吹き飛ばすのに十分すぎるそれだった。
時が止まる。少なくともさとうの中では。
そんなさとうのことをよそに、ライダー……
デンジはしおにひそひそと耳打ちを始めた。
「おい、めちゃくちゃ可愛いじゃんお前の彼女。聞いてねえぞ」
「でしょ~? さとちゃん、世界一かわいいんだよ。私のじまんなの」
「マジかよ……。俺ぁてっきり、だいぶお前の脳内補正が入ってるもんだと思ってたぜ」
「そんなことしなくたってさとちゃんはかわいいしきれいだもん」
「お前もな、顔写真くらい持って界聖杯に来いよバカ。
……ヘヘヘ。うっす。俺ライダー、こいつのサーヴァント。
一応今までこいつのこと、ま~~それなりに? 身を挺して守ってきた感じなんだよな。うんうん」
さとうは今まで、それなりに色んな男を見てきた。
何しろさとうは顔がいい。なので、人並み以上に男は寄ってくる。
そんなさとうにとって、この
デンジという男は実に見慣れたタイプだった。
こんなのと一緒にいたのか。私のしおちゃんが。
ショックを受けながら、さとうはしおの両肩に手を載せて。
「しおちゃん。友達を作るのはいいけど、友達になる相手は選ばなきゃだめだよ」
「なんでえ!? 俺今いいことしか言ってなかっただろ!!」
「下心がにじみ出すぎ。彼女とかできたことないでしょ、ライダーくん」
「はあああああ!? いや……あるわ! 女なんざ頼まなくてもあっちから寄ってきたね! 夜の学校でデートしたことだってあるんだぜ!!」
諭すさとうに抗議する
デンジ。
そんな二人を見ながら、しおだけが楽しそうに笑っていた。
「おいしお、お前もなんとか言えよ。
この女顔はいいけど中身は最悪だぜ。初対面の相手に童貞のレッテル貼ってきやがった」
「しおちゃん、この人に変なことされたりしなかった? 大丈夫?」
「するかよ! 俺ぁテメエと違ってガキに欲情はしねえんだよ!!」
「初対面の相手に劣情は出してくるのに?」
「してねえだろ! さっきのは……ただの感想だ感想! 表現の自由がこの国では保証されてんだぜ!!」
まあ、予想できたことではあった。
らいだーくんとさとちゃん、たぶん仲良くなれないだろうなあ。
そんな予感がこうして的中していることもなんだかおかしくて、しおはくすくす笑う。
こんな光景だって。今までたくさんがんばって、たくさん見送ってこなければそもそも見られなかったものなのだ。
だから嬉しくて、おかしいし。
自分の好きな人たちがこうしてわーきゃー話しているのを見るのは、なんだかとっても嬉しかった。
そんな三人に、次いで押し寄せる桜坊。
そして皮下の放った、人を吸い尽くす桜の奔流。
デンジが舌打ちをし、再び構えを取るが。
今度は彼の出番はなかった――
デンジのチェンソーが木々とその眷属へ触れるよりも先に、煌いた蒼い稲妻がそれらを焼き払ったからだ。
地に降り立つ、金髪の少年。
彼は振り向かないままで、さとう達へと言う。
「喧嘩は後にしてくれ。これからすぐ、此処は戦場になる」
「別に喧嘩してるつもりはないけど。ただ正論を言ってるだけ」
「じゃあ俺が買ったこの喧嘩は何なんだよ」
「突っかからないでほしいんだけど」
「ああ?」
「……後にしろと言ったぞ、ボクは」
好き好んでマスターを危険に晒したがるサーヴァントはいない。
既に喪失の痛みを経験しているガンヴォルトが、その例外ではある筈はなかったが。
にも関わらず彼がこっちへ移ってきたというのは、即ちそういうこと。
この先は、守りながらでなければ戦えない。
カイドウの乱入もさることながら、魔人と化した
皮下真の存在が一番厄介だった。
回数券の服用程度でどうにかなる相手でないのは言うまでもなく明らか。
見えないところで殺されるのが一番最悪なのだから、多少のリスクは受け入れてでも見える位置で戦うのが賢明なのは自明だ。
「……あなたのことは信用してる。
だけど、大丈夫なの。あのアーチャーは毒を撒くんでしょ? それに――」
「地獄への回数券、だったね。あの紙麻薬があれば、ある程度影響は軽減できる筈だ。
それでも皆無ではないだろうし、浴びることは絶対に避けるべきだろうが……
その懸念への回答は、キミが危惧してる"範囲攻撃"についてのと同じ答えになる」
「……、……」
「ボクを、ボク達を、――信じてくれ」
霊骸による汚染。
そして何より、
シュヴィ・ドーラによる広域破壊に巻き込まれて命を落とす危険性。
さとうが思い浮かべた危険は、当然ガンヴォルトも思い当たっていた。
確かに危険だ。正気の沙汰ではない。しかし、これ以外に術もない。
日和ればその手抜かりを、皮下が必ず突いてくる。
自分と
デンジの足が止められている間に彼の手でさとう達が殺されてしまうことこそが、ガンヴォルトにとって最も警戒すべき展開だった。
だからこその合流。
あまつさえ、信じろなどという不確かな言葉。
けれど。さとうは、やっぱり此処に来た時に比べていくらか変わったらしい。
自分でもそう思う。そうでなければ、此処は安堵ではなく無責任な物言いへの怒りを覚える場面に変わっていただろうから。
「……わかった。任せるから、応えてね」
「もちろんだ。キミ達の愛と、"彼女"の遺命……誓って裏切りなどするものか」
思い返せば。
あの男を焚き付けたのは、他でもない自分だ。
あの亡者のような男に、愛という答えを与えてしまった。
その結果がこの地獄絵図だというのなら、自分は逃げずに向き合うべきなのだろう。
さとうは、そう思う。
自分で蒔いた種。自分で売った喧嘩は、自分で収拾を付けるのが筋だ。
「ライダー」
「なんだよ」
「私、あなたのことはたぶん嫌い。しおちゃんがヘンな影響受けてないか心配で心配で仕方ない」
「楽しくゲームしてただけだよ! 飯もちゃんと三食食わせてたぜ!!」
「でも、しおちゃんの"友達"ってことだけは信じるから」
デンジのことはたぶん嫌いだ。
その言葉に嘘はない。
少なくとも、天使に近づけていい存在ではないとそう思っている。
即物的で欲望にまみれていて、下品で粗野。
大事なしおに近づけてはならない条件を一から十まで満たしている。
――けれど。
彼がしおの"友達"であることまで疑う気は、さとうにはなかった。
彼は守ってくれた。自分の大切な人を。愛する少女を。
文字通り身を粉にして、この一ヶ月傷ひとつなく守り通してくれた。
だから。
「守ってね、しおちゃんのこと」
「……おう」
「私のことはどうでもいいから。
あなたは、サーヴァントとしての役目を絶対に果たして」
「言われるまでもねえぜ。この戦いが終わったら、嫌でもありがとうございましたって言わせてやるよ」
しおのことは、任せる。
握ったこの手を離すつもりはないけれど。
それでもいざとなったら、自分の手が届く範囲を超えることが起きたなら――その時は頼むと。
さとうは委ね。
デンジは、受け取った。
神戸しおをめぐる縁が、此処で確かに通じ合って。
ちょうどそれが果たされた瞬間に、桜の木々が今度は別の衝撃で吹き散らされる。
降り立つ巨体は、相変わらず悪い冗談じみていた。
カイドウだ。単体でさえ十分すぎるほど悪夢なのに、空では件のアーチャーが臨戦態勢で待機している。
夜桜事変のすべてが此処にある。そう、すべてが。
さとうは、周囲を一度見渡してから――ぎゅっと、しおの手を握った。
呼応するようにしおが握り返す。そんな力の行き来が、この絶望的と言ってもそう間違いではない状況の中で一番の希望としてさとうの心を照らしていた。
「俺の焦がれた桜に比べれば、何もかもが塵に等しい。そう言ってたよね」
「ああ。事実だからな。癇に障ったか?」
「別に。私も、言うことはあなたのそれと大差ないよ」
夜桜を宿す、愛を見出した男が笑う。
さとうも彼を見据えながら、笑った。
笑える状況ではまったくない筈なのに。
何故だか今は、この顔が正しいとそう思えたから。
「私達の"愛"は、この世の何よりも尊くて眩しいの」
「そりゃ上等だ。そのくらい啖呵切ってくれなきゃ張り合いがない」
これは、なんてことのない。
可能性がどうだとか、そんな大層なものじゃ決してない。
ただの、愛の重さの比べ合いだ。
だからこそ、殺意を剥き出しにした冷たい顔は似合わない。
相手のより重く大きな愛を突きつけてやろうと思うなら。
きっとこの顔が一番相応しい。さとうはそう確信していた。
「踏み潰してあげる、皮下先生」
「吸い尽くしてやるよ、砂糖菓子」
ハッピーシュガーライフ。
夜桜の呪いとその清算。
二つの"愛"が、遂に真正面から激突する。
◆◆
まず最初に轟いたのは、シュヴィによる絨毯爆撃だった。
土地の歴史をなぞるが如き、爆炎と轟音と衝撃の海が桜並木を焼き尽くす。
それでも焼かれた端から再生していく絶景は、常世の風景とはとても思えなかった。
そんな異界の絵図の中を、蒼の軌跡が走る。
炸裂する前に誘爆させてしまえば、そう大した脅威ではない。
誰もが考えはするが、現実に敗れて見失う攻略法を大真面目に貫き通す。
対空砲のように迸らせる雷霆を、シュヴィは黒槍で振り払い。
そして返しとばかりに放たれた大気刃に、ガンヴォルトはありったけの火力を打ち込み相殺した。
――やっぱり……霊骸による汚染を、警戒してる………なら、好都合……
単に避ければいいだけの攻撃を馬鹿正直に打ち砕いてくるのは、詰まる所そういうことなのだろう。
シュヴィは判断を下すなり、昨日ならば確実に不可能だったろう容赦のない一手に打って出た。
即ち、マスター狙いで放つ大火力。
カイドウの熱息を手持ちの武装と技術で真似た大火球の放出だ。
言わずもがな霊骸を撒き散らしながらの炸裂であるそれは、ガンヴォルトが今抱えている"縛り"を容赦なく突いた手に他ならない。
敵手の撃墜よりも、マスターの庇護を第一に考えて動かねばならない彼は圧倒的に不利。
ならば、そこを突かない手はない。実に機凱種らしい、合理的な最適解だ――脳裏をよぎる面影を振り払いながら、少女は非道に徹する。
翼の展開。
火力の分散。
カイドウの吐く熱息を参考(ベース)に、より一般人の虐殺に最適化した焦熱の万華鏡。
となれば必然、ガンヴォルトは火力を迎撃に注ぐのを余儀なくされる。
そしてシュヴィへの対処だけに注力するとなれば、当然。
「何を余所見してやがる」
カイドウが自由に暴れ回る、最悪の事態が具現する。
炎の曼荼羅模様をガンヴォルトの雷光が消し晴らす。
そこに間髪入れず飛び込んだ巨体が、黒雷を帯びた一閃を放った。
強化形態でも持て余す衝撃。それは最早避けたとしても、その余波のみで身を削る域に達していた。
食いしめた歯が軋む。
返しに放ったのは、即席の電磁砲。
スペシャルスキルと呼ぶには足りないが、それでもこの形態で放つのだから英霊の身体に風穴を空ける程度は造作もない。
そんな定石を、
カイドウは素の耐久力だけで突破してくる。
単なる突進で電磁砲を弾き、その上で再び金棒の剛撃を見舞ってくるのだから最悪だった。
「ぐ、あ……!」
漏れ出す苦悶。
構わず追撃せんとする
カイドウの背中に、チェンソーの刃が突き刺さった。
煩わしげな顔で鬼神が振り向く。
その振り向きざまの一撃だけで、
デンジは全身の骨を砕かれながら吹き飛ばされた。
「電ノコ頭の小僧。そうか」
今は亡きビッグ・マムから聞かされた、"ガキ共"の話を思い出す。
敵連合。生意気にも四皇へ弓を引き、その討伐などという夢物語を唱えてみせた烏合共。
しかしそんな下馬評を覆し、遂には女王殺しと玉座の継承を成し遂げてみせた超新星達。
生憎と――
カイドウとしても恨み骨髄の"魔王"は不在のようだが。
電ノコ頭のライダーというその特徴は、彼女から聞いた話と合致していた。
「お前だな。リンリンを殺したのは」
「ハァ、ハァ……! あア!? 人違いだぜ、仇討ちがやりたきゃ死柄木を探してこい、よ゛ッ……!!」
ガンヴォルトから矛先を
デンジへと切り替えて。
カイドウは、何とか立ち上がったその横っ面に金棒を見舞った。
身体の内側が粉々に砕ける音を聞く。しかし彼には悲鳴をあげる暇すらない。
桜の大樹に受け止められるなり、皮下による操作だろう。幹や蔦が身体に絡み付いて彼を喰らい尽くさんとする。
如何に高純度のソメイニンで作られた魔樹とはいえ、果たしてサーヴァントを咀嚼することが実際に可能であるかどうかは定かでなかったが――
別にその答えがどうであろうと、彼の命運には一切関係なかった。
「言われなくてもお前ら殺した後はそうするぜ。連合(てめえら)は一人も逃さねェって決めてんだよ」
カイドウが、八斎戒を振り上げる。
空間を引き裂く轟音をあげながら、神の裁きそのもののような黒い雷が天を劈く。
数多の悪魔を相手取り、そして狩ってきた
デンジでさえ、一目で格が違うと理解させられてしまう光景。
集中していく力、力、力力力――覇の究極じみたそれが咆哮と共に叩き付けられた瞬間、彼の総身は一撃で粉砕された。
最終更新:2023年08月27日 23:43