◆◇◆◇


蝉の声が、遠くから聞こえてくる。
みんみん、みんみん、騒がしい。
うだるように、じっとりと。
湿った熱気が、肌に張り付いてくる。
額から流れる汗を拭った回数は、覚えきれない。

どいつもこいつも、馬鹿げた戦いを繰り広げて。
余りにも濃密な出来事を経ていたことで。
ふいに、忘れていたことがあった。

ここは都内であり。
今日は8月2日であり。
真夏のど真ん中ということだ。
そう、つまるところ。
東京の8月は、ばかみたいに暑い。

暫く共に居た峰津院大和なんかは、ずっと涼しげなツラを下げていたけど。
冷静になって考えてみれば、今の時期の都内はめちゃくちゃ暑いのだ。

私/紙越空魚は、路地裏にひっそりと佇む自販機の前に立つ。
アサシンとフォーリナーが“出撃”してる最中、私は離れた地点で待機していたけれど。
流石にこの暑さの中では水分補給が必要だな、と思った。

ICカードを取り出して、リーダーにタッチ。
ピッ――――残高、81円。
余裕で足りない。
100円にも届いていない。
ほんの二秒ほど、無言で立ち尽くす。

間抜けな沈黙に一瞬耽った自分を、微妙に恥じらい。
私は仕方なく懐から財布を取り出す。
細かい小銭とかあったっけな。
てか、自販機って地味に高いんだよな。
そんなことをぼんやり考えながら、私は二つ折りの財布を開く。

安っぽい合皮素材で作られた中身。
小銭を漁る前に、ふと覗き込んだ。

二、三枚だけの千円札。
いつ作ったのかも覚えてない諸々のカード。
適当に突っ込んだ割引券なんかの束。
その中に、“紙くず”が紛れ込んでいた。

ああ、そういえば。
こんなもの、押し付けられたな。
すっかり存在を忘れてた。

割引券の中に紛れ込む、一切れの紙片。
ほんの少しだけ、懐かしくなったけれど。
結局それは、本当に単なる“紙くず”でしかない。

―――いや、なんでこんなの取っておいたんだ。

自分で自分にツッコミを入れるように、そんなことを思った。

言ってしまえば、それは“あいつ”から押し付けられたゴミに過ぎない。
別に何の縁起も感じないし、さっさと捨てればいい代物だ。

けれど、何故だか分からないけれど。
なんとなく、名残惜しさを感じて。
結局今に至るまで、こうして財布の中に放置されている。

ちゃりん、ちゃりん。
取り出した小銭を、自販機に投入。
赤いランプのボタン目掛け、指先を動かす。
ピッと一押し。―――ガコン。
購入した500mlのスポーツドリンクを取り出し、そのまま迷わず蓋を外す。
ここ最近スポドリしょっちゅう飲んでるな、なんて思いつつ。

口を付けて、ごくりと一杯。
キンキンに冷えた、甘く爽やかな味。
ほんの一瞬だけど、至福の時間である。
水分補給は大事だ。

束の間の潤いで、すっと気が安らいで。
先程の“紙くず”のことを思い返しながら、何気無しに虚空を見上げた。

そろそろフォーリナー達も連絡入れてくるかな。
何となく、そう思ってた。

さっきと同じ。方舟の連中はしっかり削って、例のカイドウとやらが空から降ってきても、アサシンは生き延びた。
何だかんだ言ってあいつは、幾ら草臥れてもちゃんと戻ってくる。
私はこんなふうに、あいつの帰りを待つ。

そう。いつも通りの流れ。
いつも通りの、仕事の工程だ。

そんなことを考えて、ふいに我に返る。
アサシンが帰ってくることは当たり前だと思っている―――そんな自分に気付いた。
思わず、妙な気恥ずかしさのような感覚を抱いたけど。
結局、自分の中ですぐに納得した。

別に面と向かって褒める気にもならないけど。
あいつが優秀なのは、間違いないのだから。



◆◇◆◇



『おう、来たか』
『悪いな。わざわざ出向いてもらって』

『マークしてた連中が動き出した』
『“本戦”も始まる前だってのに、元気なもんだ』

『で、俺も既に“仕込み”を済ませている』
『今は“待ち”の時間だが、結構な仕事でな』
『お前にも手伝って貰いたいことが……』

『……何してたかって?』
『見りゃわかるだろ』
『賭けてんだよ、ボートに』

『待ってる最中のヒマ潰しにはなるだろ』
『ほら見ろ。レース始まってるぞ』


『おっ』
『よし、来た』
『行け、行け行け』
『そのまま逃げ切―――』
『――――は?』
『………………』
『………………』


『……ま、気にするな』
『こういう日もあるんだ』
『信用は“仕事”で取り返すさ』

『そういう訳だ』
『…………さて』
『これ、お前にやるよ』
『記念品だ。御守にでもしとけ』

『……縁起が悪いってか?』
『ボロ負けした後は儲けられるんだよ』


◆◇◆◇


路地裏の段差に腰掛けて。
ペットボトルの首を片手で摘んだまま。
私はぼんやりと、空を見上げていた。

コンクリートの隙間から覗く、真っ青な景色。
廃墟で寝泊まりしていた頃を思い出す。

まだ家族がいた、昔の記憶。
家の中に居ることを嫌って、いつも外へと飛び出して。
趣味も兼ねて散策した廃墟で、時に一晩を過ごした。

思えば、たまにこんなことをやっていた。
廃屋の中で、なんとなく横になってみて。
ぼろい天井の隙間から覗く空を、ただ眺め続けてた。

あの瞬間。あの時だけ。
私は、何も考えなくて済んだ。

学校のこと。
家族のこと。
宗教のこと。
空を見つめている間だけは。
日々のしがらみから、解放された。
ほんの少しの合間だけでも、自由になれた。

鳥子と出会って、私の日々は変わった。
けど、今は不思議と、昔の気持ちを思い返していた。

マスターは、サーヴァントの夢を見るらしい。
界聖杯から与えられた知識に紛れ込んでいたのか。
何故だが私は、そんなことを知っていた。
けれど、あいつの夢なんか、一度も見たことがなかった。

今になって振り返ると、当然のことなんだろう。
魔力パスが繋がってないとか、そういう問題じゃなくて。
結局あいつとは、他人みたいな距離感だったから。

だから今も、こんなふうに。
私は、何処かぼんやりとした感覚で。
フォーリナーからの念話を、受け止めていた。


―――どうやら。
―――アサシン、逝ったらしい。


二刀流のセイバーと共闘し、フォーリナーと連携を取り。
リンボのヤツに一矢報いて、勝利への道を切り開いたという。
あいつは最後の瞬間まで、自らがやるべき仕事を果たしたらしい。

フォーリナーからその報告を聞いた時。
私はただ、「そうなんだ」と思った。
脳裏に浮かんだのは、その一言だけ。
リンボをぶっ飛ばして仇討ちを果たしたのに、「ざまあみろ」なんて言葉は何処かへと消えていた。

何というか、実感が湧かなかった。
いつも出歩いてて、たまにふらっと帰ってくる。
得体の知れない根回しや暗躍を繰り返して、不敵な顔で成果を持ち帰ってくる。
猿だ何だと自嘲しながら、いつだって仕事は完璧にこなしてくる。
そんなあいつが、私の視界の外で、ぽっくりと死んだ。

ああ、そうなんだ。
もう一度、思案してみても。
浮かび上がった言葉は同じ。
間の抜けた感嘆だけが、ごとんと落ちる。

それ以上のことは、浮かばなかった。
なんというか。
疎遠になった知り合いが、いつの間にか交通事故で亡くなってたみたいな。
親しくはない昔のクラスメイトが、知らないうちに自殺してたみたいな。
そんな身近で遠い距離を、心の中で感じていた。

そんな自分を見つめて、思う。
私は、悲しんでるんだろうか。
あいつがいなくなって、寂しいんだろうか。
ふいに、そう考えてみたけれど。
どうにも今ひとつ、ピンと来なくて。
結局は、ただ漠然とした感覚だけが転がっていた。


―――思えば、アサシン。
―――最期まで、真名言わなかったな。
―――別に私も聞かなかったけどさ。


私とアサシンは、結局なんだったのか。
呆然とした感情の中で、そんな疑問を抱く。

聖杯戦争は、二人で一つ。
時空を超えた古今東西の英霊と、それを従える主人によって行われる。
どの主従も一ヶ月という時を共に過ごし、此処まで生き抜いてきている。

私は、振り返る。
鳥子の亡骸を前にした、あのとき。
私が責め立てた、あのとき。
フォーリナーは、ただ謝って。
身体を震わせながら、涙を流していた。

あの瞬間に、私は理解していた。
ああ、こいつは鳥子を好きだったんだと。
私の知らないところで、鳥子とフォーリナーはそれなりの関係を結んでいたんだと。

マスターとサーヴァントは、一蓮托生だ。
一ヶ月の間、未知の世界で生死を共にしている。
片手を喪っていた鳥子のように、その過程で多くの試練を経ている。
信頼や絆が生まれるのも、きっと当然のことなのだろう。

鳥子とフォーリナーの間には、単なる主従関係以上の結び付きがあった。
願いや命を相手に託し合い、互いの時間を一つにするというのは、そういうことだ。
もしかすると、他の主従も同じなのかもしれない。
この聖杯戦争の中で、利害関係以上の縁を手に入れている。


―――じゃあ。
―――私とあいつは、どうだったんだ。


主従ですらない。魔力の繋がりもない。
マスターとサーヴァントの契約も、合理的な判断であっさりと捨てられる。
お互いに何の情も親愛も感じないまま。
私達は、本戦まで生き延びてしまった。

そして、別れの挨拶も経ることはなく。
アサシンとの唯一の縁は、知らぬ間に断ち切れることになった。
死闘の果てに鳥子の仇敵を見事討ち取って、自分自身も力尽きる。
そんなふうに、私の直接関わらないところで、あいつはこの世界から去っていった。

手の中にあるスポーツドリンクは。
あちこちに水滴を纏いながら。
まだ何とか、冷えたままでいてくれている。
私の思考に、猶予を与えてくれるみたいに。

私達は、何だったのか。
強いて言葉にするなら、雇い主と仕事人。
あるいは、ちょっとした協力関係。
“共犯者”には程遠い、月並みで希薄な繋がり。
絆も親密さもまるで無い、事務的な関係。
鳥と魚。猿と魚。
二つの境界線は、ひどく掛け離れていた。

けれど。
ぼんやりと胸に空いた孔について考えて。
その意味を手探りで知ろうとして。


―――あれ。


私はふいに、気付いたことがあった。
脳裏によぎったのは、“共犯者”のことだった。
仁科鳥子。私の、たったひとりの相棒。
秘密の場所で出逢った、ただひとりの掛け替えのない存在。

私は、アサシンのことを何も知らない。
知ろうともしていなかった。
じゃあ、鳥子のことはどうだったか。
そこに思い至って、私は辿り着いてしまう。

私の隣には、鳥子がいた。
私の傍には、鳥子がいた。
私の相棒は、鳥子だけだった。
私の共犯者。仁科鳥子。
鳥子は、掛け替えのない存在で。
鳥子は―――――。


―――あれ?


思えば、私は。
“鳥子も同じじゃないのか”?
脳裏をよぎる、そんな自問。

アサシンの奴がいなくなって。
あいつのことを振り返って。
そうして私は、一つの思いに行き当たった。

私は、鳥子のことをよく知らない。
いや。眼の前にいた鳥子のことは、知っている。
けれど、鳥子の奥底まで踏み込むことは、していなかった。

それに気付いた瞬間。
私の中で、何かが嵌るような音がした。
パズルの最後のピースが見つかったように。
自らの中の欠落が、ようやく埋め合わされた。

この時になって。
私はやっと、掴むことが出来た。
私という人間のカタチを。


―――ああ。
―――そっか。


鳥子の生育過程。家庭環境。
“ママとお母さん”に育てられた生い立ち。
その二人を事故で喪った過去。
閏間冴月という“昔の女”との関係。
そして、鳥子が私を真剣に好きで居てくれたこと。

仁科鳥子という人間について。
知ろうと思えば、もっと知ることが出来た。
例え空回りになるとしても、踏み込もうとする意思を持つことだって出来た筈だ。
けれど私は、無関心を貫いていた。
眼の前にいる“いまの鳥子”にしか、関心を向けていなかった。

それは―――アサシンに何一つ興味を持たなかったのと、ある意味で同じだった。
私は誰かの過去や内面に、興味を持とうとしない。
他人に振り回されるような人生に見切りを付けて、“いまの自分”だけで完結することを選んだ日から。
私は、鳥子との出会いで変わってからも尚、他人への一線を何処かで引き続けていた。

そうして。
私は、やっと悟る。


◆◇◆◇



『自分も、他人も、尊ばない』
『そう在るって決めたんだよ』

『どうせ俺は、なんの価値のねぇ猿だ』
『自分を肯定する楔は、もう要らない』

『依頼人(てめえ)が望むんなら』
『俺は、ただの暴威でいい』

『その方が、楽なんだよ』


◆◇◆◇


アサシンと過ごしてて。
鳥子のやつを喪って。
そうして、あんたも喪って。
フォーリナーから、最期を聞かされて。
ようやく、気付いた。


―――私も、ある意味。
―――あんたと、同じだったんだな。


“不器用な生き方”しか出来ないから。
結局、自分も他人も素直に尊べない。
私もあいつも、生きることが下手だった。

――――負けんなよ。あいつは最期にそう伝えてくれたらしい。
もしかしたら、違う道があったのかもしれないのに。
何処かで割り切ってしまって、諦めてしまって。
そうして自分の生き方に、淡々と線引きをしていた。

そんな自分を“そういうものだ”と無意識に納得して、そこで立ち止まってしまう。
だから私は、アサシンとお互いに関わろうとしないまま自己完結していた。

“共犯者は鳥子だけ”―――“だからこいつは相棒でも何でもない”。
私は自分の中の骨子に従って、アサシンに対する思考を止めていた。

けれど、結局のところ。
鳥子との関わりも、同じようなものだった。
“共犯者”という関係に拘ったまま、好意にも応えてやれなかった。
だから何も伝えられないまま、私達は死に別れてしまった。

自分や他者との関わりにおいて。
未知の領域に踏み込むことを、何処かで避けていた。
何かを尊ぶための関心や努力を、無意識に軽んじていた。
言い方を変えるならば―――そう、私は。
“ファーストコンタクト”をしていなかったのだろう。


―――不思議な感じがする。
―――何だろう、こう。
―――ものすごい近道をした気がする。


本当ならば、導き出すのにもっともっと時間が掛かってそうな事柄なのに。
今の私は、何処か冷静に、そこへと辿り着いている。
何故だろう。その理由は、自分でもすぐに理解できた。

例え聖杯で取り戻すとしても。
その最期を無かったことにするとしても。
それでも、“鳥子を喪った”からこそ。
私の視座は、決定的に揺さぶられたのだ。

そしてあいつと―――アサシンとこうして別れたことで。
私の中で揺れ動いていた輪郭が、ついに明確な形を伴った。

改めて、振り返る。
鳥子が何を想ってきたのかも。
鳥子がどんな人生を歩んできたのかも。
鳥子のことを私自身がどう思っているのかも。
私は表面だけをなぞって、深入りをしようとはしなかった。

何も知ろうとせず、何も踏み込まず―――。
そのことに対する後悔が、どっと押し寄せてきた。
私は、ここまで気付かされても。
誰かに目を向けることに、自信を持てなかった。

それでも。私は、理解することが出来た。
鳥子を取り戻した時に、まず何をしなければならないのかを。
だからこそ、決意を新たにした。


―――ごめん。
―――本当に、ごめん。
―――鳥子。また会えた時には。
―――今度こそ、一緒に向き合おう。


そして。
“あんた”からすれば、きっとどうでもいいことなんだろうけど。
それでも、私は思っている。

気付かせてくれて、ありがとう。
最後まで勝つために戦ってくれて、ありがとう。
“あんた”とも向き合えなくて、ごめん。

今は亡き誰かに、私は想いを馳せる。
それは、ただひとりの共犯者ではなく。
ほんの一月の付き合いだった、あいつのことだった。


やがて、私は。
財布の中から取り出した“紙くず”に、目を向けた。
クーポンや割引券の隙間に挟まっていた、ぐしゃぐしゃの切れ端。

大層な賭け金。三連単狙い。
意味不明なまでに強気。
そのくせ大外れした舟券。
聖杯戦争の予選期間に、あいつから押し付けられたもの。

この一ヶ月の間。
あいつとの思い出の品があるとすれば。
こんな下らないものだけだ。
それが、何となく可笑しくて。
私は―――思わず、苦笑いをしてしまう。

けれど、不思議と。
清々しい気持ちだった。
紙切れをポケットに突っ込んで。
私は再び、空をじっと見つめた。

私達の秘密の場所。
裏世界の景色は、ひどく蒼かったけれど。
こんなところでも。
空の色は、思ったより蒼く澄んでいる。

右手の中にあるペットボトルを見つめて。
それを、照りつく日差しに当てる。
透明な器と、透明な液体。
透き通る中で、空の青がすんでいる。
私は掲げるように、その色彩を見つめた。

くそったれリンボの最期に。
アサシンが託したフォーリナーに。
そして、似た者同士の不器用なあいつに。


「かんぱい」


ばかみたいに暑い夏の日の午前。
幾ら拭えども溢れる汗を、煩わしく思いつつ。
ペットボトルのスポドリで、あいつを労る。
風情もへったくれもないけど。
今の私にやれる、なけなしの餞別だった。






《フォーリナー……いや》
《ねえ、アビゲイル》


念話は、相変わらず慣れない。
頭の中で語り合うのは、やっぱり不思議な感じがする。


《今が無理なら、後でも良いから》
《聞かせてほしいんだ》


それでも、今は。
伝えなければならないことがあった。


《あんたと一緒に過ごしてた時の、鳥子のこととか》
《あんた自身のこととか》


むず痒いけれど。
少しだけ、照れ臭いけれど。
それでも、もう悔やみたくはないから。
私は、自分のサーヴァントに呼びかける。


《……なんていうのかな》
《ちゃんと知りたいって、私が思ったから》


それから、やがて。
アビゲイルは、少しだけ驚いたように沈黙して。


《……ええ。喜んで》


一言。穏やかな声で。
そう返してくれた。




帰ってきたフォーリナー、アビゲイルを見たとき。
私は、思わず目を逸らしていた。
蒼い右眼で彼女を“視認”した瞬間から、すぐに理解してしまった。

“これを直視したらヤバい”と。
“こいつはとんでもないものだ”と。

覗き込んだら、きっと飲まれる。
踏み込んだら、きっと喰われる。
裏世界とも、また違う。
未知の何かが、此方を見つめている。
おいで、おいで、と。
闇の底へと、手招きをしている。

あいつ―――とんでもない置き土産を残したんだな。
戦慄と同時に、感謝の念が浮かび上がる。

こいつが居れば、確かに“勝てる”。
あいつは全額費やしたギャンブルに打って出て、途轍もないリターンを掴み取った。
その稼ぎを、私は受け継いだ。

あいつから託された呪い。
あいつが命を賭して繋いだもの。
私はそれを受け止めて。
意を決するように、アビゲイルを見た。

銀色の髪と、蒼白の肌。
魔女を思わせる、漆色の衣類。
可憐な容貌の奥底に眠る、濁流のような混沌。

禍々しい闇の果てへと触れかけて。
私は、躊躇いを抱いたけれど。
それでも―――狂気を宿した瞳に宿る想いを、感じ取って。
苦笑するように、私は微笑んだ。

ああ。こいつ。
こんな姿になったのに。
それでも―――私のことを、案じている。
あいつを喪った私を、心配している。


「……おかえり。アビー」
「……ただいま、空魚さん」


こいつは、鳥子のサーヴァント。
鳥子と絆を育んだ、あいつの従者。
私にとっての、味方だ。
改めてそれを受け入れて、言葉を交わし合った。

そうして私は、思考を切り替える。
聖杯戦争は、佳境へと向かっている。
アルターエゴ・リンボの陥落によって、それは明白となった。

アサシンが残した情報に、“陣営の勢力図”があった。
敵連合。海賊同盟。方舟陣営。峰津院財閥。
大半の参加者が、そのいずれかに関与しており。
そして霊地乱戦によって、その均衡は大きく崩れた。
”蜘蛛“およびビッグ・マム陣営の退場。
峰津院大和の魔術師としての陥落。
勝馬へと一気に上り詰めた死柄木弔
大きな損害を受けながらも依然として健在である、皮下一味。

さて。ここから先、どうなるか。
リンボへと奇襲を仕掛ける前に、アサシンはこう言っていた。

“カイドウが落ちるか、生き残るか”。
“それで全てが決まる”。

最強の英霊として君臨するカイドウ。
この乱戦でそいつを落とせなければ―――残された主従は詰む。
陣営戦が崩れつつある中、今は強大な敵を混戦や数の利で落とす最後の機会なのだ。

アサシンが修羅のランサーと戦っていた際にカイドウが割り込んできたことからして、そいつ自身も間違いなく理解している。
敵側に徒党を組ませる余地を作らせず、強襲によって先手を打っている。
今もあれだけ派手に動いているのならば、カイドウの動きを感知し始める主従も出てくるはずだ。
それ故に、この乱戦は間違いなく瀬戸際である。

そして。
仮にここでカイドウが落ちれば。
“敵連合”か。“方舟”か。
いずれかが最後に立つことになる。

乱戦の動向を踏まえつつ。
私達は、どう立ち回るか。
今のアビゲイルの武器に、打って出るか。
あるいは、今の状況に対して様子見に回るか。
いずれにせよ、勝つための術を見極めなけれならない。

此処まで来た。
此処まで生き延びた。
鳥子を取り戻すためにも。
私は、勝たなければならない。


―――負けないでね。


ふいに、そのとき。
鳥子の声が、聞こえた気がした。
ほんの数刻前と同じように。
共犯者の言葉が、脳裏をよぎった。


―――負けんなよ。


そして、奇しくも。
“あいつ”が最期に遺した餞も。
そんな一言だった。

私の口元は、一文字に結ばれていたけれど。
気が付けば、ふっと笑みが零れていた。


「負けんなよ、か」


何の笑みだろうか。
一瞬、自分に疑問を抱いて。
けれど、その答えはすぐに出た。
ああ、これは―――勝つための笑みだ。
最後に勝つのはきっと、不敵に笑える人間なんだろう。


「負けるかよ」


だからこそ。
大負けの思い出は、もう要らない。
こっからは、取り返しに行く時だ。

ねえ、鳥子。
全部終わったら、ちゃんと謝るから。
だから、今度こそ。
二人でちゃんと、語り合おう。
私達のことを、すべて。

賭け金を使い果たして。
あいつは、散っていった。
賭け金を託されて。
私は、ここに立っている。

なら、もう迷わない。
このまま私は、戦い抜く。

始めよう、博打(ゲーム)を。
それで鳥子を取り戻せるんなら。
ああ、上等だ。






あいつについて知ってること。
とんでもなく優秀なこと。
なのに、博打が下手くそなこと。

あいつが遺した形見。
掻き集められた情報。
得体の知れないコネ。
そして、財布の中の紙くず。

ろくな思い出なんて無いけれど。
また会う時があれば、きっと笑い話にはなる。
あんたが最後に、何を思っていたのかも。
その時にでも、聞き出すとしよう。

じゃあね、アサシン。
不器用で無愛想な、あんちくしょう。
似た者同士で、同じ穴のムジナ。
最後まで戦い抜いてくれた、私のサーヴァント。





【品川区(渋谷区付近)/一日目・午前】

【フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:霊基第三再臨、狂気、令呪『空魚を。私の好きな人を、助けてあげて』
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを守り、元の世界に帰す
0:マスター。私は、ずっとあなたのサーヴァント。何があっても、ずっと……
1:さようなら、不器用な人。
2:空魚さんを助ける。それはマスターの遺命(ことば)で、マスターのため。
[備考]※紙越空魚と再契約しました。

【紙越空魚@裏世界ピクニック】
[状態]:疲労(小)、覚悟
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:マカロフ@現実
[所持金]:一般的な大学生程度。裏世界絡みの収入が無いせいでややひもじい。
[思考・状況]基本方針:鳥子を取り戻すため、聖杯戦争に勝利する。
0:じゃあね。私のサーヴァント。
1:マスター達を全員殺す。誰一人として例外はない。
2:さて、どう出るか。
[備考]※フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)と再契約しました。


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162:ひぐらしのなく頃に散 -Complex Image- 紙越空魚 170:この惑星で、ただ一つだけ
162:ひぐらしのなく頃に散 -Complex Image- フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ) 170:この惑星で、ただ一つだけ

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最終更新:2023年09月15日 23:43