まず最初に放たれたのは、龍の神威とも呼ぶべき空震だった。
蘆屋道満が取り込んだ龍の心臓。
大元である龍脈の龍は斯様な能力は有していなかった。
しかし今、その力・性質を担うのは天下にその悪名轟き渡る法師道満。
神は祀り、鎮めるもの。拝跪し、畏れ、敬うもの。
正しく祀り、収め、人にとって都合のいい福音を吐き出す存在に零落させるのは陰陽師の仕事の一つだ。
道満が今しているのもそれに似ていたが、しかし度合いで言えば数段は冒涜的だった。
何しろ彼は今、龍脈の龍という原典を単なる炉心としか見ていない。
龍の心臓を荒駆動させて余剰を濾過して力のみ引きずり出し、その上で自らが望む容(カタチ)に無理やり当て嵌め酷使している。
「なりませんな、神へ刃を向けるなぞ失敬千万。ゆえ罰を与えましょうぞ――このように」
その結果として生み出されるものは、付近一帯を更地に変えるほどのエネルギーの炸裂だった。
空震。いや、もはや魔震とすら呼ぶべきか。
地脈に眠る龍ならばこれくらいはして貰わねばという身勝手極まりない増長と願望が現実の悪夢と化して形を結ぶ。
直撃すればサーヴァントであろうと五体が拉げる一撃に、九頭竜討伐に名乗りを上げた三人は素早くそして利口に対応した。
「門よ」
アビゲイルの片手にいつの間にか握られていた巨大な鍵。
それが虚空へ、他者を主とする領域の内である事なぞ知らぬとばかりの我が物顔で潜り込む。
ガチャリと鍵穴の回る音がした。
次の瞬間、虚空が宇宙とも暗闇ともつかない無明の冒涜を記した口蓋を開ける。
龍神の生んだ震動はそこへ呑まれ、アビゲイル及び最も対抗手段に乏しい
伏黒甚爾を魔震の脅威から遠ざけた。
一方で救済策から外された
宮本武蔵は動ずるでもなく迷わず直進。
震動という形のない脅威の輪郭を捉えているかのように過たず、桜舞う剣閃でこれを切り裂く。
壮絶な破砕音は万象呑み込む龍の怒り――リンボが斯くあれかしと捏造した偽りの神威が粉砕された音に他ならない。
「とんだ悪食ね。ゲテモノ食いも大概にしなさいな」
「これはこれは…いや、素晴らしい。神明斬りとは。原初斬りの偉業は大層実になったようで」
第一陣は突破。
しかしリンボの顔に焦りはない。
人を小馬鹿にしたような微笑みを湛えながら拍手の音色を空ろに響かせている。
「まぁそれも詮なき事か。下総に始まり希臘に至るまで、随分と入れ込んでおりましたものなあ。
どうです。なかなかどうして心地良いモノでしょう? 誰かの心に消えない傷を残すという所業は」
悪意の言葉を吐きながらけしかけたのは、祭具殿の残骸から浮上した髑髏の怨霊だった。
武蔵の脳裏を過るのは下総の国にて、過去にこの陰陽師が呼び出し使役した名無しの大霊。
成程確かに土地も合っている。
此処は東京、古今東西あらゆる武士の魂が眠る場所。
界聖杯により再現された熱のない贋作だとしても、見る者が見れば因果因縁に溢れた絶好の畑だ。
峰津院大和が其処に着眼し霊地の獲得に舵を切ったように。
この厭らしい陰陽師も彼に学び、土地そのものを武器に変えた。
「勘違いしないで頂戴な。今此処にいる私は、あの子のサーヴァントではないの」
それに対して武蔵は驚きすらしない。
過去を、今はもう瞼を閉じて思い馳せるしか出来ない遠い記憶を。
あえてなぞる事で心を削りに来るなんていかにもこの生臭坊主がやりそうな事ではないか。
だから、かつて世界を救う旅路に力添えした人斬りの女は毅然と答えた。
「大業を遂げ、空にも至り。後は泡と消え去るだけの亡霊なんか引き寄せてしまった娘が居るのよ。
私が今こうして剣を握り、貴方に挑んでいる理由はあの子の為。他の誰の為でもないわ」
そういう意味では似ていると思う。
身の丈に合わない運命と宿命を背負わされて、それでも業に呑まれることなくもがき苦しむ女の子。
…だからかと少し納得した。
だからこんなにも彼女の下で振るう剣は手に馴染むのだ、きっと。
「それに…消えない傷を残されたのは何も私だけじゃないでしょう。
貴方がこんな辺境の戦に参戦しているなんて、つまりそういう事としか考えられないものね。異星の神の尖兵さん」
「ンン!」
迫る大霊の腕。
精神を冒し魂を穢し凶死させる呪詛はしかし、かつて相見えた真作に比べれば数段も劣る紛い物。
――遅い。そして浅い。
ならば一体何を恐れろというのか。
新免武蔵、ただ前へ。
そして振るう、桜花の太刀。
怨念一閃。
宿業両断。
刹那にして辺獄の大霊を斬殺し、主であるリンボの首に向け白刃を迸らせた。
「…ええ、認めましょう。この拙僧……御身亡き後、あの小娘めに敗れ去った。
蜘蛛糸の如き奸計は水泡と帰し、正義を気取る若僧の黄金の前に確かに爆散しました」
下総の時とは比べ物にならない太刀の冴え。
神を斬り混沌を斬り桜花に触れて磨き上げた一刀はまさしく真打。
触れれば断つ。
触れずとも斬る。
今、新免武蔵は間違いなく剣豪として一つの極点に達している。
だが。
「です、がァ――」
粘つく悪意が清らかなものを阻む。
神の瘴気か龍の神気か。
リンボは今、武蔵の一刀をその右手一つで阻んでいた。
武蔵の眦が動く。
これほどか。
これほどまでに極まったか、悪党。
その絶句に応えるように肉食獣は牙を剥いた。
「悪党とは懲りぬもの。業とは決して癒えぬもの。
この拙僧、生憎と諦めの二文字を知りませぬ。卒業の二文字を知りませぬ。
ましてやそこにかくも芳しく香る災禍の予兆があるというのに、一体どうして伸ばす手を止められようか!」
「づ…!」
炸裂する神気が武蔵の体躯を軽々弾き飛ばす。
防御も迎撃も許さない一撃は最初の魔震が単なる小手調べに過ぎなかった事を物語っていた。
その隙を突くべく、音速にすら迫る速度で走るは天与。
無策の突撃ではない。
彼は確かにこの場に揃った三者の中では最も能力で劣っていたが、しかし己しか持ち得ない強みを自覚していた。
一つは言わずもがな呪力の不所持による透明化。
迎撃一つするにも視覚での認識と反応を要求する点。
そしてもう一つは、抜く事さえ許されれば天衣無縫と呼ばれるモノにさえ届く呪具の数々を有している事。
“釈魂刀の斬撃はあらゆる防御を参照しねえ。龍だろうが羅刹だろうが触れれば斬れる”
リンボの冷眼が甚爾を捉える。
だが軌跡だけだ。
本気の甚爾はサーヴァントの視覚など容易に振り切る。
現にこの場には彼を対象にしたと思しき束縛の呪詛が溢れていたが、それら諸共に斬り伏せて進む武蔵、自前の術で対処できるアビゲイルとは違い、甚爾は単純に脚力に任せてそれを引きちぎり進んでいた。
残像を認識するだけで精一杯の高速移動を繰り返しながら、鎌鼬宜しくすれ違いざまリンボの首をなぞらんとする。
しかし禍津日神を僭称する悪神道満は――それさえ一笑。
「曲芸で神が獲れるものか」
速く動く蝿を箸で捕らえようとするから苦労する。
蝿を潰したければ、炎を焚いて燻り殺せばいいのだ。
「目障りな猿には、どれ、毒など馳走してみよう」
次の瞬間。
甚爾は自身の生命力が肌から霧散していくような得体の知れない感覚に襲われた。
黒き呪力が霧のように、それでいて花畑を舞う蝶のようにリンボを中心に溢れ出している。
“呪霊とは違うな。神霊の類…それも日本のものじゃない。吸い上げて弱らせる黒曜色の呪力と来れば――”
甚爾は呪力を持たない。
だからこそ体力を削られる程度で済んだが、これがアビゲイルや武蔵であったならそうは行かなかったろう。
これは純粋な生命力だけでなく魔力も呪力も…とにかく対象が内包しているありとあらゆる力を吸い上げる貪食の呪いだ。
ましてや高専の等級で換算すれば間違いなく特級相当だろう神の吸精だ、生易しい訳もない。
事実甚爾でさえ数秒と長居すれば致死域まで削られると、あの僅かな時間でそう確信した程だった。
「南米。アステカ辺りか?」
「ほう。知識と見る目はなかなかどうして」
「ゲテモノ食いの神が人間の成れの果てに喰われたか。皮肉なもんだな」
甚爾の推理は当たっている。
蘆屋道満がその霊基の内に取り込んだ神の一体。
暗黒神イツパパロトル。
太陽の楽園にて黒曜石の蝶を侍らせたアステカ神話の女神。
奪い、平らげる事をあり方の一つとして持つ神も今は悪僧の腹の中。
ハイ・サーヴァント…リンボの素性を一つ見抜けたのを収穫として甚爾は利確する。
纏わり付く蝶を撒いて後退しながら、追撃に放たれた黒炎の狐数匹を撫で切りにした。
「侍。オマエ、あの生臭坊主と知り合いみたいだな」
「ええ。知り合いというより宿敵ね。やり口は嫌という程知ってるけど、足しになるような情報はあんまり」
「アイツは神霊の核を取り込んでやがる。可笑しいと思ったぜ、只の坊主にしちゃ幾ら何でも出鱈目すぎるからな」
「…マジ? うぇえええ…悪食にも程があるでしょそれ……」
蘆屋道満は確かに優れた術師である。
生前の段階ですら、かの安倍晴明が認めた程の力量を持った法師であった。
しかしこの界聖杯で跳梁跋扈の限りを尽くすこの"リンボ"は、それにしたってあまりに節操がない。
単なる術師としての優秀さだけでは説明の付かない不可思議を幾つとなく引き起こしていた。
サーヴァントの領分を超えた生活続命法。
話に聞く窮極の地獄界云々とて、明らかに真っ当な英霊では不可能な無茶を通す事を前提とした野望だった。
不可思議とは思っていたが、蓋を開けてみれば何という事もない。
最初から真っ当な英霊などではなかったというだけの事。
「別人格(アルターエゴ)とはよく言ったもんだ。その時点で気付くべきだったな」
「情報提供感謝するわ。本当なら私の因縁、一対一で果たしたい気持ちはちょっとあるんだけども」
「其処は諦めてくれ。ウチのクライアントもアレには恨み骨髄でな、絶対ブチ殺して来いと仰せなんだわ」
それに、と甚爾。
言葉の続きを待たずして無数の羽虫が空を埋めた。
まるでそれは黒い暴風雨。
聖書に語られる蝗害の悪夢のように、狂乱した陰陽を喰らうべく異界の眷属が狂喜乱舞する。
「な、この通りだ。俺としては生臭坊主の処断なんざ誰がやっても構いやしねえんだが」
虚ろな顔に、仄かな笑みを浮かべて。
鍵を指揮棒(タクト)に捕食を主導する金毛の巫女。
羽虫の群れが払われた途端、次は触手が這い回る。
波濤の勢いで溢れて撓るそれは鞭のようにリンボを打擲する。
英霊一人原型残さず砕き散らす事など容易なその波が、ケダモノの
シルエットを呑み込んだ。
「あは」
恍惚と法悦を虚無の中に織り交ぜて。
嗤う幼さは妖艶なる無垢。
其処には既に、透き通る手の女が生きていた頃の彼女の面影はない。
無垢に色を塗り。
清廉に別れを告げ。
信仰の形さえ、歪みと無念の中に溶かした降臨者(フォーリナー)。
「教えてあげるわ。色鮮やかな悪意のあなた。
私の祈りが、満たされることを知らないあなたの秘鑰になればいい」
異端なるセイレム。
この結界のベースになったある寒村に酷似した穏やかで残酷な村に生まれ落ちた魔女の卵。
最愛の主との離別と、彼女を思う人間への負い目。
そして渦巻く怒りと後悔を肯定された事が卵の殻に亀裂を入れた。
いざ此処に魔女は産声をあげる。
救うと豪語しながら痛みを振り撒く矛盾の魔性。
彼女の鍵が天高く掲げられ、次の瞬間駄目押しに触手が落ちてきた。
「イブトゥンク・ヘフイエ・ングルクドゥルゥ」
紡がれる冒涜の祝詞。
祝福と共に墜落した大質量はリンボの全身を余す所なく押し潰し圧殺するに十分な威力を秘めている。
質量による力押し。
神を潰すならば同じ神を用いればいいのだと、幼い故の直情的発想が此処に最上の形で具現化した。
だが――
「急々如律令」
触手の真下から響く声がある。
刹那、彼を覆う触手の全てが爆散した。
姿を現すは禍津日神・九頭竜新皇
蘆屋道満。
血の一滴も流す事なく悠然と佇む姿は、まさに神の如し。
「素晴らしきかな、そして美しきかな虚構の神よ。
それもまた拙僧が描く地獄の理想像の一端を体現しておりますが…」
アビゲイルが鍵を振るう。
リンボが爪を振るう。
火花を散らしながら削り合う異端と異形。
一見すると互角に見える。
だが、明らかに余裕が違った。
じゃれつく子供とそれをあやす大人のような。
そんな、努力と工夫では埋め難い絶対的な差が両者の間には垣間見えている。
「遅きに失したな外なる神。全にして一、一にして全なる貴殿。
人と神の混ざり物、成り立ての魔女如きではあまりに役者が足りぬよ」
空を引き裂く神の手足。
それは確かにリンボの腹に着弾した筈だった。
にも関わらず、極彩色の獣は揺らぎもしない。
たたらさえ踏む事なく、素面の耐久のみで受けてのけた。
もはや物理においてすらリンボに隙はない。
耐久無視の釈魂刀のような例外を除けば皇帝、混沌…その領域に入って初めて痛痒を与えられる次元。
まさに怪物。まさに悪神。
背後に背負った骸の九頭竜が、瘴気を撒き散らしながらその顎を大きく開ける。
「吠え立てよ、龍よ」
「――っ」
零距離での龍震の炸裂。
咄嗟に防御の為の触手を呼び出しはしたものの、それでも巫女の痩躯は無残に吹き飛んだ。
桃色の唇を、真紅の血が艶かしく濡らす。
「とはいえ一時は拙僧を魅了した全知の門。その神聖に敬意を示し――ンンンン! 大盤振る舞いにて見送りましょう!!」
リンボはすぐさま追撃の為、総数にして数百にも達する呪符を出現させる。
アビゲイルを取り囲む紙々の舞。
それは宛ら紙の監獄塔だ。
しかしその用途は戒めに非ず。
捕らえた罪人を、祓われるべき悪徳を消し飛ばす抹殺の法に他ならぬ。
…銀の鍵の巫女は空間を超える権能を持つ。
故に監獄ではアビゲイルを捕らえられない。
だがそれが彼女の為の処刑場であり火葬場であるならば――
「破ッ!」
巫女が空間を脱けるよりも、妖術の極みのような火葬塔が焦熱地獄と化す方が早い。
強化された霊基でも耐える事はまず不可能だろう超高熱の檻の中に取り残されたアビゲイル。
そんな彼女を救い出したのは、既の所で塔そのものを一刀両断した
宮本武蔵であった。
「ありがとう、お侍さん。危ない所だったわ」
「そういうのは後! 今はとにかく目の前のアレを何とかしましょう。
言っておくけれど、首を取るのは早いもの勝ちよ。私も私であの御坊には煮え湯飲まされてきたんだから」
「勿論。恨みっこなしで行きましょう」
邪魔をするなとばかりに武蔵へ迸った魔震。
それを今度は、アビゲイルが触手を数段に折り重ねた防御壁を形成する事でカバーする。
暴穹の飛蝗を思わす勢いと密度で敵を喰らう羽虫を召喚する巫女に、女侍は相乗りする事を選んだ。
羽虫の波に身を沈ませ、自身の気配や魔力を彼らをチャフ代わりにして隠蔽。
リンボの感覚の盲点に潜り込みながら天眼を廻し一斬必殺の斬撃を叩き込むべく颶風と化す。
「流石は音に伝え聞く二天一流。節操のない事よ」
嘲りはしかし侮りに繋がらない。
リンボは知っている、二天一流の強さと恐ろしさを。
手塩にかけて拵えた英霊剣豪を討ち倒し、己が陰謀を砕いた忌まわしき女。
結果的にリンボが彼女と再び相対する事はなかったが。
依然としてリンボは自身に引導を渡した黄金のヒーローよりも、この麗らかな人斬りの方をこそ真に厄介な敵だと認識していた。
「であればどれ、拙僧は大人げなく行きましょう」
だからこそ油断も慢心も捨て去る。
格下が相手なら隙も見せよう、驕りも覗かせよう。
だが天眼の光、死線を駆ける女武蔵の冴えが相手となれば話は別だ。
リンボの周囲に顕現する無数の光球。
臓物に似た悍ましいまでの赫色を宿したそれは、魔と呪をありったけ練り込んだ呪符を核に造られた即席の黒い太陽だ。
太陽だけで構成された闇の星空。
それが芽吹くように感光するや否や、数にして千を優に超える数の光条が全方位へと迸った。
「「「――!」」」
そう、全方位だ。
波を形作る羽虫を鏖殺しつつ其処に潜んだ武蔵を狙いつつ。
今まさに新たな触手を呼び出そうとしていたアビゲイルを撃ち抜かんとし。
背後から迫っていた甚爾に対してもその五体を蜂の巣に変えんと光を放つ。
さしずめ凶星の流星群。
掠めただけでも手足がちぎれ飛ぶ星の追尾光も、今のリンボにとっては単なる余技の一つに過ぎない。
その証拠に――
「凶風よ、吹けい」
漲り煮え立つ呪の風が、災害そのものの形で吹き荒れる。
凶兆、凶象…その全てが今やリンボの思うまま。
そんな呼吸するだけでも死に直結する地獄絵図の中でも、しかし天与呪縛の男は流石だった。
呼吸を完全に断ちながら風圧を引き裂いて吶喊する。
間近まで迫った上で振るう刀身は、速度でなら武蔵の振るう刀にすら決して引けを取らない。
術師殺しはは技の冴えを重要視しない。
剛力を載せて超高速で振り抜く、効果的な斬撃を放つにはそれだけで充分なのだから。
だが……
「ンン。まさに、馬鹿の一つ覚えよな」
リンボは当然のように刃の軌道を見切りながら、己に迫る死に対して笑みを浮かべた。
この男ならば来るだろうと思っていたからだ。
そしてその上で待ち受けていた。
煮え湯を飲まされたままでいる程癪に障る事もない。
“――カウンターか? いや…”
訝む甚爾だったが、その疑問に対する答えはすぐに出された。
リンボの背後。
九つの龍骸が並ぶ向こう側に、絶大な存在感を放つ黒い人形が立ち上がったのだ。
呪霊操術という術式がある。
読んで字の如く、呪霊を操り使役する術式だ。
極めれば呪霊の軍隊を率いての国家転覆すら不可能ではない、数ある術式の中でも容易に上位一握りに食い込むだろう規格外の力。
甚爾はかつてその使い手と相対し、その上で正面から打ち破っている。
だがその彼をしても――今リンボが出した"これ"は、呪霊だの祟り神だのとは全く格の違う存在であると断言出来た。
「黒き太陰の神。名をチェルノボーグと言いまする」
チェルノボーグ。
それはスラヴ神話に語られる、夜、闇、不幸、死、破壊…あらゆる暗黒を司る悪神。
呪霊等とは次元が違う。文字通り世界そのものが違って見える程の隔絶感があった。
「猪口才な猿の曲芸、存分に試してみるが宜しい」
次の瞬間、甚爾は強烈な衝撃の前に吹き飛ばされた。
ただ飛ばされたという訳ではなく、不可思議極まる力で以て殴り飛ばされたに等しい。
即座に跳ね起きようとする彼の頭上に影がかかる。
見上げればそこには既に巨腕を振り下ろすチェルノボーグの姿があり、甚爾は釈魂刀を盾に受け止めるしかない。
真上から押し寄せる衝撃と重量は如何に彼が超人と言えども涼しい顔で受け切れる次元ではなかった。
骨肉が軋む。皮下の血管がブチブチと千切れていくのが分かる。
游雲を抜いていなかった事を悔やむ甚爾は身動きが取れず、それを良い事にリンボが迫った。
「ンンンンン! 無様!」
「ッ……!」
繰り出す掌底。
掌に呪符を貼り付けて放つ一撃は甚爾の内臓を容易に破砕した。
腹を消し飛ばされなかったのは咄嗟に身を後ろに引き、どうにか直撃だけは避けた機転の成果だ。
それでも完全に威力を殺し切る事は出来ず、粘り気の強い血を吐いて地面を転がる。
「死ねェいッ!」
肝臓と脾臓が砕け散ったのを感じながらも甚爾の動きは迅速だった。
地を蹴り真上に逃れる。
地面を這う呪の濁流に呑まれるのを防ぐ為だ。
だがそれすら知っているぞと嗤いながら、リンボの呪符が付き纏う。
呪具を切り替えるには状況が悪い。
多少の被弾は承知の上で、刀一本で全て斬り伏せるしか甚爾の取れる選択肢はなかった。
呪符に描かれた目玉が赤く輝き…そして。
「…!」
伏黒甚爾の脇腹が弾けた。
飛び散る鮮血。
優越の笑みを浮かべるリンボ。
しかし追撃は成せなかった。
流星群を斬り伏せながら猛進してきた女武蔵が、呪符数百を鎧袖一触に薙ぎ払って剣閃を放ったからだ。
「おぉ、怖い怖い。流石は宿業狩り。七番勝負を踏破した恐るべき女武蔵と言う他ない」
既に武蔵の剣は鋼の銀色を超克している。
夜桜の血と繋がり、真打の桜に至った事を示す桜色の太刀筋。
剣呑さは美しさに幾らか食われたが、それは脅威度の低下を意味しない。
寧ろ真逆だ。
宿業両断はおろか、神と斬り結んだギリシャ異聞帯の時分よりも彼女の太刀は遥かに高め上げられている。
「神の分霊になぞ頼っていられぬ。貴様の相手は、この拙僧が手ずからしなくてはなァ」
この場において最大の脅威は間違いなく新免武蔵である。
リンボはそう信じていたし、だからこそ彼女に対しては一切驕らなかった。
イツパパロトルやチェルノボーグに頼るのではなく自らが出る。
それは裏を返すまでもなく、禍津日神たる自分自身こそが最大の戦力であるという自負ありきの行動に他ならず――
「はああああああッ!」
「ンンンンンンン!!」
そして現にリンボは、一介の法師でありながら空の極みに達した剣豪と接近戦を演じる離れ業を実現させていた。
用いるのは自らの呪と、遥か異郷の地で会得した仙術。
無敵の自負を抱くに十分なそれらに加え龍脈の力で更に倍率をかけた肉体だ。
三位一体の自己強化はリンボを真の魔神に変える。
現に彼より遥かに技巧でも速さでも勝る筈の武蔵だが、その顔には三合ばかりしか打ち合っていないにも関わらず既に苦渋の色が滲んでいる。
“此処まで高めたか、
蘆屋道満…!”
重い。
硬い。
先に斬り伏せた大霊はおろか、
伏黒甚爾を吹き飛ばした神の分霊とすら格が違う。
オリュンポスで目の当たりにした機神達にも比肩、ないしは上を行くだろう重さと硬さは悪い冗談じみていた。
「硬いでしょう。それも当然。
鉄囲山の外鎧。そして僧怯の大風…これなるは法道仙人めより掠め取った仙術の粋。
ンン、感じますぞ。これまでの巡り合わせ、鍛錬、試行錯誤! そのすべてが拙僧を野望の高みへ押し上げてくれている!」
「らしくない台詞はやめて頂戴、槍が降るわ。どうせ最後はすべて踏み潰してしまうんでしょう?」
「当然。並ぶモノなき久遠の地獄絵図を描き上げ、万物万象へ阿鼻叫喚の限りを馳走する事。それこそが拙僧の伝える感謝の形なれば」
「でしょうね! 相変わらず、救えないヤツ…!」
迫り合いを長く続ければ腕が砕ける。
現に今のだけでも、武蔵の右腕は罅割れていた。
にも関わらず戦闘を続行出来ている理由は、
古手梨花から流れてくる夜桜の力。
初代夜桜との同調を果たした梨花は武蔵にとって、劇的なまでの力の源泉と化していた。
片手の骨折程度の傷ならば忽ち癒せてしまうくらいには。
これでも武蔵に言わせれば十二分にズルの境地だというのに、初陣がこんな怪物となればそれも霞んでしまう。
リンボの徒手を桜花の刀で防ぎ。
隙を抉じ開けて刺突を七つ。
それを凌がれれば本命、左右同時の逆袈裟二刀撃。
神をも斬り裂く剣を呪符が阻み、役目を終えたこれが音を立てて爆裂する。
「づ…!」
熱波を直に浴びて顔が焦げる。
癒えていく最中の視界でリンボの背後に、剣を携えた黒い女神が立ち上がるのを武蔵は見た。
「そうれ、隙あり」
イツパパロトルの一閃を止めた瞬間、武蔵は悪手を悟る。
“そうか、こいつ…黒曜石の……!”
黒曜石の蝶を侍らす楽園の導き手。
その剣も当然、強力な吸精能力を宿しているのだ。
手足の力が拔ける。
分霊とはいえ神は神。
夜桜の力さえ上回る速度での吸精に、武蔵の手足から力がガクリと抜けた。
「――唵!!」
禹歩で呪の効力を高め真言一喝。
武蔵が瞠目した。
見えなかったからだ。
見切れなかったからだ、リンボの歩みを。
その代償として真紅の呪が武蔵の総身を丸呑みにする。
咄嗟に刀を構え、二天一流の手数を活かして切り裂き即死は逃れたが、しかしこれさえリンボにとっては予測の内。
当然。
相手は新免武蔵。
神に逢うては神を殺し、仏に逢うては仏を殺す悪逆無道の英霊剣豪を撫で切りにした人斬りの極み。
猿を殺し巫女を封殺できる程度の業で屠れるのならばあの時苦労はしなかった。厭離穢土は遂げられていたのだ。
「等活、黒縄、衆合、叫喚、大叫喚、焦熱、大焦熱、無間――」
怖気の走る詠唱は祝詞ですらない。
それは列挙だ。
人が悪業を抱えて死ねば堕ちるという死後の形、その形相の羅列。
武蔵としても聞き覚えがあるだろう名前も幾つかあり、だからこそ彼女は其処から特大の不吉を感じ取らずにはいられなかった。
「――デカいのが来るわ! 各々、死ぬ思いでなんとかして!!」
武蔵が叫んだ事にきっと意味はなかった。
甚爾もアビゲイルも、その時には既に彼女同様嫌な予感を覚えていたからだ。
呪いが渦を巻く。
冒涜が練り上げられる。
地獄が形を結ぶ。
衆生が住む閻浮提の下、四万由旬の果てへと堕ちる奈落の旅路が幕を開ける。
「堕ちよ――――遥かな奈落、八熱地獄へ!!」
名付けて八熱地獄巡り。
呪の限り、熱の限りがのどかな村の一角を吹き飛ばして三騎の英霊達を焼き払った。
これこそがアルターエゴ・リンボ。
否、禍津日神・九頭竜新皇
蘆屋道満。
髑髏烏帽子ならぬ戴冠新皇。
九頭竜を従え。
黒き神を喰らい。
盟友を侍らせ。
そして呪の限りを尽くす、極彩色の肉食獣。
故にその理想の具現たる八熱地獄はすべての英霊にとって致死的なそれ。
逃れられる者など居ない――普通なら。
しかし忘れるな、リンボよ。
しかし侮るな、
蘆屋道満よ。
この地に集い、熾烈な予選と数多くの激戦を潜り抜けて二度目の朝日を拝んだ者達はそう甘くない。
その証拠に。
八熱地獄の赫を引き裂きながら現れたのは、アビゲイルが行った再びの宝具解放により呼び出された触手の渦であった。
「ぬ……!?」
リンボが瞠目する。
今のは確かに渾身の呪を込めた一撃だった。
視界に入る全て、猿も巫女も人斬りも皆々焼き払う心算の大地獄だった。
だというのにこの小娘は。
よもや――
「馬鹿な…有り得ぬ! アレを……あの熱量を内から食い破っただと!?」
「駄目よ、東洋のお坊さま。地獄(インフェルノ)だなんて僭称したら、神様もきっとお怒りになるわ」
「ほざけ小娘がッ! この拙僧に地獄の何たるかを語るか!!」
規格外の事態に唾を飛ばすリンボ。
その傲慢を窘めながら、アビゲイルは八熱地獄の火力を破って尚余力を残した触手で彼が展開した呪符を悉く押し流した。
殺到する触手は一本一本が外なる神の触腕。
格で言えばリンボの扱う黒き神々にすら勝る絶対と無限の象徴。
さしものリンボも冷や汗を流し、件の二神を顕現させて足止めに使う。
チェルノボーグ、イツパパロトル。
強さで言えば流石の一言。
アビゲイルの宝具解放をすら押し止める働きを果たしていたが、攻防の終わりを待たずして動く影がある。
「手酷く言われたわね、リンボ」
「ッ――新免、武蔵ィ!」
「百聞は一見に如かず。地獄の何たるか、自分の眼でしっかり見て来なさい」
花弁と共に駆けるは武蔵。
神速の太刀筋は今のリンボなら決して対応不能のそれではない。
だが、だが。
アビゲイル・ウィリアムズ、銀の鍵の巫女の無限に通ずる宝具を相手取りながらでは話も変わる。
「…急々如律令!!」
リンボが選んだのは武蔵に取り合う事の放棄。
今や此処ら一帯が己の陣地と化しているのを良い事に地へ埋め込んだ呪力を地雷宜しく爆発させた。
そうして武蔵の進撃を無理やり押し止めつつ、自分は宙へと逃げる。
二柱の黒き神は強力だ。
普通ならばサーヴァントの宝具解放が相手であろうと押し負けはすまいが、しかし今回の相手は
アビゲイル・ウィリアムズ。
すべての叡智とすべての空間へ繋がる"門"の向こう側に坐す"全にして一、一にして全なる者"の巫女。
彼女に限っては万一の危険性が常に同居している。
だからこそ念入りに、抜かりなく。
最上の火力で以って相対さねば、禍津日神と化した今の己でさえ予期せぬ一噛みを食らいかねない。
そう考えて空へ逃れたリンボの更に上へと――躍り出た影が一つある。
「よう。そんな成りになっても猿の一匹上手く殺せねぇんだな」
「…ッ! 貴様――」
伏黒甚爾。
この場では間違いなく最も劣った、それでいて最も可能性を秘めた猿だ。
先の一合で力押しは不可能と理解した。
武蔵とリンボが打ち合う光景を見てその感情は更に強まった。
彼は天与呪縛の超人。
生身一つで百年の研鑽をもねじ伏せる規格外。
しかしあくまで超"人"、天変地異を拳一つで調伏出来る程の可能性は持たない。
甚爾はそれをよく理解している。
挫折と劣等感に満ちた幼少時代を経て術師殺しに成った彼が、それを知らない訳はないのだ。
だから潜んだ。
敵が繰り出した地獄の炎すら隠れ蓑に使った。
呪殺ないし主従契約を書き換えられる事を厭ってずっと表に出さずにいた武器庫呪霊。
それをあの死地の中でこれ幸いと引きずり出し、呪具の入れ替えを行った。
釈魂刀、龍をも断つ魔剣を納めて新たに取り出したのは――純粋な破壊力でならば最も
伏黒甚爾を高め上げられるだろう三節棍の呪具。
即ち游雲。数時間前、この嗤う道化師にも一撃打ち込んだ暴力の塊。
「生臭坊主が羽化昇天なんざ片腹痛ぇわ。身の程弁えて五体投地でもしとけ」
リンボはその瞬間、確かに自身の視界が緩慢と化すのを感じた。
濃密の一言では済まされないあまりにも致死的な暴力の気配。
それを前に脳が走馬灯に酷似した活動をしているのだと気付き、屈辱で顔が赤黒く染まる。
――侮るな、猿めが!
そう叫ぼうとしたし術を行使しようともした。
だがそれよりも、甚爾の振り下ろす棍が彼の顔面を粉砕する方が遥かに速かった。
「ご、がッ――」
游雲は担い手の膂力に応じて威力を向上させる。
完成されたフィジカルギフテッドが、真に全力で振り下ろしたその一撃は当然絶大。
鉄囲山の外鎧も僧怯の大風も押し破って、宣言通り禍津日神を地まで落とした。
粉塵を巻き上げ、地に減り込む無様を晒せていたならまだリンボにとっては救いだったろう。
しかし現実は彼にとって更に非情。
地獄に堕ちたその先では、犇めく触手の海が待ち受けていた。
「――ぬ、あああああ"あ"あ"ッ!?」
二柱の神を相手取りながら。
彼らがリンボの許へ帰れぬよう、帰り道を堰き止めながら。
「つかまえた」
アビゲイル・ウィリアムズは漲る力に物を言わせてリンボ本体を叩きに掛かったのだ。
初撃に続く、二連続での宝具解放は言わずもがな相当の無茶。
空魚へ押し寄せる負担も相応だったが、しかし許可は出ている。
無茶をする旨をアビゲイルが念話した際。
それに対して
紙越空魚は、愚問だとばかりに即答した。
――私の事なんて考えなくていい。あんたがそうした方がいいと思うなら、迷わずそうして。
其処にあったのは果てしない程の怒り。
相棒を殺され、穢された事に空魚は今も怒り狂っている。
だからこそ掟破りの宝具二度撃ちは成り。
その結果としてリンボは想定を大きく狂わされ、武蔵と甚爾の連携も相俟ってまんまと触手の坩堝へ叩き落された。
「見ていてマスター。鳥子さんも、空魚さんも」
艶かしく粘液に塗れたそれはしかし断じて凌辱など働かない。
これはもっとずっと悍ましく、吐き気がする程冒涜的な何かの片鱗だ。
「いあ、いあ」
いあ、いあ。
光よ、光よ。
白き虚無が溢れる。
黒く果てなき闇が口を開ける。
その内側に、
蘆屋道満は確かに地獄を見た。
境界線の青年の精神世界で目の当たりにしたのとは違う、しかしあれに何ら劣らぬ無尽の地獄を。
意識と精神が埋め尽くされていく。
あらゆる者の精神と肉体を蝕む異界の念。
それは、神さえ誑かす無道の陰陽師でさえも例外ではなく。
狂気と混沌が、愚かな偽神のすべてを呑み込み――
「 ンン 」
下す、その寸前で。
触手の蠢動が止まった。
坩堝の中から嗤い声が響いた。
時が止まる。
誰もがアビゲイルの業の底知れなさを感じ取っていて、リンボの終焉を確信していたからこその静寂だった。
外なる神がもたらす虚無と無限のきざはし。
それは決して並大抵のものに非ず。
一人の殺人鬼が呑まれて消えたように。
跳梁跋扈する蝿声の如き魘魅、
蘆屋道満でさえ無力のまま消え去るしかない。
その筈だった――これまでは。
しかし今の彼は道満にあって道満に非ず、リンボにあってリンボに非ず。
龍脈の力と百年の累積を一緒くたに喰らって高め上げたその力は今や、不可避の滅亡すら覆す闇の極星として機能するにまで至っていた。
「実に見事。実に甘美。しかし、しかァし――」
だからこそ此処に闇の不条理が具現する。
絶対不可避の敗亡の内側から浮上する禍津日神。
触手共を消し飛ばしながら。
虚無へと繋がる門を自らの力の大きさに飽かして閉じる離れ業を成しながら。
リンボはその掌に、一つの火球を生じさせた。
「忘れたか。儂こそは禍津日神、髑髏烏帽子を越えて戴冠の儀を終えた九頭竜新皇!
異界の神なぞ取るに足らず。猿の足掻きなぞ嗤うにも及ばず、仁王如きが断てる丈にも非ず!」
それは、一握の砂にも満たない極小の火。
煙草の先に火を灯すのが精々の種火でしかない。
少なくとも傍目にはそう見える。
しかし三者三様。
神殺しを成さんとする者達は其処に、あるべきでない威容を見た。
巫女は遥かフォーマルハウトにて脈打つ生ける炎の神核を。
猿は蠢き沸騰して止まない悍ましい呪力の塊を。
そして人斬りは、手を伸ばしたとて届く事のないお天道様の後光を。
各々確かに拝んだ。
その上で確信する。
あれを弾けさせてはならない――それを許せば自分達は此処で終わると。
巫女が鍵を回し。
猿と人斬りが地を蹴った。
だがすべて遅い。
嘲り笑うようにリンボは諸手を挙げ、歓喜のままに"それ"の生誕を言祝いだ。
「これなるは界聖杯が拙僧に授けた"縁"の結晶」
充填される魔力の桁は尋常ではない。
宝具の格に合わせて言うなら最低でも対城級。
直撃すれば英霊さえ軽々蒸発させる、正真の規格外に他ならない。
「屈辱と挫折の中、決して膝を屈する事なく歩み続けた甲斐もあるというもの。
つきましてはこの禍津日神・九頭竜新皇
蘆屋道満の前へ立ち塞がった勇気ある貴殿らの葬送、この拙僧が承りましょう!」
蘆屋道満は斯様な力を持ってはいなかった。
力量の問題ではなく、性質そのものが彼の生まれ育った世界には存在しなかったからだ。
故にこれは彼の言う通り、界聖杯というイレギュラーが彼へと仲介した縁の結晶。
地を這い泥を啜り何とか手中に収めた龍の心臓。
受け継いだその脈動から伝わって来た力の最大出力…それこそがこの魔技の正体。
「刮目せよ。跪いて笑覧せよ。これなるは拙僧から貴殿らへと贈る最上の敬意にして至高の葬送」
その名を――
「――メギドラオンでございます」
メギドラオンと、そう呼ぶ。
属性は万能。
あらゆる防御も相性も無に帰す究極の火力。
指で摘める程度の大きさだった火球が天に昇り、見る見る内にそのサイズを直径十メートルを超す巨体へと変じさせ。
それが弾ける瞬間を以ってして、最終最後の屍山血河舞台に万象滅却の爆熱が吹き荒れた。
「はは、ははははは、あはははははははは――!」
響き渡るのは禍津日神の哄笑ばかり。
光が晴れて熱が引き、そして……
最終更新:2023年08月08日 02:51