始まりはふたりだった。
 きらきら、ぽろぽろ。
 甘くてやわらかい、私たちの世界の色。


◆◆


 雷光が、地を駆ける。
 蒼熱の軌跡が、降る砲火を次々と躱していく。
 その速度は既に、数刻前の遥か上を行っていた。
 加速。回避の精度。どちらも異次元の領域。
 機兵の少女との共鳴によって得た解析能力が、ガンヴォルトの世界をより深く精密なものに変えているのだ。

 以前までならば見えなかったもの。
 そして聞こえなかった音が、つぶさに感じ取れる。
 世界の深度が、先ほどまでとは明らかに違っていた。
 だからこそ見える。対処ができる。迎撃が、追いつく。

(あの時――)

 全能感をすら抱かせてくる、自己という機体の格段な性能向上。
 しかしガンヴォルトは生憎、それに酔える気分ではなかった。
 強さと判断の冴えを自覚すればするほど。
 そして、これならばあのアーチャーに届き得ると。
 そう思えば思うほどに――瞼の裏に蘇ってくる喪失(いたみ)がある。

(あの時、ボクにこれだけの力があれば……君を失うこともなかったかもしれない)

 彼女の存在がまだ一欠片でも残っていたならば、叱咤の声が飛んできていたかもしれない。
 けれどどれだけ待っても、あの賑やかな声がガンヴォルトの鼓膜に触れることはなく。
 自分のマスターだった少女はもうこの世界のどこにも存在しないのだと、否応なしにそう実感してしまう。

 それでも。
 ガンヴォルトは、もう振り返らない。
 別れは済ませた。後悔に唇を噛む力があるなら、それは彼女との誓いを果たすことに注ごう。
 夜空を切り裂く稲妻のような鋭い眼光に、弱気の色は微塵もない。
 上空からやって来る流星群の如き弾薬爆薬の大瀑布、その層が薄い点を即座に見抜いて――雷霆(ヒカリ)を放つ。

 空が、爆ぜた。
 一つの炸裂が次から次へと誘爆して、昼夜の区別もつかない壮絶な赤色に染め上げられていく。
 そんな戦火の色彩を、ガンヴォルトの雷が切り裂いた。
 それは、闇の中を一筋駆ける光条そのもの。
 戦火を断ち、空の色を奪い返し。
 そして雷霆は、穿つべき敵へと刹那の内に押し迫る。


 ――だが。

 その一撃に対し、機兵シュヴィ・ドーラは避けるでもなく手を翳した。
 一見すれば単なる自殺行為以外の何物でもない行動。
 腕はおろか、半身を吹き飛ばされても決して不思議ではない威力がガンヴォルトの雷には込められているのだ。
 蒼き雷霆を見縊ったか。いや、そんなことはあり得ない。
 こと彼女に限ってだけは――【機凱種】の少女に限ってだけは。

 雷と小さな手が衝突する。
 が、可憐な手が砕け散ることはなかった。
 火を噴くことすらもなく、雷が渦を巻いて彼女の内側へと吸収されていく。
 ガンヴォルトの目が驚愕に揺れる。一方のシュヴィは得意げにするでもなく、ただ起こった事象を確認して小さく頷いた。

 ――仮説、立証。一定以下の威力であれば、既存機能及び武装の応用で吸収可能と判断……――

 ガンヴォルトが雷霆を放ち。
 シュヴィが、それを片手で払う。
 此処までは先ほどの焼き直しだ。
 しかし違ったのは、今回シュヴィは払うことさえしなかったこと。

 雷の吸収。
 そんな能力を、本来機凱種は持っていない。
 が、今の彼女は歌と記憶の共鳴によってガンヴォルトと性質を一部共有(シェア)している。
 彼がシュヴィの解析能力を得て、より巧みな正面戦闘を可能としたように。
 シュヴィは彼から蒼き雷霆の力を受け取り、自らの一機能としてアップデートすることに成功した。
 即ち今、雷とはシュヴィにとって燃料の一つ。
 以前までに比べ、彼女の機体に対する有害性が格段に低下していた。

 本来、機凱種は精霊を動力としている。
 しかし彼女の場合、そこに雷が追加された。
 シュヴィはその点に着目し、精霊回廊に取り込むのと同じ要領で自分に向け放たれた雷を吸収。
 ガンヴォルトの一撃で傷を負うどころか、逆にそれを自身のエネルギーにする手段を確立したのである。

「キミの方が、得た力と身体の食い合わせがよかったということか」

 元々、機械とは雷と親和性の高い概念。
 であればこそ、機械の解析能力を生身の肉体にインストールされたガンヴォルトよりも力の相性が良かったのだろう。
 彼としては言うまでもなく具合の悪い展開だったが、とはいえ影響としては軽微だろうと考えていた。

 シュヴィは今、"一定以下の威力"と言った。
 要するに、所謂大技に部類されるような火力は食えないのだと推測する。
 元よりこれほどの強大な相手をそこな小技で討ち取れるとは思っていない。
 ガンヴォルトが恐れているのはそれよりも、彼女が自分の力を攻撃に転用してきた場合のことだった。

「仮称――『偽典・蒼き雷霆(アームドブルーアポクリフェン)』」

 機巧少女の背に生えた翼が、蒼雷を纏い発光する。
 その姿はさながら、怒れる天使のよう。
 地上に罰を下すべく遣わされた、天翼の徒を思わせた。

 雷翼に集約され増幅されていく蒼き雷霆。
 ガンヴォルトはこの瞬間、すぐさま確信した。
 少なくとも平時の火力であれば、彼女は間違いなく自分を超えている。
 収束、収束、収束……小さな翼に溜まっていく雷電はああ、一体どこまで。


「――【典開】――」


 ドーム状にシュヴィを覆い出現した光の球には見覚えがあった。
 それは紛れもなくガンヴォルトのスペシャルスキルの一つ、『ライトニングスフィア』に他ならない。
 しかし彼が使うのとはまるで性質が違っている。
 ガンヴォルトが、複数の雷球を発生させ手数で敵を攻撃するのに対し。
 シュヴィのそれは自らを一個の雷球の内側に収めるという、全くオリジナルのそれと異なる用法だった。

 彼女は機凱種。
 応用と効率の追求にかけて、彼女達の右に出る存在はいない。
 そんな機人に新たな動力など渡してしまえば、改造されるのは言うまでもなく当然のことだ。
 徹底的な解析と試算演算により施された自己改造(アップデート)が、蒼き雷霆を自分にとってより都合のいい形に歪めていき。
 そうして生まれた輝かしい殲滅兵器の大雷球が、ガンヴォルトの見上げる上空で急激に膨張した。

「――――『LIGHTNING SPHERE』――――」

 球の形を維持したまま弾けることで、上下左右東西南北全ての方向方位へと雷の大熱波が殺到する。
 ガンヴォルトの同技が対個人用ならば、これはまさしく対軍用。
 殲滅効率と破壊力を研ぎ澄まし、無体なほどに突き詰めた雷霆の爆弾であった。


「力を使いこなしているのが、自分だけだと思わないことだ」

 ――煌くは雷纏いし聖剣。
 ――蒼雷の暴虐よ、敵を貫け。

 ガンヴォルトが片手に、雷剣を握る。
 それは『スパークカリバー』と呼ばれるスキルだった。
 以前は放つばかりだった雷剣は、しかし今はガンヴォルトの手に握られている。
 そう、彼もまた共鳴により得た新たな力を最大限に活用しているのだ。

 解析と演算による雷霆の出力の調整。
 単純な威力であれば以前よりもむしろ下がるが、その代わりに以前ではあり得なかった力の安定化を実現することに成功した。
 その結果誕生したのが、帯剣して駆けるガンヴォルトという新たな姿だ。
 触れれば彼と言えど焦がされる雷の熱波を掻い潜り切り破りながら、ダートを放って上空のシュヴィを牽制する。
 そして次の瞬間、ガンヴォルトは空へと跳んだ。

「――――!」

 放電によるロケットブースト。
 緻密な電力操作は空さえ彼の戦場に変える。
 雷剣の一閃がライトニングスフィアの波を完全に断ち切り、更にそれでは飽き足らず奥のシュヴィを叩き斬らんと振るわれた。
 それに対しシュヴィは、無数の大気刃を放つことで防御と迎撃を両立させる。

 『偽典・森空囁』。
 森精種の魔法を模倣した気刃は、直撃すれば間違いなく人体が泣き別れにされるギロチンだ。
 雷撃鱗による防御で受け止められるのも恐らく数発が限度。
 此処でもガンヴォルトは一手のミスすら許されない。
 先ほども見せた疑似魔力放出を応用し、雷剣を振るうと共に雷の炸裂を発生させた。
 これにより気刃の進行を押し止めながら後退することで、回避と次弾の用意を同時にこなせる。

(たかだか三発の被弾で此処まで削られるのか……恐ろしいな)

 雷撃鱗の目減りが著しい。
 あと二発も受けていれば完全に破られ、自分は斬殺されていただろうと遅蒔きながら理解し肝を冷やす。

(それに――)

 雷撃鱗越しに、身へ沁みてくる不吉な感覚がある。
 初撃として放たれた魔龍の咆哮の際にも感じた、極めて凶悪な毒素の気配。
 まだ重篤な汚染を受けるまでには至っていないが、このまま長く戦っていればいずれは深刻化するだろうという予感がある。
 求められるのは短期決戦。それでいて、可能ならば雷撃鱗越しだろうが一撃も貰わないこと。
 改めて指針を明確化させると同時、ガンヴォルトはその姿を一瞬の内に消失させた。

「……!」

 次はシュヴィが驚く番だった。
 視界から唐突に消失した標的。
 しかしレーダーは彼の存在を引き続き捉え続けている。
 そう、ガンヴォルトは消えたわけではない――そう錯覚するほどの速度で、シュヴィの背後まで回ったというだけで。

「速度でなら、ボクが上のようだな」

 持久力でならば、恐らく勝負にもならないだろう。
 だが極短距離であるのを前提にするならば、ガンヴォルトは確かにシュヴィの上を行ける。
 『一方通行』も『偽典・天移』も使用に適さない近距離戦の間合いでなら、その目を置き去れる。

「ぐ…………ッ」

 身体を走った電撃が、吸収の構えを取る間もなく彼女の痩身を駆け抜けた。
 思わず漏れ出す呻き声。視界がノイズで歪む。
 そんな彼女が振り返った時には、既にその腹に膝が打ち込まれた後だった。

 苦悶を訴えている暇はない。
 膝蹴りはあくまでも身動きを封じるための前座。
 本命は、電熱をこれでもかと横溢させながら感光しているその雷剣だ。
 なればこそシュヴィは、自身も雷剣を即座に生成することで対応する。
 奇しくも今度は彼女の方が、従来通りの使い方をする番であった。

「――――『SPARK CALIBUR』ッ――――!」

 雷剣の投影と射出。
 それは、ある種自爆めいた一手だ。
 何しろこの間合いの近さで雷剣同士が衝突すれば、生じる衝撃と熱にシュヴィ自身も巻き込まれてしまう。
 つまりそんなリスクを取らねばならないほど、今のガンヴォルトに接近されるのは不味いと判断したということ。

 雷が、花火のように美しく午前の空を彩る。
 ガンヴォルトは雷剣を破損すらさせることなく、シュヴィの一手を防ぎ切った。
 一方のシュヴィは自身の雷剣の爆裂に巻き込まれて多少の損傷を被りながら、蹴鞠のように吹き飛ばされていく。
 それをすぐさま、蒼雷の彼が追う。
 体勢を立て直すまでに到着するのは容易だと、強化された脳髄が彼にそう告げていた。
 だが――


「【典開】」


 少女の声が響く。
 瞬間、ガンヴォルトは異様な寒気に背筋を凍らせた。
 空中で姿勢を安定させている最中の少女。その、小さな手に。
 黒い、どこまでも黒い、宇宙の闇とも瞼の裏の黒ともつかない――黒い槍が、生まれた。

 ガンヴォルトは、その本来の主を知らない。
 この界聖杯の中で恐らく最も傲慢で、そして最も道理に憚ることをしなかった男。
 少なくとも"強さ"にかける欲望は欲深の殿堂である海賊達すら及びもつかなかったに違いない。
 それほどまでに強く、果てしなく貪欲に強さを追い求めた混沌の覇王。
 ベルゼバブという怪物が握っていた槍の凶悪無比さを知らない彼でさえ、あれが何か途方もない物だということは確信出来た。
 ……本家本元の混沌(ケイオス)に比べれば、ほんの一握ほどの脅威度しか宿さない模造品(レプリカ)であるにも関わらず。


 ――やっぱり……性質の完全再現までは不可能だった…………でも――


 ベルゼバブの消滅に伴い、ケイオスマターも全てこの界聖杯内界から消滅した。
 が、シュヴィはその前に乱戦の中で撒き散らされた一欠片を掠め取っていたのだ。
 それを元手にして再構築し、今の今まで他の武装と共に格納していた紛い物の混沌。
 それこそが、今シュヴィが取り出した黒槍の正体だった。

「これでも……あまりに、充分すぎる…………!」
「――――ッ!」

 戦慄と共に放った雷の鎖が、さも当然のように払い除けられた。
 スペシャルスキルでさえ一撫でで吹き飛ばす槍を片手に、シュヴィが突貫してくる。
 防御か。迎撃か。ガンヴォルトは一瞬の逡巡の末に後者を選んだ。
 この少女を相手に後手に回るのは何よりも避けるべき事態だと。
 前回の、そして此処までの戦闘を通じてそう理解していたから臆さない。
 雷剣を振り翳し、雷速の踏み込みと共に一閃刻まんと疾駆する。

 その判断は、正しい。
 機凱種とは"なんでもあり"の種族だ。
 手数の怪物。手札の化物。
 次から次へと凶悪極まりない武装を釣瓶撃ちしてくる手合いに先手を許すなど、自殺行為以外の何物でもない。

 正しいには、正しかった。
 だが――

「ぐ、ゥ……!」

 それは、シュヴィによる力ずくの後の先で一転悪手に覆される。
 シュヴィは決して近接戦闘に優れたサーヴァントではない。
 むしろ不得手と言ってもいい。
 かつての鬼ヶ島で宮本武蔵に対してやったような、適度な距離を保ちながらの集中砲火こそが彼女の勝ち筋の正道だ。

 だがそんな大前提の事実を、この模倣されたケイオスマターは当たり前のようにぶち壊した。
 重い。明らかに身体能力の性能が先ほどまでのそれと違う。
 まるでこの槍自体が意思と指向性を持って、シュヴィを強く高め上げているかのような不条理。
 意味不明な事態に苦い顔をするガンヴォルトだったが、驚いているのは当のシュヴィも同じだった。

 ――……びっくり………。欠片一つでこんなにうるさいんだ……―― 

 身体が勝手に動く。
 解析を待たずに、これが最適だとばかりにシュヴィを動かしている。
 ベルゼバブは既に界聖杯を去り、この槍に埋め込まれた一欠片のケイオスマターは今や単なる遺留品でしかないが。
 それでも、己の持ち物を遣うからには半端は許さんとばかりに槍そのものが不可解な引力を持って自分を動かしているのをシュヴィは感じていた。

 だが、利用しよう。
 呑まれない限りは、道具として使う。
 それにこの熱は、きっと有用だ。
 これは、機凱種(わたしたち)にはないものだから。


(尋常じゃない)

 ガンヴォルトは戦慄しながら、黒槍の猛攻と相対していた。
 一撃打ち合うごとに腕が軋む。雷剣は此処までたった数合の衝突で、既に弱々しく点滅し出してしまった。
 これと殴り合うなど馬鹿げている。その発想からしてずれていると言う他ない。
 ならば距離を取るか。だが――そうなればあちらは、また大火力の限りを尽くして追い回してくるだろう。

(どっちに進んでも地獄、か……!)

 ガンヴォルトは此処で、完全に光が途絶える前に雷剣を投擲した。
 イミテーション・ケイオスマターの切っ先がそれと真っ向衝突し、当然のように粉砕する。
 気の滅入る光景だったが、此処までは想定の範囲内。
 彼が続いて敢行したのは、あろうことかシュヴィのお株を奪う引き撃ちだった。

 ――『ライトニングスフィア』。
 生成する雷球のサイズを更に小型化し、その分普段の数倍以上の弾数を用立てる。

「吹き荒べ――《LIGHTNING SPHERE》!」

 それに対するシュヴィの対応は、やはりと言うべきか追撃だった。
 イミテーション・ケイオスマターを片手に、雷球の嵐の中へと身を躍らせる。
 次から次へと砕け散っては消えていく、雷球達。
 何の足止めにもなっていないのは明白だったが、しかしこれでいい。

 一度は取った距離を、今度はこちらから詰める。
 一見すると無駄な行為だが、重要なのはシュヴィが別口の処理に手間を割いた直後であること。
 隙と呼ぶにも遥かに及ばないだろう、ほんの一瞬。
 だがそれも、雷霆の彼ならば――蒼き雷霆のガンヴォルトならば。

「獲らせてもらうぞ、アーチャー!」
「……………………!」

 破裂した雷球が生む一瞬の閃光。
 その向こうから、一本の矢が如き速度でガンヴォルトが再来する。
 接近を果たすなり黒槍が彼の喉笛を狙うが、来ると分かっていれば避けることも必然可能。
 自動防御に頼るのではなくちゃんと確実に回避し、その上で渾身の雷霆をシュヴィの胴へと叩き込んだ。

「…………か、……は――――ッ」

 確かな手応え。
 内部の機構を幾つか潰した手応えがあった。
 体内から体表へと、蒼白い火花が噴き出しているのがその証拠だろう。
 となれば此処で引き下がる道理はない。

 此処で地面へ叩き落とす。
 飛行の優位性を奪った上で、最大火力を打ち込んで仕留める――冷静にそう判断したガンヴォルトだったが。


 次の瞬間彼は、恐るべき黒槍の表面が沸騰するように泡立っているのを見た。


(……なんだ……?)

 とはいえやることは何も変わらない。
 怯むな。気圧されるな。
 自分に言い聞かせながら右手に雷霆を煌かせたところで、ガンヴォルトは自身の足に鋭い痛みを覚えた。

 そこに突き刺さっていたのは、ガンヴォルトもよく知る武装だった。
 避雷針(ダート)。この戦闘でも何度となく使用している飛び道具である。
 それが右足の甲に、深々と突き刺さっている。
 そう気付いた瞬間には、確かに空へと跳び上がり、ホバリングして滞空状態を維持しながら戦っていた筈の彼の身体が――

「――ッ、何……!?」

 真下へと、まるで何かに引っ張られるように超高速で墜落を始めた。
 理解不能の事態の中で、ガンヴォルトは自分の足に突き刺さったダートから伸びる極細の糸を視認する。
 共鳴によって解析能力を得ていなければ、とてもではないが視認することなど困難だったろうか細い糸。
 いや――正確に言うと、糸のように見えるほど細い鎖。

(……ヴォルティックチェーンか!)

 雷に対する制御能力で、既にシュヴィはガンヴォルトにかなりの水をあけていた。
 先のあまりにもあまりな無体さに変化したライトニングスフィアの猛威は記憶に新しいだろう。
 それほどまでに卓越した制御が可能なシュヴィであれば、スペシャルスキルを攻撃でなくこうして搦めに転用することも朝飯前だ。
 引き落とされながら、ガンヴォルトは次の攻撃を必ず迎撃するべく魔力を回す。

 今、ガンヴォルトは身動き取れない落下中の身だ。
 言うなれば絶好の攻め時であり、あの機械人形がこの機を逃すとは思えない。
 仕損じれば死ぬ。見誤れば死ぬ、油断すれば死ぬ、足りなければ死ぬ。
 喧しいほどに鳴り響く本能の警鐘は今の彼に言わせれば丁度良いくらいだった。
 来るなら来い。空を穿ち、消し飛ばしてやる。
 そう猛るガンヴォルトはしかし、次の瞬間それでもまだ想定が甘かったのだと思い知らされることになる。

 空――天使のように佇む機凱種の右手に握られた、黒き槍。
 それが脈を打っている。黒い心臓という言葉が、少年の脳裏を過ぎった。
 錯覚などでは断じてない。まるであの槍そのものが一つの生物であるかのように蠢いては震えを繰り返している。
 怯えているのか。否、違う。そんなわけがあるものか、"彼"に限って。
 "彼"より零れた欠片の一つが、斯様に軟弱な姿など晒すわけがない。
 であれば震えの意味は、決まっている。
 闘争と殺戮。蹂躙と踏破。覇の道を貫く、混沌の渇望――即ち。


 武者震いだ。


「黒に、染まり…………
 無へと、回帰せよ…………!」


 これは、さしずめ妖刀の類によく似ていた。
 真剣の蒐集家は、その刀の生死や息衝きを握った瞬間に感じ取るという。
 死んだ刀はただ静かに眠り、冷たく鈍い感覚のみを届けるが。
 荒ぶる刀は脈を打つ。熱を持って、握った者の手足から心臓へと衝動という名の鼓動を送る。
 それが特別極まった刀のことを、人は畏れを込めて妖刀……呼んで字の如く、妖しき刀剣と呼称したのだ。

 もちろん、シュヴィ・ドーラはそんな好事家の薀蓄じみた理屈になど造詣はない。
 だがそんな彼女でも、この槍を握ればその一端を感じ取れた。
 これは自分が持つどの武装とも違う。明確に、意思の残滓を感じる一振りだ。

 黒の偽槍が輝く。
 暗く、黎く、輝きながら光全てを飲み込む闇の極点が瞬く。
 シュヴィは闇(ヒカリ)の禍槍を、真下へ引かれて墜ちるガンヴォルトに向け投擲した。
 闇の流星に美しさはない。あるのは、怖気が走るほどの暴性のみだ。
 ガンヴォルトが自分の想定の甘さを悟ったのはこの時点でのことだった。


「【典開】――――ケイオスレギオン・アポクリフェン」


 ただ投げつけられた、破壊の一撃。
 天地神明、万物万象に対して破壊以外の何も齎さない混沌の一槍。
 瞬間、世界の全てが衝撃と閃光によって黒く塗り潰された。
 破壊の規模では先の『偽典・焉龍哮』には遠く及ばないが、その分局所に対する破壊力ならばこちらが遥かに上を行っている。

 直撃すれば比喩でなく、ガンヴォルトは霊基ごと爆散していただろう。
 威力も貫通力も破格を極めている。何しろ今シュヴィが放ったケイオスレギオンは、試行錯誤の果てにベルゼバブが行き着いた結論の一つだ。
 混沌を槍の形に収束させて放つ。範囲ではなく点への火力を高め上げることを狙った、対海賊・対侍・対煌翼用に仕立てた殺戮兵器。

 奇しくもシュヴィも、その使用法に行き着いていた。
 というより、これが一番理に適っていたから必然的にそうなったというのが正しかった。
 一欠片のケイオスマターを素に鍛え直した模造品の黒槍。
 シュヴィの力では肥大化も放出も難しかったため、最も効率的に敵を殺傷できる用法となると投擲という形に行き着くのは自明だったのだ。

 白煙の中から、槍を引き戻す。
 右手に黒槍を握りながら、シュヴィは小さく呟いた。

「魔力反応、依然残留――殲滅行動を続行」

 そう、ガンヴォルトは生きていた。
 シュヴィの目を欺くことは不可能だ。
 気配遮断に長けるアサシンですら、かの天与呪縛のような例外でもない限り彼女の前でその存在は筒抜けとなる。
 渾身の一撃だった。それを防がれたことに多少の驚きはあったが、しかしやることは変わらない。いや、むしろ単純になったとすら言える。

 感じ取れるガンヴォルトの魔力が、明らかに弱くなっていたからだ。
 あのケイオス・レギオンを生き延びたのは凄まじいが、しかし相当な無茶をするのは避けられなかったらしい。
 衰弱している。傷ついている。消耗している。であれば、手数に物を言わせられるシュヴィにとっては願ってもない状況だ。

 ――もう一度、『偽典・森空囁』を放って……確実に仕留める……。

 無数の真空刃で炙り出し、それでも足掻くようなら今度は焉龍哮の出番だ。
 どう足掻いても負けはない。シュヴィの脳裏では既に、ガンヴォルトへの王手(チェック)が成立していた。
 後は試行錯誤を重ねて王手を完全なる詰み(チェックメイト)に変えるだけの作業である。
 武装典開。混沌の流星を受けて死に体同然に疲弊した雷霆を引き裂くべく、シュヴィは森精種の秘技を此処に呼び出さんとした。


 そこで。シュヴィの思考に、異物が一つ割り込んだ。


「………………?」


 ――気配……?
 ――こっちに、近付いてきてる……?

「新手……?」

 呟いた小さな声色が。
 けたたましい、鼓膜を引き裂くようなバイクの音色に引き裂かれたのは数秒としない内のことだった。


 ――――ヴゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウン!!!!!!!!
 ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ!!! ヴゥウウウウウウウウウウウウヴヴヴヴヴヴヴヴ!!!!!
 ヴウンヴウンヴウンヴウン!! ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴウヴヴヴヴヴヴヴン!!!! ヴンヴン!!!!
 ヴァヴァヴァヴァヴァヴァヴァヴァヴァヴァヴァ!!!! ヴァァァヴァヴァヴァヴァヴァヴァヴァ!!!!
 ヴァァァァァァヴヴヴヴヴヴヴヴヴ!!!! ヴォオオオオオオン!!! ヴゥウウウウウウウン!!!!
 ヴゥウウウウガガガガガガガガ!!!! ヴゥウウウウウウウ―――――───ンンッッッ!!!!!


 下品。騒音。
 粗暴。粗雑。
 無粋。醜悪。
 この世のありとあらゆる罵詈雑言が当て嵌まるような音響の暴力が、世界全てを劈きながら地平線の向こうから現れた。
 シュヴィの大規模破壊攻撃によって均された廃墟の町、さながら世紀末の一丁目のような末法の世をバイクに乗って駆けてくる。
 撒き散らす爆音。掻き鳴らす粉塵。その現れ方は信じられないほどド派手なのに、相反してシュヴィの下に届いた魔力反応は小さかった。
 今まさに止めを刺そうとしていた雷霆の君よりも、間違いなく二段は下。

 そんなこともあって、シュヴィは一瞬。
 時間にしてほんの一瞬ではあるが――心から困惑した。

(……なにあれ)

 なんだってあんな芸もない登場をするのか。
 まるで見せびらかすみたいな登場は、合理では説明できない不合理に満ちていた。
 とはいえ、英霊としての格が大したことないのなら取るべき対処は単純でいい。
 シュヴィは予定通りに『偽典・森空囁』を解放/典開。
 ガンヴォルトも新手のバイク乗りも、纏めて微塵に切り裂いてしまう。

 迫る刃を前にして、バイクが宙へと浮いた。
 鋼の騎馬から伸びているのはチェーンだ。
 それを使い捨て前提で真空刃に絡め、切断されながら空を進むというウルトラCを成し遂げる。
 無茶苦茶。滅茶苦茶。道理も合理も糞もない、たまたまできているだけの向こう見ず。

「あンのクソ王様野郎に言われて来てみればよォ~! ちょうどよく潰し合ってくれてんじゃねェかァ~~!!」

 騎手は、異形の姿をしていた。
 顔面から生えたチェンソー。
 叫ぶ言葉は、バイクの音色にも負けず劣らず下品で粗暴だ。
 見ればバイクの運転方法も滅茶苦茶である。チェーンを車輪に搦めて無理やり動かし、挙動を自分に制御できるそれに変えた上で運転している。
 運転技術はないに等しい。
 そこらのツーリングが趣味の若者を捕まえてきた方がまだ上手いだろうそれは、とてもではないがライダークラスの騎乗とは思えなかった。

「漁夫の利いただいてくぜ~!? このチェンソーマン様がよォ~~!!」

 チェンソーマン。
 そう、彼の名はチェンソーマン。
 やることなすこと全てが無茶苦茶で滅茶苦茶で破茶滅茶。
 悪魔でありながら悪魔を狩り、時に恐怖を時に畏敬を集めて回る地獄のヒーロー!

 その背中に、ちいさな――銀月の少女を背負いながら。
 颯爽登場したチェンソーマンは、百もの刃を乗り越えて機凱種の少女へと肉薄した。

「ラアアアアァアアアアアアアア!!!!」

 戦況が変わる。
 不穏分子が、かき乱す。
 因縁の対決。『歌』と『記憶』、受け継ぎし者達の邂逅。

 知ったことかと、チェンソーの音がそれを引き裂く。
 無粋も無粋。無作法も無作法な常識外れの乱入劇。
 しかしそれも、彼らにとっては立派な正道だ。
 予定調和を壊し、定石を乱し、全部グチャグチャにしてブチ壊す――それこそ、敵(ヴィラン)の本懐なのだから。

 彼の名はチェンソーマン。
 されど今は、ヴィランの尖兵。
 いつか魔王と果たし合う、月の天使の友人(ウェポン)。
 漁夫の利、滅茶苦茶、一人勝ち。
 想定し得る限り最大の戦果を貪欲にも求めて、彼はこの一騎討ちに横から堂々名乗りをあげた。


◆◆


「ふん」
「うわあああああああああああ!!!!!!」

 シュヴィが黒槍を振るう。
 それが、チェンソーマンの駆るバイクから伸びたチェーンを引きちぎった。
 更に前輪も容赦なく薙ぎ払い、亀裂と衝撃に耐えられず彼の愛馬は哀れ海ならぬ空の藻屑と化す。

「俺のチェンソーマンバイクがアアアアア!?」

 空中に投げ出されながら、チェンソーマンは悪足掻きのようにチェーンを伸ばした。
 相手の身体に巻き付けての無理やりの戦闘継続か、引きずり下ろしての近接戦を狙った咄嗟の判断は悪くない。
 だが、逆に言えば今の彼に取れる選択肢はそのくらいしかないということでもある。
 シュヴィは至って落ち着き払ったまま武装を展開。機銃掃射で騎馬を失ったライダーをその主もろとも蜂の巣にせんとした。

 ……余談だが、彼がこの時駆っていた"チェンソーマンバイク"とはやたらめったらにチェーンを巻き付けて自分好みの操作性に無理やり歪めただけのとんでもなくお粗末な品物であった。
 もしもこれが、もっとちゃんとした力と経緯で誰かが拵えた"超(スーパー)"のつく逸品だったなら話も違ったのだろうが、所詮彼一人の頭脳と力ではこの程度が限界だったらしい。

「わ。おちるよ、らいだーくん!」
「お前置いてくりゃよかったァアアアア! 田中のおっさんから『アイ』さん借りてくればもっとよかった!!」
「こんな時でも女の人のことはわすれないんだねぇ」
「男の子だからなぁ!」

 どしゃーん! と盛大な音を立てて、少女とそれを抱えたヒーローが地に落ちる。
 しかし子守りはもはや慣れたもので、しっかり抱きかかえたままの着地に成功していた。
 冷や汗を拭いながら、チェンソーマン……改めデンジは空の少女を睥睨する。
 よくも俺のバイク(盗品)を。そんな恨みつらみの念がそこにはこれでもかと込められていた。

 そんな彼の存在を、じっと見つめる影が一つある。
 言うまでもなくそれは蒼き雷霆、ガンヴォルトその人だった。
 デンジの乱入により期せず助けられた彼。
 その眼差しはしかし、デンジではなく。
 彼が抱えている小さな少女の方へと向けられていて。

「キミ、は……」

 つい数刻前に感じた、気配。
 ほんの一瞬、すれ違った少女。
 見間違う筈もない。彼女のサーヴァントである以上、それだけは許されない。
 声に気付いたのだろう。怪訝な目を向けるデンジをよそに、ガンヴォルトは続けた。

神戸しお、だね?」
「うん。そうだよ」

 その答えを以ってこの時、ようやく真の意味でガンヴォルトは"彼女"との邂逅を果たすに至った。
 飛騨しょうこと松坂さとう。そして神戸あさひの物語の中心に常にあり続けた一人の少女。
 甘く甘い、それでいてひどく苦い、甘みと苦み/幸福と不幸の螺旋のような物語。
 砂糖菓子の日々(ハッピーシュガーライフ)の主要人物、その最後の一人。
 神戸しお――、一度は運命を分かった少女が今。
 劈くチェンソーの音色に抱えられながら、ガンヴォルトの前へと再度現れていた。

「あなたは、さとちゃんのサーヴァントさん?」
「……ああ。今はそうだ」
「今は、ってことは……前はちがったの?」
「いろいろあってね。でも今のボクは間違いなく、彼女のサーヴァントだよ」

 キミが、そうなのか。
 しおを見つめるガンヴォルトの目には感慨のようなものがあった。
 思っていたよりも小さい。そして、幼い。
 なのにこの凄惨な戦場の中に立ちながら、物怖じ一つしていない。

 ――愛、か。
 ガンヴォルトは此処に来て飽きるほど聞いたその単語を思い出していた。
 愛は不可能を可能にする。愛は、ヒトを強く変える。
 思えば彼女が見せたのも、彼女が変わったのも、全てが愛だった。
 自分とあのふたりの旅路は、いつだって愛に支えられていた。
 そして今、こうしてようやく真に邂逅できた少女もまた、夜空のように深い愛をその幼い眼差しに湛えていて。

 松坂さとうと、神戸しお。
 甘く、甘い、その日々が。
 決して一方通行のものではない、相思の賜物なのだとガンヴォルトはそう理解した。

 死がふたりを分かつまで
 いや、死がふたりを分かつとも決して揺るがないもの。
 脳裏を過ぎる懐かしい"彼女"の顔、笑顔と歌声(こえ)はまるでその在り方に触発されて行われた自動再生のよう。
 ガンヴォルトは小さく拳を握りながら、しおではなく彼女を守るチェンソー頭の防人に視線を向けた。

「そう訝しまなくてもいい。ボクは君達に対して敵意はない」
「俺ぁあの子が味方の方が良かったけどな。何だって俺が手ぇ組める奴はこうも毎回男なんだよ」
「……意味が分からない。この状況で性別の違いに何の意味が?」
「決まってんだろ。可愛い女と一緒に戦えた方がアガるだろうが……まあでもウン、ありゃちょっと小さすぎか。犯罪者にゃなりたくねえからな」

 倒錯しているのか――ついそんな感想を抱いてしまうガンヴォルトだったが、与太話に興じている余裕は生憎とない。
 空から放たれ迫る爆撃を雷霆で切り払いながら、彼は話を続ける。

「さっき一度すれ違ったな」
「あ~? 悪いな。あん時の俺は俺じゃねえんだ。だからアンタとはこれが初対面だぜ」
「とはいえ、今の会話を聞いていれば分かっただろう。ボクは――松坂さとうのサーヴァントだ」
「……まあ、な。"さとちゃん"のサーヴァントなんだったら、そりゃ俺らと揉める気はねえよな」
「此処から北西の方にさとうを避難させてる。しおをそこまで逃がすんだ」

 シュヴィ・ドーラは怪物だ。
 生前から今ままで数多の能力者や兵器を相手取ってきたガンヴォルトでさえ、そう評価せざるを得ないほどにあの少女は強い。
 演算。状況判断。火力。手数。そして純粋な手札の数まで、何から何まで反則じみている。
 少なくともあれを相手にマスターを守りながら戦うなどほぼほぼ不可能だ。
 更に、理由はそれだけではない。

「あのアーチャーは攻撃に載せて毒を撒く。英霊の魂まで蝕む猛毒だ」
「マジかよ。やり口エグすぎねえ? なんかの条約に引っ掛かんじゃねえの?」

 彼女が撒き散らす汚染物質……霊骸。
 あれが何よりのネックだった。
 地獄への回数券を服用していれば多少は被毒を抑えられるかもしれないが、相手は英霊さえ冒す毒素なのだ。それで十分だとは到底思えない。
 だからこそガンヴォルトは、いざという時の危険は承知でさとうを避難させた。

 本当ならば守りながら戦うのが一番なのだろうが――それはあまりに不可能を極める。
 初撃で見せた規模の破壊兵器を連発されるだけで、ガンヴォルトは容易く詰むだろう。
 そして相手はその手の選択も躊躇なく行える、合理と効率の殲滅兵器だ。
 マスターを戦場に同伴はさせられない。彼の進言を受けたデンジも、それには納得するしかなかったようで。

「話聞いてたろ。俺らが引き受けてる間に行きな」
「うん。ありがとね、らいだーくん」
「ガキのお守りしながらあんな戦争女と戦うのは勘弁だぜ。いいからさっさと――」
「さとちゃんに会えるの、らいだーくんが乗せてきてくれたおかげだから」

 あの一瞬。
 すれ違うように会えただけでも十分だった。
 それだけでも、最後まで戦えるだけのエネルギーを貰うことができた。

 けれど運命とは数奇なもの。
 巡り合わせとは、不思議なもの。
 いや。数奇でも不思議でも、ないのかもしれない。
 死すら超えて愛し合うふたりが同じ世界に存在しているのなら。
 ふたりが引力のように引き合って、離れてもまた巡り合うのは――当然のことなのかもしれない。

 だけど。
 此処まで自分を連れてきてくれた……乗せてきてくれたのは、紛れもないこのぶっきらぼうで欲望に素直な友人だから。
 だからしおは、ちゃんと"ありがとう"を言うことにした。
 さとうと出会うよりも更に前。親切にして貰ったらお礼を言いなさいと、そう教えてくれた気がする。

「後でさとちゃんのこと、らいだーくんにも紹介するね。すっごくかわいいんだよ」
「……うんざりするほど聞かされてきたけどよ。そんなにかわいいの?」
「うん。さとちゃんよりかわいい子、私知らないよ」
「へぇ~……。じゃあ運賃代わりによ、後で俺も挟ま」
「それはだめ」
「やる気なくしたァ~」

 彼らは、彼女らは、"別れ"の味を知っている。
 それはいつだって、突然にやってくるものだ。
 昨日まであったものが、ある日急になくなる。
 さっきまで普通に生きていた人間に、もう二度と会えなくなる。
 それでも、彼らは別れを恐れない。
 まるでちょっと買い物に出かけるみたいに軽口を叩き合って、そのまま相手に背を向ける。

 しおが駆け出した。
 シュヴィとて、みすみす逃げるマスターを逃すつもりはない。
 すぐさま追撃行動へ移ろうとするが――その足にチェーンが絡み付き、それを辿ってチェンソーマンが接近する。

「カップルの間に挟まろうとする奴は嫌われんだぜ。知ってたかよ、アーチャー」

 幾多の悪魔を屠り地獄に還してきたチェンソーと。
 もういない混沌から受け継いだケイオスマターが、激突する。
 ギャリギャリと激しい音を鳴らしながら回転する刃でさえ、ケイオスマターを素に作られた偽槍を害することは困難だ。
 散る火花と共に刃こぼれが目立ち始めるチェンソー。
 シュヴィの脚が彼の腹部を蹴り抜き、上空百メートル超えの高所から大地へと真っ逆様に墜落させる。

 その上で放つ大火力砲撃の雨霰。
 それはデンジを木端微塵に消し飛ばすかに思われたが――彼に辿り着く前に、噴き上がった稲妻の束によって逆に跡形も残らず掻き消された。

「――オッケー。敵じゃねえってのは本当みてえだな」
「試したのか?」
「仕方ねえだろ。こちとら味方だと思ってたら実は、なんて展開が日常茶飯事なんだよ。カマくらいかけるぜ」
「いや、結構だ。そのくらい用心深い方がボクとしても安心して背中を任せられる」
「気持ち悪い表現使うんじゃねえよ。男と背中合わせなんてサブイボだぜ」

 そう、これは共同戦線。
 デンジ一人ではシュヴィに勝てないだろう。
 ガンヴォルト一人でも、その火力全てを破って命脈を断つのは至難の筈だ。
 だが今、彼らはふたり。あるふたりの少女と、彼女達が紡いだ愛の物語が引き寄せた異界の縁。

 顔を合わせるのは初めて。
 言葉を交わすのも、言わずもがな。
 それでも彼らはこうして共に立てる。共に、立ち向かえる。
 彼らは隣人だ。どうしようもなく愛に生き、その果てに終わった少女達。
 閉鎖と自閉の末に歪み果てた運命に与えられた延長戦に列席することを許された、彼女らの友人達。

 雷が舞う。
 電刃が、猛る。
 見下ろすのは機凱種の冷眼。
 悪魔にさえなる覚悟を決めた少女に迷いや躊躇いは期待できない。

「もう一つ聞いとくぜ。あいつらの方に何かあったらどうすんだ」
「心配無用だ。詳細は省くが、すぐに向かえる手立てはある」
「そりゃ何より。目の前の戦い以外にごちゃごちゃ考えなきゃいけないのは苦手でよ」

 武装が展開される。
 鋼の翼が、著しく肥大化する。
 ガンヴォルトから流れ込んだ力をも糧に、今なお機能の拡大を続ける機凱種。
 再び龍の咆哮が轟き渡ったその瞬間、既に愛の隣人達は駆け出していた。

 これは砂糖菓子の日々、その未来を守るための戦い。
 さとうとしお、比翼と連理が再び巡り合った証明のように。 
 彼女達が心を通わせ、己が命運を預けた英雄達が舞い踊る。


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最終更新:2023年08月27日 23:38