そも、NPCとは何なのか。
 ノン・プレイヤー・キャラクター。
 ゲーム盤に対し独創性を持って介入することのできない駒。
 つまりチェスやこの日本で言う将棋の駒はNPCとは呼べない。
 何故なら彼らは対局者(プレイヤー)の意思に基づいて戦場を駆ける存在だから。
 例に出すなら小説の登場人物の方が適当だろう。
 彼らは筋書きに縛られている。
 物語というシステムにその生誕から末路までを余すところなく支配されている。
 頁を捲る読者の手に合わせて言葉を発し、動き、生きて死ぬ存在。
 不確定要素の介在する余地が一切ない、完全にコントロールされた登場人物。
 まさに"操作不能の(ノンプレイヤー)"キャラクターだ。
 では此処で、我々が今囚われているこの世界にその前提を重ね合わせて考えてみる。
 界聖杯が自身の体内で主催した此度の聖杯戦争におけるNPCも、この定義に当て嵌められる存在と呼んでいいのか。

 その答えは恐らく否である。
 界聖杯がNPC(以下『界聖杯NPC』と呼称する)に与えている『空白』は明らかに過ぎたものだ。

 後天的に激しい精神的刺激を与える事で彼らは『可能性』を萌芽する。
 つまり彼ら界聖杯NPCの内部には、本来あるべきでない『可能性』というデータの入り込む空白が存在していると考えられる。
 我々の敵性勢力が目を付けたのは此処だ。
 これはともすれば聖杯戦争の前提を崩壊させかねないセキュリティホールである。
 界聖杯NPCとマスターを区別する要素である『可能性』の後天的付与はそれ即ち魂の容量を増やす事に直結するからだ。
 この陥穽を利用した魂喰いは従来のパワーバランスを大きく崩す要素になり得るし、現時点では理論上の話に過ぎないがマスター権限を手に入れて"奈落を上がる"界聖杯NPCなんて存在が出現する事態さえ考えられる。
 界聖杯が人形達の中に空白を残したのが単なるミスなのか。
 それともこの仕様が齎す混沌を期待しての布石だったのかは現状不明。
 私見を述べるならば、今回の聖杯戦争には特定主従に対しての討伐令発布等の戦いを加速させる要素が極端に不足しているように見受けられる為、戦況の極端な遅滞――現実には野放図に暴れ回るイレギュラーの存在により、遅滞どころか寧ろ急加速を辿っていたが――を解消する為のある種スパイス的な要素として残していたと考える事は可能だと感じる。
 話を戻そう。界聖杯が何故陥穽を残したのかは少なくとも我々にとってはそう重要なファクターではない。
 我々が注視すべきなのは、そもそも何故空白は生まれたか。
 何故其処に空白があるのかの方だ。
 倫理や配慮は抜きにして事実のみを並べ上げた場合。
 聖杯戦争におけるNPCの存在の意味は大きく分けて二つだろう。
 一つは世界に社会を作る為。マスターという木を隠す森を作る為。要するに背景としての存在意義。
 そしてもう一つは魂喰い。魔力の補填と戦力増強で戦術に幅を生む為。要するに餌としての存在意義。

 そう。彼らは背景であり餌なのだ。
 マスターの都合で生まれマスターの都合で消費され、世界の都合で絶滅させられる家畜化動物であると言っていい。
 にも関わらず、何故そんな彼らの中に都合よく可能性が収まる空白なんて物が存在しているのか?
 喰われて終わるか世界ごと畳まれるかの存在に発展の余地を与える等、普通に考えれば意味はない。
 界聖杯に諧謔や死にゆく者の風情を嗜む嗜好があるとも思えない以上、これは極めて不可解な謎である。

 ――Why done it(なぜ犯行に及んだのか)?

 私は其処にこそ、我々『方舟勢力』にとっての希望があるものと考える。
 拙論に記す『世界の秘密』の論考が、彼女達の『航海図』の支えになればこれ以上の喜びはない。

   ◆  ◆  ◆

 時が止まる錯覚を覚えた。
 知らぬ顔ではない。
 そんな筈がない。
 其処にあったのは男が世界の何よりも求め悔やんだ少女の顔で。
 自他の全てを犠牲にしてでも救ってみせると誓った、願う未来の前身だった。
「君、は…」
 初めて会った時の記憶が蘇る。
 走馬灯という喩えは今の彼には冗談にならないが。
 アイドルとプロデューサーの関係として凡そ最悪と言っていいだろうファーストコンタクト。
 それでもオーディションから這い上がってきて、晴れてアイドルの座を勝ち取ったみずみずしく輝く少女。
 かつてシューズを捨てて去っていった後悔の象徴が…自分という愚かな男を何度でも立ち上がらせてくれる偶像が。
「話聞いてました? 知った顔相手に二回も名乗るのとかヤなんですけど」
 身の丈に合わない労苦を自らに課し続けた男の前に立っていた。
 男の失敗は、自分の持つ可能性の幅というものを見誤った事。
 超人にはなれない。自分はつまらない只の凡人だ。
 そう自罰しながらも、彼は自分の体に負担を掛けるのを止めなかった。
 最後に一つ輝くものを掴み取れればそれでいいと言い聞かせながら歩み続けた。
 その結果がこれだ。
 似合わない蝋の翼は天への到達を待たずして溶け落ち、既に墜落が始まっている。
 では今彼が見ているのは末期の幻覚なのか。
 消えた筈の"彼女"が肉体の衰弱に合わせて再び顔を出してきたのか。
 言うまでもなく、違う。
「にちかですよ。あなたに随分愛されちゃってる、なんだか色々吹っ切れちゃったどんぐりです」
 今は石ころって名乗りそうになりますね。
 そう言って肩を竦める姿は幻の彼女とは違っていた。
 何様の目線で言うのだと自分でも思うが――大きくなった。
 見た目ではなく精神的にひどく成長した。そんな印象を受けた。
「なぁにやってんですか人の見てない所で。ブラックなんだろうなぁとは薄々勘付いてましたけど、それにしたって行き過ぎでしょ」
 本物だ。
 この彼女は…いや。
 彼女達は、間違いなく本物。
 馬鹿な男を探して此処までやって来た輝き達。
 崩れ落ちないようにするだけで精一杯だった。
 覚悟は決めていたつもりだったが、やはり頭の中で想定するのと現実にそれと向き合うのとじゃ話が全く違う。
 刹那にして脳裏を駆け巡る彼女達と過ごした輝く時間。
 色とりどりの眩い輝きで溢れた、儚い春のような一時が嫌でも思い出される。
 気付けばプロデューサーは笑っていた。
 場違いとは承知の上だ。
 しかしそれでも、彼はこれ以外に取り繕う手段を知らなかった。
「…ははっ。そうか――」
 何処までも締まらない男だ。
 ああも悟った風な事を言っておいて、すぐにこの様とは。
 命を削るような心臓の鼓動がいつの間にか和らいでいた。
 猗窩座が戦闘行為を中断したのだと察し、其処で改めて悟る。
 どうやら自分は詰んだらしい。
 最後の最後に清算しようと思っていた因縁が気付けば自分を取り囲んでいた。
 今此処は逃げ場のない檻の中。
 逃げ出す事も目を背ける事も、もう出来ない。
「――来てしまったんだな、にちか」
 来てくれたんだなと言いかけた。
 思い留まって言葉も直せた事には我ながらよくやったと自賛したくなる。
 それは自分が口にするべき言葉ではないからだ。
 何もかもを裏切り、振り回して、悲しませて。
 そうしてこの行き止まりまで流れてきた男が言っていい台詞ではない。
 でもその言い草は寧ろ彼女にしてみれば不服だったようで。
 『七草にちか』は唇を尖らせ、眉を顰めて口を開いた。
「なんですかそれ。散々子どもに心労掛けた大人の言い草じゃないでしょ」
 彼女達の祈りを知っている。
 直接全て見てきた訳では勿論ないが。
 あの"お日さま"との再会と対話は彼にそれを知らせるのに十分過ぎた。
「…まぁ、そういう恨み言はこの際後にします。
 言いたい事は山程……ほんっっっっとに山程ありますけど、長々と話してられそうな顔色には見えませんし」
 思ってくれたのだろう。
 考えてくれたのだろう、沢山。
 心を引き裂くような葛藤と煩悶が其処にはあったに違いない。
 先頭に立って自分と向き合うにちかは勿論。
 それを見守る紫の少女の顔からもその事がハッキリと伝わって来た。
“今更だが…俺はプロデューサー失格だな”
 最早そう名乗る事すら烏滸がましい。
 仮に赤の他人の立場からこの光景を見たならばその時自分が覚える感情は間違いなく義憤であったろう。
 ――君がアイドルにそんな顔をさせてどうする。
「まず、私が一番伝えたかった事を言いますね」
 浮かび上がる今更の言葉を掻き消すように、風前の灯と向き合った偶像の少女は言った。
「私、アイドルになります」
 その言葉は。
 この世界で味わったどんな苦痛よりも燦然と輝く衝撃になって響いた。
 数多のアイドルを見てきた男だ。
 にちかの顔を見てすぐに、今の彼女が後ろを向いていない事は分かった。
 其処には輝きがあった。
 挫折と失敗。何度も現実を思い知らされて傷付きながらも、転がるように我武者羅に前へと進んでいたあの頃のままの。
 輝きが、あった。
「話すと滅茶苦茶長くなっちゃうんですけどね。応援してくれた人が居たんです」
 だからもしやと思った。
 その言葉が出る事を予想出来なかったと言えばきっと嘘になる。 
 しかし繰り返すが、頭の中で想定するのと現実として向き合うのは全く違うのだ。
 苦痛に迷い。
 絶望に呪い。
 男にとってこの界聖杯で過ごした時間はあらゆる苦悶に塗れた阿鼻地獄の如きものであったが。
 彼を苛んだ如何なる苦痛も、今浴びた煌く星光のような一言に比べれば蚊の一刺しにも遠く及ばなかったに違いない。
「知ってます? 石と砂に境界線はないんですって」
 受け売りだろうなというのはすぐに分かった。
 それはにちかが言うにしては、あまりに抽象的な台詞だったから。
「元を辿れば二つはおんなじもので…どっちも丹念に磨けば宝石になる」
 "彼"に伝えられた言葉なのだろう。
 無責任な想像だが、始まりはどん底だったに違いない。
 自分の罪。育て上げられなかったアイドル。
 シンデレラの夢を自ら締め括るようにシューズをゴミ箱へ投げ込んだにちか。
 その始まりがどん底でなかった筈がない。
 そんな彼女を立ち直らせたのが、自分が最後の敵と見据えた"彼"だというのは因果な話だった。
「私ってほら、見ての通り単細胞ですから。優しく理解たっぷりに煽てられてまんまとやる気出しちゃったんですよ。
 でも知っての通り、聖杯戦争って死ぬ程ハードでしょ。肉体的にも精神的にも。
 何度となく揺さぶられて…何度となくやめたくなりました。けどそういう訳にもいかなくなっちゃった」
「…理由を。聞いてもいいか?」
「ファン一号ができたんですよ。で、その子と約束したんです」
 思い浮かぶ顔が一つあった。
 でもそれを肯定するべきではないと思った。
 "あの子"を敵と呼んだ自分にその資格はないだろうから。
 そしてその予想は的中していた。
 ファン一号なんて呼び方をすればきっと憎まれ口が返ってくるだろうが、勝手に逝った方が悪いと開き直ってにちかはそのまま話を進める。
「なみちゃんみたいになってやるから見てろ、って。
 形やスタイルを猿真似するだけの贋物なんかじゃなくて、なみちゃんみたいにキラキラ格好良く輝くアイドルになってやるって」
 ガラスの靴はサイズが合わない。
 他人の持ち物なのだから当然だ。
 にちかはいつかのシューズを選ぶしかなかった。
 華々しさも格好良さも理想にはとんと及ばない、石ころにはお似合いのシューズ。
 でもそれが今はどうしてか悪くない。
「ファンと呼ぶには性格キツい子でしたけどね。でもま、約束破るってのも据わりが悪いし…」
 くるくると髪の毛先を弄びながらにちかは言う。
「他の皆さんにも色々と、その…支えて貰っちゃいましたから。今更前言撤回なんて格好付きません」
 照れ隠しの為の動作。
 それを見て紫色の少女、田中摩美々が小さく笑った。
 分かっていたことではあった。
 彼女達は強い子だ。
 誰もが輝く為の可能性を秘めている。
 誰かになる為の翼を秘めている。
 脚本家(プロデューサー)なんて居なくたって彼女達は羽ばたけるのだ。
 ほんの少しきっかけさえあればいつだって少女は偶像に化ける。
 今のにちかはまさにその実証だった。
「だから、アイドルになります」
 彼女はまさに地獄の先に咲く花だ。
 死が渦巻く可能性の墓場で芽吹いた一輪の花。
 愚かな男が命を懸けてでも手に入れようとした未来が今この現在で眩く輝いている。
「あなたが命を懸けてくれなくたって、"七草にちか"はこうやってステージに帰ってきました」
 視界が眩むのはきっと幻でも容態のせいでもない。
 今になって蘇る言葉の群れ。
 頭の中に優しい祈りがリフレインする。
プロデューサーさんが、しあわせになれるって……信じてないと……』
プロデューサーさんがお願いする……にちかちゃんの……幸せのこと……』
『分からない、ままに……なっちゃうから……』
 いいや――駄目だ。
 自分が七草にちかの隣にいることは、罪だ。
 自分が七草にちかを幸せにすることは、できない。
 それが七草にちかの幸福に繋がろうとも、自分のような存在が手を伸ばすことなど


 宿業は両断された。
 もはや、呪いはない。

.
「…にちか」
 道化師の嘲笑は響かず。
 悪意が介入する事もないこの路地裏で、男は羽ばたく事を決めた少女に語り掛けていた。
「一つ聞いてもいいかな」
「なんですか。あんまり難しくない事でお願いしますね」
「にちかの」
 今になって銀の祈りを思い出した。
 自分に問いかけて希った少女の献身を振り返った。
 そうする事を阻む呪いはない。
 内から響く声も聞こえない。
『私を幸せにする必要なんて、ありません』
 …確かにそうかもしれない。
 泣きそうになる程辛辣な言葉だけれど、それはある種の答えだったのかもしれない。
 誰かを幸せにするなんて思い上がる事は最初から全て間違いで。
 自分がしてきた事は一から十まで只の空回りと余計なお世話でしかなかったのかもしれない。
 そう思っても口は止められなかった。
 問わねばならない。
 この体がまだ動く内に。
 そうでなければ必ず後悔するとそう思った。
 取り返しが付かなくなってから後悔するのはもう沢山だ。
「にちかの幸せって、なんだ?」
 顔は幽鬼のように蒼白で、手足は極寒の中に居るように冷たい。
 呼吸の乱れは常態化して不整脈もまた然り。
 その癖体温は酷く高く四十度にも迫る勢いだ。
 誰がどう見ても長くは保たない。
 直にマスターの資格は愚かこの世界に留まる資格すら失う事は明白な男の問いに。
 "七草にちか"は迷う事なく口を開いた。

   ◆  ◆  ◆

 結論から述べよう。
 私は『空白』の正体は、ある種の名残なのではないかと推察する。

 界聖杯が世界の垣根を越えて参加者、曰く可能性の器の招集を行っているのは周知の事実だ。
 本戦に残った人員の数こそ二十数人だが、予選段階のそれも含めればその数倍は器が居た物と考えられる。
 事実私が独自に調査しただけでも予選で脱落したと思しき人間を二十人ほど探り出す事が出来た。
 一つの都市に最低でも四十以上のサーヴァントが並立して存在している状況が続いていたと考えると戦慄を禁じ得ないが、其処については置く。
 私が今回目を向けたいのは、聖杯戦争の『予選』が行われる更にその前についてである。
 我々はこれまで予選こそが参加者の篩い分けを行う工程だと考えていたが、本当にそうなのか。
 否"それだけ"なのか。我々の知る予選とはあくまで最終試験で、本当はその前にも篩いの段階が存在していたのではないか…と私は考えた。

 界聖杯による可能性の器の吸い上げは、我々が思っているよりも遥かに大規模かつ無慈悲な物だったのではないだろうか。
 予選に存在した器の数は多くても百に届くかどうかという所だろうが(東京の都市機能が存続可能なレベルの被害しか生まれていなかった事を論拠に推定した数であり、数値の正確性については保証しない)、本来はもっと天文学的な数値の器が界聖杯に蒐集されていた可能性はないか。


 具体的に言うならば、1400万人ほど。


   ◆  ◆  ◆

 放った拳が剣の前に阻まれる。
 鬱陶しい蚊を振り払うように側面へ一撃見舞った。
 だが、砕けない。
 その事実に猗窩座は改めて瞠目する。
 返しとして放たれた銀炎に皺の寄った腕が焦がされる熱ささえこの衝撃の前には霞んだ。
“此処まで、衰えが進んでいるのか…ッ”
 鬼として完成された猗窩座
 その威容も覇気も今や見る影もない。
 白髪も亀裂に溢れた体も衰えの象徴だ。
 今こうしてどうにか戦いの構図を維持している事にも以前では想像も出来ない程の負担が掛かっている。
 もう居ない鬼の始祖は生前、鬼狩りとの最終決戦において毒を受け九千年の老いを被った。
 しかし今の猗窩座を襲う衰えの度合いはそれとさえ比較にならない程色濃くそして猛悪だった。
 この程度のサーヴァントに拮抗されている。
 数刻前は愚か生前と比べても酷く見劣りするだろう有様に歯噛みが止まらない。
 それでも悪足掻きのように拳を放つが、相手に与える手傷よりも体が悲鳴を上げ自壊する損傷の方が大きい始末であった。
「もう一度言わせてくれ。今は待って欲しい」
 戦況はあくまで互角だ。
 押し切ろうと思えば押し切る事は決して不可能ではないだろう。
 だがこれが他のサーヴァントだったならばこうは行かない。
 カイドウのような上澄みどころか、あの怪物と打ち合う前に矛を交えた猿すら今の猗窩座には次元違いの難敵となる筈だ。
 噛み締めた歯根から血が噴き出した。
 彼の体は今やその"強さ"に付いて行けていない。
「別にこれはこっちの事情って訳でもないんだ。おまえが大切に思う"彼"にも間違いなく意味がある」
「…戯言を。貴様が奴の何を知っている」
 本当に応じる気がないのなら聞く耳を持たなければいいのだ。
 そう分かっている筈なのに、猗窩座は目前の男の言葉に応えてしまっていた。
 相手は交渉人。対話で活路を生む事にかけては無二の才能を持つ男。
 そんな概念が存在しない国と時代を生きた猗窩座にもその事は察せていたが、だというのにこうして付け入る隙を与えてしまう。
 それは果たして衰弱による余裕の欠乏が生んだ迂闊だったのか…それとも。
「おまえや彼女達程じゃないけど、知ってるよ」
 アシュレイは猗窩座の言葉にそう答える。
 その口元には微かな笑みが浮かんでいた。
 何を笑っている。猗窩座が拳を放つ。
 悪い、ついな。それを受け止めてアシュレイが続ける。
「うちのマスターもそうだけどな、あの子の友達も皆彼の事となると口数が多いんだ」
 283プロダクションのプロデューサー
 彼は少女だったアイドルを発掘し、時にはアプローチに応対してステージの上に導いてきた。
 田中摩美々幽谷霧子櫻木真乃。そして七草にちか。
 誰もが彼と関わりながら育ち輝いてきた。
 輝き切れた者も輝き切れなかった者も皆そうだ。
 彼女達と関わる中で必然、アシュレイもその人となりはある程度知る事が出来た。
「凄い人だと思った。決して嘘じゃない」
 同時に親近感も覚えた。
 交渉人とプロデューサーと言えばまるで違う世界に生きる者同士に聞こえるが、他人と向き合う仕事という点では二人のあり方は似通っている。
「俺は平和な世界ってものを知らないからな。話せば長くなるから割愛するけど、物心付いた頃からずっとすぐ傍に戦火があった」
 人と向き合う事。
 何度でもめげずに語り合う事。
 "彼"の姿は生まれる世界の違ったアシュレイだと言っても決して言い過ぎではないだろう。
「平和と安全が保証された世界の中で、ああまで見事に人を育てられる人間…素直に尊敬するよ。
 こんな場所でさえなかったなら一度話をしてみたかった。酒でも酌み交わしながら、のんびりとな」
 アシュレイが出会ったアイドル達の中に一人として没個性な娘は居なかった。
 石ころを自称していたにちかでさえ、彼に言わせれば個性の塊に見えた。
 にちかの精神性に彼の存在が寄与していないと言えば嘘になるだろう。
 つまりアシュレイはこの世界で、彼女達を通じてプロデューサーの手腕を見て来たのだ。
 その結果がこの感想だ。
 凄いと思った。尊敬する。
 自分が同じ立場だったとして、果たして此処まで見事にやれたか自信がない。
「おまえのマスターは凄い人だ。そしてだからこそ、今は俺のマスターの歌に耳を傾けて欲しいんだ」
「ならば問おう。何故だ。未来を捨てて歩む覚悟を決めた男がそんな事の為に時間を浪費する意義が何処にある」
「勘違いしないで欲しいんだけどな。俺は別に"彼"の覚悟を間違ってると否定したい訳じゃないんだよ」
 アシュレイは猗窩座の問いに即答する。
「何かに命を懸ける事はある種の狂気だ。けれど同時にとても尊い輝きでもある。
 それを赤の他人が知ったような口で糾弾して否定するなんて酷い傲慢だろう?
 生きる意味も、命の価値も人それぞれだ。相容れなかったら刃を交えるしかないが、その覚悟の重さまでは否定したくない」
「では、何故」
「だいぶ色眼鏡は掛かってるかもしれないけど、うちのマスターも随分と変わったんだ。
 別に当時の彼女だってそう悪いもんだったとは思わないが…あの子は大きく成長した」
 プロデューサーの決意や覚悟が間違いだと断言して叩き潰したい訳ではない。
 そうした所で意味はないと分かっているし、何より彼女達はそんな事を望んでなどいないだろう。
 優しい子達だ。こんな世界には一生触れる事なく生きて欲しかったとそう思うくらいには。
 であれば命を、明日を擲つ覚悟を決めた男の道を阻んでまで言葉を聞かせたいと願う理由は一つしかなかった。
「今のあの子を見て欲しい。誰よりあの子の事を考え思ってきた彼に、あの子がどれだけ大きくなったのかを知って欲しいんだ」
 そんな大した理由なんかじゃない。
 只、知って欲しい。
 見て欲しい。今の彼女を。
 貴方が"幸せになって欲しい"と願った少女がどれだけ大きく強くなったのかを見て欲しい。
 きっとそれは彼と彼に救われた少女達、その双方にとって有意義な時間になるだろうから。
 そう思ってアシュレイ・ホライゾンは今此処に立っている。
 そんな彼の言葉を聞き――猗窩座は吐き捨てた。
「下らん妄言だ」
「手厳しいな。でもおまえも、それが彼にとって意味のある事だと理解してはいるんだろう。だから今は拳を止めてくれている。違うのか?」
「…俺はあの男のサーヴァントだ。それ以外の価値も願いも持ち合わせない狛犬だ」
 猗窩座の生きた時代にアイドルないしそれに類する仕事は存在しなかった。
 だからこそそんな時代を生きて鬼に成りそして死んだ男には、下らないという感想しか出て来ない。
 されどアシュレイの続く言葉は図星だった。
 理解は出来ないしするつもりもない。
 だが流石に一月も付き合えば多少の気心は知れて来るものなのか。
 目前の邪魔な男が放つ言葉が、あの男にとって必ずしも無価値ではないとそう思ってしまった事は否定出来なかった。
「あれの意思は俺の意思だ」
 千人を殺せと言うのなら従おう。
 逆に千人を守れと言われても、従おう。
 今の猗窩座はそういうものだから。
 狛犬として成すべき仕事を果たすだけの存在だから。
 もしも此処で――にちかの言葉を聞いた彼が心変わりを起こしたならば。
 自分は間違っていた。
 此処から先は彼女達の未来を守る為に戦いたいと己へそう告げたならば、猗窩座はそれに反目しないだろう。
「もう一つ問わせろ。方舟のライダー」
 己は狛犬だから。
 主の望みを叶える傀儡だから。
 その役目を逸するつもりは今までもこれからもない。
 願いへ付き従う。
 あの不器用な男の意思を叶える、それだけの鬼となる。
 最後の瞬間を迎えるまでそれは変わらない。
 決して。何が起ころうとも、決して。
「よしんば七草にちかの言葉が、あの男の魂を揺るがせたとして」
 だからこそ問うのだ。
 問わねばならない事を。
 そして答えの解り切っている事を問いかけるのだ。
「あの男の命が…貴様らの望む未来とやらに辿り着くまで持ち堪えると、本当にそう思っているのか」
 猗窩座は己を喚んだ彼の事を信じている。
 人間の意思の力は時に現実の壁をさえ覆す。
 彼はそれを知っている。
 そうでなければ鬼が人間に敗北する筈がない。
 腕の一本を吹き飛ばされただけで命を落とすようなか弱い生き物が、全てにおいて優位を誇る鬼を滅ぼした事実。
 それこそが彼らの可能性の底知れなさを物語っていた。
 だからこそ猗窩座は283プロダクションのプロデューサーを務めるあの男のそれも信じている。
 彼は勝つだろう。
 彼は聖杯戦争を制して必ずや望む結末を叶えるだろう。
 …じゃあ、その後は?
「俺のマスターはこの世界と共に朽ち果てる。それは最早どうやっても動かぬ結末だ…違うか?」
 無理だろう。
 命を繋ぐには余りに失い過ぎた。
 その弊害はこうして当初の想定よりも早く顕れている。
 "プロデューサー"は未来に辿り着けない。
 方舟の出航が叶う叶わないに関わらず、それはどうやっても動かない現実だった。

   ◆  ◆  ◆

 仮説。界聖杯NPCとは、蒐集され切り捨てられた器の成れの果てなのではないだろうか。
 判定基準は不明。内包する何らかのエネルギーを見ているのか、それとも採用試験宛らに一から経歴を漁って選考したのか。
 しかし重要なのは経緯ではなく顛末だ。
 界聖杯は蒐集した器の中から予選まで上がるに足る数十~百数十の主従を選定し、何処かのラインで足切りを掛けた。
 そうして残った千数百万の器を抹殺しNPCとして再利用した結果が可能性の代入が可能な『空白』を含有した彼らなのだとすれば、単なる背景兼活餌に過ぎない彼らに過剰な発展の余地が用意されていた事にも納得が行く。
 無論反証も思い浮かぶ。もし仮にこの仮説が正しいと置いて考えると、家族や一族ぐるみで蒐集されている器が余りに多すぎる点だ。
 田中摩美々の両親。
 七草にちかにとっての七草はづき。
 更には彼女達の周囲に当たり前のように存在していた顔見知りのアイドル達等もこの中に含める事が可能だろう。
 言うなれば縁故に依り過ぎている。
 だがこれは、私達が実際に目の当たりにして来た光景を加味する事で不可解からある種の合理に変わるものだと私は考える。

 一度前提に立ち返りたい。
 界聖杯が『器』に対して求めるのは『可能性』だ。
 そしてそれは恐らくこの世界へ降り立った時の含有量に限った話ではない。
 この世界での経験と戦いを糧に其れを培養し、より大きく強く肥え太らせていく事をこそこの願望器(セカイ)は望んでいる節がある。
 どんな作物にも収穫のノウハウと言うものがある。
 適した季節であったり栽培方法であったり、農薬の種類や頻度であったり。
 『可能性の器』もその例外ではないのではないだろうか。
 赤の他人同士の偶発的な化学反応に賭けるよりも、元々何かしらの形で繋がりのあった旧知同士が互いに高め合う方が効率よく培養出来る。
 特にそれが特殊な力を持たない一般人であるのなら尚の事。
 近親者や友人等、器及び元器同士の間に存在する関係の網目が現実世界顔負けに複雑でランダム性に欠けている理由はひとえにそれだろう。
 我々のよく知る彼女達が、互いに支え合い励まし合って格段に成長していったように。
 界聖杯は縁を辿って器を集め剪定を行い、そうして余った不合格者の残骸を背景に転用しているのではないか。

 即ち『優先』ではない。
 あったのはきっと『優遇』だ。
 弱者に対しては可能性の深化を狙って可能な限り日常の外殻(テクスチャ)を再現し。
 そうでなくとも強く在れる強者に対しては未知との遭遇による化学反応狙いと、聖杯戦争を盛り上げ可能性の爆発に寄与するように過剰と言っていい程の社会ロールを宛てがう。
 不合格者の残骸を配置して作り上げた大農園。
 それこそがこの界聖杯内界の真実である可能性は非常に高い。
 我々が想像していた以上に界聖杯は合理的かつ無慈悲にこの世界を運営している。
 微塵の悪意も存在しない、空の青から大地の砂粒の数までのあらゆる要素が可能性の培養という目的の遂行の為だけに構成された世界。
 ――其れがこの私、ウィリアム・ジェームズ・モリアーティが推測する『世界の真実』である。

   ◆  ◆  ◆

「解りませんよそんな事。だって今の私、まだ全然幸せじゃないですし」
 にちかの回答は身も蓋もなかった。
 幸せの形なんてなってみるまで解らない。
 今が幸せでも何でもないのは大前提だ。
 先刻まで仲良く話していた相手が突然命を落としてしまう。
 こうしている今だって何処からか恐ろしげな刺客が襲い掛かってくるかもしれない。
 こんな世界に幸せを見出すなんてとてもじゃないが不可能だ。
「ていうかそもそも、アイドルになろうとするのって――幸せになろうとする事と一緒なんじゃないですか?
 不幸になる為にステージを目指す人間なんて居ないでしょ。
 今の私はそりゃ確かに色々背負っちゃいましたけど、それでも義務感とかそんなつまんない物に呪われて歩いてる訳じゃないですよ」
 けれど自分は今、幸せになろうとしている。
 少なくともにちかの自己評価ではそうだった。
 しみったれた顔でステージに戻るつもりはない。
 奈落を上がるならそれに相応しい顔でそうするべきだと思う。
「だから、まぁ…そうですね。私の幸せが何かとかそういう話はよく解んないですけど」
 アイドルになる。
 決めたからには後はもう一直線だ。
 面と向かって伝えてしまったのだし後には引けないし引く気もない。
 いつか夢見た憧憬に届くように、歌って踊って泥に塗れよう。
 そしていつか――
「幸せになりますよ。これから」
 これまでの全てを笑い飛ばせるくらい幸せになってやろう。
「にちかは、幸せになります」



「…そうか」
 ――にちかは、幸せになるんだ。
 かつて譫言のように呟いたその言葉が。
 他でもない彼女自身の口でなぞられる。
 視界の端で踊る罪の陽炎はもう居ない。
 けれど彼女の言葉は、ある意味では正しかったのだ。
 七草にちかを幸せにする必要なんてない。
 そんな事をしなくたって彼女は自分で幸せの方へ歩いている。
 ゆっくりかもしれないし、転んで泣き言を漏らす事だって有るかもしれない。
 でも、確かに前へ。
 幸せの方へと、進んでいる。
「なんですか、お爺ちゃんみたいな顔しちゃって。そんなに安心しました?」
「あぁ、安心したよ」
「だったらもう馬鹿な事は此処までにしてください。あなたを待ってる人は私だけじゃないんです」
 もう居ない人も居る。
 それでも決して遅いなんて事はないのだとにちかは思う。
 だから手を伸ばした。
 力強く、有無を言わさぬ勢いで。
「時間の都合で省きましたけど、本当は言いたい事がまだ山程あるんです。過労死しない程度に聞いて貰いますから、ほら」
 ――言う。
「一緒に帰りますよ、プロデューサーさん」



 差し伸べられた手は余りに眩しく見えた。
 今や寒さしか感じない体にとって、縋り付きたい程に暖かく感じられた。
 年甲斐もなく縋り付いて泣きたくなる。
 張り詰めた糸は今にも切れてしまいそうだった。
 だから男は、283プロダクションのプロデューサーは、骨が砕ける程力を込めて踏ん張らなければならなかった。
「ありがとう、にちか。それに摩美々も」
 その手を取れば自分は救われるだろう。
 これは蜘蛛の糸だ。
 地獄の中に垂らされた蜘蛛の糸。
 縋り辿れば暖かな極楽浄土が待っているという確信がある。
 だからこそプロデューサーの取るべき選択肢は決まっていた。
 選べる未来は一つしかない。
 この愚かしい物語を始めたその時からずっとそうだった。
 そしてそれは、今この瞬間だって変わっちゃいない。
「ごめんな」
 この手でアイドルには触れない。
 未来ある子どもを縊り殺した手で触ればせっかくの翼が汚れてしまう。
 プロデューサーは人を殺した。
 幼い少年を縊り殺し、彼女達とそう変わらない年頃の少女が惨殺されるのを黙って見ていた。
 擦り減らしたのが自分の命だけだったなら救いの手を取れたかもしれない。
 しかし283プロダクションのプロデューサーは、人を殺しておきながらおめおめと少女達の好意に甘えられる程無慙無愧ではなかった。
 この身に救われる価値はない。
 そして、この身が救われる事もない。
 喉の奥からせり上がってきた血を無理やり押し戻して拳を握る。
 ――答えは得た。
 もう大丈夫だ。
 器としての資格さえ消えてなくなる前に最後の仕事を果たすべく、プロデューサーは己が相棒へと念話を送る。



“ランサー。君には迷惑を掛けっ放しだったな”
 思えば本当に、最初から最後までずっと迷惑を掛けてきた。
 とんだハズレを引かせてしまったものだと苦笑せずには居られない。
“迷惑ついでにもう一つだけ、俺の我儘に付き合ってくれないか”
 感謝している。本心だ。
 自分のサーヴァントは彼しか居なかった。
 彼でなければ此処まで来られなかった。
 覚悟を決め、命を奪って罪に塗れながら歩む事は出来ても。
 こうして彼女と対面し答えを受け取る事は出来なかっただろう。
 本当に――こんな自分には過ぎた狛犬だった。
 心からの感謝と共に続けようとした言葉を待たずに猗窩座が言う。
“いいんだな”
“あぁ。もう、大丈夫だ”
 破滅は始まっていた。
 後は気合に任せて聖杯戦争の終幕までしぶとく生き残ってやるか、最悪彼に願いを託す結末さえ想定していたがどちらも最早無用らしい。
 もっと早く気が付ければよかったという後悔がないと言ったら嘘になる。
 なるが、最後の最後に道化から少しでも格上げが出来た事だけは上等だろう。
 となれば最後にやるべき仕事は決まっている。
“ありがとう、ランサー。君のお陰で此処まで来れた”
“くどい。俺は只与えられた役目を果たしただけだ”
“…ははっ。そういう所は本当に変わらないな。堅物め”
 プロデューサーは大変な仕事だ。
 人の心と未来を背負って育てる大役だ。
 引き継ぎをするに当たって最後にもう一つだけ、要らぬお節介をさせて貰うとしよう。
“これで最後だ。遠慮なく全てを使い果たしてくれ”



「…それでいいのか。"プロデューサー"」
「ああ。これでいいんだ」
 傭兵の錆びた言葉にプロデューサーは頷いた。
 そのまま地面に腰を下ろして胡座を掻く。
 無駄な体力を使う事は避けたかった。
 一分一秒でもこの世界に長く留まれるように楽な姿勢を取る。
「ごめんな。君達の手は取れない。俺は、救われる事だけは出来ないから」
 少女達の顔を見る事が辛いが目を背ける事はもうすまいと誓った。
 表情筋が麻痺し始めた顔で無理やりぎこちない笑顔を作る。
 以前のように笑えているだろうか。
「散々迷惑掛けたからな。最後だ、何でも言ってくれ。にちかだけじゃなくて勿論摩美々も」
 笑えていたら、いいのだが。
「君達の声が聞きたいんだ。今まで耳を塞いでいた分、うんと沢山」

   ◆  ◆  ◆

 以上が善の蜘蛛、ウィリアム・ジェームズ・モリアーティが遺した論文だ。
 時間の無い中で何とか合間を縫って執筆していたのだろう。
 厚み自体は然程でもないし、内容も要点を絞って極限にまで要約されている印象を受けた。

 アシュレイ・ホライゾンが抱いた自身のマスターに対しての疑念。
 それについて考えを巡らせる上で最も厄介だった問題が、"だから何なのだ"という点だった。
 七草にちかという器に付随するある種の不自然さ。
 同一人物が二人招来されてあろう事か本戦まで生き残っている事実を始めとして頭を捻りたい箇所は幾つもあったが、その先に進めない。
 その岩盤をウィリアムの遺した論文、いや紙片は破壊こそしなかったが小さな穴を穿ってはくれた。
 知恵者が遺した"こんな事もあろうかと"を頼りに境界線は思考を重ねる。
 そして行き着いた一つの可能性。今、彼はそれを希望として舟のオールを握っていた。

 抑止力という言葉がある。
 端的に言うならば世界の安全装置だ。
 世界の延長を目的に働きその要因を消し去る存在。或いは概念。
 例えば根源到達。
 例えば人理定礎崩壊。
 例えば人類悪顕現。
 そうした災禍を食い止めるべく働く力の存在によって世界は水面下で防衛されている。
 抑止力は非常に強力な概念であり、その前に敗れて消えた野望は幾星霜と言っても決して過言ではないだろう。

 その点この『界聖杯』という現象は異例だったと言っていい。
 この世の何処でもない空間に存在座標を置き、単一の世界に限らずに蒐集を行う事で抑止の働く余地を分散。
 徹底したプログラミングで介入を阻み隠蔽に隠蔽を重ねてこれ程の規模の所業を今日の日まで大きな齟齬もなく進めてきた。
 界聖杯の排斥の為に派遣された守護者は次から次へと逆に排斥され、介入と防衛の鼬ごっこを続けながら今日の日を迎えた。
 しかし――界聖杯の防衛も完璧ではなかったのだろう。
 守護者の削除は出来ても、たった一つ残った残骸の事は見落としてしまった。
『考えてみれば妙な話だ。極晃奏者なんて存在を進んで招き入れるのは運営からすればリスクでしかない。
 極晃へのアクセス権限を剥奪してまで使おうとするくらいなら、最初から選ばなければ良かったんだ』
 アシュレイ・ホライゾンは世界との契約を結んではいない。
 彼に守護者の資格は非ず。
 だが、極晃星という一つの極点に到達したその存在は例外的にカウンターガーディアンの資格を満たした。
『つまり。俺という存在は恐らく界聖杯にとって想定外の介入者…コンピュータウイルスのような物なんだろう』
 界聖杯は抑止からの防衛に成功した。
 極晃奏者から極晃へのアクセス権を剥奪し徹底的に封印。
 其処までは見事だったが、流石に全力の極晃奏者を相手取るのは界聖杯と言えども至難だったのだろう。
 防衛に成功こそしたものの…廃棄物(ダストデータ)と化した奏者の完全な消去には失敗してしまった。
『俺にその時の記憶はないし、取り戻す事も恐らく望めはしないだろうが。
 …我ながら逆境には慣れてるんだな。死に際、残骸の霊基だけでもこの界聖杯に刻み付ける事に成功した』
 アシュレイ・ホライゾンはコンピュータウイルス。
 アシュレイ・ホライゾンは、有り得ざるサーヴァント。
 であればそんな彼と結び付くマスターもまた有り得ざる器であるのは必然だろう。
『その折に――本来NPCとして終わる筈だった少女が俺という存在と結び付き後天的な可能性の獲得を果たした』
 つまり。
 仮称・『NPC七草にちか』は、世界に対するバグのような存在である。
 自分という介入者に引きずられて変化してしまった界聖杯の綻びそのもの。
 完全無欠の箱庭に亀裂を刻み得る、自滅因子(アポトーシス)の可能性が非常に高い。
 緋色の糸を辿り灰と光の境界線が行き着いたのはそんな回答だった。

   ◆  ◆  ◆

 猗窩座が拳を構える。
 未だその肉体は全盛期に比べて無残な程に衰弱したままだ。
 アシュレイでさえ恐らく互角に戦える、その程度のスペック。
 しかし其処から漂って来る気迫は先刻までの比ではない。
 アシュレイは改めて問い掛ける無粋はしなかった。
 そんな事をせずとも、彼が何故そうしているのかは理解出来たからだ。
「そうか。それが"彼"の答えなんだな」
「そうだ。そして俺は、奴のサーヴァント」
 雪の結晶を彷彿とさせる紋様が地面に出現する。
 破壊殺・羅針。
 臨戦態勢に入った猗窩座に対し、もうアシュレイは制止は望まなかった。
「最早言葉は無用だろう。剣を取れ、星を廻せ。七草にちかのサーヴァント」
「…そうだな。せめて期待に堪えられるよう頑張らせて貰うよ」
「奴の敵は俺の敵だ。その存在――この忠が果てる前に、完膚なきまでに喰らい尽くしてやる」
 立ちはだかるは悪鬼・猗窩座
 ある愚かな男が信じたたった一人の狛犬。
 銀の炎が立ち昇り、アシュレイが地を蹴る。
 彼らの最後の戦いが輝きの中でその幕を開けた。

【渋谷区(中心部)/二日目・午前】

【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:全身にダメージ(大)、疲労(大)
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:七草にちかのスマートフォン(プロデューサーの誘拐現場および自宅を撮影したデータを保存)、ウィリアムの予備端末(Mとの連絡先、風野灯織&八宮めぐるの連絡先)、WとMとの通話録音記録、『天羽々斬』、Wの報告書(途中経過)
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
0:…そうか。貴方はそれを選んだんだな。
1:今度こそ、P、梨花の元へ向かう。梨花ちゃんのセイバーを治療できるか試みたい
2:界奏での解決が見込めない場合、全員の合意の元優勝者を決め、生きている全てのマスターを生還させる。
  願いを諦めきれない者には、その世界に移動し可能な限りの問題解決に尽力する。
3:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
4:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
5:大和とはどうにか再接触をはかりたい
6:もし、マスターが考察通りの存在だとしたら……。検証の為にも機械のアーチャー(シュヴィ)と接触したい。
[備考]
宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。
アルターエゴ(蘆屋道満)の式神と接触、その存在を知りました。
割れた子供達(グラス・チルドレン)の概要について聞きました。
七草にちか(騎)に対して、彼女の原型はNPCなのではないかという仮説を立てました。真実については後続にお任せします。
星辰光「月照恋歌、渚に雨の降る如く・銀奏之型(Mk-Rain Artemis)」を発現しました。
宝具『初歩的なことだ、友よ』について聞きました。他にもWから情報を得ているかどうかは後続に任せます。
ヘリオスの現界及び再度の表出化は不可能です。奇跡はもう二度と起こりません。


猗窩座@鬼滅の刃】
[状態]:新生、覇気による残留ダメージ(程度不明)、消耗(大)、全能力低下、再生力低下、白髪化
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを聖杯戦争に優勝させる。自分達の勝利は――――。
0:主命を果たす。最後の時まで。
[備考]
※武装色の覇気に覚醒しました。呪力に合わせて纏うことも可能となっています
※頸の弱点を克服し、新生しました。今の猗窩座はより鬼舞辻無惨に近い存在です。
プロデューサーとの契約のパスが不全になったことで各能力が大幅に低下しています。


【渋谷区・路地裏(アシュレイ達とさほど離れてない)/二日目・午前】

七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:精神的負担(大/ちょっとずつ持ち直してる)、決意、全身に軽度の打撲と擦過傷、『ありったけの輝きで』
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
0:……は?
1:アイドルに、なります。……だから、まずはあの人に会って、それを伝えて、止めます。
2:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
3:ライダーの案は良いと思う。
4:梨花ちゃん達、無事……って思っていいのかな。
[備考]聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。

田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(中)、ところどころ服が焦げてる、過労、メンタル減少(回復傾向)、『バベルシティ・グレイス』
[令呪]:残り一画
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散財しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:叶わないのなら、せめて、共犯者に。
0:――次は私の番。最後に、せめて。
1:悲しみを増やさないよう、気を付ける。
2:プロデューサーと改めて話がしたい。
3:アサシンさんの方針を支持する。
4:咲耶を殺した人達を許したくない。でも、本当に許せないのはこの世界。
[備考]プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています
※アーチャー(メロウリンク=アリティ)と再契約を結びました。

【アーチャー(メロウリンク・アリティ)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態]:全身にダメージ(中・ただし致命傷は一切ない)、疲労(中)、アルターエゴ・リンボへの復讐心(了)
[装備]:対ATライフル(パイルバンカーカスタム)、照準スコープなど周辺装備
[道具]:圧力鍋爆弾(数個)、火炎瓶(数個)、ワイヤー、スモーク花火、工具、ウィリアムの懐中時計(破損)
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターの意志を尊重しつつ、生き残らせる。
0:復讐は果たした。が……
1:田中摩美々は任された。
2:武装が心もとない。手榴弾や対AT地雷が欲しい。ハイペリオン、使えそうだな……
[備考]※圧力鍋爆弾、火炎瓶などは現地のホームセンターなどで入手できる材料を使用したものですが、アーチャーのスキル『機甲猟兵』により、サーヴァントにも普通の人間と同様に通用します。また、アーチャーが持ち運ぶことができる分量に限り、霊体化で隠すことができます。アシュレイ・ホライゾンの宝具(ハイペリオン)を利用した罠や武装を勘案しています。
田中摩美々と再契約を結びました。

プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:覚悟、魂への言葉による魂喪失、魔力消費(大)、疲労(大)、幻覚(一時的に収まった)、マスター権喪失の兆し。
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:リンボの護符×8枚、連絡用のガラケー(グラス・チルドレンからの支給)
[所持金]:そこそこ
[思考・状況]基本方針:"七草にちか"だけのプロデューサーとして動く。だが―――。
0:答えは得た。さあ、最後の仕事を始めよう。
[備考]
プロデューサーが見ている幻覚は、GRADにおけるにちかが見たルカの幻覚と同等のものです。あくまでプロデューサーが精神的に追い詰められた産物であり、魔術的関与はありません。(現在はなりをひそめています。一時的なものかは不明)
※魂の九割を失い、令呪を全損したのが併さり、要石としてのマスターの資格を失いつつあります。


時系列順


投下順


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163:航海図:最果てにありながら、鳥は明日を歌うでしょう 田中摩美々 171:SOUVENIR 第一幕
163:航海図:最果てにありながら、鳥は明日を歌うでしょう アーチャー(メロウリンク=アリティ) 171:SOUVENIR 第一幕
163:航海図:最果てにありながら、鳥は明日を歌うでしょう 七草にちか(騎) 171:SOUVENIR 第一幕
163:航海図:最果てにありながら、鳥は明日を歌うでしょう ライダー(アシュレイ・ホライゾン) 171:SOUVENIR 第一幕
163:航海図:最果てにありながら、鳥は明日を歌うでしょう プロデューサー 171:SOUVENIR 第一幕
163:航海図:最果てにありながら、鳥は明日を歌うでしょう ランサー(猗窩座) 171:SOUVENIR 第一幕

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最終更新:2023年09月27日 18:07