――いつからだったのかな 憧れてたその場所
叶えて たどり着きたい その未来
◆◆
何が起きた。
何故、此処にいる?
そもそもこいつは"何"だ。
星野アイ? いや違う。
櫻木真乃から聞いたアイは、間違っても歌声一つで破壊力を生み出すような怪物ではなかった筈だ。
ならば、これは一体――渦巻く疑問にはキリがない。
だからこそ、メロウリンク・アリティがそれら疑問を全て後回しにし、目の前の敵への対処のみを考え行動したのは賢明だった。
「ッ、ぐ、ォ――」
至近距離で炸裂した『アイ』の歌声は、メロウリンクの全身を容赦なく蹂躙した。
メロウリンクは異能生存体、因果律さえ超越した運命の
近似値だ。
コンマ1%の可能性をものにする男。致命傷を避けながら生き延びる、天性の才能。
当然今、彼が直面しているこの状況は、"近似値"の発動条件を満たしていたが――
何分此処には逃げ場がない。
破壊的音量で放たれる物理的破壊力を伴った歌声は、均一な死で満たされている。
近似値は所詮近似値。本家本元の異能生存体ならばいざ知らず、彼にはこれを凌げない。
幸運は降り注がず、音はメロウリンクの骨を砕き、肉を拉げさせ、その身体をゴミのように吹き飛ばした。
「――づ、ッ!」
だがそこはメロウリンク・アリティ。
間近で爆撃が炸裂するなど日常茶飯事の炎臭い戦場を生き抜いた傭兵である。
肉の中で骨が茨のように咲き乱れる激痛を堪えながら、彼は『アイ』に対し即座に対応した。
「わ」
投擲したのはいわゆる圧力鍋爆弾。
圧力鍋の内側に爆発物と雷管を仕込んだ、テロリスト御用達の廉価兵器だ。
本来であれば携帯電話やキッチンタイマーを起爆装置に用いるのが定番だが、メロウリンクはこれを既に改造し終えている。
圧力鍋爆弾とは名ばかりの実質的な手榴弾と化させ携帯していたそれが、今此処で活きた。
偶像の顔の直前に投擲された爆弾。
サーヴァントであれば通じすらしなかったろう攻撃だが、しかし『アイ』は魔力の塊という点では同じでも広義のサーヴァントとは異なる。
従って威力さえ足りていれば、問題なく爆薬による破壊は彼女の身体に通るわけだ。
……もっとも、それは。
「いったあ……。酷いなあ、アイドルの顔にこんなもの投げ付けるなんて」
当たればの話であるし、本当に威力が足りているならばの話だが。
『アイ』は起爆寸前の圧力鍋爆弾を片手でひょいと払い除けた。
その後爆弾は起爆し、破片と爆炎を撒き散らしたが、それは『アイ』にしてみれば多少痛い程度のダメージでしかなく。
舌打ち混じりに後続を用意しようとしたメロウリンクの動きを遮るように、その声帯が破局を紡いだ。
「――瞳のIllumination 輝く無限の可能性――」
炸裂する輝きの星(イルミネーションスター)。
その威力はもはや、波状に引き伸ばした破城槌といって相違ない。
幸いだったのは、彼女の矛先がサーヴァントであるメロウリンク単体に向いていることだろう。
もしも無力な少女である
田中摩美々がこの距離でこの歌を聴いた/喰らったなら、文字通り命に関わる。
両手が動くことを確認したメロウリンクの"近似値"が働く。
咄嗟に逸らした首の動きが、『アイ』の踊り舞うような蹴撃をどうにか躱させた。
「避けるんだ。すごいね」
追撃――避ける。
――避ける。避ける。
掠めるだけに留めて、生を繋いでいく。
光景だけを見れば、メロウリンクが技術で『アイ』を圧倒しているようにも見えるだろう。
だが現実としては、彼はただ命からがら避け続けているだけだ。
言うなればそれは、猛禽がすばしっこい小動物を時間をかけていたぶり遊んでいるようなもの。
生を繋ぐことが、活路の有無と一致していない。
気まぐれで生かされているだけでしかないのだと、メロウリンクは心底理解しながら唇を噛んでいた。
「――私たちのキ・セ・キ 繋がってく――」
眼圧が上昇し、内臓が潰れてメロウリンクは血を吐きながら吹き飛んだ。
目から溢れ出すのは血涙だ。
巨大な衝撃を受けたことにより、耐えきれず眼球そのものが悲鳴をあげているのだ。
息を吐くだけで、全身のあらゆる場所が痛む。傭兵として血に塗れた日でさえ、此処までの苦痛があったかどうか定かでない。
しかし吹き飛ばしてくれたのは、実のところメロウリンクにとって僥倖だった。
痛みこそすれど、まだなんとか自由の利く両腕で瞬時に対ATライフルを構え――発砲する。
「効かないっての」
そう言って片手で払い除けようとする、『アイ』。
だがしかし、先ほどの圧力鍋爆弾のようにはいかなかった。
払うこと自体には成功したものの、その右手からは確かに血が滴っている。
驚いた顔で傷口を見つめ、「……わお」と呟く『アイ』の様子は、それが彼女にとって予想外の負傷であることを証明していた。
(……助かる。お前まで駄目なら、いよいよ打つ手が見つからないところだった)
先ほど用いた圧力鍋爆弾は、あくまでもこの世界のあり物を使って造った即席兵器に過ぎない。
だがその点、この対ATライフルは違う。
これは英霊の座からはるばるこの地にやってきたメロウリンクが長らく相棒としてきた、孤独な機甲猟兵達の愛銃だ。
そこに宿る神秘は、薄いとはいえ当然ながら現地調達品などとは格が違う。
このライフルでの射撃ならば、さしもの『アイ』も当たって無傷とはいかないらしい。
「びっくりしちゃった。やっぱり腐ってもサーヴァントだね、馬鹿にしたら痛い目見ちゃうか」
「……口は災いの元だ。薄々そうだろうと思ってはいたが、やはりサーヴァントではないんだな」
「ん? そうだよ。別に隠してもないし、あそこでぐったりしてる摩美々ちゃんなら見ただけで分かるんじゃないかな」
そう言って『アイ』が示した先では、摩美々が片腕を抑えながら息を切らしてメロウリンク達の方を見つめていた。
先の一撃(ワンフレーズ)は決して彼女だけを狙ったものではなかったが、それでも人間の身で浴びるには強烈すぎたのだろう。
抑えている右腕は明らかに折れていて、全身に受けているダメージも遠目でも分かるほど大きいようだった。
――まずい。改めて、メロウリンクは焦燥に歯噛みした。
(継戦の心得はある。俺だけなら、まだある程度持ち堪えられる)
もしも仮に、今此処に立っているのがいつかの"鋼翼"だったなら。
そして
プロデューサーのサーヴァント、"拳鬼"だったなら。
メロウリンクは恐らく抵抗の余地などなく、芥虫を踏み潰すように抹殺されていたことだろう。
しかしその点、この『アイ』は彼らほど洗練された存在ではないように見えた。
強力ではあるが、それだけ。鋭く研ぎ澄まされたものがないため、やろうと思えばそれなりに戦いを引き伸ばせる公算があった。
だがそれは、あくまでもメロウリンク一人だけだったならば、の話。
彼にとって成すべきことが自己の生存だけだったならば、の話だ。
――今の彼には、二つの"成すべきこと"がある。
そこに、メロウリンク・アリティという一個人の生存は必ずしも含まれない。
マスター・田中摩美々の守護。安否不明の七草にちかの安全確保。
これら二つこそが、傭兵ではなくサーヴァントとしてこの場にいるメロウリンクの最重要任務だ。
そしてその場合、この"偶像"を相手取りながら成し遂げる難易度は……破格なんて次元ではなかった。
「……何故、マスター達を先に狙わない?」
「え?」
「俺を嬲り殺しにするよりも、その方がずっと手早い筈だ。それが分からないほどの馬鹿には見えない」
「あはは、敵にそれ聞いちゃうんだ。いいよ、教えてあげる。それはね」
不可解なのはそこだ。
『アイ』は今、明らかにメロウリンクを意図して狙っているように見える。
効率と合理性だけを見るならば、狙うべきは彼でなくマスターである摩美々達なのは明らかだ。
実際、メロウリンクにとってもそうされるのは最悪の展開。
なのに『アイ』はそれをしていない。その理由は何かと問うたメロウリンクに、『アイ』は笑って答える。
「うんと絶望してほしいんだって」
「……、……何?」
「あなた達、死柄木くんに楯突いたでしょ。
箱舟……だっけ。そんなやばめな計画まで建ててさ、死柄木くんとあの子の"連合"の邪魔してきたじゃん? ずっと」
『アイ』は確かにメロウリンクの見立て通り、未熟な存在だ。
強さはある。ただ、年季はない。
言うなれば生まれたての戦闘者であり、付け入る隙があるとするならきっとそこだ。
しかし、かと言って聖杯戦争のセオリーも分からないほどの馬鹿ではない。
田中摩美々を狙うのが最善だなんて、そんなことは彼女だって当然分かっているのだ。
なのにそれをしない理由。それは、そういう指示が下りているから。
彼女を此処に投入した、小さな小さな運命の砂粒であり――あるちっぽけな"悪"の、意思だ。
「だから、絶望してほしいんだってさ」
"彼"は、連合を愛している。
そして
死柄木弔という魔王を、崇拝している。
きっと、誰よりもだ。
世界を白く塗り潰すあの"崩壊"を、彼は誰よりも奉じ焦がれている。
そんな彼にとって箱舟とは、そしてそこにいるアイドル達とは目障りで憎たらしい邪魔者以外の何者でもなかった。
魔王の未来に立ち塞がる邪魔者達。
忌まわしく鬱陶しい、ガキども。
ただ殺すだけじゃ飽き足りない、どうせ殺すのなら――
「死柄木くんの邪魔をしたアイドル達が、うんと絶望して苦しんで、泣きじゃくりながら死ぬようにしろって。そう言われたの」
――その"死"は、絶望に満ちたものであるべきだ。
"彼"は、そう考えた。
"彼"は、そう信じた。
そして『アイ』は、それに従う。
"彼"の相棒として、"彼"の願いを忠実に叶える。
殺す、確実に。
摘み取る、絶対に。
後悔させる、必ず。
自分達という悪に背いたこと、連合の未来を阻んだこと。
死柄木弔という魔王が目指す未来を遮る、箱舟なんて思想を唱えたことを悔やませて絶望の中で踏み躙る。
それは信心の狂気。皮肉にも、"革命"などとはかけ離れた圧政の虐殺命令だった。
「だからまずはあなたに死んでほしいなって。摩美々ちゃんとはそのあとゆっくりお話するからさ」
そう言って笑う『アイ』に、メロウリンクは幾つもの記憶を過ぎらせた。
それは彼女達と――箱舟という優しい思想に命をかけた、アイドル達と過ごした時間。
彼女達は、生きていた。
こんな地獄みたいな世界で、それでも懸命に足掻いていた。
そして、輝いていた。彼女達は無力だったが、しかしちゃんとアイドルだった。
田中摩美々。七草にちか。櫻木真乃。
幽谷霧子。
そして。
そして。
『…手を。握ってもらっても……いいですか』
――――――――そして。
「そうか」
対ATライフルを握る手が、静かに軋んだ。
メロウリンクは激情家ではない。
声を荒げることなど稀だし、この状況でも彼の心は荒ぶってはいなかった。
彼の中にある感情はごく静かで、そしてごく端的だった。
踏み躙るのだという、彼女達の生き様を。
絶望で染め上げるのだという、彼女達の笑顔を。
よく分かった。
理解出来た。
この女と、これを遣わした元凶が何を望んでいるのか。
そしてその上で。
メロウリンク・アリティは――決める。
そんなことは、させない。
その意思を口にするべく、喉を動かし。
敵手の喉を穿つべく、引き金に指を載せ。
メロウリンクが一世一代の鉄火場に臨もうとした、まさにその時だ。
『アイ』とメロウリンク、二人の会話に割り込む――か細い声が響いたのは。
「……なんですか、それ」
よろり、と立ち上がる
シルエットがひとつ。
そこに、偶像と傭兵の眼差しが向く。
一つは興味。一つは驚きと焦り。
二者三種の感情を浴びながらも、少女は『アイ』だけを見ていた。
「それの、そんなのの……」
少女の名前は、田中摩美々。
メロウリンク・アリティの現マスターであり。
今は亡き若蜘蛛(モリアーティ)の忘れ形見でもある少女。
「――どこが、アイドルだっていうんですか」
そして。
偶像(アイドル)。
「そんなことのために、そんな気持ちのために……」
折れた片腕を、抱えながら。
ぜえぜえと荒い息を吐き、ただ立っているだけでもふらついてしまう有様なのに。
それでも、しっかりと――はっきりと。
絶望を運ぶために遣わされた後輩(アイドル)を見据えて、言った。
「……あの子の歌を、うたわないで……!」
◆◆
押し寄せたのは、地を嘗め尽くすような炎の濁流だった。
それは波だ。地上のすべてを押し流す、死が凝集したような洪水だ。
継ぎ接ぎ面で笑いながらこれを繰り出す男が、サーヴァントとも人間とも異なるある種使い魔のような存在であることはすぐに分かった。
その上で驚く。驚くしかない。たかが使い魔の身で、これほどの出力を繰り出せる存在がよりにもよって"あちら"の手に渡っていることに。
「おいおい」
既に火力だけを見れば、対軍宝具の域に達して余りある。
間違いなく規格外だ。少なくとも、単なる小手調べの段階で繰り出されていい一撃ではない。
アシュレイ・ホライゾンは銀炎を撒きながら、地を蹴って建物を足場に跳躍した。
空中への逃走。それは確かに地の洪水――ならぬ"洪炎"から逃れることは確約してくれたが、しかし安全を意味はしない。
空にて微笑む白い影。引き裂くように笑うその男が、すべての希望を奪い去るのだ。
「天下分け目だぜ。もっと派手にかましてくれよ、じゃなきゃとんだ肩透かしだ」
ビルが崩れる。
土砂災害さながらに降り注いでくるコンクリートの波が、神秘をも蝕む毒で汚染されていることは既にアシュレイも承知していた。
東京タワーでの襲撃。そこで目の当たりにした、空前絶後の土地殺し。
個性"崩壊"――万物、万象、生きとし生けるもの、形あるものすべてを無に帰す憎悪と妄執の具現。
伝播の特性を得た崩壊は、文字通り一欠片でも掠めれば即座に致命傷へ繋がる。
アシュレイは故に、細心の注意を払いながら対応することを強いられた。
銀炎を帯状に伸ばして崩壊の砂を焼き、溶かして離脱する。
月乙女(アルテミス)の火は癒やしの炎。
半身を焦がされてもたちまち癒せる破格の治癒能力だが、それでも魔王の毒そのものを塗り潰せるかは怪しかった。
賭けるには分の悪すぎる勝負。何しろ失敗すれば死ぬのだから、易々と打って出られる筈もない。
「生憎と、そっち方面はからっきしでな……!」
噴き出した銀炎はそのまま迫る魔王・死柄木弔へと向かう。
確かに火力では彼の崩壊に及ぶべくもないが、宝具を用いた攻撃である以上まともに浴びて無傷で済むとも思えない。
そんなアシュレイの予想はしかし、最も悪い形で裏切られた。
「言い訳すんなよ。夢見せるのは得意なんだろ?」
『地獄への回数券』と龍脈の力による体質変化、その重ねがけ。
流石に不死身ではないだろうが、限りなくそれに近い存在に仕上がっていることは確実だった。
銀炎で焼かれた端から復元されていく皮膚が、肉がその証明だ。
そしてそれにアシュレイが歯噛みするのと同時、悲鳴をあげる摩天楼の中に轟いた無数の銃声が彼の耳と肉体を劈いた。
「ガ、ッ……!?」
「マスク外したヒーローなんてただの冴えない社会人さ。現実(トゥルーフォーム)なんてガキに見せちゃいけない」
四方を駆け回る鉄騎馬の人型を辛うじて視認できたが、その速度はもうアシュレイの目に追える次元ではない。
そんな超音速で縦横無尽に爆走する暴れ馬が、的確に狙いを定めた跳弾という無茶苦茶を押し付けてくるのだから悪夢と言う他なかった。
もしもアシュレイ・ホライゾンの星辰光が煌翼との同調による変化を辿っていなかったなら、彼は今頃既に再起不能だったに違いない。
削られたそばから全力で癒やしを回す、魔王の所業に倣うような無茶でアシュレイはどうにかこれに対抗。
続く鉄騎馬本体による轢殺走行を紙一重で躱しながら――騎手の胴に一閃、刻むことに成功した。
「……肝に銘じとくよ。でも的外れだ。俺を指してヒーロー呼ばわりだなんて、見る目ないにも程があるぞ魔王」
倒せたとは思っていない。
あれも恐らく、炎を操る継ぎ接ぎ男と同じ使い魔の類だろう。
こんな規模の戦いができる手駒が無数に揃っている事実に目眩を覚えるが、泣き言を言っている暇はなかった。
迫る死柄木、その腕をいなしながら剣を振るい、再生性能の高さに関わらず削り落とせるだけの致命傷を狙って切り込む。
「おいおい。お得意の対話は俺にはナシかよ? 寂しいね」
「おまえとの対話は、もうあの子が散々やってきた筈だ。
それで分かり合えなかったなら、是非もない。後は雌雄を決するしかないと思ったが、違ったか?」
「いいや、正解だ。お利口さんじゃないかサーヴァント。
まさしくその通り――この世には、どんなに言葉を交わしてぶつかり合っても分かり合えない人間ってのが一定数いるもんだ」
アシュレイ・ホライゾンは凡庸な英霊だが、剣の腕前においては抜きん出た練度を持つ。
文字通り命がけで教わった師の剣は、今も彼の魂に色褪せることなく刻まれている。
そんな彼の振るう剣術を、心得もない素人崩れが初見で凌ぐなど言うまでもなく至難だ。
しかし死柄木は、持ち前の獣じみた直感と強化された五感に物を言わせてそれを初回から成し遂げる。
峰津院大和との戦いで見せたのよりも、更に二段は身のこなしが鮮やかになっている――恐るべきは、その驚異的な吸収力と成長性。
そしてそこから繰り出される"崩壊"の手。
凶悪すぎる相性(シナジー)が、優しい炎を引き裂きながらアシュレイに迫っていく。
「悲しいことだが、否定はしない」
とはいえアシュレイも、ただで死にはしない。
東京タワーの一件で実際に"崩壊"の猛威と性質を見ていることが、少なからず功を奏していた。
バックステップで手のリーチから逃れつつ、銀炎の渦で死柄木を取り囲む。
如何に再生持ちとはいえ、四肢を崩せば自由は奪える。
狙ったのは焼損、要するに部位破壊だった。
その上で一歩踏み込み、斬首を狙ってアダマンタイトの一刀を振るう。
死柄木の性能は出鱈目だったが、アシュレイは更に上の不条理を既に知っている。
即死以外は無傷と同義、そんな狂った正論(りくつ)を振り翳してくる救世主に比べれば――目の前の魔王はまだまだ易しい。
「全てを破壊し、虚無の地平線を紡ぐ。
……全く共感はできない思想だが、おまえがそうなるに至った経緯を知らない以上は頭ごなしに否定するつもりもないよ。
あわよくば手を取り合える余地を探りたかったが、それも無理だというのなら無理強いはしない」
「いいね。ちゃんと見てるじゃないか、現実」
手応えは、なかった。
空を切る感触に眉を顰める。
銀炎が内側から弾け、溢れ出したのは蒼炎だった。
赤よりなお熱い、狂気の炎。
咄嗟に銀炎を檻状に展開して軽減させなければ、最低でも半身は吹き飛ばされていただろうとアシュレイは理解する。
「上から目線で手を差し伸べて、それが突っ撥ねられりゃ存在心に留めてブッ殺す。
いいね、やっぱりお前は英雄(ヒーロー)向いてるよ」
しかし、休む暇はない。
相殺した端から迫る継ぎ接ぎの拳が、炎を帯びている。
そこから噴き出す赫灼の一撃は、先ほど既に見ていた。
舌打ちをしながら距離を取り、放たれた熱拳を辛うじて凌ぐ。
返しに放った銀炎の津波と、蒼炎の防波堤が真っ向から衝突すれば。
蒼と銀の熱が混ざり合い――赤い大爆発を引き起こして、大規模なクレーターを作り上げる。
「分かり合えなくていい、できないから。だから――英雄(ヒーロー)と敵(ヴィラン)だ」
「そりゃ、ずいぶんと寂しい話だけどな――!」
爆発を切り裂きながら襲いかかるのは、跳弾舞踏会(ピストルディスコ)……風のホーミーズの銃乱射。
本来なら相当な脅威だが、再生能力持ちのアシュレイにとっては辛うじて鬱陶しいの範疇に収められる攻撃だった。
多少の被弾は許容して無理やり前に進み、ロケット噴射の要領で炎を放出し高速機動で荼毘の死炎を切り抜ける。
煌赫墜翔とは流石に行かないが、それでも小技としては十分だ。
「おまえとの対面は、遠からずやってくるだろうと思ってたよ。
そしてその時、先頭に立っておまえを受け止めるのは俺であるべきだとも思ってた。
あの子に――摩美々に任せっきりで、俺はおまえという人間のことを直視したことがなかったからな」
「テロリストとの交渉にガキを使うなよ。学徒動員じゃねえんだから」
「勘違いしないでくれ、あれはあの子自身の意志だ。
ずいぶん手酷くやられたみたいだったけど、それでもあの子なりに前に進めたようだったよ。残念だったな、ちゃんと意味はあったわけだ」
「そうかい」
応酬が、繰り広げられていく。
死の腕を掻い潜り、銀閃でどれほど刻めるかの勝負。
さしもの死柄木も無傷とはいかなかったが、彼もまた水準に満たない負傷は実質無効化できる身分の人間だ。
損傷と喪失を度外視して振るわれる獣の戦闘スタイルは、場馴れしているアシュレイでさえ胆が冷えた。
"崩壊"が耳を掠めかけた時点で、攻撃行為を中断して耳朶を切り落とす。
掠っただけで死が確定する以上、こんな自傷じみたやり方も許容しなければならない。
なかなかどうして、精神の削られる戦いだった。
「……こうして実際に見て思ったよ。おまえは、多分俺達みたいな他人が語るべきじゃない悲しみを背負っているんだな」
「知った口を利くじゃないか。これから殺す相手に同情して、エモーションに浸るのが趣味か?」
「おまえの殺意を浴びてみて、確信した。おまえに対しては多分、どんな対話も施しも暴力になる」
踏み込んでの一撃は薄皮を裂くに留まる。
しかし狙いはそこじゃない。
刀身を伝った輝く銀炎を、死柄木の全身に燃え移らせることだ。
「おまえを救えるのは、きっと俺じゃない。そのことを申し訳なく思うよ」
「は」
炎に包まれながら、死柄木は笑った。
涙の雨(レイン)が癒やすのは、"彼女"に愛されている者だけだ。
魔王が月乙女に祝福されることは決してない。
そして、再生能力があるからと言って生きたまま全身を焼かれる激痛までもを無視できるわけでもない。
死柄木弔は人間だ。
肉体は超人でも、生物としては人間のそれから何も変わっていない。
彼を今苛んでいるのは、人間であれば決して耐えられない筈の苦悶。
であるにも関わらず――全身を銀炎で包まれながら、髪の毛を逆立たせながら、死柄木はただ笑っていた。
引き裂くように。そして、この地平線上に存在する生物全て、否定して踏み躙るように。
「それでいい。俺はこんなに"救われてる"」
突き出された腕を避ける。
それを悪手と気付いたのは、コンマ一秒後のことだった。
側頭部に炸裂する衝撃に脳が揺さぶられ、視界がぐらつく。
「ッ……!」
当たり前のように人間に殴られたことに疑問を抱く余地はなかった。
龍脈の力を取り込み、更にどうやら"それ以外"も喰らったらしい魔王の身体だ。
サーヴァントであることが彼を相手にする上で何か一つでも優位になると、そう考えるのは甘すぎる。
咄嗟に体勢を立て直そうとするアシュレイは当然、崩壊を真っ先に警戒するが。
死柄木にしてみればそのことを踏まえて、別な手札を切ればいいだけだ。
「微温い炎だ。フレイムヒーローの足元にも及ばない――『業火燎原』」
「ご……ッ、が……!?」
"荼毘"に集約されていく熱、熱、熱。
それは彼の指を通じ、旋風となってアシュレイを吹き飛ばした。
焼き焦がされて散っていく肉、しかし真に厄介なのは破壊力ではない。
敵を拘束した状態で吹き飛ばせるという、言うなればアシュレイの動きそのものをコントロールできる性質だ。
柱状に吹き上がった竜巻が、アシュレイを上空へと押し上げていく。
――そしてその真上まで飛び上がったのは、炎燃やす偏執狂の写し身だ。
『赫灼熱拳(ジェットバーン)』
上から下へ、天から地へ。
アシュレイを焼き払う炎の柱が具現する。
癒やしの炎を持つことは、しかし不死であることを意味しない。
むしろ覚醒能力が封じられている現状、アシュレイは不死性において死柄木と同格かそれ以下と言ってもよかった。
そんな状態で受け止めるには、この炎はあまりにも凶悪すぎる"死"であり――
「で、念には念をだ。お前が箱舟の頭なんだろ? だったら確実に殺さなくちゃなあ」
よしんば生き残ることが出来たとしても、その先は与えない。
死柄木が触れたのは、もはや骨組みだけになった高層建造物だった。
彼の手に触れるなり崩れ、死の滝と化すビルディング。
それに合わせる形で、風のホーミーズが――神の写し身が形を失い、純粋な風の塊と化し空中で炸裂する。
「俺の世界に境界線(おまえ)は要らないんだ。
俺の願いが叶ったその先は、光も闇もありゃしない……ただの白い混沌があるだけさ」
するとどうなるか。
ホーミーズ達でさえ、直撃すれば死柄木の崩壊を免れることはできないが……彼らが撒き散らす副次的な自然現象はその限りではない。
炸裂の余波で生じた暴風域に乗って、崩壊の毒素を含んだ瓦礫と粉塵の山がアシュレイに襲いかかるのだ。
まさしくそれは滅びの砂嵐。自ら考え学習し、そうして育っていく魔王の新技にして最悪の殺し技。
確実なる崩壊の魔の手が、箱舟の要アシュレイ・ホライゾンの死を確定的なものへと変えた。
「消えろよ。ご都合主義(ハッピーエンド)に用はない」
……これが――魔王・死柄木弔。
先代(オール・フォー・ワン)が見出し、犯罪王(モリアーティ)が磨き上げ、連合(なかま)が育んだ正真の怪物。
社会の犠牲者という形にさえもはや囚われない、あるがままに望む未来を手繰り寄せる全能者。
彼の描く未来に、光も闇も、灰色だってありはしない。
あるのは"無"だ。全てが均され、滅び、消え去った虚無の地平線。
彼こそは箱舟の否定者。
優しい結末を求める誰も彼もがいずれ直面する、最強最悪の壁。
そしてその彼の手により、他でもないアシュレイ・ホライゾンが今滅んだ。
それが意味するところはひとつ、全ての優しさと輝きの完全敗北。
死の暴風が吹き抜けたその先に、希望らしいものは何一つとして存在の権利を保てない。
「……、……?」
その筈だった。
しかし微生物一匹生存できない死界の中で、佇む影が一つ。
胎動する光の波動。
煌めき始める可能性。
「……はは。おいおい、マジかよ」
刮目せよ――――可能性(イマジネーション)が始動する。
「言葉を借りるぞ、相棒。今の俺に必要なのは、きっとお馴染みのあの言葉だから」
命が消え果てるどころか、彼の身体には傷一つない。
あったのかもしれないが、それは既に月乙女の加護で復元されている。
生存の余地など絶無であった筈の暴風域の中で、極小の可能性を掴み取ってみせたこと。
それはまさに、超極上のイマジネーションが彼を助けた結果だった。
「まだだ。まだ、負けを認めちゃやれないな」
魔王をして驚きを禁じ得ない、冗談のような生存続行。
崩壊の運命(さだめ)を跳ね除けて歩み出た姿は、あいも変わらず戦闘狂のとは全く違う優しさに満ちていて。
けれど、どこか得体の知れない――単純な強さよりもずっと厄介な脅威を滲ませながら、アシュレイ・ホライゾンはそこにいた。
「さあ、ここからだ。来るがいい――明日の光は奪わせない」
「上等だよ、英雄(バケモノ)め――根絶やしにしてやるぜ」
魔王、英雄。
崩壊、共存。
鏖殺、生還。
地平、箱舟。
戦いは続く。
二人の激突と共に、残骸の街が消し飛んだ。
◆◆
「君さ、今の状況わかってる?」
『アイ』が口にしたのは、率直な疑問だった。
窮地に際して立ち上がった田中摩美々。
その行動は勇敢だが、それ以上に無謀でもある。
摩美々はアキレス腱なのだ、箱舟陣営の。
彼女を先に潰されてしまえば――メロウリンクの死もまた確定し、まだ辛うじて命を繋いでいる七草にちかの命運も自動的に尽きてしまう。
だからこそ、摩美々が選ぶべきだった答えは沈黙。
『アイ』が命じられた嗜虐に、その余分に甘えて生を繋ぐことだった。
少し考えれば分かりそうなものだが――しかし彼女は、声をあげた。
そのことが解せず、『アイ』は思わず小首を傾げてしまう。
「アイドルがどうとか関係ないでしょ。そんなことより、今は自分のサーヴァントを心配してあげたら?」
メロウリンクの有様は、なかなかに凄惨だ。
致命傷こそ避けているものの、逆に言えばそれだけ。
命に関わらないというだけで、手傷としては相当な深手に達している。
それなのに今この状況で、まさかアイドル談義なんて持ちかけてくるとは思わなかった。
『アイ』は口元に指を当て、その迂闊と薄情を指摘する。
しかし摩美々は揺らぐことなく、毅然と言い放った。
「……そんな言葉が出てくるのは、アイドルじゃないです。
あなたが本当にアイドルだったら……あなたが本物の『星野アイ』さんだったら、そんな言葉は出てこない筈」
「分かるんだ。まあそりゃそうだよね、本物のアイがこんなにめちゃくちゃできるわけないし」
「そうじゃ、なくて……」
星野アイと『アイ』は似て非なる存在だ。
片や人間。片やその残骸を元に生み出された強化コピー。
サーヴァントをすら正面から叩き伏せる戦闘能力と、声を使った無限大の応用。
こんな真似ができる存在をアイドルとは呼ばないと言われたなら返す言葉もなかったが、彼女が言いたいのはそういうことではなく。
「関係なくなんか、ないんです。私達にとっては」
それよりももっと前の段階の話。
『アイ』の在り方の問題について、だった。
「アイドルって言ったって、いろんな子がいる。
明るい子、クールな子、ちょっとおバカな子、大人のお姉さんみたいな人。
でも、みんな……輝くために。きらきら輝いて、自分を、誰かを……照らすために、歌ってる」
櫻木真乃は、皆に元気を与えて。
幽谷霧子は、皆の心を照らして。
七草にちかは、生きるために輝いた。
田中摩美々(じぶん)も――そして、星野アイもきっとそうだった筈。
アイドルは何かを照らすために歌って、踊る。
そういう生き物だ。
界聖杯を肯定するわけではないが、"可能性の器を集める"というコンセプトにも合っているとそう思える。
ステージの上、そこに立つアイドル達。
そこには無限の可能性が広がっていて、だからこそ誰も彼もみんな尊いのだと摩美々は思っている。
あの世界で、そしてこの世界で、その両方で見てきた優しくて愛おしいヒカリのステージ。
「そんな、何の感慨もなく……誰かを壊すためにじゃ、ない」
けれど『アイ』には、それがない。
敵連合が送り出した新人アイドルにあるのは、ある種作業的な無機質さだ。
彼女にとって声とは道具で、歌とは武器だ。
死柄木弔によって生み出された、箱舟を殺すためのアイドル。
偶像の血から生まれ落ちた、悪魔のような超新星(ホーミーズ)。
彼女の歌に情熱はなく、歌うことや踊ること、何に対しても一つだってこだわりはない。
歌えと言われたから、歌う。
覚えろと言われたから、覚える。
やれと言われたから――ステージに立つ。
「真乃は……あなたが歌ったその歌をうたってた子は、とっても楽しそうに演るんです。
見てる人が、思わずくすっと笑顔になってしまうような。
落ち込んでいる人が、もうちょっと頑張ってみようかなって、元気になれるような」
「……、……」
「あなたのとは、ぜんぜん違う。もっと、ずっと……あの子は、すごかった」
「うん、よくわかんないや」
ごめんね、と笑って『アイ』は肩を竦めた。
何やら熱心に語ってくれているので耳を傾けてみたが、結局何が言いたいのやらさっぱり分からない。
たぶん摩美々ちゃんにしてみればそれがまず駄目なんだろうなあと思いつつも、『アイ』は一歩前へと踏み出す。
「私はアイドルだよ。そう作られた、連合製の、あなた達のためだけの偶像(アイドル)」
これ以上、わけの分からないアイドル論議に付き合ってやる義理も理由もない。
よって『アイ』は、此処で田中摩美々を摘み取ることを決めた。
その前言撤回は不合理。彼女の『プロデューサー』の意向に背く行為。
それを自ら選んでいること、それに意味を感じることもなく。
「イルミネーションスターズ。"人の手で輝かす光"って意味なんでしょ?
だったら誰かに求められて歌って輝く私は、その名前に相応しいと思わない?」
メロウリンクの銃弾が飛んでくる――片手で払う。
二度目はコツを掴んだ。もう、流血すらせずに払えてしまう。
くるりと身を翻して軽く"声"を浴びせてやれば、ごろごろと地面を転がりながら鈍い音を立てる。
傭兵は傭兵。戦闘者ではなく、ステージの上で輝く歌姫に勝る光を放つこともない。
その確信を持ちながら、『アイ』は摩美々の方を向いてすう、と息を吸い込み。そして――
「……じゃあ」
全てを決める、最後の歌声を吐き出そうとして。
「あなたを、推してくれる……そんな人は、いるんですか」
その言葉に、ふと。
何故だか、喉が止まった。
「あなたは……っ」
『アイ』はアイドルだ。
しかし、田中摩美々が言うようなアイドルではない。
必要だから歌い、殺すためにパフォーマンスする。
与えられた武器が歌声だったからそれに頼るだけで、これが銃でも金棒でも何も変わらない。
まさしく偶像のホーミーズ。
偶像という型を忠実にこなし続ける、そんな存在。
だが。
だが、元を辿れば、その身体に流れている血は――
「あなたは、誰かの【推しの子】ですか?」
――現代最高峰のトップアイドルのものだ。
最終更新:2023年10月25日 02:34